
6月岸和田で行われた『第2回パールカップ(GI)』を優勝した石井貴子選手(千葉106期)。オッズパーク杯ガールズグランプリでも2着に入るなどビッグレースで活躍していましたが、大怪我があり今回がGI初出場となりました。そこで見事優勝した振り返りと今年の今後の走りへ向けて、そしてここまでの思いを伺いました。
山口みのり:『第2回パールカップ(GI)』優勝おめでとうございます。
石井貴子選手:ありがとうございます。
山口:初めてのGIでしたが、どんな思いで参加しましたか?
石井:怪我で戦線離脱していたので第1回パールカップ(GI)には参加できませんでしたし、去年からGIができましたがどれも走れない状態でした。なので今回も「いざGI!」という気持ちは全くなく、通常の開催と同じ気持ちでいきました。
山口:準備なども特になかったですか?
石井:はい。怪我をする前の私は、コレクションなどのビッグレースに参加するときは2~3か月前から準備をしていたのですが、今はそのやり方はしていません。毎回「自分の精いっぱいをやろう」と思って入っているので、「GIだから」「普通開催だから」の区別はないです。
山口:気負いなどもなかったということでしょうか。
石井:はい。3日間を精いっぱい頑張ろうということ、ただ勝ち上がりが普段のポイント制と違い、初日は3着以内なんだなというのは確認していました。でもポイント制よりもわかりやすくてありがたいですね。前検日に記者さんに詳しい勝ち上がりを聞き、準決勝は4着が一人だけ決勝へ上がりますが、初日の着順とパールカップ(GI)の選考順位が関わってくるのを確認しました。
山口:その該当選手になりましたもんね。
石井:はい。自分が先に4着になった時点で、後はドキドキしながら見ていました。
山口:初めてのGIはどこを目標にしていましたか?
石井:もちろん毎レース1着を目指していますが、それは結果で後からついてくるものと考えています。これは普通の開催も同じで、走る前にはいろいろなことを考えます。例えば車番、メンバー構成、そのバンクの特徴、その日のコンディション、自分の体調、その他たくさんのデータを集め「その日に自分ができることはなんだろう」と考えます。レース後は「それを精いっぱいやりきれたか?その結果、何着だったか」ということを日々やっているので、普通開催の予選も決勝もGIも同じです。でもメンバー構成という部分では決勝やGIは強い選手ばかりなので、より応用が必要です。今はそういう取り組み方になりました。
山口:それは怪我から復帰してからですか?
石井:復帰をしてからですね。デビューしてから10年も走っているので、体も状況もどんどん変化しています。いつまでも20代の戦い方をする訳にはいかないし、逆に経験はプラスにしていけます。その結果、今はそんな感じでレースに取り組んでいます。転機になったのはやっぱり怪我ですね。自分にとってかなり大きなことでしたから。
山口:昨年GIが新設されてガールズケイリン全体の雰囲気の変化は感じますか?
石井:強い選手がたくさんいるので、GIじゃなく普通の開催でも勝つのは厳しくなってきていますね。人数が増えているし開催も増えているので、レベルが上がったと言えばそれまでですが、ますます大変だと思っています。
山口:GIへの意識はどのあたりからありましたか?
石井:特になかったです。自分がレースを走っていてもいなくても、ガールズケイリンのレースは全て見ています。自分がレースを走っている時は通信環境がないのでリアルタイムで見ることはできませんが、開催が終わって外に出たら必ず見ます。どの選手がどんな走りをするのか、誰がどんな展開で勝ったのかなど、GIや普通開催に関わらず全部見るので、特にGIを意識するなどは全くなかったです。
山口:一つ一つの積み重ねが優勝に繋がったんですね。
石井:勝つためにどうしたら良いかは常に考えているし、私自身も勝ちたい気持ちはあります。それが一つ一つちゃんとできたんだなと思います。そうやって工夫して考えていても、自分以外に6人いるので何が起こるかわかりません。いかに自分がシミュレーションしてもその通りになることは少ないので、結果が出てやっと「ちゃんとできたんだな」と思うんです。
山口:ではレースを振り返っていきます。初日は奥井迪選手(東京106期)を差して1着でしたね。
石井:車番に恵まれました。奥井選手が強いので、位置を取れたら余計なことを考えずシンプルに走ろうと思っていました。それがちゃんとできたと思います。
山口:2日目はいかがですか?
石井:私は1番車だったのでまずはスタートだなと考えていました。初日に奥井選手の強さを実感したので、まずは奥井選手よりも前、3番手くらいから自分が1着になる組み立てを考えていたんですが、実際は初手がその通りにはいかず奥井選手は前にいて自分は4番手になりました。その時点で組み立てを変えなければいけなかったのにその判断が遅くなってしまい、仕掛けた久米詩選手(静岡116期)の動きにも反応できず、良くなかったですね。
山口:決勝は7番車でしたが、いかがでしたか?
石井:真ん中の位置は取れないと思っていたので、スタートを思いきって取りにいくか後ろかの2択だなと想定し、まずは7番手からの組み立てを何パターンか考えていました。2日目は1番車だからこその迷いがありましたが、7番車だからと割り切っていました。でも奥井選手が6番手からは想定外だったし柳原真緒選手(福井114期)の並走も想定外でした。そこは自分にとってはありがたかったです。
山口:初手が決まった後は、初日のようなイメージでしたか?
石井:そんなに簡単じゃないと思っていました。奥井選手が仕掛けた後の最終1コーナーで3人の並走になり自分は一番外でした。奥井選手も前に出て内外線間に入ろうと下っていたので、並走に気を取られていると奥井選手のスピードに踏み遅れてしまうと思って注意しました。なんとかしのげて良かったです。
山口:その後は尾崎睦選手(神奈川108期)の仕掛けもありましたが、見えていましたか?
石井:ひょっとしたら後ろにいるのかもしれない、くらいの意識でした。自分も余裕がなかったし、逃げている奥井選手が強いので必死に追い込みました。
山口:最後は奥井選手を追い込んだのはわかりましたか?
石井:いえ、わからなかったです。これは不思議なんですが、1着と2着で8分の1車輪の差があるとして、わかるときとわからないときがあるんですよね。「なんとなく自分が1着かな?でも確信はないからどうだろう......」という感じです。ずっとゴール後はビジョンを見ていました。
山口:優勝がわかったときは涙が溢れてきたと伺いました。
石井:そうですね。最近自分のゴール後の様子をスピードチャンネルの番組で見て「私はゴール後、こんな感じだったのか」と思いました(笑)ビジョンを見て「!!!」となっている様子も映っていたんですが、その後は号泣してしまいました。怪我をしてからのことなどを思い出して、溢れてきてしまいましたね。私は感情の起伏を人に見せるのが好きじゃないので、あんまり人前で泣いたりはしないんですが、思わずでしたね。
山口:感動しました。私も石井選手は常に冷静なイメージだったので、それだけ大変な思いがあったんだなと感じていました。
石井:そうですね。公営競技の選手としてお金が掛かっているので、常にフラットでいることを心掛けています。浮足立つこともないし、落ち込みすぎることもないように振る舞うことは気を付けているんですが、あの時は無理でしたね。
山口:記事になっているだけでも大変な怪我ですがそれ以上の大変さがあったと想像します。でもファンの皆さんは、あの涙でその苦労を少し感じられたと思います。
石井:普段は何にもなさそうな顔をしていますが、意外に思い詰めている時もあるんですよ(笑)
山口:そうですよね。これは私のことで申し訳ないのですが、怪我から復帰されてしばらくして「実は引退も考えた」という記事を見たときに「そんなに大変な状況だったんだ......」と愕然としたんです。
石井:ああ、そうですね。去年のアルテミス賞レースに選んでもらった時期に、ようやく練習中の怪我について自分でも話せるようになったんです。復帰直後はなかなか言葉にはできなかったですし、言うべきではないとも思っていたので。
山口:そうでしたか。この優勝は、うまく言葉にはできないですが、良かったですね。
石井:でもこの優勝は自分だけの力ではないです。運やレースの状況など本当に恵まれたところも大きいですから。でも以前までの私は違いました。大きいレースに対しては何か月も前から準備して照準を合わせていたので、勝てたときはそこまでの過程や自分の力を評価していました。でも今回はそれは全くなかったですね。「あの時に引退しなくて良かったな」とは思ったんですが、自分だけの力でやってきたことではないと身に染みて感じます。もちろん走ったのは自分で、勝ったことは嬉しいしありがたいことなんですが、たくさんの方に助けてもらい、運も味方をしてくれて、やっとスタートしてゴールまで走り切れているので、「自分が勝ったんだぞ」と誇る気持ちはなかったです。
山口:そうですか。
石井:はい。勝負の神様がいるかはわからないですが、私に「勝って良いよ」って言ってもらえたんだなと感じました。
山口:良いお話をありがとうございます。それでは今後へ向けても伺っていきます。まずは今年の目標は立てましたか?
石井:中長期的な目標は立てていないですね。現状の私は、去年の自分では想像がつかない年になっています。GIも初めて出場し、勝てて、無理だと思っていたグランプリも出場権利をいただきました。ガールズケイリンフェスティバルも昨年は出られなかったんですが、今年は地元の松戸だからなんとか出たいと思って、そちらも出場できます。オールスター競輪も今年は3日制、来年からGIになる移行期のレアな開催ですが、選んでいただきました。去年の私では予想もできなかったし、その全てを目標にはしていませんでした。でも取り組み方としては「少し前の私よりはちょっとでも良くなるように」「半年前の脚力よりもちょっと上げよう」「数か月前の私よりはできるようになろう」と、小さいところを少しずつやっているんです。でも今後もそれしかできないのかなと思います。
山口:ガールズグランプリの権利を持っているから、いろんなことを試したいなどはないんですね。
石井:はい、全くないですね。GIにも「優勝するぞ」と思って参加した訳ではないのと同じで、目の前のレースを勝つために精いっぱい準備をし、自分に対して「そのレースをやりきれたかどうか」を課題にしている。今後もそういうスタンスだと思います。でも今回のパールカップ(GI)の3日制の勝ち上がりは、過去の経験もいきたかなと思いました。以前から行われていたガールズケイリンフェスティバルが3日制で、着順(パールカップ)とポイント制(フェスティバル)という勝ち上がり方は違うものの、同期たちとは「単発レースよりガールズケイリンフェスティバルを優勝するのが一番大変だ」と話したことがあるんです。私もそれを感じていました。まず決勝にいくのが大変だし、ポイント制なので2日目のポイントが重要になってきます。でも私は別府でなんとか優勝をすることができました。その経験が今回のパールカップ(GI)に参加するにあたりベースになっていますね。フェスティバルも何度も挑戦して負けて負けて、一度は優勝をできたという成功体験があります。「あの時どうだったかな」と振り返ることもできる。実際に別府の時も2日目はミスをしているんです。結果は2着で決勝へいけたのですが、あやうく大敗するところでした。ミスをして勝ち上がり、決勝ではそうならないようにと気を付けて走って勝てた経験は参考になりました。前述のように、シンプルに自分ができることをやろうと思っているんですが、自分がこれまで経験したものは栄養にしながら一走一走取り組みたいです。
山口:今年のガールズケイリンフェスティバルは地元松戸での開催です。松戸を走るうえで注意するポイントは言える範囲で、どのような部分ですか?
石井:オールガールズクラシック(GI)を見てても思ったのですが、全体のレベルが上がっているので、勝負所を逃さないことだと思います。後は車番も大切かなと感じました。もらった車番でどう組み立てていくかですね。
山口:お客様にはどんなところを見て欲しいですか?
石井:松戸は小回りなので、レースの面白いところがギュッと詰まっていると思います。選手との距離も近いし、ガールズもですがもちろん男子のレースも、駆け引きがたくさんあるしスピード感も感じられると思います。ナイターですし照明も綺麗で、サマーナイトフェスティバルの名前の通り夏のひとときを楽しんでほしいです。
山口:そして8月のオールスター競輪もファン投票14位で選出されました。
石井:どんなレースでもその日の精いっぱいすると言っていますが、オールスターだけはお客様が自分を選んでもらわないと出場が叶いません。それに乗せてもらえることだけでも本当にありがたいと思うし選んでいただいて感謝しています。
山口:今年は中間発表がありその時は19位。そこから14位という結果でした。
石井:そうでしたよね。中間順位を見て「これは出られないかな」と思っていたのですが、本当にありがたいです。
山口:締切はパールカップ(GI)が始まる前の5月12日でしたよ。
石井:そうだったんですか。てっきりパールカップ(GI)を勝てたから入れてくださった方がいたのかと思いました。でも入れてもらえることが本当に嬉しいです。オールスターはいくら強くても、走りたいと思っても、走れるレースではないですから。本人の自覚がないんですが「走って良いよ」と言ってもらえたからには名誉なことなので、感謝して頑張ります。
山口:たくさんのお話ありがとうございます。最後にオッズパーク会員の皆様に今後の意気込みをお願いします。
石井:いつも応援していただいてありがとうございます。目の前のレースを一本一本精いっぱい走っていきます。これからも応援してください。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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奈良競輪場で行われた大阪・関西万博協賛競輪GIIIで優勝をした大矢崇弘選手(東京107期)にお話を伺いました。
大津:奈良GIII優勝おめでとうございます。
大矢:ありがとうございます。
大津:少しお日にちが経ちましたがお気持ちはいかがですか。
大矢:直後は実感が湧かなかったのですが、地元に帰った時やレースに行った時に周りの方々から「おめでとう」って声をけっこうかけてもらって嬉しかったです。
大津:やはり反響は凄かったですか。
大矢:そうですね、色々と連絡がきたし、他の人たちから褒められすぎたので居心地が悪かったです。
大津:先日まで取手記念(GIII)を走っていましたが、そこでの周りの反応はどうだったんですか。
大矢:記者さんから話も聞かれるしけっこうプレッシャーにもなりました。
大津:ご自身も走る中で変化はありましたか。
大矢:レースもそうですし、練習の中でも普段とは違う緊張感が出るようになりましたね。競輪選手ってオフシーズンもなくずっと走っているので、どうしてもマンネリの部分が出てきてしまうのですが、その中でピリッとした部分が出てきたので良かったと思います。
大津:奈良GIIIは追加でしたが連絡はいつ来たのでしょうか。
大矢:伊東を走ってた最終日です。その辺りで追加は入るかなぁって思っていたので、そんなに急だなって感じはなかったです。
大津:奈良は過去優勝もしていましたが印象はありましたか。
大矢:奈良っていうよりも333が嫌いではないので苦手意識とかはなかったです。333のほうがなんとなく成績が良い感じがするんですよね。
大津:それは大矢さんの戦法が、ハマるということなんですか。
大矢:うーん、単純に333は自力型が有利なんだと思います。昔はあまり考えていませんでしたが、最近は後手に回らないレースを心掛けています。
大津:7車と9車で違いを感じる部分はありますか。
大矢:9車のほうが走りやすいですね。凄く縦足のある選手は7車のほうが良いのでしょうが僕はそういうタイプではないので9車で色々と動きがあるレースのほうが僕は得意です。
大津:7車立ての二分戦とかですと、どっちかが逃げてどっちかが捲って、のレースになってしまいますもんね。
大矢:そうですね、ちょっとどうしようもないなって時もありますね。
大津:初日から細切れ戦で大矢さんの前々の意識を感じたレースでした。
大矢:とにかく勝ち上がらないといけませんからね。5着権利というのもあって、前に前にという思いでいました。
大津:(大矢さんは初日5着)5着と6着じゃ全然違いますもんね。
大矢:はい、危なかったです。それは周りにもけっこう言われました。「良かったなぁ、5で」って。
大津:振り返ると初日が一番ギリギリでしたもんね。
大矢:そうですね、あそこで負けてたら何もなかったですからね。
大津:走ってみて感触はどうだったんですか。
大矢:最近はずっと調子は悪くないなって思ってました。そのままの調子だったんで悪くなく踏めたかなって感じました。
大津:調子が悪くないっていうのは思い当たる節はあったのですか。
大矢:練習の感覚も良かったですし、レースでも調子が悪い時は勝負所じゃないのにしんどくなってきたりしてたんですが、すごい楽に走れていたので調子いいなって思いました。
大津:2走目もそうでしたが、準決勝戦の走りが特に印象的でした。
大矢:あれは佐藤一伸さん(佐藤一伸選手・福島94期)が仕掛けてくれたからっていうのもあるんですけどね。それに釣られて自分も仕掛けることが出来ました。佐藤さんが良い目標になって、それを追いかけることが出来たので展開的にも良かったです。本当は自分が仕掛けた時に、どこか前々の位置に入れたらって思ったのですが、どこも入れるところがなかったので、もういいや行ってやれって感じで行ったら結果的に良かったって感じです。
大津:道中、中井俊亮さん(中井俊亮選手・奈良103期)と絡まなければ頭まで突き抜けていたんでしょうか。
大矢:あの一発も痛かったですし、今期一回失格してるんです。最後佐藤さんを捲るときに本来だったらもうちょっとグッと内側に押し込みたかったんですが、もう一回失格してしまったらヤバいなって頭によぎって、あまり厳しくいけずに2着になったってのもありますね。失格しちゃうとA級になってしまうので、ほんとは内側に佐藤さんを下す感じで捲って行きたかったんですが、それが出来なかったですね。
大津:準決勝戦、決勝戦と単騎でしたが一人でやることは特に苦にはされてないのでしょうか。
大矢:嫌いではないです。でも、単騎の成績が良いかって言われたらそんなことはないです。
大津:決勝進出が決まった瞬間はどんな思いでしたか。
大矢:すごい嬉しかったです。FI含めて決勝戦は数年乗ってなかったので。
大津:メンバー出揃った時はどのような印象を受けましたか。
大矢:まぁ、チャンスは無くはないかなって感じでした。単騎というのはすぐに決めました。
大津:僕らは「誰が逃げるんだろう」と悩んでいたのですが、大矢さんはどのように考えていたんですか。
大矢:僕もあんまりイメージが出来なかったので作戦とかもそんな考えてなかったんです。レースが始まった時は、松岡君(松岡辰泰選手・熊本117期)が行くのかなぁとは思ったんですが、すかさず先行するって感じではなかったので内をしゃくって中団まで行きました。
大津:では、初手の位置などは特にこだわってはいなかったんですね。
大矢:考えてなかったです。その時々の展開で後ろにならないようにって考えていました。
大津:まさに流れの中で中井選手(中井太祐選手・奈良97期)の後ろを上手く追走する場面がありました。
大矢:あれも結果的に中井さんが行ってくれたから自分も付いていけたっていう感じです。流れは見えていましたし、身体も勝手に動いてくれました。
大津:それは先ほど仰った調子が良かったっていうお話に繋がってくるんでしょうか。
大矢:それは間違いないですね。身体が勝手に反応出来るっていうのは調子が良いってことだと思います。
大津:最後の2コーナー辺りから捲っていった感触はいかがでしたか。
大矢:これは捲り切れるなってなって、頭の中で「あれ?優勝?いやいや、でも2着3着はあるかな」って意外と冷静に考えてました。
大津:松岡選手も粘っていましたし、最後は真後ろに元砂選手(元砂勇雪選手・奈良103期)もいましたが全部見えていましたか。
大矢:元砂が内にいるのは分かってなかったです。
大津:ゴール前はいかがでしたか。
大矢:「あっ、いける、これ優勝だ」って思いました。
大津:S級初優勝のゴールでしたが、ゴールの瞬間は覚えていらっしゃいますか。
大矢:よっしゃあ!っていうよりも、うわぁ優勝しちゃったわぁみたいな感じで信じられないというか、良いのかなぁみたいな感じでした。
大津:喜びが大爆発とかじゃないんですね。
大矢:競輪祭(GI)も出られるなとか色々考えて、むしろ焦るというかそんな感じでした。
大津:優勝インタビューでも落ち着いていたように感じます。
大矢:意外と冷静でした。競輪祭にも出られることになったのに、今のままじゃまずいよなぁとか。喜びよりも先にこの後に待ち受けることに対しての現実的なことを考えてました。次の開催行っても色んな人に色々言われるの嫌だなぁとか、帰りのタクシー呼んじゃってるけど間に合わなくて迷惑かけちゃうけどどうしようとか変な心配事ばかりしていました。
大津:帰りの車内とかで一人になった時に喜びに浸ったりとかもなかったですか。
大矢:それはありましたね。スマホに沢山連絡が来てて、「優勝って良いな」ってなりました。これを機にまた色々と頑張れるなって思いました。
大津:優勝したご褒美や打ち上げなどはされましたか。
大矢:打ち上げはこのあとする予定です。周りの人にも言われるんですが、ご褒美とかも買ってなくて、これから考えようかなって思ってます。
大津:大矢さんはご家族はいらっしゃいますか。
大矢:はい、結婚してて子供もいます。実は優勝した一週間後に2人目の子供が生まれたんです。なので終わったあともかなりバタバタしていて忙しかったです。
大津:大矢家としては嬉しさが重なり合った6月ですね。
大矢:そうですね、色々と良いことが起き過ぎていて逆に心配です。
大津:GIも決まりましたし、パパとしてもこれからもっともっと頑張っていかないとという思いもあるんじゃないでしょうか。
大矢:先ほども言いましたが競輪選手ってモチベーションを維持し続けるのってなかなか難しいものがあるんです。それが今回のことで一層高いモチベーションでやれるような気がします。
大津:今後の目標を教えてください。
大矢:S級1班を取ることです。
大津:話は変わるのですが、大矢さんピアノもお得意なんですか。
大矢:そうですね、今もたまに弾きます。
大津:どういう経緯でピアノを始めたんですか。
大矢:兄と姉がいるんですが、その二人がやってて小学校一年生の時に僕もやりたいって言ったみたいです。小学校までしかやっていなかったんですが中学校の時は合唱コンクールとか卒業式とかで弾いたりしていました。
大津:それでいて野球では甲子園に出場されていて凄い方ですね。
大矢:まぁ、そこそこは出来るほうだと思います(笑)
大津:ピアノと競輪が結びつく部分などはありますか。
大矢:リズム感ですかね。スポーツ全般に言えることだと思いますが色んな場面で役には立っています。
大津:では最後にオッズパークの会員の皆様にメッセージをお願いいたします。
大矢:今後も車券にどんどん貢献できるよう一生懸命頑張るので応援してください。インパクトを残せるように頑張ります。
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※インタビュー / 大津尚之(おおつなおゆき)
ソフトな見た目と裏腹にパワフルで安定感のある重低音ボイスが魅力。
実況、ナレーション、インタビュー、俳優など活躍の場は多岐にわたる。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
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今年デビューした126期の養成所順位を1位で卒業し、ルーキーシリーズでも9走中8回の1着。2場所連続で完全優勝をした仲澤春香選手(福井126期)。ボート競技からの転身で早くも結果を出しています。ガールズケイリン選手を目指したきっかけやルーキーシリーズの振り返り、そしてまもなく本格デビューを迎えますが、今後の目標を伺いました。
山口みのり:仲澤選手はボート競技からの転身とのことですが、どんなきっかけだったんですか?
仲澤春香選手:私はボート競技を実業団のチームでしていたのですが、イップス(自分の思うようにプレーができなくなること)になってしまい会社とボート競技をやめることになりました。それを高校時代の顧問の先生に言ったら、その方がガールズケイリンをすすめてくれました。
山口:すぐに「ガールズケイリンを頑張ってみよう」と決断できましたか?
仲澤:私の地元は競輪が縁遠いところだったのでレースを見たこともなかったし、福井に競輪場があるのも知らなかったんです。先生から「福井市に自転車部がある学校があるから、まずはそこで話を聞いてみたらどう?」とすすめてもらい、まずは話だけでも聞きに行こうと思っていきました。
山口:それが競輪との出会いだったんですね。どのあたりから本気で目指そうと思ったんですか?
仲澤:お世話になっていたトレーナーの方がいるのですが、その方が私が競輪の話を聞きに行った時に「この子はやるよ」や「寮もあるから大丈夫だよ」とかなり押してくれたんです(笑)
山口:サポート体制はばっちりだったんですね(笑)
仲澤:はい。まだボート競技に対しての未練もあったので、自転車に進むか悩みました。でもボートの同級生が実業団や大学で頑張っているのを見ていて、「私はまだ彼女たちを応援する側、サポートする側には回れないな」と思ったんです。だったら「自転車をやってみよう」と思って始めました。
山口:そうでしたか。試験は適性ではなく技能で受けたと伺いました。試験の合格タイムはすぐ出たんですか?
仲澤:いえ、最初は全くタイムが出なかったので私も焦りました。養成所の願書の提出が8月締切だったのですが、それまでにタイムが出なかったら適性で受けようと話していたんですが、3か月ほどして何とか技能試験でも合格できそうだとそちらを受けました。
山口:凄いですね!ボートでの経験のどの部分がガールズケイリンに活きていると思いますか?
仲澤:活きる部分しかないです。フィジカル面はもちろんですが、我慢強さは通じているなと思いました。ボート競技は淡々とやる競技なんですが、それが今の自分の土台になっていると感じます。
山口:我慢強さ、メンタルも鍛えられたんですね。
仲澤:はい。ボート競技では挫折というか苦い経験をし、一度どん底まで落ちました。だから今、競輪の世界に自分が出会えたことにとても感謝していますし「好きなこと、得意なことを職業にする」のは夢でもあったので、それを叶えることができて毎日感謝しています。
山口:素敵ですね。逆に養成所で苦労したのはどういうところですか?
仲澤:自転車と向き合う時間がたくさんあるので、アマチュア時代より考える時間が長かったです。でも悩んでもしっくりした答えが見つからずに苦労しましたね。
山口:しっくりくるというのは、乗り方とかですか?
仲澤:それもありますが、タイムがなかなか伸びなかったことが一番です。モヤモヤしていたし「自分ってこの程度なのかな」と落ち込んでいた時期もありました。
山口:規定以上のタイムを出した候補生にしか取れない「ゴールデンキャップ」の獲得もありましたが、それでも悩んでいたんですね。
仲澤:そうですね。ゴールデンキャップを獲得できたのは嬉しかったんですが、自分が求めていた成績や結果には繋がらなかったです。
山口:早期卒業も視野に入れていたんでしょうか?
仲澤:いえ、それは狙える立場ではないなと思っていたので意識はしていなかったです。言い表すのは難しいんですがタイムと乗り方の感覚が「ハマっていない」という感じでした。
山口:成長した部分はどこだと思いますか?
仲澤:考えることが多かったので、卒業後の練習をしたときに、以前より引き出しは増えたなと感じました。
山口:卒業記念レースでは完全優勝、そして在所成績1位での卒業というのは振り返っていかがですか?
仲澤:結果だけを見たらとても良いです。卒業記念レースは人生の中で一度しかないので重要だと思うし、周囲の注目度は高いと思うのですが、卒業記念レースの結果がデビュー後にその通りの成績になるかは当てはまらないです。まずは無事に終えられて良かったなと思います。
山口:もうプロを見据えていたんですね。
仲澤:はい、大切なのはデビューしてからだと思いました。
山口:5月3日、富山でデビューでした。緊張はしましたか?
仲澤:緊張もあったのですが、フワフワして気持ちをコントロールできていなかったです。卒業記念レースから約1か月半経ち久しぶりのレースでした。更に33バンクなのに私の仕掛けが遅くなり、決勝は5着になってしまい不甲斐ない走りでした。
山口:久しぶりに同期と走って「強くなっているな」と思う選手はいましたか?
仲澤:そこまで大きく変化している選手はいなかったんですが、レース内容や展開を作る部分で養成所の競走訓練と同じじゃないなと思いました。ギヤも上がっているし、車間を空けてのけん制などは、養成所時代にはなかった部分でしたから。決勝はまさに、中団にいた選手がずっと後方の自分をけん制していたのがわかったんですが、そこで何もできず自ら動きにくいレースにしてしまいました。
山口:そのレースを受けて、2走目の平塚、3走目の函館への気持ちの変化はありましたか?
仲澤:はい、ありました。決勝で5着だったので、レース後に初めてヤジがたくさんありかなり落ち込みました。でもそれだけお金を賭けて私に期待してくれている表れなので、責任を持って走らないといけないなと感じました。次の平塚は早めに仕掛けようと思っていましたね。自分がどういう状況になったら負けるというのは富山で学んだので、同じ失敗を二度しないのが大切だと意識して走りました。
山口:それを初戦で経験できたのは、今後の長い競輪人生にとっては良かったかもしれませんね。
仲澤:はい。苦い経験ではありますが、しっかり糧にしていきます。
山口:お金を賭けるというのが、公営競技と他のスポーツとの大きな違いです。オッズは見ましたか?
仲澤:実は、私は目が悪く画面が離れていたり字が小さいと見えにくいんです。デビュー戦の富山は「緊張するから絶対見ないでおこう」と行く前は思っていたんですが、緊張する自分をそのまま動じずに受け入れるのは大切だと思うので、オッズは見えていなかったんですが自分への期待というのは確認していました。以前よりは展開のことを考えながら、控室では落ち着いて過ごせました。
山口:それがずっと続くんですもんね。
仲澤:そうですね。少しずつ慣れていっていると思っています。
山口:賞金というのもプロの魅力の一つですが、賞金を手にしていかがでしょう?
仲澤:ありがたいです!でも一人暮らしを始めたばかりで出ていくお金も多いので、実はプラマイゼロくらいなんですよ(笑)思ったよりはまだ稼げていないのでこれから頑張りたいです(笑)
山口:ルーキーシリーズを終えていかがですか?
仲澤:同期だけだったので結果も良かったですが、7月から先輩たちと実際に走った時にはどんな風になるんだろうと想像しました。自分が仕掛けた時、真後ろに追い込みの鋭い選手がいたり、後ろに捲りの強い選手がいる場合もあると思うんです。それでルーキーシリーズのようなペースで走った時、1着を取れるんだろうかと考えました。やってみないとわからないですが、でもきっと厳しいと思うんです。ルーキーシリーズのような走りや展開にはならないと思うので、先輩たちのレースをしっかり見て「誰がどんな動きをするのか」などを研究して自分の持ち味を出せたら良いなと思います。
山口:仲澤選手の持ち味はどんなところですか?
仲澤:流れに応じて自力を出して勝つというのが理想なんですが、思い切りの良さは見てもらえたらなと思います。
山口:どんな選手になりたいですか?
仲澤:臨機応変に走れる選手になりたいです。プロスポーツの魅力は、たくさんのファンの方が応援してくれることだと思うので、見てもらっている方に走りでも、人間的にも「この子魅力があるな、応援したくなるな」と思ってもらえる選手を目指したいです。
山口:目標にする選手はいますか?
仲澤:福井の先輩の柳原真緒選手(福井114期)は、近くにいらっしゃるし目標です。私も頑張って一緒に福井のガールズを盛り上げたいなと思います。
山口:今の練習環境は伊豆なんですよね?
仲澤:はい、伊豆で練習しています。ナショナルチームの練習生という立場で、まだ強化指定選手ではないんです。私としては自転車競技もやりたいのですが、競技で成績を残せていないので今後の成績次第ではナショナルチームに入れるかもしれないという立場です。
山口:しばらくはその生活になるんですか?
仲澤:そうですね。まずはチームに入れるかわからないんですが、競技もやりたいので頑張りたいです。
山口:練習環境は抜群ですね。
仲澤:はい!めちゃくちゃ良いです。オリンピック前なので代表の選手たちは緊張感が伝わってきます。メニューは違いますが、私も代表選手と同じ空間で練習ができることはありがたいですし、見ていてカッコいいです。「世界を目指すのはこういうことなんだな」と思いました。
山口:素晴らしい環境なんですね。では仲澤選手は、本格デビューが7月1日からの豊橋に決まりましたが、メンバーは見ましたか?
仲澤:はい。初戦からすごい選手たちと走らせてもらえるんだなと思いました。養成所の時にも先生方から言われていましたが、ガールズは班分けがないのでいきなりトップ選手と対戦があります。それは覚悟していたし、そこで自分より強い先輩たちを相手に、胸を借りるつもりで思い切り走れたらなと思います。
山口:デビュー戦までどのように過ごしますか?
仲澤:5月はルーキーシリーズが詰まっていたので、レースの経験を積めましたが練習はあまりできませんでした。ベースの脚力が上がっていないし、逆に落ちていると感じました。でも逆に6月はレースがない分、脚力やフィジカル面をしっかりトレーニングをしたいです。
山口:ありがとうございます。それでは最後にオッズパーク会員の皆様にデビュー戦へ向けての意気込みをお願いします。
仲澤:デビュー戦は、ルーキーなので不安や緊張もありますが、自分の走りをしっかりできるように頑張りたいと思います。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
プロフィールページからお気に入り登録ができます。
※お気に入り登録にはログインが必要です。
新人選手にとって一発目の戦いであるルーキーシリーズ2024in富山で見事完全優勝を果たした栗山和樹選手(岐阜125期)。
一度社会人を経験してからの競輪選手への挑戦となった26歳の栗山選手に、今後の目標なども含めて様々なお話を伺いました。
ナッツ:まずはルーキーシリーズ2024in富山での優勝おめでとうございます。
栗山:ありがとうございます。
ナッツ:ご自身の中で振り返っていかがですか。
栗山:デビュー戦で完全優勝という形で終えることができたので、出来すぎな感じはしますね。
ナッツ:ルーキーシリーズに臨むにあたって、優勝まではイメージできていなかったということですか。
栗山:優勝できればいいなとは思っていたのですが、まさか完全優勝できるとは思っていませんでしたね。
ナッツ:お客様の前での初めてのレースでしたが、入場の際など緊張はしませんでしたか。
栗山:やっぱり脚見せの時には緊張しましたし、オッズを見た時に自分が人気になっていたこともわかったのでその辺りはドキドキしましたね。
ナッツ:もうその時点でオッズのことまで考えて臨まれていたわけですね。
そして初めてのレースで1着を取りましたがその時のお気持ちはいかがでしたか。
栗山:1着を取れたことが素直に嬉しかったですね。
ナッツ:その後はバンク内でマイクパフォーマンスもありました。実際にお客様を目の前にお話してはいかがでしたか。
栗山:「良かったぞ」って言う有難い言葉をいただけたのでそれに安心しましたし、 「次の日も頑張れ」っていう声もいただけたので、次の日もしっかり頑張らないとなっていうのは思いましたね。
ナッツ:やはりその辺りは卒業記念レースとは気持ちも違う面がありましたか。
栗山:そうですね。やっぱり卒業記念レースはお客様のお金はかかってないですし、自分たちの親に対して今までの成果を見せるレースのような感じだったので、自分のやりたいレースをやるという感じだったんです。やっぱりお金がかかってくると緊張の仕方も違いますし、他の選手の動きとかもしっかり見てないといけなくなってくるので、そういった意味では全然違うレースでしたね。
ナッツ:その辺りもしっかりと考えられていたあたりすごいですね。
栗山選手は養成所では3位の好成績だったわけですが、養成所ではどういった戦い方をされてたんですか。
栗山:師匠からも特にスタイルなどは何も言われていなかったので、できる時は先行しましたし、どちらかというと確定板を外さないように心掛けていましたね。
ナッツ:単騎戦ですし先行も一人しかできないですもんね。
栗山:そうですね。先行をしようと思えば出来るんですけど、それじゃやっぱり着は大きくなってしまいますしその辺りは無理して先行というスタイルではなかったですね。
ナッツ:ご自身の中ではどういう部分を意識して養成所を過ごされていたんでしょうか。
栗山:養成所では日本代表のメニューを色々変えてやってくださってるのでそこに必死に取り組みましたね。周りの子も強かったので、置いていかれないように日々練習を励んでましたし。競争訓練では先行はしないにしてもバックはなるべく多く取れるように走っていて、長い距離の捲りを打てれば、という意識でした。
ナッツ:そして先ほどお話もありましたが、卒業記念レースでは1着こそなかったものの、着をまとめて決勝にもしっかり勝ち進んでの準優勝でした。実際走られてみてのご自身の手応えはいかがでしたか。
栗山:身体の調子がいつも通りにはなっていなかったんです。でも先生が、卒業記念レースに関しては無理に1着を取らなくても3着で上がれるんだったらそれでもいいっていう風に言って下さって、それがすごく自分の中ではありがたい言葉でしたね。もちろん1着を狙っていましたが、力としてもちょっと落ちていた頃だったので、1着を狙いつつ決勝まで上がれるような競争をしました。
ナッツ:まさにその言葉通りしっかりと勝ち上がりを決めたわけですが、ちょっと調子が落ちていたというのは何か原因があったんですか。
栗山:大学生の頃から冬は身体も動かなくて、あまり得意じゃないのもあって...。
そこで周りの子に置いていかれていましたし、調子を合わせられなくて最後の方は1着を取れずじまいでしたね。
ナッツ:栗山選手にとっては暖かい時期の方が良いのですね。
栗山:そうですね。暑い時期の方がタイムも出るし身体も動くので、どちらかというと夏の方が良いですね。ただ、これからは冬でもしっかり戦えるように頑張っていきたいですね。
ナッツ:そして先日、養成所の滝澤所長がトークショーで、森田一郎選手(埼玉125期)とともに栗山選手の名前を挙げられて、今後に期待をしているというお話がありました。
栗山:いや~それは嬉しいんですけど、森田は大学(朝日大学)の後輩になるんですよね。
自分が4年生の時に1年生で一緒にやっていた子で。だからやっぱり後輩に負けるのは悔しいですし意識はしますね。やっぱりどんな練習しているかも知っているし、その分負けたくない気持ちが強いですね。
ナッツ:栗山選手ももちろん若い方ではありますけど26歳ということで、養成所の中では10代の子や20代前半の子も多い中で、体力面などの差を感じることもありましたか。
栗山:やっぱりそこは若いな~っていう風に感じますね。笑
大学卒業してからはしばらく自転車に関わっていなかったので、今はその時にはなかった新しい練習方法もありますし、考え方が当時とは全然違うので、僕らのやってた頃とは違うという部分で、若い子と話すと発見がたくさんあって刺激になっていましたね。
ナッツ:ちなみに同期の中で他に意識する選手はいますか。
栗山:何人かいるんですが、特に阿部英斗君(福岡125期)はずっと敵対視してくれてるので意識しますね。笑 養成所の時にいつも一緒に走ることが多くて、勝ったり負けたりを繰り返してたんです。
ナッツ:阿部選手もその経歴から注目されている選手ですもんね。今後の対戦に期待しておきます。そして栗山選手は松岡篤哉選手(岐阜97期)が師匠ですが、師匠との出会いはどういったきっかけだったんでしょうか。
栗山:まだアマチュアをやる前に練習をしていた場所が一緒で、その時に声をかけさせていただいたんです。その後大学時代に元選手の加藤渉さん(岐阜67期・引退)という方がいて、その人を通じて松岡さんにお願いしてもらった形ですね。
ナッツ:師匠と一緒に練習をすることはあるのでしょうか。
栗山:練習は一緒にはしてないですね。師匠は街道でされていて、自分はまずはバンクをメインでやっているので。そのバンクでは山口拳矢さん(岐阜117期)や志田君(志田龍星選手・岐阜119期)と一緒にやるのが多いですね。
ナッツ:おお、トップ選手と最初から練習ができる環境があるんですね。
栗山:そうですね。岐阜は結構その辺り分け隔てなく一緒に皆さんやってくれますね。
ナッツ:ちなみにルーキーシリーズを迎えるにあたって、師匠からは何かアドバイスはありましたか。
栗山:特に何かアドバイスはなかったのですが、終わった後に「おめでとう」とLINEが来たので見てはくれていたんだなと思いましたね。
ナッツ:イメージ的にも口数は多い方じゃないのかなとも思いますが、栗山選手がご自身で質問すると教えてくれる感じですかね。
栗山:そうですね。聞けば色々と教えてくださるタイプです。普段は陰からそっと見守ってくれている感じです。笑
ナッツ:そしてルーキーシリーズを見ていて1番感じたのが、良い意味で新人離れしているというか、内に包まれても全然慌てないし、展開に応じたレースができるなって印象だったのですが、ご自身の中でそういったところは強みでしょうか。
栗山:そうですね。大学まで自転車競技をやっていた分、そういったところで慌てないっていうのはありますし、周りをしっかり見てどの展開でも自在に走れてるのかなとは思います。
ナッツ:自在性もあるということですが、本デビューしてからはどのような戦い方をしていきたいですか。
栗山:やっぱりそこは先行ですね。師匠も今でも先行で頑張っているので私もしっかりと先行で戦っていきたいです。
ナッツ:ちなみに栗山選手の持ち味は?
栗山:そこはもう地脚ですね。しっかりと先行して力をつけていきたいと思っています。
ナッツ:ルーキーシリーズを見ていても長い距離をしっかりと踏んでいましたもんね。
その中で将来的には人の後ろという選択肢もありますか。
栗山:下の子たちも結構強い子がいるので、そこはメンバーなどにも応じて変えていきたいですね。絶対番手は回らない、という考えでもないですし、やっぱりオールドルーキーで年齢のこともあるので。でももちろんまずはやっぱり自力で戦っていきます。
ナッツ:そして栗山選手といえば、大学を卒業して一度就職をされたというお話を目にしたのですが、もしよろしければ具体的に教えていただいてもよろしいでしょうか。
栗山:もちろんです。家から30分ぐらいの段ボールの会社の営業職ですね。笑
ナッツ:えー!営業職だったのですね。
栗山: はい、そうなんです。自分の会社で作っているダンボールを買ってもらうという営業でした。
ナッツ:栗山選手とお話していての言葉遣いやメールでの文面を見ていても、すごくしっかりとされているなと思っていたんですが謎が解けました。笑 そのあたりは社会人としての経験があるからなのですね。ただ、大学で1度自転車を辞めて就職して、そこから仕事をしている環境でまた競輪選手を目指すきっかけは何だったのでしょうか。
栗山:それは職場の人で自転車を好きな人がいたんですよね。その人と久しぶりに自転車に乗る機会があったんです。ちょうどその時期コロナが流行していて、仕事自体にやりがいが少なくなっていた時期だったんです。好きなことを仕事にできるっていうのも良いなと感じて、それならもう一度挑戦してみようかなと思ったのがきっかけですね。
ナッツ:へぇ~!じゃあその一緒に働いてた方が自転車好きだったってのが本当に大きいですね。
栗山:そうなんですよ。今でも練習をすることもあってお世話になってる方なんです。
ナッツ:その方にとっては栗山選手が実際に選手になって相当嬉しいんじゃないですか。
栗山:そうですね!富山のルーキーシリーズも見にきてくれたんです。笑
ナッツ:おお、嬉しいですね!今の話を聞いて気になったのが、大学卒業の時に就職じゃなくて競輪選手になるという選択肢はなかったのでしょうか。
栗山:そこはなかったんです。やっぱり大学まで自転車をやり続けていて、ちょっと1回離れたいっていう気持ちが強かったんです。あんまりそこから続けるっていう気持ちがなかったんですよね。
ただ自転車を辞めていた時期も競輪自体は見ていたので、大学の時の同期が良い生活してるなってのを見ていいなとは思っていました。笑
ナッツ:大学の時の同期というと例えばどの選手ですか?
栗山:それは志田君だったり上杉君(上杉嘉槻選手・福井119期)ですね。大学は違いますが山根君(山根将太選手・岡山119期)も同級生ですね。今の119期の大学卒業組が年齢も一緒なんですよ。
ナッツ:確かにもう皆さんS級で戦ってる選手ですもんね。
栗山:そうなんです。だから自分も彼らのように頑張っていかないといけないなと感じていますね。
ナッツ:ちなみに選手を目指すにあたって親御さんはどんな反応だったんでしょうか。
栗山:「大学卒業した時に目指せばよかったやん」って感じでしたね。笑
でもやりたいことを反対する親ではなかったです。ただ、一度だけと決めて挑戦することにして合格できたのでよかったです。
ナッツ:しっかりとそこで一発合格できるあたりが素晴らしいですね。ちなみに家族への恩返しはなにかされましたか。
栗山:ルーキーシリーズの追加斡旋もあって、なかなか日にちが空かないのでまだご飯に連れていけていないし賞金には手をつけていないのですが、少し落ち着いたらご飯に行こうかなと思っています。
ナッツ:素敵ですね。そして今後栗山選手は選手としてどういったところに目標を置いていきますか。
栗山:近い目標としては師匠も制したヤンググランプリを獲ることですね。
そして長期的にはやっぱりGIに出て勝てる選手になりたいですね。
ナッツ:その為の今のご自身の強化ポイントはありますか。
栗山:やっぱり長い距離を踏めないといけないので、自分の持ち味の持久力を強化していかないといけないなと感じています。
ナッツ:では最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
栗山:中部を代表する選手になりますので、今後も応援よろしくお願いします。
ナッツ:ありがとうございました。今後の活躍に期待しています!
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※インタビュー / ナッツ山本(なっつやまもと)
公営競技の実況に憧れ、一念発起し脱サラ。2022年別府競輪と飯塚オートレースの実況でデビューを果たすことになった期待の新星。
まだデビューから間もないが、競輪中継の司会も経験し徐々に活躍の場を広げつつある。星の観測と手品が趣味。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
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今回いわき平競輪場で行われました<令和六年能登半島地震復興支援競輪・大阪関西万博協賛/第78回日本選手権競輪(GI)>を優勝しました平原康多選手(埼玉87期)にシリーズを振り返っていただき、併せてこれからの競走への意気込みをうかがいました。
大村篤史:ダービー優勝ならびに年末のグランプリ出場権の獲得おめでとうございます。
平原康多選手:ありがとうございます!
大村:ダービー出走の直前は今年2つ目の地元記念(西武園GIII)でした。
平原:そのときにかなり昔の自転車のセッティングに戻しました。スピード競輪対応のものから元へ戻したことで感覚的にも戻ってきたというか。戦えるという感触、ようやく手応えが出てきた中でダービーの前検に入りました。
大村:なんでもフォームなど10年程前のものに戻されたとか。
平原:セッティングを変えれば自然と乗車フォームも戻るんですが、それによって怪我の影響が軽くなりました。うまく言えないんですけど練習中も痛みを感じながらだったのが力も入るようになり、噛み合ってきた感覚がありました。
大村:一走目(特別選抜予選)は眞杉選手(眞杉匠選手・栃木113期)をマーク。別線も皆さん動けるタイプでのコマ切れ戦でした。初手で関東ラインは前受けでした。
平原:事前の作戦でスタートは取れればと。なるべく前からレースを組立てる考えでしたね。
大村:赤板で眞杉選手が近畿ラインを突っ張り、深谷選手(深谷知広選手・静岡96期)、犬伏選手(犬伏湧也選手・徳島119期)の順に外を上昇。最終的に後中団に位置しました。
平原:眞杉には(前受けから)そのまま突っ張って逃げる考えもあったと思いますよ。自分はその時々の前の動きに遅れないようにしていました。
大村:関東ラインの反撃は最終HSからでした。
平原:いやもう、タイミングはバッチリ!抜群の発進でそのまま(前段との距離を)詰める勢いでスピードを殺さない仕掛けでした。絡まれないよう捲ってしまう感触は付いてる自分にもありましたね。
大村:4コーナーでの三谷選手(三谷竜生選手・奈良101期)の急追を振り切って1着でした。
平原:うーん...、眞杉を2着に残したかったんですが力が戻りきっていなくて牽制が全然巧く出来なかったですね。もう少し上手くやれるようにという課題が残りました。
大村:二走目のゴールデンレーサー賞は関東ラインは栃木&埼玉勢での4車連携の3番手。初手は後方からでした。
平原:数ある作戦の中でラインで決めるよう組み立ててくれたんだと思います。
大村:首尾よく4車で先手を打ちましたが古性選手(古性優作選手・大阪100期)がやってきて...。
平原:自分は(前の2人に)付いていくだけの位置だったんですけど内から来られ隙をつかれてしまい...情けないレースでした。技術的にここが古性に劣っている部分なんだと自覚しました。
大村:レース後の武藤選手(武藤龍生選手・埼玉98期)は「自分が止めきれず、入られてしまったのが全て。」の旨コメントされていました。
平原:龍生には龍生の、自分には自分の反省点があったと思います。古性の総合力が上回ったということでしょう。
大村:二走を終えた時点のコンディションはいかがでしたか。
平原:特選は雨の中でしたけど、元に戻したフォームや乗り方が競走にマッチしてきたなという実感がありました。只、GDR賞は道中の全てが向い風に感じるバンク状態に苦しんだなと振り返って思います。
大村:準決勝は関東ラインが前受けでした。
平原:コマ切れ戦ですから(初手は)なるべく前の方を、という作戦でした。
大村:菅田選手(菅田壱道選手・宮城91期)の強引イン斬りからレースが動きました。
平原:眞杉は(北日本ラインを)出すつもりはなかったと思いますよ。寺崎(寺崎浩平選手・福井117期)より先に先行態勢に入るには突っ張るのが手堅いですから。
大村:眞杉選手はすかさず叩き返し、今度は寺崎選手がカマシてきました。平原選手の牽制の後は寺崎選手を一車にして出すのかなと思ったんですが...。
平原:出さなかったですね。いやぁ、ここがまさに闘争心の表れ!気持ちの強さと先行選手の意地ってやつです。それを真後ろに居てヒシヒシと感じました。シビレましたね!
大村:眞杉選手のかかりは悪くないように見えたんですが。
平原:駆けながら寺崎を持っていって、そこに強い向い風を受けて一気に失速した感はありました。
大村:残り半周は山口選手(山口拳矢選手・岐阜117期)が猛スパート。迫りました。
平原:姿が見えたときには眞杉はタレていました。ラインは眞杉だけではないし、自分が4コーナーで踏まないと諸橋さん(諸橋愛選手・新潟79期)にもチャンスはないですから。結果はヤマケン(山口選手)に行かれてしまったんですけど、眞杉の走りを無駄に出来ないで思い切って踏みました。
大村:いよいよ決勝戦です。関東勢は5車勝ち上がり並びが注目されました。
平原:並びを一本にしてしまうと誰かが5番手を回らないといけません。それではあまりにチャンスがないですから。小林泰正(小林泰正選手・群馬113期)と諸橋さんでの上越ラインと吉田拓矢(吉田拓矢選手・茨城107期)に自分たち埼玉が続く並びに分かれてやればそれだったら...ってことで結論が出ました。
大村:レースは上越ラインが前段に変わる中で古性選手は踏み合いを避けつつ3番手に。清水(清水裕友選手・山口105期)・山口2選手が追走するような態勢でした。道中の心境はどうでしたか?
平原:自分は意外に落ち着いていました。(前を回る)吉田は打鐘で粘ろうかどうしようか判断しかねたようだったのでバックを踏んで入れました。
大村:態勢を立て直した吉田選手はすぐさま仕掛けました。
平原:ええ!迷いなく行ってくれたのは拓矢の距離だったんでしょうね。
大村:一気に捲って平原選手の展開へ。終盤は道中で埼玉勢の後ろに居た岩本選手(岩本俊介選手・千葉94期)と単騎の古性選手が外を、切替えた諸橋選手が内を突くも武藤選手がガードしました。
平原:あの時は正直、目の前に集中していました。それでも岩本はずっと見えていましたよ。それに何があっても龍生のことは信じて自分も走ってますから(笑)
大村:ゴールした瞬間、大歓声が起こりました!
平原:お客様からの声がタイヘンな勢いで湧き上がってヤバいくらい!本当に圧倒されそうでした。日本選手権はGI最高峰です。自分の中ではここを目指してずっと選手をやってきましたし、特にここ一年間は体調も戻らず...。そんな中、このタイミングでの優勝はいろんな感情が混ざりあいました。ゆっくりペダルを踏んでいるうちにファンの皆さんが自分のことのように喜んでくださっているのが分かりました。本当に幸せを感じたウイニングランでしたね。
大村:ゴール後にまず武藤選手と、そしてウイニングランでは吉田選手と肩を叩きあう姿も感動的でした。
平原:なかなかこんな経験はできないので...自分も胸がいっぱいでした。夢心地で肩をたたき合ったと憶えています。
大村:話が遡りますが3月の玉野記念(GIII)出走中に達成された500勝のインタビューで森田優弥選手(埼玉113期)といっしょに受けた動画を拝見しました。
平原:横で茶化してましたね(笑)。
大村:平原選手がスタンバイする間、森田選手がにこやかに待ってらしたのが本当にいい関係だなと思いました。
平原:まぁ、待ってくれてるのは自分が先輩だからなんだけど(笑)。でもそうやって後輩に祝福してもらえるのは幸せですよね(照笑)。
大村:ダービーの表彰式ではファンの皆様からの祝福を受けました。平原選手も感極まって...。
平原:そうですね。辛い時期が長かったですし、つまりはファンの皆さんに迷惑をかけて期待を裏切り続けてきたんだって想いがありました。
大村:平原選手の復活はまだ時間がかかりそうか?という声もありました。
平原:ええ。そんな状態の最中でどんなレースでも、それこそ負け戦でも自分のことを応援してくれてた方がいるんですが、実はその人が表彰台から見る目の前に居たんです!目の前で号泣されてたんです!それで自分ももうこらえきれなくなりました。ひと言では言えない色んな感情が混ざりあって我慢できなくなりましたね。ファンへの感謝の気持ちが優勝の実感と結びつきました。
大村:敢闘門の前では2回胴上げされました。別線で戦ったおふたりも笑顔でした。
平原:レースが終われば皆んなひとりひとりのアスリートですからね。最高の胴上げを2回もやってもらえました。
大村:ダービーの優勝で年末のグランプリ出場とS班復帰が約束されました。そしてグランドスラムに残るはオールスター競輪(GI)だけになりました。本格的な復活に向けて今取り組んでいることはなんですか。
平原:まずはケアです。この一年は痛みを抱えながら練習していましたし、怪我も治りきったわけではありません。自転車の上ではかなり力が入るようになりましたが、やりたいウエイトトレーニングなどは思うようにはまだまだです。
大村:フレーム、セッティング方面は?
平原:それは今回昔のに戻したことで方向性は固まりました。なので今はフィジカルを取り戻すことですね。整体も近くの先生だけでなく遠出もしています。飛行機で移動したりするくらいの。プライベートの時間を割いてコストもかけてます。自分ももう42(歳)になります。限られた時間で頂点をめざすからには時間は無駄にせず、お金は出し惜しみせずやってます。
大村:この先の中盤戦と少し気の早い話ですがグランプリへの意気込みをうかがえますか。
平原:今すぐの復活、優勝の二文字となるとまだ遠い段階ですが、とにかく諦めずに頑張ります!
大村:では最後にこの記事をご覧になったオッズパーク会員の皆様と全国の平原ファンへのメッセージをお願いします。
平原:一年くらい走りの内容でも結果でも迷惑とご心配をおかけしました。ですが今回こうやって念願のダービーで結果が、日本選手権で優勝が出来ました。ひとえに応援しつづけてくださったファンの皆様のおかげです。これからもしっかりといいレースを見せられるように努力をしていきます。引き続き応援をよろしくお願いします!
大村:ありがとうございました。
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※インタビュー / 大村篤史(おおむらあつし)
2012年4月から小倉競輪場を中心にレース実況を担当。
名前と同様の"熱い"実況スタイルでレースのダイナミズムを伝えることが信条。
2022年7月からは小倉ミッドナイト競輪CS中継の二代目メインMCとしても出演中。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
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