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競輪界を代表する男子選手、ガールズケイリン選手にインタビューを実施します。他では聞けない素顔や本音、競輪にまつわるエピソード、今後の抱負などをご紹介します!

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飯塚 朋子選手
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マウンテンバイクのトップ選手として活躍していた102期の飯塚朋子(いいづか ともこ)選手(大阪府)。競輪に転向後は一転して劣等生になったといいますが、そこから努力を重ねて活躍を続けています。ここまでのことを振り返っていただきました。

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赤見:選手を目指したきっかけからお聞きしたいのですが、マウンテンバイク競技をされていたそうですね。

飯塚:友達がやっていて、体を動かすことが好きだったので「やってみる?」って言われて。24歳の時ですね。

赤見:大人になってからだったんですね。

飯塚:そうです、そうです。中高は水泳をしていました。マウンテンバイクと出会った頃は、鍼灸師の免許を持っていたので仕事をしていたんです。鍼灸師の大学を出て、研究室に残って、バイトしながら神経系の研究をしていました。普通の治療院で働くというより、何かを極めたいなと思っていて。でも結局、勉強じゃなかったみたいです(笑)。

赤見:そこからマウンテンバイクにハマっていくわけですね?

飯塚:研究室がけっこう厳しくて、遊びに行く暇があったら論文の1本でも読みなさいという感じだったんです。でもわたしは仕事のための仕事はしたくないなと思ってて。しんどくなってしまいました。仕事をがんばるからこそ、夏はマウンテンバイクをしたり冬はスキーに行ったりしていたんですけど、それがダメって言われると何のための仕事かなって思って、結局研究室は辞めました。

赤見:マウンテンバイクの競技というのは、どんな感じなんですか?

飯塚:ダウンヒルっていう名前のまんまで下る競技なんですけど、冬場スキー場のところが夏場にマウンテンバイクのコースになるところがあって、ゴンドラに自転車を乗せて上まで行って。ゲレンデをスラロームみたいにして下りて来るコースもあれば、ゲレンデの横にある林の中にコースがある場合もあります。

赤見:競輪とは全然違いますね。

飯塚:そうですね。最初は怖かったんですけど、ちょうど同じような時期に女友達も始めて、負けたくなくて。やっているうちに「レース出てみる?」ってことになって、レースに出ると楽しいし負けたくないし。心のどこかでは、スポーツで極めたいっていう気持ちもあったと思うんですけど、年齢も考えるとメジャーなスポーツはムリじゃないですか。マウンテンバイクは下るだけなので、なんとかなるんじゃないかって思いました。トップまで上るなら、これしかないなって。

赤見:そこから、ガールズ1期の102期を受ける経緯というのは?

飯塚:最初ガールズ復活って聞いてもあんまり興味がなかったんですけど、トレーニングでピストレをしようかなって思っていたんです。競輪用の自転車で、バンクで走るトレーニングです。ロードでは乗っていたので。その頃にガールズサマーキャンプに申し込んでみたら選考で落ちて参加できなくて、その辺りから意識し始めました。

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赤見:マウンテンバイク競技では日本を代表する選手として活躍していたわけですが、それを辞めるというのは大きな決断でしたね。

飯塚:マウンテンバイクは夏がシーズンで冬がシーズンオフなんですけど、オフの時にスポンサーを見つけないといけなくて。その頃、日本では上位になれても世界だとなかなか上手くいかなくて、これ以上スキルアップするなら海外を拠点にしないと伸びしろがないなと思っていたんです。それも含めてスポンサーを探したんですけど見つからなくて、年齢が30歳だったこともあって、一区切りつけようかなって。それで、1期生を受けてみたんです。

赤見:競輪学校に入ってみていかがでしたか?

飯塚:マウンテンバイクとは全然違うし、今まで自転車をやってきたというプライドは全部捨てたつもりだったんです。でも、入学した時はみんな同じようなところにいるんですけど、どんどん強くなっていくんですよ。わたしが弱すぎたんですけど。わたし、卒業できないくらいタイムがよくなかったんです。悩んだというよりも、みんなと同じようにやってて全くタイムが伸びないので、これはもうダメなんだと。教官に、「もう辞めます」って言ったんです。

赤見:なんで踏ん張れたんですか?

飯塚:後悔したくなかったんで。本気でやってムリだったら後悔しないと思うんですけど、辞めてしばらくたってから、「あそこで踏ん張ってたら...」て思いそうだなって。だから、やり切ったというところまでやろうと思ったんです。卒業までは、そういうことの繰り返しでしたね。

赤見:よくそこから、デビューして盛り返しましたね。

飯塚:今の状況は、同期が一番びっくりしてるんじゃないですかね。周りに支えられましたし、本当にコツコツという感じで。いろんなトレーニングをしたり、和歌山の西岡正一選手が街道に連れて行ってくれるようになって、その辺りからですね。本当にいろいろな方々にお世話になりました。そこで何か掴んだ気がして。

赤見:それは初勝利くらいのタイミングですか?

飯塚:もう少し前くらいですかね。デビューして2年後くらいです。今まではペダルを踏んでても全然力が入らなかったんですけど、力の入れ方がわかったというか。そこから伸びていった感じですね。

赤見:何度も言って申し訳ないですけど、初勝利まで2年近くかかってますし、本当によくここまで盛り返しましたね!

飯塚:そうですよね(笑)。とりあえず、今辞めたら後悔するっていうのをずっと思ってて、もうちょっとがんばろう、もうちょっとがんばろうと思い続けて今に至ります。

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赤見:今の調子はいかがですか?

飯塚:最近はいまいちですね。周りが強くなった分、点数も落ちていると思うんです。しっかり考えないといけないなと。

赤見:今後の目標は何ですか?

飯塚:優勝したいという気持ちは大きいですけど、まずは調子良かった頃に戻りたいですね。優勝はそこからだと思います。

赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。

飯塚:わたしの卒業できないかもっていうくらいやばかった時代を知っている人って、2期生までなんですよ。だからあんまりわからないかもしれないんですけど、この年(38歳)で、身長も低くて、体重も増えない、スポーツするには何にも恵まれない条件ではあるんですけど、それでも這い上がっていくのを見て、少しでも何か感じていただけたら嬉しいです。

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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA

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2017/09/06

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