『全日本的なダート競走の体系整備』によって、今年で最後になる地方競馬のダービーシリーズには、全8レースのうち4つの"ダービー"に足を運ぶことができた。東海ダービー、東京ダービー、北海優駿、そして6月28日の石川ダービー。
コロナで社会生活がさまざまに制限された時期には競馬場に行くことも難しくなり、競馬場によっては取材も制限された。石川ダービーには、コロナによる無観客開催が始まった2020年はさすがに行くことができなかったが、2021年からは3年連続で現地取材することができた。
2021年5月25日、第5回石川ダービー。コロナの蔓延がはじまってから1年とちょっと。まだまだコロナは拡大していた時期で、往復の北陸新幹線はガラガラ。そして多くの競馬場がそうだったように、ファンの入場は再開していたが、かなり人数を制限してのものだった。「密を避ける」ということが呪文のように言われ、ひとりおきに座るようにスタンドのベンチに貼られたバツ印のテープは今も残されたままだ。
5月下旬といえども暑いほどの陽気だったが、石川ダービーのパドックでポツリポツリと雨が降り出した。返し馬をおえたあたりで、怪談などでよく言われる「辺り一変にわかにかき曇り...」という状況になり、吹く風が急に冷たくなった。そしてゲートインのあたりでは突然の横殴りの雨。まさにゲリラ。直線、アイバンホー、ビルボードクィーンという人気を集めた2頭が、3番手以下を離しての一騎打ち。しかし小柄なビルボードクィーンは強風に煽られ大きく外によれ、アイバンホーがクビ差で勝利。北日本新聞杯からの二冠制覇となった。
ときは緊急事態宣言のさなか。駅の回転寿司は19時閉店。その15分ほど前に滑り込み、軽く寿司をつまんで新幹線で帰宅。飲食店が時短営業だったのも、ずいぶん前のことのように感じる。
2022年6月21日、第6回石川ダービー。コロナはまだ収まってなかったものの、新幹線にも飲食店にも少しずつ客が戻ってきた。
その年の石川ダービーは、単勝1.3倍という断然人気に支持された牝馬のスーパーバンタムが3コーナーで先頭に立って後続を寄せ付けず、2着に3馬身差をつける完勝。スーパーバンタムはその後、園田に遠征して西日本ダービーも制する活躍を見せた。
それにしても競馬場にお客さんが入るようになったとはいえ、当時まだ制限はされていて、場内売りがほとんどという地方競馬の専門紙はよく生き残ったものと思う。しかしながらコロナ前と同じというわけにはいかず、金沢ではコロナの無観客開催が始まった2020年3月、それまであった3紙、『カナザワ』『キンキ』『ホープ』が合理化を目的として新会社を設立し、新聞制作が一本化された。また3紙とは独立して発行していていた『ホクリク』は2022年末で残念ながら休刊となった。
コロナは存在し続けるものの、それによる制限がほとんどなくなった今年の石川ダービー。金沢へと向かう北陸新幹線は、平日の昼頃という時刻にもかかわらずほぼ満席。コロナ制限の期間中はほとんど見ることのなかった、外国人観光客もちらほら。金沢駅の改札を出ると外国人で溢れていた。が、そんな外国人観光客とは無縁の無料送迎バスで金沢競馬場へ。
今回は、石川ダービーの取材以外にもうひとつ、どうしても叶えたい目的があった。それは、金沢競馬場内のあるものを食べること。
地方競馬は、コロナの無観客開催や人数を制限していた時期に、閉店してしまった食堂や売店がいくつもある。それは、昭和の時代に競馬場に入ったお店の方々が高齢となり、後継者もいないところにたまたまコロナ禍がきたというタイミングも少なからずあったと思われる。しかしながら、徐々にお客さんが戻ってきているタイミングで、若い人が空き店舗で新たに始めたお店もある。
金沢競馬場の『馬笑屋(ばしょうや)』さんもそのひとつ。そこで「店主のおすすめ!」と書かれているジャンボチキンフライと、タルタルチキンフライ丼が、盛岡競馬場のジャンボ焼鳥のように、金沢競馬場の名物になるようにがんばっているらしいのだ。
そのジャンボチキンフライがこれ。なんとこれで300円! なのだが、じつはこれ、昨年10月の白山大賞典のときに食べたもの。次は、タルタルチキンフライ丼と思っていたのだが、しかし。いまだありつけていない。今回も、競馬場に到着したのが午後3時すぎという時刻では、チキンフライは最後の1個。それも、1串ではなく1ピース。すでにご飯もなくなってしまったと。
というわけで目標のひとつは達成できず。石川ダービーは、断然人気となったショウガタップリが危なげなく勝ってデビューから10連勝。吉原寛人騎手は今年7回目となった石川ダービーで4勝目とした。
さらに、吉原騎手は今年のダービーシリーズでは全8戦のうち5戦に騎乗し、高知のユメノホノオに続いて2勝目。コロナによる制限中は、騎手にとっても所属場以外での騎乗がかなり制限されていた。吉原騎手を全国の競馬場であたり前のように見るようになったことでも、3年にも及んだコロナの制限から開放され、日常が戻ってきたことを思わせた。