自転車競技の日本代表としてパリオリンピックに出場した太田りゆ選手(埼玉112期)。自転車競技を引退し今後はガールズケイリン1本でいくとの発表がありました。オリンピックと直後に行われた女子オールスター競輪の振り返りを中心に今後についてもお話を伺いました。
山口みのり:まずはオリンピックの振り返りをお伺いします。初めてオリンピック代表選手として選ばれた時はいかがでしたか?
太田りゆ選手:前回の東京オリンピックからの3年間、しっかりと結果を積み上げてきたことでの今回の代表選出だったので、突然選ばれた訳ではありません。「私がやってきたことが、代表選考の基準をクリアしていたんだな」と、選ばれたことでその確認ができてほっとした部分が大きかったです。
山口:東京からの3年間という時間はどう感じましたか?
太田:長かったとも言えるしあっという間だったとも言える、難しい質問です。東京からパリに向けてレベルアップをするには時間は充分ありました。ただ目標がしっかりしている分、濃い時間を過ごしたのであっという間に感じる部分もありましたね。思い返してみれば、長かったかな......(笑)
山口:様々なものを犠牲にして、というと変かもしれませんが、集中してパリへ向けて取り組んでいたんですもんね。
太田:そうですね。ただやりたいことはやっていたので、私自身が「何かを犠牲にしている」という思いはありませんでした。そして周りの環境や援助にはすごく感謝をしています。コーチやナショナルチームのサポートをはじめ、競輪界やHPCJCなど各方面の助けがあり生活を送れていました。パリに向けて集中できる環境を整えてもらったのがすごくありがたかったです。
山口:フランスへ向かってからもトレーニングをしていたんですよね?
太田:ルーベという場所でトレーニングをしたのですが、日本の暑さから抜け出して涼しい環境で最終調整ができました。食事も練習環境も全てそろっていて、私は練習だけをさせてもらえる環境でした。
パリオリンピックへ参加することが決まってからメディアの取材なども多かったんですが、ルーベでは取材も制限させてもらって、トレーニングだけを集中してできました。そこでは追い込んだトレーニングというよりも、自分に合ったトレーニングを中心に行いました。8年間ナショナルチームでやってきて、自分が本番で調子を良くするためには何が合っているのかというのもいろいろ試したんです。その経験のもとジェイソン(短距離ヘッドコーチ)と相談して調整をしました。
山口:パリへ入るときには仕上がっていたんですね。
太田:はい。後は本番のレースをどれだけできるかの良い状態でした。選手村に入ると、オリンピック独特の高揚感もありましたね。
山口:競技は女子はまずケイリンからでした。1回戦は5位でしたがいかがでしたか?
太田:順位は良くないのですが、レースが見えていて私もやりたいことをできました。ただちょっとしたミスがあって、勝ち上がれる2位までには入れませんでした。でも5位でゴールをした瞬間も気落ちせずに「次で絶対勝ち上がれるな」という手応えがあったんです。
オリンピックの初戦、緊張感がある中でのレースでしたが、それがとても楽しかったんです。「私はこの場所に来たかったんだな」と感じました。
山口:終わってからの太田選手のコラムを拝読したのですが、前向きに感じていたのがわかりました。
太田:ケイリンなので一つのミスが結果に大きく繋がるんですが、そのミスの内容が決して悪くなかったです。自分で考えて動いた結果だったので、次は大丈夫だなと思いました。
山口:敗者復活戦ではゴールをしたときに残り1周の鐘が鳴るというアクシデントがありましたね。
太田:自転車競技ではラスト1周のときにそれを知らせる鐘が鳴るんですが、それが鳴らないとは思っていなかったです。自分ではもちろん周回は確認していたし、最後の差しにいったところがゴールだとわかっていました。でもゴールだと思ったのに鐘が鳴り、その時に周回板を確認したら「残り1周」の掲示でした。「あれ?私が間違っているのかな」とも思ったのですが、自分が1番先にゴールをしているので後ろの状況がわかりませんでした。
でも1位じゃないと勝ち上がれなかったので、万が一のためにもう1周いきました。
山口:判断が早かったんですね。
太田:あとで何を言われても、ここでも次の周回でも1位でゴールをしたら文句ないでしょ?と思っていました(笑)踏ん張りました(笑)
山口:準々決勝は仕掛けていったところで並走がありましたね。
太田:抽選でスタートが6番手からだったので、正直に言えば苦手な位置でした。でも私の前にいる選手が強い選手だったので、その選手の仕掛けにのっていって私も仕掛けようと思っていました。私はやるべきときに仕掛けていけたし、捲りにいくタイミングも悪くなかったと思います。ただ相手が強かったです。私も悪くはなかった。でもオリンピックというレースで、力がぶつかったときに負けてしまいました。納得のいく後悔のないレースでした。
山口:最後は7位-12位決定戦のレースを走って最終結果は9位、日本人としては歴代最高順位だったと記事を見ました。その結果はいかがでした?
太田:敗退した時点ですごく苦しくて感情もコントロールができませんでした。次のレースまでは30分もなかったんですが、ジェイソンが「ここはオリンピックだから7位-12位だってすごいよ。メダルはもう狙えないけど、4年に一度、全員が最高のコンディションで走る舞台で世界の7位-12位はすごいことなんだから、少しでも良い結果を取ってきなさい」と言ってくれました。それで納得ができ、レースでもやれるべきことができたかなと思います。
山口:そうでしたか。ではケイリンの次はスプリントでした。太田選手はこれまでスプリントで結果を残していますね。
太田:そうですね。力は入れてきた種目です。アジア選手権でも連覇をしています。東京オリンピックに出られずに、その後強化してきたのがスプリントでした。
ケイリンが終わった次の日にスプリントの予選でした。正直に言うとメダルをオリンピックで狙うならケイリンの方が現実的だったんですが、スプリントでメダルを狙うことはすごく難しいことです。ケイリンから気持ちを立て直していくのは難しい中での予選のタイムトライアルでした。
山口:予選を突破し1回戦は地元フランスの、日本でも走ったことのあるマチルド・グロ選手でしたね。
太田:はい。日本でも人気があった選手で、私も一緒にバラエティ番組にも出させてもらったりしました。普段の国際レースでも話をさせてもらう機会も多く交流のある選手です。
山口:思い切った仕掛けがありましたね。
太田:力で言うとマチルド選手の方が圧倒的に強い、速いです。でもレースですから、勝機を狙って仕掛けるのはあのタイミングでした。勝つための最善策だったと思います。
山口:敗れて、敗者復活戦は3人でのスプリントでした。3人というのは普段もあるんですか?
太田:ほとんどないです。チャンピオンズリーグというイベントレースがあるのですが、その時くらいですね。正式なレースで3人で敗者復活戦というのはほぼありません。
山口:見ている方もびっくりしましたが、選手もほぼ経験がなかったんですね。
太田:スプリントの敗者復活戦自体があまりないんです。オリンピック独特のレースですね。
山口:そのレースが最後のレースになりました。終えたときはいかがでしたか?
太田:後悔なくオリンピックで自分の力を出せました。私は8年間日本代表として活動してきましたが、みんなのおかげでここまでやってこられました。オリンピックの舞台で走って、自分が思っていたよりもすごい景色が見られたし、歓声や拍手は他のレースとは比べ物にならないくらいありました。世界選手権やワールドカップは数え切れないほど出させてもらいましたが、オリンピックは別物でしたね。素晴らしい雰囲気の中で走らせてもらえて、後悔なくやり切れました。
山口:オリンピックで引退するというのは決めていたんでしょうか?
太田:そうですね。万が一気が変わって続ける可能性もありましたが、競技はオリンピックで引退するというのは決めていました。
山口:全部出し切ろうという気持ちもあったんですね。
太田:そうですね。終わりが見えずに何年もやってきたものが、オリンピックで最後ということで、この1年くらいは「これをやるのは最後かもしれない」というタイミングを都度感じて、一つ一つやってきました。ゴールがあると踏ん張れるのか、オリンピックまでの日々は集中して頑張ってこられたのかなと思います。
山口:そうでしたか。ではここまでのナショナルチームの生活を振り返っていかがですか?
太田:競輪学校生のとき、初期の初期の頃、私が何も力を証明できていないときから何もかもサポートしてもらって、すごくありがたい環境の中で練習させてもらえました。そして期待にしっかり応えられるように頑張ってきました。ジェイソン、ブノワ(自転車トラックチーム・テクニカルディレクター)をはじめとしたスタッフには「ありがとうございます」の一言です。感謝の気持ちが大きいです。選手としてデビュー当初から期待をしてもらっていたけど力が見合わずに、もどかしい思いもさせたと思います。でもパリオリンピックのケイリンで、私が歴代最高順位を取れて良かったです。
まだまだ日本の自転車競技は強くなると思うし、今後、自転車競技も発展していくと思っています。ナショナルチームで過ごした時間は人生の財産だし、素晴らしい経験をさせてもらいました。
山口:思いを聞かせてくださってありがとうございます。お疲れ様でした。
ではオリンピック後は、平塚の女子オールスター競輪へ向かわれました。まずは5位でドリームレースに選出されたのはどう感じましたか?
太田:2018年から連続して選出していただいているんですが、今年に関しては出走本数が全くない、オリンピックを目指しているけど出られるかわからない、もしオリンピックに出たとしたら平塚のレースは参加できるかもわからないという中で、毎年行っていたようなSNSで投票のお願いはできませんでした。
山口:投票をお願いしても走れない可能性がありましたもんね。
太田:そうです。もし私に投票してくださっても「オリンピックがあるから走れませんでした」というのは無責任だし失礼だと思ったのでしたくなかったんです。だから自分は結果を待つだけだったんですが、5位という結果をいただけて嬉しかったです。
山口:当日の朝に日本に到着したんですよね?
太田:そうですね。朝に帰国し平塚へ向かい、20時すぎにはレースを走っていました。当日は疲れはありましたが、アドレナリンとか勢いとか、後は選手紹介のときのお客さんの声援がすごくてなんとかレースを走り切りました。「おかえり」「オリンピックお疲れ様」などたくさんの声があり、歓迎されてやる気だけは満タンで初日を乗り切りました。
でも2日目は時差ボケや疲れが出てきて苦しかったんですが、そこでも応援があったから頑張れました。2日目は着が悪く、決勝進出のためのポイントでは別の選手と同ポイントだったんです。でもドリームレースに選んでもらえたおかげで決勝に上がれました。それもファンの皆さんに助けてもらえました。
ここまで皆さんの前で走る機会は少ししかなかったけど、これからは競輪選手として頑張っていくので、皆さんの前で走るのを楽しみにしてもらえたら嬉しいです。
山口:ガールズケイリンへ専念するという発表がありました。太田選手は、デビューする前の養成所時代からナショナルチームと両立されてきましたが、初めてガールズケイリン1本になります。それについてはいかがですか?
太田:不思議な感じです。
山口:管理されてきたところから、練習メニューなどは自分で作るんですよね?
太田:そうですね。実は今はもうすでにその生活に切り替わっています。初めて自立?独立?しました(笑)あとは野生になったとか言っています(笑)
でも今までナショナルチームで教わってきたものを基本に自分で今のところはうまくやれています。オリンピックが終わりガールズケイリンのレースが本格的に始まるまでは息抜きの時間も多いですが、うまく組み立てられるんじゃないかなと思います。
山口:練習拠点は埼玉へ戻るんでしょうか?
太田:いえ、まだそこは何も決めていません。オリンピック後に気が変わってまだ続ける可能性もあったので、バタバタした動きはしたくなかったんです。伊豆を拠点に練習はしていますが、練習メニューは自分で考えてやっています。
山口:ナショナルチームの練習に合流することもあるんですか?
太田:いえ、それはなく、準備が整い次第、埼玉に戻る予定です。
山口:ありがとうございます。ではガールズケイリンのレースが9月末から本格的に始まりますが、今年の目標は何ですか?
太田:今年に関しては賞金がほぼないので、ガールズグランプリの出場は無理かなと思っています。まずはガールズケイリン選手としての生活に慣れていく、練習を組み立てていく、生活のありかたを確立していく時間にしたいなと思います。
山口:今までと全く違う環境になりますもんね。
太田:月に2回、3回もレースに行くという生活を今まではやったことがなかったので、その管理の仕方をどうしていくか、答えを見つけていかなければいけません。
山口:では賞金争い、タイトル争いへは来年から本格的に狙うという感じですか?
太田:そうですね。今年の競輪祭女子王座戦(GI)を優勝できたら良いなと思うのですが、グランプリ出場に関しては本格的に狙うのは来年からです。
山口:ナショナルチームやオリンピックの経験など、太田選手にしか持っていない部分もたくさんありますが、ガールズケイリンへいきることも多いですよね。
太田:絶対そうだと思います。良い知識を持っていると思うので、それをいかしてやっていきたいです。
山口:基盤を整えていくという部分で、オリンピック後はオフの時間も大切だったと思います。ゆっくりはできましたか?
太田:お酒を飲んだり、好きなものを食べたり、お買い物をしたり、テーマパークに行ったりと好きなことをしています。テーマパークは大好きなので新エリアのアトラクションも全部行きました!やりたかったことはできましたね。
後は、イベント出演やメディア取材などオリンピックまでは制限していたものを、この時間にお受けしています。皆さんが喜んでくれるのが嬉しいですね。
山口:ありがとうございます。では次のあっせんが9月29日からの川崎ナイターです。ここへ向けてはいかがですか?
太田:今まで通りの練習はできないので、その代わりの練習をどうやっていくかを考えている途中です。後はナショナルチームを引退して、自由なのでやることもいろいろありますね。今までは守ってもらえる環境だったなと実感しています。その中でちゃんと練習をできる時間を確保するのも難しいですが、それをやれるように努力しています。
山口:ミッドナイト競輪のあっせんも入っていますね。
太田:ミッドナイトは走ったことはありますし、海外のレースを経験していると、朝が早い、夜が遅いなど時間という部分では心配はしていません。
山口:平塚ではファンの皆さんの前で久しぶりにレースをされました。たくさんの応援がある中で、ガールズケイリンへ専念されるのはいかがでしょう?
太田:すごく楽しみです。
山口:では最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
太田:まずは競技者として長い間応援をしていただきありがとうございました。これからは競輪選手としてトップを目指して走りますので、ぜひ変わらずの応援をよろしくお願いします。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
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