1着から3着までが微差という歴史的大接戦となった第75回日本選手権競輪(GI)の決勝戦。
「ダービーを獲る」ということを今年の目標に掲げ、見事有言実行をしてダービー王に輝いた広島の松浦悠士選手(98期)にお話を伺いました。
大津:日本選手権競輪優勝おめでとうございます。
松浦:ありがとうございます。
大津:今のお気持ちはいかがですか?
松浦:優勝した直後や、その日の夜は非常に達成感もありましたが、
どんどん気持ちが次に向かっていっているので「ダービー獲った、よっしゃー!」みたいなのは今は残ってないです。
大津:日本選手権が終わってから周りの反応というのはいかがでしたか?
松浦:今まで競輪祭とオールスターを優勝したのですが、その時とはまた違う感じでしたね。
オールスターを獲った後もすぐに他のレースにも行きましたが、ダービーって「ダービー王」ってつくじゃないですか。
新聞記事を見ても必ずダービー王って書かれますし、周りの見る目も今までとは違うなっていうのは感じます。
大津:優勝後にツイッターを更新してらっしゃいましたが、反響も凄かったですね。
松浦:ファンの方からたくさんのコメントをいただきました。 返信は出来ませんでしたが、全てのコメントに目を通させていただきました。
大津:ファンの方からご褒美スイーツの情報も続々と寄せられてましたね。
松浦:次の日の朝に東京駅で4種類くらい購入して帰りました。
大津:携帯電話にも数多くのメールなど届いてたんじゃないですか?
松浦:LINEは多く入ってました。
GIだけじゃなく記念競輪など優勝した際にも送ってくれるのですが、ダービーだったので非常に多かったですね。
大津:ご家族の反応はいかがでしたか?
松浦:いつも優勝した時は凄く喜んでくれるので、いつもの倍くらいは喜んでくれてました。
大津:今年はダービーを獲ると早くから公言されていましたね。
松浦:昨年出来なかったので今年こそは優勝したいというか、優勝するためにやっていきたいという気持ちでレースや練習にのぞんでいました。
大津:ダービーの重みというのはどのように感じていらっしゃいましたか?
松浦:普段はあまり緊張することはないのですが、特にダービーの準決勝はいつもとは違った緊張がありました。
他のGIとは違うダービー特有の空気感もあり、周りの選手もピリピリしている感じもあったので、そういうのを感じ取って自分もピリピリしていた感じもありました。
大津:連日ファンの支持を集めてのレースになっていましたが、その辺りはいかがでしたか?
松浦:正直今回に関しては、そこまで気にする余裕はありませんでした。
人気になっているけど期待に応えられるのかなっていう思いのほうが強かったです。
大津:それは意外でした。
松浦:前検日と初日は凄く感覚が良くて、今回はいけるなって思っていたのですが、一走目を走った時に、調子は悪くないんだけどなんか違うなって感じが自分の中であって。
二走目三走目と走るにつれて、後ろから抜かれてるってのは最後の脚が足りていないということなので絶好調ではないなと感じていました。
ただ、そういうのをしっかりと把握できたからこそ優勝できたような気もします。
大津:決勝戦は清水裕友選手(山口・105期)との連携でレースは前受けからの組み立てになりました。
松浦:最悪な形は避けられたのは良かったです。関東勢が前受けで僕たちが後ろ攻めっていうのが考えうる最悪の展開だったので、平原さん(平原康多選手・埼玉87期)がいれてくれたので少しホッとしました。
大津:勝負所で先ず郡司浩平選手(神奈川・99期)が関東勢にフタをする形になりました。
松浦:なかなか前に来ないと思ってビジョンを確認したら併走をしていたので、どうなるのかなっていう感じて見ていて2コーナーまでに来なかったので、これは裕友が駆けるなって思いました。
大津:最終ホーム辺りでは郡司選手が松浦選手の後ろまで追い上げてきましたね。
松浦:音が聞こえてけっこうなスピードで郡司君が内側に来ているのが分かったので、内側からすくわれないないように内を締めて確認をしたら、郡司君が整っている感覚だったのでヤバいなって感じました。
大津:そこから郡司選手の動きをどのように見ていましたか?
松浦:郡司君のフォームを見ていると、仕掛けられるよという態勢が出来ていたので
2コーナーくらいで来てくれたら止められるんだけどなって思っていたのですが来てくれなくて、こで来なければ2センターから4コーナー勝負だなという感覚でしたね。
大津:そこから最後は歴史的大接戦の勝負になりましたね。
松浦:3コーナーくらいからは後ろを見ずに郡司君の音が聞こえたら自分も踏み込もう思っていました。
この辺りは上手く感覚でいけたのですが、今開催の自分の調子と郡司君の調子を比較したら真っ直ぐ走っていては厳しいと感じていたので少し牽制を入れました。
すると今度は内から慎太郎さん(佐藤慎太郎選手・福島78期)が物凄いスピードで入ってきたのが見えたので、このままでは慎太郎さんに行かれてしまうと上手く肘を引っかけました。
ただ、内を気にし過ぎた分、郡司君に行かれてしまったのではないかと思いました。
大津:今回のダービーは間違いなく語り継がれていくレースになりましたよね。
松浦:そうですね。微差、微差での決着でしたので。
大津:ファンからすると微差というのは、どれくらいの差なんだと思われている方もいると思いますが、何センチっていう差だったんですか。
松浦:タイヤの幅が二センチくらいなので、恐らく一センチもないと思います。
大津:優勝と二着では全く異なりますもんね。
松浦:そうですよね、タイトルもそうですし、賞金面もそうですし全然違ってきますよね。
大津:松浦選手が初めて出場したGIが2016年3月に名古屋で行われた日本選手権競輪でした。あれから5年で自身がダービー王に輝くというのは想像出来ていましたか?
松浦:初めて出た時は全く想像が出来ていませんでした。
どれくらい戦えるんだろうと思って行って全然ダメだったというのははっきりと覚えていて、そこから徐々に目標を上方修正していってという感じでした。
タイトルを意識するようになったのは裕友が出てきてからって感じですよね。
大津:清水選手がダービーを優勝した松浦選手を見て、初めて人が勝利して嬉しいというコメントを出されてましたね。
松浦:今まで嬉しくなかったのかって思いましたけどね(笑)
でも、確かに初めて獲った競輪祭の時とか裕友は凄く悔しそうにしてて、それはとても印象に残ってます。
大津:清水選手の存在というのは改めていかがですか?
松浦:一緒に練習することもあるんですが、そういう時はけっこうお互いにやり合ってるので、本当に刺激し合える良い存在です。
大津:ダービー終わった直ぐ後に広島競輪場で練習されてましたよね。
松浦:はい、練習には行きました。
大津:全くお休みはしないんですか?
松浦:まぁ少しは休みましたけど、いつもみたいに激しい練習はしませんでした。
少しでも自転車に乗るっていうのは必要なことですし、ダービーを獲って終わりではなくて次は函館記念も控えてましたから。
大津:函館記念を欠場するという選択肢はご自身の中ではなかったのですか?
松浦:施行者の方は僕に走ってほしいと思って呼んでいただいているので、そういう気持ちっていうのは凄く大事にしていたいですし、応援してくださるファンの方も走っている姿を見たいと思うんですよね。
そういう意味では走っていないと見てもらう機会がないじゃないですか。
ファンの方に走っている姿を見せたいという気持ちと、呼んでいただいた以上は関係者の方々の気持ちもあるので、それに応えて結果を出したいという思いが凄く強くあるんです。
大津:今年もここまで数多くの好成績を収められていますが、松浦選手から見て今の松浦悠士は完成形なのか、それともまだまだ発展途上なのか、どのように感じていらっしゃいますか?
松浦:ある程度結果が出ているというのは理想の形ではあるんですが、自分の走りであったり力という面ではまだまだ納得はしていないですね。
これで良いやと思うと、そこで止まってしまうので常に課題をもって日々の練習やレースにのぞんでいます。
大津:5月29日からは地元広島競輪場で全プロ競輪(FII・全日本プロ選手権記念競輪※1)が行われます。
松浦:ダービーや函館記念の時よりも非常に良い感覚がありますし、地元戦なのでとても楽しみです。
負けられないって思いも強いですね。
(※1 5月30日のスーパープロピストレーサー賞を制し、松浦選手が見事優勝されました!)
大津:では、最後にオッズパークの読者の方々へメッセージをお願いします。
松浦:いつも応援ありがとうございます。
自分的には今年良い結果が残せているんですが、これに満足せずにもっともっと良い走りをお見せ出来るように精一杯頑張っていきます。
これからも応援よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大津尚之(おおつなおゆき)
ソフトな見た目と裏腹にパワフルで安定感のある重低音ボイスが魅力。
実況、ナレーション、インタビュー、俳優など活躍の場は多岐にわたる。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
5月の日本選手権競輪で行われた『ガールズケイリンコレクション2021京王閣ステージ』。優勝したのは佐藤水菜選手(神奈川114期)でした。3月松阪に続いてのコレクション出場でしたが、単発レースでは初優勝となりました。
レースの振り返りからゴールした時の気持ち、そして昨年から参加しているナショナルチームのお話も伺うことができました。
山口:『ガールズケイリンコレクション2021京王閣ステージ』優勝おめでとうございます。
佐藤:ありがとうございます!
山口:優勝後の率直なお気持ちはいかがですか?
佐藤:コレクションという大きいレースを優勝できたのは嬉しいですが、レースでは落車のアクシデントがあったので100%喜ぶことはできないのが素直な気持ちです。
山口:レースを見て私が感じたのは「佐藤選手が展開を支配していた」という印象でした。作戦はどう考えていましたか?
佐藤:最近レースで意識をしているのが「レースをコントロールすること」なんです。今回も「レースを支配」することを目標に臨みました。
女王の児玉碧衣選手(福岡108期)は強いので私ももちろん意識をしており、私よりも後ろの位置にいたので児玉選手の動きを注意しながら仕掛けました。
山口:では詳しくレースを振り返ります。佐藤選手は3番手でレースを進めていきました。打鐘あたりから前の二人とは車間をあけていましたよね。それは作戦だったんですか?
佐藤:そうですね。前が詰まっていると気持ちにも余裕がなくなります。「車間をあけても前は捕まえられる」と自分の脚に自信もあったのであけていました。
車間をあけると後ろの選手にもプレッシャーになるんです。そういう意味もあり車間をあけていました。
山口:児玉選手の仕掛けにあわせて捲りにいく、というのも想定していたんですか?
佐藤:はい。後ろの選手がいつ仕掛けてくるかはわからないのでいつでも捲れる準備はしていました。もし来なかったら自分が勝てるタイミングで踏み出そうと思っていたら、ちょうど児玉選手が捲ってきていたのであわせて出ていきました。
山口:児玉選手の捲りは佐藤選手の真横まで来ていましたが、焦りなどはなかったですか?
佐藤:特になかったです。捲る選手にとっては、3車併走の一番外(児玉選手の位置)が一番きついと思うんです。その展開を想像して走っていたので想定内でした。
山口:余裕を持って1着でゴールできましたか?
佐藤:そうですね。でも最終2センターあたりで接触した音が聞こえた時は集中力が途切れてしまったんですが、もうゴール目前だったので必死に踏み込みました。
山口:この優勝で賞金ランキングでも上位にきましたね。
佐藤:今はナショナルチームの活動があり、なかなか去年のようにガールズケイリンのレースに参加することができない分、今回の優勝は大きな積み重ねになります。また今年も、オッズパーク杯ガールズグランプリが少し見えてきたのかなと思います。
山口:3月にもガールズケイリンコレクション松阪ステージを走っていますが、今回はまた違った選手たちが走るコレクションでした。雰囲気の違いはありましたか?
佐藤:初出場の選手もいて展開が読めませんでした。でも逆にそういうレースの方が自然体でいられたので、私は走りやすかったです。
山口:ビッグレースの優勝は昨年の競輪祭での3日制『ガールズグランプリ2020トライアルレース』がありますが、今回は単発レースでの優勝です。何か違いはありますか?
佐藤:単発レースは今まであまり良い思い出はありませんでした。私は普段のレースもそうですが、3日間のレースで最後の決勝へ向けて調子を上げていくタイプだと思います。予選2日間の反省を決勝に向けて改善していく、というイメージですね。なので1日で全部出し切る単発レースは、今まで戦略や調整の部分でもうまくできませんでした。
でもナショナルチームでの活動を通して自分の脚力に自信がつき、3日間の『グランプリトライアルレース』で優勝するという結果が出たことでその自信が深まりました。私の中で、ガールズグランプリに出場が決まった以上の価値のある優勝でした。トップ選手が集まるグランプリトライアルで優勝できた事で「自分の脚力がトップ選手に追いついてきた。同じステージで戦える」と思えました。
それがあったから「今後のコレクションなどの大きなレースも優勝できる」という自信もつきましたし、今回の優勝に繋がっています。でもその優勝もナショナルチームに参加しての脚力アップなので、全てが繋がっていますね。
山口:なるほど!ではここからはナショナルチームのお話を伺います。先日の香港での『UCIトラックネイションズカップ』ですが、佐藤選手も出場されたんですよね?
佐藤:はい、私も走りました。でもハロン(200mの助走付きタイムトライアル)のタイムも目標には届かず、本番特有の緊張感に負けてしまったと感じています。課題や反省点もたくさん見つかりましたが、手応えもありました。
山口:具体的にはどんなことですか?
佐藤:スプリントという1対1で走る種目に出場しました。ゴールに先着した方が勝ちで基本的には2本先取です。でも「1/8決勝」は1本取れば勝ち上がりとなっており、私は国際大会では初めての一発勝負を経験しました。
しかも運が悪いことに、くじ引きで苦手な先行側(インコース)になってしまったんです。私は後ろから攻める方が得意なので先行側は苦手意識があったんですが、落ち着いて冷静に走ったら勝てたんです!「苦手な前からの攻めでも勝てた」という自信になりました。
次の「1/4決勝(準々決勝)」は太田りゆ選手(埼玉112期)との対戦でした。太田選手は全日本トラック選手権でもスプリントを優勝していてとても強い選手なんです。私は今まで1本目は勝てても2本目は取れず、最終的に3本目も取られて敗退というのが多かったんです。今回も1-1で3本目を迎えましたが、「1/8決勝」を苦手な先行で勝てたという自信を持って走った結果、太田選手に勝つ事ができました。
ガールズケイリン選手としても、ナショナルチームの先輩としてもすごく尊敬している太田選手にスプリントで、人生で初めて勝ててすごく嬉しかったですし、自分の成長も感じられました。
その後の「1/2決勝(準決勝)」では小林優香選手(福岡106期)に負け、「3,4位決定戦」では梅川風子選手(東京112期)に1-1で3本目を取られて負け、4位でしたが、大きな収穫、成長を感じられた大会でした。
山口:12月にインタビューをさせていただいた時には「ハロンのタイムが縮まり成長を感じられた」と仰っていましたが、それ以外に戦略面でも成長があるんですね。
佐藤:まだ私は技術的に足りないことも多く、特にスプリントは駆け引きや技術が必要な種目なので、1本走っては勉強、また走って勉強と、日々学ぶことがあり新鮮です。ナショナルチームの他の選手に比べてダッシュ力も足りないし自信もないので、それを日々の練習で成長し少しでも追いついていきたいです。
山口:ナショナルチームの活動も約1年ですが、多忙なスケジュールや体調管理などは慣れましたか?
佐藤:体調管理が実はまだまだ苦手です。自分で良い感触だと思ってもタイムなどの結果が出なかったこともありました。オーバーワーク気味みたいです。自分の限界値が見えていないからやりすぎてしまう。そこは未だ勉強中ですね。それができての一人前だなと思います。
山口:今後国際大会に出場する時には、シビアに自己管理が必要なんですね。
佐藤:はい。今回の香港大会でのPCR検査やスケジュールなどがかなりシビアでした。それを経験した分、今後のガールズケイリンの単発レースもプレッシャーに感じないかもしれない、と思いました。とても貴重な経験だし、それを覚えていって今後ガールズケイリンにも活かしたいです。
山口:そのように、苦しかった経験も次にプラスへ繋げて考えられるのは素晴らしいですね。
佐藤:脚力などはまだまだ自信を持てていないし、それは考え方としてはマイナスだと思うんですが、その分プラスに切り替えていける時はそうするようにしています。
山口:ナショナルチームでの今後の目標は何ですか?
佐藤:次の大会がいつになるのかはまだわからないので、明確な目標はないんです。でもまずはタイムですね。ハロンの世界トップレベルのタイムが10秒1なので、まずは小林優香さんが持っている日本記録の更新を目指して高めていきたいです。
今回の香港大会ではスプリントとケイリンの2種目に出場しどちらも4位でした。3位と4位だと表彰台に上がれる、上がれないの差があり、たった1つですが大きな差です。表彰台に毎回上がれる選手になることを目標に頑張りたいです。
山口:ではガールズケイリンの目標はいかがですか?
佐藤:次走は6月10日からの松山G3の4日制に参加します。初めての4日制で、挑戦の気持ちも込めて完全優勝を目標にしました。それが達成できたら一番良いんですが、しっかりと4日間自分の力を出して戦いたいです。
山口:メンバーも強力ですね。女王・児玉碧衣選手、同期では柳原真緒選手(福井114期)もいますね。
佐藤:京王閣のコレクションで児玉選手に勝ったことがマグレと言われないように、皆さんにも認められるような走りができるように頑張りたいです。
山口:でも先ほどのお話では、単発レースより3日間かけて調子を上げる方が得意とありました。期間が長い方が佐藤選手にとっては良いのでは?
佐藤:4日制が初めてなので、3日間の調整と同じで良いのかがわからず今は心配もしています。でも条件は参加選手みんなが一緒ですし、私だけが弱音をはいていられません。これからもガールズケイリンのビッグレースや国際大会に参加するのであれば、キツイ状況は出てくると思うのでそれに備えて、しっかりと調整し良い結果を残したいです。
山口:年末へ向けての思いはいかがですか?
佐藤:ナショナルチームのスケジュールでガールズケイリンのレースへの参加が減り、昨年のように賞金の積み立てができません。なのでコレクションの優勝賞金は大きい積み立てですが、まだ明確にはガールズグランプリは見えていないですね。
今斡旋が入っている目の前のレースで勝つしか賞金ランキングを上げる方法がありません。失敗がないようにというプレッシャーもありますが、今は、6月の松山と青森を大切に走りたいです。
山口:ありがとうございます。それでは最後にオッズパーク会員の方へメッセージをお願いします。
佐藤:いつも応援してくださってありがとうございます。日本でレースを走る姿をお見せする機会は少なくなってしまいましたが、走るたびに強くなっている私を見せられるように、これからも練習を一生懸命頑張ります。これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
昨年7月の落車から長期欠場していた三谷将太選手(奈良・92期)。今年1月に復帰してから、初めての白星が地元・奈良競輪場の記念開催、秋篠賞(GIII)の決勝戦。怪我を乗り越え、自身初めてのGIII制覇を成し遂げました。今の目標はGIの舞台で活躍すること。その為に、日々トレーニングに励む三谷選手に、地元記念の振り返りを中心にお話を伺いました。
星野:地元記念優勝おめでとうございます。
三谷:ありがとうございます。
星野:直後は「最高に嬉しい」とおっしゃっていましたが、少し時間が経って今の心境はいかがですか?
三谷:開催を迎えるにあたって調子は万全でなかったんです。でも、今回は日本選手権競輪(通称:競輪ダービー・GI)に出場する選手が不在の開催でしたし、絶対に優勝するつもりで走っていました。それだけに、本当に嬉しくて奇跡が起こったって感じでしたね。今もその気持ちは変わりませんが、次のレースもあるので、そこはしっかり気持ちを引き締めて取り組んでいます。
星野:今回の記念はお兄さんの三谷政史選手(奈良・93期)と同時斡旋でしたね。
三谷:弟の竜生(三谷竜生選手・奈良101期)はダービーに出場が決まっていたので、兄と2人での参加でした。やっぱり、兄弟で地元記念を走る事は特別な思いがありますね。その開催メンバーに選んでもらえないと走れませんから。その分、兄弟でしっかり結果を出して盛り上げて行きたいと思って臨みました。残念ながら兄は初日にアクシデントがあって途中欠場になってしまいましたが、その分、僕は初日からプレッシャーというか、気合いが入りました。竜生も斡旋こそ一緒じゃなかったですが、しっかり見ていたんだと思います。僕が優勝した直後のダービーで復活か?!ってくらい良い走りをしていましたから。
星野:竜生選手も、将太選手が怪我で苦しい思いをしているのを見ていたから、それが分かるだけに、決勝戦の走りに強い感動を覚えたと話されていました。やっぱり、競輪は気持ちが大切だなって。
三谷:そうですね。その通り、決勝戦は気持ちで走りましたし、やはり地元記念は地元の選手として、兄弟で盛り上げたいって気持ちを竜生も感じていたんだと思います。
星野:では、その秋篠賞(GIII)をふりかえっていただきたいのですが、初日から前を任せた自力選手はしっかり風を切るレースをしていました。
三谷:近畿の大会なので、近畿が頑張らないという気持ちがみんなにあったと思います。奈良は1周333メートルの短走路バンクだし、みんな早めに仕掛けていかないと厳しくなる。それに、後ろにマークしている僕が地元の選手って事もあったんでしょう。その気持ちは走ってる時も伝わって来て嬉しかったです。
星野:そして、決勝戦はシリーズ3回目の中西大選手(和歌山107期)との連携でした。
三谷:中西は決勝戦までの三日間、全て1着で、僕も連携していて強いなって印象でした。その中西を先頭に僕、そして後ろには佳史さん(鷲田佳史選手・福井88期)が固めてくれて、気合いが入りました。レースは佳史さんが言っていた通りの展開になり、中西も石原(石原颯選手・香川117期)が突っ張った所は対応出来ていたと思います。ただその後、中西が仕掛けた時に自転車の進みが悪くて、僕が突っかかってしまい、中西を元の位置に入れることが出来ませんでした。
星野:中西選手が厳しくなって、三谷選手は切り替えて自ら仕掛けていきました。
三谷:一車でも前に行こうとの気持ちで踏みました。
星野:この決勝戦は、もちろんラインの力もあると思いますが、三谷選手の自らの力で勝ち取った印象でした。
三谷:最後は地元の意地でしたね。自分の力かと言われればそうなのかもしれませんが、ラインに助けられて決勝戦まで勝ち上がり、その決勝戦もあの位置まで連れて行ってくれたのは中西ですし、佳史さんが着いてると思ったから、最後まで諦めずに行けました。そう考えるとやっぱりラインのおかげなんですよね。どんなに強い選手でも、1人では勝てませんから。
星野:昨年は鎖骨を骨折されて、長期間の欠場もあり、それを乗り越えての優勝でした。その辺りを振り返っていかがですか?
三谷:苦しかったですね。7年位前に骨折した鎖骨がくっついたり離れたりを繰り返していたので、骨盤の骨を鎖骨に移植する手術を思いきってしたんです。でも、手術をしても確実に良くなる保証もなかったですし、逆に今より悪くなる可能性もある。でも、今の現状ではGIで活躍する事は難しいですし、ずっとどうしようか悩んでいて、泣き言も言っていたんです。じゃあ、嫁がそれを言い訳にして前に進む事が出来ないなら、言い訳をなくせばいいんじゃない?って背中を押してくれました。それで、ずっと悩んでいた手術を受ける事にしたんです。術後は1ヶ月間、寝たきりの生活で、そこから、歩く練習を始めて、、、といった感じでした。
星野:優勝して、奥様も喜んでたんじゃないですか?
三谷:おめでとうって言ってくれたんですが、GIで活躍できるように手術したんだから、ここからだね!とも。頼もしいなと思いました。
星野:実際に、この優勝で競輪祭(GI)の切符も手にしましたね。
三谷:そうですね。今はそこに向けてじっくりと取り組んでいます。怪我の影響でずっとウエイトトレーニングが出来なかったんですが、手術して先生からOKをもらったので、滋賀の黒川茂高さん(2020年引退)が、パーソナルトレーニングジムをしているので、そこで見てもらっています。先日のダービーを見ていても、今の自分の力ではGIで闘えないのは分かっているしウエイトも取り入れたので、しっかりと仕上げて行きたいですね。
星野:競輪祭(GI)は毎年、小倉競輪場で開催されますが、バンクとの相性はいかがですか?
三谷:競輪祭(GI)は2度、準決勝に勝ち進んでいますし、相性はいいと思います。小倉競輪場はドームなので、無風なんですけど、流れる所がないから、先行している選手からすると全部向かい風になるんですよね。だから、マーク選手にもワンチャンスがあるバンクだと僕は思っています。なので、期待はできますね。それに、復帰してからこんなに早く結果が出ると思ってなかったので、じっくりやっていけば、闘える体になるかなと思っています。
星野:競輪祭も楽しみにしています。では、最後にオッズパークの会員の皆さんへメッセージをお願いします。
三谷:GIでしっかり走れるように、そして、来年の競輪ダービーに出場できるように、1年間気持ちを込めて走りきろうと思います。これからも、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 星野めぐみ(ほしのめぐみ)
大阪府出身。タレント、アナウンサー、競輪キャスターとして活躍中。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
4月に西武園記念で行われた『第3回ガールズフレッシュクイーン』。今回は116回生、118回生のうち選考期間(昨年7月~12月の6か月間)の平均競走得点上位者7名が選出されました。見事優勝したのは岐阜118期・増田夕華選手。
初優勝を経験してから臨んだガールズフレッシュクイーンの振り返りと、今後の目標、そしてデビューから約1年を振り返っていただきました。
山口:ガールズフレッシュクイーン、優勝おめでとうございます。
増田:ありがとうございます。
山口:初めての単発レースでしたが、どんな気持ちで入りましたか?
増田:優勝できる、という自信はありませんでした。でも自力を出して頑張りたいなと思っていました。
山口:フレッシュクイーンの出場が決まった時はいかがでしたか?狙っていました?
増田:いえ、選考期間も知りませんでした。調子が良くなってきた時期がたまたま選考期間だったんです。運良く選考に引っかかった感じでした。
山口:118期の同期もたくさんいましたね。
増田:はい、同期の強い選手たちはこれまでにも自力を発揮して優勝を積み重ねていました。成績を比べると焦りはありました。
山口:レースを振り返ります。初手の位置が決まった時は尾方真生選手(福岡118期)の後ろでしたね。
増田:狙っていた訳ではなく、たまたま尾方さんがあがってきてくれたので「これはチャンスかもしれない」と思い、私の前に入れる形になりました。自分でもまさかあんなに良い位置が取れたのはびっくりしました。
動くタイプの高木佑真さん(神奈川116期)と下条未悠さん(富山118期)が自分より前にいたので、自力でその位置から仕掛けるのは厳しいなと思い、尾方さんにまずは追走しようと組み立てを考えました。
山口:「尾方選手がどこかでは動く、仕掛けは遅くならないだろう」という推測はありましたか?
増田:はい。尾方さんは1周先行しても逃げ切れるくらいの強い選手なので「もしかしたら早く仕掛けるんじゃないか、少なくとも一度は動くかな」と思っていました。
山口:残り1周を目掛けて尾方選手が踏み込んでいきました。そのダッシュに追走していかがでしたか?
増田:バンクのカント(坂)の上から下りを使って一気に仕掛けていったので、集中して必死についてきました。
山口:2番手を単独で確保した時はどうでしたか?
増田:1センターあたりで高木さんと踏み合いになりましたが、それを乗り切ったのであとは尾方さんとの直線勝負だなと思って走っていました。
山口:最後の追い込み、踏み込んでいった時はいかがでした?
増田:西武園は直線が短いので、早めに追い込みました。尾方さんは踏みなおしも凄いので「合わされるかもしれない」と思いましたが意外とスッと出ていけたので良かったです。
山口:確信を持ってゴールできましたか?
増田:そうですね。
山口:優勝して、周りの方の反応はいかがですか?
増田:師匠(80期・吉村和之選手)も同県の先輩も「まさか優勝するとは」と驚いていました。西武園記念に一緒に参加していた山田諒選手(113期)には「尾方さんの真後ろに入った絶好の展開でも、差せずにマークの2着だろう」と思っていたと言われました(笑)。なので、私が差してびっくりだったみたいです。
でも、その後山田さんにも他のたくさんの方にも「おめでとう」と言っていただきました。
山口:思い返すと、3月名古屋での初優勝の時も同じ展開でした。優勝を経験したからこそ、フレッシュクイーンでも冷静に走れたという実感はありますか?
増田:はい。優勝できてからレースを落ち着いて走れるようになったと思います。デビューしてからしばらくは、無理やり先行をしに行って全力を出し切るだけで着に残れないことも多かったですが、考えて踏んだり休んだりというコントロールができるようになったと思います。
山口:デビューからまもなく1年ですが、振り返っていかがでしょう。
増田:私たちはルーキーシリーズでデビューしました。同期だけでのレースでは1着が取れましたが、7月から先輩期と一緒にレースが始まるとなかなか1着はとれませんでした。同期たちとのレースとは展開が全く違うことに戸惑いも多かったです。
あと、もともとすごく緊張をしてしまうタイプなんです。なので、ガチガチになって思うようにレースができない時期も長かったですが、今はようやく周りも見て走れていると思います。
山口:ずばり、どんな1年でしたか?
増田:充実していました。たくさん走らせてもらえたし、学ぶことも多かったです。
山口:増田選手は高校時代から自転車競技で結果を出していましたよね。
増田:高校から自転車を始めたんですが、学生時代はいろんな大会で走らせてもらいました。他の同期や同級生と比べると自転車経験はあった方だと思います。
山口:自転車を始めて、すぐにガールズケイリンを目指したんですか?
増田:選手になりたくて自転車部のある高校を選びました。
山口:そうでしたか!目指したきっかけは何ですか?
増田:祖父が競輪が好きで、小さい頃から毎週のように競輪場に連れて行ってもらっていました。ある時に加瀬加奈子さん(新潟102期)のレースを見て「加瀬さんのように走りたい!」と憧れ選手になりたいと思いました。
高校をちょうど決めるタイミングだったのでそこから自転車部のある高校へ進学しました。
山口:中学3年で決断してから、一直線にプロになったんですね、凄いです!
先ほど少しデビュー後を振り返っていただきましたが、優勝は意識していましたか?
増田:全くしていませんでした。「決勝で3着以内に入れるように」が目標だったので全く意識はなかったです。
山口:そうでしたか。では先行一本の戦法から「勝てる展開の時には勝つようなレース」へ意識が変わったのはいつ頃でしょう?
増田:優勝した開催の予選2つがきっかけですね。いつもは先行するのですが、苦手な捲りをしてみようと思っていました。苦手な捲りで連勝できた時に「あの位置からの仕掛けなら押し切れるんだ」とわかりました。そこからは少しは考えて走れるようになりました。
山口:戦法の幅が広がったんですね。
増田:そうですね。
山口:今後の目標は何ですか?
増田:今回のフレッシュクイーンは展開が向いて直線での追い込み勝負でした。トップ選手が集まるようなレースでもっと走りたいし、そのレースで自力を出して3着以内に入れるように頑張りたいです。
山口:フレッシュクイーンの優勝で、7月ガールズケイリンフェスティバル出場の権利を獲得したんですよね。
増田:はい。トップ選手たちばかりのビッグレースは初めてですが、気持ちで負けないように頑張ります。
山口:今、強化していきたいところはどこですか?
増田:先行した時には粘れるようにはなってきましたが、トップスピードがまだまだなのでそこを強化したいです。
今回のフレッシュクイーンでも、尾方さんのダッシュに少し離れてしまった時に痛感しました。自力のダッシュで、他の選手を引き離せるくらいのスピードをつけたいです。
山口:今の練習環境はどんな感じですか?
増田:ホームバンクの大垣が工事中でなかなか使えないので、岐阜競輪場で練習をしています。師匠をはじめ、いつも一緒に練習をしてくださっている選手たちとしています。
山口:一番大きな目標は何ですか?
増田:最終的な目標は、やっぱりオッズパーク杯ガールズグランプリで走ることです。
山口:デビューした時はコロナ禍で無観客でのレースも多かったと思いますが、お客様が入ってのレースはいかがですか?
増田:本場にお客様がいる時はご声援もたくさんいただけて嬉しいです。地元戦でもたくさん名前を呼んでもらえました。そんな中で走らせてもらえてとても嬉しいですし、それが力になっています。
山口:オッズは見ますか?
増田:緊張するので、あまり見ないようにしています・・・。
山口:そうなんですね、それも慣れかもしれませんね。では最後にオッズパーク会員の方へメッセージをお願いします。
増田:これからもっと自力で勝てるように頑張りますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
今年4月に四日市競輪場で行われたベイサイドナイトドリーム(GIII)で、8回目の記念競輪を制した諸橋愛選手(新潟79期)。この優勝に満足することなく目指すは年末の頂上決戦・競輪グランプリ(GP)。その為、ストイックに打ち込む諸橋選手に、四日市競輪の振り返りを中心に今の心境を伺いました。
星野:四日市記念競輪、優勝おめでとうございます。
諸橋:ありがとうございます。
星野:優勝していかがでしたか?
諸橋:嬉しいのは嬉しいんですけど、自分の目標はここに置いてなかったので、これで終わりじゃないっていう気持ちの方が強かったですね。今年もまだ始まったばかりですし、この後のGI、GIIの開催でしっかり走って年末のグランプリに繋げていきたいと思っています。
星野:では、その四日市記念を振り返っていただきたいのですが、今回も平原康多選手(埼玉87期)との連携が多かったですね。
諸橋:ホント康多にはお世話になっていて、今回も康多さまさまでしたね。初日と準決勝、決勝戦と3回連携したんですが、準決勝で連携した時は中団位置から捲った康多をゴール前で捉えられる感じはしなかったんです。それくらい康多も仕上がっていました。
星野:決勝戦では、その平原選手を捉えましたが、いかがでしたか?
諸橋:スタートは自分たち関東ラインが前で受けて、中団に松浦(松浦悠士選手・広島98期)が先頭の中四国ライン、後方は深谷(深谷知広選手・静岡96期)が先頭の東日本ラインの3分戦で、レース前に、松浦のラインだけは出させたくないねと話をしていました。その通り、残り2周回の1センターで、深谷が仕掛けてきて、康多がうまく3番手に入り、松浦は6番手の位置になりました。後はその絶好の位置から康多が捲れるかどうかでした。全日本選抜競輪の時は同じような展開で深谷を捲れなかったんですが、今回は違いましたね。しっかり仕掛けてくれました。ただ、深谷の抵抗もあって、捲りきるまで康多も脚を使っていたんだと思います。その分、直線で自分が伸びたって感じですね。ただ、僕も後方から仕掛けてきた松浦と絡んで脚力を消耗していたので、抜いたという確信はありませんでした。でも、どちらが優勝でも良いなと思って結果が出るまで待っていました。
星野:スピード競輪と言われている中、自力型の選手の活躍も目立ちますが、諸橋選手は追い込み型の選手として、どのように対応されているんですか?
諸橋:今までやってきた練習のベースはあるので、それを元に思い付いたことを取り入れて、試行錯誤しながらやっています。スピードに対してもですが、ルールも変わってくるので、そこへの対応の大変さはありますね。でも、今は結果も出ていますし、うまく対応出来ているのかなと思います。それに、新潟は冬場、雪が積もるので外での練習が出来ないんですが、今年は、室内練習の内容がうまくいきました。これも、今回の成績に現れていると思っています。
星野:実際、今年の冬はどんな練習メニューで取り組まれたんですか?
諸橋:それは企業秘密です(笑)
星野:そうなんですね(笑)諸橋選手の強さの秘密が知りたかったです。
諸橋:1つ言えることは、負けず嫌いなんですよね。負けるのが嫌なので、練習をするしかないんです。
星野:どれくらい練習されているんですか?
諸橋:週7日ですね!
星野:お休みは取られないんですか?
諸橋:年に2、3日は取りますけど、それ以外は怪我とかを除いて、基本的に取らないんです。オフなしに練習をするのは苦しさもあるんですが、その苦しさより負ける悔しさの方が勝るんですよ。この位の年齢になると、周りに支えてくれる人がいて、その人達が応援してくれてるから頑張れる訳で、自分が休みたいって気持ちだけでオフは取れないと思っています。レースでも、オッズを見て自分が単騎戦だった時とか、2、3着で買ってくれている人がいるんです。何がなんでも、その期待に応えたいじゃないですか。
星野:そうなんですね。他にもたくさんあるでしょうけど、諸橋選手の強さの秘訣が少し分かった気がします。そして、食事面も気をつけてらっしゃると伺っていますが、奥様もかなりの料理上手だとか。
諸橋:若い頃と回復力が違って来ますので、食事面はコンディション作りの半分以上を占めていると思います。僕は料理が出来ないので、妻に任せっきりですが、毎日同じメニューだと飽きてくるので、こんなのが食べたいなとオーダーするんです。妻は、栄養面も考えて作らないといけないので、何を作ればいいの?!と言っていますが、ヘルシー志向の料理教室に通って、色々と工夫して作ってくれています。本当に感謝の一言ですね。
星野:奥様のサポートが諸橋選手の1番の強さの秘訣かもしれませんね!さて、来月には日本選手権競輪(GI)がやってきます。そこに向けてはいかがですか?
諸橋:とりあえず、1つ前のレースが終わってから3週間ほどあるので、練習メニューは組んでいます。そのスケジュール通りに行けば戦える位置にいるかなと思っています。それに、最近怪我が少ないのも状態を維持出来ている証拠なんです。どうしても状態が悪いと接触した時に普通なら持ちこたえられる所を転んでしまったりしますから。多いときには6ヶ月で9回も落車しました。最近はそういう事がないので、良い状態をキープ出来ているんだと思います。
星野:となると、今後も楽しみですが、今の諸橋選手の目標はいかがですか?
諸橋:近いところでは、7月に地元の弥彦競輪で行われる寛仁親王牌(GI)で活躍したいですね。その為に、すでに3、4ヶ月スパンでプランを考えています。大きいところの目標は、やはり年末の競輪グランプリに出場すること。前回出場した時は、落車して最大に悔しい思いをしました。たくさんのお客さんが車券を買ってくれていたと思うと、、、それに応えられなかったことが残念です。それに、コースも優勝できるコース取りが出来ていたんです。なので、次に出場するときは、ゴールまで走りたい、その為にがんばろうと。そして、応援してくれる人がいる限り、その気持ちにも応え続けたいです。そう思うとやっぱり1日1日を無駄に過ごす事は出来ないんですよね。
星野:だからこそ、ストイックに打ち込めるんですね。では、最後にオッズパークの会員の皆様にメッセージをお願いします。
諸橋:皆さんの応援に応える事は、車券に貢献する事だと思っています。穴配当にも貢献出来るように走りますので、僕のあきらめない気持ちをレースで見て下さい。応援してくださる人がいる限り、がんばっていきますので、これからも応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 星野めぐみ(ほしのめぐみ)
大阪府出身。タレント、アナウンサー、競輪キャスターとして活躍中。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社