平成10年10月高崎競馬場にて騎手デビュー。以来、高崎競馬が廃止される平成17年1月まで騎乗を続け2033戦91勝。元騎手の目線からレースを分析から、現役時代の思い出など、様々な話題を楽しく書き綴ってまいります!
梅雨、明けたんですか?ってくらい暑い日が続きますね・・。
真冬生まれの私にとって、一番苦手な夏がやってくる。暑いのが苦手なのに、クーラーも苦手・・我が家では、友達が遊びに来た時以外はクーラーつけません。地球に優しい生活環境なのです。
この時期、競馬界では2歳戦が次々と行われている。私は信頼出来るジョッキーではなかったので、期待の2歳デビュー戦には乗った事がないけれど、それでも毎年、2歳馬たちに跨って来た。
トレセンに入厩して、実際にデビュー出来る確率は、決して100%じゃない。競走馬になるべくして生まれながら、競走馬になれずに星になっていく馬たちは、毎年たくさんいる。
現役時代、唯一死んだ馬体に手を合わせる事が出来た馬がいた。彼女はデビュー前の2歳馬で、順調に調教を積み、2回目のゲート練習でトモを骨折、予後不良となった。
サラブラットとして生まれ、デビューする事なく、名前もなかった彼女。小柄で、顔も可愛く、穏やかな気性だった。次に生まれてきたら、きっと幸せになれるよ・・と冷たくなった彼女の顔をさすった私。本当は彼女ではなく、自分自身に言い聞かせていた。競馬とは、なんて残酷なんだろう・・私の職業とは、なんて・・そんな気持ちを抑えるために、何度も何度も心の中で、「次は幸せになれるよ!絶対なれるよ!」と繰り返した。
季節は真夏。業者の手違いで3日間馬屋に放置された彼女の馬体は、毛布をかけていても異臭がした。死んでからもなお、人間の都合に付き合わされるなんて・・彼女の瞳には、涙のあとが残っていた。
デビューするまでには、いくつもの試練がある。それを乗り越えて新馬戦に挑む馬たちの姿は、期待馬でも、そうじゃなくても、私にはキラキラして見える。