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斎藤修NAR『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』、『競馬総合チャンネル』などで地方競馬を中心に記事を執筆。グリーンチャンネル『アタック!地方競馬』『地方競馬中継』解説。1964年生まれ。

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【コラム】名古屋競馬場移転
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 名古屋市港区にあり、その地名から"土古(どんこ)"とも呼ばれ親しまれた名古屋競馬場が3月11日で開催を終えた。年度が変わっての4月8日からは、これまでトレーニングセンターとして使用されてきた弥富市の施設が新・名古屋競馬場となって開催が始まる。
 
 愛知県の競馬場の歴史をみると、大正時代末期には、岡崎、豊川、一宮、豊橋と4カ所で競馬が行われていたが、昭和2(1927)年に公布された地方競馬規則のもと、新たに組織された名古屋競馬倶楽部に、岡崎、豊川の倶楽部が合併する形となって、西春日井郡川中村(現・萩野村)に名古屋競馬場が新設された。
 その後、昭和6(1931)年に名古屋市南区稲永新田(現・港区稲永新田)に移転、さらに昭和11(1936)年には丹羽郡岩倉町(現・岩倉市)に移転し、昭和13(1937)年まで開催されたが、昭和14(1938)年には戦時体制となって名古屋競馬場は廃止。岡崎競馬場が鍛錬競馬場となって、昭和18(1943)年まで軍用保護馬の鍛錬競走が行われた。
 そして戦後、昭和23(1948)年に新たな競馬法が施行されると、昭和24(1949)年4月1日に愛知県と名古屋市で名古屋競馬場管理組合が組織され、同年6月に完成したのが"土古"の名古屋競馬場。以来、73年間に渡って開催が行われてきた。
 
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旧・名古屋競馬場で行われた最後のレースの直線
 
 旧競馬場の開催最終日となった3月11日には4220名のファンが入場。最終レース終了後にはスタンド前で閉場式が行われ、愛知県競馬組合の管理者である大村秀章愛知県知事が挨拶。跡地は「都市開発の拠点となる」という話があった。
 その旧競馬場は3月18日から『サンアール名古屋』と名称を変え、2号・3号スタンドで引き続き場外発売が行われている。2024年にはコースの2コーナーあたりに新たな場外発売施設が完成予定となっており、順次、スタンドが解体され、その跡地はショッピング施設になるとのこと。コースの一部は学校や公園になり、また2026年に開催される第20回アジア競技大会の選手村としても使用される。
 
 一方、トレーニングセンターから姿を変えた新・名古屋競馬場では、3月22日に模擬レースと開場式が行われ、24日にはナイターでの模擬レースも行われた。
 
 旧競馬場は1周が1100mで、ゴールまでの直線は現存する地方競馬でもっとも短い194mだったのに対して、新競馬場は1周1180mで、ゴールまでの直線は240mと長くなった。1周距離は80m長くなっただけだが、旧競馬場に比べてかなり大きく見えるのは、幅員が23mから30mと広いコースになったためと思われる。
 設定距離は、900、920、1500、1700、2000、2100m。これにともない、従来から行われてきた重賞などの距離も変更される。ダートグレード競走として最長距離の2500mで争われてきた名古屋グランプリが2100mになってしまうのはちょっと残念ではある。
 
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ゴールまでの直線240mは、西日本の地方競馬ではもっとも長い
 
 特徴は、3〜4コーナーのスパイラルカーブ。地方競馬では船橋競馬場でも採用されているが、コーナーの半径が入口の3コーナーでは大きく、出口の4コーナーに向けて徐々に小さくなるため、スピードに乗ったままコーナーを回ることができる。
 旧競馬場は1周1100mでも直線が短いぶん、コーナーがゆったりしていて、小回りのわりには3コーナーあたりからまくってくるようなレースが見られたが、新競馬場では勝負どころでのまくりから、さらに直線での追い込みがスリリングなものになりそうだ。
 
 トレーニングセンターとしてつくられた場所だけに、公共交通機関での便は決していいとはいえない。最寄り駅でも、近鉄蟹江駅または近鉄・JR弥富駅から約10km。開催日には、名古屋駅(名鉄バスセンター)、サンアール名古屋(旧競馬場)、近鉄蟹江駅から無料シャトルバスが運行される。
 すでにバスの時刻表も発表されていて、たとえば昼間開催時は、名古屋駅(名鉄バスセンター)から競馬場へは午前中に2本のみだが、近鉄蟹江駅からは10時から15時台まで5本が運行される。
 遠方からの遠征の場合、名古屋駅で近鉄に乗り換えれば近鉄蟹江駅までは8分ほど。行きは近鉄蟹江駅からの無料バスに乗って、帰りは最終レース後、名古屋駅行きのバスを利用するというのが便利そうだ。ただしバスの所要時間は、競馬場ー近鉄蟹江駅間は約25分、競馬場ー名古屋駅間は約40分となっている。
 
 競馬場の近くにあるのは、大規模な倉庫と思われる建物だけで、民家などはまったくない。それゆえナイター開催も問題がなかったのだろう。ただしナイター開催は他場との競合を避け、1〜2月の冬期間を中心に、2022年度は26日間を予定。
 周辺に配慮するような施設がなく、他場との競合を避けるということであれば、他競技ではすでに行われている、無観客による競馬初のミッドナイト開催という可能性はどうなのだろう(あくまでも個人的な希望です)。
 オッズパーク的には、競輪、オートだけでなく、競馬にもミッドナイトがあればいいと思うのだが。
 
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スタンドは、1階屋外席312席、2階屋内席229席。ほかに1〜6名用の個室もある

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2022/03/29
思うこと

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