
山田庸平選手(佐賀・94期)がついに地元の武雄記念(G3)を制し、完全優勝の快挙を達成。近況の好調の要因、レースの裏側、そして今後の日本選手権への想いを伺いました。
―地元記念初優勝おめでとうございます。改めて、お気持ちはいかがでしょうか?
周りからも「おめでとう」という祝福の連絡が来て、よかったなと感じてます。
―やっぱり地元記念を勝つことは特別ですか?
自分の思いとしては、正直そこまで意識はしていなかったんですけど、走ってみたらやっぱり地元って感じがしましたね。応援してくれる人がすごく多くて、周りの人たちが自分のことをすごく喜んでくれたのが嬉しかったですね。その声を聞くと「また来年も頑張ろうかな」って思えました。
―地元記念の前は玉野でも準優勝があって、ウィナーズカップでも3勝していましたが、地元記念を迎えるにあたっての状態はどうだったんですか?
ウィナーズの時に結構手応えがあって、これは行けるんじゃないかっていう感覚がありました。その状態をキープしたまま地元入りできたので、今回はこれまでの記念と違って自信を持って臨めた大会でした。
―ウィナーズの時に良くなったきっかけはあったんですか?
玉野の時にセッティングを見直したんです。その後の練習でも感覚が良くてタイムも出てたんです。気持ちの面でも切り替わっていました。
―気持ちの面で変わったというのは、具体的にどういう部分でしょうか?
自分の走りに迷いがなくなってきた感じですね。方向性がはっきりしてきて、気持ちの上でもすごく落ち着いてきました。
―昨年は地元記念で決勝に乗れませんでしたが、去年の分までという思いもありましたか?
はい。去年だけじゃなくて、地元記念ではずっと失敗が続いていたので、今回こそは失敗しないようにと強く思っていました。
―その思いを持って挑んだレースを振り返ります。まずは初日は嘉永泰斗選手(熊本・113期)に前を任せる競走でした。新山響平選手(青森・107期)に突っ張られる展開でしたが、走ってみていかがでしたか?
自分自身には余裕があるレースでした。突っ張られた後3番手に嘉永を迎え入れて、眞杉選手(眞杉匠選手(栃木・113期))がすかさず来て、そのあと岩本俊介さん(千葉・94期)もきて、少し位置取りが難しくなる場面もあったんですけど、自分で外に持ち出そうとした時に嘉永がもう一度仕掛けていったので、そこに付いていく形になりました。
―2センター付近では、コースを縫うように伸びてきたように見えましたが、あのあたりも手応えはありましたか?
はい。レース前から感じていた感覚が良かったんです。僕にとっては、選手紹介とか周回中の感覚がすごく重要で、今回はそれがかなり良かったです。
―庸平さんにとっては、そういう感覚がかなり重要なんですね。
そうですね。レースになると展開もありますし、感覚がわからなくなる部分もあるんですが、その前の段階で感じる感覚って、自分の状態を把握しやすいんです。だから、良いのか悪いのか、どっちなんだろう?みたいな迷いがなくなります。
―それって日によって違ったりもするんですか?
そうですね。最近は年齢のせいもあって疲れが取れない時もありますが、やっぱり感覚は日によっても違いますね。
―その良い状態の中、2日目と3日目は太田海也選手(岡山・121期)に前を任せた競走でした。以前オールスターでも連係してワンツーがありましたが、今回、太田選手に付いてみていかがでしたか?
2日目はやっぱり脚力の差に違いを感じました。太田くんはナショナルチームでスプリントタイプなのでトップスピードに持っていく力がすごい。他の選手とは違うリズムで走る感じなので、自分としてはちょっと対応が難しかった部分もありました。
―ただ、2日目に関してはそこからリカバリーしてしっかりと追っていきましたね。
はい。踏み出しの部分だけちょっと難しかったですが、そこからは余裕を持って走れました。そこは自分の追走技術の問題もあったと思います。バンクのクセによっても対応が難しくなる場面もあるので、そういった技術面の課題も感じていました。
―3日目の準決勝は太田選手が一度引いてからの巻き返しでしたが、その時はしっかりついていけているように見えました。
はい、2日目の反省もあってうまく対応できました。自分の得意な展開というか、スピードをもらってからの動きはしやすかったので、余裕がありましたね。
―そして決勝戦。九州が4人揃う布陣で同じ地元から山口貴弘選手(佐賀・92期)も一緒に上がってきました。気持ちとしてはどうでしたか?
地元の選手と走れるのはすごく嬉しかったです。山口さんが「自分の後ろに付く」って言ってくれたのも嬉しかったですし、園田さん(園田匠選手(福岡・87期)も地元を盛り立ててくれて、ラインの厚みをすごく感じました。
―今まで連係していた太田選手が対戦相手になり、レースは太田選手の前受けとなりましたが、九州の作戦としてはどう考えていたんですか?
理想としては中団からのレースでした。最初は「前受けから突っ張る」っていう案もあったんですが、メンバー構成を考えると厳しいかなと。嘉永選手も気合いが入っていたので、「無理に突っ張らなくてもいい、中団からでも十分戦える」っていう話になって、坂井選手(坂井洋選手(栃木・115期))の動きを活かす形を選びました。
―そのあたりの作戦や気持ちは、山田選手が嘉永選手に伝えたんですか?
そうですね。嘉永の気持ちは有難かったんですけどそのあたりは冷静に考えて。結果的には理想の展開になって良かったです。
―その嘉永選手はお話のようにレースでもかなり気持ちが入っていたように見えましたが、何か感じるところはありましたか?
はい。ジャンのタイミングで、いつもと違う雰囲気を感じました。背中からもかなり気合いが伝わってきましたし、ジャンからホームにかけてのスピードの上がり方が今までとは違って見えました。
―それだけのスピードの中、太田選手がホームで4番手に入る形になりましたよね。2コーナー付近で後ろからまくり上げてきた太田選手への対応はどうでしたか?
ジャンの時点で嘉永が凄いスピードをしていたので、正直太田選手が4番手にいるとは思ってなかったんです。普通の選手なら切り替えてこられないところですし、ちょっと想定外で、自分としても余裕がない中で対応しました。
―そこからは内から太田選手を捌きながらタテに出ていく動きになりました。ご自身の感触はどうでしたか?
正直余裕はなかったです。直線も若干接触がありましたし、もう目を瞑って踏んでました。あんな風に目を瞑ってゴールに向かうのはなかなかないのですが、それだけ気持ちが入っていたというか...自然とそういう走りになっていました。
―ゴール後、ファンの歓声に手を挙げる姿も印象的でした。声援はいかがでしたか?
いつもよりすごく大きくて温かくて。ありがたいなって感じてました。
―その後の胴上げでは地元はもちろん長崎の選手も駆けつけてくれてましたよね。
はい。いつも一緒に練習しているメンバーや長崎の選手たちまでいてくれて本当に嬉しかったです。
―青柳靖起選手(佐賀・117期)だけは遅れてきていましたね(笑)。
そうですね(笑)あいつはああいうキャラで雰囲気もすごく良かったですね。
―お兄さんの山田英明選手(佐賀・89期)も2018年に地元記念を優勝されていましたが、「兄弟制覇」というところは意識はありましたか?
自分としてはそこまで意識してなかったですね。これも周りに言われていたって感じです。
―さて、今後は日本選手権が控えています。そこに向けてはどんなふうに過ごしていきたいですか?
いつも通りですね。1日1日、自分の状態やトレーニングにしっかり向き合って、やるべきことをやっていくだけです。ただ、九州勢で「合宿に行こうか」っていう話が出ていて1週間後くらいにする予定ではあります。
―山田選手が九州勢では得点トップとして中心的な存在になりますが気負いはないですか?
ないですね。自分としてはまずはしっかり準備して、いい状態で臨むことを意識してます。
―GIへの特別な意識というのは?
結果がなかなか出ていない現状があるので、「どうしたらポジティブに入っていけるのか」を考えるようにしています。最近は成績にそこまで囚われなくなってきていて、まず楽しもうっていう気持ちが大きいです。
―メンタル面も良い方向に向かっているんですね。
はい。1月末から2月くらいにかけて気持ちの面で少し変わってきたと思います。そういった変化が今の結果にも繋がっているのかなと。自分の中でメンタルはかなり大事だと感じています。今回もそういった面で、それをいい方向に向けられて4連勝できたんじゃないかと。G1に対してもいいメンタル面で迎えられると思います。
―九州は最近は後藤大輝選手(福岡・121期)など、若手の活躍も目立ちますが庸平さんからみていかがですか。
本当に年々強くなってきたし、時々練習も一緒にやったりしていて、成長を感じます。後藤以外にも後輩も沢山でてきましたし嬉しいですね。
―その中で、庸平選手の中では自力で戦うシーンもあれば後輩の後ろにつくシーンもありますが、自力だったり番手だったりというところに関しては、ご自身の中で戦い方というか、意識が違うところはありますか?
そうですね。そのあたりは自力と番手でレースでの感覚のズレもあるし、組み立てや意識はやっぱり違うのですごく難しいです。番手の時に切り替えてしまうのは簡単なんですけど、やっぱり後ろの仕事をして残してあげたい気持ちもあって結局両方うまくいかなかったり、自力で戦っている分、前の気持ちも分かるし、どうにかしたいという気持ちもあるんですけど難しいですね。
―しかもその判断がレース中に瞬時に必要になると、やっぱりメンタルに繋がる部分もありますよね。
そうなんですよ。どちらの気持ちもわかるからこそ迷いも出る。でも最近はそういうところも含めて楽しめるようになってきたのかなと思います。
―庸平さんの中での今の目標はどんなところに置かれていますか。
大きな目標っていうのはないんですけど、「45歳くらいまではG1で走れるように」っていうのがひとつの目安です。焦らず、自分のレースをしていきたいですね。
―そんなにガツガツしてないのが庸平さんらしいですね。
そうですね。もちろん上を目指したい、G1を走りたいという気持ちはありますが、自分のレースをして、結果としてそこを走れるようになればいいなという感じですね。
―では最後にオッズパーク読者の皆様にメッセージをお願いします。
いつも応援ありがとうございます。これからも上のレースを目指して諦めずに頑張ります。あと「オールスターのファン投票」もぜひよろしくお願いします!
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※インタビュー / ナッツ山本(なっつやまもと)
公営競技の実況に憧れ、一念発起し脱サラ。2022年別府競輪と飯塚オートレースの実況でデビューを果たすことになった期待の新星。
まだデビューから間もないが、競輪中継の司会も経験し徐々に活躍の場を広げつつある。星の観測と手品が趣味。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
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