浜松オート所属の31期・渡辺篤選手にお話をお聞きしました。
(取材日5/22)
―まずはオートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
元々、ロードレースでバイクのレースをやっていて、その時に浜松に引っ越してきて、その前からオートレースがあるのは知っていたので実際に見に行ったりして。自分がロードレースを引退する前からオートレースの選手になりたいなっていうのはありました。ただ、年齢とかも厳しかったんですけど、29期のタイミングで治親さんが(川口29期・青木治親選手)特例とかで入って、そういう制度ができたので、自分もチャレンジしてみようかなという感じです。本格的に思ったのはロードレースをやっていた最後の方というか、治親さんが入ったくらいからですかね。
―養成所に入ってからはどうでしたか?
あんまりできない体験だったので大変だったんですけど、楽しんで取り組んで、同期とも楽しく過ごせました。体力的な訓練とかはちょっときつかったですね。自分は33歳くらいの時に入ったので。若い同期だと、摩弥(川口31期・佐藤摩弥選手)とかは10代だったと思うんですけど、そういう人たちと同じメニューをこなすのはきつかったですね。
―途中からバイクに乗る訓練が始まると思うんですけど、オートレースのバイクはどうでしたか?
難しかったんですけど、でもなんか、訓練の時から楽しく乗れました。ロードのバイクとは全く違うんですけど、押しがけとかは問題なかったです。スピード感で怖いとかは思ったこともないですね。
―デビュー戦の時のことは覚えていますか?
多少は緊張しましたけど、あまり今のレースとそんなに変わらないです。元々、経験があったっていうのはあるんですけどね。
―ここまでオートレーサーとしてやってきて苦しかったことはありますか?
苦しかったといえば、例えば落車しちゃったり、周回誤認とかしちゃった時に自分だけじゃなくて、お客さんにも迷惑をかけてしまうことですね。自分たちだけじゃなくて、やっぱりお客さんは自分たちの成績によってガッカリすることもあれば喜んでもらえることもあるので。
―オフの日に何か取り組んでいることはありますか?
太らないように気をつけてるぐらいですかね。最近は減量も体調的なもので進んでなかったりもするんですけど、まあ、でも太らないように節制はしています。同年代に比べたら全然太ったりはしていないんですけど、選手の中だと、今は特に記念とかに行くと軽い選手が多い印象があるので、そうすると自分とかの体重だと重い方に入ってしまうので、そこはトレーニングしないといけないと思ってます。同ハンもそうですけど、前のハンデの人で、軽い人を抜いて行くときに、直線で伸びられてしまったりして、無理して抜いていかないといけないとかあるし、その分エンジンを良くしなきゃってのはありますので。
―今、ご自身の中で課題としていることはありますか?
もうちょっとインを使って抜いて行けるようにしたいですね。きょう(5月22日)のレースでも同じ試走32でも若井さん(川口25期・若井友和選手)は内からどんどん順位を上げて行けるんですけど、自分は外回りになるので影響を受けやすい。ちょっと前までだったらそれで良かった時もあったんですけど、最近はそれだけだと成績が悪くなってしまうので、やっぱり内もしっかり使えるような感じで行かないと厳しいですね。ただ元々、外を使うのが慣れているので、内を使う練習もしてみたんですけど、そうすると車速もなくなってしまって、いいところがなくなってしまうんですよ。そこが難しいところですね。
―今の目標はありますか?
基本はもう何年も前からそうなんですけど、記念、特にGIの優勝をしたいっていうのと、SGの優勝戦に乗って年末のスーパースターに出るのが目標ですね。
―今、全選手の中でスタートが巧いと思う選手は誰ですか?
みんな速いですよね(笑)。あえて言うと、スーパースターに出ているような人たちですよね。自分が最重ハンで7枠とかに入って、8枠にそういった人たちが入ると、すごいスタートが切りにくいというか。よくあるのが宏和(浜松32期・鈴木宏和選手)ですね。一番安定しているのは周平(伊勢崎31期・青山周平選手)と圭一郎(浜松32期・鈴木圭一郎選手)のような気がしますね。この前のレース見ても、スーパーハンデになると最重ハンの選手を叩いていったりするくらいなので。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
オートレースがこれからも盛り上がるように頑張りますので、応援よろしくお願いします。
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伊勢崎オート所属の34期・横田翔紀選手にお話をお聞きしました。
(取材日5/22)
―選手になろうと思ったきっかけは何ですか?
小さい時から父に、実家の近くの伊勢崎オートレース場に連れていってもらっていて、中学1年生ぐらいから『なりたいなぁ』と思うようになっていました。親から聞かされた話なんですけど、物心つく前からレース場には行っていたみたいです。小学校の時は野球をやっていたので、忙しくて行ける機会が少なくて、中学生になって、中学でも野球をやっていたんですけど、部活が休みの日に『伊勢崎オートやってるから行くか?』って父親に言われて、行ったら改めて格好いいなって思って。オートレースの存在は知っていたけど、そこまで選手になりたいなとは思っていなくて、でも、その中学1年の時に『なろう!』と思って、そこからはずっと毎日のようにオートレースを見てました。好きな選手は特にはいなかったんですけど、伊勢崎だったら自分の師匠である貢さん(伊勢崎22期・高橋貢選手)とかずっと見てたので、やっぱり速いなぁ、格好いいなと思ってました。
―それで、試験を受けたのが何歳の時になりますか?
試験受けたのが高校3年の時ですね。もう本当に終わりの時期で、1次試験が12月だったかな。2次試験が3月末くらいでした。オートレースの選手になろうと思っていたので、工業高校に行っていたんですけど、他の就職試験とか受けずに...。今、思えばちょっと怖いんですけど、受かって良かったですね。受かってなかったら今、何をしているんだろう。で、父もオートレーサーになりたくて、26期の試験を受けて、まあ落ちて、ずっと自分に『(オートレーサーに)なってくれ、なってくれ』って感じだったので...。
―養成所生活はどうでしたか?
まあ、きつかったです。養成所の時、自分はすごく遅かったので...。見てる時はもっと簡単に走れると思っていたけど、実際に乗ったら全然乗れなくて。同期と一緒に養成していて、みんなどんどん速くなっていく中で、落車して怪我したりして、どんどん訳わかんなくなったりして。メンタルじゃないですけど、思うように走れなかったのがきつかったですね。
―デビューしてからもしばらくは苦しんでいましたよね。
そうですね、半年くらい1着を取ってないです。初めて1着を取ったのが12月で、6月デビューだったので半年ですね。
―それまでは結構、焦りましたか?
めちゃくちゃもう...。2着とか3着は確かあったんですよ。どうしても1着が取れなくて。普通に取った同期もいれば、だいたい遅くても1、2ヶ月ぐらいで取るじゃないですか。でも、自分は全然取れないので、才能がないのかな、じゃないですけど、焦ったり落ち込んだりはずっとしていたんです。
―デビュー戦は覚えてますか?
デビュー戦は8着でしたね。地元の人が本場に応援に来てくれて、タオルとか作ってくれて、スタート位置からよく見えました。その時、なぜか分からないんですけど、自分の名前が書いてあるオレンジ色のタオルで、ばーって結構、人数も集まってくれて、後で、先輩選手とかにも巨人の選手じゃないですけど、オレンジなので『巨人軍がいるよ』って言われて(笑)。
―初めて1着を取った時はどうでした?
やっと取れたっていうかもう、もちろん嬉しいんですけど、ホッとしたのが大きかったです。とりあえず、何とか1着取れたって。1着取ると(周りの選手に)拍手で迎えられるじゃないですか。さんざん周りで見てたので、自分だけされてなかったので、(拍手で迎えられて)やっぱり嬉しいなって思いました。
―そこから何年か走ってこられて、自分の中で課題みたいなものはありますか?
整備力ですね。難しいです。場によっても変わったり、その日の時間によっても変わるので、それに対応できないと...。やっぱり開けてても進まないと勝てないので、調整が難しいです。
―お師匠さんからアドバイスもあるんですか?
ホントに悪い時はアドバイスしてくれるんですけど、基本的には『見て学ぶ』という感じです。
―選手になる時に、師匠が貢さんだと聞いてどうでしたか?
自分はもう、誰が師匠になってもいいかなと思ってたんですけど、親がもう、好きだったので、親の方が喜んでいて...。『ホントか!』って何回も聞かれて、自分よりも親の方が喜んでいた覚えがあります。厳しいですけど、おかげさまで、優勝とかもさせていただいて、記念とかにも乗れるようになったので感謝ですね。
―初優勝を決めた時はどんな気分でしたか?
初めて優勝戦に乗って優勝したんですけど、初めて優勝戦に乗ったのでメチャクチャ緊張していて、ピットの中で貢さんに教えてもらったことをずっと思い出して、言われたとおりにやろうと思っていたら優勝できたので、やっぱり、ちゃんと教えてくれてるんだなじゃないですけど、言われたことは間違いじゃないんだな、と思いました。
―重走路の成績が良いイメージありますけど?
好きってほどではないんですけど、成績が悪くないので苦手ではないのかなと。
―ここまでで一番覚えているレースはありますか?
4回目の優勝した時が、自分の一番の上がりタイムを出した時なんですけど、エンジンが良くないとだんだんレース中もタレてきて乗ってる方も疲れてくるんですけど、エンジンが良いのでどんどん伸びるような感覚があって、今までに感じたことないような、もっと行けるもっと行けるって思って走れたので、その時が一番仕上がった時なんじゃないかなと思ってました。
―現在何か取り組んでいることはありますか?
先輩に整備というか、エンジンの作り方を教わっていて、やっと10前になったけど、最重ハンになりきれていないので、人を抜いていくエンジンの作り方を今、教わって学んでいます。
―オフの日に取り組んでいることはありますか?
体調とかはあまり崩さないように、規則正しい生活を心がけています。中学生の時からの体形を変えないように、夜とかも少し節制したりしています。
―これからの当面の目標はありますか?
まずは最重ハンにずっと定着する選手になりたいです。逃げだと今は得意な方だけど、さばきが全然ないので、人をさばく力が欲しいですね。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
自分のモットーじゃないですけど1走1走、どんな時でも少しでも着を上げられるように精一杯頑張ります。
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去年の伊勢崎オートGII稲妻賞で優勝。今回はディフェンディングチャンピオンとして登場。しかし、成績は振るわず危うく準々決勝で敗退の危機も。諦めかけたところ32位で準決勝戦へ。そこから連勝で優勝!優勝戦は最後まで目が離せない息を飲むレースに見入った方も多かったと思います。崖っぷちの予選道中から連覇へ、お話をうかがいました。
(取材日:2024年6月22日)
AKI:GII稲妻賞連覇おめでとうございます!やりましたね!!
荒尾:ありがとうございます!伊勢崎は優勝できないというジンクス、去年の稲妻が伊勢崎初優勝だったんですがまさか連覇できるとは思ってもいませんでした。伊勢崎はお客さんが熱いから楽しい!勝ち上がりのインタビューも盛り上がって良いですよね。なので、お客さんの前に立つのはテンションが上がります。しかも、去年配られた"荒尾うちわ"もいっぱいあるし(笑)いまだにいっぱい掲げてくれました。公開勝ち上がりインタビューでは「去年よりうちわが減った(笑)」と言ったんですがそれでも沢山のうちわを振ってくれていました。
AKI:ただ、予選道中はかなり苦しんでましたね。
荒尾:そうなんですよ。初日12Rイナズマエイトは3着も手応えはそこまでなく。2日目もダメ。3日目もダメ。予選で漏れたと思っていました。なので、「もう宿舎に戻ろう!」と周りにも言っていました、拗ねて(笑)もちろん3日間毎日何か扱って整備をしていたんですが全く良くならず。けど、全レースが終わってみたら32位で滑り込みセーフ!「ラッキー!」という感じ。頑張っていたら良いこともあるよねと思いましたね。
AKI:どの辺りを扱っていたんですか?
荒尾:まずは伊勢崎に入ってシリンダー交換をしようと思ったらロッドに不具合が見つかって。前検にエンジンをバラしてロッド、シリンダーを交換しました。初日は普通で調整次第かなぁくらいに思っていたら2、3日目どんどん悪くなっていて。シリンダーまで外してチェックしたら、シリンダーが傷だらけだったんです。仕方なく交換する前のシリンダーに戻してセッティングしてみたら「あら?良くなったんじゃね?」という感じが出てきて。準決のレース前の音も「意外と良い感じの音が出たな」と手応えはかなり変わっていました。凄く良いわけじゃないけど今節の中ではまともじゃない?という感じ。そして、レースに行ったら全体的に上積みがあったし乗りやすさもありました。ただ、"優勝"なんて思ってもなかったですよね。あんな状態で。けど、同期27期が4人優勝戦に乗っていたし「みんなで頑張ろう!」と話をして。ただ、試走の手応えは凄く良くて準決以上の感じだったのにレースの時間になってピットから出たら「うわ、全然変わった!やばいなぁ」と思っていたんです。そんな感じでもスタートは切れたので頑張ってみようと思って走っていました。8周回長かったですね~!!長かったし頭も目も使ったし。後ろからは1人の選手ではなくいろんな選手が仕掛けにきてたので大変でした。けど、上手くハマったね。1対1だと抜かれないけど、一気に2、3人きてたらやばかった。いろんな人が後ろにつけたけど1対1だから対処できた感じですね。エンジンもそれなりに良くなってたからしのげたと思います。ただ、雅人(川口28期:中村雅人選手)の出来は良かったですね。準決から凄かった。なので、優勝戦は雅人が2番手にきた時が1番やばいなと思いました。周平(伊勢崎31期:青山周平選手)と清太郎(伊勢崎29期:早川清太郎選手)ならしのげるかなと思ったけど、雅人は「捲られる、内からでも行かれるかなぁ」と思いましたね。自分が思う選手の完成体は雅人。乗り方から、技術面、エンジンの伸ばし方、直線の伸ばし方も上手いしレースが危なくない。なんていうか、競走車をブレさせない柔らかさ。自分がオートレースに1番求めてるのは柔らかさ。それが突き抜けて上手いのが雅人。レベルが違う。全盛期の貢さん(伊勢崎22期:高橋貢選手)も柔らかかった。説明が難しいんですけど、どうしたら競走車が伸びていってくれるか分かってる感じ。なので、後ろにつけられた時はやばいと思いましたね。
AKI:大型ビジョンは見てるんですか?
荒尾:見ますよ!ちら、ちらっと。音でも判断しますが誰がどこからきてるのか確認してます。全然余裕はなかったですね。次から次に後ろからきてたので。
AKI:ゴール線切った時はどんな思いでしたか?
荒尾:「優勝!」よりも「疲れた~!!」が先にきましたね(笑)道中も張ったり滑ったりして雅人にも迷惑かけたし、審議になって失格もあると思ってるくらいだったのですぐに優勝だ!という感じには全くなっていませんでした。その後すぐに確定が出たけど、申し訳ないという気持ちが大きかったですね。その後、お客さんの前に出た時に嬉しくなりました。沢山のお客さんが残ってくれていて、伊勢崎の人は自分に優しいです(笑)
AKI:優勝戦のレース面白かった!と色んなところで聞きますよ!
荒尾:それが嬉しいよね。選手からも面白かったと結構言ってもらえて嬉しかったです。レース後に永冨さん(飯塚17期:永冨高志元選手)からもLINEがきて「いいレースだった、面白かったよ!」と言っていただけて。何回も見て何回も面白いと思ってもらえたみたいで本当にありがたいなぁと思いましたね。自分にはスピードがないのであの展開しかないです。昭和のレースを(笑)みんなそれぞれ持ち味を出さないと!
AKI:それでは最後にオッズパーク会員の皆様にメッセージをお願いします。
荒尾:優勝もですがお客さんにレースが面白かった、良かったと言ってもらえたことが1番嬉しかったです。レース後インスタグラムのフォロワーも一気に100人も増えてびっくりしました!ありがとうございました。飯塚No. 1に返り咲きできるように頑張ります!
※ロッカーに賞金ボードがあったので聞いてみると、賞金ボードはお子さんに見せるために持って帰るそう。いつも喜んでくれるとのことです♪
(写真は伊勢崎オートSNSより)
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2024年5月26日、GII川口記念で女子レーサーに新たなグレード覇者が誕生しました。さらに、女子レーサーデビュー最短グレード優勝記録を樹立!デビューから2年5ヶ月17日。佐藤摩弥選手が持っていた記録を2年5ヶ月も更新しました。今年はSGオールスターでも1着を取るなど著しい成長を見せる小椋選手にお話をお聞きしました。
(取材日:2024年6月8日)
インタビュー / AKI
AKI:グレードレース初制覇、おめでとうございます!優勝してお気持ちいかがですか?
小椋:ありがとうございます!私なんかが記念獲っちゃって...みたいな。そういう選手なのかな?とまだそんな感じです。この感じはずっと変わらないですね。けど、とにかく嬉しかったです!運を持ってるというのもあると思います。これは少し前のオールスターから始まってて、開催4日目にSGの舞台で1着。しかも1着条件の最終予選で準決に進めたのは嬉しかったです。SGへ万全の状態で臨んだとしても8着の可能性はある。それでもオールスターという大会はファンの方に選んでもらって出られる大会。いつも以上に気持ちを入れて頑張ろうとは思っていましたが、自分の今の全力を出してまさか準決に行けるなんて思ってなかったのでびっくりです。
AKI:オールスター前からの着取りも良かったですが、車の状態はどうだったんですか?
小椋:SGの前の節は予備車のノアの方に乗っていて、SGはルナをオーバーホールしてピストンなどを交換して良い状態に合わせて輸送しました。飯塚で乗ってみたらセットもずれることなく凄く良い状態。うちのルナが優秀なんです(笑)けど、ノアの方もめちゃくちゃ良くって。GII川口記念を勝てたルナは一度休ませて、今後はノアを出していこうと思います。去年も夏場はノアで冬場はルナにしてという感じでした。まだまだ人間が成長しないといけない。競走車以前の問題なので夏場は苦手ですが頑張りたいですね。ルナもキャブを合わせるくらいで動いてくれてるので人間が頑張ります。うちの子はとにかく優秀です!
AKI:良い車が2台あるというのは気持ちにも余裕が持てますね。
小椋:そうですね。同期の佐藤励(川口35期:佐藤励選手)が空ぶかししても「これはずるい!」というくらい。励って凄くてパーツ変えたりかなり手を動かすタイプなんですけど、自分はセッティングをちょこっとというタイプ。部品は定期交換部品くらい。後はキャブレターの調整くらい。なので、競走車の素材が良いんだなといった感じです。本当に運が良いですね。
AKI:車も良い状態、オールスターでは準決まで進み良い経験になったんじゃないですか!?
小椋:レース前に準決に乗ってる選手を見て「準決の前はこういう整備をするんだ。」とかそういう面で凄く勉強になりました。私だと、「準決乗れたしエンジンステイで!」となっちゃうんですけど、SGになるとそこから大きなパーツ交換をしたり新品のパーツを入れたり、「こういう整備するんだ!」とびっくりしました。こういう時こうやって整備するんだと本当に勉強になりました。
AKI:SG終わった後も着を残して、そしてGII川口記念が始まりました!
小椋:変わらず動いてくれていましたね。基本的に大きなことはしないのでリング交換くらい。後はキャブのセッティングを詰めていくという感じ。大体この感じでどこのレース場でもバチっと合うのでルナが凄いんです(笑)ルナがこれだけ凄いので私が頑張らないと。後は、エンジンよりフレーム周りを扱ってとにかく乗りやすく、人間が全力を出せるようにしています。なので、準決が終わってからフォーク周りを新品にしたりしました。バック修正だったりフレーム周りをとにかく自分が乗りやすいように。車が良いのでグリップを開ければ速い、開けられるように乗りやすい車を意識して作っています。
AKI:川口記念初日から1着とやはり良い状態でしたか?
小椋:エンジンは凄く良かったです。SGの時に走るコースを自分なりに分析して試して勉強したらそれから格段に抜かれなくなったんです。後は同期にも相談して。以前はレース後半が苦しかったですし、今も自分が崩れていってしまう感じがあるんですが、ステップや膝当ての位置を色々研究してだいぶ乗りやすくなりました。ちょっとずつちょっとずつ頑張ってます。
AKI:3日目の特別予選は7着と惨敗しましたがどうされたんですか?
小椋:初乗りのタイヤで行ったらものすごいドドドがきちゃって全く扱えませんでした。タイヤの失敗ですね。試走からドドドがきていました。次の日は初日、2日目使った残り1走のタイヤで。2着を取れて優勝戦に進むことができました。
AKI:優勝戦が決まった時はどんなお気持ちで、優勝戦までどのように過ごしていたんですか?
小椋:まさか優勝戦に行けるなんて思ってなかったので「ええ?私?」みたいな感じ。優勝戦の日はリングを交換したりバック修正したりといろんなことをしていました。ただ、一緒に走る選手のレベルが違うので、いつものように「ステイ」にしたって勝てる相手じゃない。だからこそ色々やってみようと思い手を動かしました。
AKI:初のグレードレース優勝戦の舞台。スタートラインに立つ時はどんな思いでしたか?
小椋:お客さんの声援が凄くてそれに感動しました。自分がオートレースに惹かれたキッカケがお客さんの声援。なかなか気づかない時もあるんですが、さすがグレードレース!という感じで凄かったです!私の名前を呼んでるのも聞こえてそれだけで泣きそうでした。「うわ~これこれ!!」という感じ。
AKI:レースはスタートしてから8周回逃げ切りましたが振り返っていかがですか?
小椋:いや~長かったですね(笑)「次のコーナー来るな。きっと入ってくるな。抜かれるな。」ばかり考えていました。ビジョンを見たらコースが狂ってしまうので見れなくて。後は、誰が後ろにいるとか分かっちゃうと緊張しちゃうので見ないように、ひたすら走っていました。そうしていると最終コーナーに入って「え!?まじで!?」みたいな。「嘘でしょ!!?」と。優勝の意識はなかったですね。自分の目標は3連単に絡むこと。それを意識して走ってるんで優勝できるとは思ってなかったんですが「3連単には絡みたい!」と思っていました。応援してもらえるようになるにはお客さんにどんどん還元していくことだと思ってるので「3連単に絡む」という目標はデビューしてからずっと考えながら走ってます。
AKI:結果、"優勝"という最高の形になりました!
小椋:いや~本当にびっくりですね。まず試走3.29ってなに!?となってました(笑)冬に試走3.29は出したことあったんですが、この時期に出せたのはびっくり。間違ってない?と(笑)けど、エンジンの手応えはかなり良く、初乗りのタイヤもハネもなく。後は人間がやれることだけ頑張ろう!という気持ちで走っていました。とにかくグリップを開けて開けてを意識して。車が良い分余裕を持って突っ込めるし、車が帰ってくるし凄く乗りやすいバイクでした。ルナが最高に仕上がってくれてました。なので、私は開けて頑張るだけ。今最高に良い状態なので、この良い時期に人間が成長していかないとという気持ちです。
AKI:改めて、ゴール線切った時の気持ちはどんな感じだったんですか?
小椋:「え!まじ!!?そんなことある!!!???」です(笑)あの日は風が強く試走後に励が「風が強くてうまく乗れない。」と言ってたんですが自分はその風を感じなくて。風を感じないくらいエンジンが良かったんだと思います。
AKI:「え!まじ!!?」からのウイニングランはいかがでしたか?
小椋:優勝してのウイニングランは初めてで。お客さんが誰もいなかったらどうしよう!と思っていたんですがすっごい声援、「おめでとう!!」と聞こえて泣きそうでした。「うわ~感動!!!」と。本当に嬉しかったです。その後の表彰式でもたくさん「おめでとう!」と言ってもらえて「こんなに言ってもらえるんだ、嬉しい!!」となっていました。本当に凄かったです。
AKI:さらに同じ日には弟の小椋藍さんがスペインで行われていたMotoGPで優勝!凄い1日になりましたね!!
小椋:そうなんです!!自分が優勝して戻ってきてヘルメットを脱ぐ前に岩田さん(川口31期:岩田裕臣選手)が「藍も勝ったよ!!!」と教えてくれて。「嘘でしょ!!?」とここでもびっくり。こんなことがあるとは!自分のつなぎのお尻の部分には「姉っち」と入ってるんですが実はロードの世界では「姉っち!」とみんなから呼ばれています。オートの方では全く浸透してないし、オート選手になったこともロードの方には基本言ってないんです。というのも弟が恥ずかしくないくらいの選手になったら"オートレーサー"と言えるかなぁと思って。それこそこの間まではB級で速くなくって。そんな中、「世界ランク2位のお姉ちゃんです!」とは言えない。けど、こっそりとという感じでツナギにも入れてみました。ただ、自分の評価凄く低いんですよね。自分でも評価を高くしたんですけどそれが分からなくて。成績が良いのも競走車のルナのお陰なので。なのでこっそり(笑)
AKI:競走車のお陰と何度もおっしゃっていますが、自分自身の今後の課題や目標はなんですか?
小椋:今後、ハンデが下がっていくと思うんですけど、とにかく3連単に絡めるようにを絶対に意識してレースをしていきたいです。これはずっと目標なので。今まで人を抜くレースをしてきてないので、人を捌くということが大きな課題になっていくと思いますが、この目標を意識して走っていればおのずと上にもいけるのかなと思っています。
AKI:女子レーサーグレード初制覇最短記録を大幅に更新しましたがいかがですか?
小椋:後輩たちが大変ですね(笑)けど、私の記録を全部すずちゃん(川口37期:菅原すずの選手)に抜いて欲しいと思ってるんです。グループは違うので直接教えることはないんですが、すずちゃんから私の記録を抜きたいと直接言ってくれて。だから「私ができることはなんでもするから絶対記録を抜いてね!」と言っています。そしたら今回また新たに記録を作ったので「増えちゃったね(笑)」という話になりました(笑)けど、後輩がこうやって目標にしてくれるのは本当にありがたいです。なので、すずちゃんが今度乗るエンジンは私が初優勝したエンジン。2級車のクルミです。それに乗ってドカーンと記録を超えてくれたら嬉しいですし楽しいですね。たまたま今の記録を私が持ってるだけで執着はないですし、速い女子選手が増えると業界が盛り上がって良い流れができると思うので頑張って欲しいです。
AKI:ところで、可愛い車名が多い気がするんですが何か意識されているんですか?
小椋:全部女の子の名前にしてます。ルナはスペイン語で月という意味なんですが、私が初優勝した時に綺麗な月が出ていて。優勝戦のスタートラインに立った時に「今日月がめっちゃ綺麗!」というのを覚えていて。その流れで「ルナ」にしようと考えていました。車名を女の子の名前にしようと思ったのは愛着が湧くかなと思って。対人くらいの気持ちでバイクに接しています。最初の「ベローチェ」はお世話になったチームからとって、後は女の子の名前にしています。これからも女の子の名前でいくつもりです。
AKI:それでは最後にオッズパーク会員の皆様にメッセージをお願いします。
小椋:これからも3連単に絡んで、観てて面白いレースができるように頑張ります!
(写真は川口オートSNSより)
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伊勢崎オート所属の34期・石川哲也選手にお話をお聞きしました。
(取材日5/22)
―オートレーサーになったきっかけは?
きっかけは父親ですよね。じゃなければ知らなかったですもん。自分はずっと栃木に住んでいたので。栃木の人はオートレースを知らないですもんね。森さん(川口25期・森且行選手)と言えば分かりますけど。近くにレース場がないと馴染みがないですもんね。
―いつ頃からなりたいと思ったのですか?
高校を卒業して、すぐになりたかったけど、ちょうど船橋が廃止になるかどうかの騒動があって、1回諦めたんです。でも、オート見てたらやっぱりなりたいなと思って勝手に応募しました。最初は受けることをお母さんが止めようとしたんですよ。やっぱりお父さんを見てると怪我をしたりなんだり、それが嫌だと言って。
―養成所生活はどうでしたか?
もう嫌でしたね。バイクに乗るのはいいけど、朝早いし、消灯もあるし、規律が...。それがすごく嫌だった。バイクに乗っている時だけです、良かったのは。車もバイクも好きで、乗り物が好きなんです。バイクは乗ってなかったけど、最初はカート乗っていて、ずっと車とかバイクは好きで。自分、野球をやっていたので体力訓練とかは大丈夫でした。ただ、ホントに朝が苦手だったから、いつも起こしてもらってました。乗る訓練では最初、うまく乗れなかったですよ全然。ただ、グリップを開けていればいいと思っていたけど、バイクは寝ないし、曲がらないし、なんなら最初は(グリップが)全開にならなかったし。これはすげーなって思ったっすよ。周りから見てるのとは全然違ったですね。押しがけの練習もめっちゃ嫌だった。最初、全然エンジンがかからなかった。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
覚えてますよ。デビュー戦は8着。緊張はそんなにはしなかったです。オートを見ていたから自分の試走タイムと周りの試走タイムを見比べて『これは無理じゃないか』と思って全然、緊張しなくなっちゃった(笑)。試走タイムがちゃんと出た方が緊張したでしょうね。
―初勝利を迎えた時はどうでしたか?
良かったですね。ひと安心というか。
―ここまででオートレーサーとしてやってきて苦しかったことはありますか?
いやあ~常にですよ。やっぱり成績が良くないと。あとは結果が良くてもレースで人に迷惑をかけたりすると、それはそれで嫌だし。迷惑かけないようにレースしないといけないから。最近だとハンデが後ろにいったり、前にいったりしているけど、一番後ろで安定したいんですよね。この10メーターの差って大きいんですよ。全然違うんですよね。
―ご自身の中で今、課題ってありますか?
最初の1周目じゃないですかね。最初の1周目と、あとは綺麗に抜くことって言うかレースすることですよね。危なくないように。自分も生活かかっているけど、みんなも生活かかってますからね。危ないレースはしないように。
―ここまでで嬉しかったことはありますか?
それはやっぱり、優勝した時は嬉しかったし、記念の優勝戦に乗れた時も嬉しかったし、まあ、いろいろありますね。あと車を買えたことが嬉しかったです。選手になったらずっと買いたいと思っていた車があったんですよ。それを買えたから嬉しかったです。【ちなみに何ていう車ですか?】カマロっていうアメ車です。維持費も高いんですけど、乗っていて楽しいですよ。排気量が6200ccでパワーがあるから、ポーンってアクセル踏むと(車内の)荷物が全部後ろにいくんですよ(笑)。
―体調面で取り組んでいることはありますか?
変な乗り方をしてるから腰とかすぐ痛くなるので、体が痛い時はなるべく医者に行きます。他はストレッチをするぐらいですかね。体力はそんなにいらないだろうし。自分は体重もそんなに増えないですから、一応は気をつけてますけど、増えないように気をつけるだけで。元々、あまり食べないので。
―今後の目標はありますか?
とりあえず最重ハンになって安定したい、安定して成績を出したい。今はばらつきがあるので。ハンデも前にいったり後ろにいったりで、前にいっても苦戦して、とかなので、いろいろあるから安定したいですね。伊勢崎はみんな速い先輩たちが多いから見習っていきたいです。
―同期との仲はどうですか?
同期はみんな仲いいですよ。同期の34期だったら今は、稚也(飯塚34期・長田稚也選手)が一番速くて、あいつも良いヤツだから聞けば教えてくれるし、いろいろやってくれるから、頑張って追いつこうと。追いつけ追い越せと思って、いい刺激になります。すごいですよね、ほんとにすごく綺麗なレースするから。人もできていますよ。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
お客さんがオートレースを応援していただいているから僕が育ったようなものなので、親父はそのお金で僕を育てたので。今度は逆に僕が信頼できる選手になってお客さんに還元できればという気持ちで走ります。
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