飛燕賞では佐賀で初めての敗戦を喫したトゥルスウィーだったが、スピードで押し切った前が止まらず、距離不足だった。その敗戦を払拭するかのように、ル・プランタン賞では逃げたシュリーデービーを早めにとらえて完勝。佐賀皐月賞でも中団から早め先頭で後続を寄せ付けなかった。兵庫から転入してきたガーディアン以外とは勝負付が済んだか、明らかに能力差があり、二冠達成の可能性は高い。
相手筆頭には、佐賀皐月賞2着のプリマステラ。続く前走の鯱の門特選では4着だったが、ラチ沿いで馬群に閉じ込められ、ペースが上がった向正面で動くことができず、レースをさせてもらえなかった。トゥルスウィーを負かすまではどうかだが、ここはさらなる距離延長で巻き返すと見る。
兵庫からの転入初戦を勝ったのがガーディアン。ハイペースで飛ばした前が総崩れになったところ、後方追走から一気に先頭に立って押し切った。展開的にはまった感じがあり、この距離であらためて能力が問われるところ。
飛燕賞で僅差2着だったシュリーデービーだが、ル・プランタン賞が3着で、佐賀皐月賞は勝ち馬から大きく離されての5着。距離が課題だが、今回は有力馬からのマークが軽くなって、マイペースで逃げさせてもらえれば粘り込む場面もあるかもしれない。
鯱の門特選では後方から直線脚を使って2着だったムーンオブザボスは、同じように流れが向くかどうか。
◎6トゥルスウィー
○8プリマステラ
▲1ガーディアン
△4シュリーデービー
△5ムーンオブザボス
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ラブバレットが予後不良という報せには驚き、そして何より残念でならない。
5月25日の水沢第12レース、スプリント特別。リアルタイムではレースを見ておらず、お知らせのメールが来てからその事実を知ってレースを見た。
それを知った上で見たからなのかもしれないが、スタート後のラブバレットの行きっぷりがあまりよくないように見えた。そして2コーナーを回って少し進んだあたりでバランスを崩し、競走を中止した。右第一指骨開放骨折とのことだった。
地方所属馬がダートグレード競走を勝つのはなかなかに難しい。とはいえまったく勝てない年というのはなく、それでも近年では年に一桁という年がほとんど。
かつての岩手競馬では、メイセイオペラやトーホウエンペラーがNARグランプリ年度代表馬となる活躍を見せたが、岩手所属馬によるダートグレード勝利は、2006年のエーデルワイス賞JpnIII(門別)をパラダイスフラワーが制したのがここまでのところ最後となっている。
そうした状況にあって、ダートグレードを勝てるだろうと期待されたのがラブバレットだった。しかしそのタイトルにはついに手が届かず。ラブバレット追悼の意味をこめて、いかに惜しい機会があったかを振り返ってみたい。
全国にその名を知らしめたのは、2015年4歳時のさきたま杯JpnII。スタートして果敢に先行争いに絡んでいくと、外枠ゆえに3番手にはなったが、4コーナー先頭では勝ったかと思わせた。しかし外から並びかけてきたノーザンリバーに交わされ、ゴール前では脚が上がって4着。それでもダートグレード初挑戦であったことを思えば、いずれ岩手にダートグレードのタイトルをもたらしてくれるのではないかと期待を抱かせた。
2カ月半後、地元のクラスターカップJpnIIIで、そのさきたま杯JpnIIでの好走がフロックでないことを示して見せた。勝ったダノンレジェンドは圧倒的に強かったが、2着北海道のポアゾンブラックに続いての3着。中央勢で先着されたのは、ダート短距離路線の中心的存在として活躍したダノンレジェンドだけだった。
その走りならと秋はJBCスプリントJpnIへの期待もかかったが、ラブバレットの父ノボジャックはJBC協会に種牡馬登録がなく、出走するためには追加登録料(1着賞金の2%)が必要。そのため11月下旬の笠松グランプリを目指すことになり、その4歳時から6歳時まで、笠松グランプリ3連覇という快挙を達成することにもなった。
地元のクラスターカップJpnIIIではその後も惜しいレースが続いた。
5歳時は抜群のスタートでダノンレジェント併走して先行。ただこれは60kgを背負ったダノンレジェンドが強すぎた。直線で振り切られ、当時中央所属だったブルドッグボスにも交わされ、それでも3着を確保した。
ラブバレットには、『これは勝っただろう』と思わせた、ほんとうに惜しいレースが生涯に2度あった。そのひとつが6歳時のクラスターカップJpnIII。
このときも抜群のスタートを切ったが、サイタスリーレッドを行かせてぴたりと2番手。4コーナーでも抜群の手応えで、3番手以下はやや離れての直線、サイタスリーレッドを交わして先頭へ。これは勝った!と思ったところ、3番手で脚を溜めていたブルドッグボスが、わずかにクビ差、とらえたところがゴール。1分8秒8というコースレコードの決着。ラブバレットもタイム差なしの2着だった。
そして7歳になっても地元の意地を見せ、52kgという軽量牝馬オウケンビリーヴの3着を確保した。
惜しすぎるレースのもうひとつが、7歳時の北海道スプリントカップJpnIII。
好スタートから一旦下げて外に持ち出すと、直線を向いて抜群の手応えのまま、残り200mで先頭に立った。いざ、追い出されてそのまま押し切るかにも思えたが、直後で機をうかがっていた1番人気のテーオーヘリオスに内から交わされ、ここでもクビ差。外から伸びた3着のスノードラゴンもアタマ差という接戦だった。
園田の兵庫ゴールドトロフィーJpnIIIにも毎年のように遠征した。4歳時はハンデ53kgで期待されたが、左後肢挫跖で残念ながら出走取消。5歳時は好位でうまく立ち回ったものの4着。6歳時は、早め先頭に立っていたグレイスフルリープに4コーナーで並びかけ、いざ直線勝負。しかし振り切られて1馬身半差の2着。負けはしたものの、これも見せ場たっぷりのレースだった。
7歳秋には、ついに追加登録料を払ってJRA京都開催のJBCスプリントにも出走(10着)した。
ラブバレットが長く一線級で活躍できたのは、度重なる遠征をまったく苦にしなかったことも大きい。
一方で、岩手競馬で発生した原因不明(当時)の禁止薬物騒動に関連して、何度か出走を阻まれたのはまったくの不運だった。
4度目の園田遠征となった7歳秋の兵庫ゴールドトロフィーJpnIIIは、その禁止薬物の影響から"公正保持"のために競走除外とされてしまった。それは馬自身や関係者の落ち度ではない、まったくの不可抗力であっただけになんとも残念だった。
なかなか原因が特定されなかった禁止薬物騒動は散発的に何度か発生し、岩手所属では出走を認められない可能性があるため、ラブバレットは中央に移籍もした。
中央所属では5戦して結果を残せず、岩手に戻ると、6月の栗駒賞、7月の岩鷲賞を連勝して8歳でも衰えのないところを見せた。
2019年7月14日、最後の重賞勝利となった盛岡・岩鷲賞の口取り(写真:岩手県競馬組合)
しかしながら8歳になっては全盛時の能力を発揮することはできず、クラスターカップJpnIIIは9着、兵庫ゴールドトロフィーJpnIIIは11着だった。
この年の秋にも岩手の禁止薬物の問題は続いていて、5度目の挑戦で4勝目を狙った笠松グランプリにはエントリーが認められず。そのため兵庫ゴールドトロフィーJpnIIIから年をまたいでの2020年、9歳春までの3戦は川崎に移籍しての出走だった。
岩手に戻って11月22日、盛岡・スプリント特別での勝利が、結果的に最後の勝利となった。
この冬、岩手は近年まれにみる大雪に見舞われ、12月後半から年明けにかけてたびたび開催が取り止めになる不運もあった。
今年10歳の冬休み明け、2着、3着、2着のあと、冒頭の競走中止となった。
通算成績は、70戦23勝(うち中央8戦0勝)。重賞は15勝で、前述のとおり笠松グランプリ3連覇のほか、地元の栗駒賞4連覇という記録もあった。
5月30日(日)から6月6日(日)まで、水沢競馬場に献花台が設置されるとのこと。