赤見:選手を目指したきっかけから伺いたいのですが、お父様(明珍周男元選手)が競輪選手だったことが大きいですか?
明珍:もちろんそれもありますね。小さいころから競輪を知っていたというのは大きかったと思います。高校から自転車競技を始めたんですけど、当初は大学4年でやり切ったら、就職しようと思っていたんですよ。だから就活とかセミナーとかも始めて。でも当時の大学の監督ともいろいろ話して、「自転車が好きで続けていきたいなら、ガールズケイリンはどうだ」って言われたんです。競技をしている時は、競輪はまったく別物というか、わたしは長距離をメインにやっていたので、全然違うところにいくというのはすごく悩んだんですけど、自転車が好きで今までやってきて、今しか挑戦できないなと思ったので、自分がどこまでやれるかっていうのを知りたくて競輪選手を選びました。
赤見:なるほど。高校生の時に自転車競技を始めたというのは、どんなきっかけだったんですか?
明珍:高校は鹿児島に行ったんですけど、中学3年の9月くらいまでは、地元の福島の高校に行こうと思っていたんですよ。小学校からやっていたバスケットをやりたいと思ってて。でも、兄も自転車競技をやってて、国体を親と一緒に見に行ったんですけど、たまたま自分と父が歩いている姿を鹿児島の自転車関係の方が見ていて、「(鹿児島にある)鹿屋体育大学が女子の自転車部が盛んなので、自転車をやりに鹿児島にこないか」って誘ってくれたんです。半分冗談交じりの話だったんですけど、それを聞いた父が、「鹿屋体育大学は国立だし、自転車だったら個人競技で全国でいろんな人と戦うことができる」っていう感じで乗りきになって、それにわたしが乗っかったっていう形です。自転車もいつかやってみたいなって思っていたんですよ。父もそうですし、兄や親せきのお兄ちゃんもやっていたので、自分もいずれはという気持ちがあって。それで、高校から始めることになりました。
赤見:鹿児島は遠いですし、親元を離れて寮生活になりますから、大きな決断でしたね。
明珍:そうですね。それまで鹿児島には行ったことがなくて、自分の母が福岡出身だったので九州には馴染みがあったんですけど。今思うと、よくあの時「行く」って言ったなと思いますね(笑)。
赤見:高校大学と数々の大会で優勝していますけれども、ガールズ復活が決まった時はどんなお気持ちでしたか?
明珍:ガールズ復活の前にエキシビジョンがあったじゃないですか。まだ大学1,2年生だったんですけど、わたしも呼ばれて走ったんですよ。その時はまだガールズが復活するとは思っていなかったので、復活すると聞いた時にはびっくりしました。大学4年生の時に、ガールズ1期生の102期が競輪学校に入っているという状態だったんですけど、正直競輪にそこまで興味がなかったので、自分もやりたいとはすぐには思わなかったです。
赤見:それが、大学卒業のタイミングで競輪学校に進むわけですが、長距離のロードと全然違う競技になるわけで、戸惑いませんでしたか?
明珍:それはありました。思った以上に悩むことが多かったです。それは今もですけど。競輪学校に入って、自転車とは違うスポーツとか違う職業をして来た人たちが入って来て、慣れれば慣れるほどどんどん強くなっていくのを目の当たりにして。自分は自転車に乗っている年数は長いけれども、目の前でポンと強くなる人たちを見ると悔しかったです。先生たちにもアドバイスをいただいて、理解はできるけどなかなかものにできなくて。学校は悩みが多かったです。
赤見:具体的にはどんなことで悩みましたか?
明珍:もともと瞬発力とかパワー的なものが足りないと感じていて、今までやってきたことはプラスになっているし、知識ではわかっているんですけど、それをいざやろうと思った時になかなか体がいうことを聞かなかったり、今までの体に染みついたものが抜けなかったり。だから、一つのことをやろうとした時にけっこう時間が掛かりました。
赤見:2013年5月、京王閣でのデビュー戦(⑥④⑥)はいかがでしたか?
明珍:すごく緊張しましたし、オッズとかを見るとお金が掛かっているんだなということを実感して、責任を痛感しました。声援をいただけることも嬉しいですし、アマチュアの時とは全然違う感覚でしたね。
赤見:デビューから5シーズン目ですけれども、現在の調子というのは?
明珍:デビューしてからトータルで見ると、すごく波があるなって思います。良くなったなって思うとまた下がったり...。今年も1月から6月まではけっこう良くて、自分の中ではずっと(競走得点が)50点を目標にしていて、やっと前期で50点にいったんです。でも5月くらいから少しずつ何かが噛み合ってないというか、成績的にも落ちて来て。今はまた悩み始めた感じです。
赤見:オフシーズンがない分、調子を維持することは難しいですよね。
明珍:そうですね。月に2本から3本開催があって、その中で自分を成長させながらとなると難しいです。ただ、それでも調子を維持している方はいるし、どんどん強くなっている人もいるので、自分ももっとがんばらないとなと思います。
赤見:今の目標は何ですか?
明珍:最低でも決勝に上がれるようになることです。優勝戦はレースの流れも違いますし、いつかは優勝したいという想いもあるので。ただ、その目標を立てる前に、まずは毎回優勝戦で走れることが大事ですから。
赤見:選手になって、お父様との関係は変わりましたか?
明珍:父が選手だった頃は子供だったんですけど、怖かったんですよ。でも今になると、やっぱり結果によって精神的に変わって来るじゃないですか。だからそういう気持ちがわかるようになりました。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
明珍:まだまだ毎回車券に貢献できる選手ではないんですけど、インターネットで見てたよ~とかって聞くとすごくがんばれるので、期待に応えられるようにこれからもしっかりがんばります!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA