飯塚オート所属の35期・北原岳哲選手にお話をお聞きしました。
(取材日8/7)
―来期から大幅に全国ランクがアップしましたが、どんなお気持ちですか?
そうですね、今がAの144位なので、大きく上がったのは素直に嬉しいです。去年は周回誤認とかフライングとかしちゃったので、今期はそういう反則もなく成績も良くなってきましたし、それもあると思います。反則系は審査に大きく影響しちゃうと思うし、周回誤認はめちゃくちゃデカいので。今期は事故もなく、GIで準決に行けたりもしていたし、優勝戦もちょこちょこ乗れていたので、その辺は良かったと思います。
―そもそもですけど、オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
元々、自分はモトクロスのプロで走っていて、辞める間際、先を考えた時に、元々知っている平塚雅樹さん(平塚雅樹選手・浜松31期)や吉原恭佑さん(吉原恭佑選手・伊勢崎32期)が、自分が走っていた所の先輩で、オートレースの話は聞いていました。まだレースで生きていきたいなっていうのがあったので、これで食っていけるなら選手になりたいと思いました。最後の年は、その年の成績が良くなかったら辞めようと思っていて、それがちょうど募集の年って分かっていたので、ある程度そこで見定めて、夏くらいには募集が始まっていたので、今度はこっちを、って思いました。
―オートレーサーは息が長いですもんね?
(選手になって)3年半くらいになりますけど、やっぱりいいですね。全然違います。モトクロスも個人競技ですが、結果が出ないとお金にならないですし、それだけで食えるのが日本でトップの数人くらいで。自分がモトクロスの世界で全日本ランクでひと桁くらいだったんですけど、それでもやっぱり食っていけなかったので、なかなか厳しかったですね。それでいてすごく体力使う競技なので、体的に50歳とかまでやれる競技ではないです。いろいろ考えながら走らないといけないなと思っていました。オートレースは競技寿命が長いっていうのもあるし、頑張ったら頑張った分だけ生活が良くなるし、なによりも自分が好きなことを仕事にできるっていうのがいいですね。基本、平和主義であまりガツガツしていないんですけど、やっぱり頑張った分だけ目に見える結果が欲しいので、そういう意味ではこの職業が一番いいなっていうのを今は特に感じています。賞金も分かりやすいですし、常に1着を目指して走っていますし、一つでも前にいけば違うしで。すごくやりがいがあります。
―印象に残っているレースはありますか?
今のところ初優勝した時と、ちょっと前に結婚したんですけど、その節に準決でアタマ取って優勝戦に乗って、優勝戦は2着だったんですけどね。直近ではそこです。いい記念日になりました。
―今、課題に感じていることはありますか?
まずは捌きですね。試走タイムとかは一番時計とか出るんですが、人を捌くのが苦手で...。試走タイムだけ出てもレースアシがないパターンが多いし、人を抜くのが課題です。自分は基本、外回しで、内に向けるのが苦手なので、そういうのも含めて練習しながら、取り組んでいます。
―師匠(井村淳一選手・飯塚28期)の存在はどうですか?
デビューした時からずっとお世話になっています。自分のところは派閥が小さくて、自分とおやっさん(師匠)と牧瀬さん(牧瀬嘉葵選手・飯塚29期)の3人しかいないので、少数精鋭でやっている感じです。師匠は基本、優しくしてもらってます。ただ、危ないレースをした時とかはしっかり言ってくれます。でも、基本的には自由にやらせてもらっているので、それはすごくありがたいです。自分が考えて、やりたいと思った整備をいろいろ試させてもらえるので、それで仕事もいろいろ覚えたし、ちょっとずつ良くなっています。伸び伸びとした環境でやらせてもらってますね。自分は基本、突き詰めたいタイプで、いろいろ試しての繰り返しなので、それを最初の頃からやらせてくれているのでやりやすいです。
―2級車の車名は『パークコウベ』でしたけど、それはどういう意味があるのですか?
モトクロスの時に走っていたチームの名前で、自分が17歳でプロになって、18歳でそのチームに入れてもらって、すごくお世話になったんですけど、そのオーナーさんが養成所に入る前に亡くなっちゃって、レースで走る姿を見せられなくなっちゃったので、そういうのもあって、想いを込めて名前を使わせてもらいました。すごい思い入れがありました。そのチームでの生活がなかったらオートレーサーにもなれていなかったなって。そこで走らせてもらって、頑張って成績を出して、そのおかげで養成所に特例枠で受けられたし、人間的にももう少し違ったでしょうね。チームに入る前はちょっと尖っていたので、昔は(笑)。そこでいろんな人にお世話になって、お金もない中で、いろんな人に助けてもらったりして、そこの生活が人生で一番のターニングポイントです。そこで生活していなかったら、こういう時(取材)でも無視するような人間だったかもしれないし、人間的にもいろいろ頭を使えるようになったし、考えられるようになりました。助けてもらうありがたさをすごく感じる環境でした。そのおかげです。すごくいい方向にいってます。
―当面の目標はありますか?
とりあえずもう1回優勝したいですね。長いこと優勝していないので、去年も優勝できていないし、前回も2着だったし、まずは2回目の優勝がしたいですね。
―目標とする選手はいますか?
SGで走っている選手はみんな目標ですけど、今は同期の佐藤励(川口35期)がこの前SGを獲ったので、彼がストイックなのは見ていますし、同期から刺激をもらうって意味では佐藤励かな。憧れの選手っていうとまた違うけど、同期ですし(笑)。基本、速い先輩はみんな尊敬しているので、特段に誰っていうのはないです。逆に一番近い同期で活躍している佐藤励を目標として、肩を並べられるように頑張りたいですね。
―普段の生活で、体調面とか気遣っていることはありますか?
運動は毎日6、7kmぐらい走っています。この仕事も長い期間レース場にいることがあるし、精神的にも体力的にもすり減らすので。そういう意味では、自分も30になる歳だし、だんだん体力が落ちてきているのは何かしら感じるので。20歳前半と比べれば。体重も落ちて、その分筋力も落ちました。先月は6節とか走っているし、夏場で体力もすごく使うので、常に体調は崩さないように、食事面だったり、ある程度運動してその体力を落とさないようにしています。元々、プロスポーツをしていたのもあって、そこの大事さは分かっていますし、そこら辺はすごく考えています。
―では最後に、オッズパーク会員の皆様へのメッセージをお願いします。
いつも応援してくださってありがとうございます。車券を買って頂いているみなさんにしっかり応えることができるように、1走1走常に全力で頑張るので、今後も応援をよろしくお願いいたします。
(オートタイムス編集部)
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