山陽オート所属の33期・青木隆浩選手にお話をお聞きしました。
(取材日8/7)
―オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
岡山県出身なので馴染みとかないんですけど、親がオートレースを知っていて、小6の時にレースを初めて生で見て、すごく格好いいなと思いました。その時は選手になるとかどうとかは分からなかったんですけど、とにかく音もデカいし、いいなって思ったんです。高校生の時に改めて見たら格好いいなってなって。一般の人でも選手になれるというのを知って、試験を受けてみようと思いました。それで受かった感じですね。
―33期の時に初めて受けたのですか?
いやいや、3回受けました。31期、32期、33期と。最初は19歳ぐらいの時で、31期の試験でした。受かった時はめちゃくちゃ嬉しかったですね。受かると思っていなかったし。倍率も凄かったし。選手になりたいとはずっと思っていて、受かるまでは受けようぐらいのつもりでいたので、選手になれて嬉しかったですね。
―オートレースを見ている時に好きな選手はいましたか?
浦田さん(浦田信輔選手・飯塚23期)とかが自分の中では凄く速い選手っていうイメージでしたね。貢さん(高橋貢選手・伊勢崎22期)とかもそうでしたし、格好いいなって思っていました。スーパースターって感じのイメージです。
―養成所での生活はどうでしたか?
まあ、キツかったですかね。外にも出られないし自由がなかったんで...。でも、バイクに乗れるのは嬉しかったので、それだけが唯一、楽しかったです。朝の教練もキツかったですね。朝、早く起きて運動とかするんですけど、それが自分にはキツかったです。運動は中学の時に野球とか、高校の時はバドミントン部だったんですけど、そんなにがっつりはやっていなくて...。体力に自信がないわけではなかったんですけど、やっぱり毎日しっかり筋トレとか、運動とかを朝からやるのはキツかったです。それ以外はそこまで苦じゃなかったですけど、自由に外に行ったりできないのはキツかったですね。でも、選手になるためには皆これをやるので、ここはしっかり頑張ろうと思っていましたね。
―バイクは好きだったんですか?
実家がバイク屋で、親がモトクロスを少しやっていたんですけど、その影響で自分も趣味の範囲でモトクロスをやっていました。オートレーサーになるまでは、休みの日はモトクロスに乗っていましたね。
―オートレースのバイクに乗った時はどんな感じでしたか?
なんか違和感がありましたね。まずハンドルの高さが違うし、違和感しかなかったです。バイクは乗っていたので何となくは分かりましたけど、やっぱり、変な感じというか独特な感じはありましたね。慣れるまでが少し今までと違うバイクだなってのはありましたね。ギアチェンジも普通は5速とか6速とかあるけど、これは1速と2速しかないし、しかも右側にあるので、それも少し違和感でした。普通は右側にはリアブレーキがあるので変な感じですよね。慣れてしまった今は違和感ないですけど。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
なんとなくですけど、覚えています。当時、70mくらいのハンデだったんですけど、それまで1級車と一緒に走ったことがなかったので、これだけハンデをもらっているから、と自分の中で変な自信があって、たぶん逃げ切れるだろうなって思っていました。いざ走ってみたらかなりの差を付けられての8着だったので、すごい覚えています。レース前までは1着取るぞって思っていたんですけど、実際走ってみたら全然ダメで、現実を思い知らされたのを覚えています。こんなに違うんだって。抜かれる時の勢いが違いすぎて、こんなに差があって勝てるのか?って思いましたね。それぐらいの差でした。
―1級車に乗るようになってから違いは感じましたか?
100ccでこんなにパワーが違うんだなって思いました。1級車に乗り換わる半年くらい前から練習で乗ることはできるんですよ。その時にこんなにパワーが違うんだって。スピードも違うし、せこいなって思いましたね(笑)。こんなのなら、そりゃあ勝てるよなって思いながら走った印象はありますね。
―ここまでたくさんレースをしてきて印象に残っているレースはありますか?
そうですね、自分は速い方じゃないんですけど、唯一、そのレースの中で8号車で最後方から走ったレースがあったんですよ。そこで1着を取れたレースがあって、それは覚えていますね。前で走って逃げるんじゃなく、抜いていって1着を取れたので。後ろからちゃんと捌いていって1着取れたのが嬉しかったというか、自分でもできるんだって思いました。
―選手としてやってきて苦しかったことはありますか?
2級車の新人の頃が苦しかったですね。自分は遅かった方だったんですけど、うまくいかないことが多すぎて、先輩方から怒られもするし、アドバイスももらうんですけど、もらってもその通りにできなかったりするのが多かったので、苦しかったですね。もどかしさというか自分に対しての歯がゆさとか...。でも、それがあるから今の自分があると思いますけど、2級車の時が苦しかったです。
―師匠(田方秀和選手・山陽22期)を含めてグループの雰囲気はどうでしたか?
師匠は厳しかったですよ。めっちゃ怖かったです。よく怒られていました。今はそこまでではないですけど。でも、その時の指導があったから今があると思います。
―オートレーサーとしてやってきて嬉しかったことはありますか?
初優勝できた時ですかね。やっぱり嬉しかったですね。初1着を取れた時も嬉しかったですけど、初優勝した時は、やっと優勝して選手として一つ達成できた感じはありました。その時は、周りの同期がどんどん優勝していたので、自分も早くしたいって焦りもあったりして、なかなか優勝できなかったので、それもあって余計に嬉しかったですね。
―今、何か課題を挙げるとしたら何かありますか?
いやあ、課題しかないです。課題だらけなんですけど、一番は捌きですかね。人を抜いていくのが苦手なので、そこをもっとできたら、もっと上がっていけると思うんですけど、そこがなかなか自分の中でうまくできていないですね。
―岡山育ちなのですか?
はい、岡山県生まれです。里庄町(さとしょうちょう)っていう広島県寄りの小さい町なんですけど、そこの育ちです。
―オートレースとは関わりが少なそうな所ですね?
地元の友達とか周りの知り合いとかに言っても、ロードレースを間違えられるくらいで、オートレースを知っている人は少ないです。公営競技はボートレース児島とか玉野競輪とかはあるんですけどね。オートレースとは全く馴染みがない場所柄です。
―そっちの競技には興味はなかったんですか?
ボートは少し興味があって、オートレースの試験を受け続けている時に、そっちの選手になるのも少しいいかなと思って見に行ったんですけど、自分の中ではボートレースにそこまで魅力を感じなくて...。賞金面を考えればボートレースの方がいいと思うんですけど、魅力でいったらオートの方が断トツに格好良くて、オートレーサーになりたいなって改めて思いました。
―当面の目標は何かありますか?
今は最高ハンの20m前で走っているんですけど、10m前で走れる選手になりたいです。今よりハンデを一つずつ下げていきたいって思っています。もっと後ろから走って、それで活躍できる選手になりたいです。あと、もっと優勝したいですね。今は2回しかしてないですけど、優勝って普通に勝つのとは違う喜びがあるので、とにかく優勝したいです。その二つですかね。
―オフの日はどのように過ごしていますか?
家に居ることが多いですね。今は子どもが2人いるんですけど、子どもの面倒を見るのが楽しみというか、日課です。あんまり自分は趣味がないので、家に居ることが多いですね。インドアというか。たまにちょこっと出かけたりくらいです。
―最後に、オッズパークの会員の皆様へメッセージをお願いします。
ちょっと買いにくい選手だとは思うんですけど、買ってくれているお客さんのために、とにかく車券に絡めるよう一生懸命走っています。あとは、どんどんオートレースが広まっていけばいいなと思います。
(オートタイムス編集部)
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