
今回は去る8月8日~11日に小倉競輪場で行われた《第14回大阪関西万博協賛競輪/第19回吉岡稔真カップ争奪戦》で優勝し、見事地元バンクでGIII初優勝を果たした柳詰正宏選手(福岡・97期)にお話をうかがいました。
「競輪人生の運をすべて使っていいと思って、全部を懸けようと思って...」
一度きりかもしれない小倉競輪4日制GIIIにひときわ強い想いで臨んだ地元選手たち。
そのひとりとして走った柳詰選手は4走をどのように振り返るのか。さらに後半戦への意気込みも併せてうかがいました。
―柳詰選手、地元でのGIII優勝おめでとうございます!
柳詰:ありがとうございます!
―今節は玉野競輪場で行われたサマーナイトフェスティバル(GII)から地元GIIIまでどのように過ごされましたか?
柳詰:玉野でどれくらい走れるかなと思っていたんですが、意外と走れました。そのあと地元戦まで2週間ほどあったので上積みできるかなと思い、普段よりも強めに練習をして最後に休養をいれました。
―普段はどんな練習を?加えて強めの練習というのはどのようなメニューをこなしましたか?
柳詰:まず玉野戦までは体調を戻すのに精一杯でした。サマーナイトが終わって日にちがあったので通常の練習から始めました。
自分の場合、普段はバンク練習も街道練習も両方します。それに加えてウエイトトレーニングを週に2,3回です。体調や疲れ方を確認しながら練習メニューを調整します。
―地元戦に向け、コンディションを整えて前検日を迎えたんですね。さて、一次予選は久留米の梶原海斗選手(福岡・123期)といっしょの番組でした。
柳詰:初日はまさか1レースとは思ってなかったんです。小倉はナイター競輪しか走ってなかったんで戸惑いはありました。そこは切り替えて考えて普通の記念の1レースだと思って準備しました。
梶原海斗君はダッシュがいいので緊張もありましたが、結果的にうまく連携が出来て良かったです。
―九州ラインは松尾勇吾選手(熊本・115期)を含めて3車でした。作戦会議はどんな様子でしたか?
柳詰:梶原君とは中団からレースを進めようと。後中団から始めると踏む距離は長くなりますが、それでも海斗君は「行けます!」と言ってくれました。それで初手の第一希望は5番手以降からと決めました。
―初手はその第一希望を取りました。レースはまず関東ラインの河合選手がインを斬って梶原選手がすかさず動きました。
柳詰:積極的でしたね!梶原君は一度出切ってしまえばそれからあとは全部合わせるつもりで行くと言ってくれていました。
―九州ラインが打鍾すぎに出た後に中国ラインの昼田達哉選手(岡山・121期)が追い上げて4番手を取りました。この辺りはどのように見ていましたか?
柳詰:中団以降のもつれは梶原君が後ろを見ていたので、自分は梶原君の踏むペースと最終バックのカカリ具合を見ての判断だけかなという状況でした。
―柳詰選手は2コーナーで梶原選手との車間を切りました。余裕はありましたか?またゴールは梶原選手を2着に残し1着でした。手ごたえはありましたか?
柳詰:練習でも梶原君は強くて、もう一段踏みあがるかなと思っていました。それでも自分の脚質的に好きな展開ですし、小倉競輪場はあそこで(車間を)空けてしまえば決まる流れです。ですので、手ごたえというより梶原君が自分と松尾君を連れて上手く走ってくれたなという感じです。
―さて、二次予選のお話ですが、阿部英斗選手(福岡・125期)との初連携でしたね。
柳詰:ええ。彼にとっては普段と違う緊張感の中にあったと思います。自分としてはどうアシストすればいいだろうかと結構考えていました。
彼は「(作戦は)先行でもなんでもいいです」と言ってくれたんですけど...。
二次予選のメンバーの中では橋本瑠偉選手(宇都宮・113期)が自力で強い番組構成だったし、自在に走るのが今回の師匠の冠レースで彼の本領も発揮できるのではないかと思いました。
普段のレースでもどちらかと言えば感性で走っているタイプに見えたので、そこは彼のスタイルに任せて自分からはあまり言わなかったですね。
―地元ラインは細切れ戦の、初手は後中団でした。レースは後方にいた北日本ラインの坂本貴史選手(青森・94期)が前団を抑えて、さらに地元ラインの阿部選手がインを切りました。
ここで東日本ラインの橋本選手が動くのですが、打鍾では一度前受けから下げていた中近ラインの高橋和也選手(名古屋・91期)も上昇して先に阿部選手を叩きます。
柳詰:あの場面は阿部君のまだ9車の走りに慣れていない部分が出たのかなと思います。彼自身、レース後に、打鍾で高橋選手が叩きにきたのは想定外だったと言っていました。
―最終HSで橋本選手はライン3車での先行態勢へ。地元勢は6,7番手でした。最終BSで阿部選手はインコースを上がります。
柳詰:バックでは前もかかっているなと。阿部君は一度外へ自転車を持ち出したんですよね。その上で無理だと判断して内へいったのは彼の感性だな、と見ていました。
―最終4コーナーは俊敏に内のコースを伸びました。
柳詰:追走する自分としては彼の動きをみて判断するしかなかったんです。4コーナーは阿部君の内に入る形になって。
そこはリスクがあったんですけど彼も勝ち上がりたい気持ちであそこへ突っ込んだのだと思います。外にはもう2車いる中で彼ももうひと伸びするかな、と。二人で勝ち上がれたら良かったんですけど。
―神奈川勢や9番手から開坂秀明選手(青森・79期)が追込んできました。地元勢としてはこれら横並びの接戦とまでならなければ...という面がありました。
柳詰:そうですね。けれど皆さん脚を溜めているし、最後の直線はさすがに混戦でもあったし仕様がなかったです。今、振り返ってみても二次予選は凄いレースだったと思います。
―そうして前半の日程を終えて、柳詰選手の感触はいかがでしたか?
柳詰:感触というよりも気持ちの入りようを実感していました。自分も含めて小倉の選手がみんな言っていた《最初で最後かもしれない地元記念》という気持ちが強くて。
―予選二走してモチベーションがいっそう高まっていたんですね。さぁ、準決勝で林慶次郎選手(福岡・111期)と同じ番組になりました。
柳詰:ええ!慶次郎はもう本当にいうことがなくて、地元の初優勝(2025年2月21日の小倉競輪FI最終日決勝)も慶次郎と一緒だったし。彼と一緒のときは阿吽の呼吸じゃないですけど...自分が思うタイミングで『ここでいってくれたら決まるな』というときに仕掛けてくれるのが後ろで付いていても伝わってくるし、番組を見たときに言葉は要らない安心感で一杯でした。
―準決勝は3分戦でした。須永優太選手(福島・94期)と中田雄喜選手(福島・97期)が単騎で走り、ライバルラインは谷口遼平選手(三重・103期)の中近ラインと晝田宗一郎選手(岡山・115期)の中国ラインでした。対戦相手、特にライン先頭の二人をどう見ていましたか?
柳詰:谷口君が本調子だったら怖いなと思いました。二日間の走りは自分が見る限り良さそうではなかったです。晝田君は一走毎に上がっている、動きがいいなと。あとはやる気次第といった調子だと見ていました。
―地元勢の後ろは阪本和也選手(長崎・115期)が固める並び、初手は前団でした。
柳詰:レースの組立は前受け一本でした。そこから斬って斬った上を行って先行できたらいいですねと慶次郎もイメージしていましたね。いざレースが始まるとその通りに進められました。
―晝田選手、谷口選手の順でインを斬った上を林選手は打鍾めがけて動きました。
柳詰:ジャンで出たところで物凄いスピードでカマシたんで、最終ホームでは巻き返しはもう厳しいだろうなと思いました。バックから後は自分の仕事を、と考えていました。
―柳詰選手は最終HSで車間を切り始めて、最終BSでは1車身以上の車間を取りました。林選手を何が何でも残そうという気持ちが実況席からでもヒシヒシと伝わりました。
柳詰:ありがとうございます!
―結果は柳詰選手の絶好で。2着は写真判定で阪本選手、3着が林選手でした。
柳詰:レース展開と結果でいうと準決勝が今開催で一番嬉しくて。慶次郎の気持ちと九州ラインの3人で決められたのは自分としても大いに気持ちが昂りましたね。
―ゴール後に右手が上がったのはインタビューでも触れられましたね。
柳詰:(笑)
―さて、決勝には九州地区からあわせて6人勝ち上がりました。
柳詰:小倉のGIIIで九州の選手がいっぱい上がってきた、という嬉しい気持ちと6車でいったいどう走るんだろうと、決勝メンバーが決まったときは思いましたね。ただ、自分は林兄弟の後ろを主張するつもりでいました。
―地元勢を上野優太選手(熊本・113期)が追走。阪本選手と小林弘和選手(佐賀・91期)は西九州勢として2車ラインで。原田研太朗選手(徳島・98期)には嶋津拓弥選手(神奈川・103期)がマーク。
そして宮城の櫻井正孝選手(100期)が慶次郎選手の番手をジカにいきました。林大悟選手(福岡・109期)の位置が初手からの競りになりました。
柳詰:決勝メンバーが発表されたときに誰かが来るなとは予想していました。それが大悟君の位置なのか自分なのか。そこは半信半疑で、どちらなんだろうと。
連日の慶次郎君の走りと番手の大悟君が自力選手なのを判断してのことなんだろうけど、これで自分たちにとっては雲行きが怪しくなった感じはありました。
―さて今回、事前に私のSNSアカウントで柳詰選手への質問やメッセージを募集しました。その中の質問のひとつに<決勝を走って競っている後ろの気持ちはどういう感じでしょうか。ぜひ聞いてみたい。(蓮咲カイトさんより)>と寄せられました。いかがですか?
柳詰:うーん。正直いいますと競りの後ろというのは初めて回った気がします。レースが始まってしまうと競りの後ろなのは全く気にならなかったですね。
自分は大悟の後輪に集中すること一本だったんです。前が競りだから嫌だなとかいった気持ちは全くなかったです。
―その番手の競りは周回を重ねて鍔迫り合いから次第に激しくなりしたが、打鍾で大悟選手が競り勝ちました。
柳詰:慶次郎がここぞと絶妙のタイミングで踏みましたね。あそこで踏んだら大悟君も競り勝ちやすいし、実際大悟君はしっかりと位置を守ってくれたので、これで地元勢で上位を独占するまでの道筋もできました。
―大悟選手に任された慶次郎選手の走りは柳詰選手との阿吽の呼吸と同じく、息が合っていましたね。
柳詰:いや、それ以上でしょう。なにせ兄弟ですから!
―番手の競りが決着した後、櫻井選手が柳詰選手の外へ下りました。あの時の柳詰選手の対処もスムーズでしたね。
柳詰:ありがとうございます。あそこは必ず櫻井君が削ってくる(カンナ削り:外から内を削るように下げてそのまま位置を取る戦術、あたかも鉋で木材を削るように見えることから)、自分だったらそうするな、という場面でしたから想定内でした。
―展開のお話は少し前後しますが、初手で後方だった西九州ラインの阪本選手が一度追出しを掛けてのちに中団に入りました。これで原田選手は8番手に。
柳詰:原田君が8,9番手にいるだろうな、というのは大方予想していました。そしてアタマまで届くには最終2コーナーまでに仕掛けるしかないです。
1コーナーで後ろを見たときにはまだ誰も来なかったし、大悟君も自分で後ろを見て車間を切ったので研太朗君の捲りが来るなら2コーナーからだと。
―大悟選手は最終BS手前からタテに踏みました。競り勝って車間を切ってそこから捲りました。
柳詰:相当脚を使っていただろうし、かなりキツかったと思いますよ。
―最終4コーナーは原田選手の捲りが柳詰選手の外まで迫りました。
柳詰:横まで来られたときはこのまま行かれるんじゃないかと一瞬よぎりました。けど慶次郎、大悟で連携してあれだけ頑張ってくれて、展開は大悟か自分か。
決勝も打鍾からあれだけ行ってくれた慶次郎の走りを無駄にはできないという気持ちで、最後の直線は踏みましたね。
―ゴールの瞬間はいかがでしたか?
柳詰:そうですね。ゴールした瞬間は研太朗君よりも先だったのは分かったんですが不思議と「俺、優勝したのかなぁ。」って。1着と優勝が結びつかなかったです。そのときは優勝の実感は湧かなかったです。
―津田三七子さんのインタビューでは両手が上がったことにも触れられました。
柳詰:ええ(笑)。ゴールから一周近くしてようやく我に返って...。
地元のお客様や地元の選手から声がかかって、あぁ優勝したんだって実感しました。それと同時に感情が溢れてきましたね。
―表彰式のあとにはホームスタンドを向いて胴上げされました。ファンの皆様の声はいかがでしたか?
柳詰:FIを優勝したときもすごく嬉しかったですけど、それ以上にファンの方もいらっしゃったし、「おめでとう!」って声が耳に届いて感慨深かったですね。
―S級初優勝と今回のGIII初優勝。同じ表彰台でも重みは違いましたか。
柳詰:今回の小倉のGIIIは各競輪場で年に一度行われる記念とも違って、普段はない開催だったのと、皆んなここに向けた気持ちは強くて、特に地元勢は皆んな勝ちたかったと思うんです。その中で自分が獲れた歓びが一番大きかったですね。
―第19回吉岡稔真カップ争奪戦、プレゼンターとして吉岡稔真さんがお越しになりました。吉岡さんに関したファンの方からのメッセージも寄せられました。
<表彰式、吉岡稔真さんの言葉で『地元の柳詰が優勝してくれて』と言葉を詰まらせておられました。前大会の表彰式と比べ、懸命なリハビリをされている事が良くわかるほどにハッキリ聞こえました。一競輪ファンの立場ですが地元や不動會現役選手の活躍が絶対糧になっていると感じます。特別な大会です。(ガーグルベイスンさんより)>
柳詰選手と吉岡さんの関わりや吉岡さんのリハビリに励む姿はどのように映りますか?
柳詰:自分もデビューして吉岡さんと何年間か食事をご一緒する機会がありまして、その時は病気とは無縁な方だと思っていたんです。そんな吉岡さんがあれほどの大病をされてしまった。
今回、退院後では初めてお会いしました。去年の開催の表彰式に比べて回復されていて凄く嬉しかったし、まさか吉岡さんからトロフィーを頂く日が来るなんて想像していなかったこともあってとても感慨深い時間でした。
―GIIIを優勝したことで今年の競輪祭(GI)の出場権を手にしました。ファンの方から<FI、GIIIを小倉で初優勝されました。このままGIも小倉で初優勝できることを願っています。意気込みをお聞かせください。(てとるさんより)>とメッセージも寄せられましたよ。
柳詰:GI優勝も、ですか?!いやぁ、もしそうなったらもう...。
まぁ、ゼロではなくなったのでその可能性がある限り精一杯に、一日々々を無駄にしないように、そこに向けてやれるだけのことをやっていくだけかなと思います!
―ほかにも競輪関連で<得意なバンクはありますか?(山中幸雄さんより)>という質問がありました。
柳詰:ズバリ、小倉競輪場ですね!(笑)。でも、この答えじゃ面白くないのかなぁ。
―こういった質問ではよ333・400・500バンクのどれが得意ですかって聞くのが定番なんですが、改めて考えるとバンク毎の特徴ってかなりあるんですよ。
ホームバンクの小倉とは別に好きなバンク、得意なバンクはありますか?
柳詰:う~ん、自分ってバンクの特性よりもその競輪場の雰囲気や安心感を感じることはあって、500mバンクのころの千葉競輪場(現在は千葉JPFドーム:TIPSTAR DOME CHIBAとして250m競走が行われている)が走れば毎回良い成績を取らせてもらっていました。記念の決勝を初めて走ったのも千葉記念でしたし。
それから向日町競輪場も雰囲気がすごく好きで、悪い成績で終えた記憶がないくらい。不思議と競輪場の雰囲気やバンクと自分の相性があっていたんでしょうね。バンク周長やカントの高さで得意不得意も当てはまるのとは違いますね。
―そうなんですね!向日町競輪場は現在は施設再整備中ですが、競輪開催が再開された際は柳詰選手から買えばいいことあるかも、ですね。
柳詰:ぜひ、お願いします!
―他に、もうおひとりの方から質問が来ています。
<(1)柳詰選手の高校の同級生の方が東京競馬場でお店を運営されており、ゴールデンウィークの西武園競輪の開催で応援に行かれたそうです。ところで柳詰選手は他の公営競技に関心はありますか?
(2)弟子の尾野翔一選手(福岡・127期)を松戸で応援してきました。尾野選手と師弟関係になってから何か変わりましたか?(ウマッスさんより)>のふたつでした。
柳詰:他の公営競技ですか?いやぁ、大きな開催やレースを身近な人に誘われて行くことはあっても自分からチェックして回るとかはないですね。
尾野君は彼が学校(養成所)に入る前に一緒に練習をしていました。彼はすぐに強くなったんで自分も負けじと練習をして。その分、気が張っていたし、ちょうど二年前くらいに成績が良くなったころで彼と練習していたことが相乗効果になっていたのはあったと思いますよ。
彼はそのまま学校に入って、そのままナショナルチームで、今は静岡で練習しているから一緒に練習したりってのは暫くないんですけど彼のレースを見て刺激を受けたりしていますね。
―尾野選手の走りはもがき合っても踏み勝つし、後手に回ってもとんでもない回転力でやってきます。この強さは師匠の指導が大きなきっかけになったんでしょうね。
柳詰:いやぁ、それは彼のポテンシャルでしょう(笑)。とにかく自信をもって走ってるようなので今は自分は特に言うことはないかなって思います。
―あらためて後半戦への意気込みをうかがいます。
柳詰:今期は玉野でサマーナイトを走らせてもらって、9月には共同通信社杯(GII)を、そして今回の優勝で11月の競輪祭(GI)の出場が決まりました。
それらを走ってまた見えてくる課題もあると思います。引き続き自分の足りない部分を埋めていけたらと考えています。
―ここからは本当に競輪一本やりの生活だと思います。一方でケアやオフの過ごし方は変わりますか?
柳詰:オフの時間の過ごし方となると...。自分はこれといった趣味を持っていなくて困っている部分ではあるんですよ。
自分は練習をやっていないと不安になる性格だから、いざ本番でオーバーワーク気味なんてことも。練習やオフの時間のメリハリが上手な人はいいなぁと常々思っているのでその辺りもこれから勉強ですね。
―では最後に全国のファンの皆様や、記事を読んでくださったオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いいたします。
柳詰:皆様の応援のおかげで今回GIII初優勝を地元で決めることができました。ありがとうございました。
それでも自分はまだまだだと思うので、もっと力をつけて九州の先行選手に信頼されるように一戦一戦を頑張っていきます。どうぞひきつづき、これからも応援を宜しくお願い致します!
―ありがとうございました。
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※インタビュー / 大村篤史(おおむらあつし)
九州地区の競輪場でレース実況を中心に活動中。
出身地は大阪。1976年生まれ。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
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