1964年にデビューしてから半世紀以上、レーサーとして走り続ける鈴木章夫選手にお話を聞きました。
(取材日 11/18)
―まずは選手になられたきっかけは何ですか?
うーん、試験に受かったもんでなったんです。自分、オートレース知らなかったんですけど、受けてみたら受かったので。
―それまでオートバイには乗っていたのですか?
50ccのには乗っていました。
―選手になられてから長い時間が経っていますが、一番記憶に残っているレースとかありますか?
もう、長すぎてないよ。(笑)
―記念レースで初めて勝った時は?
ああ、嬉しかったですね。
―逆に苦しかったこととかはありますか?
そうですねえ、養成所がみんな厳しいって言ってたけど、自分はそんなに厳しくはなかったですね。
―レースするにあたって、日々取り組んでいることとかありますか?
それがないでね、まあ、歩いたりすることかな。それぐらいかなあ、まあ、昔は魚釣りとかいろいろやったんですけどね。最近は魚が釣れんもんで、昔はたくさんいたんでね。
―オートレースってある時期がくると、お弟子さんを持つことがあると思うんですが、その時ってどうだったんですか?
それは1回、弟子を持ったんですけど、辞めちゃったもんでね。
―どなたですか?
それは言っても分からないと思う。けっこう早く辞めちゃったんでね。なんで、そういう流れがないっていうかね、みんなみたいに系統みたいなのはないんでね。弟子取れば、またその弟子が弟子を取るんだろうけどね。でも、辞めちゃったもんで。
―普段、整備される時に仲間とかってのはどうなんですか?
まあ、近くにいる人が、手伝って欲しい時は手伝ってくれるけど、普段は一人でやってますね。
―エンジンに車名をつける時にこだわりとかあるんですか?
こだわりはないですけど、とりあえずは地名が多いですね。それと、呼びやすいというか、そういう名前があればそれにするし、地名でなければいかんとかではなくてね。
―ランギトトって車名の時もありましたよね?
あれも地名ですね。地図とか見て決めました。
―トマトトトマトってのもありましたね?
それは回文。
―今まで何度も乗り換える機会はあったでしょうね。
そうですね、だから車名ももの凄くあります。
―同じ公営競技のボートレースで高齢な方がいるんですけど、ご存知ですか?
うん、あのね、浜松で新聞に時々載るもんで、それを見て、やってる人いるんだなあと思って。
―意識とかはしますか?
それはないです。まあ、自分が辞めればその人が一番古くなるもんで、早く自分辞めた方がいいかなって思うぐらいで(笑)別に意識はしてないですよ。
―交流は?
ないですよ。
―改めて、ここまで選手生活を振り返って、思うところってありますか?
そうですね、いつ辞めようかと思って。
―お体が元気なうちは走り続けるのでは?
いやー、結局そのバランス感覚とかね、反射神経とかかなり落ちてるもんで、いつまで続けられるのかな、って程度で今ね。
―それでも今も走られているのは素晴らしいですね?
まあ、きついきついって言いながらずっとやってるけど、安全にっていうか、怪我しないように、それが一番ですね。
―これからも良いレースを見せていただければと思います。インタビューありがとうございました。
いやいや、こちらこそ。
(インタビュー取材・文 高橋英紀)
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