明日の盛岡10レース、「ダンディキング」が出走する。
このブログでも何度か書いた、アラブの馬である。ここ2戦は馬券に絡む事なく低迷気味だけど、またアラブの底力を見せてくれる日が来ると信じている。
「ダンディキング」の母「ミスハクギン」は有名な女傑だったそうで、彼女の名前を聞くと懐かしさがこみ上げて来る方もいるかもしれない。私自身は、この名前を聞くと、現役時代の愛馬「ハクギン」を思い出す。
彼女は決して女傑と呼ばれる成績ではなかったけれど、えらく気性がキツかった事と、名前そのままの白いキレイな馬体を覚えている方もいるかもしれない。
どんな風に気性がキツイかというと・・とにかく外ラチに向かって走って行こうとするのです。騎手的観点から言うと、内にささる馬はまだいい。ラチまで行けば真っ直ぐ走るし、外に張るよりも伸びるから。
外ラチに向かって走る馬というのは、そのままラチに激突したり、ラチの外に出ようとしたり、止まったりする。要するに、走る事を放棄したい場合が多い。
「ハクギン」には調教で何度もラチの外に飛び出され、背筋が凍るような恐怖体験を味わいました。レースでも、常に外側の手綱を両手で引っ張っていないと、外側に突進してしまう。追うどころではない感じです。
ある時、斜め前の外側に馬がいるにも関わらず、その馬に向かってレース中ずぅーっと突進しようとしていたので、頭に血が上った私は、最後の直線で手綱を投げ出してしまった。「もぉ!勝手にしろ!!」と思ったわけです。すると「ハクギン」ちゃん、前の馬ギリギリの所をすり抜けたかと思うと、外ラチまで突進し、それ以上進めないとわかると前に向かって猛ダッシュ!カメラにも映らない位置からゴボウ抜きで勝ってしまいました。カメラに映らないわけですから、実況にも「ハクギン」なんて名前は出てこない。内で争っていた騎手たちも、勝ったと思った所に、遠く白い物が見えたといった具合。
調教師の先生も「どこ走ってたの?」と驚いていました。でも、1番驚いていたのはファンの方。スタンドでレースを見てたら、ギリギリの近くを馬が走ったのですから、飛んで来た砂に「痛い!痛い!!」と悲鳴を上げていました。かわいそうに・・。当の「ハクギン」は、ゴールを過ぎてもまだダッシュを止めず、1コーナーを曲がらずに壁に激突する瞬間に緊急停止。私は勝った喜びどころか、本当に冷や汗ダラダラでした・・。
次のレースでも嫌だけど同じ乗り方をしてみましたが、あの猛ダッシュは1度だけ。外ラチにぶつかる事はあっても、前に走る事はなく・・あの、「神の脚」本当にビックリするくらい速かったなぁ〜。
今日の荒尾のメインレース、北関東で活躍していた『トウショウゼウス』が出走する。ちなみに6レースには高崎所属だった『ヒカルナデシコ』が出走する。この2頭には直接関わった事はないけれど、敵として同じレースで走ったり、間近で走りを見てきたので、名前を聞くだけで懐かしい。
『トウショウゼウス』の主戦だった鈴木正騎手は、今はシンガポールでジョッキーとして復活。『ヒカルナデシコ』の木村芳騎手は地元群馬でいちご農園を営んでいる。
北関東で活躍していた人達それぞれが、新しい夢や仕事を頑張っている事は、私にとってもものすごく励みになる。
私が引退した直後は、上京して「浅草今半」に勤めていた。競馬界からは完全に離れた状態。新しい仕事、新しい環境に慣れるように、私なりには頑張っていたつもり。あの頃、何故か競馬に興味のないフリをしていた・・中央も地方も一切見ないようにしたし、競馬関係者ともなるべく連絡を取らなかった。
引退した事に対して、悔いはない。当初は移籍も考えたけれど、私を受け入れてくれる競馬場は、全部高崎と同じような状態で、いつ廃止になってもおかしくない。高崎で廃止を経験してから、2度と廃止には立会いたくないと思った。厩務員としてなら、南関東でも受け入れてくれると言われたけれど、私の周りの優秀な厩務員さんを見ていて、自分が同じ事を出来るとは思えなかった。
競馬界を離れても、戻ってくる人はたくさんいる。だってこの世界、本当に面白いもの。だから、自分も戻りたくなりそうで、引退した事を後悔しそうで、競馬が見られなかった。
そんな私を競馬界に引き戻したのは・・「クウガ、名古屋で頑張ってるよ。」という新谷さんの一言だった。
オンワードクウガ・・彼のお陰で、どれだけの喜びと苦しみを味わっただろう・・。500キロ以上の馬体、怖がりの気性、私の技術では、どうしても乗りこなせなかった。
何十回と彼に騎乗し、10勝させてもらったけれど、会心のレースはたった1度だけ。能力があるのに、動かせない・・技術が足りない分、私はギリギリのラフプレーをするようになった。
クウガのレースでは、毎回先輩ジョッキーに怒られるし、必ず裁決委員に呼ばれ注意を受けた。それでも、私は乗り方を変えなかった。今考えると、なんて自己中な・・と思うけれど、あの頃の私は、クウガの背中にいる時だけは、完全に周りが見えなかった。怪我人出なくて、ホント良かったです・・。
クウガの最後のレースになるはずだった、高崎最終レース。前日に裁決委員に呼ばれ、「同じ乗り方をしたら、騎手免許停止にする。」と宣言された。それでも、変えるつもりはなかった。
この時、私は引退を決意したんです。本当に、一緒にレースに乗るジョッキーには迷惑な話ですが・・「クウガのレースで燃え尽きよう!」そう決心していたのに・・大雪で・・。結局幻のレースとなりました。
それほど思い入れが強かったクウガ君が、今も現役で頑張っている・・。私は何をやっているんだろう・・逃げていてはダメだ・・と思ったわけです。
そこから、友人のライターさんに助けてもらい、事務所に所属し、今に至る。
私にとって、競走馬は動物ではなく、人間と同じ、仕事のパートナー。だから馬肉は人肉と同じ感覚。絶対食べられないし、見るのも無理!
私の元同僚たち、人間だけでなく、競走馬も頑張っている。いつか、そんな仲間たちに会った時、胸を張って、「元気?」と言える、自分でいたい。
いきなりですが・・私の中のいい男ベスト3!!
1位、石井琢郎(横浜ベイスターズ)
2位、永瀬正敏(トキオの長瀬じゃないですよ!)
3位、中村吉右衛門(鬼平犯科帳)
石井選手は別に、2000本安打達成したからではありませんよ。もともとジャイアンツの岡崎選手のファンで野球を見ていたのですが、中学生の時敵である石井選手に一目惚れ・・以来一途?に想い続けております。
永瀬正敏さんは、「ママはアイドル」という中山美穂さん主演のドラマで好きになり、中村吉右衛門さんは、時代劇好きだった小学生の時、「鬼平犯科帳」に思いっきりハマリました・・。以外と渋専な私です。
今日初めて歌舞伎を観に行って来ました!もちろん中村吉右衛門さん主演作です。ちゃんと理解出来るか不安でしたが、意外にわかりやすくて面白かったです。
なぜ歌舞伎を観に行ったかというと、中村吉右衛門さん好き!という事もありますが、着物好き!というのも大きいんですよ。こういうトコも、渋専でして・・。
騎手を目指す前は、舞妓さんになろうと思ってましたから。中学3年の時、
「高校には進学しないで、京都に行く!!」と宣言したところ、両親が大反対。家出したり(半日ですが・・)して頑張ってみましたが、結局諦めました。後にも先にも、両親が私のやりたい事に反対したのは、あの時だけ。今となっては良かったですけど。
そんな事情もあり、騎手を辞めたら着物を着る仕事がしてみたかったんです。ハローワークで探してもらうと、東京の浅草今半を発見!着付けも出来ないくせに、ずうずうしく面接に行ってみると、騎手という職歴が気に入ったらしく、一発採用!!そこから、戦いの日々が始まったのです・・
着物は2回着せてもらっただけで、「じゃぁ、明日からは自分でね。」という事に・・最初はボロボロで、しょっちゅう着崩れてました。食べに来た事がある方はわかると思いますが、あそこの着物はよくユニホームで使われている簡単に着られる着物ではなく、しかも季節ごとに一人一人に似合う物を与えられるのです。そこまでこだわっている着物ですから、少しでも乱れがあれば、即チェック!
あと言葉遣い。バリバリの群馬弁&競馬場ゆずりの男言葉だった私は、「平安時代?!」と思わせるほど丁寧でキレイなお店の言葉に慣れるのが大変でした。
そして接客。高校時代マックでバイトしてて、「スマイル下さい!」と言われるたびにムッとしていた私ですが、ここでは絶対に許されません・・
男性ばかりの職場から、いきなり女性ばかりの職場になった訳ですが、それに対しては全く抵抗なかったんです。なんてったって、女子高出身ですから!
「イジメられたら100倍返し」という性格の悪さを発揮する私ですが、拍子抜けするくらいみんなに可愛がってもらい、「女らしさ」のなんたるかをアレコレ教わったのでした。
その後、友人に助けられながらライターの仕事を始め、今の事務所に所属する事ができ、浅草今半は
辞める事になりました。短い期間でしたが、高級料亭でプロの接客を間近で見た事で、人としても女としても、いい勉強が出来ました。
高崎が廃止になった後も、引退するか移籍するかなかなか決められなかった私・・あの時、人生で初めてやりたい事が見つからずに悩んでいた。半信半疑で受けた面接で、
「あなたが頑張る事はわかってるから。」と言って、経験のない私を採用してくれた社長に、今でも感謝です!!
ちなみに・・私が勤めていたのは『浅草今半』です!「人形町今半」さんや、「今半」さんとは違います。
コレ結構、わかりづらいですよね。
久し振りに、やられてしまいました・・と言っても、エロネタではありませんよ!
『隣人13号』という映画をご存知ですか?中村獅童さんと小栗旬くん主演で、二重人格の殺人鬼の物語です。とても残忍で悲しい物語に、深く考えさせられました。
考えているうちに怖くなって、眠れなくなってしまった私・・時刻は午前3時。誰かに電話するには遅過ぎる(早過ぎる?)。私は、自分の右膝にある硬いシコリを触りながら、ジッと夜明けを待ったのでした。
一人で淋しい時や、何かに悩んだ時、特別な事があった時など、私はこのシコリを撫でながら、話かけています。周りから見たら、ちょっとアブナイ女ですが・・
このシコリは、私の大好きだった愛馬「アルタスクレン」の形見なんです。
彼は中央競馬でデビューし、脚が悪くなって高崎に移籍して来ました。担当厩務員さんはおらず、私の所属調教師である畠中先生が世話をしていたので、私も調教だけでなく、鞍付けや手入れ、エサ付けなんかを手伝っていたので、とても愛着があったんです。
彼はブレイヴェストローマンの仔で、筋肉ムキムキ、とても前向きで常に一生懸命走るタイプ。
レースでもすんなりハナに立つ事が出来れば、必ず最後まで頑張ってくれました。
脚が悪くて移籍して来た訳ですから、調教も軽めにしか出来ません。それでもレースで結果を出すのだから、能力が高かったというか、本当に競走馬向きの気性だったんですね。
そんなアルちゃんですが、やはり何度もレースを使ううちに、脚の具合が悪化してしまいました。
あの頃の高崎けいばは使ってなんぼ、長期間休養させるなら、廃馬になってしまいます。
獣医さんと畠中先生が一生懸命治療して、なんとかレースに出走出来る状態に仕上げてくれました。
「おかしいと思ったら、すぐに止めなさい。」それが、先生からの指示でした。
スタートを切ると、こんな時に限ってすんなりハナ。アルちゃんに話かけてみる。
「大丈夫??」耳をピクピクさせただけで、軽快な足どりのアルちゃん。
レースに出走したからには、全能力を発揮させなければなりません。それでも、追い出すのはギリギリまで我慢しよう、勝つ事ばかり考えてはダメだと自分に言い聞かせていました。
4コーナーを過ぎても先頭、ゴールまであと300m。これ以上追わないわけにはいかない・・
あと200m、私はやっと追い出しました。あと100m、まだ先頭。あと50m、まだ先頭。
「勝てる!」と思った瞬間私はバランスを崩し、私の上を後ろの馬と騎手が飛び越えて行くのが見えました。次の瞬間馬場に激突。それでやっと、アルタスが骨折し、自分が落馬した事に気付きました。
右足に激痛が走り、立ち上がれずに顔だけ上げると、アルタスは骨折した脚を引きずりながら、それでもゴール目指して走っているのでした。
私は、「女は泣けばいいと思ってる。」と言われたくないので、競馬関係者の前ではなるべく泣かないようにしていたけれど、この時ばかりは人目もはばからず大号泣。自分も立てないくせに、安楽死処分になるであろうアルタスのもとへ行かせてくれと、支えてくれる人を押しのけて大騒ぎ。
たまたま同じレースに騎乗していたJRAの後藤騎手や、現在は浦和に移籍した水野貴史騎手になだめられたのでした。
私はそのまま救急車で運ばれ、結局打撲で済みました。
「無理して馬に乗ったらシコリが残るよ。」とお医者さんに言われたので、無理して馬に乗りました。
私の体の中に、アルタスが生きた証を残したかった。私にとってアルタスは、本当に愛しい存在でした。
自分の命と引き換えにしても、精一杯走り続けたアルタスクレン。
決して有名な競走馬ではないけれど、私は今でも彼を尊敬し、彼に恥じないような人生を送ろうと思っています。
今日は、漫画家のやまさき拓味先生のお仕事場に遊びに行って来ました。
「優駿の門」や「優駿たちの蹄跡」の著者で、競馬漫画第一人者の大作家であります。
先生との出会いは、那須の騎手学校でした。学校を舞台にした漫画を描くための下調べですね。
デビューしてからも、先生の愛馬「センターコート」に騎乗させていただいたり、アシスタントの早川恵子さんと友達になったり、なにかと親しくさせていただいております。
現在、ビジネスジャンプに連載中の「手騎」、ご存知ですか?
物語の中に、私がモデル?の赤城千尋騎手が登場するんです!!実家の設定もそば屋で、うちの両親は定期購読して読んでるんですよ。
実際に私が経験したエピソードや実在した競走馬も出て来て、どこまでが現実でどこからがフィクションなのかわからないくらい入り込んでます。
「手騎」の中で、1番最初に出てくる、主人公が騎手を辞めるキッカケになるエピソード。あれは、私が初めて競走馬を「殺して」しまった時の話が元になっています。
馬名は『オンワードクーゲル』。四肢が弱かった彼は、中央で見切りをつけられ、高崎に移籍して来ました。私はデビュー2シーズン目。なかなか思うように勝てず、焦っている時でした。
「この馬なら勝てる!」そう思い、気性の激しかった彼を一生懸命に調教し、移籍初戦。ゲートを切ると大暴走・・10馬身近く離して逃げ、ゴール板前頭差差されて2着。完全に、私のミスでした。
2戦目。もう負ける事は許されないし、勝って自分をアピールしたかった。私の緊張が伝わったのか、彼はゲートで暴れてしまい出遅れ。1コーナーを回る時、彼の後ろ脚に一瞬異変を感じたんです。
「アレ?おかしいかな・・」向こう正面で手前を変えると、通常の走りに戻ったので、
「どうしても勝ちたい!絶対勝ちたい!!」という気持ちで、私は追い始めました。
3コーナーに入り手前を変えると、やっぱりおかしい・・
レースを止めるべきか続けるべきか、判断に迷いました。
「1番人気、ファンも関係者も期待している。もし止めて、大した事なかったら怒られる・・」
直線に入ると、完全に彼の後ろ脚は異常をきたし、結局止めざるをえなくなりました。
次の日、四肢をたたんで寝込んでいた彼は、立ち上がろうとした瞬間、悪くなった後ろ脚をかばい、前脚に500キロ以上の体重をかけたため、元々弱かった両前脚を骨折。痛みでのたうち回り、馬房の中は血だらけになりました。厩務員さんが気付いた時にはもう手遅れで、すぐに安楽死処分になりました。
私は、自分の欲望のために愛馬を苦しめ殺してしまった・・もし、1コーナーですぐに止めていたら、こんな死に方はしなかったはず。どんなに自分を責めても、もうクーゲルは戻って来ない。無言でクーゲルのカイバ桶を洗っている厩務員さんに、言葉がかけられませんでした。
クーゲルの死をキッカケに、私は競走馬の命の重みを知りました。扱う人間によって、その運命が変わる・・人間の欲望だけで、競走馬を扱ってはいけないと、あたり前の事を教わりました。
その後も、たくさんの競走馬達の死に直面する事になるのですが・・彼らが競走馬として生まれ、必死に生きた姿は、私の中で永遠に存在し続けています。