山陽所属の35期。2021年12月11日にデビュー。デビュー戦から3連勝と勢いを見せるが、デビュー3ヶ月後に落車。5ヶ月ほど離脱を余儀なくされました。しかし、1級車に乗り換えた3節目、7月15日に地元山陽でデビュー初優勝を飾りました。初優勝のこと、今後の課題や目標など、お話して頂きました。
(取材日:2023年7月25日)
インタビュー / AKI
AKI:初優勝おめでとうございます!お気持ちいかがですか?
永島:1番はホッとしましたね。今まで3回くらい優出したんですが全て準優勝だったので、また最後の最後でやられるんじゃないかと思いました(笑)やっと1回優勝できましたし、まずは優勝することが1つの目標だったので優勝できて良かったです。
AKI:優勝戦の節、初日は不安定な走路コンディションでの2着でしたが振り返っていかがですか?
永島:季節的にもよく斑走路を走らされてましたね。山陽は独特の斑走路になるので、2級車の時はコース的に厳しく上手く走れませんでした。けど、1級車になってからはだいぶ乗れるようになったかなと思います。インコースを使えるようになるので、内を走れるように練習してレースでも上手く走れるかなと思います。初日は緒方さん(山陽30期:緒方浩一選手)に負けての2着だったんですが、やっぱりすごいですね。
AKI:2日目は良走路でしたが、エンジン的にはいかがでしたか?
永島:あまりこれと言って"良い"という感じではありませんでしたね。後半垂れるし、タイヤも低く無理ができない状態でしたね。元々、1級車は練習の時からあまり良い感触は得られなかったんです。師匠の福永さん(山陽25期:福永貴史選手)にも「エンジンあまりでてないね。」と言われたりもしていました。自分自身まだ"良い1級車"というのが分からないので、練習を見てもらってアドバイスをもらいながらキャブを扱ったり整備をしたりしています。2級車に乗っていたので、1級車に乗るとどうしても速く感じてしまうんです。
AKI:練習での感触から、1級車デビューはどうだったんですか?
永島:1級車に乗り換えて2日間は雨だったんですが、湿走路は悪い感じはせず。2級車の癖でフワッと外に膨らんでしまったりはあったんですが、変に滑ったりもせず2日目は1着を取ることが出来ました。ただ、最終日の良走路はエンジンは進まないし、コースも定まっていないし、最後は2級車みたいな抜かれ方をしてしまいました。そこから、セッティングと走り方を考えて2節目に臨みました。
AKI:課題を考えながらの2節目、準決は惜しくも3着でした。
永島:その時は斑走路でした。まだ、インコースに自信がなく外を走っていたら、インコースの速い、岡部さん(山陽19期:岡部聡選手)や篠原さん(飯塚26期:篠原睦選手)に捌かれてしまいました。悔しかったですね。篠原さんから「ああいう走路は内走ってた方が良かったよ。」と声をかけてもらって、周りからも「練習あるのみだね。」と言ってもらったのでしっかり夕練をしてきました。やっぱりインコースを使えたら強いですよね。場合にもよりますが、内が乾いた時は内をしっかり走れるようになりたいですね。
AKI:そして、その次の節に優出。2日目の晴れは少し不安が残るレースになりましたが、優勝戦の日は試走からどんな感じでしたか?
永島:試走タイムを見たらみんなほぼ同じタイムで「これは逃げないといけない!」と一気にプレッシャーを感じましたね。けど、その分「試走タイムが出てるしもう逃げるしかない!」と覚悟が決まりましたね。
AKI:スタート振り返るといかがですか?
永島:2級車に比べたら全然良いですね!そつなく切れてる方だと思います。ドカ遅れもありません。
AKI:そこから6周回はいかがでしたか?
永島:もうドキドキでしたね。長かったです。周回盤は4周見てなかったんですが、パッと見たら「2」ってなっていて。「うわー。あと2周!!ここからが問題なんだよなー!!」と思っていました(笑)そこから、2周は人間の垂れもありました。乗る方もまだまだ全然ですね。6周回どう組み立てるかとか課題はまだまだですね。後ろの影も見えていました。ナイター照明は、どの角度からでも影が見えるので「やばい!また最終コーナーでやられる!!」と思いながら、「けど、1級車だから今回こそは逃げないと!」と思っていました。優勝戦の前に行ったリング交換が力強さに繋がって逃げることが出来ました。
AKI:整備を行っていたんですね!
永島:そうですね。1級車に乗り換えて6、7走していたので、底上げを狙ってリング交換を行いました。練習の感じも少しいいなという感触はありました。後は、タイヤをいっぱい探しましたね。雨おろしのタイヤで行こうとしたら跳ねてしまって。なので、優勝戦ということもあり取っておいた1番良いタイヤを付けて行きました。なので、エンジン、タイヤも良い状態で臨めました。
AKI:ゴールした瞬間というのはいかがでしたか?
永島:ゴールした瞬間は実感が湧かなかったですね。「あれ?に、逃げた??」という感じ。その後、2周回っている時に先輩方が祝福してくださっている姿を見て「あ。取れた!」とホッとしましたね。やってることはいつものレースと一緒なんですけど、出迎えてもらった時に「おめでとう!」と声をかけてもらったことが嬉しかったですね。
AKI:去年は怪我をして3ヶ月ほどレースから離れた時もありましたよね。
永島:ちょうど1年くらいに前に復帰前の練習参加で車に乗ったんですが「この先大丈夫なのかなぁ」と心配になりましたね。2ヶ月の入院もあり、"オートレースが出来るかどうか"よりもまずは"自分の足がちゃんと動くのか"ということから考えていましたね。ただ、今となれば右足じゃなくて良かったなと思います。右足だと復帰はもっと遅れていたと思いますし、踏ん張りがきかず車を上手く押さえられなかったかもしれないと。とは言っても、不安はたくさんありましたし、復帰前の練習でも上手く乗れず。そんな時に、師匠や周りの方に沢山助けてもらいました。怪我もあったので、整備のこと、乗り方、レースのこと、より一層厳しく指導していただいています。二度と事故が起きないように見てくださってるんだろうなぁと思います。その怪我もまだプレートは入っているんですが、普通にレースは出来るので落ち着いてはいます。
AKI:"優勝"という1つの目標をクリアしましたが、今後の目標はなんですか?
永島:もっとハンデを重くして、グレードレース常連になって、SGを目標に頑張りたいと思います。
AKI:今の1番の課題はなんですか?
永島:捌きも覚えていかないといけないですし、車を上手くコントロール出来てないので乗り方もです。その中でも1番は整備ですね。モータースポーツなので、整備は覚えていかなきゃいけないことがいっぱいあると思います。元々、ロードレースをしていたんですが、当時は「乗ることに集中しろ!」という感じだったので整備はほぼ出来ませんでした。けど、どうしたら良いかは分からなくても、セッティングの違いとか、乗った感覚というか、良い悪い、進む進まないとか、変化を感じることが出来るのでバイク経験は活きてると思います。
AKI:そのロードもオートレーサーになるために、という感じだったんですよね?
永島:そうですね。バイクに乗るきっかけは父の「バイクに乗ってみるか?」だったんですが、気が付いたら自分がガチになってた感じですね。レースをするようになったのは小学校6年生くらい。その後、オートレースの試験を受けられるようになった年齢ですぐに受けました。オートレーサーになるつもりでバイクに乗っていました。自分の将来の職業はオートレースと思ってやってきました。父の影響が大きいですね。オートレースも小さい頃から見させてもらっていたし、自分の名前の"潤太郎"は二田水潤太郎さん(飯塚3期:二田水潤太郎元選手)から頂いて父が付けた名前です。父が大のオートレースファンで息子ができたら"潤太郎"にすると決めていたみたいです。娘だったら"潤太郎子"だったらしいです(笑)
AKI:憧れて入った世界、オートレーサーになっていかがですか?
永島:思っていた以上に厳しい世界で大変なこともいっぱいあるんですが、成績が残ると楽しいですし、嬉しいです。他の職業とは違った嬉しさがあると思うので、やりがいのある仕事だと思います。夢にしてた仕事なのでオートレーサーなれて嬉しい限りです。
AKI:今後、どんな選手になりたいですか?
永島:お客さんがいてのオートレースなので、期待に応えられるように。悪くても3着以内、1番人気になった時はそれに応えられるような走りをして、コンスタントに成績を残せる選手になりたいです。
AKI:それでは最後に読んでくださった皆様にメッセージをお願いします。
永島:ここまで読んでいただきありがとうございます。1つの目標である初優勝を皆さんの応援のおかげですることが出来ました。まだまだですが、これから上位の選手を目指して頑張っていきたいと思います。これからも応援をよろしくお願いします。
(写真は山陽オート、川口オートSNSより)
福岡県宗像市出身のタレント。福岡でテレビ番組やイベントMCなどで活躍中。飯塚オート3代目「勝利の女神」。飯塚オートでは、AKIのAKIらめない予想やバスツアーなどを開催。川口オート、伊勢崎オート、浜松オート、山陽オートでもイベント出演中。