川口オート所属の28期・大木光選手にお話をお聞きしました。
(取材日10/8)
―長期療養明けで迎えた復帰節(9月30日からの3日間開催)はどうでしたか?
とりあえず走れてホッとしました。いろいろ手伝ってもらったので、みなさんのおかげです。療養中はけっこう辛かったです。でも手術はなかったので、まだよかったですかね。休んでいる時は治すだけだったけど、弟子(上原大輝選手・川口38期)とか、身内が走るレースは見ていました。
―復帰して初日1着、準決勝戦も2着で優出されましたね。
まあ、2日目は雨でしたけどね。
―最初、不安とかはなかったですか?
いやいや、ものすごく緊張しましたよ。初日から最後まで3日間とも緊張しました。
―そもそもなんですけど、オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
家がレース場に近かったので、ちっちゃい頃から親に連れていってもらっていました。それで、見ていて格好いいなって思ったんですよね。ただ、高校でもそうですし、野球をずっとやっていたので野球関係の仕事に就きたいと思ったこともあるんですよ。そう思いつつ、高校在学中に選手試験を受けて、補欠合格だったんですけど、たまたま一発で受かりました。奇跡的ですよね。
―野球をやっていたということであれば、養成所の体力訓練はそんなに厳しくなかったですか?
いや、辛かったですよ。時間も朝からでしたし。でも、やらないとしょうがないので...。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
いやあ、あまり覚えてないなあ。でも、緊張したのは覚えてますよ。
―そこからレースを重ねてきて、印象に残っているレースはありますか?
前も何かの時に言ったことがあるんですけど、父親が亡くなってすぐのレースです。エンジンもタイヤも良くなくて、試走も出ていないし、優勝できないくらいの状態だったのに、優勝できたんです。ギリギリ優出できたような状態だったのに...。それなのに優勝できたのは、父親の後押しが絶対にあったはずです。あと他には、一般開催だったと思うんですけど、おやっさん(牛沢和彦選手・川口20期)と準決勝戦でワンツー決めた時があって、あれは印象に残っています。準決勝戦なのに一番上がりタイムが遅かったんだけど、二人でワンツーが決まったことをすごく覚えていますね。ケタ違いにタイムが遅かったので、後ろは大渋滞でしたよ(笑)。記念を獲った時は何がなんだかで、あまり覚えてないです。
―レーサーとしてやってきて、嬉しかったことはありますか?
なんだろう、まあ勝てば楽しいし、負ければ悔しいし、結果が全てだから楽しいですよ。この仕事をしてきて良かったと思ってます。
―逆に苦しかったことはありますか?
特にないですね。自分の性格なのか、マイナス思考はしないので。ダメならダメで、すぐ次に切り替えてって感じです。
―今、何か取り組んでいることはありますか?
42歳になって、例えば体重管理なり老眼なり、体力も落ちてきたし、疲れるし、その辺は考えながらやっていかないとダメかなって思っています。これから後退していくだけだから、それをできるだけ遅くするようにしたいです。運動は一応、ウォーキングをしています。食べたら食べた分だけ太ってしまう体質なので...。まあ気にせず食べてるけど、その分は運動しようかなと。この前の3ヶ月の入院の時に、内臓とかいろいろ検査してもらってもポリープとか異常はなかったので、その辺は大丈夫かなと。
―当面の目標とかはありますか?
いやもう、後退しないようにですね。そこから少しでも良くできれば、理想ですけどね。
―お弟子さんを持ってみてどうですか?
気持ちは変わらないけど、どうやって速く走れるようにしようかな、ってことしか考えていないですね。あとはメンタルとか鍛えてもらって。自分たちの若い時は昭和の考え方だったので、今とは伝え方とかが違うと思います。その辺の指導の仕方が難しいですね。自分たちの時はたたき上げで来たけど...。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
たて続けにケガをして分かったことなんですけど、特にケガなく後退せずにこれからも頑張っていきたいですね。
(オートタイムス編集部)
プロフィールページからお気に入り登録ができます。
※お気に入り登録にはログインが必要です。
山陽オート所属の33期・青木隆浩選手にお話をお聞きしました。
(取材日8/7)
―オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
岡山県出身なので馴染みとかないんですけど、親がオートレースを知っていて、小6の時にレースを初めて生で見て、すごく格好いいなと思いました。その時は選手になるとかどうとかは分からなかったんですけど、とにかく音もデカいし、いいなって思ったんです。高校生の時に改めて見たら格好いいなってなって。一般の人でも選手になれるというのを知って、試験を受けてみようと思いました。それで受かった感じですね。
―33期の時に初めて受けたのですか?
いやいや、3回受けました。31期、32期、33期と。最初は19歳ぐらいの時で、31期の試験でした。受かった時はめちゃくちゃ嬉しかったですね。受かると思っていなかったし。倍率も凄かったし。選手になりたいとはずっと思っていて、受かるまでは受けようぐらいのつもりでいたので、選手になれて嬉しかったですね。
―オートレースを見ている時に好きな選手はいましたか?
浦田さん(浦田信輔選手・飯塚23期)とかが自分の中では凄く速い選手っていうイメージでしたね。貢さん(高橋貢選手・伊勢崎22期)とかもそうでしたし、格好いいなって思っていました。スーパースターって感じのイメージです。
―養成所での生活はどうでしたか?
まあ、キツかったですかね。外にも出られないし自由がなかったんで...。でも、バイクに乗れるのは嬉しかったので、それだけが唯一、楽しかったです。朝の教練もキツかったですね。朝、早く起きて運動とかするんですけど、それが自分にはキツかったです。運動は中学の時に野球とか、高校の時はバドミントン部だったんですけど、そんなにがっつりはやっていなくて...。体力に自信がないわけではなかったんですけど、やっぱり毎日しっかり筋トレとか、運動とかを朝からやるのはキツかったです。それ以外はそこまで苦じゃなかったですけど、自由に外に行ったりできないのはキツかったですね。でも、選手になるためには皆これをやるので、ここはしっかり頑張ろうと思っていましたね。
―バイクは好きだったんですか?
実家がバイク屋で、親がモトクロスを少しやっていたんですけど、その影響で自分も趣味の範囲でモトクロスをやっていました。オートレーサーになるまでは、休みの日はモトクロスに乗っていましたね。
―オートレースのバイクに乗った時はどんな感じでしたか?
なんか違和感がありましたね。まずハンドルの高さが違うし、違和感しかなかったです。バイクは乗っていたので何となくは分かりましたけど、やっぱり、変な感じというか独特な感じはありましたね。慣れるまでが少し今までと違うバイクだなってのはありましたね。ギアチェンジも普通は5速とか6速とかあるけど、これは1速と2速しかないし、しかも右側にあるので、それも少し違和感でした。普通は右側にはリアブレーキがあるので変な感じですよね。慣れてしまった今は違和感ないですけど。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
なんとなくですけど、覚えています。当時、70mくらいのハンデだったんですけど、それまで1級車と一緒に走ったことがなかったので、これだけハンデをもらっているから、と自分の中で変な自信があって、たぶん逃げ切れるだろうなって思っていました。いざ走ってみたらかなりの差を付けられての8着だったので、すごい覚えています。レース前までは1着取るぞって思っていたんですけど、実際走ってみたら全然ダメで、現実を思い知らされたのを覚えています。こんなに違うんだって。抜かれる時の勢いが違いすぎて、こんなに差があって勝てるのか?って思いましたね。それぐらいの差でした。
―1級車に乗るようになってから違いは感じましたか?
100ccでこんなにパワーが違うんだなって思いました。1級車に乗り換わる半年くらい前から練習で乗ることはできるんですよ。その時にこんなにパワーが違うんだって。スピードも違うし、せこいなって思いましたね(笑)。こんなのなら、そりゃあ勝てるよなって思いながら走った印象はありますね。
―ここまでたくさんレースをしてきて印象に残っているレースはありますか?
そうですね、自分は速い方じゃないんですけど、唯一、そのレースの中で8号車で最後方から走ったレースがあったんですよ。そこで1着を取れたレースがあって、それは覚えていますね。前で走って逃げるんじゃなく、抜いていって1着を取れたので。後ろからちゃんと捌いていって1着取れたのが嬉しかったというか、自分でもできるんだって思いました。
―選手としてやってきて苦しかったことはありますか?
2級車の新人の頃が苦しかったですね。自分は遅かった方だったんですけど、うまくいかないことが多すぎて、先輩方から怒られもするし、アドバイスももらうんですけど、もらってもその通りにできなかったりするのが多かったので、苦しかったですね。もどかしさというか自分に対しての歯がゆさとか...。でも、それがあるから今の自分があると思いますけど、2級車の時が苦しかったです。
―師匠(田方秀和選手・山陽22期)を含めてグループの雰囲気はどうでしたか?
師匠は厳しかったですよ。めっちゃ怖かったです。よく怒られていました。今はそこまでではないですけど。でも、その時の指導があったから今があると思います。
―オートレーサーとしてやってきて嬉しかったことはありますか?
初優勝できた時ですかね。やっぱり嬉しかったですね。初1着を取れた時も嬉しかったですけど、初優勝した時は、やっと優勝して選手として一つ達成できた感じはありました。その時は、周りの同期がどんどん優勝していたので、自分も早くしたいって焦りもあったりして、なかなか優勝できなかったので、それもあって余計に嬉しかったですね。
―今、何か課題を挙げるとしたら何かありますか?
いやあ、課題しかないです。課題だらけなんですけど、一番は捌きですかね。人を抜いていくのが苦手なので、そこをもっとできたら、もっと上がっていけると思うんですけど、そこがなかなか自分の中でうまくできていないですね。
―岡山育ちなのですか?
はい、岡山県生まれです。里庄町(さとしょうちょう)っていう広島県寄りの小さい町なんですけど、そこの育ちです。
―オートレースとは関わりが少なそうな所ですね?
地元の友達とか周りの知り合いとかに言っても、ロードレースを間違えられるくらいで、オートレースを知っている人は少ないです。公営競技はボートレース児島とか玉野競輪とかはあるんですけどね。オートレースとは全く馴染みがない場所柄です。
―そっちの競技には興味はなかったんですか?
ボートは少し興味があって、オートレースの試験を受け続けている時に、そっちの選手になるのも少しいいかなと思って見に行ったんですけど、自分の中ではボートレースにそこまで魅力を感じなくて...。賞金面を考えればボートレースの方がいいと思うんですけど、魅力でいったらオートの方が断トツに格好良くて、オートレーサーになりたいなって改めて思いました。
―当面の目標は何かありますか?
今は最高ハンの20m前で走っているんですけど、10m前で走れる選手になりたいです。今よりハンデを一つずつ下げていきたいって思っています。もっと後ろから走って、それで活躍できる選手になりたいです。あと、もっと優勝したいですね。今は2回しかしてないですけど、優勝って普通に勝つのとは違う喜びがあるので、とにかく優勝したいです。その二つですかね。
―オフの日はどのように過ごしていますか?
家に居ることが多いですね。今は子どもが2人いるんですけど、子どもの面倒を見るのが楽しみというか、日課です。あんまり自分は趣味がないので、家に居ることが多いですね。インドアというか。たまにちょこっと出かけたりくらいです。
―最後に、オッズパークの会員の皆様へメッセージをお願いします。
ちょっと買いにくい選手だとは思うんですけど、買ってくれているお客さんのために、とにかく車券に絡めるよう一生懸命走っています。あとは、どんどんオートレースが広まっていけばいいなと思います。
(オートタイムス編集部)
プロフィールページからお気に入り登録ができます。
※お気に入り登録にはログインが必要です。
飯塚オート所属の35期・北原岳哲選手にお話をお聞きしました。
(取材日8/7)
―来期から大幅に全国ランクがアップしましたが、どんなお気持ちですか?
そうですね、今がAの144位なので、大きく上がったのは素直に嬉しいです。去年は周回誤認とかフライングとかしちゃったので、今期はそういう反則もなく成績も良くなってきましたし、それもあると思います。反則系は審査に大きく影響しちゃうと思うし、周回誤認はめちゃくちゃデカいので。今期は事故もなく、GIで準決に行けたりもしていたし、優勝戦もちょこちょこ乗れていたので、その辺は良かったと思います。
―そもそもですけど、オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
元々、自分はモトクロスのプロで走っていて、辞める間際、先を考えた時に、元々知っている平塚雅樹さん(平塚雅樹選手・浜松31期)や吉原恭佑さん(吉原恭佑選手・伊勢崎32期)が、自分が走っていた所の先輩で、オートレースの話は聞いていました。まだレースで生きていきたいなっていうのがあったので、これで食っていけるなら選手になりたいと思いました。最後の年は、その年の成績が良くなかったら辞めようと思っていて、それがちょうど募集の年って分かっていたので、ある程度そこで見定めて、夏くらいには募集が始まっていたので、今度はこっちを、って思いました。
―オートレーサーは息が長いですもんね?
(選手になって)3年半くらいになりますけど、やっぱりいいですね。全然違います。モトクロスも個人競技ですが、結果が出ないとお金にならないですし、それだけで食えるのが日本でトップの数人くらいで。自分がモトクロスの世界で全日本ランクでひと桁くらいだったんですけど、それでもやっぱり食っていけなかったので、なかなか厳しかったですね。それでいてすごく体力使う競技なので、体的に50歳とかまでやれる競技ではないです。いろいろ考えながら走らないといけないなと思っていました。オートレースは競技寿命が長いっていうのもあるし、頑張ったら頑張った分だけ生活が良くなるし、なによりも自分が好きなことを仕事にできるっていうのがいいですね。基本、平和主義であまりガツガツしていないんですけど、やっぱり頑張った分だけ目に見える結果が欲しいので、そういう意味ではこの職業が一番いいなっていうのを今は特に感じています。賞金も分かりやすいですし、常に1着を目指して走っていますし、一つでも前にいけば違うしで。すごくやりがいがあります。
―印象に残っているレースはありますか?
今のところ初優勝した時と、ちょっと前に結婚したんですけど、その節に準決でアタマ取って優勝戦に乗って、優勝戦は2着だったんですけどね。直近ではそこです。いい記念日になりました。
―今、課題に感じていることはありますか?
まずは捌きですね。試走タイムとかは一番時計とか出るんですが、人を捌くのが苦手で...。試走タイムだけ出てもレースアシがないパターンが多いし、人を抜くのが課題です。自分は基本、外回しで、内に向けるのが苦手なので、そういうのも含めて練習しながら、取り組んでいます。
―師匠(井村淳一選手・飯塚28期)の存在はどうですか?
デビューした時からずっとお世話になっています。自分のところは派閥が小さくて、自分とおやっさん(師匠)と牧瀬さん(牧瀬嘉葵選手・飯塚29期)の3人しかいないので、少数精鋭でやっている感じです。師匠は基本、優しくしてもらってます。ただ、危ないレースをした時とかはしっかり言ってくれます。でも、基本的には自由にやらせてもらっているので、それはすごくありがたいです。自分が考えて、やりたいと思った整備をいろいろ試させてもらえるので、それで仕事もいろいろ覚えたし、ちょっとずつ良くなっています。伸び伸びとした環境でやらせてもらってますね。自分は基本、突き詰めたいタイプで、いろいろ試しての繰り返しなので、それを最初の頃からやらせてくれているのでやりやすいです。
―2級車の車名は『パークコウベ』でしたけど、それはどういう意味があるのですか?
モトクロスの時に走っていたチームの名前で、自分が17歳でプロになって、18歳でそのチームに入れてもらって、すごくお世話になったんですけど、そのオーナーさんが養成所に入る前に亡くなっちゃって、レースで走る姿を見せられなくなっちゃったので、そういうのもあって、想いを込めて名前を使わせてもらいました。すごい思い入れがありました。そのチームでの生活がなかったらオートレーサーにもなれていなかったなって。そこで走らせてもらって、頑張って成績を出して、そのおかげで養成所に特例枠で受けられたし、人間的にももう少し違ったでしょうね。チームに入る前はちょっと尖っていたので、昔は(笑)。そこでいろんな人にお世話になって、お金もない中で、いろんな人に助けてもらったりして、そこの生活が人生で一番のターニングポイントです。そこで生活していなかったら、こういう時(取材)でも無視するような人間だったかもしれないし、人間的にもいろいろ頭を使えるようになったし、考えられるようになりました。助けてもらうありがたさをすごく感じる環境でした。そのおかげです。すごくいい方向にいってます。
―当面の目標はありますか?
とりあえずもう1回優勝したいですね。長いこと優勝していないので、去年も優勝できていないし、前回も2着だったし、まずは2回目の優勝がしたいですね。
―目標とする選手はいますか?
SGで走っている選手はみんな目標ですけど、今は同期の佐藤励(川口35期)がこの前SGを獲ったので、彼がストイックなのは見ていますし、同期から刺激をもらうって意味では佐藤励かな。憧れの選手っていうとまた違うけど、同期ですし(笑)。基本、速い先輩はみんな尊敬しているので、特段に誰っていうのはないです。逆に一番近い同期で活躍している佐藤励を目標として、肩を並べられるように頑張りたいですね。
―普段の生活で、体調面とか気遣っていることはありますか?
運動は毎日6、7kmぐらい走っています。この仕事も長い期間レース場にいることがあるし、精神的にも体力的にもすり減らすので。そういう意味では、自分も30になる歳だし、だんだん体力が落ちてきているのは何かしら感じるので。20歳前半と比べれば。体重も落ちて、その分筋力も落ちました。先月は6節とか走っているし、夏場で体力もすごく使うので、常に体調は崩さないように、食事面だったり、ある程度運動してその体力を落とさないようにしています。元々、プロスポーツをしていたのもあって、そこの大事さは分かっていますし、そこら辺はすごく考えています。
―では最後に、オッズパーク会員の皆様へのメッセージをお願いします。
いつも応援してくださってありがとうございます。車券を買って頂いているみなさんにしっかり応えることができるように、1走1走常に全力で頑張るので、今後も応援をよろしくお願いいたします。
(オートタイムス編集部)
プロフィールページからお気に入り登録ができます。
※お気に入り登録にはログインが必要です。
浜松オート所属の36期・吉林直都選手にお話をお聞きしました。
(取材日8/7)
―来期のランキング発表(S級29位に昇格)を見てどう思いましたか?
驚きましたね。まだ自分で自力を感じていないので、実力以上に評価されちゃったみたいな。ランクが先行しちゃっているので、頑張って自力をつけないと。プレッシャーじゃないですけど、ひとつのモチベーションになるのかなって感じですね。でも、走りは徐々に...。衰退している感じはないですね。
―現時点で、ご自身で取り組んでいることはありますか?
毎レース毎レース、必ず課題を持って仕事しています。今は、整備面だとパーツ探しをしていて、調子がいいモノは取っておいて、また違うのを探してっていう感じで。いいモノをもっと良くするっていうよりかは、記念とかに出られるようになった時に、活躍できるように整備の面では取り組んでいます。走行の面では、車を外に振ったりするのが苦手なので、そういうところの車間距離も含めてレース慣れですね。レース展開とかで、引かなくてもいいところで引いてしまったりするので、自分の意識と、VTRで見たことを合わせながら、こうできたらいいなっていう、感覚的なところを煮詰めていけるようにしています。しっかり振ってからいかないと、どうしても突っ込み勝負になってしまうので...。しっかり態勢を作ってから抜くのがS級だと思うので、そういう風にやろうと意識していますね。
―整備の面では余裕を持ってパーツを持っておきたいという感じですか?
そうですね。B級の内にできることかなと思って。勝つことも大事ですけど、今やれることをやっておかないと、もし何かあった時に痛い目を見るので。経験値がないままランクが高くなってしまったので、そこを今できるようにしていこうかなと。いいモノを見つければ、後は違うところをやればいいというのを聞いたので、そうしようと。
―そもそもなんですけど、オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
元々バイク関係の仕事をしていて、バイクが好きだったんですけど、前の職場の先輩に「オートレーサーに向いているんじゃない?」って言われて。オートレースのことは元々知っていて、高校の時に父親から観戦に連れていってもらっていたので、先輩の話を聞いた時に「ああ、そういえば、確かに身近にあるな」って思って。
―初めてオートレースを見た時はどう思いましたか?
その時は、モトクロスをやっていて「土」に夢中だったんですよ、アスファルトじゃなくて(笑)。その時はなりたいとは思っていなかったんですけど、社会人になっていろんなバイクに乗るようになってから、アスファルトもいいなって。で、試験を受けました。
―養成所生活はどうでしたか?
きつかったですね。けっこう、同期で怪我をする人が多くて...。速くなりたいんですけど、毎日リスクとの戦いというか。バトルロワイヤルじゃないけど、落ちて骨を折ったら卒業できるか分からないし、っていうのがあって。自分は社会人を辞めてから来たので、フリーターになるのは嫌だったので、辞めるわけにはいかない、でも、攻めたりしてると落ちるし怪我したらまずいし、でも、速くなりたいっていうのが毎日。精神的にすごく疲れましたね。自分はその辺の危機感が人一倍強かった気がします。ちゃんと手に職をつけないと、選手になれなかったらヤバイぞ、って。体力訓練もきついですけど、きついと分かって来ているので、今思えばいい思い出だったなって感じです。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
すごく緊張しました。朝起きてからずっと緊張していました。レースもヒザ当てが入らなくて...。自分のレースの前が竜人(牧野竜人選手・浜松36期)だったんですけど、竜人がスタートですごく浮かせていて、それを見て「やばい」って思って。それまでは自分はイケイケのつもりだったんですけど、それを見て「やばい」って思いました。で、結果2着で、悔しかったけど、今思えばただの通過点で...。でも悔しかったですね。
―デビューして2級車に乗ってきて、今年から1級車に乗り換わりました。違いとかはどうでしたか?
ものすごかったですね。パワーも違いますし、全然違って...。すぐには慣れなかったです。スタートとかに苦手意識を持ってしまったり、安定しなくてっていう感じで、四苦八苦しましたけど、時間が解決するもんだなって思っています。まだ、分からないことだらけです。
―パーツとかではなく、セッティング面の方はどうですか?
セッティングは毎日頑張って合わせようとしていますけど、まあまあ、自分の中で「こうかな」って思ってやっています。でも、それが全てじゃないので、たくさん練習して新しい気づきがあれば、それに合わせられるように、あまり堅い頭を持たずに。試走路でエンジンかけてちょっと違うかなと思ってもレース行ったら良かったとかあるし、本当にまだ自分自身のベースが出来上がっていないです。探りながら、1走1走勉強しながらって感じですね。いろいろと試しながらですね。
―当面の目標は何かありますか?
綺麗なレースができる選手になることです。雅人さん(中村雅人選手・川口28期)の走りはすごく綺麗ですし、すごいなって思います。浜松の金子さん(金子大輔選手・浜松29期)もそうですし、レースがすごく綺麗なので、いいなって思います。
―同期の存在はどうですか?
同期は栗ちゃん(栗原佳祐選手・浜松36期)がすごく速いですし、刺激にはなっています。でも、そこまでライバル視していることはないです。みんなそれぞれステージがあって、その中でやっていると思うので。調子が良ければ「何をしたんだろう」って、そういう面で気になります。そういった話もお互いにする時はあります。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
これからもたくさん練習して、たくさん整備して、自力をつけていきますので、長い目で応援していただけたらと思います。
プロフィールページからお気に入り登録ができます。
※お気に入り登録にはログインが必要です。
山陽オート所属の27期・中野政則選手にお話をお聞きしました。
(取材日8/7)
―オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
親の影響ですかね。親が山口県下関の方でアマチュアオートをしていて、その影響ですかね。なんとなく幼稚園ぐらいから(親が)何かやってるなぁぐらいな感じはあって、だんだん興味を持ち始めて、みたいな感じです。バイクが好きなのもあったのかな。オートレース場にも連れていってもらったりしたし、格好いいなって思っていましたね。身近にそういうのがあって、オートレースのバイクってこんなんなんだって。変わったバイクが家にあったのは間違いないですね。具体的になろうと思ったのは高校生の時くらいですね。学校が終わって帰る時間にオートレース場に行くと、最後の夕練とかでしたね。ちょうど佐々木さん(山陽23期・佐々木啓選手)とか、23期がセアの1級に乗り換わる時の練習が一番印象的でしたね。
―受けたのは27期が最初だったのですか?
いや、高校を卒業する時の25期が最初でした。その時は補欠だったんですけど、空きが出なくて。そのまま山陽の競走会で従事員として働かせてもらいました。それで、3回目の試験になる27期で合格しました。オートレースが好きっていうのもあって、そういう仕事に就いたというか。合格が決まった時は嬉しかったですね。その時は年齢制限があって、年齢的に最後の最後でしたから。受からなかったら競走会でどうにか働き続ける人生だったのかな、とか思ったりしました。コーナー審判塔に上がったこともあるし、救護もしたし、誘導者もしたし、周回番もさせてもらったし、ひと通りのことをさせてもらって選手になった感じですね。
―養成所生活はどうでしたか?
卒業すれば選手になれると思っていたので、長かったし戻りたくはないけど、まあ、良かったかなぁぐらいのイメージです。同期もいたし、選手になれるから我慢、って感じじゃないけど。時間が経つのは長かったけど、終わってみたらあっと言う間だったかな。体力訓練もそこまでキツかったってイメージはないです。クラブ活動の一環みたいで、バイクに乗る方がって感じですかね。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
緊張するだろうから嫌だなって思っていたんですけど、あっという間に終わったかな。(今までは外から見る側だったので)金網の中にいるっていう不思議な感じはありましたね。悪い感じはしなかったです。
―ここまでで印象に残っているレースはありますか?
印象があるのは全部2着のレースかな。なかなか優勝できないな、みたいなレースの方が印象強いですね。8年くらいかかったので長かったけど、優勝した時は漠然な感じでした。残り1周でやられたレースとかの方が覚えていますね。オートレースの残り1周ってすごく大事だなって今でも思います。特に今、弟子を取って余計に残り2周とかが大事なのは思いました。
―弟子を取ってから何か気持ちとか変わりましたか?
弟子には『残り2周が大事』って言うけど、自分も残り2周がキツいなって。自分が歯を食いしばって走らなければいけないなっていう思いです。弟子に言うんだから、自分がしないとっていう意識はあります。まあそこは弟子を取ったからどうこうではなくて、いつも通りなんですけど。
―今、ご自身で挙げる課題はありますか?
平常心。これが一番難しい。先頭を走っている時も8番手を走っている時もどんな時も平常心でいられるように、自分を落ち着かせるって難しいんですよね。レース中に熱くなっちゃう時もあるんですけど、冷静にをモットーに後半のオートレース人生はやっていきたいですね。負けるのも自分のせい、ドドドが来るのも自分のせいと思って。嬉しい時は嬉しいと言いたいけど、そういう時も平常心で保つってことが一番難しいことだと思うので、そこを意識して取り組んでいます。悔しいことがあってもその日で終わりじゃないから、平常心で落ち着かせて、それからだと思います。悔しいと思ってガァって何かやっても、良い方に出ないことは自分でも分かっているので。
―当面の目標はありますか?
1走1走同じ気持ちで走れたら、結果がついてくるかなと思っています。
―デビューしてから結構経ちますけど、体形あまり変わってないですよね?
体形は変わってないです。背が伸びたくらいかな。デビューしてから伸びましたね。体重が増えないように意識はしてないです。美味しいものは食べるし。食べすぎないようにはしてますけどね。増えすぎると考えたりするんだろうけど、増えすぎないようにはしています。ただ、何をするってこともないです。走ったり歩いたりもしないですし。趣味は趣味で遊んで、釣りとかをして、食べるものは食べて、休む日は休んで。休みの日は仕事のことは考えないようにしています。その辺はギスギスせず、ガツガツせずって感じでオートレース人生の後半はやっていこうかな、と。
―最後にオッズパークの会員の皆様へメッセージをお願いします。
自分らしいレースができればいいなと思っています。粘り強く走れればいいですね。
プロフィールページからお気に入り登録ができます。
※お気に入り登録にはログインが必要です。