今日は母の日ですね。みなさんは、何かプレゼントしましたか?
先日母に、「何がほしい?」と聞いたら、「新しい家」と言われたので、「いつかね・・」と答え、今朝仙台のホテルから電話して、「いつもありがとう。」と言うと、「お世話してます。」と言われてしまいました・・。
まだまだ孝行娘になれない私です・・前にも書いたけど、母には本当に感謝してます。お店と家事と子育てと夜遊びと・・私の母は、かなりパワフルな人です。
昨日、元ジョッキーの横山(旧姓藤塚)聡子ちゃんに会いに、宮城県の山元トレーニングセンターに行って来ました!
彼女は、新潟の廃止に伴い高崎に移籍して来て、そこで横山克彦騎手と出会い、結婚・出産。今は夫婦で馬のお仕事をしています。
妊娠した事がわかった時、彼女は休養にするか引退するかでとても悩んでいました。
引退したら、復帰する事は難しい・・休養ならば、もしかしたら復帰出来るかもしれない。少しでも、望みをつなげておきたかったんですね。
周りは引退するのが当然と考えていて、悩んでいる聡子ちゃんに、うるさく言うのでした。
「千尋ちゃんだったらどうする?」と聞かれ、考えに考えた末、「わからない・・」と答えました。
だいたい誰かと結婚しようとも思った事のない私が、答えられる質問ではないですね。
うらやましい・・と思いつつも、誰かのために騎手を辞めるのは辛いなぁ・・とも思いました。例え、世界で一番好きな人のためでも、自分の子供のためであっても。
幸い?私はそういう状況にはならなかったので、自分の意思で騎手になり、自分の意思で騎手を辞める事が出来ました。馬に乗りたいとは思うけど、後悔はしてません。
女性が仕事を続ける・・という事は、どんな仕事でも大変ですよね。まして騎手という仕事は、妊娠したら絶対に長期間休まなければなりません。
浦和の午房由美子騎手のように、出産して復帰するのは凄い事ですから。
そういう事も含めて、女性騎手の寿命は男性騎手より短いですよね。男性でも、すぐに辞める人はいっぱいいますけど。
聡子ちゃんは悩んだ末に、引退を選びました。
「好きな人と結婚して、子供を産んで・・とっても幸せだけど、馬に乗りたくてしょうがない!!」とよく言ってました。
現在彼女は毎日調教で馬に乗り、旦那様と可愛い子供に囲まれて、以前よりもっともっと幸せそうでした。女の幸せは、結婚して子供を産む事だけじゃない。自分の好きな仕事をするという事も大切だと、教わった気がしました。
もちろん、人それぞれ価値観が違います。どれが良い悪いではなくて、私も聡子ちゃんや私の母のように、家庭も仕事も手に入れたい!と考えてるタイプ。こういう女を男子は嫌がるんですよねぇ〜。
わかっちゃいるけど、やめられない!!
特に、恋愛スプリンターな私としては、心から「運命の人だ!」と思わない限り、仕事を取るに決まってる。私の場合、家庭と仕事を手に入れるためには、まず恋愛体質の矯正が必要ですね・・。
競走馬が、スプリンターからステイヤーに転向するのが難しいように、とりあえずマイルあたりを目指してみようかな。
マザーズデイに「お母さん、ありがとう」と言われる日が、本当に来るのかとっても疑問な、赤見千尋28才の春・・・
久し振りに、やられてしまいました・・と言っても、エロネタではありませんよ!
『隣人13号』という映画をご存知ですか?中村獅童さんと小栗旬くん主演で、二重人格の殺人鬼の物語です。とても残忍で悲しい物語に、深く考えさせられました。
考えているうちに怖くなって、眠れなくなってしまった私・・時刻は午前3時。誰かに電話するには遅過ぎる(早過ぎる?)。私は、自分の右膝にある硬いシコリを触りながら、ジッと夜明けを待ったのでした。
一人で淋しい時や、何かに悩んだ時、特別な事があった時など、私はこのシコリを撫でながら、話かけています。周りから見たら、ちょっとアブナイ女ですが・・
このシコリは、私の大好きだった愛馬「アルタスクレン」の形見なんです。
彼は中央競馬でデビューし、脚が悪くなって高崎に移籍して来ました。担当厩務員さんはおらず、私の所属調教師である畠中先生が世話をしていたので、私も調教だけでなく、鞍付けや手入れ、エサ付けなんかを手伝っていたので、とても愛着があったんです。
彼はブレイヴェストローマンの仔で、筋肉ムキムキ、とても前向きで常に一生懸命走るタイプ。
レースでもすんなりハナに立つ事が出来れば、必ず最後まで頑張ってくれました。
脚が悪くて移籍して来た訳ですから、調教も軽めにしか出来ません。それでもレースで結果を出すのだから、能力が高かったというか、本当に競走馬向きの気性だったんですね。
そんなアルちゃんですが、やはり何度もレースを使ううちに、脚の具合が悪化してしまいました。
あの頃の高崎けいばは使ってなんぼ、長期間休養させるなら、廃馬になってしまいます。
獣医さんと畠中先生が一生懸命治療して、なんとかレースに出走出来る状態に仕上げてくれました。
「おかしいと思ったら、すぐに止めなさい。」それが、先生からの指示でした。
スタートを切ると、こんな時に限ってすんなりハナ。アルちゃんに話かけてみる。
「大丈夫??」耳をピクピクさせただけで、軽快な足どりのアルちゃん。
レースに出走したからには、全能力を発揮させなければなりません。それでも、追い出すのはギリギリまで我慢しよう、勝つ事ばかり考えてはダメだと自分に言い聞かせていました。
4コーナーを過ぎても先頭、ゴールまであと300m。これ以上追わないわけにはいかない・・
あと200m、私はやっと追い出しました。あと100m、まだ先頭。あと50m、まだ先頭。
「勝てる!」と思った瞬間私はバランスを崩し、私の上を後ろの馬と騎手が飛び越えて行くのが見えました。次の瞬間馬場に激突。それでやっと、アルタスが骨折し、自分が落馬した事に気付きました。
右足に激痛が走り、立ち上がれずに顔だけ上げると、アルタスは骨折した脚を引きずりながら、それでもゴール目指して走っているのでした。
私は、「女は泣けばいいと思ってる。」と言われたくないので、競馬関係者の前ではなるべく泣かないようにしていたけれど、この時ばかりは人目もはばからず大号泣。自分も立てないくせに、安楽死処分になるであろうアルタスのもとへ行かせてくれと、支えてくれる人を押しのけて大騒ぎ。
たまたま同じレースに騎乗していたJRAの後藤騎手や、現在は浦和に移籍した水野貴史騎手になだめられたのでした。
私はそのまま救急車で運ばれ、結局打撲で済みました。
「無理して馬に乗ったらシコリが残るよ。」とお医者さんに言われたので、無理して馬に乗りました。
私の体の中に、アルタスが生きた証を残したかった。私にとってアルタスは、本当に愛しい存在でした。
自分の命と引き換えにしても、精一杯走り続けたアルタスクレン。
決して有名な競走馬ではないけれど、私は今でも彼を尊敬し、彼に恥じないような人生を送ろうと思っています。
先日ある友人に、
「競馬ブログなのに、競馬の事をあまり深く書いてないね。」という突っ込みをいただきました・・
確かにその通り!私の書きたい事をかなり自由な形で、書かせてもらっております。
だって、たいした成績でもない元ジョッキーが、競馬のウンチク語ってもねぇ・・
前に群馬の新聞でコラムを連載していた時、『800文字』という制限にかなり苦しみました。
伝えたい事が多すぎて、書く事より削る事の方が難しかったんですね。
しかも、辛かった話や暗い話ばかり書いていたので、担当の方から、
「たまには明るい話を書いて下さい!」と言われてしまいました・・
そこで1度、無理矢理明るい話題を書いたのですが(初勝利の話)、読者の方からは
「今までで1番つまらなかった!」と超不評。
そう!人がラッキーだった話や、自慢話というのはつまらないものです。コレ、人間の心理ですね。
しかも、プロの物書きでもない私が、自分の書きたくないものを無理に書いたのだから、面白い訳がない!その後、担当の方は題材に対して何も言わなくなりました・・
このブログのお話を頂いた時、凄く嬉しくて、張り切って色々考えたんですよ。
私の夢の1つに、「本を出版する」という事があるので、いい勉強になるなって思って。
周りの人たちに、「どんなブログが読みたい??」とリサーチしたところ、
「創ってない」「飾ってない」ようするに、自然体なものが好ましいようで・・
自称ブリッコの私としては、これは困ったなと。
あるがままの私を披露したら、せっかく今まで応援してくれていた人たちに、ドン引きされる気がした訳ですよ。
なので1日目のブログは、オッカナビックリ書いたんですけど。アップされた日から、私のHPに応援の書き込みがどんどん入って、中には「元気出ました!」とか書いてあって。こちらこそ、元気出ましたよ。
お陰で、自分をさらけ出す事が怖くなくなりました!
明るい話題の日は実際明るく過し、暗いネタの日は部屋の隅で膝を抱えて過している、とイメージしてもらっていいくらい、私の気持ちの波が反映しています。
長々と書きましたが、何が言いたかったかというと、
「競馬ネタのうすい、競馬ブログ」というより、「競馬ネタが入った、赤見千尋成長期」でいきたいと思います!!
今年知り合ったばかりの友人に、
「千尋ちゃんは私の事ホメ過ぎだよ!なんか、居心地悪い。」と言われてしまいました・・
当の私は、「何かホメたっけかなぁ〜」としばし考え、
「サコちゃんの笑顔はいーよ!見てると癒される!!」と言った事を思い出した。
あれかぁ〜・・あれねぇ〜・・別にホメたんじゃなくて、本当に癒されたんだけどな。
次に会った時もその次に会った時も、しつこく言ってみました。
「本当に癒されるんだって!鏡見た事ある?」
「もぉ〜本当にしつこいから!」って怒ってたけど・・
しばらくして、彼女と2人で会った時、
「私、今まで誰からもホメられた事がないの。だから嬉しいんだけど、どういうリアクションをとっていいのかわからない・・」んだって!!
彼女はキレイな顔立ちで、笑顔が可愛いし、大学も出て、両親も揃っているというのに、1度もホメられた事がないとはどういう事だ?!
私なんて、団子鼻に下膨れで、高校もやっと卒業したというのに、うちの両親は
「可愛い!頭いい!」って連発していたな・・。
彼女は両親に対して、かなりのコンプレックスを持っているようでした。
世の中には、色んな事にコンプレックスを持ってる人がいるもんですね。
私の親友のマルだって、超美人のくせに、「自分に自信がない・・」とか言うし。
私からしたら、「その顔でナゼに??」って感じですよ。
かくゆう私もコンプレックスの塊りであります!
まず、ホッペですね。どんなに痩せてもココのお肉だけはなくならない!血統なんで仕方ないんですが、キョンキョンみたいな逆三角形になりたいなぁ・・。
あとは指。現役時代はタコがあって、本当にゴツかった・・今は爪を伸ばして多少誤魔化してますが、薬指のサイズが11ですよ?!女の子用の指輪のサイズは7か9が主流でしょ。11って・・
言い出したらキリがないくらい、いーっぱいありますね。
だけど、前に事務所の社長に言われたんです。
「お前のホッペは愛嬌があっていいな。」って。
「え”−?!そうなの?愛嬌あるの?」ってビックリしたけど、すごく嬉しかった!
そう!!自分で思っているほど、コンプレックスは欠点ではないんですね。見方によっては長所にもなるし。
だから私は、いい所を見つけたら、初対面の人でも素直に言うようにしてます。自分もホメられたら嬉しいし、言ってる自分も幸せな気持ちになれるもの。嘘でホメるのはめんどくさいし、相手にもバレるのでしないけど、本当にいい!と思ったら伝えたくなりません?
初めは嫌がっていたサコちゃんも、最近は「ありがと☆」と癒し系スマイルで言ってくれるようになりました。
こんな話をすると、「赤見千尋いい奴じゃん。」って思われるかもしれませんが・・そうでもないんですねぇ〜。いい所を素直に口にする分、ムカッとくると素直に顔に出してしまいます。いい加減、大人にならないとな・・。
この「感情をストレートに出してしまう、熱い自分」が、1番の私のコンプレックスであります。
1度でいいから、「赤見さんてクールですね。」って言われてみたい・・
今日は、漫画家のやまさき拓味先生のお仕事場に遊びに行って来ました。
「優駿の門」や「優駿たちの蹄跡」の著者で、競馬漫画第一人者の大作家であります。
先生との出会いは、那須の騎手学校でした。学校を舞台にした漫画を描くための下調べですね。
デビューしてからも、先生の愛馬「センターコート」に騎乗させていただいたり、アシスタントの早川恵子さんと友達になったり、なにかと親しくさせていただいております。
現在、ビジネスジャンプに連載中の「手騎」、ご存知ですか?
物語の中に、私がモデル?の赤城千尋騎手が登場するんです!!実家の設定もそば屋で、うちの両親は定期購読して読んでるんですよ。
実際に私が経験したエピソードや実在した競走馬も出て来て、どこまでが現実でどこからがフィクションなのかわからないくらい入り込んでます。
「手騎」の中で、1番最初に出てくる、主人公が騎手を辞めるキッカケになるエピソード。あれは、私が初めて競走馬を「殺して」しまった時の話が元になっています。
馬名は『オンワードクーゲル』。四肢が弱かった彼は、中央で見切りをつけられ、高崎に移籍して来ました。私はデビュー2シーズン目。なかなか思うように勝てず、焦っている時でした。
「この馬なら勝てる!」そう思い、気性の激しかった彼を一生懸命に調教し、移籍初戦。ゲートを切ると大暴走・・10馬身近く離して逃げ、ゴール板前頭差差されて2着。完全に、私のミスでした。
2戦目。もう負ける事は許されないし、勝って自分をアピールしたかった。私の緊張が伝わったのか、彼はゲートで暴れてしまい出遅れ。1コーナーを回る時、彼の後ろ脚に一瞬異変を感じたんです。
「アレ?おかしいかな・・」向こう正面で手前を変えると、通常の走りに戻ったので、
「どうしても勝ちたい!絶対勝ちたい!!」という気持ちで、私は追い始めました。
3コーナーに入り手前を変えると、やっぱりおかしい・・
レースを止めるべきか続けるべきか、判断に迷いました。
「1番人気、ファンも関係者も期待している。もし止めて、大した事なかったら怒られる・・」
直線に入ると、完全に彼の後ろ脚は異常をきたし、結局止めざるをえなくなりました。
次の日、四肢をたたんで寝込んでいた彼は、立ち上がろうとした瞬間、悪くなった後ろ脚をかばい、前脚に500キロ以上の体重をかけたため、元々弱かった両前脚を骨折。痛みでのたうち回り、馬房の中は血だらけになりました。厩務員さんが気付いた時にはもう手遅れで、すぐに安楽死処分になりました。
私は、自分の欲望のために愛馬を苦しめ殺してしまった・・もし、1コーナーですぐに止めていたら、こんな死に方はしなかったはず。どんなに自分を責めても、もうクーゲルは戻って来ない。無言でクーゲルのカイバ桶を洗っている厩務員さんに、言葉がかけられませんでした。
クーゲルの死をキッカケに、私は競走馬の命の重みを知りました。扱う人間によって、その運命が変わる・・人間の欲望だけで、競走馬を扱ってはいけないと、あたり前の事を教わりました。
その後も、たくさんの競走馬達の死に直面する事になるのですが・・彼らが競走馬として生まれ、必死に生きた姿は、私の中で永遠に存在し続けています。