高知の【ヒカルサザンクロス】が、最多出走回数記録にあと「3」と迫っている。
彼は15日のレースで、248戦目を戦い終えた。最高記録は益田の【ウズシオタロー】で250戦。ちなみに彼は、サラブレッドよりも丈夫なアラ系である。
ガラスの脚を持つサラブレッドにとって、数多く走るというのは簡単な事じゃない。勝利する事だけじゃなく、数多く走る事も偉大な記録だと私は思う。
【ヒカルサザンクロス】という名前を聞いて、「あれ?どこかで聞いた事があるな・・」と思っていたら、なんと一緒に走った事があった!!しかも、私のデビュー2開催目。ド新人の頃の事。
あの頃の私は、まだ競馬界がイマイチ理解出来ていないくて、からかわれても本気で信じたりして、純情可憐な頃。でも実際に騎手デビューして、理想と現実が違う事がわかりかけてきた、微妙なお年頃でもあった。
学校の実習中、色んな人に「デビューしたら乗せてやる。」と言われたけれど、そのほとんどが冗談で、実際にそう言いながら乗せてくれたのは、馬主さん1人、調教師さん1人だけ。
その、調教師・菊池先生。
今は笠松・法理厩舎で厩務員さんとして頑張っている。
自厩舎を除けば、デビューから引退するまでずぅ〜っと乗せ続けてくれた、唯一の調教師さんである。
「このご恩は、一生忘れません」級の恩人。
あの頃から現在までずっと、【ヒカルサザンクロス】は走り続けているのか・・と思うと、本当にスゴイと思う。1995年デビューという事は、現役生活12年!生まれた子供が小学校を卒業する年齢だ!!!
よくよく考えたら、私が17歳の頃にデビューしたんだな。
競走馬というのは、ガラスの脚もさることながら、ストレスから胃潰瘍になる馬も多い。【ヒカルサザンクロス】は、肉体だけでなく、精神力も強いんだろうな。自称・繊細な心を持つ私としては、とっても見習いたい。
7月6日に行われる、『オッズパーク ファンセレクション イン 笠松』の投票結果が発表されましたね。みなさん、投票しましたか?
第1位キャプテンハート
第2位ワイティタッチ
第3位トミノダンディ
という結果になりました。上位はかなり接戦だったようです。
こんな風に、ファン投票で上位に入る事は、関係者にとっても誇らしい事であります。
その昔、高崎競馬が存在した頃、12月31日に【高崎大賞典】という1年を締めくくる大レースがありました。このレースはファン投票と、それまでの実績で出走馬が選ばれるレースで、デビューして何年も、私には騎乗機会がなかったのです。
しかぁ〜し。ある年、【エアーホースワン】というOP馬が、私のお手馬になりました!先輩の米田真由美騎手が北関東菊花賞を制した馬で、米田騎手と、その後鞍上だった工藤騎手の引退に伴って、私に回って来たのでした。
その年の【エアーホースワン】は、大賞典に出場出来るか微妙な位置にいたので、どうしてもファン投票で選出されたい!と思った私は両親に、
「エアーホースに投票してね。」と頼みました。
すると、娘思いの両親は、親戚・友人・知人に投票を頼み、馬主さんもかなりの組織票を動かし、なんとファン投票1位という事になりました!
2年連続で大賞典連対中の、バリバリOP馬【デルマキングオー】を押さえての1位ですから、ものすごい事なんです。【デルキン】の鞍上・水野騎手に、
「人気はエアーホースの方が上です!」
と鼻高々に宣言しても、全く相手にされなかったけれど。。
結果は4コーナーまで逃げて、【デルキン】に並ぶ間もなく交わされましたが。。見せ場は作ったという事で、ファン投票1位の名誉は守ったつもりです。
ちなみに、写真は【エアーホース】ではありませんが。。こうやって、いつも運動してたなぁ。
さっきテレビを見ていたら、『キンキキッズ10周年記念ライブ』なるものを放送していた。
そうか、キンキもデビュー10周年か・・と、妙に感慨にふけったりする。
とり立ててキンキファンという訳でもないのだけれど、私が競馬界に入った年と、キンキのデビューが同じだったため、曲を聴いたりすると懐かしい思い出がフラッシュバックする。なかなかどうして、キンキの曲は名曲揃いでもある。
地方競馬教養センターに入った時、外界との接触のなさに度肝を抜かれたものだけど、唯一の繋がりといえるのが、厩舎で流れるラジオ?だか有線?だかの最新音楽だった。
我が同期生たちは全員男子で、当時デビューしたキンキが相当お気に入りだった模様。
「俺が剛だ!」「俺が光一だ!!」と言っては、争って【硝子の少年】や【愛されるよりも愛したい】を振りつきで歌っていた。
当時は、「フッ、子供ね。」と横目で見ながらスピードを口ずさんでいた私であるけれど、今となっては忘れられない思い出の曲になっている。
特に、通常の学校でいう卒業式に当たる、終了供覧で流した【青の時代】は思い出深い。
2年間の集大成ともいえる終了供覧は、前半は全員で曲に併せて隊列を組んで演技をし、後半は模擬レースをするというもの。家族や調教師も見に来ているし、生徒としての最後の騎乗となる。
我が68期は巣立って行く時の曲に【青の時代】を選んだ。今でも、アノ曲を聴くと卒業する時の嬉しさと不安な気持ちを思い出す。我が同期ながら、いい選曲だった。
29歳になった今でも、カラオケでキンキを歌われるとジーンときてしまい、歌っている殿方が3割増しにカッコ良く見える。曲というのは、スゴイ力を持っている!!
シャバでは有り得ない、貴重品ロッカーならぬ、お菓子入れロッカー。カギは先生に預けます。
センターでは現金なんて見向きもされません。お菓子やジュースが最も大切な貴重品。そんな不思議な世界で聴いた曲は、一生忘れられないでしょう。
親子丼と他人丼について書いていて、昔の事を思い出した。
あれは忘れもしない、赤見千尋20歳の出来事。
私はデビューしたばかりで、まだ競馬界の事がよくわからないでいた。
競馬界では、所属厩舎が身内みたいなのも。1番近い存在であり、大切でもあり、だけど逆に離れる事も出来ない、そんな存在。
その頃、私は自厩舎の厩務員さんにセクハラのような事をされた事がある。誰にも言えず悩んでいたけれど、女性騎手の先輩である米田真由美さんに相談した。すると、
「本人に言うのが1番いいけど、真剣な顔して言っちゃダメ!プライドを傷つけないように、笑顔で明るく言うんだよ。」
と教えてくれた。
早速次の日に実戦してみたけれど、私の言い方が悪くて相手をものすごく怒らせてしまい、結局厩舎を辞めてしまった。
ヒヨッコの私のせいで、長年勤めていた厩務員さんを1人失った訳で、調教師の先生に怒られるかな・・と思っていると、
「そんな事があったなら、すぐに言わなきゃダメじゃないか!」と心配してくれて、ここは私の居場所なんだ、ここに居ていいんだ、と実感した。
こういうトラブルがあるから、女性騎手を所属にする事を嫌う調教師さんは多い。
でも私の所属調教師は、いつも親のように私を守ってくれたし、高崎競馬場の雰囲気も、私たち女性騎手を大切にしてくれて、何かあればみんなが味方になってくれた。
何年かして、辞めてしまった厩務員さんとも、また話せるようになった。人間関係は難しいけれど、グレずに頑張っていれば、時間が解決してくれると、身を持って体験した出来事だった。
確かに、競馬界はキレイな世界ではない。嫌な事もいっぱいあるし、納得出来ない事や、ありえない事もある。
でもだからこそ、心を許せる人間関係がとても大切な世界。
今でも、所属調教師の事は親のように大切に思っているし、自厩舎の人たちは家族、高崎競馬関係者は身内だと思っている。
「生まれ変わっても、また騎手になりたい!」
と私が思えるのは、周りの人たちのお陰なんだ。
今日は寒かったぁ〜。昨日も寒かったけど、今日は本当に悴んだ。。春は一体どこえやら???
こんなに寒くては、カゼをひいてしまうわ・・と、早速栄養補給のために新宿は「さんるーむ」へ。
ここは新宿駅東口から新宿三丁目、歌舞伎町へと広がる広大な地下街「サブナード」の中にある、超健康志向のレストラン。
黒豆コロッケ定食をオーダー。ご飯は黒米、デザートは黒ゴマプリンと、黒でまとめてみました。黒い食べ物は、栄養の宝庫ですからね☆
黒い食事を食べながら、ふと昔話を思い出した。
あれは確か、赤見千尋19歳の出来事。地方競馬教養センターの生徒だった私は、半年間の競馬場実習のため、境トレセンに帰って来た。
ちょうどその時、我が畠中厩舎には、【クロイダンガン】という名前の競走馬がいて、名前の通り常に弾丸のように突っ走って行こうとする馬だった。
あるレースが近づいた日の調教で、いつも通り必至に手綱を抑えていた私は、『ブチッ』という音を聞いた。ちょうど2コーナーから向正面に入り、手前を変えた時だった。
「何事?」と思った時には落ちていた私。【クロイダンガン】くんは解き放たれ、まさに黒い弾丸と化して馬場を何周も走ったのでした。。
落馬の原因は、鞍とアブミをつなぐ、[アブミ革]が切れた事。完全に、調教鞍を管理している厩務員さんの落ち度でしょう、と思っていたのに、調教師も厩務員さんも、
「お前が悪い!」とメチャメチャ怒られた。その場では、「すいません」と謝ったものの、納得出来ない私はその話を先輩騎手たちに告げ口。するとみなさん、
「そりゃ、お前が悪い。俺達はアブミがなくても落ちないから。」と言うではないか!
騎手って、すごいんだなぁーと関心したと同時に、なんて厳しい世界に飛び込んだのだろう・・と実感した出来事だった。
数年後、ゲート練習でアブミ自体が欠けるという事故が起きた。でも、私はもう落ちなかった。その調教鞍を管理している厩務員さんが、
「よく落ちなかったな。」と言ったので、
「だって騎手だもの。そのくらいじゃ落ちないわ♪」と胸を張って答えた私。一人前の騎手に、近づけた気がした。