福永洋一記念の1着賞金が、昨年の1000万円からさらにアップされ1200万円になった。ダートグレードの黒船賞を別にすれば、高知競馬では高知県知事賞が昨年1600万円(今年は未発表)で最高賞金。高知優駿も昨年の1000万円から今年は1600万円となるようだ。福永洋一記念は、高知の地方重賞ではそれらに続く3番目の賞金と思われる。第1〜3回の1着賞金が50万円だったことを考えると感慨深い。
おそらく断然人気になるのだろうが、中央3勝クラスから転入して圧倒的な強さで3連勝中のララメダイユドールが強い。しかもその3連勝が、1400、1600m、1900mと、距離もオールマイティにこなしている。同じく中央から転入して4戦目となるリワードアンヴァルとのハナ争いがどうかだが、これまではスピードの違いで逃げていただけで、控える競馬も問題ないはず、実際中央時代は一度も逃げたことがない。3コーナーからスタートする1600メートル戦の枠順の内外もあり、ここはリワードアンヴァルを先に行かせて2番手からでも能力の違いを見せるだろう。
その強敵相手に10歳馬ダノングッドがどんなレースを見せるか。遠征を重ね、昨年秋以降だけで重賞4勝(通算6勝)。黒船賞JpnIIIでも4コーナーから直線で内を突いて3着に食い込んだのは、多田羅誠也騎手の見事な判断だった。前走東海桜花賞はまさかの6着だったが、スタートで出遅れて後方からとなり、4コーナーでは大外を回らされるロスがあった。前に行くであろうララメダイユドールに対して、どんなレースをするのかも注目だ。
展開がハマれば穴として狙ってみたいのがエイシンピストン。2番手、3番手の有力馬がララメダイユドールに真っ向勝負を挑んで討ち死にとなれば、速い流れに乗らず脚を溜め、直線勝負のこの馬が台頭するシーンもありそう。
ララメダイユドールと同じ打越勇児厩舎のアメージングランは、中央2勝クラスから転入して8戦7勝。転入後5連勝の鞍上だった吉原寛人騎手が呼ばれた。御厨人窟賞ではブラックランナーを負かしに行って失速、4着に敗れた。同厩舎のララメダイユドールに対してどんな作戦に出るのか注目だ。
中央オープンから2年近いブランクがあって復帰したのがリワードアンヴァル。今回は1番枠ゆえおそらくハナを主張することになるのだろうが、どこまで食い下がれるか。
前走逃げてアメージングランに1馬身半差で2着だったダノンジャスティスも連下争いなら。
◎8ララメダイユドール
○3ダノングッド
▲11エイシンピストン
△10アメージングラン
△1リワードアンヴァル
△6ダノンジャスティス
福永洋一記念の出走表はこちら
6頭立ての少頭数は残念だが、新・名古屋競馬場では初めて使用される最長距離の2100メートル戦。
ウインユニファイドは転入初戦の梅見月杯こそ差のある4着だったが、その後1400メートルのA1特別で勝利を挙げ、マーチカップは早めから先頭で直線を向くと、直後でマークしていたナムラマホーホにクビ差とらえられ、まことに惜しい2着だった。続く前走オグリキャップ記念では船橋のトーセンブルとの一騎打ちで最後は3馬身突き放された。今回、重賞実績馬はほかに3歳時のブンブンマルだけと相手がかなり軽くなった。昨年9月が厩舎初出走だった沖田明子調教師には重賞初制覇のチャンス。
相手筆頭はクインザヒーロー。船橋から転入してここまで6戦。重賞2戦は掲示板外だったが、それ以外の特別戦は4戦して1勝、2着2回、3着1回。前述のとおり重賞実績馬が少ない組み合わせなら勝ち負けまで狙えそう。
昨年3歳時にはトミケンシャイリと重賞タイトルを分け合ったブンブンマル。A4特別を連勝し、古馬重賞初挑戦でどこまで食い下がれるか。2走前に2000メートル戦を勝っているので距離は問題なさそう。
エッシャーは高知から転入して3戦、A級特別で入着まで。引き続き鞍上は宮下瞳騎手で、重賞ゆえ女性騎手の減量が適用されない条件でどこまでやれるか。
◎1ウインユニファイド
○2クインザヒーロー
▲6ブンブンマル
△4エッシャー
湾岸スターカップの出走表はこちら
佐賀9戦全勝だが骨折休養明けというタケノサイコウか、佐賀皐月賞を制したザビッグレディーか。中心はどちらか迷うところ。両馬の主戦である飛田愛斗騎手は自身のツイッターで、「自分が2人いてほしかった」と綴っている。
タケノサイコウは果たして3カ月の休養明けで万全の仕上がりにあるのかどうかという不安がある。
一方のザビッグレディーは2歳時にタケノサイコウと3度対戦していずれも負けているが、タケノサイコウが休んでいる間の成長と、何より順調に使われていることから、当時のザビッグレディーとは違うと見て中心とした。
オリベは佐賀皐月賞は5着だったが、続く前走の鯱の門特別では山口勲騎手が手綱をとり、3コーナーから馬群を縫うように進出すると、逃げ粘るサフランブライトをゴール前でハナ差とらえての勝利。行き脚がつかず後方からというタイプだけにペースや展開次第という面もあるが、◎○をまとめて負かす可能性もありそう。佐賀皐月賞のときは当日行われていたジョッキーズチャンピオンシップに出場した岡部誠騎手が手綱をとったが、今回も再び岡部誠騎手が呼ばれたのは期待の現れだろうか。
佐賀皐月賞でザビッグレディーをクビ差まで追い詰めたシウラグランデは佐賀での5戦がオール連対。2月の竜門峡特選(1750メートル)でザビッグレディーにアタマ差まで迫ったイカニカンも中距離での実績があり見限れない。
◎7ザビッグレディー
○4タケノサイコウ
▲3オリベ
△8シウラグランデ
△1イカニカン
九州ダービー栄城賞の出走表はこちら
あやめ賞で見事に差し切りを決めたマルルットゥは、続く前走留守杯日高賞は4着だったが、これは勝ったグラーツィアが強すぎた。ここ2戦での充実ぶりがうかがえ、牡馬相手でも通用すると見る。
サンエイブレーヴは、スプリングカップではマルルットゥ(5着)に先着する4着で、そのとき先着された3頭の牡馬は今回不在。続くダイヤモンドカップも4着だったが、不良馬場とはいえ1分41秒3という好タイム。留守杯日高賞組の牝馬が中1週と間隔が詰まっているのに対して、ダイヤモンドカップからは中3週というゆったりしたローテーション。相手が楽になったここならチャンスは大きい。
フジクラウンは3歳B1戦を勝って臨んだ前走3歳A級戦は、直線先頭に立ったセイシーキングに3/4馬身及ばずの2着だったが、見せ場をつくった。その時の走破タイム1分44秒9は、同じく良馬場だった留守杯日高賞4着のマルルットゥの走破タイムを、コンマ1秒ではあるが上回った。世代のトップクラスが抜けたメンバーなら重賞初挑戦でも通用する可能性はある。
コイビトサンタは2連勝で臨んだダイヤモンドカップは一気の相手強化で差のある6着だったが、そこで揉まれての上昇に期待。
あやめ賞3着、留守杯日高賞5着だったアテナは、ともにマルルットゥの差はわずか。能力差はそれほどない。
◎3マルルットゥ
○9サンエイブレーヴ
▲6フジクラウン
△1コイビトサンタ
△7アテナ
イーハトーブマイルの出走表はこちら
岩手競馬の小西重征調教師が、5月22日の水沢第7レースで勝利。地方競馬通算1915勝とし、岩手所属調教師の通算勝利数記録を更新した。
岩手競馬では昭和40年代まで繋駕(けいが)速歩競走が行われており、それも含めた勝利数で故・阿部時男調教師の1914勝が岩手所属調教師では最多となっていたが、小西調教師は平地競馬のみでその記録を更新した。
小西調教師は1979年4月の初出走から今年で44年目の79歳。一昨年が43勝、昨年が39勝という成績なので、このペースであれば来年、もしくは再来年には通算2000勝となるだろうか。
小西重征調教師といえば、思い出されるのがトウケイニセイだ。
デビューから18連勝、通算43戦39勝。シアンモア記念、みちのく大賞典、南部杯、北上川大賞典、桐花賞という当時の岩手の主要古馬重賞をすべて制したほか、東北3県交流の東北サラブレッド大賞典も制した。
トウケイニセイは1989年9月の2歳時(馬齢はすべて現在の表記)にデビュー戦を勝利。しかし2戦目となったのは1年7カ月も後の4歳4月。屈腱炎を克服しての復活だったが、その不安は引退までつきまとった。
小西調教師は、この度の記録更新の際に、「自分の厩舎は馬を大事に使う馬主さんが多くて、できる限りレースを・・・という馬が多い。」とコメントしているが、1年7カ月もの休養ののちに岩手の頂点に上り詰めたトウケイニセイがその象徴といえるだろう。
ぼくが初めてトウケイニセイを生で見たのは、1994年の7歳時、12月5日に水沢で行われたフレンドリーカップだったと記憶する。『交流元年』と言われ中央・地方の交流が広まったのは翌95年のこと。当時交流レースはごく限られており、フレンドリーカップはこの年初めて行われた、岩手オープンと中央900万下(現・2勝クラス)の交流戦だった。出走10頭で岩手6頭、中央4頭。トウケイニセイが勝ち、上位6着までを地元岩手が独占した。
翌95年にも行われたフレンドリーカップは、前年の結果から中央馬は準オープンにクラスを上げられた。それでもトウケイニセイが勝って岩手勢が3着まで独占。当時中央のダート馬はたしかに層が厚くはなかったが、それにしても当時の岩手オープン馬は中央のオープンとも互角に戦えるほどレベルが高いものだった。
出世が遅れたトウケイニセイが重賞戦線を使われるようになったのは93年の6歳時から。以降、生涯のライバルとなったのが2歳下のモリユウプリンスで、2頭によるワンツー決着はじつに10回。モリユウプリンスがトウケイニセイに先着したのはわずかに2回あったのだが、それが94、95年、旧・盛岡競馬場でのみちのく大賞典。モリユウプリンスは、トウケイニセイ不在の北上川大賞典(旧・盛岡2500m)でも95、96年に連覇を果たしており、起伏の激しい旧盛岡競馬場の長距離戦で強さを発揮した。
巡り巡っていま僕の手元にあるゼッケン。トウケイニセイは94年桐花賞を勝ったときのもの、モリユウプリンスは95年みちのく大賞典を勝ったときのもの
トウケイニセイが全国から注目を集めたのは、マイルチャンピオンシップ南部杯が初めて中央との交流として行われた95年。フェブラリーステークス(当時GII)や帝王賞などダート重賞5連勝中だった中央のライブリマウントとの対決で戦前から盛り上がりを見せた。
このときは東京近郊からも多くのファンが水沢競馬場に押し寄せ、東北新幹線・水沢江刺駅ではタクシーがまったく足りなくなってしまった。水沢競馬場で開門前に行列ができたのもおそらく初めてのことで、昼前には専門紙が売り切れてしまい、そのあとは専門紙のコピーが配布された。
勝ったのは1番人気に支持されたライブリマウント。2着にも大井のヨシノキングが入り、トウケイニセイは生涯初、そして唯一の3着に敗れた。すでに8歳になっていたトウケイニセイは、その次走、大晦日の桐花賞を勝って引退となるのだが、「(能力が)ピークのときに対戦したかった」という菅原勲騎手の言葉が印象的だった。
種牡馬となったトウケイニセイは、初年度こそ24頭と交配して20頭の産駒が血統登録されたが、8年間の種牡馬生活で残した産駒は35頭。残念ながらこれといった活躍馬は出せなかった。
種牡馬引退後は、生まれ故郷である北海道えりも町で余生を過ごし、その後は岩手県滝沢市の馬っこパーク・いわてに移された。
しかし2012年3月6日、25歳で急死。横隔膜破裂による呼吸不全が直接の死因と診断された。
3月18日には馬っこパーク・いわてで『トウケイニセイを偲ぶ会』が行われた。
そして競走馬としてはめずらしいことなのだが、トウケイニセイは解剖が行われ、右前後肢の骨や蹄などが奥州市の牛の博物館に展示された。また、ホルマリン漬けにされた心臓は馬っこパーク・いわてに保管されている。
偲ぶ会で出席者に配布されたトウケイニセイのたてがみ