
―女子オールスター競輪(GI)ガールズ決勝Aの優勝おめでとうございます。
中野選手(中野咲選手・愛知・110期)が人気でしたが、好位置から差しましたね。
ありがとうございます。
誰かしら動くとは思っていましたけど、良い位置が取れて良かったです。
―途中で併走になった時はどんな心境でしたか?
早くタレてくれ!って思いながら、(先行していた)咲ちゃん頑張れ!と思っていました。
―最後は抜けるだろうという感触はありましたか?
意外に脚は溜まっていましたし、こういう時じゃないと優勝はできないと思って頑張りました!
―連日いつも通りSを取ってのレースでしたね。S取りがかなり多いですが、その組み立てがご自身の戦略ですか?
そうですね。自分が1番戦いやすい戦法なんです。Sを取って誰かを迎え入れて追走するか、誰も来なければ腹をくくって自分で行くかのどっちかですね。デビュー当時から上手いことSが取れて、自分でも「出れちゃった」みたいな感じだったんです。最初は学校(日本競輪選手養成所)の競輪の練習で色々試しましたし何をして良いか分からなかったんですけど、結果的に今の戦法に辿りつきました。
―勝率や連対率も上がってきていますね。
今年は6月の静岡に続き2回目の優勝ですが、心境はいかがですか?
裏開催が多かったり、メンバーが薄かったりして運が良かったのもあると思います。
でも年に2回優勝するのは初めてなので、すごく嬉しいです!
―個人的には6月の防府の2日目に、五味田選手(五味田奈穂選手・千葉・124期)相手に飛びつくかと思ったら突っ張って押し切ったレースが印象的でした!
ありがとうございます。五味田さんはダッシュが苦手って聞いていたので、あそこで出させたら逆に内に詰まって終わっちゃうと思いました。突っ張れるところまで頑張ろうと。33バンクだし何とかなるだろうと思って走りました。
―かっこよかったです。今後もチャンスがあれば自力で戦いたいですか?
いえ、正直そこまで出したくないです(笑)
誰かに頑張ってもらって良い位置を取りたいですね。いつも通りのスタイルで、でも自力もいつでも出せるように準備はしておいて、出せるところでは出して、良い着を獲りたいですね。
―レース以外の休日はどんな風に過ごすことが多いですか?
趣味はあまりないので、たまに飲みに行くことを生きがいに頑張ってますね(笑)
本当に丸1日空いている時でないとできませんが、お昼から飲むのも好きです!
―小学校から陸上をやっていたそうですが、卒業後は講師としても働かれていたんですよね。
はい、陸上は趣味でやっていて正直あまりやりがいはなかったです。でも体力はあったので、どこかで活かせないかと思い、競輪にたまたま出会ったので挑戦してみました。
―選手を目指した時の周囲の反応はいかがでしたか?
あまり競輪に馴染みのない地域だったので、「へ~そうなんだ、頑張れ~」といった感じでした。目指した頃はもう大人でしたし、両親は競輪の危なさもあまり知らなかったようなので、反対や心配はありませんでした。自分で目指す前に下調べをしたら、競技人口も少なくて、選手の層も薄めで、挑戦できるなって軽い気持ちでした。始めてみたらキツかったですけどね(笑)
―デビューした2013年からガールズケイリンの変化は感じますか?
女子のレベルがすごく上がっていて、ついていくのに必死です。振り落とされないよう頑張るしかないです。新人選手も増えているので、過去の映像を見て研究しています。
レースの戦い方はあまり変えていないですが、ウエイトを前よりしっかりやるようになりました。あとは自転車に力を伝える方法が少しずつ分かってきたのは大きいですね。もともとモチベーションはあまり上下がない方なので特に意識せず、淡々と仕事だと思ってやってるイメージですね。
―小坂選手と言えば柴崎淳選手(三重・91期)の応援のイメージも強いです!応援しようと思ったきっかけや好きなところを教えてください!
最初はあまり競輪界や選手のことを知らずに競輪界に入って、岐阜の開催の時に初めて見たらビビッと来て調べたら「柴崎あっちゃん」でした。
好きなところは見た目も含めて全てです!
―同じ競輪選手同士で応援するというのは珍しいですよね。
そうですね、でも最近でもやっと周りでも増えてきましたね!
競輪界はイイ男がいっぱいいますからね(笑)
―SNSで大きな横断幕を用意して応援しているのを見ました。
ファンの方って結構色んなことにお金をかけてるじゃないですか。私は同業者なので車券も買えなくて見ることしかできないので、そういうところしかないなって思って自分が貢献できることを考えました。
―ご主人(元競輪選手の吉田将成さん)公認での応援とのことですが、ご主人とはレースの話はされますか?
最近はあまりないですね。自分が比較的いい感じで走れているから特にないんですかね?
着外のレースとか変なレースをすると「やっぱりあそこは」とか言われて話すぐらいです。たまに相談することもありますが、レースというより練習の内容を聞いて参考にしたりアドバイスをもらうことが多いです。
―現在の練習環境はいかがですか?
環境は良いと思います。慎平さん(元競輪選手の加藤慎平さん)のジムを自由に使えて、岐阜はウエイトルームやバンクも使えますし不自由はしていません。ジムでは1人だけですけどトレーナーとして見たり、元陸上部なので中学校の陸上部を見ています。教えることで勉強になりますし、自分でも考えさせられることもあります。講師の時とはまた別の感覚ですね。
―やりがいを感じる瞬間はどんな時ですか?
練習で上手く漕げた時や、追走でも捲りでもちゃんと決めた内容ができた時はやってて楽しいです。女子が少ないので基本男子と一緒に練習することが多くて、ちゃんとついていけた時はやっぱり嬉しいです。キツいですけど、男子と練習をやることで、レベルは上がると思います。ただ脚力って意味では男子選手とやって強化はできるんですけど、たまに自力を出す練習もしないとって感じです。
―ガールズは男子ではルールが違いますが、そのあたりはレースになったらご自身の戦略で対応できていますか?
ここで横をやれたらいいのになって思う場面は多々あります。併走されて詰まりそうな時に横ができれば良いだろうなとか。
―レース中に併走になりそうな時は、どう考えて走っていますか?
併走していてタレてきそうな子であれば我慢(して併走)することもあります。相手がカマしてくる場合は、その番手の選手がついてきそうだったら前に踏んで千切れるようにしたり飛びついたりと、考えながらやっています。上手くいく時といかない時がありますが、相手を見ながら特性や過去のレースを見て対応しています。
―今年の残りのレースへの意気込みと、これからの目標をお願いします。
地元に貢献できる走りをしたいので、地元の岐阜競輪で1着を獲って優勝もできるよう頑張ります!
まだ完全優勝をしたことがないので、今後の目標は完全優勝をしてみたいです!
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※インタビュー / 太田理恵
東京大学 大学院卒、GIでは自力選手のタイムを計測。 モデル出身で、現在は競輪MCや毎月のコラム執筆を中心に活動する。 ミス・ワールド日本大会2014,2015,2020特別賞受賞。
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ついにGIのタイトルを獲得した寺崎浩平選手(福井・117期)。
これまで近畿勢の先頭で積み重ねてきたその走りが、今回ついに報われました。
決勝で番手を回ると決まった時の想いは。そして今後の目標は。様々なお話をうかがいました。
―オールスター競輪(GI)優勝おめでとうございます。
寺崎:ありがとうございます。
―優勝直後は実感がないというようなお話もされていましたが、1週間経っていかがですか。
寺崎:優勝の実感は湧きました。でも今はもう先を見据えています。地元での共同通信社杯(GII)もありますしレースは続くので、それに向けてしっかりトレーニングをしなきゃな、と取り組んでいるところです。
―優勝してから、周りからの祝福はいかがでしたか。
寺崎:たくさんの人におめでとうって言ってもらえて嬉しいですし、ちゃんと近畿でやってきたことが認められた嬉しさもありました。
自分がやってきたことが間違いじゃなかった、っていうことを実感しました。
―今回のオールスターに関してはファン投票15位でした。年々順位も上がって、今回はオリオン賞からのスタートでした。ファンからの評価はどう感じていらっしゃいましたか。
寺崎:やっぱりそれは嬉しかったです。ただ更に上を目指して、もっとファンに認められるような走りをしていきたいと感じましたね。
―今回、最初の2走は大きな着が続き、3走目からは1着を並べました。何か開催中に修正できた部分があったのでしょうか。
寺崎:もともと僕はナイターが得意じゃないんです。それでちょっと函館への移動の疲れもあって、最初の2走は思ったような走りができなかったんですけど、3走目からはその部分が整ってきました。あとは最初の2走と違って3走目はそこで負けちゃうと勝ち上がれない番組だったので、そういう意味でも3走目は気持ちが更に入りました。
―となると状態自体は入る前から問題はなかったんですね。
寺崎:はい、仕上がりとしてはすごく良かったと思います。
―準決勝を終えて近畿勢が4人勝ち上がりを決めました。改めて並びはどのように決まったんでしょうか。
寺崎:準決勝を勝ち上がった時に脇本さん(脇本雄太選手・福井94期)が「番手を回れ」って言ってくださって。その後古性さん(古性優作選手・大阪100期)も同じことを言ってくださいました。話す前は自分が前で頑張るという気持ちだったんですけど、そういう風に言ってもらえたことで番手を回ろうっていう気持ちになりました。
―仮に脇本選手から番手を回れと言われなかった場合、自分から「番手を回らせてください」ということを言うつもりはなかったんでしょうか。
寺崎:はい、それはなかったです。実は高松宮記念杯競輪(GI)の時も脇本さんが番手を回れって言ってくださったんですけど、その時は断ったんです。
―おお、その時もそういうお話があったのですね。ではその時は断って今回は受け入れたという判断には、どのような気持ちの違いがあったのでしょうか。
寺崎:うーん...これはなんと言ったらいいのか凄く難しいのですが、前回の時と脇本さんの真剣度合いというか、脇本さんの圧というかなんというか、そういうものが違う気がしましたね。今回言われるのが2回目で、「今回はお前が獲る番だぞ」という感じが、脇本さんから伝わってきたのもありました。今まで決勝でやってきたことが認められたなって僕は思いましたし、そのチャンスをものにしたいと感じたんです。
―寺崎選手自身の中では、近畿は脇本選手や古性選手をはじめ層が厚い中で、どこかで「そろそろ自分もGIを」という気持ちはありましたか。
寺崎:やっぱりGIを獲りたいという気持ちはずっとありましたし、自分の後ろにつく人が一番強いので、そこを振り切らなきゃって思いもありました。
その中で自分のレースをして、いざ勝てるかってなるとすごく難しいですし、葛藤もあったりはしました。
―やはり理想としては自力で戦っての優勝という感じではあったのですね。
寺崎:そうですね。理想は自力で勝ちたいですし、勝っていけるような選手にならないといけないと思っています。
―ただ今回はそういう経緯があっての番手戦となったわけですね。番手回りが決まってからの精神状態はどうでしたか。
寺崎:思ったよりもすんなりとリラックスできていましたね。先頭でやるときの方が失敗できないというか、後ろに脇本さんや古性さんが付いているので、自分のミスで失敗できない緊張感があります。今回は意外と冷静でした。もちろん違う緊張感はありましたけど、もう腹を括ったという感じです。
―その決勝戦は古性選手がS取りをしました。近畿勢の作戦としては、前からのプランだったんですか。
寺崎:前のパターンもあったのですが、元々は中団になる予定だったんです。でもどの並びでも脇本さんが先手を取って仕掛ける作戦ではあったので、僕はそれを落ち着いて見ていました。
―結果的に前が取れてからの脇本選手のツッパリ先行となりました。後ろに付いていてどう感じましたか。
寺崎:もう赤板から感じたことないようなスピードでした。独特のピッチでどんどん踏み上がっていく感じで、どこまで踏み上がっていくんだろうと思いましたね。
―今までにない経験だったのですね。
寺崎:はい。練習を一緒にして後ろに付かせてもらうこともあるのですが、その時とレースとでは全然違いました。本当にすごいピッチだなと。
―その脇本選手の気持ちに応えてバックでは自力に転じました。そこからゴールにかけてはどんな気持ちで走りましたか。
寺崎:残り2周から全然緩むところがなかったので脚はきつかったですし、直線も物凄く長く感じました。
ゴールした瞬間はホッとしたのが一番強かったです。GIを獲れた、というよりもホッとですね。近畿の番手を任されてそこでしっかり決められた安心感もありました。
―脇本選手とゴール後、肩を組むシーンもありました。その時はどんな言葉を。
寺崎:いや~もう覚えてないですね。笑 でもとにかく僕が脇本さんに「ありがとうございます!」ってのを、めちゃくちゃ伝えました。
敢闘門で古性さんからもおめでとう、と言ってもらえましたし、南さん(南修二選手・大阪88期)も含めてのワンツースリーで、近畿としてベストな走りができたと思います。
―表彰式の時では函館のファンから寺崎コールも起きていました。その光景を目にしてどうでしたか。
寺崎:すごく嬉しいですし、こんなに応援してもらえるんだ、って本当に嬉しかったです。
―それはやっぱり今まで寺崎選手が近畿の先頭で頑張ってきたからこそだと思います。
寺崎:今までの自分の頑張りを認めてもらえたんだなと感じましたね。
―その後は近畿勢での胴上げもありました。いかがでしたか。
寺崎:いつも僕は胴上げする側なので初めてでしたね。笑
こんなに上がるんだって思いました。体感的には思った以上にかなり高く上がった気がしてちょっと怖かったですね。
―寺崎選手といえば昨年はGIの決勝では大きな着が続いていた中で、今年に入ってはGIの表彰台にも乗っていました。どんなところに目標を置いていたんでしょうか。
寺崎:やはりGIを獲得することが目標でしたね。昨年末くらいから良い流れのまま今年に入って結果もついてきて自信もありましたし、GIの制覇を狙っていました。
毎回獲るぞ、という気持ちで臨んでいましたね。
―その中での制覇ですが、意外にもGIIIの制覇がないんですね。初めてのグレード優勝がGIというのはいかがですか。
寺崎:今までGIIIや記念を獲ったこともなかったですし、自分としてもまずは記念を獲りたいという気持ちだったので、それよりも先にGIを勝つことができてびっくりしています。あと今回獲れなかったら、もう二度と獲れないだろうという気持ちでもいました。このワンチャンスをものに出来て本当に良かったなと思います。
―そのチャンスが来た時にものに出来る自信はあったんですよね。
寺崎:はい、普段からしっかり練習をしている自負はありましたし、脇本さんや古性さんからも練習でめちゃくちゃ強いと言われていました。
練習の力を出せていないとずっと言われてきていて、まだ全部は出せてないですが、今は8割ぐらいまで出せるようになったのも大きいですね。
―あとは寺崎選手は約2年前に競技を引退されました。それから競輪への向き合い方はなにか変わりましたか。
寺崎:めちゃめちゃ変わりました。セッティングやフォーム、乗り方まで全部変えました。その中で去年ぐらいから自分の中で「これだ」というのが見つかったんです。
やっぱり「競輪」は捲りだけでも先行だけでも勝てないですし、そこをうまくミックスしながら、位置を取る時は取らないといけないし、やっぱり古性さんのように何でもできるようにならないと、今の競輪は厳しいと思うのでそのあたりを意識するようになりました。
―今後はタイトルホルダーとしてファンから見られます。
寺崎:タイトルホルダーだからと言って、僕がやることは何も変わらないですね。一戦一戦、目の前のレースでしっかりと内容が伴った良いレースをして、結果を出せるようにすることです。次は自力でもGIを獲りたいですし、挑戦者というのは変わらないので、自分がしっかりとレースをしていればまたチャンスが巡ってくると思うので、その時にまたそのチャンスを掴めるようにしていきたいです。
―グランプリ出場も決まりましたがいかがですか。
寺崎:まだ全然そこに関しては何も考えていません。
まずは地元のビッグレースもありますし、今後もGIは続くので、まずはしっかりと目の前のレースに集中します。
―今後近畿勢の中ではどのような存在を目指したいですか。
寺崎:やっぱり近畿といえば脇本選手と古性選手なので、その間に割って入る存在になりたいですし、近畿を先頭で引っ張っていける選手になりたいです。
―今後も期待しています。では最後に、オッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
寺崎:オールスターは皆さんの投票のおかげで、オリオン賞に乗せていただきありがとうございます。そのおかげで優勝まですることができました。
本当にありがとうございました。今後も応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / ナッツ山本(なっつやまもと)
公営競技の実況に憧れ、一念発起し脱サラ。2022年別府競輪と飯塚オートレースの実況でデビューを果たすことになった期待の新星。
まだデビューから間もないが、競輪中継の司会も経験し徐々に活躍の場を広げつつある。星の観測と手品が趣味。
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今回は去る8月8日~11日に小倉競輪場で行われた《第14回大阪関西万博協賛競輪/第19回吉岡稔真カップ争奪戦》で優勝し、見事地元バンクでGIII初優勝を果たした柳詰正宏選手(福岡・97期)にお話をうかがいました。
「競輪人生の運をすべて使っていいと思って、全部を懸けようと思って...」
一度きりかもしれない小倉競輪4日制GIIIにひときわ強い想いで臨んだ地元選手たち。
そのひとりとして走った柳詰選手は4走をどのように振り返るのか。さらに後半戦への意気込みも併せてうかがいました。
―柳詰選手、地元でのGIII優勝おめでとうございます!
柳詰:ありがとうございます!
―今節は玉野競輪場で行われたサマーナイトフェスティバル(GII)から地元GIIIまでどのように過ごされましたか?
柳詰:玉野でどれくらい走れるかなと思っていたんですが、意外と走れました。そのあと地元戦まで2週間ほどあったので上積みできるかなと思い、普段よりも強めに練習をして最後に休養をいれました。
―普段はどんな練習を?加えて強めの練習というのはどのようなメニューをこなしましたか?
柳詰:まず玉野戦までは体調を戻すのに精一杯でした。サマーナイトが終わって日にちがあったので通常の練習から始めました。
自分の場合、普段はバンク練習も街道練習も両方します。それに加えてウエイトトレーニングを週に2,3回です。体調や疲れ方を確認しながら練習メニューを調整します。
―地元戦に向け、コンディションを整えて前検日を迎えたんですね。さて、一次予選は久留米の梶原海斗選手(福岡・123期)といっしょの番組でした。
柳詰:初日はまさか1レースとは思ってなかったんです。小倉はナイター競輪しか走ってなかったんで戸惑いはありました。そこは切り替えて考えて普通の記念の1レースだと思って準備しました。
梶原海斗君はダッシュがいいので緊張もありましたが、結果的にうまく連携が出来て良かったです。
―九州ラインは松尾勇吾選手(熊本・115期)を含めて3車でした。作戦会議はどんな様子でしたか?
柳詰:梶原君とは中団からレースを進めようと。後中団から始めると踏む距離は長くなりますが、それでも海斗君は「行けます!」と言ってくれました。それで初手の第一希望は5番手以降からと決めました。
―初手はその第一希望を取りました。レースはまず関東ラインの河合選手がインを斬って梶原選手がすかさず動きました。
柳詰:積極的でしたね!梶原君は一度出切ってしまえばそれからあとは全部合わせるつもりで行くと言ってくれていました。
―九州ラインが打鍾すぎに出た後に中国ラインの昼田達哉選手(岡山・121期)が追い上げて4番手を取りました。この辺りはどのように見ていましたか?
柳詰:中団以降のもつれは梶原君が後ろを見ていたので、自分は梶原君の踏むペースと最終バックのカカリ具合を見ての判断だけかなという状況でした。
―柳詰選手は2コーナーで梶原選手との車間を切りました。余裕はありましたか?またゴールは梶原選手を2着に残し1着でした。手ごたえはありましたか?
柳詰:練習でも梶原君は強くて、もう一段踏みあがるかなと思っていました。それでも自分の脚質的に好きな展開ですし、小倉競輪場はあそこで(車間を)空けてしまえば決まる流れです。ですので、手ごたえというより梶原君が自分と松尾君を連れて上手く走ってくれたなという感じです。
―さて、二次予選のお話ですが、阿部英斗選手(福岡・125期)との初連携でしたね。
柳詰:ええ。彼にとっては普段と違う緊張感の中にあったと思います。自分としてはどうアシストすればいいだろうかと結構考えていました。
彼は「(作戦は)先行でもなんでもいいです」と言ってくれたんですけど...。
二次予選のメンバーの中では橋本瑠偉選手(宇都宮・113期)が自力で強い番組構成だったし、自在に走るのが今回の師匠の冠レースで彼の本領も発揮できるのではないかと思いました。
普段のレースでもどちらかと言えば感性で走っているタイプに見えたので、そこは彼のスタイルに任せて自分からはあまり言わなかったですね。
―地元ラインは細切れ戦の、初手は後中団でした。レースは後方にいた北日本ラインの坂本貴史選手(青森・94期)が前団を抑えて、さらに地元ラインの阿部選手がインを切りました。
ここで東日本ラインの橋本選手が動くのですが、打鍾では一度前受けから下げていた中近ラインの高橋和也選手(名古屋・91期)も上昇して先に阿部選手を叩きます。
柳詰:あの場面は阿部君のまだ9車の走りに慣れていない部分が出たのかなと思います。彼自身、レース後に、打鍾で高橋選手が叩きにきたのは想定外だったと言っていました。
―最終HSで橋本選手はライン3車での先行態勢へ。地元勢は6,7番手でした。最終BSで阿部選手はインコースを上がります。
柳詰:バックでは前もかかっているなと。阿部君は一度外へ自転車を持ち出したんですよね。その上で無理だと判断して内へいったのは彼の感性だな、と見ていました。
―最終4コーナーは俊敏に内のコースを伸びました。
柳詰:追走する自分としては彼の動きをみて判断するしかなかったんです。4コーナーは阿部君の内に入る形になって。
そこはリスクがあったんですけど彼も勝ち上がりたい気持ちであそこへ突っ込んだのだと思います。外にはもう2車いる中で彼ももうひと伸びするかな、と。二人で勝ち上がれたら良かったんですけど。
―神奈川勢や9番手から開坂秀明選手(青森・79期)が追込んできました。地元勢としてはこれら横並びの接戦とまでならなければ...という面がありました。
柳詰:そうですね。けれど皆さん脚を溜めているし、最後の直線はさすがに混戦でもあったし仕様がなかったです。今、振り返ってみても二次予選は凄いレースだったと思います。
―そうして前半の日程を終えて、柳詰選手の感触はいかがでしたか?
柳詰:感触というよりも気持ちの入りようを実感していました。自分も含めて小倉の選手がみんな言っていた《最初で最後かもしれない地元記念》という気持ちが強くて。
―予選二走してモチベーションがいっそう高まっていたんですね。さぁ、準決勝で林慶次郎選手(福岡・111期)と同じ番組になりました。
柳詰:ええ!慶次郎はもう本当にいうことがなくて、地元の初優勝(2025年2月21日の小倉競輪FI最終日決勝)も慶次郎と一緒だったし。彼と一緒のときは阿吽の呼吸じゃないですけど...自分が思うタイミングで『ここでいってくれたら決まるな』というときに仕掛けてくれるのが後ろで付いていても伝わってくるし、番組を見たときに言葉は要らない安心感で一杯でした。
―準決勝は3分戦でした。須永優太選手(福島・94期)と中田雄喜選手(福島・97期)が単騎で走り、ライバルラインは谷口遼平選手(三重・103期)の中近ラインと晝田宗一郎選手(岡山・115期)の中国ラインでした。対戦相手、特にライン先頭の二人をどう見ていましたか?
柳詰:谷口君が本調子だったら怖いなと思いました。二日間の走りは自分が見る限り良さそうではなかったです。晝田君は一走毎に上がっている、動きがいいなと。あとはやる気次第といった調子だと見ていました。
―地元勢の後ろは阪本和也選手(長崎・115期)が固める並び、初手は前団でした。
柳詰:レースの組立は前受け一本でした。そこから斬って斬った上を行って先行できたらいいですねと慶次郎もイメージしていましたね。いざレースが始まるとその通りに進められました。
―晝田選手、谷口選手の順でインを斬った上を林選手は打鍾めがけて動きました。
柳詰:ジャンで出たところで物凄いスピードでカマシたんで、最終ホームでは巻き返しはもう厳しいだろうなと思いました。バックから後は自分の仕事を、と考えていました。
―柳詰選手は最終HSで車間を切り始めて、最終BSでは1車身以上の車間を取りました。林選手を何が何でも残そうという気持ちが実況席からでもヒシヒシと伝わりました。
柳詰:ありがとうございます!
―結果は柳詰選手の絶好で。2着は写真判定で阪本選手、3着が林選手でした。
柳詰:レース展開と結果でいうと準決勝が今開催で一番嬉しくて。慶次郎の気持ちと九州ラインの3人で決められたのは自分としても大いに気持ちが昂りましたね。
―ゴール後に右手が上がったのはインタビューでも触れられましたね。
柳詰:(笑)
―さて、決勝には九州地区からあわせて6人勝ち上がりました。
柳詰:小倉のGIIIで九州の選手がいっぱい上がってきた、という嬉しい気持ちと6車でいったいどう走るんだろうと、決勝メンバーが決まったときは思いましたね。ただ、自分は林兄弟の後ろを主張するつもりでいました。
―地元勢を上野優太選手(熊本・113期)が追走。阪本選手と小林弘和選手(佐賀・91期)は西九州勢として2車ラインで。原田研太朗選手(徳島・98期)には嶋津拓弥選手(神奈川・103期)がマーク。
そして宮城の櫻井正孝選手(100期)が慶次郎選手の番手をジカにいきました。林大悟選手(福岡・109期)の位置が初手からの競りになりました。
柳詰:決勝メンバーが発表されたときに誰かが来るなとは予想していました。それが大悟君の位置なのか自分なのか。そこは半信半疑で、どちらなんだろうと。
連日の慶次郎君の走りと番手の大悟君が自力選手なのを判断してのことなんだろうけど、これで自分たちにとっては雲行きが怪しくなった感じはありました。
―さて今回、事前に私のSNSアカウントで柳詰選手への質問やメッセージを募集しました。その中の質問のひとつに<決勝を走って競っている後ろの気持ちはどういう感じでしょうか。ぜひ聞いてみたい。(蓮咲カイトさんより)>と寄せられました。いかがですか?
柳詰:うーん。正直いいますと競りの後ろというのは初めて回った気がします。レースが始まってしまうと競りの後ろなのは全く気にならなかったですね。
自分は大悟の後輪に集中すること一本だったんです。前が競りだから嫌だなとかいった気持ちは全くなかったです。
―その番手の競りは周回を重ねて鍔迫り合いから次第に激しくなりしたが、打鍾で大悟選手が競り勝ちました。
柳詰:慶次郎がここぞと絶妙のタイミングで踏みましたね。あそこで踏んだら大悟君も競り勝ちやすいし、実際大悟君はしっかりと位置を守ってくれたので、これで地元勢で上位を独占するまでの道筋もできました。
―大悟選手に任された慶次郎選手の走りは柳詰選手との阿吽の呼吸と同じく、息が合っていましたね。
柳詰:いや、それ以上でしょう。なにせ兄弟ですから!
―番手の競りが決着した後、櫻井選手が柳詰選手の外へ下りました。あの時の柳詰選手の対処もスムーズでしたね。
柳詰:ありがとうございます。あそこは必ず櫻井君が削ってくる(カンナ削り:外から内を削るように下げてそのまま位置を取る戦術、あたかも鉋で木材を削るように見えることから)、自分だったらそうするな、という場面でしたから想定内でした。
―展開のお話は少し前後しますが、初手で後方だった西九州ラインの阪本選手が一度追出しを掛けてのちに中団に入りました。これで原田選手は8番手に。
柳詰:原田君が8,9番手にいるだろうな、というのは大方予想していました。そしてアタマまで届くには最終2コーナーまでに仕掛けるしかないです。
1コーナーで後ろを見たときにはまだ誰も来なかったし、大悟君も自分で後ろを見て車間を切ったので研太朗君の捲りが来るなら2コーナーからだと。
―大悟選手は最終BS手前からタテに踏みました。競り勝って車間を切ってそこから捲りました。
柳詰:相当脚を使っていただろうし、かなりキツかったと思いますよ。
―最終4コーナーは原田選手の捲りが柳詰選手の外まで迫りました。
柳詰:横まで来られたときはこのまま行かれるんじゃないかと一瞬よぎりました。けど慶次郎、大悟で連携してあれだけ頑張ってくれて、展開は大悟か自分か。
決勝も打鍾からあれだけ行ってくれた慶次郎の走りを無駄にはできないという気持ちで、最後の直線は踏みましたね。
―ゴールの瞬間はいかがでしたか?
柳詰:そうですね。ゴールした瞬間は研太朗君よりも先だったのは分かったんですが不思議と「俺、優勝したのかなぁ。」って。1着と優勝が結びつかなかったです。そのときは優勝の実感は湧かなかったです。
―津田三七子さんのインタビューでは両手が上がったことにも触れられました。
柳詰:ええ(笑)。ゴールから一周近くしてようやく我に返って...。
地元のお客様や地元の選手から声がかかって、あぁ優勝したんだって実感しました。それと同時に感情が溢れてきましたね。
―表彰式のあとにはホームスタンドを向いて胴上げされました。ファンの皆様の声はいかがでしたか?
柳詰:FIを優勝したときもすごく嬉しかったですけど、それ以上にファンの方もいらっしゃったし、「おめでとう!」って声が耳に届いて感慨深かったですね。
―S級初優勝と今回のGIII初優勝。同じ表彰台でも重みは違いましたか。
柳詰:今回の小倉のGIIIは各競輪場で年に一度行われる記念とも違って、普段はない開催だったのと、皆んなここに向けた気持ちは強くて、特に地元勢は皆んな勝ちたかったと思うんです。その中で自分が獲れた歓びが一番大きかったですね。
―第19回吉岡稔真カップ争奪戦、プレゼンターとして吉岡稔真さんがお越しになりました。吉岡さんに関したファンの方からのメッセージも寄せられました。
<表彰式、吉岡稔真さんの言葉で『地元の柳詰が優勝してくれて』と言葉を詰まらせておられました。前大会の表彰式と比べ、懸命なリハビリをされている事が良くわかるほどにハッキリ聞こえました。一競輪ファンの立場ですが地元や不動會現役選手の活躍が絶対糧になっていると感じます。特別な大会です。(ガーグルベイスンさんより)>
柳詰選手と吉岡さんの関わりや吉岡さんのリハビリに励む姿はどのように映りますか?
柳詰:自分もデビューして吉岡さんと何年間か食事をご一緒する機会がありまして、その時は病気とは無縁な方だと思っていたんです。そんな吉岡さんがあれほどの大病をされてしまった。
今回、退院後では初めてお会いしました。去年の開催の表彰式に比べて回復されていて凄く嬉しかったし、まさか吉岡さんからトロフィーを頂く日が来るなんて想像していなかったこともあってとても感慨深い時間でした。
―GIIIを優勝したことで今年の競輪祭(GI)の出場権を手にしました。ファンの方から<FI、GIIIを小倉で初優勝されました。このままGIも小倉で初優勝できることを願っています。意気込みをお聞かせください。(てとるさんより)>とメッセージも寄せられましたよ。
柳詰:GI優勝も、ですか?!いやぁ、もしそうなったらもう...。
まぁ、ゼロではなくなったのでその可能性がある限り精一杯に、一日々々を無駄にしないように、そこに向けてやれるだけのことをやっていくだけかなと思います!
―ほかにも競輪関連で<得意なバンクはありますか?(山中幸雄さんより)>という質問がありました。
柳詰:ズバリ、小倉競輪場ですね!(笑)。でも、この答えじゃ面白くないのかなぁ。
―こういった質問ではよ333・400・500バンクのどれが得意ですかって聞くのが定番なんですが、改めて考えるとバンク毎の特徴ってかなりあるんですよ。
ホームバンクの小倉とは別に好きなバンク、得意なバンクはありますか?
柳詰:う~ん、自分ってバンクの特性よりもその競輪場の雰囲気や安心感を感じることはあって、500mバンクのころの千葉競輪場(現在は千葉JPFドーム:TIPSTAR DOME CHIBAとして250m競走が行われている)が走れば毎回良い成績を取らせてもらっていました。記念の決勝を初めて走ったのも千葉記念でしたし。
それから向日町競輪場も雰囲気がすごく好きで、悪い成績で終えた記憶がないくらい。不思議と競輪場の雰囲気やバンクと自分の相性があっていたんでしょうね。バンク周長やカントの高さで得意不得意も当てはまるのとは違いますね。
―そうなんですね!向日町競輪場は現在は施設再整備中ですが、競輪開催が再開された際は柳詰選手から買えばいいことあるかも、ですね。
柳詰:ぜひ、お願いします!
―他に、もうおひとりの方から質問が来ています。
<(1)柳詰選手の高校の同級生の方が東京競馬場でお店を運営されており、ゴールデンウィークの西武園競輪の開催で応援に行かれたそうです。ところで柳詰選手は他の公営競技に関心はありますか?
(2)弟子の尾野翔一選手(福岡・127期)を松戸で応援してきました。尾野選手と師弟関係になってから何か変わりましたか?(ウマッスさんより)>のふたつでした。
柳詰:他の公営競技ですか?いやぁ、大きな開催やレースを身近な人に誘われて行くことはあっても自分からチェックして回るとかはないですね。
尾野君は彼が学校(養成所)に入る前に一緒に練習をしていました。彼はすぐに強くなったんで自分も負けじと練習をして。その分、気が張っていたし、ちょうど二年前くらいに成績が良くなったころで彼と練習していたことが相乗効果になっていたのはあったと思いますよ。
彼はそのまま学校に入って、そのままナショナルチームで、今は静岡で練習しているから一緒に練習したりってのは暫くないんですけど彼のレースを見て刺激を受けたりしていますね。
―尾野選手の走りはもがき合っても踏み勝つし、後手に回ってもとんでもない回転力でやってきます。この強さは師匠の指導が大きなきっかけになったんでしょうね。
柳詰:いやぁ、それは彼のポテンシャルでしょう(笑)。とにかく自信をもって走ってるようなので今は自分は特に言うことはないかなって思います。
―あらためて後半戦への意気込みをうかがいます。
柳詰:今期は玉野でサマーナイトを走らせてもらって、9月には共同通信社杯(GII)を、そして今回の優勝で11月の競輪祭(GI)の出場が決まりました。
それらを走ってまた見えてくる課題もあると思います。引き続き自分の足りない部分を埋めていけたらと考えています。
―ここからは本当に競輪一本やりの生活だと思います。一方でケアやオフの過ごし方は変わりますか?
柳詰:オフの時間の過ごし方となると...。自分はこれといった趣味を持っていなくて困っている部分ではあるんですよ。
自分は練習をやっていないと不安になる性格だから、いざ本番でオーバーワーク気味なんてことも。練習やオフの時間のメリハリが上手な人はいいなぁと常々思っているのでその辺りもこれから勉強ですね。
―では最後に全国のファンの皆様や、記事を読んでくださったオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いいたします。
柳詰:皆様の応援のおかげで今回GIII初優勝を地元で決めることができました。ありがとうございました。
それでも自分はまだまだだと思うので、もっと力をつけて九州の先行選手に信頼されるように一戦一戦を頑張っていきます。どうぞひきつづき、これからも応援を宜しくお願い致します!
―ありがとうございました。
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※インタビュー / 大村篤史(おおむらあつし)
九州地区の競輪場でレース実況を中心に活動中。
出身地は大阪。1976年生まれ。
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久留米記念を制した大阪の南修二選手にレースの振り返りや、近畿屈指のマーク屋としてのお話、そしてオールスター競輪への意気込みなどを伺いました。
大津:久留米記念優勝おめでとうございます。
南:ありがとうございます。
大津:およそ10年ぶり、2度目の記念優勝ということになりましたけども、お気持ちはいかがですか?
南:どうですかね、内容があんまりなかったんで、そっちのほうが気になるって感じですかね。どちらかというと。
大津:内容っていうのはどのあたりがちょっと納得いかない感じだったんですか?
南:もうちょっと流れに乗りたかったんですけど、全部遅れてしまいました。
結局最後も遅れて、もう内しかないような感じだったんで。
せっかく将太がついてくれとったんで仕掛けたかったんですけど、仕掛けれるスピードじゃなかったっていう感じですかね。
大津:南さんは普段人の後ろを回るレースも多いじゃないですか。
その中で自分が前を回って結果を残すっていうのも、本当に大変なことなんじゃないかなって思うんですけども。
南:うーん、どうですかね。後ろ回ってることが多いばっかりに、後ろを回る気持ちというか、そうですね。自分が前を回った時は、極力外を踏みたいと思ってるんですけど、そういうふうにはできなかったなという感じですかね。
大津:高松宮記念杯競輪の最終日には単騎で捲りきってましたが、あのレースは振り返っていかがでしたか?
南:そうですね、ああいうレースが久留米でもできればよかったんですけど、今回は遅れて遅れてっていう感じですかね。
大津:初日の特選では郡司浩平選手のところにうまく反応して、捲り上げていきました。
南:結局あれも捲り切れてるわけでもないんで。かたち的には悪くなかったですけど、脚力の差が出たかなっていうレースですかね。
大津:普段の練習の中では、やはり南さんも自力を含んだような練習もされてらっしゃるんですか。
南:もちろんです。
大津:自らが前で戦う展開っていうのも常に考えながら練習をされているんですか。
南:そんなに考えてなくて、とりあえず練習は練習として、スピードとかを上げるようには心がけてる感じですかね。
大津:南選手というと横の動きが厳しいというイメージがあると思うんですけど、前を走るときは縦が基本というような感じなんですか。
南:理想で言うと縦で全部勝てればいいですけど、そこまで強くないですし。相手もあることなんで、自分のできるレースを心掛けています。
縦なら縦ですし、それで通用しないなら番手に行くなり、コースを突くなりって感じです。
展開に応じた走りをしないとラインにも迷惑かけますし、お客さんにも迷惑かけると思うんで。理想は縦ですけど、そんなに甘くないんでそこは策略というか頭も使って勝ちたいなと思いますけど。
大津:今回のシリーズの中っていうのは、太田海也選手の番手を回る機会もありましたけれども、ついてみてはいかがでしたか?
南:そうですね、作戦の段階から「すごいな」と思って。走ってみてもやっぱりすごいですし。たまたま抜けたんですけど、やっぱりかなりの差を感じるというか。そんな感じですかね。
大津:作戦の中でもすごいっていう言葉が出てきたんですけれども、どういう作戦だったんですか。
南:ラインを大切にしてくれてるなっていうふうに組み立ててくれてたんで、そういう気持ちが伝わってきたのが嬉しかったです。
大津:今回の太田選手のように他地区の選手の後ろを回ることで、南さんの中で新しい発見だとか、近畿地区の後輩に伝えられることとかっていうのも出てきたり、っていう部分はあったりするんですか?
南:そうですね。やっぱりカントの使い方が独特というか、近畿の選手にはないような感じだったんで。そういう細かいところとかを聞かれた時に、答えられればいいかなとは思います。
大津:初めて連携をする選手の場合だったりすると、呼吸が合わなかったりタイミングが取りづらいところもあるかと思うのですが、南さんはどういうところに気をつけて番手を回ってらっしゃるんですか?
南:どうですかね...。決めつけないようにはしてますかね。
「ここで引くだろう」「ここで行くだろう」って勝手に決めつけずに前の選手の動きを見て反応するようにしています。
大津:南さんの成績とかも拝見させていただくと、2023年頃からビッグの決勝戦というのも一段と増えてきたように思えるんですけれども、40代を超えていって、なかなか体も変わってくるかと思うんですが、このあたりはどういうふうに捉えていらっしゃいますか?
南:あんまり衰えとかは感じないですけど、回復能力であったりとかっていう方はちょっと落ちたかなと思うんで。オーバートレーニングにならないようにとか、基本的に風邪をひかないようにするとか、そういうのは気をつけてます。
大津:普段の生活の中でもちょっと意識もしてらっしゃるんですね。
南:そうですね。
大津:練習内容とかも、ちょっと以前と変わってきたりというところはあるんですか?
南:うーん、どうやろう...。最近ずっと新しいことっていうか、同じことはしないようにはしてるんですけど、基本的にはそこまでは変わってない気はします。
大津:近年、南さんが高いレベルで安定した成績を収められているなと感じるんですが、改めてその理由はどこにあると思っていらっしゃいますか?
南:本当に高いところで安定してるとは思ってなくて、もっと上がいっぱいおるんで。
あんまり自分が安定してるとは思わずに、もうちょっと上に行けたらいいなと思います。
大津:近畿でいうと、古性選手とか脇本選手がいらっしゃって、後ろを回る選手も本当に責任がある位置だと思うんですけれども、マーク選手として南さんが後ろを回るときに心がけていることがあれば、ぜひお聞かせいただきたいです。
南:とりあえず離れないことですかね。番手で。
大津:他地区の選手とかにお話を聞いたときに、別線で「この人が番手にいると嫌だな」って思う選手いますかって聞いたときに、だいたい南選手の名前が上位に出てくるんですけれども、どうですか。
南:そうですね。そうやって言っていただけたら光栄です。
大津:南さんが思う理想のマーク像ってありますか。
南:どうですかね。前の選手だったり、3番手の選手だったりに安心感を与えられたらいいかなと思います。
大津:やっぱり南さんが後ろにいると、前の選手も安心して逃げられますもんね。
南:そうですね。前が全開でダッシュしたときに、番手の選手がちゃんと付いてきてるかなって確認をされるのは良くないと思うんで、安心して前の選手がのびのびと走れるような脚力が必要になってきますよね。
大津:南選手が「この人の番手戦、うまいな」って思う方っていらっしゃったりしますか?
南:いっぱいいてるんで...。個人的な名前って言ったらあれなんですけど、人のレースを見て勉強はするので、勉強になるなって沢山人はいます。
大津:そういう方たちと、レースで会った時って、番手戦のお話とかされたりしますか?
南:他地区の人と話すことは、ほぼないですかね。
大津:近畿の中で、というところですか?
南:そうですね。
大津:それは南さんがアドバイスをされたりという?
南:いやいや、もらうことも多々ありますし。お互い思うことがあれば、意見を交換できる関係にあると思うんで、それはいいと思いますね。
大津:近畿でいうと、今年は村田雅一選手の活躍も非常に光っているかなって思うんですけれども、その中で南さんからの言葉が大きかったっていうのを村田さんが答えてらっしゃってて。
村田さんにはどういう言葉をかけられたんでしょうか?
南:特にないですけど、「一緒に練習しよう」って言ったぐらいですかね。
大津:そうなんですか。それは何か、練習を一緒にしようっていうきっかけがあったんですか?
南:村田に限らず、近畿は各地からいろんな選手が来てくれるんで。
みんないたほうが練習の関係も良くなりますし、刺激もいただけるんで。村田に限らず、いろんな選手が来てくれて、また全体的に底上げできてるかなと思いますけど。
大津:南さんも40代を迎えられて、立ち位置というか、そういったところも変わってきているかとは思うんですけれども。南さんが下の世代に伝えていきたいことはありますか?
南:近畿の競輪っていうのは大事にしてきたんで。そういう「近畿っぽい」っていうのが、言葉では難しいですけど、「近畿っぽい競輪」っていうのを途絶えさせずに。
教えるって言ったらおこがましいですけど、そうやって次の世代につながればいいなとは思いますね。
大津:今年もオールスター競輪の出場が決まってまいりましたけども、このあたり、まずお気持ちはいかがですか。
南:とりあえず弱いんで、練習するしかないですね。
大津:南さんは自分に対しての評価っていうのは辛口な感じなんですか?
南:辛いも何もって感じですけど。ただ「弱いんで」って感じですかね。
大津:自分の中でオールスター競輪までに強化したいポイントとか、今の時点で課題とかはありますか?
南:スピードですね。
大津:函館競輪場の印象やイメージというのは何かありますか。
南:好きですね。空気も美味しいですし、雰囲気は好きです。
大津:目標を教えてください。
南:優勝戦に乗れたらいいですけどね。
大津:最後にオッズパークの読者の皆様に一言お願いします。
南:またご声援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大津尚之(おおつなおゆき)
ソフトな見た目と裏腹にパワフルで安定感のある重低音ボイスが魅力。
実況、ナレーション、インタビュー、俳優など活躍の場は多岐にわたる。
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―デビューしてまだ2ヶ月くらいだと思いますが、デビューしてみていかがですか?
最初の熊本といわき平では自分のミスで1着が獲れなかったのが本当に悔しかったです。それまでちゃんと練習も積んでいて練習に関しては自信がすごくあったので、自分のミスで獲れなかったのは本当に悔しかったです。でもその後はすぐに四日市があったので、気持ちを切り替えて自分から動くようなレース展開にして完全優勝ができたので良かったと思います。
―四日市では完全優勝おめでとうございます。何が勝因だったと思いますか?
ありがとうございます。それまでのレースではワンパターンしか考えられてなくて、展開待ちになってしまい自分で上手く判断できていませんでした。この人がこう動くだろうと決めつけてしまったのが悪い点で、自分の力を出しきれなかったです。四日市では師匠からも「とりあえず動け」というアドバイスをもらいました。7番車でも前を取ったり誰かの番手に飛びつくとか、自分から脚を使うレース展開に持っていけたことが大きかったですね。それによって他の選手に惑わされず、自分の思うような展開で力を出し切れたのが優勝に繋がったと思います。
―2日目も前々に動いて番手にハマるようなレースでしたが、あれは狙っていましたか?
7番車はキツいのでSを取りに行くつもりでしたし、北津留さん(北津留千羽選手 福岡 128期)が動くのも分かっていました。突っ張るか飛びつくかで迷って、突っ張りきれたと思ったのでペースで行こうかと思ったんですけど、北津留さんが4コーナーでまだ粘ってるのが見えたので出して番手にハマれました。そこからは待つんじゃなくて自分から2コーナーで仕掛けました。
―冷静な判断に見えましたが、ご自身ではレース慣れしてきた実感はありますか?
少しずつレースにも慣れてきましたし、ルーキーシリーズは同じ養成所にいたメンバーと走ったので、その中でこの人はこう動くんだなっていうのも見えてきました。
―ルーキーシリーズは捲りが多かったですが、今後はどう戦っていきたいですか?
自在をメインにやりたいです。
やっぱり若手なので誰かの力に頼るよりは自分で行けるところは行きたいんですけど、あとは自分の気持ち次第ですね。
今まで短い距離の練習しかしていなかったんですけど、本デビューに向けて少しずつ長い距離も踏めるようになってきてますし師匠[西徹選手 (石川79期)]からも「最低でも捲り」と言われています。本当に自力を出せということを言われているので、行けるところでは行きたいです。自分の中では捲り追い込みが得意だと思ってたんですけど、ルーキーシリーズでは捲り追い込みが上手く出せないこともあったので、1パターンではなく何でもできるというのを見せられるレースをしたいです。
―同期とは仲が良いですか?
はい、養成所ではいつも仲の良い5人組で一緒にいました。卒業してからもレースが一緒だったらご飯に行ったり、レース後に少し旅行したりとルーキーシリーズも楽しめました。自分が1番年下なので先輩たちに可愛がってもらって、本当にいい同期に恵まれたと思います。
―6月はレースがなかったと思いますが、その間はどのように過ごしていましたか?
毎日練習はしていて、練習メニューも少し変えて長い距離を踏めるようにしたり、ペースに持っていけるような練習をしていました。師匠と2人でもがく練習をメインにやってました。
―オフの日はどう過ごしていますか?
ケアもしますが、じっとしているのが苦手なので、お昼は美味しいカフェに行ったり美味しいものを食べて気分転換をしています。カフェは色んなところを回っているんですけど、チーズケーキが好きなので毎回違うところで食べています。お腹が空いている時は2軒回ったりもしますね(笑) 内灘にある「ひまつぶし」という喫茶店が選手の行きつけで、お昼ご飯をみんなで食べに行くこともあります。特にブリュレ系のチーズケーキが好きで、自分はほぼ毎回デザートでチーズケーキを頼んでますね(笑)
―初めて賞金をもらった時の感想と使い道を教えてください。
もらった時はこんなにもらえるんだ!って気持ちもあったんですけど、最初は自分の着が悪かったので悔しさもありました。でもバイトもしたことがなかったので、3日間でこれだけもらえるんだって嬉しかったです。
欲しかった洋服を買ったりもしましたけど、基本は貯金しています。あとは先輩とご飯に行ったり、友達と遊びに行ったりもしました。
―養成所では伸び悩んだ時期もありましたか?
はい、養成所に入ってすぐはいつも出していたタイムが出なくてすごく悩みましたし、環境が変わると自分は弱いんだと感じました。もっとタイムが出ても良いはずなのに、経験が少ない人の方がすごく伸びがあって毎日上手くいかないことが多かったです。自分は養成所に入ってからはタイムが落ちてしまった方だったので本当にしんどくて、早く卒業したいと思った10ヶ月間でした。
―養成所時代は在所成績2位でしたが、このあたりはどう感じていますか?
戦法を試して先行もしていたんですけど上手く残れなくて、途中まで1位だったのが2位に落ちてしまいました。他の選手には勝ちにこだわらずに自分の戦法を試すように言われたんですけど、負けず嫌いなので負けるってことがすごく嫌いだったんです。なので捲りや追い込みで自分が勝つパターンを考えて、絶対1着を獲ろうって思って走ってました。在所成績は2位でしたけど、1着の回数は1番多かったのでそこは良かったと思います。
―負けず嫌いだと感じたエピソードはありますか?
男子選手と一緒に練習してついて行けなかったり差せないとまだまだ弱いなって思いますし、「クソッ!」って思う負けん気があります。練習のタイムでもガールズの中では絶対に1番になりたいですし、1番のタイムを出せてもそれが自分の中では良くなければ「もう1本!」ってなりますね。
―トライアスロンはいつから始めて、きっかけは何だったんですか?
小学4年生から始めました。父が趣味でトライアスロンをやっていて、「ロードバイクを買ってあげる」と言われたんです。遊びに行く用かと思ってたんですけど、「練習行くぞ」って言われてびっくりしました(笑)でもロードバイクで練習するようになって石川県の大会に出たら2位で、「意外といけるんじゃないか」と思って始めました。
―高校では自転車競技をやられていましたよね。競輪選手を目指したきっかけは何ですか?
最初の1年は成績が伸び悩んでたんですけど、高校2年生ではインターハイで優勝できて、高校3年でインターハイを2連覇できたら養成所を受けようと決めていました。高校の時は自転車の成績が良くてやり切ったと思えたので、もう一度自転車を続ける気持ちになれるか不安もありました。でも競輪選手と練習をする中で皆さんすごく強くて、自分も自転車競技で沢山稼いで少しでも親に恩返しできたら良いなと思って競輪選手を目指しました。
―高校時代、競輪選手とも練習の経験があるんですよね。
そうですね、その時は男子選手にもつかせてもらったのですが、ハンドルの捌きとか技術が全然違いました。横に動いた時に千切れてしまい単独で走ることが多くて、それがすごく悔しかったですね。石川や富山のガールズ選手と一緒に練習した時に「選手になりなよ」って声をかけてもらったんです。そういう近くに選手がいる環境だったのも、選手を目指すきっかけの1つになりました。
―目指している選手像や憧れの選手はいますか?
114期の佐藤水菜選手(神奈川)。のようになりたいです。高校3年生の全日本選手権で、自分はジュニアでさとみなさんはエリートで、全部同じ種目を走ったんです。そこで2人とも3冠制覇したんですけど、一緒にインタビューを受けようって声をかけてくださって本当に嬉しかったですし、「もっとこうした方がいいよ」とアドバイスもくれました。本当に優しくて強い選手なので、私も佐藤水菜選手のようになりたいと思っています。
―本デビューしてからの目標を教えてください。
まずは1勝することが短期目標です。
長期目標はガールズグランプリに出場することで、優勝できるように頑張っていきたいと思っています。
―本デビューに向けての意気込みをお願いします。
初戦は四日市で強い選手が沢山いるんですが、まずは無事に走り終えたいですし、3着以内に入ることが最低限の目標です。予選でもしっかり自力を出して決勝に上がって勝ちたいですね。
2戦目は地元なので、しっかりと見せ場を作りたいです!
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※インタビュー / 太田理恵
東京大学 大学院卒、GIでは自力選手のタイムを計測。 モデル出身で、現在は競輪MCや毎月のコラム執筆を中心に活動する。 ミス・ワールド日本大会2014,2015,2020特別賞受賞。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
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