2年ぶりにオッズパーク杯ガールズグランプリへ出場し見事優勝した石井寛子選手(東京104期)。昨年1年間の戦いは苦しいものだったと振り返ります。乗り越えられたのは応援してくれる皆さんのおかげ、と話してくれました。ガールズグランプリ優勝の話を中心に伺いました。
山口みのり:まずはオッズパークpresentsガールズグランプリ2024、優勝おめでとうございました。
石井寛子選手:ありがとうございます。
山口:優勝して少し時間が経ちましたが、率直なお気持ちはいかがですか?
石井:もう気持ちは2025年に向いていますね。今年の初戦が地元の京王閣だったので、私の中ではグランプリと同じくらいの気持ちで戦いたくて入りました。結果としては決勝で2着と負けてしまいましたけどね。
山口:決勝は久米詩選手(静岡116期)ともがき合う凄いレースでしたね。
石井:勝てなかったですね。ちょっと力んじゃった部分もありました。でもそれでハッキリと、グランプリは過去のことなんだと思えます。
山口:では昨年の振り返りから伺います。2023年のガールズグランプリはデビュー以来初めて出場が叶いませんでした。2024年こそという思いはあったと思いますが、賞金争いやご自身の成績についてはどう感じていたんでしょうか?
石井:「2024年は絶対グランプリに出るぞ」と決めて、最初は良かったんですが夏に勝てなくなってしまいました。グランプリ出場を掲げているのに賞金ランキングは圏外だったので、失敗したなと思っていました。なのでそこからは、賞金ランキングを見るのをやめました。
けどそれは決してグランプリ出場を諦めた訳ではなく、ベクトルを違う方向へ向けただけです。勝てない中、体が動かない中で、どう練習をするか、レースをするかを考えること。そしてやはり応援してくれている人のことを大切に考えてレースをしました。
その後9月くらいからようやく優勝ができるようになってきたという、ジェットコースターのような1年でした。
山口:昨年もインタビューをさせていただいた時も、応援してくれる人へ感謝して走ると仰っていましたが、それは1年間通して変わらなかったんですね。
石井:そうですね。一番強く感じたのは、8月の『女子オールスター競輪』の予選2で1着を取った時でした。一番私が勝てなかった時期で、しかもそれが3か月くらい続いてしまい苦しい時でした。初日ドリームレースで7着と酷くて「こんな走れない私がここにいる意味はあるのかな」と落ち込んでいました。でも、オールスターは応援してくれる方がいるから出られるレースなので、「初日に酷かった私が、どう2日目を走ろうか。私のやりたいレースは何だろう?」と考え動いてみたら1着が取れました。しかも酷かった初日の感覚とは全く違う、いつもの私の動きができたんです。決勝でまた戻ってしまい7着だったんですが、2日目の感覚が忘れられません。
ゴールをした瞬間から涙が止まらず、インタビューでお客さんの前に出ても泣き続けていました。自分ではそこまで辛くないと思っていても「私、苦しかったんだな」と思いました。
オールスターという舞台で、私が1着を取れたこと。その舞台は、応援してくれる方が投票してくれたから出られたレースということ。それを考えるとやっぱりファンの方への感謝なんだなと再確認したんです。
山口:確かなものとして感じたんですね。ではそこから調子も立て直せたとのことですが、ただそこからでもグランプリ争いには少し遠い位置でしたよね。
石井:そうですね。私の出場は競輪祭女子王座戦で決まったので、まだまだ遠かったです。最後までギリギリ戦ってようやく7番手で出場が決まりました。
山口:グランプリ出場が決まった時はいかがでしたか?
石井:2023年にグランプリに出られなかった時は、賞金争いで負けて出られませんでした。今回も同じようなギリギリの戦いで出られました。なので嬉しいという気持ちが100%ではなかったです。
それは私も8番手(補欠)を経験しているので、争っていた相手の気持ちもわかるし、出られなくて初めて感じたものもあったからだと思います。「すごい世界だな、みんな人生をかけてやっているんだな」と感じました。
山口:いろんな思いがあって、2024年は、それまでの10年間とは違ったグランプリだったんですね。
石井:そうですね。
山口:今年の共同記者会見と前夜祭はいかがでしたか?
石井:共同記者会見は1年に一度、かなり緊張をする場所ですね。7人が金屏風の前に座って話すのは何年経っても慣れないですね。ただいつもピリピリしている雰囲気ですが、今年は少し和らいだ部分もありました。
山口:12月はグランプリへ向けてどう過ごしましたか?
石井:レースを休ませてもらったので、調整の必要がない強めのトレーニングでしっかり仕上げました。2024年は練習メニューを変えた部分があったんですが、それがかみ合ってきた感覚もありました。
山口:2年ぶりにグランプリシリーズの前検日入っていかがでしたか?
石井:久しぶりだなとやっぱり感じました。2023年に出ていない分、緊張するのはもったいない、雰囲気を楽しみたいなと意識をして過ごしていました。
山口:ではレースを振り返ります。スタートして佐藤水菜選手(神奈川114期)が前からの組み立てでした。そこはどう感じましたか?
石井:意外でした。私は7番車だったので初手は後方になると想定して動いたんですが、佐藤選手の動きはびっくりしました。彼女がどういう組み立てなんだろうと想像し、仕掛けを迷った選手もいたと後から各選手の振り返りの記事を読みました。それくらい佐藤選手のオーラというか存在感はありました。
山口:坂口楓華選手(愛知112期)が位置が取れずに下がってきた時はいかがでしたか?
石井:最初の位置だと私が一番後ろだったので、一度先に動くべきだなと思っていたんですが、ちょうど坂口選手が下がってきたので「これはチャンスがあるかもしれない」と前に入れました。彼女がどこかでは仕掛けると思って準備をしていたんですが、打鐘が鳴っても動く気配がなく、2センターあたりで一気に坂口選手が仕掛けていったので、ダッシュがすごくタイミングがずれて追走も車間が空いてしまいました。しかも前で仕掛けようとしていた児玉碧衣選手(福岡108期)と坂口選手の接触もあり、私はその後なんとか追いついた感じでした。
山口:佐藤選手も坂口選手の後ろに飛びつく動きがあったんでしょうか。
石井:そうかもしれませんが、坂口選手のダッシュが良く、私もなんとか追走できたので私まで前に出られたのは良かったです。
山口:最終バックストレッチで2番手の位置でした。優勝インタビューでも「良い位置すぎてパニックだった」と話していましたね。
石井:そうですね。佐藤選手を乗り越えた2コーナーあたりで「あれ、もしかして2番手?」と焦り、最終バックでは「一旦冷静になろう」と心を落ち着けました。でもそれは経験があったからなんです。
2024年3月のコレクション(取手)で絶好の位置だったのに最終バックから捲りにいって差され3着だったレース、その前にも何度か同じようなレースで勝てなかった経験が蘇ってきたから、必死に自分で「落ち着いて」と言い聞かせました。そこで一回後ろを確認しました。それはどんなに苦しくても後ろを見るというのは教訓にしているからです。
そこで児玉選手の捲りが見えたんですが、前の坂口選手もかかっていたので捲り切れないかもしれないと判断して、後は前を向いて自分が勝てるタイミングで抜きにいきました。
山口:真後ろに佐藤選手がいたというのはどうでしたか?
石井:佐藤選手が仕掛けてくる雰囲気は最終バックでは感じなかったので、私は自分の目で見えた児玉選手や、前で先行している坂口選手の方を意識していました。
山口:2着とは1車輪差ということで、ゴールをした時に優勝はわかりましたか?
石井:はい。優勝できたのはわかりました。ゴール付近にカメラがたくさんいたのもわかって「これ絶対撮られる」と思ってとっさに手で顔を覆ったんです(笑)
山口:え?(笑)
石井:息があがって、ゼーゼーハーハーしている顔が嫌なんです(笑)だから手で隠したら、それが外から見たら泣いているように見えたらしいんですよ。
山口:そう見えるかもしれません(笑)
石井:その写真を見たり、生で見ていたファンの方が「あの時もらい泣きした」と後から聞きました。
山口:泣くかもしれないタイミングですからね(笑)
石井:それを聞いたのは、レースが終わって3時間後くらいに私が競輪場を後にする時でした。出待ちの方がそんな時間にもかかわらずいてくださったんです。その時に「泣いていたでしょ!」と言われ「いや、実はこういうことなんです」と説明したら「え?あの写真や映像を見てもらい泣きしたファン、たくさんいるよ」と言われて知りました。
立川記念の時に優勝報告会をさせてもらいこの話をしたんですが、実際にゴールした後に撮られた写真はバンバン使われているから、「隠して良かった!」と思っています(笑)
山口:正解だったんですね(笑)
石井:はい(笑)
山口:でも実際私も、涙の優勝インタビューになるのかなと想像していました。それは平塚のオールスター競輪のことがあったからだと思うんです。でも笑顔満点でしたね!
石井:はい。今回はもし優勝をしても絶対泣かないと決めていたんです。それは私一人で優勝できた訳ではないからです。
関わってくれた方、支えてくれた方、応援してくれた方が99人いたとして、そこに実際に走った石井寛子を加えて100人で戦ってその結果勝てた。私はただ代表として走っただけの100分の1なんです。みんなが優勝させてくれた。だから「優勝できてやったー!」ではなく、「みんな見てるかな?優勝できたよ」と。一緒に戦って、その代表として優勝インタビューを受けているイメージです。表彰式もみんなで優勝できた表彰式でした。
ただみんなのことを思った時は一瞬泣きそうになったんですが、そこは落ち着いてとまた言い聞かせました(笑)感謝の気持ちを持てましたね。
山口:そのイメージは素敵ですね。
石井:はい、でも本当にそういう気持ちでした。
山口:では冒頭にも伺いましたが、今年2025年もスタートしています。今年の目標やテーマは何ですか?
石井:メモしているので、見て言いますね。今年のテーマは「常にチャレンジャーであること」です。
山口:女王として見られる1年間ですが、そうではなくチャレンジャーなんですね。
石井:その通りです。やっぱりどうしても「女王」と言われるとそちらに引っ張られることも多いです。だから常に意識するようにテーマにしました。
私、すぐ切り替えたいタイプなので、優勝した後も「喜ぶのは次の日まで。そこからは2025年に向けて意識を切り替える」と言い聞かせたんですが、やっぱり会う方がたくさん「おめでとう」と言ってくださいます。それはすごく嬉しいし良いことなんですが、「おめでとう」は昨年のことなのでどうしても引っ張られてしまう。喜びでずっとフワフワしているのではなく、おめでとうと言っていただいた後は、しっかり切り替えて地に足を着けて頑張ろうと思っています。
結果として初戦の京王閣は優勝できませんでしたしね。だからもう一度自分を奮い立たせています。常に挑戦者でありたいです。
山口:ありがとうございます。後、石井選手に聞きたかったことがあったんです。神山雄一郎(栃木61期/2024年12月24日引退)さんの引退はどう感じられましたか?
石井:誤解を恐れずに言うと、率直な気持ちは、すごくショックでした。聞いた時は「え......?」と固まってしまいましたね。年末は代謝もあるし引退を決める方もいらっしゃいますが、誰よりも神山さんの引退が一番ショックでした。
山口:そうですよね。何度もインタビューで「目標は神山雄一郎さん」と仰っていたのでどうしても聞きたかったんです。
石井:私の勝手な思いで言ったら怒られるかもしれないけど、70歳くらいまで現役をやっていただいて、いつまでも先を走り続けて欲しかったです。神山さんがいるから私も頑張ろう、あそこまでいくんだと、目標でいて欲しかったですね。寂しいです。
山口:日本競輪選手養成所の所長になるとの発表がありましたね。
石井:はい、伺いました。そちらも重要で責任のあるお仕事だと思うので、応援させていただきます。
山口:ありがとうございます。この先の目標はありますか?
石井:少しでも長く現役を続けること。そして神山さんの通算勝利909勝を目標にしたいです。でも数字の目標を掲げちゃうと、その数字を達成した時に気持ちが切れてしまうかもしれないので、まずは一つ一つですね。
この前レースの時に話していたんですが、「競輪学校」という組織ができて以降は1,000勝を達成した方はいないみたいなんです。目指したいねと。その前にまずは神山さんを目標にです。
山口:最後にオッズパーク会員の方へメッセージをお願いします。
石井:2025年も応援してもらえるように、一走一走丁寧に走っていきます。そして常に挑戦者でいたいので、練習もしっかり頑張ります。また現地に来て、もしくは画面越しで応援してもらえたら嬉しいです。これからも応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
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