今年から、女性騎手招待レースが、荒尾だけでなく、『レディースジョッキーズシリーズ』としてパワーアップします!!11月15日の荒尾競馬場を皮切りに、12月9日・高知、1月5日名古屋の、各2レースづつ、計6レースで争われます。JRA所属の2人が、荒尾開催のみの参加というのが残念だけど、これは面白くなりそうですよ♪
私の現役時代、初めて『レディース競走』に参加したのは、デビュー2年目、第2回の卑弥呼杯だった。中津ですよ、中津!!懐かしいなぁ・・。
高崎の先輩である、糸井(旧姓・米田)真由美騎手や、中津のアイドル・小田部雪騎手、川崎の戸川理佐騎手が現役で、先輩たちに囲まれ、ヒヨっ子の私はかなり緊張していたなぁ・・。女だけのレースだからと言って、侮ってはいけません!!みんな本気ですからね、レース中は怖いですよぉ。
でも・・レース前やレース後は、まさに女子校のノリ。それぞれの地方の銘菓を持ち寄り、普段は言えない、あんな先輩騎手の話やこんな調教師さんの話で盛り上がります!いつもは少数派の女性騎手たち、この時とばかりにウップンを晴らしていましたが、話を聞く限り、どこの競馬場でも同じ様な思いをしていた。そして、そんな話を聞くと、「辛いのは、私だけじゃないんだ・・」と、励まされるわけですよ。あの頃の私にとって、本当に大切なレースでした。
舞台を新潟に移した頃には、『レディース』の中では、私は中堅くらいの年齢になっていた。上から段々と結婚する人が増え、同い年の増沢由貴子騎手と、「そろそろ私たち、やばくない?!」なんて笑い合ったもんです。
荒尾に移った時には、完璧上の方に位置する事となり、「最近の若いジョッキーは・・」なんて話を聞くと、私も年を取ったもんだ・・と、シミジミしてました。
なんだかんだで、毎年顔ぶれが変るレディース競走。その年その年の思い出が、いっぱいありますね。今回はまた、超ハイレベルですよ!宮下瞳騎手をはじめ、同じ名古屋の山本茜騎手、同期の別府麻衣騎手に、3連覇がかかる、荒尾の岩永千明騎手。私的には、女王でありながら、まだ1度もレディースを制していない、宮下瞳騎手に期待したいですね☆騎手学校の時からの、私の憧れの先輩です。旦那様も素敵だし・・そっちの面でも、憧れちゃう!!
牝馬は、夏に強い!というのは有名な話。
まぁ、馬にもよるのですべての牝馬が夏に強いわけではないけれど、現役時代の愛馬の中で、夏と冬では異常に変わる馬がいた。
彼女の名前は「アイティーウェルズ」。めんこに、「愛」の文字がデカデカと刺繍してあったので、覚えている方もいるかもしれない。
彼女は大井競馬場から移籍して来て、当初は菊地厩舎に入厩した。季節は冬。初めて馬場入れした時からおとなしく、とても乗りやすい馬だった。レースに行ってもおとなしいのが玉にキズだったけど、とにかくてのかからない、私の指示もよく聞く優等生だと思っていた。
ところが・・初めての夏。アレは忘れもしない7月1日。調教中、いきなり跳ねて落とされた。すぐに捕まえて、もう1度騎乗すると、また落とされた・・おとなしいはずのアイちゃんが、豹変した瞬間だっだ。
当初、体調が悪いのではないか??と関係者は推測していた。それで、苦しくてワガママしているのではないか?と。
しかし、レースに行って見ると、押さえきれない程に引っかかり、そのまま逃げ切り勝利!!それまで3着にも来た事がなかったのだから、もの凄い配当が出た。その夏中、アイちゃんは大活躍したけれど、調教中や返し馬で、私は20回近く落とされた。跳ねる、飛ぶ、回る、立ち上がる・・と考えつく限りの抵抗をして、私が落ちると満足そうに、1人で厩舎に帰って行くのである。
そして、秋の声を聞くと・・途端に優等生に戻るのだ。その後、アイちゃんは私の所属厩舎である畠中厩舎に転厩したけれど、再び夏が来た時、またまた豹変した。私を落とすと、必ず昔の菊池厩舎に帰ってしまうので、いつも謝りに行っていた。
そんな事を何年繰り返しただろう??手がかかる馬で勝った時というのは、至極の喜びだ。毎年、アイちゃんで初落馬するたびに、「ヨシッ」と嬉しくなったものだ。
あまりにも可愛く、そして憎いアイちゃんのために、特注でめんこを作ってもらった程、愛しかった。
そんなアイちゃんも、高崎競馬最後の開催の次の日、トラックに揺られて旅立っていった。先生が、旅立ちの時間を教えてくれたけれど、私は見送りには行かなかった・・というか、行けなかった。
夏が来るたびに、必ず勝ち星をプレゼントしてくれたアイちゃん・・落馬女王の私でも、こんなに落とされた馬はいない。今でも、夏が来るとなんとなく緊張し、秋になるとホッとする、アイちゃんショックが抜けない私です・・。
思い出話が長くなりましたが・・9日の南部杯、いいメンバーですねぇ。2着続きから脱したシーキングザダイヤと、休み明けの昨年JBCスプリント王者ブルーコンコルド、それにヒシアトラスと、どれを本命にするか悩み中!
でもね、対抗は決まってるんですよ。ジンクライシスで!!この馬、堅実ですよね。地方馬代表として、魅せてほしいものです♪
明日の盛岡8レース、『オンワードジェダイ』が出走する。
中央でデビューし、なかなか未勝利を脱出出来ず、高崎に移籍してこないかなぁ〜と狙っていた所、名古屋に移籍してしまった馬だ。
現在は年齢もあり、さすがに上積みは見込めないけれど、元気に走ってるんだな、と懐かしく思う。
デビューした頃よく、「ファンや馬主さんだけじゃなく、生産牧場の事も考えて競馬しろ!」と言われた。
一度も行った事のない遠い北海道の牧場に対して、何も考えていなかった私。中央のレースじゃないんだし、高崎の下級クラスのレースで一喜一憂しているとは思えなかった。
私の勝ち星の半分近くは、オンワード牧場の生産馬である。その牧場に対して、ありがたさがわかってない!という事で、挨拶に行った事がある。
広い牧場で、たくさんの馬たちが放牧されている姿は圧巻だった。事務所に行くと、場長さんに、
「3着が好きな赤見騎手ですね。」と笑顔で言われ、しどろもどろになってしまった私・・。そして大きな黒板に、勝ったレースと馬名・騎手名が書かれていて、もちろん私の名前もあった。
○月○日高崎オークフェニックス・赤見
○月○日高崎オークレインボー・赤見
○月○日高崎オンワードクラフト・赤見
といった具合。
私は申し訳なさでいっぱいだった。この黒板に書いてある数よりも、2着3着の方が多かったし、遠い北海道で、喜んだり悔しがったりしている人達がいるなんて、想像していなかった。
帰りの車の中で、「よくわかっただろ。」と新谷さんに言われ、頷く事しか出来なかった。
ジョッキーとは、生産牧場・馬主・調教師・厩務員・ファンの期待を背負いレースに挑まなければならない。ちょっとしたミスで負けるなんて、本来許されない事であり、もし自分のミスで負けたなら、その責任を感じ、同じ事はしてはいけないと、実感した。 私のように、ノー天気に、「次は頑張ろう!」ではダメなんだな。
まぁ、その後も2着3着になる事が多かったけれど、そのたびに北海道の牧場が脳裏にちらついた。
「自分の責任の重さがわかっていれば、それでいい。」と新谷さんは言うけれど、今でも、オンワード牧場には足を向けて眠れないと感じている。
地方競馬も大変な時期だけど、北海道もかなり大変な事になっている今、私に出来る事は、現場で働く人達の姿を伝える事だと思う。
近々、北海道に行けそうな予感なので、色々取材したいと思います!!
月曜日は盛岡で交流重賞「マーキュリーカップ」が行われますね。
先月の「帝王賞」から比べると、ちょっと淋しいメンバーな気もするけれど、圧倒的に強い馬がいないというのは、馬券的には面白い。まだ買い目馬券は検討してないけれど、メンバーをザッと見て一番気になったところ・・金沢に移籍した『ビッグゴールド』と、元鞍上の和田騎手が隣の枠に入った事。
ジョッキーは、自分のお手馬が同レースに敵として出走する場合、本命馬より、むしろ自分のお手馬にだけは負けたくない!という負けず嫌い根性を発揮する。全員とは言わないけれど、少なくとも私はそうだった。
特に、自分が選んで蹴ったお手馬に負ける事は、馬を見る目がない・・とか、騎乗したジョッキーの方が自分より技術が上・・と周りに知らせているようなものだから、絶対に負けるわけにはいかない。昨日の友は今日の敵!!なのです。
今回の『ビッグゴールド』は移籍しているので、そこまで激しい対抗意識はないでしょうが、金沢に移籍して2連勝!元鞍上を悔しがらせるような、いいレースをしてほしい。
先日写真付きでご紹介した、白馬の王子こと「オンワードクウガ」君。私の大切な大切な愛馬だけれど、1度だけ、敵として戦った事がある。
同厩舎の「バクオンワード」と同じレースになり、私としてはクウガ君に乗りたかったけれど、バク君の馬主さんは、仕方なく私を乗せている状態だった。
「我慢して乗せてくれている馬主さんに、お前はクウガの方が強いから、今回は乗りません、なんて言えるのか?そんな事したら、バクには2度と乗れないぞ。」と新谷厩務員に言われ、確かに・・と思った。
競馬界は実力社会。でも、人と人との繋がりも、とても重要な世界。目先の勝利より、今まで私を育てようとしてくれた馬主さんに、生意気な態度は取れない。
クウガ君1番人気、バク君2番人気となり、愛馬を倒すためにどんな作戦を取るか色々考えた。愛馬だけに、弱点はイヤという程知っている。正攻法では、絶対に勝てない。
私はスタートを切ってすんなり逃げ、クウガが来るのを待ちました。同厩舎だけに、クウガがそんなに早く潰しに来るとは思えない。クウガの1番苦手なスローペースに落とし、たまらず上がって来たクウガを3コーナーで外に振ろうとした。でも・・私の性格を知ってる茂呂騎手、2馬幅以上もバクから離れ、一気に抜き去って行きました・・。
レース後、「こんなに強いクウガで、何で勝てないの?」とストレートを喰らい、自分の未熟さを痛感させられたのでした。
「くそぉ〜クウガめぇ〜」と、愛馬ながら、こんな時は思う訳ですよ。次のレースからはまた私の手に戻ったクウガ君。自分が背中にいる時は、とっても愛しいクウガ君。それでも、また敵になる日が来たら、私は嫌がらせするんだろうな・・と、自分の負けず嫌いを再確認した出来事でした。
梅雨、明けたんですか?ってくらい暑い日が続きますね・・。
真冬生まれの私にとって、一番苦手な夏がやってくる。暑いのが苦手なのに、クーラーも苦手・・我が家では、友達が遊びに来た時以外はクーラーつけません。地球に優しい生活環境なのです。
この時期、競馬界では2歳戦が次々と行われている。私は信頼出来るジョッキーではなかったので、期待の2歳デビュー戦には乗った事がないけれど、それでも毎年、2歳馬たちに跨って来た。
トレセンに入厩して、実際にデビュー出来る確率は、決して100%じゃない。競走馬になるべくして生まれながら、競走馬になれずに星になっていく馬たちは、毎年たくさんいる。
現役時代、唯一死んだ馬体に手を合わせる事が出来た馬がいた。彼女はデビュー前の2歳馬で、順調に調教を積み、2回目のゲート練習でトモを骨折、予後不良となった。
サラブラットとして生まれ、デビューする事なく、名前もなかった彼女。小柄で、顔も可愛く、穏やかな気性だった。次に生まれてきたら、きっと幸せになれるよ・・と冷たくなった彼女の顔をさすった私。本当は彼女ではなく、自分自身に言い聞かせていた。競馬とは、なんて残酷なんだろう・・私の職業とは、なんて・・そんな気持ちを抑えるために、何度も何度も心の中で、「次は幸せになれるよ!絶対なれるよ!」と繰り返した。
季節は真夏。業者の手違いで3日間馬屋に放置された彼女の馬体は、毛布をかけていても異臭がした。死んでからもなお、人間の都合に付き合わされるなんて・・彼女の瞳には、涙のあとが残っていた。
デビューするまでには、いくつもの試練がある。それを乗り越えて新馬戦に挑む馬たちの姿は、期待馬でも、そうじゃなくても、私にはキラキラして見える。