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競輪界を代表する男子選手、ガールズケイリン選手にインタビューを実施します。他では聞けない素顔や本音、競輪にまつわるエピソード、今後の抱負などをご紹介します!

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浦部 郁里選手
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ガールズ1期生である、102期の浦部郁里(うらべかおり)選手は、2015年所属を千葉から福井に移し、練習環境を一新。さらなる高みを目指し、日々練習に取り組んでいます。

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赤見:102期ということで、ガールズ1期生ですけれども、競輪選手を目指したきっかけというのは?

浦部:そもそもまったく競輪を知らなかったんですよね。2010年に千葉で国体があったんですけど、松戸の競技場で市の強化チームを作ったから、参加する女性を募集していたみたいで。たまたま大学の同級生が自転車部で、誰か女の子を呼んで来てって言われたみたいで、それで声を掛けられたのがきっかけです。

赤見:大学で陸上をしていたんですよね?

浦部:何も部活はしていないです。それ、ウィキペディア情報ですよね?だいぶ違うことが書いてありました(笑)。

赤見:それは大変失礼しました。

浦部:いえいえ。わたしも「違うな~」と思いながら放置していたので(笑)。運動は、小中で陸上、中高で剣道をしていました。その後順天堂大学に進んだんですけど、そこは運動ではなくて、普通に勉強して入ったんです。だから、大学の時は何も運動していなくて。それで、自転車やってみないかって声を掛けてもらって、バンクで乗ってみたら最初から全然怖くなくて、普通に上まで走れちゃったんですよ。周りからも「合ってるんじゃないか」って言われて、今に至るという感じです。

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赤見:最初からバンクの上の方まで行けるとは...。すごいですね。

浦部:でもその時にはまだ女子の競輪はなくて、土日に楽しむ程度でしばらくやっていたら「女子が復活するんだってよ」って聞いて。松戸からも選手を出したいということで、「受けてみないか?」と言われて、受験することになりました。

赤見:なるほど。大学卒業と同時に競輪学校入学という流れですか?

浦部:実は大学卒業後に柔道整復の専門学校に行っていたんですよ。大学時代は教員になろうと思っていたんですけど、何か違うなと思って。いろいろ考えて、人をケアする仕事がしたいと思って。結局中退して競輪学校に入りましたけど。

赤見:大学から先の進路というのは、けっこう迷いましたか?

浦部:もともと身長が150センチしかなくて、プロスポーツをするには身長が足りなかったんです。運動は得意だったんですけど、自分が選手として戦うのは難しいなと。それで、指導したり支える側になりたいと思っていたんですけど、結局は自分が戦う側になりました。紆余曲折はありましたけど、それほど悩んだという意識はないですね。

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赤見:競輪学校は1期生ということで、選手の皆さんも学校側も手探りの面があったと思いますけれども。

浦部:そうですね。選手側に関して言えば、何も決まっていないところに飛び込んで来る人達ですから、だいぶキャラが濃かったです(笑)。先生たちも大変だったんじゃないですかね。学校での1年は楽しいって言ったら楽しかったのかもしれないですけど、わたしの場合しっかり競輪を覚えてからではなく、何にも知らない状態だったので、覚えるまで苦労はしました。

赤見:デビューは2012年7月平塚でした。

浦部:その段階ではまだ全然、何が何だかわからない状態でした。女子競輪の自転車はカーボンでっていうのも、卒業の直前に決まったんですよ。それまでは男子と同じ自転車で練習していたのをデビュー直前で乗り換えて。レースのことも全然わかっていない状態ですから、最初はなかなか自分のレースというものができなかったです。

赤見:でも、すぐ次の月に初勝利を挙げましたし、翌年地元松戸で初優勝も果たしました。

浦部:地元で勝てたのは嬉しかったです。師匠の前で優勝できたことは大きかったですね。本当はもっと早い段階で勝ちたかったんですけど、落車もあったりして、少し時間が掛かってしまいました。悩んでいた時期だったんですけど、優勝できて本当に嬉しかったですね。

赤見:福井に所属変更された後も、師匠は同じ方ですか?

浦部:はい、ずっと吉川和廣選手です。競輪界は古い社会ですし、一回師匠になったら最後までという絆もありますから。この世界の中で、父親みたいな存在ですし、所属は変わりましたけど、師匠を変えたいとは思わないです。それに、もともと放任主義でがっつり練習をみてくれていたわけではないですし(笑)。いろいろ相談に乗ってもらったり、今でも連絡は取り合っていますよ。

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赤見:千葉から福井に移籍した経緯というのは?

浦部:練習環境を変えたかったというのが一番ですね。いろいろ悩んでいる時に、現在は引退されてますけど野原哲也さんという大御所の方がいて、その方が「練習困っているなら見てあげるからおいで」って言ってくれて。すごく有り難かったです。松戸は住宅街ということもあって、車で移動してからじゃないと練習できなかったのが、福井は家の前からできるっていうのもわたしには合っていて。のどかだし、山も近くにあって、すごくいい環境です。

赤見:現在の調子はいかがですか?

浦部:今年の1月2月にちょっと走り過ぎたかなっていうのがあって、今体調を崩しているんです。オフシーズンがない分、ずっと保つのは難しいですね。その時期体調の良くない子が多くて、その分ってわけではないですけど、連戦という形になって。レース中は緊張感もあるので大丈夫だったんですけど、終わったあとにガクッときてしまいました。今は療養しながら体調を整えている状態です。

赤見:では、今の目標を教えて下さい。

浦部:まずは体調を整えて、自分のやりたいレースをできるようにしたいです。あと、若い子が増えて来て、世代交代じゃないですけど、自分が培ってきたものを後輩にも伝えられればいいなと思っています。基本はライバルですけど、悩んでいることに気づいたら、アドバイスができるような先輩でいたいですね。体のケアについても知識は持っているので。そうやって、どんどんガールズが盛り上がってくれたらと思っています。

赤見:オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。

浦部:なかなか顔が見えないと思いますけど、みんな一生懸命がんばっているので、選手一人一人の個性を見て欲しいなと思いますね。その中で自分の推しメンを見つけて応援していただけたら嬉しいです!

赤見:ちなみに、浦部選手は甘いものが苦手なんだそうですね。

浦部:そうなんですよ!ケーキとかもう本当に苦手で。お酒は飲まないんですけど、枝豆とかおじさんぽいものが大好きです(笑)。レースとは直接関係ないですけど、こういうところも個性の一つなのかなと思います。これをきっかけに覚えていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします!

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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA

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2017/07/03

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