立川競輪場で開催された年末のガールズケイリン総決算レース、「オッズパーク杯ガールズグランプリ2016」を優勝し、みごと2度目の女王に輝いた梶田舞選手にレース直後、喜びの声を聞きました。
オッズパーク編集部(以下OP編集部):ガールズグランプリ2016、優勝本当におめでとうございます!
梶田:ありがとうございます!
OP編集部:早速ですが、レース展開についてお伺いします。前夜祭でも、周回中は前受けしたいという話もありましたが。
梶田:スタートは石井さんが強かったですね、スタート早かったです。2番手になって、でも前に踏んでいかないとチャンスないので。奥井さんの番手に石井さんが入ると思ったので、その次に来る人の後ろについて、流れに乗りながら前出て後は自力で、と思っていました。
OP編集部:気持ち的には上手く切り替えた、という感じでしょうか。
梶田:そうですね、どこからでも優勝できると思っていました。
OP編集部:最後の直線では、前に奥井選手がいて少し離れているかな、と見えた方も多かったと思うのですが、ご本人としてはいかがでしたか。
梶田:自分的には大丈夫だと思っていました。
(仕掛けどころについて)
普通に仕掛けていくか、後ろからくる捲りの人に合わせて出るかは、バックで緩んだ時に少し迷いましたが、ぱっと見たら児玉さんが来ていたので、あとは合わせて出ていければなと思っていました。
OP編集部:児玉選手に合わせて出たときの感触はどうでしたか。
梶田:合わせて出たときは、スピード死んじゃうかなと思ったのですが、上手く走れたと思います。
OP編集部:奥井選手はどのあたりで捉えられると思いましたか。
梶田:児玉さんの半車前に出たときは行けるかなと思いました。
OP編集部:最後の直線は自信をもって走っていたということですね。
梶田:はい!あれが自分の持ち味なので大丈夫だと思って走っていました。
OP編集部:今回グランプリが2度目の優勝となりますが、前回優勝時(2014年)と気持ちの違いはありますか?
梶田:全然違いますね。一昨年は下の立場だったので、中村さん、加瀬さんなど上の期の先輩たちがいてただ皆についていけば良いかな、という感じがありました。
今はそういう訳にはいかなくなってきたので、もっとしっかりしなきゃいけないなと思っています。
OP編集部:当日の出場選手紹介でも「優勝します!」宣言は印象的でした。
梶田:2年前にも「優勝します!」といって優勝したので今年もそうしました!
OP編集部:改めて2度のグランプリ制覇は初めての快挙です!来年以降の気持ちはどうでしょうか。
梶田:どんどん強くなりたいな、という気持ちです。皆もレベルアップするので負けないようにお互いに強くなっていければいいなと思っています。
梶田舞を目指して、ガールズケイリン選手になりたい、という人も出てくるように、頑張っていきたいです。
OP編集部:来年はまた女王として戦うことになります。戦い方やスタイルは変えていきますか?
梶田:変えません。練習も基本、基本で今までどおりで、レースも自分のスタイルを変えないです。変えるのは負けたときにまた考えます。
OP編集部:優勝した自分へのご褒美はなんでしょうか。
梶田:バイク(訓練用)を買います!今使っているバイクには、もうちょっと頑張ってほしいと思っているのですが、段々自分のスピード域があがってきていて、バイクを引いてくれる方にも今のバイクだと足りないねと言われているので、新たなバイクを買いたいと思います。
OP編集部:それでは最後にオッズパーク会員へのメッセージをお願いします。
梶田:これからもガールズケイリンは楽しいなと思っていただけるように頑張っていきますので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー / オッズパーク編集部
2年連続2回目のグランプリ出場を決めた、106期の奥井迪選手(立川)。勝ち星の決まり手は『逃げ』が約85%を占めるほど、徹底した先行にこだわる選手です。地元立川で行われるグランプリに向けて、今のお気持ちをお聞きしました。
赤見:2年連続2回目のグランプリ出場おめでとうございます!
奥井:ありがとうございます。グランプリには去年初めて出場して、自分の持ち味である先行で勝負したんですけど、ただ先行するだけではダメなんだなと実感しました。1年間グランプリを目指してやって来た中で、やはり普段のレースとは重みが違いましたね。去年も東京(京王閣)開催でしたけど、同じ東京でも今年はホームバンクの立川開催ですから、いい意味で去年以上のプレッシャーを感じています。
赤見:奥井選手は中学校の先生からガールズケイリンに転向した異色の経歴をお持ちなんですね。
奥井:そうなんですよ。「何で?」ってよく言われますけど(笑)。わたしは札幌生まれで小さい頃からアルペンスキーをしていたんです。自分では一生懸命やっているつもりで、「世界を目指す」って言っていたんですけど、結局は口だけで中途半端で終わってしまって...。今振り返ってみると、がんばり切れなかった、努力し切れなかったんですよね。その後は中学で保健体育の教師を8年間していました。
赤見:転向しようと思ったきっかけは何だったんですか?
奥井:結局、スキーを中途半端に辞めてしまったことをずっと後悔していたんです。子供たちに教えるのも好きだったんですけど、自分自身で選手としてやってみたいという気持ちがあって。たまたまガールズケイリンが始まるっていうことを知って、他の競技から転向する選手も多いということを聞いたので、今から始めても間に合うんじゃないかと。プロとして食べて行ける競技ってものすごく少ない上に、他の競技からの転向となるとなかなかないじゃないですか。例えばゴルフなんてかなり若い頃からやっていないとダメですし。そういう条件が揃って、競輪学校のサマーキャンプに挑戦してみたらすごく楽しくて。「これだ!」って思いました。
赤見:8年間教員として勤めていたわけですから、周りは反対しませんでしたか?何もそんな浮き沈みの激しい世界に行かなくても...という感じで。
奥井:それはすごく言われましたね。でも両親や近しい人たちは、「がんばるなら応援するよ」って言ってくれたんです。一度中途半端に辞めて、ずっと後悔して来たので、もう二度と後悔したくなかったです。ケイリンに挑戦しないで後悔するより、安定した世界を辞めてでも後悔しない道を選びました。だから迷いはなかったですね。
赤見:奥井さんはデビューしてからとにかく先行にこだわるレースをしています。ただ、ケイリンで先行して勝ち切るのは難しいのも事実。なぜ先行にこだわるんですか?
奥井:それはやっぱり「魅せたい」という気持ちが一番ですね。お客さんの心を動かすようなレースがしたいんです。それに、やろうと思ってもみんながみんなできるスタイルではないですから。気持ちで走るという選手も少ないし、このこだわりは自分にしかできないと思っています。
赤見:でも、先行で勝つのって本当に難しいじゃないですか。心が折れそうになることはないですか?
奥井:それは...やっぱりありますよ。特にビッグレースのあとはいつも折れそうですね。散々に負けて、ここまでやってもダメなのかって...。でも結局、そこまでやってないってことなんですよ。まだまだがんばれる、努力できるって思って、折れそうになるのをなんとか堪えてます。
赤見:気持ちが強いですね。
奥井:いえいえ。がんばれるのは、ファンの方の存在が大きいです。「奥井の走り、よかったよ」って言ってもらえると本当に嬉しくて。支えてもらってますね。それに、座右の銘にしている言葉が「努力は裏切らない」なんですよ。積み重ねて来たことは必ず未来に繋がると思っています。これはケイリンだけじゃなくて、人生すべてにいえることですけど。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
奥井:地元での開催ということで、そこにいるお客さん、テレビ越しに見てくれているお客さんに感動してもらえるよう、すべてを懸けて、迷わず先行します!応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
4年連続4回目のグランプリ出場となる、104期の山原さくら選手(高知)。今年は悲願の初のタイトルを獲得し、その勢いを増しています。いよいよ迫ったグランプリに向けてお話を伺いました。
赤見:4年連続4回目のグランプリ出場おめでとうございます!
山原:ありがとうございます。4年連続出場というのはすごいことだと思いますし、同期の石井寛子さんと梶田舞さんと3人で揃って出場できるのが嬉しいですね。2人とも学校時代から強くて、デビューしてからもしっかり結果を残しているし、大きなタイトルをバンバン獲っているので、なんだか自分だけが取り残されているような気がして...。2人に近づいて、2人に勝てるようにがんばって来たので、今年は念願のタイトルが獲れて本当に嬉しかったです!
赤見:3月のガールズコレクション名古屋ステージで見事初タイトルを獲得しましたね。
山原:自分は不器用なので、もうタイトルに手が届かないんじゃないかってずっと思っていたんですけど...。展開に恵まれた面もありますが、勝てて本当に嬉しかったです。自分自身も嬉しかったし、それ以上に周りの方が喜んでくれて、改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。
赤見:山原選手はお父様の利秀さんが競輪選手ということで、やはり影響を受けて選手を目指したんですか?
山原:実は...違うんです(笑)。すごく不純な動機なんですよ。もともと競輪には全然興味がなくて、父も厳しい世界なのはわかってますから、あんまりやらせたくなかったみたいで。でも母がなぜか自転車をさせたかったみたいなんですよね。それで、わたしEXILEが大好きで、高校の頃にEXILEのコンサートに行くためにバイトがんばっていたんですけど、母が「自転車でがんばれば?自転車で日本一になったらEXILEに会えるんじゃない?」って言ってきて。その言葉に乗せられました(笑)。だから最初は遊び感覚で週2回くらいやってるだけだったんですけど、競技会に出たら結果がついてきて、どんどん面白くなって。気づいたらプロを目指してました。
赤見:競輪の厳しさを実感しているお父様は反対しませんでした?
山原:反対というか、やらせたくはなかったみたいでした。父は何度も落車を経験して、骨折もしてますから。だからわたしがガールズケイリンを目指すって決めた時も、2,3か月は自転車を作ってくれなかったんです。熱しやすく冷めやすいタイプなので、「どうせすぐに飽きるだろう」って思ってたらしいですよ。でも本気なんだってわかってからは、応援してくれるようになりました。
赤見:お父様が師匠というのはいかがですか?
山原:うちは全然師匠と弟子って感じじゃなくて(笑)。完全に親子ですね。でも自転車を始めるまでは、ほとんど会話がなかったんですよ。今は会話が増えたし、競輪選手の大変さを経験して、父を尊敬するようになりました。
赤見:自転車競技を経て競輪学校に入学、その後プロデビューして初年度からコンスタントに活躍していますね。
山原:プロ1年目はすごく緊張していたんですけど、年々慣れて来た感じで、少しずつ楽しさが増しています。最初は自分の結果を出すために走っていたんですけど、今はたくさんの方が応援してくれて、そういう方々の想いも乗せて走っているんだなって実感しています。責任という言葉はちょっと違うのかもしれないけど、自分だけじゃなく、周りの方のためにも前以上にがんばれます。
赤見:グランプリは4回目ですが、特に想い出に残っているグランプリはありますか?
山原:一昨年、2回目のグランプリですね。あの時は先行して7着だったので着順はよくなかったんですけど、自分でレースを作っていけたかなと。去年はマクリ勝負を試してみたんですけど、力不足で届きませんでした。やろうとしたことができたのは良かったけど、あとはもっと力をつけないといけないなと実感しました。グランプリはお客さんの声援も場の雰囲気も普段とは違って、独特の緊張感があります。その中でレースができることは、緊張もするけど楽しいですね。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
山原:いつも応援ありがとうございます。お蔭さまで4年連続でグランプリに出走することができます。今まであまりいいレースができていないのですが、上位に入れるよう、悔いのないレースをします!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
一昨年の女王・梶田舞(かじた・まい)選手(宇都宮)。今年出場する7選手の中で、唯一グランプリ制覇を経験している選手です。4年連続4回目、そして2度目の優勝に向けてお話を伺いました。
赤見:4年連続4回目のグランプリ出場、おめでとうございます!
梶田:ありがとうございます。今は選手の人数が増えて、レースのバリエーションもいろいろ増えて、レベルも高くなっていると思うんですよ。そういう中でグランプリ出場を決められたことは本当に嬉しいですね。
赤見:2016年はどんな年でしたか?
梶田:去年からナショナルチームに入ってリオを目指して来たんですけど、わたしにはケイリンとの両立が本当に難しかったです。落車も多かったですし...。5月にナショナルチームを外れてからは、自分を見つめ直そうと思って1からやり直した結果が後半に繋がったのかなと思いますね。
赤見:オリンピックというのは大きな目標だったと思いますが。
梶田:そうですね。上手く両立はできなかったんですけど、世界戦に派遣してもらったり、すごくいい経験になりました。今の自分には両立はできないっていうこともわかったし。ただ、4年後に東京オリンピックがあるので、今はケイリンで日本一になると決めてますけど、その延長線上に世界一があると思うので、漠然とですけど想いはありますね。
赤見:7月のガールズケイリンフェスティバルで久しぶりのタイトル奪取も果たしました。
梶田:あのレースは大きかったです。勝ち上がり戦で優勝できたので。そこがきっかけになって、後半はいい結果を出すことが出来ました。今年は優勝した一昨年にちょっと似ているんですよ。あの時も前半苦しくて、後半良くなって行って。7番手でギリギリグランプリ出場が決まったんですけど、上り調子のまま勝つことができました。今年はあの時よりもさらにいい状態です。
赤見:一度優勝していますが、グランプリというのはどんな存在ですか?
梶田:やっぱり大きな存在ですね。一度勝たせてもらったからこそ、余計その重みを実感しています。グランプリのデキ次第でその年が良かったかどうか決まるんですよ。一昨年は優勝できて最高の年になりましたけど、去年はもう全然ダメで。本当に悔しい年になりました。今年も一昨年のようにいい形で終わりたいですね。
赤見:先ほどオリンピックのお話が出ましたけれども、もともと自転車競技をしたくて宇都宮のバンクを訪ねたそうですね。
梶田:そうなんですよ!ケイリンのこととが全然知らなかったんです。もともとはトライアスロンをやっていて、プロの練習生みたいな位置だったんですけど、同い年でナショナルチームに入るくらい強い子がいたんです。唯一その子に対抗できたのが自転車で、コーチから「お前、自転車なら世界を目指せるぞ」って言われて。それで自転車競技に集中しようと思って、練習したくて宇都宮のバンクに行ったんです。そうしたら、「師匠がつかないと練習できません」て。え?師匠?なにそれって感じで、最初はふざけているのかと思っちゃいました(笑)。でも運よく坂本英一選手に出会えて、「ガールズケイリンもするなら」という条件で師匠になっていただきました。
赤見:選手になるためには競輪学校に入らなければいけないですし、その辺りはいかがでしたか?
梶田:プロとして生活できるならいっか、という考えでした。基本的に競技で食べて行くというのは本当に難しいですから。特に当時のわたしにとっては全然手が届かないことだったので。競輪学校に関しては、団体行動が本当に苦手で...。同期にはすごく迷惑を掛けてしまったと思います。タイムも学校に入った時が一番速くて、どんどん遅くなってしまいました。競技会では先行しかしていなかったし、成績はあまり良くなかったですね。性格的にも決められたことをするということが合わないので、本当にストレスでした。
赤見:そんな辛い学校生活を終えて、デビュー年から快進撃を続けてグランプリ出場を果たしました。
梶田:当時は恵まれていたと思います。先輩は1期生しかいませんでしたから。今はいきなり何年もやっている選手たちと戦わないといけないので、新人は厳しいですよ。わたしも今ならいきなりグランプリ出場なんてできなかったと思います。本当に層が厚くなりましたね。
赤見:4年連続4回目のグランプリ出場は、同期の石井寛子選手、山原さくら選手と一緒ですね。
梶田:あの2人に追いつくために必死にがんばってきたので、一緒にグランプリに出場できて嬉しいです。2人とも自転車競技経験者で、2人がわかっていることを自分はなかなか理解することができなかったんです。寛子さんはお姉さん的存在で、自転車のことが大好きだし一番自転車をわかっていると思います。さくらは知識もあるけど、ポテンシャルがすごいですね。わたしは身長が小さくてパワーがないんですけど、さくらのようにパワーがあったらなって思います。この2人に関しては、ライバルっていうよりも、来年も再来年も、一緒にグランプリに出たいという気持ちが強いですね。
赤見:では、オッズパーク会員の方々にメッセージをお願いします。
梶田:はい。辛いこともありますが、今はケイリンが天職だと思っています。導いてくれた師匠に感謝していますし、いつも応援してくれるファンの方々のお蔭でがんばれます。立川のバンクでは負けたことがないので、グランプリも全力でがんばります!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
ビーチバレーのトッププロからガールズケイリンに転向した尾崎睦(おざき・むつみ)選手。今年はデビュー2年目で見事グランプリ出場を決めました。いよいよ迫って来た大一番に向て、意気込みをお聞きしました。
赤見:尾崎選手は『ビーチバレーの申し子』と呼ばれ、プロとしてビーチバレーで活躍していたわけですが、どういう経緯でケイリンに転向したんですか?
尾崎:きっかけは、ビーチバレーでペアを組んだことのある金田洋世選手(106期)が先に転向していて、ジムで練習している時にたまたま会ったんですよ。その時に自転車に乗っている風景を見て、わたしもやらせてもらってから興味が出ました。ビーチバレーとは全然違う競技なんですけど、自転車に乗ることが面白かったし、金田選手が先に道を作ってくれていたのも有り難かったです。
赤見:ビーチバレーをそのまま続けていても、トップ選手として活躍できたと思いますが、決断した理由は何だったんですか?
尾崎:そうですね。ビーチバレーを辞めるという選択肢は考えたことがなかったんです。わたしはオリンピックに出ることを目標にしていたんですけど、ずっとがんばって来た中で、ちょっと厳しいなと思うようになって。オリンピック出場というのが、目標というよりは遠い夢みたいな感じになって来ちゃったんです。それで、明確な目標が定まらなくなって...。プロとしてやっている以上、目標に届くように全力でがんばることが使命だと思うので、漠然と続けているわけにはいかないなと。ちょうどそんなことを考えている時に金田選手と会って自転車に乗ってみて、「こういうのもあるんだな」って思いました。ケイリンは他競技から転向する選手も多いので、やってみたなと思ったんです。
赤見:周りの方の反応はどうでしたか?
尾崎:最初に両親に相談したんですけど、「このシーズンはしっかりやり切って、次の年から転向するなら応援する」って言ってくれたんです。その言葉が大きかったですね。だから、最後のシーズンも全力で戦って、スポンサーの方や応援してくれた方々に恩返しして、そうやっていい形で区切りをつけてケイリンに転向できました。
赤見:実際にケイリンの道に入ってみていかがですか?
尾崎:競輪学校に入ったのが29歳だったので、同期は10代後半から20代前半とかなり若い子が多くて、そういうところが心配だったんですけど、すぐに打ち解けられたし、わたしのことを慕ってくれて、楽しい学校生活でした。それに、競輪学校って、朝起きる時間からその日どんな練習するかとか、全部きっちり決まっているんですよ。ビーチバレーの時は自分でスケジュールも練習も考えて計画を立てていかないといけなかったので、言われたことを全力でやる生活っていうのは新鮮だったし集中できました。もちろん、言われたことだけじゃなく、それ以上やった方がいいなと思ったらプラスαでやればいいし、やれる時間もあったので。
赤見:競輪学校の在校成績は見事1位で卒業でした。
尾崎:学校に入る時、師匠の渡邊秀明選手から「1位で卒業して来て欲しい」って言われたので、明確な目標ができました。自転車の経験もなかったし、あんまり実感もなかったんですけど、毎日の練習や記録会の時なども、明確な目標があったからそこに向かって集中してがんばることができたと思います。
赤見:デビューしてからも順調に活躍して、今年は2年目でグランプリ出場を決めましたね!
尾崎:グランプリに出場することが目標だったので、その舞台に立てることが決まって本当に嬉しいです。ただ...、成績を見てもらってもわかるように、最近崩れてるんです。今、軸がブレているんですよね。体も考え方もブレてるのかなって思います。今まではグランプリに出場するためにがんばって来て、10月に出場が決まってから、なんていうか、「出場する」っていう目標を達成したわけじゃないですか。次は「優勝する」っていう目標に向かってがんばっているんですけど、その切り替えが上手くいかなかったというか。グランプリまでまだ少し時間があるので、きっちり修正して挑みたいと思います。
赤見:目標の選手は奥井迪選手ということで、グランプリでも戦うことになりますね。
尾崎:はい。競輪学校にいる時、奥井選手のレースをテレビで見ていて、気持ちが伝わる走りをする方だなって。わたしも先行にこだわっていますし、スタイルも考え方も似ているのかなと。でもデビューしてからは、一緒に戦うわけじゃないですか。そうなると、目標にしていたり、憧れてたりすると、勝てないんじゃないかって思って。だから、目標の選手を言うのをやめました。自分は自分で、スタイルを確立したいと思ってます。それでいつか、「尾崎選手みたいになりたい」って思ってくれる後輩ができるようにがんばります!
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
尾崎:グランプリでは積極的なレースをしますので、応援よろしくお願いします!!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA