今月9日、浦和競馬場で酒井一則調教師が、開業第1号の管理馬を出走させました。
高崎時代、大変お世話になった酒井先生の新たな門出に、私自身も本当に嬉しかったです。
酒井先生は高崎の調教師として、2001年に開業。33歳という、異例の若さでした。
550戦54勝2着48回の成績を残し、2004年の高崎の廃止とともに、調教師免許を返上。
厩務員として、浦和競馬場へ移籍したのです。
競馬場間の移籍というのは、今でも大変厳しく、簡単に出来るものではありません。
高崎が廃止になった時も、結果的に免許を持ったまま移籍出来たのは、騎手の場合【大井1名】・【浦和1名】・【佐賀1名】の3場。
調教師は、【笠松3名】・【金沢4名】・【佐賀2名】の3場でした。
もちろん、他の競馬場でも受け入れに手を尽くしてくれた所もありますし、ほぼ同時期に廃止になった宇都宮競馬の関係者を受け入れてくれた競馬場もありました。
ただ...とにかく移籍するのはとても大変。
日本には、中央と地方の壁だけでなく、地方の間にも、大きな大きな壁があるのです。
そんな中で、今回の酒井先生の再調教師デビューは、本当に意義のあることだと思います。
調教師免許というのは、なかなか取得出来るものではありません。
33歳という若さで試験に合格した酒井先生は、いつも前向きに、楽しんで馬づくりをしているように見えました。
「書類なんかで職業を書く欄があると、『調教師』って書けることがもう嬉しくて。
だから厩務員に戻った時は、なんで...なんで...と、悔しい思いもありました」
まだ若かった酒井先生には、南関東以外の競馬場なら、免許をそのままに移籍する道もあったはずです。
「やっぱり、一番大きな所でやってみたかったんです。
もう1度厩務員から始めて、また調教師になれる保障はなかったけど、絶対なれると信じてましたから」
何の迷いもなく、免許を返上して浦和に移籍しました。
「応援してくれる、馬主さんの存在が大きいですね。それに、浦和の関係者も、協力してくれました。
こっちに来て6年...。
長かったような、でも短かったような感じです。
また調教師になれて、嬉しくてしょうがないですね。毎日嬉しいです。
早く職業を書くような書類を書きたいな(笑)。
これからの目標は1つ!
口に出しては言わないけど...心の中で秘めてます」
一度免許を返上し、再び調教師免許を取得した酒井一則調教師。
こういう方の頑張りを見ていると、地方間の移籍や交流の問題を、そろそろ本格的に見直してもいい頃だと思います。
南関東の期間限定騎乗の条件も、少しずつ広がっている。
重賞騎乗の以来があれば、どこの競馬場でも騎乗出来る。
地方間の馬や人の壁がなくなれば、より熱いレースが見られるはず。
もう少し。
もう少し前進して、全国各地の地方競馬が1つになる日を、待ち望んでいます。