鈴木宏和選手は全国屈指のスタート巧者。三本の指に間違いなく入る選手です。そんな鈴木選手は意外にも記念タイトルは無し。近況ではグレード優勝戦常連となっていますが優勝まであと一歩手が届かないという状況が続いていました。そんな中、ついに12月17日に飯塚で行われたGI開設記念でグレード初制覇!その時のお話をお聞きしていきました。
(取材日:2024年12月19日)
AKI:悲願のグレード初制覇!おめでとうございます!優勝した今の気持ちはいかがですか?
鈴木:ありがとうございます!!あまり実感はないのかな?とにかく嬉しいという気持ちですね。もうグレードレースは優勝できないと思ってたから。2強(浜松32期:鈴木圭一郎選手、伊勢崎31期:青山周平選手)がいるし、励くん(川口35期:佐藤励選手)も出てきちゃったし厳しいと思っていました。
AKI:GIの前の節に接触し反則がありましたが、今節というのはどうでしたか?
鈴木:初日はピットにいる時に気になりましたね。また落車させたらどうしようと考えたりしていつもよりドキドキしました。けど、自分の車も接触があったのでGIの前検にフォークを交換していたんですがそれも良かったかもしれません。
AKI:初日は不安定走路でした。最近は湿走路の複勝率も上がってきていませんか?
鈴木:金子さん(浜松29期:金子大輔選手)に乗り方、バイクの押さえ方など教えてもらっています。山陽でも雨の練習で引っ張ってもらったりしてそれが少しずつ結果に繋がっているんだなとは感じています。金子さんにはまだまだと言われるのでこれからも練習が必要ですね。
AKI:2日目以降の車の状態はいかがでしたか?
鈴木:2日目終わって急遽シリンダーを交換しました。前検日に浜松で買っていたシリンダーを入れていたんですが合ってない感じがしたし全然タイムも足りないし。なので、測り直していたものを入れたら3日目少し良くなったんですよね。ただ、スタートで自分は切れてるけど前が重なったりして行く場所がなく上手くいかない感じがあって後方からのレースになったりしました。それでも連に絡めていたので状態は良かったんだと思います。あと準決は斑走路になったんですが、実は斑走路好きなんですよ。体重が軽いからか、他の人と同じタイミングでグリップを開けても自分の方が出ていってくれるし、GIでは晴れのタイムが足りてなかったので斑の方が良いかもしれないと思っていました。
AKI:そして迎えた優勝戦ですが、試走タイムは3.30で少し劣勢でしたがご自身の感触いかがででしたか?
鈴木:少し雨がパラついたのも気になったし少し滑るなとは思ったんですが体感は悪くなかったんです。ただ、タイムを見た時は「あ、無理だな」と思いました。結果、ピットの中では気楽に過ごせましたね。タイムが出てた方が緊張してダメだったかもしれません。
AKI:スタートラインに立ってからのレースを振り返っていかがですか?
鈴木:スタートラインに立っても緊張はありませんでしたね。とにかく、スタートしっかり切ろうと思っていました。ただ、10mの角度があるし内に荒尾さん(飯塚27期:荒尾聡選手)がいて先行はできないと思っていました。そしたら荒尾さんが少し浮いたのと、自分自身も100点のスタートが切れて先行できました。本当によく切れましたね。けど、そこからの8周回は長かった。最初は道中で誰かに入られると思っていたし入られたらしょうがないと思ってインコースを固めず走っていました。そしたら影が見えなかったから「あれ?」と思って。結局レース終盤しか影も見えませんでしたね。
AKI:周回を重ねてゴールが迫ってくる中で、どの辺りで優勝を意識しましたか?
鈴木:ラスト2周ですね。「え!?優勝できる!!?」って。そこからは力が入りましたね。イン開けたらダメだって。結果的に影も見えたけど近い感じはなく焦らずゴールすることができました。
AKI:ゴールしたし瞬間というのはいかがでしたか?
鈴木:めちゃくちゃ嬉しかったですね。レース後すぐに一緒に走っていた金子さんが「おめでとう」と挨拶してくれて「うわぁ、、、」となった後に走路の近くに俊太(浜松34期:深谷俊太選手)たちが見えてウルッとしました。涙もちょっと出たけど、戻ったらすぐにみんなが迎えにきてくれるので恥ずかしいなと思って「乾け!!」と思っていました(笑)本当に嬉しかったです。ガッツポーズもお客さんの前でのあの感じは初めてでした。
AKI:その後一度ロッカーに戻った時は胴上げもされていませんでしたか?
鈴木:してもらいました!人生初の胴上げは気持ちよかったしめちゃくちゃ高かったです。凄い飛びました(笑)本当嬉しいしかなかったですね。
AKI:表彰式では言葉を詰まらせる場面もありましたね。
鈴木:喋ってたら感極まっちゃって。だって11年ですよ。長かった。それに、全く獲れない感じでもなかったのでそういうことを思い出したらウルッときましたね。インタビューでは家族や親にも優勝したことを伝えたいと言いたかったんですがもう喋れなくて。泣きそうになって最後まで言えなかったです。あとは、表彰式でたくさんのお客さんが残ってくれてたのも嬉しかったですね。ずっとグレード優勝の話をしてもらってるのになかなかできなかったのでやっと獲れてホッとしました。
AKI:グレードレース初優勝のトロフィーは特大サイズでしたね!
鈴木:トロフィーが大きかったですね!!トロフィーが!!(笑)レース後いろんな人からトロフィーとの写真が送られてきます。ギリギリ自分の方がトロフィーに勝ってますけどね!(笑)
AKI:ここまでの優勝戦ではスタートを切って道中で捌かれるということも多かったと思いますが、ここ数年タイムも上がっていた印象あります。何か対策などは行なっていたんですか?
鈴木:最近はとにかく跳ねないようにセッティングを作れるようになってきたというか、直線が出過ぎないようなエンジンの作り方にしてみたんです。体重が軽いせいかエンジンの回転が上がりすぎて車が暴れて跳ねてしまっていたと思うんです。周りの選手の体重だと暴れるまでエンジンの回転を上げれないのに自分は上がってしまうから、わざとそこまで上がらないようなエンジンを作るというか。昔は直線で他の人より伸びるのにコーナーが遅いみたいな乗り方をしてたんですが、それを直線の終わりで丁度いっぱいになるように作る感じ。とにかく直線を出せば良いんだというエンジンの作りからを辞めたんです。なので、他の人があまりやらないセッティングをしてるかもしれないです。他の人がエンジンの音を聞くと軽すぎると言われます。そしたら自分の体重ではオッケーだなという感じです。ただ、このエンジンの作り方だと直線が弱くなるのでスタートも出ていかなくなった時期があったんです。けど、それはレース道中のためにそうしていて。それをクラッチのセッティングを変えて、弱いパワーでもスタートが伸びるようなセッティングを探しました。結果、今は道中も垂れないしスタートも昔ほどではないにしても良化してきた感じはあります。あとはスタートにムラがあるので今後は良いスタートを毎回出せるようにするのが課題ですね。消音マフラーだと露骨に出るので改良していきたい。人と違うぶん難しいし分からない事も多かったけど少しずつ分かってきて、今回グレードレースが獲れて良かったなと思いますね。結果に繋がって良かったです。
AKI:いい形で年末のスーパースタートライアル戦に臨めそうですか?
鈴木:今回2回目のトライアル戦なので1回目よりは緊張せずに臨めるかなと思います。1回目はとにかく緊張しましたし出れたことに満足してしまっていたと思います。それに毎日8周じゃないですか。長ければ長いほど苦手なんで(苦笑)けど、今回8周回で優勝できたんで、今年は最終日の王座決定戦の残りたいです。前回は9番目だったので。
AKI:年末の目標を聞きましたが、今後の目標は考えていますか?
鈴木:やっぱり地元の記念は獲りたいですね。GIIでもGIでも。あとは、一生に一回はSGを獲りたいです。そこが大きな目標です。優勝するためには2強を倒さないといけないんですが、スピードも上がってきてるし対抗できる可能性も0じゃないと思えるようになったので独走力を課題にこれからも頑張っていきたいですね。そして「日本一のスタート」になれるように、「スタートは絶対先に行く」というところまでいけるように頑張ります。
AKI:それでは最後にファンの皆様へメッセージをお願いします。
鈴木:まだかまだかと言ってくれるファンの方もいっぱいいました。お陰様でやっとグレードレースを獲ることができました。次はSGも獲りにいきたいのでもっとスタートを磨いて活躍できるように頑張ります!
(写真は飯塚オートSNSより)
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2024年10月に飯塚で開催されたGIIオーバルチャンピオンカップ。そこで久々にグレード優勝を飾った中村雅人選手。久々の優勝でもいつもの中村選手の姿がそこにはありました。どんな想いだったのか、お話を聞いていくと中村選手の意外な一面が見えてきました。
(取材日:2024年12月16日)
AKI:10月22日に行われたGIIオーバルチャンピオンカップでグレース3年ぶりの優勝となりました!振り返っていかがですか?
中村:いつしたか分からない、記憶にないくらいでした。3年ぶりかぁ。優勝できて良かったですね。
AKI:GIIの前から安定している感じがしていたんですが、大きな崩れもなく開催に臨めましたか?
中村:そうですね。自分は爆発力があるタイプではないけど基本的には安定してる感じ。無茶苦茶ダメっていうのはあんまりないかな。ここくらいのレベルはっていうのは持っていますね。上手くいかないこともあるけどそれでも最低限と思って仕事はしてます。パーツ交換もそこまでやらないというのもあるかな。一発勝負というのはウチではやってないから(笑)昔はもっと冒険してたけど、今は整備の志向が違うというか自分の仕事量に合わせたやり方にチェンジした感じ。ここ数年で変えていって少しずつ身になってますね。移籍だったり怪我だったりがあって考え方も変わっていったかな。あとは、仕事の仕方もずっと一緒だと面白くないし、考え方も変わるし、年齢も重ねる。結果的に今の所は安定して上手くいってるのかな。いつダメになるか分からないという不安はあるけどね。GIIも大きなことせずセッティングでいけたし、何よりも消音マフラーだと川口でいつも乗ってるし基礎は一緒だから扱うところは減る。初日からまあまあでしたね。
AKI:優勝戦まで負けなしで駒を進めました。1枠に入りましたが枠的にはどう感じていたんですか?
中村:1枠って苦手なんですよね。1枠で勝つことはほとんどないんじゃないかな。隣に行かれるのは想定内。だからと言って1枠を取らないのは嫌だから気にせず1枠入れるなら入ろうと思っています。
AKI:2枠が有吉選手(飯塚25期:有吉辰也選手)でしたがそこはガツっと構えて?
中村:もうそこは先行されるよね(笑)もちろん行きたい気持ちもあるけど「行けたらいいな」という感じ。たまに残す時もあるけど基本は速くないから。ただ、やっぱり内枠の方が我慢して潜り込めたりもするから有利だよね。優勝戦も先行はされたけど1コーナーで有吉さんが張って内が開いてたから入れた。展開が向いたよね。あとは、試走タイムも1番出てたしブチっぽくなった走路というのも車との折り合いがついて全てがいい方向に向いたんだと思います。もちろんエンジンが安定してくれてたに尽きるけどね。
AKI:早めに先頭に立ってから8周回というのはどうでしたか?
中村:後ろにずっと気配はあったけど、自分の走るコースは決まってたからこれでやられたら本望。もうどうしようもないからね。そんなにスピードはないから自分がどれだけミスせずに走れるかということだけだった。8周回は長かったけどほどよく緊張して。ある程度緊張感がないと危ないから、引き締めて走りました。
AKI:逃げ切ってゴールした瞬間というのはどうでしたか?
中村:終わったな、という感じ(笑)自分のことは冷静というか、嬉しい気持ちはもちろんあるけどそこまで大きく喜ぶことはないかな?自分のことで喜ぶのが好きじゃないと言ったら変だけどすぐに水に流せちゃう。初めてSG獲った時とか若い時は「やったー!」てのもあったけどね。クールと言われるけどこれが素。けど、人のことになると燃えるんですよね。ボクシングの試合とか見てたら叫ぶ時もある。応援の方が好きかな。自分が応援してる人が勝つ方が嬉しいかも。そっちの方がアドレナリンが出る感じ。もちろん走ってる時も出てると思うけど、それよりも人を応援してる時の方がテンションも上がってますね。オートレースは"仕事"として向き合ってるからちゃんとやるし、レースが終わった後も「終わった!」の方が強いのかもしれない。趣味じゃないから。だからこそオートレースの一つのレースで気持ちの波はないというか、一喜一憂しない。自分が優勝して祝勝会するのも良いけど、人の祝勝会で飲む方が好きだね(笑)
AKI:久々のグレード制覇になりましたが、獲れない期間はもどかしさとかはありましたか?
中村:それは多少あるよね。たくさん獲れてた時期もあったわけで。10年前は毎月優勝できてたのが年に1、2回できたらという感じになって。ただ、人間の面白い所がたまに勝つ時の嬉しさというか、優勝することが当たり前になくなると嬉しさが増すというか。その方が幸せに思うんですよね。贅沢な話しなんですけど。たまに優勝できたらいいなと思いますね。もちろん手を抜くとかではないですよ。ただ、当然のように若い選手がぽんぽん入ってきて時代が変わっていくわけでそれは凄く良いことで。その中で自分ができることをして勝てたら良いなという感じです。
AKI:中村選手の走りに憧れる選手が多いんですがそういう話を聞きませんか?
中村:もっと雑にしても良いのにね。丁寧すぎるところもあると思う。それでも自分の走りを良いと思ってもらえるのは嬉しいですね。人に迷惑をかけずに走るというのは基本だと思ってるし、怪我もしてるからいかに事故に繋がらないように、事故を減らせるように、綺麗に走るというか、走り方は考えています。それを評価してもらえるのはありがたい。けど、あんまりそう言われると汚いレースはできなくなっちゃう(笑)もちろんするつもりはないけど、事故は0ではないから。毎年1、2回は自分もやっちゃう。毎年フェアプレー賞は狙ってるんだけどなかなか獲れない。あれね難しいんです。獲ったことはあるけど連続では獲れない。「また今年もダメだった!」と思いますね。なので、目標はフェアプレー賞を取ることというのは常にあります。複勝率がある程度ないともらえないので連に絡みながら綺麗なレースをしないといけないんです。
AKI:いろんなタイトルを持っている中でほかに目標とかあるんですか?
中村:パッと思いつくのは「1000勝」することかな。まだまだなんだけどね。目の前の目標は事故をしないこと。そして、1000勝すること。選手をやってる以上はもう一本くらいSGが獲れればとは思うけどそれはまた目標とは違う話かな。ふわっと思ってることですね。だからこそ爆発力がないことは自分でも分かってる。自分のスタイルは地道に仕事して底上げをして高いレベルで安定させる。そこで優勝できるタイミングがあればいいなという感じです。
AKI:年末のスーパースタートライアル戦に出場しますが、そこに向けてはいかがですか?
中村:今はとにかくタイヤを当てて。エンジンはスーパースターだからといっていつもとやることは変わらないですね。とにかく練習でタイヤを当てることに専念してます。
AKI:それでは最後にファンの皆様にメッセージをお願いします。
中村:一走一走大事に走って、年末も一つでも良いレースが出来るように頑張ります。応援お願いします。
(写真は飯塚オートSNSより)
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山陽オート所属の32期・長田恭徳選手にお話をお聞きしました。
(取材日12/10)
―今年(2024年)はどんな一年でしたか?
苦しい一年でした。手術も2回しましたし、入院も4ヶ月して、ほぼ毎日リハビリしてました。復帰を考えている時に、練習参加したんですけど、全然乗れないので、もう1回手術して、また入院して...。今もまだリハビリ中ですけど、休みの日は病院に行っていますね。手首もまだ全然...。先生には「もう元には戻らない」って言われていて、可動域も左手は普通に動くけど、右手はこれだけ(手首があまり曲がらない様子)しか動かないので。ハンドルも違うハンドルにしましたし、自分でいろいろ試行錯誤しながらやっています。グリップを開けるのも手首だけじゃ回らないので、腕と指で回す感じで。だからまだ、スタートとかもどうやってやればいいかよく分かってないって言うか、どうしたらいいかも考え中なので全然、まだ完全復帰って感じではないです。いろいろ試しながらなので。
―そんな中、復帰数節目で優勝もされていますが?
その時も全然乗れている感じではなかったんですけど、しいて言うならハンデが前に行ったからですかね。まあ正直、訳分からない感じでハンデが前に行ったし、別に復帰してから8着を引いたのも1回か2回しかないんですよ。なので、なんでだろうと思ったし、口が悪くなっちゃうんですけど、舐められてるな、とはちょっと思いました。悔しい気持ちだったので、とりあえず結果を出したいと思った1節だったんで、ハンデは前に行ったけど完全優勝で意地は見せられたかなと思います。
―改めましてですけど、選手になろうと思ったきっかけは何ですか?
きっかけはまあ、小学校低学年からずっとサッカーをしていて、サッカーをするために高校に行ったようなものだったんですけど、高校2年生の時に、後1年で卒業だと思っていろいろ考えた時に、したい事がなかったっていうか、サラリーマンにはなりたくないなって思っていて。でも、大学に行って専門職に就くとかそういう感じでもなかったので、何をしたらいいのか分からなかったんですけど、まあ、おばあちゃん家が飯塚にあって、オートレースっていうものは知っていて。そこで高校の時に調べたら、たまたま募集していてたので、願書を取り寄せてって感じですね。勝負の世界なので、自分が頑張れば頑張るほど結果でお金がもらえるじゃないですか。そういう部分ですごく刺激はありますね。刺激はすごいと思います。
―デビュー戦はどうでしたか?
デビュー戦は5着か6着でした。緊張は多少しましたけど、まあ、そんな甘い世界じゃないと思っていたので、別に自分がめちゃめちゃ速いとか思ってないですし、チャレンジャーなのでって感じでしたね。
―オートレーサーとしてやってきて、嬉しかったことはありますか?
いろいろ苦しい時もありましたけど、最高ハンで1着を取る時はやっぱり。仕事がそのまま結果に表れるじゃないですか、そういう時はやっぱり嬉しいですね。今は最高ハンの10メートル前で、今日(2024年12月10日)の1着とかも嬉しくないって言ったらウソになるけど、あんまり嬉しくないですね。
―今、レースする上で取り組んでいることはありますか?
それこそ今で言うと、今までの自分じゃ通用しないっていうか、今までやってきた事が全部失ったような感じなんですよ。スタートにしてもそうだし、ハンドルもそうなんですけど、グリップ操作だったり、全てがイチからスタートなので。今のこの自分が持っている手首に対してのイチからスタートなので、取り組んでいるって言ったらそこですね。
―目標とする選手像ってありますか?
自分は巧い選手になりたいです。S級で巧い人いっぱいいますけど、誰々のここが巧いとかっていう、そういうのをどんどん吸収していきたいなって感じです。
―今、弟さん(飯塚34期・長田稚也選手)が結構活躍されていますが意識されるものですか?
いやあ、僕はあまり意識しないですけど、周りの人が気にしているぐらいですかね。本人としては別に気にしていません。
―師匠さんは?
岡本信一(山陽22期)さんです。おやっさんにはいっぱい指導を受けましたけど、おやっさんはどちらかと言うと、走行とかってよりも人間の方ですかね。自分がデビューしたのが17とか18ぐらいで未成年だったので、そういうところの指導だったりとかでしたね。関わってくれた先輩たち全員に感謝してます。あとは藤岡さん(山陽29期・藤岡一樹選手)がだいぶ自分の指導を厳しくしてもらってます。
―同期の存在はどうですか?
仲良しですよ。同期の存在は、まあ刺激はありますよね。それこそやっぱり自分らの同期は、他の人がどう思ってるかは分からないですけど、僕は速い人たちが結構揃ってると思っているので。SGで活躍する人もいっぱいいますし、そういう同期が活躍してたら刺激がすごいですよね。自分も活躍したいし。同期が獲ってくれるのは嬉しいですけど、嬉しい気持ちと悔しい気持ちもあります。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
今年は苦しんだ一年だったんですけど、今までの自分を全部捨てて、新しい自分で頑張ろうと思っているので、長い目で応援していただけたらと思います。
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飯塚オート所属の36期・浜野翼選手にお話をお聞きしました。
(取材日12/10)
―オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
父(浜野淳・山陽24期)の影響ですね。ちっちゃい頃から見ていたので。
―お父さんがオートレーサーって知ったのはいつ頃ですか?
幼稚園ぐらいから知っていました。
―レースもよく見ていたんですか?
父のレースは、母が心配で見切れないってのがあったので、自分もその流れで見る時は見たり、見ない時は見ないってのがあったので、その時次第でしたね。
―実際にオートレーサーになろうと思ったのはいつぐらいなんですか?
中学の頃に、作文の『将来の夢』で書こうと思っていたんですけど、その時に「親の職業がみんなに知られちゃうよ」って言われて、書き直したんですよ(笑)。その時は1回なりたいと思っていて、ただ、現実的に本当に目指そうと思ったのは大学の3年とかですかね。ハタチぐらいですね。なりたいと思っていたんですけど、やっぱり止められていましたね。両親から「危険じゃないか」と言われていて...。なりたいけどダメって言われてるから他のことを考えたんですけど、実際に進路を考える時に、この道しかないなと思って受けました。願書を出す前日に「俺、受けたい」って親に言いました。親は驚いていましたよ。
―養成所生活はどうでしたか?
これが父が乗っていたヤツなんだって感じで...。同期にも牧野竜人とか早津圭介とかいるんで、結構そんな感じで話が合ったりして。訓練は大変でしたけど、今考えたら充実していましたね。タイヤ交換だけは自分、苦手でパンクばっかりさせてしまって(笑)。それ以外は大丈夫でしたけどね。でも、朝教練はやっぱりきつかったですね。体きつい中、朝起きてランニングしてみたいな。それはきつかったです。食事の時間は短かったけど、元々食べるのは早いので全然大丈夫でした。
―デビュー戦の時のことは覚えていますか?
そうですね、実地訓練でケガをしてデビューが遅れていたんで、結構鮮明に覚えています。山陽でデビューだったんですけど、その時が中止になるぐらいの豪雨が降って、自分の中で気分は(開催)中止だったんですけど、で、山陽で雨は1回も走ったことがなかったんで、明日頑張ろうって思っていたら急にやるってなり始めて、逆に緊張しなかったです。雨も走ったことないし、ぶっつけ本番みたいな感じで...。
―今年(2024年)はいろいろ大変だったと思うんですけど、どうでしたか?
今年は一番、今までで辛かったです。一番きつかったです。リハビリしながら、松葉杖から杖に変わって、ゆっくり歩いていくみたいな感じのことをしていましたね。スタートで事故したので、復帰した時もスタートで緊張して、でも、レースで完走して少しホッとしましたね。
―師匠さん(瀧下隼平・飯塚28期)からは結構指導を受けるんですか?
そうですね。整備グループの方、瀧下さんと鐘ヶ江さんと占部さんと越智さんなんですけど、車の乗り方とか凄く見てくれるので感謝しています。
―ここまでで印象に残っているレースはありますか?
ケガする前は結構調子が良くて、上がりタイムのベストが出た時は印象に残っています。上がりが377とか出して、それが凄く嬉しかったです。エンジンが凄く良かったので...。
―レースを離れて、オフの日はどんな感じで過ごしていますか?
変わったことは特にないです。ゆっくり休んだり、遊びに行ったり、その時の気分で何も決めてないです。
―体調面で何か取り組んでいることはありますか?
結構、身長がある方なので、体重は58とかキープしたいので、食べすぎには注意しています。筋肉を落とさずに。体重だけは気にしてはいます。
―今、レースに関することで課題に挙げるとしたら?
スタートですね。真っ直ぐちゃんと切れるようにって感じですね。ケガしてから全然スタートが切れなくなっちゃったので...。
―周りからもいろいろ言われていると思いますが、お父さんはどんな存在ですか?
なってみてまた分かったんですけど、めちゃくちゃ凄い、偉大だなと思います。ほんとうに凄いの一言です。いい意味で物事を深く考えないで、ほんと、感性でって感じですね。でもあの、前までは家にあまり仕事の話を持ち込まなかったんですけど、自分が選手になったので仕事の話も最近では家で話すことがあるんですよ。それで、感覚でやってるだけと思っていたんですけど、意外とちゃんと感覚じゃなくて、頭の中でもいろいろ考えてやってるんだなって思うことがありました。ほとんどは感性型なんですけどね(笑)。でも、そこまで考えてやっていたんだなって、意外なところがありました。
―同期の活躍は刺激になりますか?
そうですね、ケガする前まではやっぱり同期に負けたくないって気持ちが強かったんですけど、あまりにもデビュー前のケガと今回のケガでやっちゃってるんで...。負けたくないっていうよりかは、いろんな走りを見て、刺激を受けながら、同期は同期だけど自分は自分っていう方に気持ちを切り替えてます。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
ケガをして長い間レースに出なかったんですけど、やっと復帰できて、みなさんの前に立つことができました。1走1走しっかり走って、最後まで諦めない走りができるように頑張るので応援よろしくお願いいたします。
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伊勢崎オート所属の25期・岩沼靖郎選手にお話をお聞きしました。
(取材日10/8)
―選手になろうと思ったきっかけは何ですか?
大学に行っている時にバイトしてて、バイト仲間がみんなオート好きで、それで、オートを見に行くようになって、それからですね。それで、たまたま試験に受かって。大学入る前からオートはちょっとは知っていたんですけど、家から近いので。ただ、そんなに興味はなかったです。別になりたいとかもないし。なれるもんだとも思ってなかったので。そしたら試験があって、みんなで「受ければ?」みたいになって、で、知り合いも受けたんですけど、受かったのは自分だけでした。補欠だったんですけどね、繰り上がったんです。
―それで養成所に入ったわけですね。養成所生活はどうでしたか?
養成所生活は、まあ、森くん(川口25期・森且行選手)がいたので、なんか、注目されてるのか分からないですけど楽しかったですよ。なんだかんだ教官が優しかったんじゃないですか。テレビにいっぱい映るから。厳しいのは厳しかったですけど、前の期よりはたぶん優しかったですね。体力訓練に関しては、自分まだ19歳だったので体力は自信あったから、そんなに苦にはならなかったです。早起きとかも大丈夫でした。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
デビュー戦は雨で、4秒いくつっていうタイムの雨で、2級車が走るコースは全然ダメで。でもハンデ差があったから3着くらいは取れたのは覚えています。ガチガチに緊張してたと思いますよ。バイト仲間も見に来てくれていたと思います。
―一番、印象に残っているレースはありますか?
1回、SGの決勝に乗ってガチガチでフライングしたのは覚えています。10メートルオープンの1枠で、前の日に自分が最高タイムを出していたので、スタート行けば獲れるんじゃないかと思ったらフライングしたっす。船橋で、でしたね。その前の日まで自分だけ10メートル前だったんですけど、タイムが出たからハンデを下げられて10メートルオープンになったんです。フライングしたのは覚えてますけど、内容は覚えてないです...。
―ここまでオートレーサーとしてやってきて、苦しかったことはありますか?
苦しかったことは...。楽しかったことの方が多いですね。同期戦とかやって、その後に飲みに行くのが楽しかったですね。お疲れの飲みがメッチャ楽しかったです。最近はちょっと少なくなってきてるんですけど、昔は開催が終わったら毎回行っていてメチャクチャ楽しかったですね。
―オフの日に取り組んでいることはありますか?
今はまあ、朝起きた後に筋トレしてるくらいですね。年寄りになるまで(オートレーサーを)できるように筋肉はつけておこうかと思ってるんですけど。でも、あまり関係なさそうですね(笑)。オートレースには。ある程度あれば大丈夫かなって感じですけど。
―何歳くらいまでやりたいですか?
一応、60までって目標にしてますけど、でも、60になったらやる事がなくて、もうちょいやろうかなって可能性が高いですね。でも、そんなに長くはやらないです。危ないので。目も悪くなると思うので、どうなるか分からないけど、とりあえず60までは目標です。
―現時点で課題にしていることってありますか?
まあ、反則をしない、レースで迷惑をかけないように綺麗に走る、それだけは心がけてます。みんなで走るので変な走りはしないように。
―師匠さん(伊勢崎19期・清水卓選手)とは今でもお話とかされるんですか?
そうですね。まあ(宿舎の)部屋も一緒だから、話しますけど、そんなレースの内容とかはないですね。(レースが)危ないとかも言われたことないですし。伊勢崎は4人部屋で、あとは自分の弟子(伊勢崎37期・佐藤智也選手)と笠原さん(伊勢崎24期・笠原三義選手)と4人で。もうちょいで宿舎は建て替えて個室になります。
―早く個室になってほしいですか?
個室、どうなんですかね。ちょっと寂しいですけどね、一人じゃ。さすがに。
―お弟子さんを取って、心境は変わりましたか?
こんなに大変だとは思わなかったですね。指導が大変です。今の子なので、自分の頭の中で分かっていることを説明しても分からないので。どう教えればいいかが、けっこう大変ですね。言ったことがうまく伝わらないですね。人に教えるのがこんなに大変だとは思わなかったです。自分でやるだけの方が全然、楽ですね。コース取りが悪いので、コースのことをひたすら言ってるんですけど、全然直らないですね。でも、試走タイムがやっと出てきたので、何とかなるんじゃないかなと思ってきてます。最初よりはだいぶ良くなったんですけど、でもやっぱり、2級車の、あのコーナーが速いとかいうのはないので、そうなって欲しいんですけど、なかなか...。まあ、簡単にできたらすぐに速くなっちゃうので、しょうがないですけど。まあ、ちょっと周りの同期が速すぎてケタ違いなので、浅倉(伊勢崎37期・浅倉樹良選手)とか森下(浜松37期・森下輝選手)とか福岡(飯塚37期・福岡鷹選手)とか。あの3人が突き抜けてるんで、そこと比べちゃうとちょっと...。新人としては遅くないし、普通なんですけどね。あの子たちが速すぎるので、比べちゃうとちょっとかわいそうなんですけど。比べないように我慢して、じっくり。
―お弟子さんを取る時に、浅倉選手と佐藤選手のどちらを取るかはすんなり決まったと聞きましたが?
そうですね。自分の弟子が選手になる前にロッカーでバイトしてたんですよね。それで、自分はずっと役員をやっていて、昔の開催執務委員長に「岩沼君(弟子に)取ってくれっ」みたいな感じで言われたんで、素直な子だし、いいかなみたいな。別に速い遅いは関係ないんで。それで、修さん(伊勢崎25期・竹本修選手)に浅倉をどうぞって言ったら、メッチャ喜んでましたね(笑)。『いいの~』ってなって。まあ、それはそうですよね。楽っちゃ楽ですからね。メッチャ教えることないでしょうから、逆に。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
優勝戦に乗るとかは少なくなってるんですけど、車券に貢献できるように頑張っていて、けっこうなんだかんだ50%くらいの確率では絡んでいるので、ぜひ、買ってください。ネットでもばんばん買ってくれると嬉しいです。
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