川口オート所属の28期・大木光選手にお話をお聞きしました。
(取材日10/8)
―長期療養明けで迎えた復帰節(9月30日からの3日間開催)はどうでしたか?
とりあえず走れてホッとしました。いろいろ手伝ってもらったので、みなさんのおかげです。療養中はけっこう辛かったです。でも手術はなかったので、まだよかったですかね。休んでいる時は治すだけだったけど、弟子(上原大輝選手・川口38期)とか、身内が走るレースは見ていました。
―復帰して初日1着、準決勝戦も2着で優出されましたね。
まあ、2日目は雨でしたけどね。
―最初、不安とかはなかったですか?
いやいや、ものすごく緊張しましたよ。初日から最後まで3日間とも緊張しました。
―そもそもなんですけど、オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
家がレース場に近かったので、ちっちゃい頃から親に連れていってもらっていました。それで、見ていて格好いいなって思ったんですよね。ただ、高校でもそうですし、野球をずっとやっていたので野球関係の仕事に就きたいと思ったこともあるんですよ。そう思いつつ、高校在学中に選手試験を受けて、補欠合格だったんですけど、たまたま一発で受かりました。奇跡的ですよね。
―野球をやっていたということであれば、養成所の体力訓練はそんなに厳しくなかったですか?
いや、辛かったですよ。時間も朝からでしたし。でも、やらないとしょうがないので...。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
いやあ、あまり覚えてないなあ。でも、緊張したのは覚えてますよ。
―そこからレースを重ねてきて、印象に残っているレースはありますか?
前も何かの時に言ったことがあるんですけど、父親が亡くなってすぐのレースです。エンジンもタイヤも良くなくて、試走も出ていないし、優勝できないくらいの状態だったのに、優勝できたんです。ギリギリ優出できたような状態だったのに...。それなのに優勝できたのは、父親の後押しが絶対にあったはずです。あと他には、一般開催だったと思うんですけど、おやっさん(牛沢和彦選手・川口20期)と準決勝戦でワンツー決めた時があって、あれは印象に残っています。準決勝戦なのに一番上がりタイムが遅かったんだけど、二人でワンツーが決まったことをすごく覚えていますね。ケタ違いにタイムが遅かったので、後ろは大渋滞でしたよ(笑)。記念を獲った時は何がなんだかで、あまり覚えてないです。
―レーサーとしてやってきて、嬉しかったことはありますか?
なんだろう、まあ勝てば楽しいし、負ければ悔しいし、結果が全てだから楽しいですよ。この仕事をしてきて良かったと思ってます。
―逆に苦しかったことはありますか?
特にないですね。自分の性格なのか、マイナス思考はしないので。ダメならダメで、すぐ次に切り替えてって感じです。
―今、何か取り組んでいることはありますか?
42歳になって、例えば体重管理なり老眼なり、体力も落ちてきたし、疲れるし、その辺は考えながらやっていかないとダメかなって思っています。これから後退していくだけだから、それをできるだけ遅くするようにしたいです。運動は一応、ウォーキングをしています。食べたら食べた分だけ太ってしまう体質なので...。まあ気にせず食べてるけど、その分は運動しようかなと。この前の3ヶ月の入院の時に、内臓とかいろいろ検査してもらってもポリープとか異常はなかったので、その辺は大丈夫かなと。
―当面の目標とかはありますか?
いやもう、後退しないようにですね。そこから少しでも良くできれば、理想ですけどね。
―お弟子さんを持ってみてどうですか?
気持ちは変わらないけど、どうやって速く走れるようにしようかな、ってことしか考えていないですね。あとはメンタルとか鍛えてもらって。自分たちの若い時は昭和の考え方だったので、今とは伝え方とかが違うと思います。その辺の指導の仕方が難しいですね。自分たちの時はたたき上げで来たけど...。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
たて続けにケガをして分かったことなんですけど、特にケガなく後退せずにこれからも頑張っていきたいですね。
(オートタイムス編集部)
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