第8回 北の大地で見つけた天職 浅田達矢
今回は、7月21日に通算100勝達成。そして7月28日に結婚式を挙げた幸せいっぱいの浅田達矢騎手です。
--- 奈良(明日香村)出身ですよね。北海道に来られたきっかけを教えてください。読売新聞の記事によると、大学受験に失敗し続けて引きこもり状態だった時に、自転車で北海道に来たのがきっかけだとか。
新聞に出ていたとおりですよ。すごい偶然でこの世界に来れた。
関西にいたら、漠然とした北海道に対する憧れみたいのがある。見渡す限り向こうの方まで何もないとかね。
--- 北海道を一周したり?
途中までだったけどね。今考えたら、色々周っておいてよかったかもしれん。こうやって仕事してたら今じゃ周れないもん。
たまたま、川湯温泉のライダーハウスにいてた人が、お前も仕事せんかって。あとで来いよって言ってたんで行ったんすよ。その人はトンズラこいてオレしかいない(笑)。
そこは川湯の木彫り屋さんで牧場も持ってて。夏場は木彫り忙しかったから、牧場の方を手伝った。(社長も)昔旅してたりしたから、一緒に楽しみたいって感じみたいで。「ちょっといねえか」とかいってね。冬どんなもんかなーと思って全部で2年くらいおった。途中で帰ったりもしたから……いろいろ喧嘩したりね。
そして競馬場来た。ここいいなって思ってね。(社長に)ここで働きたいっていったらダメだ、話が違うって。確かにそうだよな。技術学んでもらうために競馬場に行ったのに、オレこっちがいいからって言ったら。ちょっとでも筋通ってなかったら嫌がる人だったね。
でもすごい巡り合わせがよかったと思う。その人に会わんかったら自分はだめやったし、その人いなかったら競馬場これなかったし。
--- 競馬場で騎手を見てこれだって思ったのでしょうか。
自分にぴったりかなって。背が高くて体重抑えれるし、競馬学校行く必要ないし。その時21歳くらいだったかな。騎手試験の年齢制限はないんですよね。
テスト(能力検査)の期間手伝ってたんですよ。ちょっと手伝って帰るつもりだったけど、久田厩舎行ったら社長が久田さんならいいよって。
騎手試験は2回目で受かったから2年ちょっとしか厩務員やってないんですよ。
--- 勝負服は黄色と黒でわかりやすいですよね。
皆着てないやつにしようって。黄色は(久田厩舎のカラーなので)入れとかなあかんし……。目立つのと、誰も使ってなかったから。3色とか入れてもね、目立たん人もいるし。わかりやすいのに。
うちの姉ちゃんなんか阪神タイガースのカラーかっていってたけど。ファンでもないんやけどね。一緒に野球してた子がね、関本(賢太郎・阪神)。一つ下でね、硬式野球、小学校でやってたの。
--- 関本! すごいですね。小学校から硬球を使っていたんですか?
結構あるの、向こうは。強かったすよ。日刊スポーツ大会とかでね、勝ってたから。全国優勝は小5の時。背は高かったかな。今? 180あるかないか……くらい。微妙なんですよ。昔は確実に180あったのに縮んでるんですよね(笑)。
--- 昔のケガの話を聞いていいでしょうか。レース中の事故で顎を骨折したのは2年前の岩見沢でしたよね。
ちょうど2年前ですね。7月10日あたりかな。
あんな程度ですんでよかったですもん。叩いた瞬間馬がケツ上げて。手綱が手首に巻きついて、そこに蹄が当たったから手は折れんかった。かばいきれんで、手首があごにぶつかった。でも蹄鉄が直接は当たらんかった。(手綱の)皮で助かった。起きたら? 次の日の朝だった(笑)。
隣の馬がスタート少し遅かったのね。(スタートが)同じ位だったら馬そりの下になってたかもしれん。
1カ月入院した。しょっちゅう逃げ出してね……。ひどいよ顎! ここってボルトつけれないから、ワイヤーで口閉じられて。しゃべれんし。
結構この世界ニアミス多いんだよね。蹴られても脚が体と腕の隙間に入ったりね。しょっちゅう。
怪我をしたときのスギノディアスに騎乗して1カ月後に復帰戦
--- 騎手は怖い商売ですね……。では、思い出に残る馬を教えてください。
オリーブヒメ。デビューした時乗せてもらった馬。色々と教えてもらった。それとね、今も乗せてもらってるシンエイスター。この2頭。
--- オリーブヒメは初勝利ではないですよね?
初勝利はマルニシュウカンですよ。2勝目もマルニシュウカン。騎手試験受かったのもマルニシュウカン。競馬場来て初めて担当したのもマルニシュウカン。
騎手試験は何頭かいて選べるんです。たまたまマルニシュウカンがいた。
--- マルニシュウカンとは縁があるのですね。マルニシュウカンはその後『雪に願うこと』の主役になりましたが、映画には出られたのでしょうか?
岩本利さん(利春調教師・元騎手)の勝負服着て最後の方にちょっと映った。俺、帰ってたからほとんど出れなかった。厩舎は大変やったみたいね。俺は最後の方でちょっと手伝っただけやもん。
シンエイスターは……オヤジが来たらいつも勝つんだよね。
オヤジ? まぁ昔やけどね、たまに来る。
--- ご両親は、ばん馬の世界に入ったことを驚かれたのではないですか?
どーやろね。騎手なったからなんも言わんけどね。入ったとき景気よかったから。騎手になれんかったら調教師でもいいかなって。馬主(免許)取ってくれたし。今は馬探しといてっていわれる。
--- 外からばんえいの世界に入って、どう思われましたか?
競馬場に手伝いに来た時、本当面白かったですね。
何もかもが面白かった。馬と触れ合ってるのもそうだし。本当ユニークやね。普通な人っていない。絶対普通っていない。普通な人はつとまらないって(笑)。
面白いね。俺と反対な性格っていうか。藤野さんとか安部さんでしょ。俺とは違った世界、逆な世界。だからそういうの逆に憧れちゃうんですよね。いいな、俺もああやって生きたいなって。
色々遊びに連れてってくれたし。その人らいなかったら今の嫁さんに会えなかった。
勝堤さんの2000勝祝賀会の2次会にも連れていってもらって、ヨメさんの勤めていた会社の社長と名刺交換したら次の日電話かかってきて、従業員と食事するからおいでって。そこでヨメさんに会ったの。
--- そうでしたか。新生ばんえいになって結婚される方が多いですよね。一緒に競馬場に住んでるんですか?
みんな子ども出来て(笑)。
実はオレもそうなんですよ。だから急いで式やったの。11月に産まれるんですよ。競馬場には来たり来なかったり。俺が調整ルーム行ってる時は実家。家が帯広なんでね。すぐ帰れる。オレ、帰るって言ってもすごい遠いしね。
でも、帯広一市になったおかげでこうやってヨメさんと結婚できた。
--- 浅田騎手もお子様が! おめでとうございます。ところで、趣味などはありますか?釣りをされる騎手が多いですが……。
趣味ですか? 釣りもゴルフも俺はしない。今は経済的な生活をしてる。今ね、乗ってもなかなかお金にならないから。(騎手より)収入多い厩務員もいる。でもまぁしゃあない。
--- それでは最後に、昔の浅田騎手のように将来について悩んでいる方に対して何かメッセージはありますか?
何をするにしてもね、外に出ないとだめやね。何のきっかけでもいいから。俺は体動かすの好きだから、いろんな所行きたいなって思って。何がきっかけになるかわかんないからね。
自分はかなりツイてる。悩むこともある。でも文句言えないっすよ。
10代の頃の生き方が浅田騎手とは似ているファンの方も多いのではないでしょうか。私もその点で浅田騎手には勝手に親しみを感じています。自分とは違ったばんえいの社会に魅力を感じたという浅田騎手の言葉に、大きく頷きながら話を聞いていました。
様々な悩みの中、人との出会いを素直に受け入れていった結果、ばんえいジョッキーという天職を見つけ、そして生涯の伴侶にも出会えたのでしょうね。結婚おめでとうございます。
取材・文・写真/斎藤友香