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ばんえい名馬ファイル(1) キンタロー

史上初の1億円馬 キンタロー

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 「まだまだ走れる」。昭和61年12月14日、北見競馬場第9レース。この日を最後に競走生活から引退する10歳馬のレース、蛍の光賞が行われた。

 スタンドを埋めているファンの大半は、大外枠10コース、スタンドからいちばん近くに見える史上初の1億円馬キンタローの最後の勇姿をと、身動きできないほどの入りである。前週12月7日、ここ北見コースで3度目の農林水産大臣賞典馬となり、獲得賞金で重量が決定する番組編成上、最軽量馬のヤシタフジ他が800キロに対しキンタローが870キロと上下70キロのハンデである。昭和54年のデビューからコンビを組んでいた尾ケ瀬富雄騎手が調教師となり、その後61年春から騎乗している金山明彦騎手と、ハンデの発表を見てから蛍の光賞に出走させるかどうかはかなり悩んでいたという。

 関係者の多くは70キロのハンデがあるのではいくらなんでもキンタローといえども勝ち目はない、と思っていた。70キロのハンデは昭和49年、金山騎手が騎乗し怪物と呼ばれたハクリュウが3歳時に勝って以来のハンデ差で、当時これが最初で最後だろうと言われたものである。力量差のある3歳馬ならともかく、古馬のオープン戦である。ファンの多くは、「1トンを超える馬だもの。10キロや20キロなんかあまり気にすることないよ」と思っている人がまだまだ少なくない。でもその10キロが勝負を左右する。ゴール前10メートルでその差が微妙に出る。それがばんえいの面白さなのである。

 大臣賞典直後の尾ケ瀬富雄調教師のコメントで「70キロのハンデ差は確かにきついが、それ以上にこの時計の速い馬場状態の方が展開的に苦しいね。大臣賞典を最後に引退というのがいちばんかもしれないが、今、本当に体調がいいんですよ。走れる限り走らせてあげようと思っているんですよ」と話してくれた。

 着差1秒1。

 ゴール前、久田守騎手のアサヒダケを金山騎手が必死で追うが、半馬身届かず2着。馬道を厩務員に引かれてくる1027キロ青毛の馬体を見送りながら多くの人から出た言葉が、「さすがキンタロー、まだまだ走れる」であった。

 キンタローのように強い馬を、第2のキンタローを俺の手で、というのが厩舎関係者の目標である。

 3~4歳時のキンタローは無冠で終わっている。3歳の能力テスト前から、関係者の間では注目されていたが、感冒のため体調を崩していた。同期のマルトダンサーが後年3000勝ジョッキーとなる金山騎手とコンビを組み、3歳時ナナカマド賞他、4歳時にはダービー、菊花賞、大賞典と3冠馬となり、華々しい活躍の陰でじっと体調の回復を待った。

 その素質が開花するのは、北見競馬場で行われた第4回地方競馬全国協会会長賞(5歳オープン)である。1番人気のマルトダンサーを破り、初の重賞勝ちとなる。のちに1億円馬となるまでの活躍は、農林水産大臣賞典3回、岩見沢記念3回、旭シルバーカップ3回など重賞14勝。この記録は通算獲得賞金1億624万5000円とともに未だ破られてはいない。その後、平成10年度のフクイチまで6頭の1億円馬が誕生するが(※1)、昭和50年当時の賞金は大臣賞典750万円、開催日数17開催102日。現在の25開催130日(※2)など諸事情を考えると、ばんえい最強と呼ぶにふさわしい馬であることは間違いない。

 38秒9、帯広競馬場、水分9.9%、平成4年キタノテイオー。6分10秒6、旭川競馬場、昭和44年ハルトカチ。ばんえいレコードである。両方とも直線200メートルの最小、最多要タイムである。この時計の差がばんえい競馬の奥の深さを示す。

 旭川・岩見沢・帯広・北見と現在4市で行われているが(※3)、各競馬場には砂の深さ、障害の型、その他微妙に変化も持たせている。名馬と呼ばれる馬となるにはスピード、力、登坂力、最後に闘争力。その中のひとつでも欠けていては、砂塵の舞う8月の旭川、雪の中の帯広では通用しない。バランス良くそれらの要素を兼ね備えた馬づくりに関係者は今も、第2のキンタローをと、朝夕の調教に汗を流している。

文/小寺雄司

(馬齢は当時の旧年齢で表記)
※1:その後、スーパーペガサスも1億円馬に
※2:1999年当時
※3:平成19(2007)年より帯広単独開催

キンタロー
1977年生 ペル系 牡 青毛
父 ペル・二世ロッシーニ
母 ペル系・宝玉
母の父 ペル・威鏡
北海道別海町・粂川一郎氏生産
競走成績/102戦32勝
収得賞金/116,725,000円
主な勝鞍/82年岩見沢記念(岩見沢)、83年旭王冠賞(旭川)、農林水産大臣賞典(帯広)、84年旭シルバーカップ(旭川)、85年旭シルバーカップ(旭川)、岩見沢記念(岩見沢)、農林水産大臣賞典(帯広)、86年岩見沢記念(岩見沢)、農林水産大臣賞典(帯広)、旭シルバーカップ(旭川)


月刊「ハロン」1999年6月号より再掲

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