
久留米記念を制した大阪の南修二選手にレースの振り返りや、近畿屈指のマーク屋としてのお話、そしてオールスター競輪への意気込みなどを伺いました。
大津:久留米記念優勝おめでとうございます。
南:ありがとうございます。
大津:およそ10年ぶり、2度目の記念優勝ということになりましたけども、お気持ちはいかがですか?
南:どうですかね、内容があんまりなかったんで、そっちのほうが気になるって感じですかね。どちらかというと。
大津:内容っていうのはどのあたりがちょっと納得いかない感じだったんですか?
南:もうちょっと流れに乗りたかったんですけど、全部遅れてしまいました。
結局最後も遅れて、もう内しかないような感じだったんで。
せっかく将太がついてくれとったんで仕掛けたかったんですけど、仕掛けれるスピードじゃなかったっていう感じですかね。
大津:南さんは普段人の後ろを回るレースも多いじゃないですか。
その中で自分が前を回って結果を残すっていうのも、本当に大変なことなんじゃないかなって思うんですけども。
南:うーん、どうですかね。後ろ回ってることが多いばっかりに、後ろを回る気持ちというか、そうですね。自分が前を回った時は、極力外を踏みたいと思ってるんですけど、そういうふうにはできなかったなという感じですかね。
大津:高松宮記念杯競輪の最終日には単騎で捲りきってましたが、あのレースは振り返っていかがでしたか?
南:そうですね、ああいうレースが久留米でもできればよかったんですけど、今回は遅れて遅れてっていう感じですかね。
大津:初日の特選では郡司浩平選手のところにうまく反応して、捲り上げていきました。
南:結局あれも捲り切れてるわけでもないんで。かたち的には悪くなかったですけど、脚力の差が出たかなっていうレースですかね。
大津:普段の練習の中では、やはり南さんも自力を含んだような練習もされてらっしゃるんですか。
南:もちろんです。
大津:自らが前で戦う展開っていうのも常に考えながら練習をされているんですか。
南:そんなに考えてなくて、とりあえず練習は練習として、スピードとかを上げるようには心がけてる感じですかね。
大津:南選手というと横の動きが厳しいというイメージがあると思うんですけど、前を走るときは縦が基本というような感じなんですか。
南:理想で言うと縦で全部勝てればいいですけど、そこまで強くないですし。相手もあることなんで、自分のできるレースを心掛けています。
縦なら縦ですし、それで通用しないなら番手に行くなり、コースを突くなりって感じです。
展開に応じた走りをしないとラインにも迷惑かけますし、お客さんにも迷惑かけると思うんで。理想は縦ですけど、そんなに甘くないんでそこは策略というか頭も使って勝ちたいなと思いますけど。
大津:今回のシリーズの中っていうのは、太田海也選手の番手を回る機会もありましたけれども、ついてみてはいかがでしたか?
南:そうですね、作戦の段階から「すごいな」と思って。走ってみてもやっぱりすごいですし。たまたま抜けたんですけど、やっぱりかなりの差を感じるというか。そんな感じですかね。
大津:作戦の中でもすごいっていう言葉が出てきたんですけれども、どういう作戦だったんですか。
南:ラインを大切にしてくれてるなっていうふうに組み立ててくれてたんで、そういう気持ちが伝わってきたのが嬉しかったです。
大津:今回の太田選手のように他地区の選手の後ろを回ることで、南さんの中で新しい発見だとか、近畿地区の後輩に伝えられることとかっていうのも出てきたり、っていう部分はあったりするんですか?
南:そうですね。やっぱりカントの使い方が独特というか、近畿の選手にはないような感じだったんで。そういう細かいところとかを聞かれた時に、答えられればいいかなとは思います。
大津:初めて連携をする選手の場合だったりすると、呼吸が合わなかったりタイミングが取りづらいところもあるかと思うのですが、南さんはどういうところに気をつけて番手を回ってらっしゃるんですか?
南:どうですかね...。決めつけないようにはしてますかね。
「ここで引くだろう」「ここで行くだろう」って勝手に決めつけずに前の選手の動きを見て反応するようにしています。
大津:南さんの成績とかも拝見させていただくと、2023年頃からビッグの決勝戦というのも一段と増えてきたように思えるんですけれども、40代を超えていって、なかなか体も変わってくるかと思うんですが、このあたりはどういうふうに捉えていらっしゃいますか?
南:あんまり衰えとかは感じないですけど、回復能力であったりとかっていう方はちょっと落ちたかなと思うんで。オーバートレーニングにならないようにとか、基本的に風邪をひかないようにするとか、そういうのは気をつけてます。
大津:普段の生活の中でもちょっと意識もしてらっしゃるんですね。
南:そうですね。
大津:練習内容とかも、ちょっと以前と変わってきたりというところはあるんですか?
南:うーん、どうやろう...。最近ずっと新しいことっていうか、同じことはしないようにはしてるんですけど、基本的にはそこまでは変わってない気はします。
大津:近年、南さんが高いレベルで安定した成績を収められているなと感じるんですが、改めてその理由はどこにあると思っていらっしゃいますか?
南:本当に高いところで安定してるとは思ってなくて、もっと上がいっぱいおるんで。
あんまり自分が安定してるとは思わずに、もうちょっと上に行けたらいいなと思います。
大津:近畿でいうと、古性選手とか脇本選手がいらっしゃって、後ろを回る選手も本当に責任がある位置だと思うんですけれども、マーク選手として南さんが後ろを回るときに心がけていることがあれば、ぜひお聞かせいただきたいです。
南:とりあえず離れないことですかね。番手で。
大津:他地区の選手とかにお話を聞いたときに、別線で「この人が番手にいると嫌だな」って思う選手いますかって聞いたときに、だいたい南選手の名前が上位に出てくるんですけれども、どうですか。
南:そうですね。そうやって言っていただけたら光栄です。
大津:南さんが思う理想のマーク像ってありますか。
南:どうですかね。前の選手だったり、3番手の選手だったりに安心感を与えられたらいいかなと思います。
大津:やっぱり南さんが後ろにいると、前の選手も安心して逃げられますもんね。
南:そうですね。前が全開でダッシュしたときに、番手の選手がちゃんと付いてきてるかなって確認をされるのは良くないと思うんで、安心して前の選手がのびのびと走れるような脚力が必要になってきますよね。
大津:南選手が「この人の番手戦、うまいな」って思う方っていらっしゃったりしますか?
南:いっぱいいてるんで...。個人的な名前って言ったらあれなんですけど、人のレースを見て勉強はするので、勉強になるなって沢山人はいます。
大津:そういう方たちと、レースで会った時って、番手戦のお話とかされたりしますか?
南:他地区の人と話すことは、ほぼないですかね。
大津:近畿の中で、というところですか?
南:そうですね。
大津:それは南さんがアドバイスをされたりという?
南:いやいや、もらうことも多々ありますし。お互い思うことがあれば、意見を交換できる関係にあると思うんで、それはいいと思いますね。
大津:近畿でいうと、今年は村田雅一選手の活躍も非常に光っているかなって思うんですけれども、その中で南さんからの言葉が大きかったっていうのを村田さんが答えてらっしゃってて。
村田さんにはどういう言葉をかけられたんでしょうか?
南:特にないですけど、「一緒に練習しよう」って言ったぐらいですかね。
大津:そうなんですか。それは何か、練習を一緒にしようっていうきっかけがあったんですか?
南:村田に限らず、近畿は各地からいろんな選手が来てくれるんで。
みんないたほうが練習の関係も良くなりますし、刺激もいただけるんで。村田に限らず、いろんな選手が来てくれて、また全体的に底上げできてるかなと思いますけど。
大津:南さんも40代を迎えられて、立ち位置というか、そういったところも変わってきているかとは思うんですけれども。南さんが下の世代に伝えていきたいことはありますか?
南:近畿の競輪っていうのは大事にしてきたんで。そういう「近畿っぽい」っていうのが、言葉では難しいですけど、「近畿っぽい競輪」っていうのを途絶えさせずに。
教えるって言ったらおこがましいですけど、そうやって次の世代につながればいいなとは思いますね。
大津:今年もオールスター競輪の出場が決まってまいりましたけども、このあたり、まずお気持ちはいかがですか。
南:とりあえず弱いんで、練習するしかないですね。
大津:南さんは自分に対しての評価っていうのは辛口な感じなんですか?
南:辛いも何もって感じですけど。ただ「弱いんで」って感じですかね。
大津:自分の中でオールスター競輪までに強化したいポイントとか、今の時点で課題とかはありますか?
南:スピードですね。
大津:函館競輪場の印象やイメージというのは何かありますか。
南:好きですね。空気も美味しいですし、雰囲気は好きです。
大津:目標を教えてください。
南:優勝戦に乗れたらいいですけどね。
大津:最後にオッズパークの読者の皆様に一言お願いします。
南:またご声援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大津尚之(おおつなおゆき)
ソフトな見た目と裏腹にパワフルで安定感のある重低音ボイスが魅力。
実況、ナレーション、インタビュー、俳優など活躍の場は多岐にわたる。
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―デビューしてまだ2ヶ月くらいだと思いますが、デビューしてみていかがですか?
最初の熊本といわき平では自分のミスで1着が獲れなかったのが本当に悔しかったです。それまでちゃんと練習も積んでいて練習に関しては自信がすごくあったので、自分のミスで獲れなかったのは本当に悔しかったです。でもその後はすぐに四日市があったので、気持ちを切り替えて自分から動くようなレース展開にして完全優勝ができたので良かったと思います。
―四日市では完全優勝おめでとうございます。何が勝因だったと思いますか?
ありがとうございます。それまでのレースではワンパターンしか考えられてなくて、展開待ちになってしまい自分で上手く判断できていませんでした。この人がこう動くだろうと決めつけてしまったのが悪い点で、自分の力を出しきれなかったです。四日市では師匠からも「とりあえず動け」というアドバイスをもらいました。7番車でも前を取ったり誰かの番手に飛びつくとか、自分から脚を使うレース展開に持っていけたことが大きかったですね。それによって他の選手に惑わされず、自分の思うような展開で力を出し切れたのが優勝に繋がったと思います。
―2日目も前々に動いて番手にハマるようなレースでしたが、あれは狙っていましたか?
7番車はキツいのでSを取りに行くつもりでしたし、北津留さん(北津留千羽選手 福岡 128期)が動くのも分かっていました。突っ張るか飛びつくかで迷って、突っ張りきれたと思ったのでペースで行こうかと思ったんですけど、北津留さんが4コーナーでまだ粘ってるのが見えたので出して番手にハマれました。そこからは待つんじゃなくて自分から2コーナーで仕掛けました。
―冷静な判断に見えましたが、ご自身ではレース慣れしてきた実感はありますか?
少しずつレースにも慣れてきましたし、ルーキーシリーズは同じ養成所にいたメンバーと走ったので、その中でこの人はこう動くんだなっていうのも見えてきました。
―ルーキーシリーズは捲りが多かったですが、今後はどう戦っていきたいですか?
自在をメインにやりたいです。
やっぱり若手なので誰かの力に頼るよりは自分で行けるところは行きたいんですけど、あとは自分の気持ち次第ですね。
今まで短い距離の練習しかしていなかったんですけど、本デビューに向けて少しずつ長い距離も踏めるようになってきてますし師匠[西徹選手 (石川79期)]からも「最低でも捲り」と言われています。本当に自力を出せということを言われているので、行けるところでは行きたいです。自分の中では捲り追い込みが得意だと思ってたんですけど、ルーキーシリーズでは捲り追い込みが上手く出せないこともあったので、1パターンではなく何でもできるというのを見せられるレースをしたいです。
―同期とは仲が良いですか?
はい、養成所ではいつも仲の良い5人組で一緒にいました。卒業してからもレースが一緒だったらご飯に行ったり、レース後に少し旅行したりとルーキーシリーズも楽しめました。自分が1番年下なので先輩たちに可愛がってもらって、本当にいい同期に恵まれたと思います。
―6月はレースがなかったと思いますが、その間はどのように過ごしていましたか?
毎日練習はしていて、練習メニューも少し変えて長い距離を踏めるようにしたり、ペースに持っていけるような練習をしていました。師匠と2人でもがく練習をメインにやってました。
―オフの日はどう過ごしていますか?
ケアもしますが、じっとしているのが苦手なので、お昼は美味しいカフェに行ったり美味しいものを食べて気分転換をしています。カフェは色んなところを回っているんですけど、チーズケーキが好きなので毎回違うところで食べています。お腹が空いている時は2軒回ったりもしますね(笑) 内灘にある「ひまつぶし」という喫茶店が選手の行きつけで、お昼ご飯をみんなで食べに行くこともあります。特にブリュレ系のチーズケーキが好きで、自分はほぼ毎回デザートでチーズケーキを頼んでますね(笑)
―初めて賞金をもらった時の感想と使い道を教えてください。
もらった時はこんなにもらえるんだ!って気持ちもあったんですけど、最初は自分の着が悪かったので悔しさもありました。でもバイトもしたことがなかったので、3日間でこれだけもらえるんだって嬉しかったです。
欲しかった洋服を買ったりもしましたけど、基本は貯金しています。あとは先輩とご飯に行ったり、友達と遊びに行ったりもしました。
―養成所では伸び悩んだ時期もありましたか?
はい、養成所に入ってすぐはいつも出していたタイムが出なくてすごく悩みましたし、環境が変わると自分は弱いんだと感じました。もっとタイムが出ても良いはずなのに、経験が少ない人の方がすごく伸びがあって毎日上手くいかないことが多かったです。自分は養成所に入ってからはタイムが落ちてしまった方だったので本当にしんどくて、早く卒業したいと思った10ヶ月間でした。
―養成所時代は在所成績2位でしたが、このあたりはどう感じていますか?
戦法を試して先行もしていたんですけど上手く残れなくて、途中まで1位だったのが2位に落ちてしまいました。他の選手には勝ちにこだわらずに自分の戦法を試すように言われたんですけど、負けず嫌いなので負けるってことがすごく嫌いだったんです。なので捲りや追い込みで自分が勝つパターンを考えて、絶対1着を獲ろうって思って走ってました。在所成績は2位でしたけど、1着の回数は1番多かったのでそこは良かったと思います。
―負けず嫌いだと感じたエピソードはありますか?
男子選手と一緒に練習してついて行けなかったり差せないとまだまだ弱いなって思いますし、「クソッ!」って思う負けん気があります。練習のタイムでもガールズの中では絶対に1番になりたいですし、1番のタイムを出せてもそれが自分の中では良くなければ「もう1本!」ってなりますね。
―トライアスロンはいつから始めて、きっかけは何だったんですか?
小学4年生から始めました。父が趣味でトライアスロンをやっていて、「ロードバイクを買ってあげる」と言われたんです。遊びに行く用かと思ってたんですけど、「練習行くぞ」って言われてびっくりしました(笑)でもロードバイクで練習するようになって石川県の大会に出たら2位で、「意外といけるんじゃないか」と思って始めました。
―高校では自転車競技をやられていましたよね。競輪選手を目指したきっかけは何ですか?
最初の1年は成績が伸び悩んでたんですけど、高校2年生ではインターハイで優勝できて、高校3年でインターハイを2連覇できたら養成所を受けようと決めていました。高校の時は自転車の成績が良くてやり切ったと思えたので、もう一度自転車を続ける気持ちになれるか不安もありました。でも競輪選手と練習をする中で皆さんすごく強くて、自分も自転車競技で沢山稼いで少しでも親に恩返しできたら良いなと思って競輪選手を目指しました。
―高校時代、競輪選手とも練習の経験があるんですよね。
そうですね、その時は男子選手にもつかせてもらったのですが、ハンドルの捌きとか技術が全然違いました。横に動いた時に千切れてしまい単独で走ることが多くて、それがすごく悔しかったですね。石川や富山のガールズ選手と一緒に練習した時に「選手になりなよ」って声をかけてもらったんです。そういう近くに選手がいる環境だったのも、選手を目指すきっかけの1つになりました。
―目指している選手像や憧れの選手はいますか?
114期の佐藤水菜選手(神奈川)。のようになりたいです。高校3年生の全日本選手権で、自分はジュニアでさとみなさんはエリートで、全部同じ種目を走ったんです。そこで2人とも3冠制覇したんですけど、一緒にインタビューを受けようって声をかけてくださって本当に嬉しかったですし、「もっとこうした方がいいよ」とアドバイスもくれました。本当に優しくて強い選手なので、私も佐藤水菜選手のようになりたいと思っています。
―本デビューしてからの目標を教えてください。
まずは1勝することが短期目標です。
長期目標はガールズグランプリに出場することで、優勝できるように頑張っていきたいと思っています。
―本デビューに向けての意気込みをお願いします。
初戦は四日市で強い選手が沢山いるんですが、まずは無事に走り終えたいですし、3着以内に入ることが最低限の目標です。予選でもしっかり自力を出して決勝に上がって勝ちたいですね。
2戦目は地元なので、しっかりと見せ場を作りたいです!
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※インタビュー / 太田理恵
東京大学 大学院卒、GIでは自力選手のタイムを計測。 モデル出身で、現在は競輪MCや毎月のコラム執筆を中心に活動する。 ミス・ワールド日本大会2014,2015,2020特別賞受賞。
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―地元・福井での優勝おめでとうございます!3日間、積極的な先行が印象的でしたが、ご自身ではどう感じていましたか?
ありがとうございます。最終日は少し上手くいかなかった部分もありましたが、積極的に仕掛けるという気持ちで臨んでいました。普通開催でも自信を持って長い距離を行かないと、ビッグレースで気持ちの面で行けなかった部分があったので、次のGⅠに向けて克服したいという思いもありました。
―デビューから普通開催ではほとんど確定板を外していませんが、その点についてはどう感じていますか?
自分では負けたレースの方が印象に残っているので、あまり意識はしてないです。
―ご自身の課題や得意な仕掛けについてはいかがですか?
長い距離を踏めるのは強みだとは思いますが、全体のレベルが上がるともっと高いスピードを維持して走って行かなければいけないんですよね。今だと自分の9割ぐらいのスピードでは長くは踏めても、10割のスピードを長く持たせるのは難しいので、ベースを上げる必要があります。トップスピードに到達する速さも遅いので、そこも改善していきたいと思っています。
―初めてのGⅠ出場となったパールカップでは、どんな思いで臨みましたか?
初日は本当に緊張しすぎてパニック状態でした。負けたら終わりって意識があって落ち着かなかったんですけど、後手を踏まないレースをしようとは思っていたので、最低限、自分が後悔しないレースをしようと思って走りました。初日は結果的に2着に残れて良かったですが、内容的には納得していません。正直セッティングの部分もあまりしっくり来なかったですが、今回の福井で割と修正はできたと思います。
―準決勝での1着はご自身ではいかがでしたか?
落ち着いて流されたところを行けたのは良かったですが、脚もいっぱいで差されそうでした。そのへんも次に向けてもっと状態を上げていきたいです。
―決勝でトップクラスの選手と戦ってみてどう感じましたか?
そうですね、決勝は理想の展開というか位置取りは良かったのですが、精神的な部分で負けてしまったと感じました。脚力で負けてるのもあるのですが、精神的な部分で負けてしまったのが大きかったです。
―まずはGⅠの決勝進出という目標を達成しましたが、次の目標は何になりますか?
パールカップの決勝は内容も結果も納得のいかないものだったので、今後は決勝に進出するだけではなく、難しいとは分かってるんですが100点に近いような、自分の力を最大限に発揮して納得のいく走りをすることです。次回のGⅠオールスターではパールカップより勝ち上がりが厳しくなると思いますが、決勝には絶対行きたいです。
―オールスターのファン投票は14位という結果でしたが、どう感じていますか?
たくさん投票していただけたことはとてもありがたいです!でも7位以内ならドリームレースに出られて準決勝も自動で進めますよね。そこの7人って本当にお客様の支持を沢山得ていてすごいなと思いますし、私もそのようなファン投票で選ばれる選手になりたいと思います。
―GⅠオールスターへの意気込みをお願いします。
まだ普通開催を走れる機会があるので、セッティングやチェーンなど試していますし、パールカップよりは良い状態で臨めると思います!
―ありがとうございます。もともとは落車の救護をされていた経験もあるんですよね?
はい、アマチュアで自転車をやっていた時に、バイトでやっていました。やっぱり怖かったので、正直なところ、毎回自分のところで転ばないでほしいと思ってました。
でもその頃に脇本さん(脇本雄太選手 福井 94期)を見て、今でも鮮明に覚えてます。
本当にすごかったんです。当時は競輪のことも正直全然知らない状態だったので、バイト中は少し気が散ってしまうこともあったんですけど、脇本さんのレースの時はお客さんがいっぱい入っていてすごい盛り上がっていて鳥肌が立ちました。レースでこんなに魅せられる選手って本当にすごいなって感動した記憶があります。
―脇本選手とは面識はありますか?
元々はそこまで関わりはなかったんですが、この前のパールカップの時に一緒で、直接アドバイスを頂けてめちゃくちゃ嬉しかったですね。
―社会人をしながらボートをやっていた時代はいかがでしたか?
すごい大変でしたね。よくやってたなと思います。性格的にもあまり器用ではないので、会社の仕事を上手く手を抜くことができなくて、不慣れな仕事を全力で頑張っていました。その時には少しイップス(突然自分の思い通りのプレーができなくなる症状)のような感じで調子も悪かったんですが、競技の方も100%で頑張っていましたね。でもボートの経験は競輪にすごく活きています。ボートは脚が固定されていてスクワットみたいな動きなので、股関節をロックさせる感じなんです。その動きがちょっと自転車と似てる気がします。
―選手になったきっかけと今の環境について教えていただけますか?
最初は競輪養成所のHPD教場だったんですけど、自分は実績もなかったので練習生なら残してあげるという感じで言われたんです。その後に全日本(全日本選手権トラック)や普段の練習もあって、正式にチームに加入させてもらえることになりました。
環境もすごく良いですし、コーチや道を示してくれる先輩方もいるので、とても良い環境でやらせてもらえていると思います。
―限界を超える怖さについても話されていましたが、そのあたりはいかがですか?
そうですね、自分の悪いところではあると思うんですけど、頭で無理だと思ってしまうと押さえこんでしまうんです。でもそこは超えて行かないと精神的にも肉体的にも強くなれないので、頑張らないといけないです。怖さはあるんですけど、自分を信じてあげないとだめだなって思います。自分が限界だと思ってるところは上がってきていて前よりはリミッターが外れてきてるとは思うんですけど、まだまだもっと超えていかないとだめだと思ってます。
―直近だとジャパントラックカップⅡの女子スプリントで3位という結果でしたが、走ってみていかがでしたか。
今回はすごい強い選手がいたので、その中で走れたのは良い経験になりました。メダルは獲れてすごい嬉しかったんですけど、ラッキーな部分もありました。上位との脚力の差もそうですし、全てにおいてまだまだ差があるというのは感じました。
―4月の香港のインターナショナルトラックカップⅠでは、チームスプリントでの金メダルおめでとうございます。
ありがとうございます。3チームしか出場せず、相手もフルメンバーではなかった中での戦いではありました。ただチームスプリントという種目は自分の苦手が詰まってる種目だと思ってるんです。なので迷惑かけてばっかりなんですけど、強くなってそこを改善できれば個人種目もすごいレベルアップできると思ってます。
―具体的にどのあたりが苦手だと感じているんですか?
本当に苦手な部分ばかりなんですけど、その中で特に感じるのはスタンディングでスタートしてからの中間加速の部分と、座ってからシッティングで自分の力で上げていくところですね。その動きがギクシャクしちゃっててすごい苦手です。苦手というか本当に迷惑をかけすぎて。。強くならないとダメだなってすごい思い知らされるんです。なのですごく頑張りたいと思っています。
―以前、佐藤水菜選手のインタビューで仲澤選手のお名前が挙がっていました。
はい、名前を挙げていただけて嬉しいです。すごく強い選手ですし、大会も一緒に行って色んな強さを目の当たりにしました。とても尊敬もしてますし、本当にこの人を超えられるのかなって思ったりはします。現時点の自分の実力だと本当に雲泥の差なんですけど、でも自分が無理だと思ってたら絶対に無理だと思ってるので、敵うぐらい強くならなきゃダメだって思って、日頃からトレーニングをしないといけないと思いました。
―今後の競技面での目標は?
直近では8月の全日本(全日本自転車競技選手権大会)があるので、しっかり力を出して結果に繋がればと思います。最終的にはオリンピックを目指していますが、その前に国内での選考もあるので、こちらも頑張ってまずは枠を勝ち取りたいです。
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※インタビュー / 太田理恵
東京大学 大学院卒、GIでは自力選手のタイムを計測。 モデル出身で、現在は競輪MCや毎月のコラム執筆を中心に活動する。 ミス・ワールド日本大会2014,2015,2020特別賞受賞。
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高松宮記念杯で3度目のG1決勝進出を果たした松谷秀幸選手(神奈川・96期)。
年齢を重ねた今だからこそ辿り着いた「平常心」と、師匠から受け継ぐ"感"の言葉に込めた思いとは。
様々なお話を伺いました。
-まずは高松宮記念杯開催を振り返ってはいかがですか。
すごく疲れましたね。笑 緊張感が長かったので。
-やはりそこは6日間という戦いというところで。
そうですね。やっぱり休みの日も気を抜けずに過ごしていたので。
-その中でG1では初めて予選での連勝となりました。その辺りはいかがですか。
練習メニューを師匠の佐々木龍也さん(神奈川57期・引退)に組んでもらってるんですけど、レース前まで結構追い込んでやっていて、そこでちょっと成績結果出なくても気にすんなよみたいなことを言われていたんです。G1に向けてしっかり結果が出るように組んでもらっていたのでそれが本当に良かったなっていう感じがします。
-その成果がこのG1にバッチリ出たと。
はい、調整がうまくいったのかなっていう風には感じます。
ちょっと別府記念で調子悪いなって感じで不安要素はいっぱいあったんです。
別府から日にちもなかったので大丈夫かなぁと思いながら行ったんですけどね。
-それが初日走ってみた感覚が良かったと。
そうですね。初日、深谷(深谷知広選手・静岡96期)の後ろに付いてあれだけ行ってくれたんで初日は調子が良いというよりは展開に恵まれたなという感じだったんですけど、一次予選の2で郡司(郡司浩平選手・神奈川99期)の後ろに付けて、あの踏み返しての捲りを差せるということは今までなかったので、あれで調子はいいのかなというふうに思いました。
-確かに1C辺りからの郡司選手の捲りをきっちり捉えてというのは、本当に見ていてすごいなと感じました。
そうなんですよ。今までは差せないで付けきって終わるというか、付けてホッとするっていう部分もあって、今までは抜きに行っても抜けなかったので。
そこで差せたことでおっ、と思いましたね。
-そして準決勝に関しては、ラインの3番手から最後ハンドルを投げて2着で決勝進出を決めました。これはウィナーズカップからの伏線があったんですよね。
ウィナーズの時に準決勝4着で決勝に乗れなかったんですが、師匠に喝をくらって、お前はゴール前一番大事なとこで必死さがないな、そこの紙一重で甘さが出てるなみたいなことを言われて。決勝に乗る乗らないじゃ全然変わってくるので、その思いをもっと感じた方がいいぞみたいなことを言われました。
-ウィナーズカップの時の映像も見ても、あの時もハンドルはしっかり投げているようには見えるんですけど、今回とはどのあたりが違ったんでしょうか。
自分も意識するようにその時も投げてはいるんですけど、「なんとか!」っていう気持ちはウィナーズカップまでは弱かったというか、気持ちが足りなかったなと感じて、それからはもう必死で投げるようにはしてます。
-そのハンドル投げの成果がこの本当に準決勝の微差の2着だったっていうところですもんね。
そうですね。一次予選2の郡司を差したのもそうですけど、そういうところを必死にやっていかないと自分みたいな選手は勝てないですからね。
-やはりその辺りも含めて気持ちの部分で戦ってらっしゃるのですね。
はい。気持ちとか考え方だったりでやっぱり若い子に必死についていくしかないかなって思っています。
-違う観点から準決勝を見ると、ほぼ2着権利の中で、ライン3人とも勝ち上がりっていうのが難しい中でも松谷選手は3番手を固めました。3番手では1着までっていうのはなかなか難しい中で、松谷選手の中でそのあたりはどういう気持ちなのでしょうか。
自分の中では、初日だけじゃないんですけど、いつも深谷はすごく良いレースをしてくれるし、岩本(岩本俊介選手・千葉94期)。
も自分が前の時は本当に頑張りますっていう感じで気持ちよく行ってくれるので、自分はもう3番手の位置を回って4コーナー勝負できれば納得かなっていうふうには思ってるんです。
-3番手を固めることに関しては、やっぱり普段からの流れがあって、なんですね。
はい。あとはもう直線で自分が内外をしっかり見極めてどれだけ行けるかという感じですね。
本当に前2人には世話になってるし、勝ち上がり的にはちょっと厳しい位置なのかなっていうのはあるんですけど、まああのレースだけじゃないんで。
競輪はもうずっと続いていくんで、やっぱりそこだけわがまま言うのもちょっと違うんだなっていう風にも感じますし、やっぱり積み重ねですね。
-今回も番手戦の時もあれば3番手もあって、松谷選手は卒なくこなしている印象があるんですけど、そのあたりの難しさの違いはありますか。
いや~全然違いますね。3番手は3番手でやっぱり難しいですね。
踏んだり止めたりをもろに感じるし、番手の人が横に振ったら吊られて振られないように内を締めてなきゃいけない。
かといって番手の人が強かったら、外を張りながら出ていったら置いてかれちゃうんですよね。今回も青龍賞の時、郡司が外に振ってまた戻ってタテに踏んでって時に口が空いちゃったので、あれも本当は2着確保しなきゃいけないんですけど、やっぱりそこは難しいなって。
やっぱり改めて3番手の難しさがすごい痛感したというか。
そこはもっと勉強していかなきゃいけないし、走って体で感じていかなきゃいけないなっていうのはあります。
-そして松谷選手はG1の決勝は今回3回目ということでした。もっと乗っている印象があったのですが、意外にも去年の全日本選抜が初めてだったのですね。
そうなんですよ。なかなか乗れなくて準決勝4着とかも結構多くて、なかなかあと一歩というところだったんです。
-今回は今年初めてのG1の決勝の舞台でしたが、実際にG1の決勝という場所に立ってみての雰囲気や景色はどう感じますか。
やっぱりファンの熱気もあるし、選手一人一人もそれぞれ色々抱えているんだなと。その抱えているものがみんな違って、その熱量を控え室とかでも感じますね。なんというか選手からちょっと圧を感じますね。
-圧ですか。それぞれ秘めている思いや気持ちが伝わってくるような雰囲気なのですね。
はい。自分はもう本当にいつもと変わらず平常心なんですけど、周りはそういう風に見えるんで、自分ももっと集中した方がいいのかなっていう風に思っちゃいます。みんなやっぱりすごいなーっていう感じで見ちゃってるんで。
-松谷選手は意外とそのあたりは冷静に周りを見ている感じなんですね。
そうですね。比較的もう冷静に、じゃあやるぞ、みたいな感じでもなくいつも通りっていうのは心がけてるんです。
-松谷選手の走りを見ていて走り自体には熱いものを感じますが、ご自身の中では気持ちはある程度冷静でいられる部分も作っている感じなんですか。
そうですね。もうあの、なんですかね。ジタバタはしないという意識でいます。笑
年取れば取るほどジタバタしても仕方ないんで、常に冷静にいたいなっていう部分はあって心掛けています。
-今のS1という地位には10年以上いらっしゃるわけですけども、若い時と比べても気持ちの面も変わってくる部分もありますか。
やっぱりもうこれだけ選手やってると、失敗ばっかしてるんですよね。
昔は気合い入れたりとか、無理に高ぶらせたりとかしてたんですけど、そういう方が良くないのかなって思って。
逆に勝っても負けても、常に同じテンションではいたいなって心がけてて、あんまり喜怒哀楽出さないようにしていますね。
もちろん、勝った時は嬉しいんですけどなるべく内に秘めて、負けた時も悔しいんですけど逆に笑えるぐらいの、勝っても負けても常に同じ状態でいたいなっていうのは本当に心がけてます。
-もう一喜一憂しないっていうような感じですね。
そうですね。
もう常に相手には「何考えてるんだろうこの人」みたいな感じに思われたい感じはあります。
勝っても喜ばない、負けても悔しがんない、なんだこの人みたいな。笑
-確かに私も松谷選手のイメージとして、本当にいつも淡々とされているイメージっていうのはありますね。
本当ですか。一応心がけていて、冷めた感じには見えるんですけど、実際は心の中はいろいろ考えているんです。
嬉しかったりはしてるんですけど表には出さないように。
そういうことをするからやっぱり疲れるのかもしれないですね。笑
-周囲の選手に対してもすごく気を配ることのできるタイプということなんですね。
神奈川県の中でも最近一番年上になってきてるので、やっぱりいいムードというか、いい雰囲気というか、本当に後輩が気を遣わない、リラックスできるようなバカ話とかするような環境が作りたいなって思ってます。
かしこまるのはレース前だけでいいかなっていう感じですね。
-そのあたりはご自身の今の年齢と南関地区での役割っていうのを自分の中で考えて、そういう立ち回りをされているような。
そうですね。意識はそういう風にしています。自分が一番年上で気持ちが入っちゃってたりすると、後輩もゆっくりしたいけどできないな、気が休まんないなって気を遣わせてしまうじゃないですか。
だからそこはリラックスできるような、わざと気を和らげるようなことをしてみたりとかは心がけてます。
-本当にもうそれは理想の上司像みたいな感じですね。
ありがとうございます。
少しでもリラックスできる雰囲気であればいいなと思っていますが、比較的神奈川の雰囲気は明るいかもしれないですね。
-あとは松谷選手は去年あたりから安定感が更に増した印象があるんですけど、何かご自身の中でその要因というのはありますか。
練習はずっと何年も変えていないんですよね。
でも師匠と結構ご飯に行くことがあって、その時にやっぱりいろいろアドバイスをもらっているのが大きいのかなと思います。
-どういった部分のアドバイスなんでしょうか。
精神的なものだったり、日常の生活の仕方とかですね。
師匠に言われた言葉で印象に残っているものが一つあって。
いろいろなことを"感"じるのも大事だし、"感"謝するのも大事だし、"感"動するのも大事だし、「感」っていう字は全てにおいていい言葉なんだよって教えていただいたんですよね。
-おお、ものすごく素敵な言葉ですね。
そうなんです。
誰かを感動させなきゃいけないし、感謝もしなきゃいけないし、自分で感じなきゃいけないと。一流の人は感じる能力も強いし、周りにもしっかり感謝しなきゃダメだっていうのを教えられて、そういう風な心持ちで自分も日常を過ごすようになると、やっぱりちょっと安定しだしたのかなっていう風に思うんです。
やっぱり人に感謝して、支えてもらっている人に感謝して、本当にそういう謙虚な気持ちが大事だなと思って生きています。
-それを師匠に教わって実行している松谷選手の生き方も素晴らしいですね。
いやいや、それを今まで自分も全然できてなかったですし今も出来ているわけじゃないんです。
でもそういうことを自分も教えていただいて、ああ、そういう風にちょっと自分もやっていきたいなと思って生きています。
-今の松谷選手のその言葉を聞いて私も感銘を受けました。こうしてまた"感"がどんどん伝染していくのも素敵ですね。そして師匠である佐々木龍也さんがそういう考え方や気持ちを持ってるっていうのもすごいですよね。
本当にすごいですよね。なかなかそういう観点で物事を見られないですよね。
年取ると若い子に体力だったり練習量だったりタイムだったり、色々と勝てるものはないんだから、考え方で差をつけないとダメだとか、若い子とは今までの経験の差が違うんだから、それをいかに活かして勝つか。そして何で差を埋めるかをしっかり考えなさいと。
体力だったりスピードだったりそれは絶対叶わないんだから。でもギャンブルだから勝てるところは絶対にあるんだから、しっかりそこを感じろっていう風に言われたり。
自分もそれを聞いて確かに、と思ってまたやる気が出て、それがモチベーションになってるかもしれないですね。
-そんな松谷選手の今の目標としてはどういったところに。
G1では表彰台に上がっていないので、まずは3着に入って、そこからまた新たな目標を決めたいなと思っているんです。
自分はG1を獲るという選手ではないので。今は決勝5着が最高順位なので、一つでも上を目指して、なおかつ決勝に常に乗れるような選手にはなりたいなとは思ってます。
-現在の賞金ランキングとしては13位で上位につけていますが、グランプリに対する意識はどうですか。
いやいや全然ないですよ。そんな選手じゃないですよ。笑
おこがましくて。まあでも一つずつ、自分なんて華やかな選手じゃないんで、気づいたらちょっとずつ上がってるなぐらいの選手なんで。
-いぶし銀というか渋いというかそういう感じですかね。
そうですそうです。ちょっとずつ、あれ?あいつ気づいたらなんかいるなぐらいの感じでいきますよ。
しぶとく「送りバント」しますよ。笑
-おお!さすが元プロ野球選手ならではの言葉ですね。笑 まず目標としてはまずはG1の表彰台ということですね。
そうですね。
G1表彰台にやっぱり入ってみたいですね。
そこからまた見えてくるものがあるのかなって思います。
-通算勝利数で言うと今291勝というところで300勝も近づいてますが、そのあたりの意識はどうですか。
そこも全く意識はしていないですね。
本当にもう一戦一戦集中してって感じで。師匠にも、40歳を超えたら半年契約だと言われているので、しっかり頑張っていかないと。
-一走一走っていうような意識ですね。
そうですね。
もう若い時みたいに簡単に取り戻せることはないので、少しでも上にしがみついていこうかなと思ってます。
気づいたらいるなぐらいにしといてください。
-でも絶対に必要な存在というか、影でしっかりと神奈川勢を支えている存在というところで貴重なお話を伺えました。
神奈川の若手をしっかりリラックスさせて、レースで頑張れるようにしていきたいですね。
-では最後にオッズパークの読者の皆様に一言いただいてもよろしいでしょうか。
本当に一戦一戦集中して、少しでも車券に貢献できるように頑張るので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / ナッツ山本(なっつやまもと)
公営競技の実況に憧れ、一念発起し脱サラ。2022年別府競輪と飯塚オートレースの実況でデビューを果たすことになった期待の新星。
まだデビューから間もないが、競輪中継の司会も経験し徐々に活躍の場を広げつつある。星の観測と手品が趣味。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
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宇都宮記念を制し、自身3度目のGIII制覇を果たした小原太樹選手(神奈川・95期)。
記念すべき「第1回レジェンド神山雄一郎カップ」の優勝者となり、偉大な先輩の言葉に力をもらった大会となりました。
決勝ではSS班・清水裕友選手との初連係から優勝を掴み、存在感を改めて示した小原選手。
今の心境や今後の目標など、その胸の内を伺いました。
―まずは宇都宮記念の優勝おめでとうございます。
ありがとうございます。
―GIIIは3度目の優勝ということになりました。お気持ちはいかがでしょうか。
自分なんかあんまりチャンスがあるわけじゃないんで、3回目の優勝ができて本当に嬉しいです。
―また、今回は第1回レジェンド神山雄一郎カップというところで、そのあたりというのはいかがでしょうか。
本当にこの第1回の名誉ある大会で優勝することができて、本当に光栄です。
―表彰式の時には神山さん(神山雄一郎元選手・栃木61期)から「不断の努力の結果」と声を掛けられていました。どんなお気持ちに。
まだまだ全然神山さんには及ばないんですけど、今後もその名に恥じないような走りをしていけたらなと思いましたね。
―小原選手にとって神山さんというのはどういった存在ですか。
自分が選手になる前から競輪というのは見ていたのですが、その時から超一流で走られている選手で、いつかは一緒に走りたいなと思いつつ選手を目指してて。実際、選手になってからも何回か一緒にレースを走ることがあったんですけど、本当に憧れの存在です。そういう大会で優勝できたというのは、自分にとって本当に嬉しいことですね。
―今回の宇都宮の前にはGIの日本選手権がありました。それからこの宇都宮まで2週間ほど空きましたが、状態面としてはいかがでしたか。
やはりGIに向けてピークを持ってきていたので多少疲れはあったんですけど、その時の良い感じの状態で宇都宮には入れてたなと思います。
―レースを少し振り返っていきます。初日に関しては日高裕太選手(静岡121期)マークでした。振り返っていかがでしょうか。
日高くんに好きに走ってもらう形で任せていました。しっかり出切ってくれて、あとは自分がどれだけ日高くんを残せるかというところだったんですけど、やっぱり長走路でなかなか難しくて、ちょっと自分だけになってしまいましたね。
―やはりこういう500バンクになると、残し方っていうのもまた全然違うものなんですね。
400バンクに比べるとそうですね。やっぱりGIIIなので後ろにいる選手もみんな脚がありますし、なかなか難しかったなとは思いました。
―2日目には黒沢征治選手(埼玉113期)をマークしてのレースでした。前はごちゃつく流れでしたが、3コーナーあたりからご自身で捲り上げていきましたね。
そうですね。黒沢君も前々にすごく攻めてくれていたんですけど、最終バックの手前ぐらいでちょっと接触があったんで、その辺りの車体故障の感じもちょっとどういう感じか分からない状態で音だけがしてという感じだったので、音がした段階で外に踏ませてもらいましたね。
―その小原選手自身のタテの伸びがすごかったなと見ていても思いました。ご自身で踏んでいていかがでしたか。
はい、やっぱり脚の状態はすごくいいなというのは感じていましたね。
―準決勝は嵯峨昇喜郎選手(青森113期)マークでした。嵯峨選手の捲りも良いスピードに見えました。
初手も良い位置が取れて、嵯峨君とも、いい位置が取れたら行けるところで行きますという話をしていて、良い仕掛けをしてくれたのですが、やっぱり前も関東の選手でしっかり仕事してたので判断もなかなか難しかったですけど、最後はちょっと切り替えさせてもらってということになりました。
―相手は眞杉匠選手(栃木113期)でしたもんね。ただその中で同県の大塚玲選手(神奈川89期)と一緒に勝ち上がれたというのも大きかったですね。
そうですね。やっぱり3番手でしっかり大塚さんが固めてくれてたので、理想はワン・ツー・スリーで乗れるのがベストなんですけど、一人でも多く仲間を連れていけたということは良かったと思います。
―そして決勝は神奈川2人ということになりました。ここでの選択肢がファンも気になっていました。自力型は清水裕友選手(山口105期)、嘉永泰斗選手(熊本113期)、小森貴大選手(福井111期)と別地区の自力型が3人いる中でどういう選択肢があったのでしょうか。
まず同県は大塚さんと2人で、自分も大塚さんも追い込みタイプですし、記念の決勝っていうのはあんまりチャンスないわけですよね。なのでシビアにそこは2人で別れても、っていう話もしていたんですけど、大塚さんは自分がどこに行くにしても、後ろで固めてるからっていう話だったんです。そしてやっぱりSSの実績を重視して、清水くんの番手に行くのがベストなんじゃないかなっていう感じでした。
―それを清水選手に伝えた時の反応はいかがでしたか。
もし付いていただけるなら頑張りますと、心よく受けてもらいました。もう清水くんの好きに走ってもらって、しっかり付いていきます、という話をしましたね。
―初連係ということでしたが、どんなところに気をつけて走ろうと思っていましたか。
まずはどういうレースにしろ、清水くんに迷惑をかけないことを前提として、なにかやれるサポートできることがあればという気持ちでした。自分も大塚さんもしっかり仕事します、ということで話はしてましたね。
―その決勝戦に関しては、勝負どころ先に阿部拓真選手(宮城107期)が抑えて、地元の坂井洋選手(栃木115期)もなかなか行かないなっていうところを、一気にジャン過ぎ4コーナーあたりから清水選手が仕掛けていきました。このあたりはいかがでしたか。
やっぱり500m走路でみんな優勝を獲りにきてるので、仕掛けはちょっと遅くなるのかなっていう予想はしてたんですけど、やっぱりさすがのSS清水くんだなって。先行する流れになったらもう腹を括りますみたいに言ってくれたんで、頼もしかったですね。
―その仕掛けた時に、前にいた阿部選手も飛びつきを狙っている感じもありましたね。
そうですね、自分も昔自在選手としてやってた頃に阿部くんの立場だったらああいうレースをするかなと思うので、そこはしっかり番手を守ることが大事だなと思っていました。
―結果的に大塚選手のところが絡まれて、その後ろに坂井選手が入りました。あのあたりは小原選手の中では気づいていましたか。
清水くんもすごく踏み出しが良くて、僕のところまでは出切れたんですけど、感覚的に大塚さんのところにちょっと粘られちゃってるかなっていうのは分かって、後ろを見て確認はしてましたね。
―出切ってからは、車間を空けながら直線抜け出しました。ご自身の中でのタイミングはいかがでしたか。
同地区でもないのに500mバンクであれだけ先行してくれて、後ろでしっかり援護をしたかったんですが、やっぱり後ろに阿部君や坂井君も見えてましたし、直線踏んできていたので、踏ませてもらったという感じですね。
―改めて清水選手の走りというのはいかがでしたか。
いやもう本当に、今回初連係だったんですけど、すごいな、さすがSSだな、というのは感じましたね。
―そして小原選手はこの後はG1・高松宮記念杯競輪が待っています。高松宮記念杯では6年前にも決勝単騎で3着という成績も残しています。お気持ちなどはいかがですか。
自分なんかは追い込み選手なんで、展開が向けばっていうところもあるんですけど、展開が向いた時にはしっかり自分の力で勝ち取れるような、そんなレースをしていきたいなと思いますね。
―今はスピード競輪になっている中で、練習面などでは「タテ」という部分は意識されたりしていますか。
そうですね、やっぱり年々レースの形態が変わってきて、自分らもそこにちゃんと対応していかなきゃいけないんで、同県の選手とかともいろいろ話し合いながら練習メニューだったり相談してやってますね。今後もおそらくスピード競輪ってもっと加速するんだろうなっていう気持ちもあるので、自分のタテの脚ももっともっと付けていきたいなと思っています。
―小原選手は若くして追い込み選手として定着していますが、自力で戦っていた時から、追い込みに変わるっていうのは、どういうキッカケがあったんですか。
明確にここで、っていうのはないんですけど、自分の中では、デビューしてから30歳までは先行・捲りでしっかり頑張って、そこからはイン粘りだったり、自在にシフトしていって、いつか追い込みになりたいっていう思いでレースしてたんです。
―なるほど。30歳まではとりあえず自力でどれだけやれるか、というふうに。
そうですね。一応30歳まではそんな感じだったんですけど、やっぱりGIだったりとか、グレードレースで他の自力選手と戦っていく中で、現状の今の力だとこの先上を目指すのは厳しいなっていうのを自然と感じていて。それだったら思い切って戦法をチェンジしていって、この方が自分にはチャンスあるんじゃないかっていう思いもありましたね。
―神奈川を含め、南関は今、一大勢力になっています。その中で小原選手はどういった存在、どういった役割を担っていきたいですか。
自力・追い込み問わず、今南関地区はすごく盛り上がっているので、自分は追い込み選手として、自力選手のサポートをしっかりしていけたらなと思います。
―そして小原選手は現在、お弟子さんが5人いらっしゃるそうですね。お弟子さんに対する気持ちはいかがですか。
もちろん選手になったからにはGI優勝という目標を掲げてもらいたいですし、一緒に切磋琢磨しながら、グループ全体で少しでも盛り上がっていけたらなという思いはありますね。
―そして話は変わりますが、ダービー最終日に単騎で1着を取ったレースが、偶然平原さん(平原康多元選手・埼玉87期)がいました。そこに対する気持ちをお聞かせください。
そうですね。実はあの状況で平原さんの3番手を回るっていう選択肢もあったんですけど...。
―え、そうなんですね。
はい。そうですね。競輪祭の準決勝で平原さんの後ろでお世話になっていたので、それもちょっと迷ったんです。でもその時の判断では、普段お世話になっている北日本の選手もいるし、自分では決められないということで単騎を選択したんですけど、まさか引退するっていうことは考えてなかったんで、なんか今思えば...っていう感じはありますよね。
―地区は違うとはいえ、やはり一時代を築いた選手の引退というところに対しては、感じる部分はあるのですね。
神山さんもそうなんですけど、やっぱり自分が目標としてきたすごい選手なんで...。こうしてどんどん引退されていくっていうのは、やっぱり寂しい思いはありますよね。
―その中で小原選手は、ご自身の今後の目標っていうのはどういったところになりますか?
やっぱり、そういう「レジェンド」と言われる選手に、自分もいつかはなりたいなっていう思いはありますけど。
―GIを制覇したいっていう気持ちも。
そうですね。自分なんか学生時代とか目立った成績があるわけでもないんですけど、そんな中でも寛仁親王牌の決勝で2着が取れたりとか、GIを優勝できるチャンスは間違いなくあると思っているので、そこはちょっと頑張っていきたいなと思いますね。
―競輪祭の決勝3着もありますし、確定板には載っていてあと一歩、っていうところですもんね。
そうですね。でもそこまで来れたっていうことは、やっぱりチャンスはあると思うんで、チャンスが来た時には掴めるように、しっかり準備していきたいなと思います。
―では最後にオッズパーク読者の皆様へ一言お願いします。
いつも応援ありがとうございます。今後も南関東を引っ張っていけるような追い込み選手として、しっかり先行選手をサポートして、みんなで切磋琢磨して、GIやグレードレースで活躍できるように頑張りたいと思います。
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※インタビュー / ナッツ山本(なっつやまもと)
公営競技の実況に憧れ、一念発起し脱サラ。2022年別府競輪と飯塚オートレースの実況でデビューを果たすことになった期待の新星。
まだデビューから間もないが、競輪中継の司会も経験し徐々に活躍の場を広げつつある。星の観測と手品が趣味。
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※写真提供:公益財団法人 JKA / 株式会社スポーツニッポン新聞社
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