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選手間でも評判の調整巧者|阿部 剛士選手

川口オート所属の27期・阿部剛士選手にお話を伺いました。

(取材日:10/8)

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―オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?

伊勢崎が隣町で、伊勢崎オートレース場に友達とよく観戦に行っていて、「格好いいな」と思っていました。高校を卒業してすぐの頃ですかね。

―伊勢崎オートを見に行っていた時に、好きな選手はいましたか?

やっぱり、田代さん(元オートレーサー、伊勢崎15期・田代祐一さん)ですね。お客として見ていても、あの突っ込みはしびれましたよ。「自分もオートレーサーになってみたい」って思いましたね。

―試験を受けて、27期で一発合格だったんですか?

いや、26期を受けて一次は受かったけど、二次で落ちて、それで次の27期で受かりました。(合格通知が来た時は)「あっ、選手になれるんだな」って思いました。

―養成所生活はいかがでしたか?

養成所はきついところだと思いますけど、ボクはそこまできついとは感じなかったです。楽しかったです。それまでは野球を小さい頃からやっていました。小学生ではソフトボールで、中高では野球をやっていたので、体力訓練はそこまで厳しくなかったです。

―オートレースのバイクに乗った時はどんな感じでしたか?

ボクはバイクに一切乗ったことがなかったので、「ああ、こんな感じなのか」って思いました。

―デビュー戦のことは覚えていますか?

今はもうあまり覚えていないけど、うっすらですね。24、5年前ですからね。緊張はしていなかったです。一番最初に乗った準決勝戦が、過去で一番緊張したかな。(2着に入れば優勝戦に乗れますもんね)ええ、そんな感じでスタートする時もクラッチから手が離れなかったです。今までで一番緊張したレースですね。

―印象に残っているレースはありますか?

やっぱり、記念で勝てたレースですよね。嬉しいというか、なんというか、「自分でいいのかな」って感じでした。ハンデももらっていたから、「自分が勝っていいのかな」みたいなのはありました。

―ここまでオートレーサーとしてやってきて、嬉しかったことはありますか?

初優勝もそうだし、記念を獲ったのもそうだし、あとはやっぱり、弟子の励(佐藤励選手・川口35期)がSGを獲ったのも嬉しかったですね。

―弟子の活躍は、師匠としても嬉しいですか?

そうですね、それはもちろん。励は本当にまじめだし、好青年だし、ちゃんとしているから、ボクが全然いろんなことを教えなくても、自分で全部できる子なので、師匠としては楽ですよ。ちょっと粗相をした時にボクが出て行って責任を取るくらいで、それ以外は、一切、整備にしても乗るほうにしてもSGを獲っているわけだから、何も教えることはないですよ。逆にボクが彼に教わるほうですよ(笑)。

最初の頃も、指導というほどの指導はそんなにしていないですよ。もともと持っているモノが良かったし、乗るほうもほぼほぼできていましたからね。あとはロードから来た子だから、ロードからオートレースに馴染ませるための乗り方は、青木治ちゃん(青木治親選手・川口29期)が身近にいて経験しているから、治ちゃんも含めて、弟子として来た時に彼には指導はしましたけど、それぐらいじゃないですか。

ロッカーでの作法は、ボクの周りに若い選手がいっぱいいるから、彼らがみんな教えているので、ボクが言わなくても...。その辺も楽ですね(笑)。周りのおかげですよね。応援してくれる人はいっぱいいるに越したことはないし、敵はあまり作らないほうがいいだろうし。

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―ご自身で今、何か取り組んでいることはありますか?

今の時代、若い子たちはスピードも速いし、スタートから早いから、何年か前からスタートが重要になってきていると思うので、ボクの今までの切り方だと遅れるなって実感しているんです。だからスタートの改善はいろいろやってきています。

それは励に教わったりもして、あと、他の若い子たちのマネをしたりとかして、やっていかないと置いていかれるかなと思っているので、今はスタートですかね。今までの切り方を全部捨てて、一からやり直しています。

昔はスタートする時にクラッチをドンと離していたけど、それだと今のボクのスタート力だとダメだなと思ったから、今の速い子たちの離し方みたいな感じで改良して、スタートを改造しています。まだまだ甘いんですけど、ちょっとずつ良くなってきていると思います。

―他の選手たちに取材をしていて、「阿部さんは調整巧者」という話を聞くんですけど、何かご自身の中で理論とかはあるんですか?

(笑)ボクの場合はエンジンの音を聞きながら調整しているだけなので、過去のデータも一切取っていないですし。いい音が出ていてもダメな時があるから、その時はもう「部品かな」みたいな感じで、どこかの部品を疑ったりとかします。

―阿部さんはエンジンが大崩れしない印象がありますよね?

まあ、そうですかね(笑)。普通くらいの状態には作れるようになっていますけど、今は一番後ろから走るとなると、そのエンジンレベルだとかなり厳しいですね。最高ハンデで走るとなると、エンジンを仕上げないと、ボクの腕じゃ互角には戦えないですよ。

―オフの日はどんな過ごし方をされていますか?

ダラダラしていますよ(笑)。最近はよくゴルフの練習には行っていますけど、なかなかうまくならないですね。ゴルフは調整が利かない、合わない(笑)。難しいですね。オンとオフは切り替えています。

―当面の目標を掲げるとしたら?

これといった目標はないですけど、やっぱり、一番後ろで走るに越したことはないですから、一番後ろから走って勝ちたいですね。

―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。

車券に絡めるように、毎走毎走一生懸命走っているので、応援よろしくお願いいたします。

(オートタイムス編集部)

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2025年11月25日

ファンの方への感謝の気持ちを走りで示す|三浦 康平選手

伊勢崎オート所属の28期・三浦康平選手にお話を伺いました。

(取材日:10月8日)

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― オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?

たまたま選手募集を見つけて、「受けてみようかな」と思ったのがきっかけです。もともとオートレースは知っていて、伊勢崎にも何度か行ったことがありましたが、「ファンです」と言えるほど熱心に見ていたわけではなくて...。2~3回ほど観戦した程度でした。でも、車券を買うよりも「このバイクに乗ってみたいな」と思ったんです。最初に見たのは17~18歳の頃でしたが、試験を受けたのは21歳のとき。頭の中にはずっとあったんでしょうね。

ちょうどその時期にネットで選手募集中っていうのを見かけて、書類を取り寄せて試験を受けました。たまたま目に入ったタイミングが募集期間中だったんです。28期を受験して合格通知が届いたときは、「え~っ!」という感じで、嬉しかったけど実感はあまりなかったです。「ああ、受かったんだ」と不思議な気分でした。

― 選手になると決めたとき、ご両親は何かおっしゃっていましたか?

両親はオートレースのことを全く知らなかったので、喜ぶより心配していましたね。「バイクだから危ないでしょ」という感じで。でも、反対はされませんでした。

― 養成所での生活はいかがでしたか?

楽しかったですよ。やってること自体は体がきつかったですけど、毎日バイクに乗れるのが嬉しくて。つらくて「早く帰りたい」と思ったことは一度もありませんでした。

― それまでバイクには乗っていたんですか?

中型免許でちょこちょこ乗っていました。もともとバイクが好きだったので、それが仕事になって本当に良かったです。

― デビュー戦のことは覚えていますか?

緊張はしていたと思うんですが、あまり覚えていないですね。1着だったのは覚えています。デビューを終えたときは「ヨーシ!」という感じよりも、「はぁ~」とホッとした気持ちの方が強かったです。

― 印象に残っているレースはありますか?

「これだけは忘れられない」というのはないですが、いくつか印象に残っているレースはあります。記念レースで優勝できたときのことはなんとなく覚えていますね。でも、スターライト(GII)を獲ったレースは全く覚えていません(笑)。

平成チャンピオンカップ(GI)のときは、1回目にフライングをして、2回目でちゃんとスタートを切って優勝したんですが、それは覚えています。スターライト(GII)の優勝戦では誰がいたかも覚えていないくらいです。終わったことはあまり気にしない性格なんでしょうね。それはいい面でもありますが、悪かったレースを反省しないという意味では良くない面でもあります(笑)。

― ここまで苦労したり、大変だったことはありますか?

そうですね、あまり苦労していないのかもしれません。骨折は何度かありますが、半年以上の長期休養はなく、休んでも2ヶ月くらいだったかな。今後もそういう長期休養は避けたいですね。ない方がいいです。

― 逆に、この仕事をしていて嬉しかったことは?

やっぱり、レースを通して人に何かを感じてもらえることはいいかもしれませんね。賭けてくれた方に対して、結果を出せないと残念な思いをさせてしまいますが、いい結果が出て喜んでもらえるのは、普通に生きていたらなかなか味わえないことです。

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― 現在の課題はありますか?

特に「これ」というものはないですね。現状維持を目指しているわけではありませんが、長くやっていると、いまだに分からないことも多いです。一時的に良くしようとしてもうまくいかないことも分かっていますし、逆にそういうので悩むことはあります。

課題を立てて「これを常にやろう」と考えることは今は少ないかな。エンジンの状態を良く保てるのが理想ですが、その難しさも知っているから。やれることはやるけれど、難しいっちゃ難しいなと。でも、その「難しさ」も面白さの一つだと思います。簡単に淡々とずっとやっているだけだと飽きてしまうので、悩んだりするのも面白さかもしれないですね。根本的につまらない仕事じゃないから、やりがいはあります。

― 近々の目標はありますか?

特に大きな目標はないです。大きいレースの優勝戦を目指すというよりも、1レース1レース、6周をどれだけきちんと走れるかの方が大事です。綿密に準備するタイプでもないので、1走ごとにいい走りができれば。

― 体型は昔からあまり変わっていないようですね?

そうですね。あまり変わっていません。少し太って2キロくらい増えましたが、カロリー計算をしたり、食事制限をしたりはしていません。

― 現在、伊勢崎支部長を務められていますが、いかがですか?

次の4月で丸4年になります。普通の人ならやらないことをやっている感じですね(笑)。

― 支部長を引き受けた理由は?

いやいや、選挙なんですよ。投票で票が入るとやることになるんです。自分から立候補したわけではありません。長いこと役員をやっていたので、そろそろ順番的に来るだろうとは思っていました。仕事の一環として受け止めています。

― 最後に、オッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。

感謝の気持ちしかありません。自分たちがどんなに一生懸命走っても、お客さんが車券を買ってくれなければ競技は成り立ちません。それが大前提。いくら技術や努力があっても、ファンの方がいなければ意味がない世界です。

走っている最中はなかなか考えている余裕はないですが、オートレースが存在するのはお客さんのおかげ。いつも感謝の気持ちを持っています。お客さんが車券を買って、負けたとして、納得してもらうのはなかなか難しいかもしれないですが、選手一人ひとりが一生懸命走る姿を見せれば、少しは伝わると思います。自分も含め、みんながそういうレースをして、応援してもらえるように頑張ります。今後ともよろしくお願いいたします。

(オートタイムス編集部)

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2025年11月11日

リアル努力の人|内山 高秀選手

伊勢崎オート所属の26期・内山高秀選手にお話を伺いました。

(取材日:10月8日)

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―オートレーサーになろうと思った理由は何ですか?

小さい頃からなりたかったんです。船橋オートレース場に連れていってもらったとき、「格好いいな」と思いました。高校二年生のときに試験があって、高校三年生で養成所に入りました。たまたま合格して、通知が来たときは本当に嬉しかったです。当時は森さん(森且行選手・川口25期)もいて、倍率も高かったですね。

―もうすぐオートレーサーとして30年ほど経ちますが、ここまでやってきてどうですか?

いろいろありましたけど、たくさんの経験ができて良かったと思います。デビュー当初はうまく走れなくて、成績もあまり良くなかったんですが、周りの方々のアドバイスのおかげで記念レースにも出場できました。そこで優勝もできて、本当に嬉しかったです。

―初優勝はGI(船橋オート祭)でしたね?

そうでしたね。記念初優出でGI初優勝。みなさんのおかげです。記念レースで勝つのは難しいですし、優出するのも大変です。船橋も今はなくなってしまいましたが、あれからもう10年くらい経つんですね。

―船橋オートがなくなって伊勢崎に移籍されましたが、その直後はどうでしたか?

家からの距離を考えると川口が希望だったんですが、でも伊勢崎の方々にお世話になって本当に感謝しています。同期の桜井くん(桜井晴光選手・伊勢崎26期)の隣のロッカーに入って、周りの方にも良くしてもらっています。

―印象に残っているレースを挙げるとしたら?

やっぱり初優勝のときが一番印象に残っていますね。ほかにもSGで優出したレースなどいろいろありますが、やっぱり船橋で勝ったGIが一番印象的です。そのおかげで最高ハンデで走れるようになって、そこからステップアップできた気がします。オートレーサーになって本当に良かったと思いました。すごい人たちと一緒に走れて...。まさに怪物ぞろいでしたね。あれがターニングポイントでした。

―逆に、苦しかったことはありますか?

常に苦しいですよ。レース場に来ると緊張しますし、ケガもつきものです。今でも緊張します。でも、いい緊張感がある方が危なくないと思います。緊張しすぎても良くないですが、適度な緊張ならいいですね。

―休日はどう過ごしていますか?

オフの日は家のことをしています。家事もやりますし、車をいじったりもしています。オンとオフを切り替えて、子どものサッカーの試合を見に行ったりもします。中学三年生と小学六年生の女の子がいて、二人ともサッカーをやっているんです。この前も大きな大会を見に行ってきました。上の子は高校もサッカーで決まったので楽しみです。これからも頑張ってほしいですね。

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―将来的に、お父さんと同じ仕事をしたいとは言っていますか?

全く言っていないですね。自分がこの仕事をしていることは知っていますが、興味はないようで。「気をつけて」「頑張って」とは言われますけどね。今はサッカーに夢中なので、その道で夢を諦めずに頑張ってほしいです。

―当面の目標はありますか?

伊勢崎に移籍したので、伊勢崎で優勝したいですね。準優勝はありますが、まだ伊勢崎での優勝はありません。速い選手が多くて難しいですが、勝ちたいです。あとは、お客様に還元できるよう、連に絡むことですね。

―ご自身の中で課題はありますか?

常にスタートを良くしたい、雨でもうまく走りたい、捌きを良くしたいと思っています。年齢を重ねると衰えも出てくると思うので、今の状態を維持できるよう努力しています。若い選手が伸びてくるのは当然なので、なんとか食らいついていきたいです。あとは頑張るだけですね。

―やりたいことを仕事にできて良かったですね。

そうですね。やりたいことで食べていけるので。これからは緩やかな衰えを描けるよう、練習と努力を重ねていきたいです。動体視力や距離感など、車と一緒ですからね。篠崎さん(篠崎実選手・川口9期)や岩田さん(岩田行雄選手・伊勢崎15期)は本当にすごいです。

―何歳までレーサーを続けたいですか?

できる限り、体が言うことを利く限りはやりたいですね。できれば60歳、65歳くらいまで。孫ができたりしたら、レースを見せてあげたいと思っています。年齢はわかりませんが、孫に走る姿を見せて終えられたらと思います。

―最後に、オッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。

走らせていただけることに感謝しています。車券に貢献できるよう、1走1走、最後まで頑張ります。

(オートタイムス編集部)

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2025年10月23日

プラス思考で前を向き続ける|大木光選手

川口オート所属の28期・大木光選手にお話をお聞きしました。

(取材日10/8)

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―長期療養明けで迎えた復帰節(9月30日からの3日間開催)はどうでしたか?

とりあえず走れてホッとしました。いろいろ手伝ってもらったので、みなさんのおかげです。療養中はけっこう辛かったです。でも手術はなかったので、まだよかったですかね。休んでいる時は治すだけだったけど、弟子(上原大輝選手・川口38期)とか、身内が走るレースは見ていました。

―復帰して初日1着、準決勝戦も2着で優出されましたね。

まあ、2日目は雨でしたけどね。

―最初、不安とかはなかったですか?

いやいや、ものすごく緊張しましたよ。初日から最後まで3日間とも緊張しました。

―そもそもなんですけど、オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?

家がレース場に近かったので、ちっちゃい頃から親に連れていってもらっていました。それで、見ていて格好いいなって思ったんですよね。ただ、高校でもそうですし、野球をずっとやっていたので野球関係の仕事に就きたいと思ったこともあるんですよ。そう思いつつ、高校在学中に選手試験を受けて、補欠合格だったんですけど、たまたま一発で受かりました。奇跡的ですよね。

―野球をやっていたということであれば、養成所の体力訓練はそんなに厳しくなかったですか?

いや、辛かったですよ。時間も朝からでしたし。でも、やらないとしょうがないので...。

―デビュー戦のことは覚えていますか?

いやあ、あまり覚えてないなあ。でも、緊張したのは覚えてますよ。

―そこからレースを重ねてきて、印象に残っているレースはありますか?

前も何かの時に言ったことがあるんですけど、父親が亡くなってすぐのレースです。エンジンもタイヤも良くなくて、試走も出ていないし、優勝できないくらいの状態だったのに、優勝できたんです。ギリギリ優出できたような状態だったのに...。それなのに優勝できたのは、父親の後押しが絶対にあったはずです。あと他には、一般開催だったと思うんですけど、おやっさん(牛沢和彦選手・川口20期)と準決勝戦でワンツー決めた時があって、あれは印象に残っています。準決勝戦なのに一番上がりタイムが遅かったんだけど、二人でワンツーが決まったことをすごく覚えていますね。ケタ違いにタイムが遅かったので、後ろは大渋滞でしたよ(笑)。記念を獲った時は何がなんだかで、あまり覚えてないです。

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―レーサーとしてやってきて、嬉しかったことはありますか?

なんだろう、まあ勝てば楽しいし、負ければ悔しいし、結果が全てだから楽しいですよ。この仕事をしてきて良かったと思ってます。

―逆に苦しかったことはありますか?

特にないですね。自分の性格なのか、マイナス思考はしないので。ダメならダメで、すぐ次に切り替えてって感じです。

―今、何か取り組んでいることはありますか?

42歳になって、例えば体重管理なり老眼なり、体力も落ちてきたし、疲れるし、その辺は考えながらやっていかないとダメかなって思っています。これから後退していくだけだから、それをできるだけ遅くするようにしたいです。運動は一応、ウォーキングをしています。食べたら食べた分だけ太ってしまう体質なので...。まあ気にせず食べてるけど、その分は運動しようかなと。この前の3ヶ月の入院の時に、内臓とかいろいろ検査してもらってもポリープとか異常はなかったので、その辺は大丈夫かなと。

―当面の目標とかはありますか?

いやもう、後退しないようにですね。そこから少しでも良くできれば、理想ですけどね。

―お弟子さんを持ってみてどうですか?

気持ちは変わらないけど、どうやって速く走れるようにしようかな、ってことしか考えていないですね。あとはメンタルとか鍛えてもらって。自分たちの若い時は昭和の考え方だったので、今とは伝え方とかが違うと思います。その辺の指導の仕方が難しいですね。自分たちの時はたたき上げで来たけど...。

―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。

たて続けにケガをして分かったことなんですけど、特にケガなく後退せずにこれからも頑張っていきたいですね。

(オートタイムス編集部)

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2025年10月17日

3度目の正直で憧れのオートレーサーに|青木 隆浩選手

山陽オート所属の33期・青木隆浩選手にお話をお聞きしました。

(取材日8/7)

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―オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?

岡山県出身なので馴染みとかないんですけど、親がオートレースを知っていて、小6の時にレースを初めて生で見て、すごく格好いいなと思いました。その時は選手になるとかどうとかは分からなかったんですけど、とにかく音もデカいし、いいなって思ったんです。高校生の時に改めて見たら格好いいなってなって。一般の人でも選手になれるというのを知って、試験を受けてみようと思いました。それで受かった感じですね。

―33期の時に初めて受けたのですか?

いやいや、3回受けました。31期、32期、33期と。最初は19歳ぐらいの時で、31期の試験でした。受かった時はめちゃくちゃ嬉しかったですね。受かると思っていなかったし。倍率も凄かったし。選手になりたいとはずっと思っていて、受かるまでは受けようぐらいのつもりでいたので、選手になれて嬉しかったですね。

―オートレースを見ている時に好きな選手はいましたか?

浦田さん(浦田信輔選手・飯塚23期)とかが自分の中では凄く速い選手っていうイメージでしたね。貢さん(高橋貢選手・伊勢崎22期)とかもそうでしたし、格好いいなって思っていました。スーパースターって感じのイメージです。

―養成所での生活はどうでしたか?

まあ、キツかったですかね。外にも出られないし自由がなかったんで...。でも、バイクに乗れるのは嬉しかったので、それだけが唯一、楽しかったです。朝の教練もキツかったですね。朝、早く起きて運動とかするんですけど、それが自分にはキツかったです。運動は中学の時に野球とか、高校の時はバドミントン部だったんですけど、そんなにがっつりはやっていなくて...。体力に自信がないわけではなかったんですけど、やっぱり毎日しっかり筋トレとか、運動とかを朝からやるのはキツかったです。それ以外はそこまで苦じゃなかったですけど、自由に外に行ったりできないのはキツかったですね。でも、選手になるためには皆これをやるので、ここはしっかり頑張ろうと思っていましたね。

―バイクは好きだったんですか?

実家がバイク屋で、親がモトクロスを少しやっていたんですけど、その影響で自分も趣味の範囲でモトクロスをやっていました。オートレーサーになるまでは、休みの日はモトクロスに乗っていましたね。

―オートレースのバイクに乗った時はどんな感じでしたか?

なんか違和感がありましたね。まずハンドルの高さが違うし、違和感しかなかったです。バイクは乗っていたので何となくは分かりましたけど、やっぱり、変な感じというか独特な感じはありましたね。慣れるまでが少し今までと違うバイクだなってのはありましたね。ギアチェンジも普通は5速とか6速とかあるけど、これは1速と2速しかないし、しかも右側にあるので、それも少し違和感でした。普通は右側にはリアブレーキがあるので変な感じですよね。慣れてしまった今は違和感ないですけど。

―デビュー戦のことは覚えていますか?

なんとなくですけど、覚えています。当時、70mくらいのハンデだったんですけど、それまで1級車と一緒に走ったことがなかったので、これだけハンデをもらっているから、と自分の中で変な自信があって、たぶん逃げ切れるだろうなって思っていました。いざ走ってみたらかなりの差を付けられての8着だったので、すごい覚えています。レース前までは1着取るぞって思っていたんですけど、実際走ってみたら全然ダメで、現実を思い知らされたのを覚えています。こんなに違うんだって。抜かれる時の勢いが違いすぎて、こんなに差があって勝てるのか?って思いましたね。それぐらいの差でした。

―1級車に乗るようになってから違いは感じましたか?

100ccでこんなにパワーが違うんだなって思いました。1級車に乗り換わる半年くらい前から練習で乗ることはできるんですよ。その時にこんなにパワーが違うんだって。スピードも違うし、せこいなって思いましたね(笑)。こんなのなら、そりゃあ勝てるよなって思いながら走った印象はありますね。

―ここまでたくさんレースをしてきて印象に残っているレースはありますか?

そうですね、自分は速い方じゃないんですけど、唯一、そのレースの中で8号車で最後方から走ったレースがあったんですよ。そこで1着を取れたレースがあって、それは覚えていますね。前で走って逃げるんじゃなく、抜いていって1着を取れたので。後ろからちゃんと捌いていって1着取れたのが嬉しかったというか、自分でもできるんだって思いました。

―選手としてやってきて苦しかったことはありますか?

2級車の新人の頃が苦しかったですね。自分は遅かった方だったんですけど、うまくいかないことが多すぎて、先輩方から怒られもするし、アドバイスももらうんですけど、もらってもその通りにできなかったりするのが多かったので、苦しかったですね。もどかしさというか自分に対しての歯がゆさとか...。でも、それがあるから今の自分があると思いますけど、2級車の時が苦しかったです。

―師匠(田方秀和選手・山陽22期)を含めてグループの雰囲気はどうでしたか?

師匠は厳しかったですよ。めっちゃ怖かったです。よく怒られていました。今はそこまでではないですけど。でも、その時の指導があったから今があると思います。

―オートレーサーとしてやってきて嬉しかったことはありますか?

初優勝できた時ですかね。やっぱり嬉しかったですね。初1着を取れた時も嬉しかったですけど、初優勝した時は、やっと優勝して選手として一つ達成できた感じはありました。その時は、周りの同期がどんどん優勝していたので、自分も早くしたいって焦りもあったりして、なかなか優勝できなかったので、それもあって余計に嬉しかったですね。

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―今、何か課題を挙げるとしたら何かありますか?

いやあ、課題しかないです。課題だらけなんですけど、一番は捌きですかね。人を抜いていくのが苦手なので、そこをもっとできたら、もっと上がっていけると思うんですけど、そこがなかなか自分の中でうまくできていないですね。

―岡山育ちなのですか?

はい、岡山県生まれです。里庄町(さとしょうちょう)っていう広島県寄りの小さい町なんですけど、そこの育ちです。

―オートレースとは関わりが少なそうな所ですね?

地元の友達とか周りの知り合いとかに言っても、ロードレースを間違えられるくらいで、オートレースを知っている人は少ないです。公営競技はボートレース児島とか玉野競輪とかはあるんですけどね。オートレースとは全く馴染みがない場所柄です。

―そっちの競技には興味はなかったんですか?

ボートは少し興味があって、オートレースの試験を受け続けている時に、そっちの選手になるのも少しいいかなと思って見に行ったんですけど、自分の中ではボートレースにそこまで魅力を感じなくて...。賞金面を考えればボートレースの方がいいと思うんですけど、魅力でいったらオートの方が断トツに格好良くて、オートレーサーになりたいなって改めて思いました。

―当面の目標は何かありますか?

今は最高ハンの20m前で走っているんですけど、10m前で走れる選手になりたいです。今よりハンデを一つずつ下げていきたいって思っています。もっと後ろから走って、それで活躍できる選手になりたいです。あと、もっと優勝したいですね。今は2回しかしてないですけど、優勝って普通に勝つのとは違う喜びがあるので、とにかく優勝したいです。その二つですかね。

―オフの日はどのように過ごしていますか?

家に居ることが多いですね。今は子どもが2人いるんですけど、子どもの面倒を見るのが楽しみというか、日課です。あんまり自分は趣味がないので、家に居ることが多いですね。インドアというか。たまにちょこっと出かけたりくらいです。

―最後に、オッズパークの会員の皆様へメッセージをお願いします。

ちょっと買いにくい選手だとは思うんですけど、買ってくれているお客さんのために、とにかく車券に絡めるよう一生懸命走っています。あとは、どんどんオートレースが広まっていけばいいなと思います。

(オートタイムス編集部)

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2025年10月10日

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