自転車競技の日本代表としてパリオリンピックに出場した太田りゆ選手(埼玉112期)。自転車競技を引退し今後はガールズケイリン1本でいくとの発表がありました。オリンピックと直後に行われた女子オールスター競輪の振り返りを中心に今後についてもお話を伺いました。
山口みのり:まずはオリンピックの振り返りをお伺いします。初めてオリンピック代表選手として選ばれた時はいかがでしたか?
太田りゆ選手:前回の東京オリンピックからの3年間、しっかりと結果を積み上げてきたことでの今回の代表選出だったので、突然選ばれた訳ではありません。「私がやってきたことが、代表選考の基準をクリアしていたんだな」と、選ばれたことでその確認ができてほっとした部分が大きかったです。
山口:東京からの3年間という時間はどう感じましたか?
太田:長かったとも言えるしあっという間だったとも言える、難しい質問です。東京からパリに向けてレベルアップをするには時間は充分ありました。ただ目標がしっかりしている分、濃い時間を過ごしたのであっという間に感じる部分もありましたね。思い返してみれば、長かったかな......(笑)
山口:様々なものを犠牲にして、というと変かもしれませんが、集中してパリへ向けて取り組んでいたんですもんね。
太田:そうですね。ただやりたいことはやっていたので、私自身が「何かを犠牲にしている」という思いはありませんでした。そして周りの環境や援助にはすごく感謝をしています。コーチやナショナルチームのサポートをはじめ、競輪界やHPCJCなど各方面の助けがあり生活を送れていました。パリに向けて集中できる環境を整えてもらったのがすごくありがたかったです。
山口:フランスへ向かってからもトレーニングをしていたんですよね?
太田:ルーベという場所でトレーニングをしたのですが、日本の暑さから抜け出して涼しい環境で最終調整ができました。食事も練習環境も全てそろっていて、私は練習だけをさせてもらえる環境でした。
パリオリンピックへ参加することが決まってからメディアの取材なども多かったんですが、ルーベでは取材も制限させてもらって、トレーニングだけを集中してできました。そこでは追い込んだトレーニングというよりも、自分に合ったトレーニングを中心に行いました。8年間ナショナルチームでやってきて、自分が本番で調子を良くするためには何が合っているのかというのもいろいろ試したんです。その経験のもとジェイソン(短距離ヘッドコーチ)と相談して調整をしました。
山口:パリへ入るときには仕上がっていたんですね。
太田:はい。後は本番のレースをどれだけできるかの良い状態でした。選手村に入ると、オリンピック独特の高揚感もありましたね。
山口:競技は女子はまずケイリンからでした。1回戦は5位でしたがいかがでしたか?
太田:順位は良くないのですが、レースが見えていて私もやりたいことをできました。ただちょっとしたミスがあって、勝ち上がれる2位までには入れませんでした。でも5位でゴールをした瞬間も気落ちせずに「次で絶対勝ち上がれるな」という手応えがあったんです。
オリンピックの初戦、緊張感がある中でのレースでしたが、それがとても楽しかったんです。「私はこの場所に来たかったんだな」と感じました。
山口:終わってからの太田選手のコラムを拝読したのですが、前向きに感じていたのがわかりました。
太田:ケイリンなので一つのミスが結果に大きく繋がるんですが、そのミスの内容が決して悪くなかったです。自分で考えて動いた結果だったので、次は大丈夫だなと思いました。
山口:敗者復活戦ではゴールをしたときに残り1周の鐘が鳴るというアクシデントがありましたね。
太田:自転車競技ではラスト1周のときにそれを知らせる鐘が鳴るんですが、それが鳴らないとは思っていなかったです。自分ではもちろん周回は確認していたし、最後の差しにいったところがゴールだとわかっていました。でもゴールだと思ったのに鐘が鳴り、その時に周回板を確認したら「残り1周」の掲示でした。「あれ?私が間違っているのかな」とも思ったのですが、自分が1番先にゴールをしているので後ろの状況がわかりませんでした。
でも1位じゃないと勝ち上がれなかったので、万が一のためにもう1周いきました。
山口:判断が早かったんですね。
太田:あとで何を言われても、ここでも次の周回でも1位でゴールをしたら文句ないでしょ?と思っていました(笑)踏ん張りました(笑)
山口:準々決勝は仕掛けていったところで並走がありましたね。
太田:抽選でスタートが6番手からだったので、正直に言えば苦手な位置でした。でも私の前にいる選手が強い選手だったので、その選手の仕掛けにのっていって私も仕掛けようと思っていました。私はやるべきときに仕掛けていけたし、捲りにいくタイミングも悪くなかったと思います。ただ相手が強かったです。私も悪くはなかった。でもオリンピックというレースで、力がぶつかったときに負けてしまいました。納得のいく後悔のないレースでした。
山口:最後は7位-12位決定戦のレースを走って最終結果は9位、日本人としては歴代最高順位だったと記事を見ました。その結果はいかがでした?
太田:敗退した時点ですごく苦しくて感情もコントロールができませんでした。次のレースまでは30分もなかったんですが、ジェイソンが「ここはオリンピックだから7位-12位だってすごいよ。メダルはもう狙えないけど、4年に一度、全員が最高のコンディションで走る舞台で世界の7位-12位はすごいことなんだから、少しでも良い結果を取ってきなさい」と言ってくれました。それで納得ができ、レースでもやれるべきことができたかなと思います。
山口:そうでしたか。ではケイリンの次はスプリントでした。太田選手はこれまでスプリントで結果を残していますね。
太田:そうですね。力は入れてきた種目です。アジア選手権でも連覇をしています。東京オリンピックに出られずに、その後強化してきたのがスプリントでした。
ケイリンが終わった次の日にスプリントの予選でした。正直に言うとメダルをオリンピックで狙うならケイリンの方が現実的だったんですが、スプリントでメダルを狙うことはすごく難しいことです。ケイリンから気持ちを立て直していくのは難しい中での予選のタイムトライアルでした。
山口:予選を突破し1回戦は地元フランスの、日本でも走ったことのあるマチルド・グロ選手でしたね。
太田:はい。日本でも人気があった選手で、私も一緒にバラエティ番組にも出させてもらったりしました。普段の国際レースでも話をさせてもらう機会も多く交流のある選手です。
山口:思い切った仕掛けがありましたね。
太田:力で言うとマチルド選手の方が圧倒的に強い、速いです。でもレースですから、勝機を狙って仕掛けるのはあのタイミングでした。勝つための最善策だったと思います。
山口:敗れて、敗者復活戦は3人でのスプリントでした。3人というのは普段もあるんですか?
太田:ほとんどないです。チャンピオンズリーグというイベントレースがあるのですが、その時くらいですね。正式なレースで3人で敗者復活戦というのはほぼありません。
山口:見ている方もびっくりしましたが、選手もほぼ経験がなかったんですね。
太田:スプリントの敗者復活戦自体があまりないんです。オリンピック独特のレースですね。
山口:そのレースが最後のレースになりました。終えたときはいかがでしたか?
太田:後悔なくオリンピックで自分の力を出せました。私は8年間日本代表として活動してきましたが、みんなのおかげでここまでやってこられました。オリンピックの舞台で走って、自分が思っていたよりもすごい景色が見られたし、歓声や拍手は他のレースとは比べ物にならないくらいありました。世界選手権やワールドカップは数え切れないほど出させてもらいましたが、オリンピックは別物でしたね。素晴らしい雰囲気の中で走らせてもらえて、後悔なくやり切れました。
山口:オリンピックで引退するというのは決めていたんでしょうか?
太田:そうですね。万が一気が変わって続ける可能性もありましたが、競技はオリンピックで引退するというのは決めていました。
山口:全部出し切ろうという気持ちもあったんですね。
太田:そうですね。終わりが見えずに何年もやってきたものが、オリンピックで最後ということで、この1年くらいは「これをやるのは最後かもしれない」というタイミングを都度感じて、一つ一つやってきました。ゴールがあると踏ん張れるのか、オリンピックまでの日々は集中して頑張ってこられたのかなと思います。
山口:そうでしたか。ではここまでのナショナルチームの生活を振り返っていかがですか?
太田:競輪学校生のとき、初期の初期の頃、私が何も力を証明できていないときから何もかもサポートしてもらって、すごくありがたい環境の中で練習させてもらえました。そして期待にしっかり応えられるように頑張ってきました。ジェイソン、ブノワ(自転車トラックチーム・テクニカルディレクター)をはじめとしたスタッフには「ありがとうございます」の一言です。感謝の気持ちが大きいです。選手としてデビュー当初から期待をしてもらっていたけど力が見合わずに、もどかしい思いもさせたと思います。でもパリオリンピックのケイリンで、私が歴代最高順位を取れて良かったです。
まだまだ日本の自転車競技は強くなると思うし、今後、自転車競技も発展していくと思っています。ナショナルチームで過ごした時間は人生の財産だし、素晴らしい経験をさせてもらいました。
山口:思いを聞かせてくださってありがとうございます。お疲れ様でした。
ではオリンピック後は、平塚の女子オールスター競輪へ向かわれました。まずは5位でドリームレースに選出されたのはどう感じましたか?
太田:2018年から連続して選出していただいているんですが、今年に関しては出走本数が全くない、オリンピックを目指しているけど出られるかわからない、もしオリンピックに出たとしたら平塚のレースは参加できるかもわからないという中で、毎年行っていたようなSNSで投票のお願いはできませんでした。
山口:投票をお願いしても走れない可能性がありましたもんね。
太田:そうです。もし私に投票してくださっても「オリンピックがあるから走れませんでした」というのは無責任だし失礼だと思ったのでしたくなかったんです。だから自分は結果を待つだけだったんですが、5位という結果をいただけて嬉しかったです。
山口:当日の朝に日本に到着したんですよね?
太田:そうですね。朝に帰国し平塚へ向かい、20時すぎにはレースを走っていました。当日は疲れはありましたが、アドレナリンとか勢いとか、後は選手紹介のときのお客さんの声援がすごくてなんとかレースを走り切りました。「おかえり」「オリンピックお疲れ様」などたくさんの声があり、歓迎されてやる気だけは満タンで初日を乗り切りました。
でも2日目は時差ボケや疲れが出てきて苦しかったんですが、そこでも応援があったから頑張れました。2日目は着が悪く、決勝進出のためのポイントでは別の選手と同ポイントだったんです。でもドリームレースに選んでもらえたおかげで決勝に上がれました。それもファンの皆さんに助けてもらえました。
ここまで皆さんの前で走る機会は少ししかなかったけど、これからは競輪選手として頑張っていくので、皆さんの前で走るのを楽しみにしてもらえたら嬉しいです。
山口:ガールズケイリンへ専念するという発表がありました。太田選手は、デビューする前の養成所時代からナショナルチームと両立されてきましたが、初めてガールズケイリン1本になります。それについてはいかがですか?
太田:不思議な感じです。
山口:管理されてきたところから、練習メニューなどは自分で作るんですよね?
太田:そうですね。実は今はもうすでにその生活に切り替わっています。初めて自立?独立?しました(笑)あとは野生になったとか言っています(笑)
でも今までナショナルチームで教わってきたものを基本に自分で今のところはうまくやれています。オリンピックが終わりガールズケイリンのレースが本格的に始まるまでは息抜きの時間も多いですが、うまく組み立てられるんじゃないかなと思います。
山口:練習拠点は埼玉へ戻るんでしょうか?
太田:いえ、まだそこは何も決めていません。オリンピック後に気が変わってまだ続ける可能性もあったので、バタバタした動きはしたくなかったんです。伊豆を拠点に練習はしていますが、練習メニューは自分で考えてやっています。
山口:ナショナルチームの練習に合流することもあるんですか?
太田:いえ、それはなく、準備が整い次第、埼玉に戻る予定です。
山口:ありがとうございます。ではガールズケイリンのレースが9月末から本格的に始まりますが、今年の目標は何ですか?
太田:今年に関しては賞金がほぼないので、ガールズグランプリの出場は無理かなと思っています。まずはガールズケイリン選手としての生活に慣れていく、練習を組み立てていく、生活のありかたを確立していく時間にしたいなと思います。
山口:今までと全く違う環境になりますもんね。
太田:月に2回、3回もレースに行くという生活を今まではやったことがなかったので、その管理の仕方をどうしていくか、答えを見つけていかなければいけません。
山口:では賞金争い、タイトル争いへは来年から本格的に狙うという感じですか?
太田:そうですね。今年の競輪祭女子王座戦(GI)を優勝できたら良いなと思うのですが、グランプリ出場に関しては本格的に狙うのは来年からです。
山口:ナショナルチームやオリンピックの経験など、太田選手にしか持っていない部分もたくさんありますが、ガールズケイリンへいきることも多いですよね。
太田:絶対そうだと思います。良い知識を持っていると思うので、それをいかしてやっていきたいです。
山口:基盤を整えていくという部分で、オリンピック後はオフの時間も大切だったと思います。ゆっくりはできましたか?
太田:お酒を飲んだり、好きなものを食べたり、お買い物をしたり、テーマパークに行ったりと好きなことをしています。テーマパークは大好きなので新エリアのアトラクションも全部行きました!やりたかったことはできましたね。
後は、イベント出演やメディア取材などオリンピックまでは制限していたものを、この時間にお受けしています。皆さんが喜んでくれるのが嬉しいですね。
山口:ありがとうございます。では次のあっせんが9月29日からの川崎ナイターです。ここへ向けてはいかがですか?
太田:今まで通りの練習はできないので、その代わりの練習をどうやっていくかを考えている途中です。後はナショナルチームを引退して、自由なのでやることもいろいろありますね。今までは守ってもらえる環境だったなと実感しています。その中でちゃんと練習をできる時間を確保するのも難しいですが、それをやれるように努力しています。
山口:ミッドナイト競輪のあっせんも入っていますね。
太田:ミッドナイトは走ったことはありますし、海外のレースを経験していると、朝が早い、夜が遅いなど時間という部分では心配はしていません。
山口:平塚ではファンの皆さんの前で久しぶりにレースをされました。たくさんの応援がある中で、ガールズケイリンへ専念されるのはいかがでしょう?
太田:すごく楽しみです。
山口:では最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
太田:まずは競技者として長い間応援をしていただきありがとうございました。これからは競輪選手としてトップを目指して走りますので、ぜひ変わらずの応援をよろしくお願いします。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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去る7月17日・立川競輪FⅠ(2日目)にて通算500勝を達成されました齋藤登志信選手(宮城80期)にお話をうかがいました。
最強競輪忍者にして勝負師。そんな異名を持つベテランマーカーの走りの裏付けである強さの秘密にも少し触れました。
大村篤史:大きな節目の達成おめでとうございます!
齋藤:ありがとうございます。
大村:大台の数字を目の前にして意識はされましたか?
齋藤:まず、去年の夏頃に『暮れには残り一桁にしたいな』と考えていました。
それは叶ったのですが、今年に入り前半はなかなか思うように身体が動かず...。
『正直言うと年内に出来るかな』と思ってました。
大村:5月の武雄記念(GIII)2日目に3ヶ月ぶりの1着でした。
齋藤:あの1着から何か変わったようでして、気持ちの面も上向きました。その後の大宮、宇都宮も前を走ってくれた後輩たちがいいレースをしてくれたので『次の立川で...!』という気持ちになりましたね。
大村:500勝のレースは予選でも任せた板垣昴選手(北海道115期)に再度マーク、後ろを紺野哲也選手(宮城69期)の並びでした。ラインを組んだおふたりは意識していましたか?
齋藤:知っていたでしょうし、意識もしていたかも。板垣君はいつも頑張ってくれます。
そして同県で同級生の紺野君が固めてくれて心強かったです。
大村:米嶋恵介選手(岡山119期)が捲りで迫った2センターは紺野選手が牽制していました。
齋藤:紺野君が3番手で仕事をしてくれたのをレース映像で観て...、前後のふたりには本当にもう感謝しかないです。
大村:500勝達成し周りの方の反応はいかがでしたか?
齋藤:おめでとう!とお祝いの言葉をたくさんいただきました。
ひとくちに500勝と言っても考えてみれば1着を500回も取ったということ、それも大学時代に練習でお世話になった思い出の場所で叶ったのは大きいですね。
大村:2004年のグランプリ出走も立川バンクでした。
齋藤:ええ。そしてサテライト中越さんを通して競走以外でも繋がり(注:トークショーイベントで出演)がありますし、立川でという意識は正直ありましたね。
大村:そして501、502勝目も上げました!
齋藤:今回の大きな節目を達成して気が抜けてしまうんじゃないかと思いましたが、続けて1着が取れて嬉しかったです。
大村:ここまででもプロ生活27年、アマ時代を含めますと40年弱の選手生活の中で思い出のレース又は思い入れのある1勝は?
齋藤:実を言いますとこのレースだけは特別!・・・というのはないんですが。
そうですね、川崎のFⅠで後閑信一さん(東京65期)が捲ったのを9番手から中コースを追込んで差した優勝です。(注:2015年8月10日ナイターFⅠ・《日刊スポーツ新聞社杯》決勝)
大村:いつまでも強いヒミツについて伺いたいです。
齋藤:強さですか?正直言うと自分は特別競輪を優勝できる努力はできなかったので。
いつ頃からかな、いつか引退をするときになって後悔をしないように頑張ろうと考えるようになりました。トレーニングに励んで、駄目なときでも自分なりに修正をしていく。それを続けていることが大きいんじゃないかと思います。
大村:レースをあきらめない、展開が厳しくなっても自ら仕掛ける勝負強さも魅力です。
斎藤:それは九州の場で或る記者さんに言われたことが頭にありまして。
「どんなにダメな結果でもお客さんはレースを捨てずに走ってくれれば納得する」
結果はどうあれ、お客さんは頑張っている姿を見れば納得してくれる。納得してくれたお客さんは必ずまた買ってくれるんだって言われたんです。やっぱり力を出し切らないで終わったら観てるお客さまにはそれが分かるんですね。現代競輪は展開八割なんて言われ方もしますが、流れが味方しなくても出し惜しみしなかったことが伝われば一番だと思います。
大村:現在の競輪といいますとスピードレース化が挙げられます。そちらへの対応は?
斎藤:今の若手は環境が違います。ネットを通して情報もたくさん入りますし、僕らの若い頃ではまだ本格的でなかったナショナルチームがあり、それを参考にしたトレーニング方法も存在します。ただそれを我々の年齢で今からやろうとしても無理なので・・・なんだろうな、裏を返すといいますか。裏のトレーニングとでもいいますか。これまでの経験、自分がずっとやってきたことで対応していくというか。
大村:それはこれまでのやり方を変えないということでしょうか。
斎藤:敢えて変えない部分もありますが、もっと広い視野に立って進化にとらわれないようにしています。皆んな何でも新しいものに飛びついて、必要なものを残してそうでないものを捨てて、また変えていきます。それらを繰り返し見ていると、結局は基本は変わらないんじゃないかと思うんですね。それに身体は進化していくものに対応しつづけられないから、どうしても自分の身体と相談しながらになります。なので基本は基本で、あとは自分の経験から判断してアレンジしていこうと考えています。
大村:この夏は酷暑がつづいていますけれど、体づくりで気を付けていることはありますか?
斎藤:うーん、それに関しては特にないですね。不摂生もしませんしね。
大村:お酒も控えめなんですか?
齋藤:そうですね。普段は晩酌の習慣もなくて、たまに飲んでも妻とふたりで缶ビールを一本空ける程度です。ビールと言えば...500勝に残り7か8くらいのときかな、達成までアルコールは飲まないぞ!って決めごともしてましたね。立川を終えて帰ってきて飲んだひと口はなんだか今までと酔い方が違いました(照れ笑)妻が「そういえばしばらく飲んでなかったわね」と言ってました。傍にいるから当たり前かもしれませんが、見てくれてるんですね。
大村: 摂生するのも体づくりの一環なんですね。
齋藤:毎日の積み重ねをちゃんとやっていれば体は作られるのかなと思います。
本当にひとりでやっているんですが、基本を積み重ねることで暑さにも負けない体になると思います。
大村:また、プライベートのエピソードや時間の過ごし方は?
斎藤:今年に引退した井上善裕君(埼玉75期)が「斎藤さん、仙台にどこか美味しいお店ないですかね?」そう言って埼玉から仙台まで来たことがあるんですね。
僕が「どうやってくるの?」って聞いたら「自転車です!」って。彼は無類のロード(長距離)好きなんですけど距離にして340kmですかね、それを自転車で。
これに刺激を受けまして『俺もやってみるか!』と思いまして妻の郷の青森まで距離にすると井上君より短くなるけど310kmを走りました。朝3時半にウチを出て夜7時ごろに到着。休憩をはさみつつ乗車時間は10時間くらいです。普段のトレーニングとは違うんですけど、根性トレーニングのようなことをやってみたり。
大村:すごい!まさに"気持ちで走る"に通じますね!
斎藤:いつも同じことをやって繰り返しても仕方がないと思うときもあって、歩くことは体幹トレーニングになるので春には登山をします。頂上で見渡す景色はなんとも言えない素晴らしさですね。近くに蔵王があるので冬場はスノーボードでバックカントリー(注:スキー場の管理区域外を自力で登り、自力で滑ること。立入禁止でないエリアで行う)もしました。ボードを担いで10kmを1時間かけて登り、滑って下るんです。
大村:現在やってらっしゃるのはスキーでなくスノーボードなんですね。
斎藤:ええ。夏場はスノーボードに変わる何かをと思いまして今年は初めてサップをしました。サーフィンの板に立って景色を眺めながらオールを漕ぐんです。気持ちを安らげながら体幹もトレーニングするんです。こういった趣味を兼ねたトレーニングも500勝へつながったのかな、いろんなことが無駄にならなくて良かったと思っています。
大村:話は変わりますが、1990年の世界選手権タンデムでペアを組んだ稲村成浩選手(群馬69期)が引退されました。
斎藤:松戸記念(GIII)に参加中のことだったので戻って今日(取材日の8月5日)に電話で話しました。実は三日目に発走機についたときにお客さまから「おい斎藤!お前の相棒がやめたぞ!」って声がかかりまして。その時はショックと驚きで走りに集中できない部分が出てしまいました。そして遡って前の日の二日目の捲りが自分自身久々に体感したスピードでした。松戸は稲村さんがダービー(GI)を取ったバンクで、1着をとった2日は稲村さんが選手手帳を開いて引退を決断した日。あとから思ったのはこれはそういう巡りあわせが生んだ力だったのかな、相棒が力を貸してくれたのかなぁって。
大村:斎藤選手のこれからの目標を教えてください。
斎藤:僕はそのときどきの身近なものや手が届きそうな目標を立ててやってきました。500勝もそうで『近づいてきたなあ、だったらそこを目指してみよう』と。達成できてその次の501・502勝も上げられて、今は次は何にしようかと模索しているところでした。
...そうですね、やっぱり1着って一番の薬じゃないですか。それだけで気分が高まりますし。だからこれからも優勝でなくてもとにかく目の前のレースで1着をめざして頑張る!
これが目標ですね。
大村:1班復帰へ向けてはいかがでしょうか?
斎藤:うーん、出来たら嬉しいけど強く意識はしていないです。
今期なら年末を走り終えたときに頑張ったなと思えるように。
大村:最後に記事を読んでくださったオッズパーク会員のみなさんと全国の斎藤登志信ファンへメッセージをお願いします。
斎藤:一時期は500勝は無理なのかなと思ったときもありましたが、ひとつひとつ積み重ねることとレースを観てくださるお客さまがいてくれたお陰で叶いました。
これからも先へ向けて頑張りますので応援をどうぞよろしくお願いします。
大村:本日はありがとうございました。
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※インタビュー / 大村篤史(おおむらあつし)
2012年4月から小倉競輪場を中心にレース実況を担当。
名前と同様の"熱い"実況スタイルでレースのダイナミズムを伝えることが信条。
2022年7月からは小倉ミッドナイト競輪CS中継の二代目メインMCとしても出演中。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
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自転車競技の日本代表としてパリオリンピックに出場した佐藤水菜選手(神奈川114期)。その後の平塚競輪での女子オールスター競輪では完全優勝と強さを見せたレースになりました。オリンピックと女子オールスター競輪の振り返りと、今後についてもお話を伺いました。
山口みのり:パリオリンピック、女子オールスター競輪とお疲れ様でした。そして女子オールスター競輪では優勝おめでとうございます。
佐藤水菜選手:ありがとうございます。
山口:ではまずはオリンピックについて伺います。事前にフランスで合宿をされていたようですが良い感触で入れましたか?
佐藤:はい、タイムも出ていたし、ストレスも排除できるように自分の中でも準備していたので問題なく入れました。
山口:中継を見ていたのですが、タイムを期待されている選手の一人でしたね。
佐藤:機材の進化をすごく感じていました。バンクもすごく軽くて「ここならワールドレコードが出るバンクだな」と多分みんなが感じていたと思います。私の感覚では、自己ベストを0,2秒は上回るな、上回らないとだめだなと思っていました。それだけコンディションが良かったです。男子を見ていても感じたので、自分の持っている日本記録の更新は当たり前だなと思っていました。
山口:大会を通してレースを見たのは私は初めてだったのですが、すごくテンポよく進んでいくんですね。
佐藤:今回のオリンピックはあれでもゆっくりと何日かに分かれてレースをしていました。本当だったら1日に4~5走するんです。だから私はちょっと苦手なタイプの日程だったんです。1日でやりきる方が得意なんですよ。
山口:そうだったんですね。初めてのオリンピックはどんな気持ちで臨まれましたか?
佐藤:レースはいつもと同じだから特に意識はしていませんでした。ただチームで自分にとって不利になることを取り除けなかったので、良いパフォーマンスを出せた日もありますが、そうじゃなかった日もあったので、終わった今の感想としては悔しさが勝ります。
山口:そうでしたか。
佐藤:自分の精神的な弱さがすごく出てしまいました。今後、競技に対してどうしていくかを考えさせられる大会になりました。
山口:まずはケイリンが始まりましたね。
佐藤:はい。ケイリンの初日とスプリントの初日は、メンタル的にも良い状態でレースを迎えられたんですが、それ以外ではそうではありませんでした。コーチに相談をしたんですが、いろんな問題があり私にとってはすごくやりにくい環境になってしまいました。しかもそれは今後もついて回るものなんです。自分で努力して改善はできない部分のため、今後チームとしてどうしていくか、話し合う必要があります。
山口:対戦相手どうこうではなかったんですね。
佐藤:そうなんです。
山口:スプリントではハロン(200mTT)で日本記録と一時的ですがオリンピック記録も更新されました。先ほど仰っていたように記録ラッシュでしたね。
佐藤:タイムが出る良いバンクでした。予選を突破するには10秒5は切らないといけないと思っていました。
山口:予選を突破され1回戦はタイム差がある選手との対戦になるんですよね。
佐藤:はい。さっきも言いましたが1回戦は良いコンディションでレースを迎えられたので、万全な体制で自分のパフォーマンスを出し切れました。
山口:2回戦の相手は東京オリンピックの金メダリスト、ケルシー・ミシェル選手(カナダ)でしたね。
佐藤:そうですね。以前スプリントで対戦をしている選手だったので私にとってはリベンジのレースでした。しっかりと勝ち切れて、レースも作れたので良かったです。
山口:日をまたいで3回戦がエマ・ヒンツェ選手(ドイツ)との対戦でした。
佐藤:その日が自分のさっき言った精神状況がすごく悪い日だったので、走るときには動揺もあり相手に自分の弱い面を見せた形になってしまい負けて悔しかったです。自分でも「ここが山場だな」と思っていたので、勝てなかったことについては「この状態だとやっぱり勝てないよな」と思いました。
山口:悔しい結果でオリンピックが終わったとのことですが、すぐ平塚でのレースがありました。切り替えはできましたか?
佐藤:はい。女子オールスター競輪については自分の精神的な問題は全くない環境だったので、なんならオリンピックより良いパフォーマンスができるんじゃないかと気合いを入れていきました(笑)
山口:そうでしたか(笑)日本のファンの皆さんは嬉しいですよ。
佐藤:今までオリンピックに向けて競技に専念している中で、ドリームレースに選んでもらって走らせてもらえるので、ここは逆に優勝しないとだめだなと思って走りました。
山口:オリンピックを総括するといかがですか?
佐藤:今後の競技人生を、すごく考える大会になりました。
山口:「自転車競技が好きだから短距離だけに絞る訳ではない」という記事を見ました。中長距離という選択肢もあるんですか?
佐藤:私は自転車競技が好きなので続けたい気持ちは大きいです。でもさっき言った自分自身の問題で、練習環境は変えられない。競技を続けたい理由は好きだからですが、競技を続けられない理由も同じところにあります。自分の人生を考えたときにどっちにいくかで大きく変わる、そんな局面にいます。
山口:さて、オリンピックが終わり、帰国して空港から平塚競輪場へ直行でしたね。
佐藤:到着して、空港に妹弟子の高木佑真(高木佑真選手・神奈川116期)が迎えに来てくれていました。フランスへ行くときも見送ってくれたんです。彼女の顔を見た瞬間に全ての嫌なことが癒され、良い気持ちで競輪場へ入ることができました。競輪場へ着いてからも、朝イチなのに同期の日野未来選手(奈良114期)と柳原真緒選手(福井114期)が出迎えてくれました。そこからは嫌なことは全て忘れて前向きな気持ちで走れました。
山口:そう言えば、豊岡英子選手(大阪114期)がパリへ応援に駆けつけていたんですね。
佐藤:そうなんですよ。会えなかったんですが、来てくれているのを知ってめちゃくちゃ愛を感じました。すごく嬉しかったです。ケイリンの日はだめでしたが、スプリントの初日は見に来てくれて良いところを見せたいなと頑張れました。
山口:同期の愛ですね。では平塚でも同期3人で過ごしたんですね。
佐藤:日野選手とは指定練習も一緒にしました。ダッシュも一緒にしたときに彼女のダッシュ力にびびりましたよ、今ガールズで一番強いんじゃないかと思います。すごく努力もしてると思うし気持ちも強い。しかもギャンブルも好きだから、お客さんの気持ちもわかる。それが良い方向にいかされていますよね。一緒にもがかせてもらった時に力強さを感じて焦りました。レースでも強気なレースをしていたから「展開次第では負けるな」と思いました。
山口:そうだったんですね。まずはドリームレースでしたが想定はしていましたか?
佐藤:セッティングを合わせていなかったので、練習でサドルの高さを調整しました。でもそこは今まで自分でやってこなかったので実は調整を失敗したんです。レースを終えてから「走りにくそうだったね」って言われました。自分でも周回中にそれを感じていたので、特に組み立ては決めていなかったけど、一瞬の勝負だなとは思っていました。
山口:スピードもすごく乗っているように思えましたが、実はそんな感じだったんですね。
佐藤:はい。1着だったので言える話です。
山口:続いて準決勝は佐藤選手の前で、残念ながら落車がありました。
佐藤:落車が起きる前に外に膨らんでいたので「内にきりこんでいこうかな」と思ったんですけど、「そんな甘いことはしちゃいけない」と思いとどまった時に落車がありました。落車があった後は焦って仕掛ける選手が多いので、逆に自分は落ち着いて一息入れてレースに向き合おうと思いました。冷静にいられたし、最終バックストレッチからは自分のタイミングで捲りに行けました。
山口:最後に決勝戦を振り返りお願いします。
佐藤:気持ちが高ぶっていたのでスピード良くいけたけど最後は失速しました。結果として優勝できたので良かったです。同期で日野選手も決勝に乗っていたので同期1、2なら一番嬉しかったですね。もう一人の同期の柳原選手は準決勝で落車してしまったけど、それがなければ決勝に乗っていると思ったから私は悔しかったし、その思いを私は背負って走っていました。日野選手も、話してはいないけどきっとそう思っているんだろうなと。その分も二人で力を出して優勝争いをしたいなと思っていました。
山口:久しぶりにお客様の前でのガールズケイリンのレースを走っていかがでしたか?
佐藤:あんなに暑い中、たくさんの方が来てくださっていたので「暑いよね、大丈夫かな」と心配しました。私でもレースの3分間という短い時間ですらしんどいのに、見に来てくれている方は昼間から長い間外で見てくださっていますしね。
山口:応援も受けての3連勝でした。終わってすぐは小田原記念(GIII)でトークショーがあったんですよね。
佐藤:すごくたくさんの方が見に来てくださいました。その日も暑くて、私もロードレースで行く予定が暑さで断念しました。でもそんな暑さも吹っ飛ばすくらいの声援をもらいました。「直接声が聞きたかったから来たよ」という声があったり、私もナショナルチームや今後の話を直接することができて、パワーをもらいました。
山口:SNSではラーメンを食べたという投稿を拝見しました。他にも解禁したものはありますか?
佐藤:食事などは個人管理なので別に食べても良いんですけど、私は過去に悔しい思いをしたからかなり厳しく食事は管理をしていました。もともとの食生活が悪かったので、そこからすごく気を付けていたから、オフになってその反動で毎日ラーメンを食べていました。ポテトチップスとかも久しぶりに食べましたね。でもラーメンが一番でした。
山口:もともとラーメンは好きなんですか?
佐藤:好きです。だから制限していたときは動画を見たりしていました。実際に食べて幸せでした。
山口:気持ちの面でもリラックスはできましたか?
佐藤:はい。オフは一日の半分くらいは寝ていました。暑いのが苦手なので外に出る元気もなく、毎日寝て過ごしてました。
山口:それまで世界中でレースをしていたんですもんね。
佐藤:はい。なのでオフは満喫した、というよりも寝ていましたね。
山口:今の練習拠点は伊豆なんですか?
佐藤:はい。先日から練習が再開しています。決められたメニューでずっとやっています。
山口:今後のナショナルチームの活動については言える範囲でどのような予定ですか?
佐藤:次のロサンゼルスオリンピックまで継続するかはまだ決めていません。でも10月にある世界選手権は出る予定です。そこで金メダルを取ればガールズグランプリは出られるはずなので、頑張りたいです。そこで決められたら最高ですね。
山口:そうなんですね。11月の競輪祭女子王座戦(GI)だけじゃないんですね!
佐藤:そうなんです。でも実際世界選手権で金メダルを取るのは、ガールズグランプリを優勝するよりももっともっと難しいと思うので、頑張りたいですね。
山口:今の目標は何ですか?
佐藤:まだまだノープランなんですよ。今のところは9月前半の全日本自転車競技選手権ートラックに出るというのはパリオリンピックを走る前から決まっていたので、そこを目標にしているくらいです。
山口:まずはそこなんですね。
佐藤:はい。その後に競技を続けるかどうかを少しずつ考えたいかなと思います。
山口:ガールズケイリンの予定は9月14日からの前橋ナイターが入っていますね。こちらは予定通り走りますか?
佐藤:はい。ここは走る予定です。
山口:では最後にオッズパーク会員の皆様へ、前橋へ向けての意気込みをお願いします。
佐藤:もしかしたら女子オールスター競輪よりも疲れがたまっている可能性もありますが......一生懸命優勝を目指して走るので、応援に来てくれたら嬉しいです。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
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今年は6月の『パールカップ(GI)』で連勝。初めてのGI決勝を走った當銘直美選手(愛知114期)。今年の好調さの振り返り、レースの内容の振り返りを中心に今後の目標を伺いました。
山口:今年に入ってのご自身の成績を振り返っていかがですか?
當銘:今年のはじめに「GIの決勝にのる」という目標を掲げていました。もう少し時間がかかると思っていたんですが、パールカップ(GI)で決勝にのれました。GIで結果を残すために普段の開催も今までよりは縦足を出して戦おうと思っており、その結果、脚力もあがって決勝に繋がったのかなと思います。
山口:GI決勝進出という目標は、去年GIを走ったからこその目標だったんですか?
當銘:はい。去年GIを走って、同期は活躍をしていたけど私は全然でした。身近にそういう存在がたくさんいて、自分もそういう良いレースをしたいと思っていました。後は、豊橋から名古屋に練習地を移してからお世話になっている練習グループの皆さんに、良い成績を取って恩返しがしたいと思っていました。外山三平さん(2024年1月引退)が今年引退されて、三平さんが現役の時に決勝進出は叶わなかったですが、見てくれていると信じています。それがモチベーションの一つになっています。
山口:練習内容も変わっていったんですか?
當銘:それは全く変わっていません。昔からやっていることを継続しているんですが、今までは男子の後ろには脚力が足りず付けなかった(追走できなかった)んです。だから三平さんや舘泰守さん(舘泰守選手・愛知80期)が自分たちの練習とは別に、私の前で駆けてくれて練習に付き合ってくれていました。でも今は力が付いて、男子選手に混ざってある程度の練習は一緒にできるようになってきたので、そういう面で強度はあがりました。
山口:意識も変わったんでしょうか?
當銘:今までは強い選手との対戦だと「ちぎれたら嫌だな」と消極的でした。でもきつい練習に耐えられたときはレースで苦しい展開になっても意外と頑張れたので、それからはポジティブに考えるようになりました。「ちぎれても、そこから自力を出そう」とか「レースでも先行するときもある」と気楽に考えられるようになったら、消極的な気持ちはなくなり「自分の頑張れるところまでは練習で出し切ろう」と思えるようになりました。
山口:今年の初戦が決勝は残念ながら落車でしたが、復帰した後は連続優勝でしたね。
當銘:お世話になっている舘さんは「落車があっても、もっと強くなってレースに戻れるようにしよう」と言ってくれます。選手は1年中走りっぱなしなので、体のケアに専念できるときや休養を取ることはまとまってできません。私は落車しましたが運よく大怪我ではなかったので、舘さんが「しっかり体をケアして休んで疲れを取って、復帰戦に向けて練習して頑張ろう」と言ってくれました。でもそこからまさかの連続優勝は想像していませんでしたが、まさに怪我の功名ですね。
山口:今年の1つ目のGI『オールガールズクラシック(GI)』では初日1着でした。すごい差し足でしたね。
當銘:GIの勝ち上がりはポイント制ではなく着順と明確なので「絶対3着までに入る!」と、最後は思い切りハンドルを投げたら何とか1着を取れました。
山口:2走目は自分で仕掛けていきましたね。
當銘:実は、仕掛けるつもりはなかったんですが「ここで後ろから来ないなら自力で踏むしかない。自分で決勝の切符を掴む」と思い切っていきました。尾崎睦選手(神奈川108期)に捲られたんですが、睦さんは普段から自力を出している選手なので、横を通過されたときに力の差を感じました。
でも何もできなかったレースではないし「準決勝でこの場面で思い切っていけた結果3着」というのは自信になりました。結果として3着では決勝にはいけませんでしたが、収穫の多いレースでした。
山口:パールカップ(GI)では連勝でしたね。
當銘:あれは、だいぶ展開が良かったです。今まで主戦法でやってきた追い込みがトップの選手にも通用するのは、頑張ってきて良かったなと思いました。
山口:1走目も2走目も児玉碧衣選手(福岡108期)の後ろでした。仕掛けもすごいスピードに見えました。
當銘:すごかったです!!自分でもまさか差せるとは思わなかったです。
GIだと皆さんどこから仕掛けるか予想ができないので、脚も結構きついんですが、走っているときのメンタルもきついです。まずは追走をしないと勝負ができない、でも追走だけに専念すると後ろからの仕掛けに反応ができなくなるのでそれにも備える、でもそれを気にしすぎると前と離れてしまう、と色々考えることが多くてすごく疲れました。でもその中で1着が取れたのは良かったのと、準決勝は決勝にいけたのがとにかく嬉しかったです。「やっと決勝に行けた」とほっとしました。
山口:決勝にいけたことで感情が全部出てしまった、と仰っていましたね。
當銘:はい。全てが一つ一つなんだなと思いました。
私が初めて競輪祭(GI)トライアルレースに出たときも、場の雰囲気にやられてしまったり、普段の開催も一緒に走っている相手なのに自分が変に弱気になっていました。普段の開催だと位置取りがシビアにいけるのに、ビッグレースだと弱気になってしまいそれができない。弱い私がたくさん出ていました。
でもガールズグランプリに出る選手は、ビッグレースでもピリッと走っているので「私もそんな風にならなきゃいけない」とずっと思っていたんです。でもなかなかレースに出せなかった。
去年からGIができたことで目標は明確になり、そこから「私もせっかくGIに出られるようになったから"●●選手は強いから......"と他の選手と自分を比較するのではなく"私も対等"」と思ってレースに参加するようになったら余分な緊張や、弱気な自分はなくなりました。大きいレースで自分の力を出せるようになったのは、そういうのが大きいかなと思います。
山口:普段一緒に走っている選手でも、ビッグレースになると雰囲気が違うんですね。
當銘:空気感が違うように感じます。普段の決勝もみんなピリッとしていますが、もう一段階、顔が引き締まったり、普段はしゃべる人も集中している時間が長かったりするように感じました。
山口:それを感じることで、當銘選手の今後へも良い影響を与えているんでしょうね。
當銘:はい。何度かそういう場面を経験して、少しずつ得たものを自分でもできるようになれたのは大きいと思います。
山口:パールカップ(GI)の後に四日市では完全優勝がありました。初めての完全優勝だったんですね。
當銘:そうなんです。なかなかできることではないので嬉しかったです。
山口:しかも連続しての完全優勝になりました。
當銘:はい。初めて完全優勝をするのに5~6年かかったから、高松は力を出し切る方を重視していて「連続して完全優勝してやろう」とは全く思っていなかったので、びっくりでした。でも「パールカップ(GI)の連勝はたまたまだよ」と言われるのが嫌だったので、力を出し切るように心がけていました。
あ、でも四日市の最後の直線は「これで完全優勝だ!」と最後は頑張ってめちゃくちゃ踏みました(笑)
山口:(笑)
當銘:でも四日市の予選や高松の3日間は「パールカップ(GI)はたまたま」とは絶対言われたくないと思ってしっかり力を出し切ろうと思っていました。
山口:ビッグレースでの1着は、展開によるものもあるとは思いますが、そうではなく當銘選手がこれまで磨いてきたものが出たというのもあると思います。
當銘:先輩によく言われるのは、「流れが良くて取れる1着もあれば、力を出して取る1着もある。流れが良くて1着を取れるチャンスがきたときに、しっかりチャンスを掴めるかは普段の練習が大切。だからそういうときに1着を取れるように練習を頑張ろう」という言葉です。
本当は自力でもう少し1着を取れたら良いんですが、それは今後の目標の一つということで、今はチャンスを掴めるように頑張っています。今後はチャンスを自分で引き寄せられるように、もっと練習を頑張ります。
山口:そう思うのは、松戸で目の前で尾方真生選手(福岡118期)が逃げ切り優勝をしたからというのもありますか?
當銘:はい。後ろの仕掛けがあったら真生ちゃんはつっぱる雰囲気がありました。私は優勝した選手のすぐ後ろにいたので、彼女の強さを直接感じています。久しぶりに「追い込みに行ってもこんなに離れてしまうことがあるんだ......」と脚力の差を実感しました。私もめちゃくちゃ懸命に追い込みに行きましたけど、それを上回る踏みなおしと脚力でした。
悔しかったけど、ああいうレースでタイトルを取れる選手はこんなに脚力があるんだというのを肌で感じることができたので、また頑張るきっかけになりました。
山口:ではパールカップ(GI)とガールズケイリンフェスティバル、二つの決勝を振り返ります。まずはパールカップ(GI)ですが、スタートはどう考えて出ましたか?
當銘:本当は奥井迪選手(東京106期)の後ろを取りたかったです。奥井さんが後ろ攻めなのか前からなのか想定が難しかったので、「一旦中団を確保してから」と思い真ん中あたりの位置をこだわりました。でもずっと外で柳原真緒選手(福井114期)に並走されて被っていたので何もできませんでした。今思えばですが、柳原さんがあがって来たときに引いて、奥井さんの仕掛けに、できるできないは別として、とびついて位置を狙っていけていたら、仮に同じ5着だった場合でもお客さんはもっと納得してくれていたかなと思います。
山口:位置にこだわり過ぎちゃったんですね。
當銘:緊張もしていた部分もありましたが、他のプランを考えることが全然できませんでした。一番取りたかった位置を取れなくて、その後の修正が間に合わず、私自身も、車券を買ってくださった方もモヤモヤするレースになってしまいました。余裕のなさが出てしまいました。
山口:初決勝で、しかも一番人気になっていましたよね。
當銘:そうなんです。オッズを見たときに心臓が飛び出るかと思いました。決勝を走った他の選手はグランプリ出場の選手など実績のある選手が多くいました。私は実績は何もない。だからオッズを見るときに「他の人が人気だろうから、そこに負けないために頑張ろう」とオッズを見たんです。そうしたらまさかの私が一番人気で......。
普段は人気になっていないときの方が燃えるタイプなので、今回は初決勝だし人気になっていないだろうからと確認したらまさかでした。もちろん人気になっていたので「しっかり走らなきゃ」と気を引き締めましたが、初決勝で、デビュー戦くらい緊張しました。
山口:そうでしたか。連勝でしたもんね。
當銘:私は展開に恵まれただけだったので、決勝の皆さんは縦足を使って勝ち上がっている選手ばかりでした。レースが終わって「ああしたら良かった、こうしたら良かった」と思うんですが、あの瞬間にできる最大限はあの走りだったのかなと思います。
でもお客さんは私に対して「位置取りしないんかい」と思ったと思います。期待されているレースはそれなんだなと感じました。決勝後に高木真備さん(元選手)とも話したのですが、「対戦相手のみんなは、私(當銘選手)が奥井さんの後ろを狙うと思っていた」と言われました。私ももちろんその位置を狙っていたんですが、わかっていてもできなかったことがかなりショックでした。
お客さんが私に期待することを、あの場面でできるようにならなきゃいけない、そのためには脚力もメンタルも鍛えないといけないなと思いました。
山口:一つ一つ経験ですね。では次のビッグレースが松戸のガールズケイリンフェスティバルでしたが、そこへ向けてはどう準備をしましたか?
當銘:パールカップ(GI)と同じミスだけは絶対にしない!と決めました。間が1か月しかなかったので練習しても急には強くなりません。だから普通に練習をし、四日市・高松と運よく完全優勝を2回することができました。
松戸は33バンクなので、私は後ろから動いて何かをするのは難しいと思い「毎日Sを取ろう」と決めました。どんなメンバーでもSを取ってから組み立てようと決めて、それに対しての練習をしました。
私としては33なので、もっとS取り争いがあるかと予想していたんですが、割とすんなりと取れました。それは運が良かったです。理想の位置を3日間とれたということと、それを想定して練習をしてきたのが良かったのかなと思います。
山口:1走目は柳原選手の先行、内で當銘選手、外で石井寛子選手(東京104期)の並走でしたね。
當銘:柳原さんが先行とは思っていなかったので反応が遅れてしまいました。柳原さんも自力が強い選手なので、並走を気にしてしまうと離れてしまうし、並走相手は寛子さんなので位置を取られてしまうと、せっかくの良いポジションがなくなってしまう。「絶対譲らない!」と今までで一番強い気持ちで走りました。
でも寛子さんは「ここでまだ並走できるんだ!?」とめちゃくちゃ強かったです。外併走は消耗するはずなのに何度も何度も自分より前の位置に上がってきていました。最後は何とか外側が空いたので2着を取れましたが、すごかったです。私のほうが先着できましたが、これほど高いレベルでの並走は経験がなかったので「すごい」の一言です。
33バンクで外併走はなかなか耐えられないと思うんですが、寛子さんは最終4コーナーまでずっと並走して、しかも打鐘すぎから踏みあがっている中での並走なので、脚力ももちろんですが、バンクの特性を知っているんだなと感じました。踏むべきところも熟知しているんでしょうね。
山口:そうなんですね。では2走目は1着で決勝でした。ポイント制のため着順ではないですが、いかがでしたか?
當銘:ガールズケイリンフェスティバルは初参加だったので、21人全員がポイント制という勝ち上がりの勝負をしたことがなく、何着を取ったら安心なのかがわかりませんでした。だから「1着なら間違いないだろう」と狙いに行きました。
さっきも話したようにSは取ろうと決めていたので取りに行って、運よく坂口楓華選手(愛知112期)が上がってきてくれたので自分が1着を取れました。
山口:では決勝についてです。Sを取った後、誰かは自分の前に入るかなという想定はあったんですか?
當銘:決勝は「自力の選手はSが必要ない」というパターンもあると想定していました。だから誰も上がってこない場合は、うまくタイミングを見て踏みこもうと思っていたのでS取りに迷いはありませんでした。決勝も真生ちゃんが上がってきたので運よく2番手という好位置が取れました。
真生ちゃんは初日のつっぱり先行のレースがめちゃくちゃ強かったので「もし同じ展開になれば自分にチャンスがくる」と思いました。それに私の前に入ったということは、真生ちゃんも先行覚悟でいるんだろうなと。
最終BSで(坂口)楓華が捲ってきて、私も楓華に被って自分のコースがなくなると嫌だったから追い込みにいきました。真生ちゃんの踏みなおしがピカ一だったので合わされてしまいました。
山口:ちょうど合ってしまったんですね。
當銘:いえ、私が追い込みに行った瞬間は「抜けるかもしれない」と思ったんですが、2センターすぎから真生ちゃんは更にぎゅっと踏んだんです。苦しすぎて、残り100mもないのにめちゃくちゃ長く感じました。踏みなおしをされて真生ちゃんとは離されてしまったので「これはまずい」と思い「なんとか2着!」と思って懸命に踏んだんですが、内側のコースをあけてしまったから最後は優香さん(小林優香選手・福岡106期)に抜かれましたが、自分が今できる最大限の力は出せたかなと思いました。
できるだけ良い位置を取り、自分から追い込みにいくというのも総合してできました。負けたのは悔しいけど力を出し切っての悔しさなので、パールカップ(GI)のときの"何もできない悔しさ"に比べるとはるかに良いです。また頑張ろうという気持ちになりました。
山口:パールカップ(GI)の決勝の悔しさから「次はこうしよう」というのをすぐ次のビッグレースでできるのはすごいと思います。
當銘:パールカップ(GI)のときは課題しかなくて、しかもそれが明確だったので、それに集中して練習して臨めたのは大きいと思います。
きっと前だったら、楓華が捲ってきたときに、自分も合わせて追い込みにいくことはできませんでした。「浮いてしまったらどうしよう」と自信がなくて車輪も外さず(追い込みにいく姿勢も見せず)、また被って何もできなかった気がします。
自分でも「勝負をしにいくぞ」という強い気持ちで踏めたのは大きな収穫がありました。
山口:次につながる決勝だったんですね。
當銘:はい。
山口:ここから年末へ向けてというのはどう考えていますか?
當銘:練習仲間には特にグランプリへ向けてのことは言われていません。ただ「普段の開催では、今までとは違うように見られる可能性もあるから、変なレースはしないようにね」と言われました。「お客さんも納得してくれるようなレースを見せて、それで1着を取れるようにしよう」と。
賞金ランキングがこんなに上になったことはないので、自分がグランプリを狙えるという実感が全然ないんですが、競輪祭女子王座戦(GI)までの賞金争いは、いつも通りのことをやるだけなので「普段通り頑張ろう」と思っています。
「あわよくば......」というのもたまに言われますが、欲ばっかり出すよりはコツコツ頑張るしか私はできないので、今まで通り頑張って1着をいっぱい取れたら、もしかしたら競輪祭(GI)でチャンスがあるかもしれない。そうしたら競輪祭(GI)で決勝に上がって上位着を狙ったらグランプリも見えてくる。でもそれは特に意識している訳ではなく、普段の積み重ねの先にあるものという感じです。私はまだ、一戦ずつ力を出し切って、力を付けていくという段階なのかなと思っています。
山口:GIの決勝進出が目標ということでパールカップ(GI)で目標達成されました。今の目標は何ですか?
當銘:GIの決勝を走って、自分と同じレースを走ったうちの一人がタイトルを取るというのを2回経験しているので悔しいんです。だから私も優勝したいと思います。
もちろん今年だけではなく、この1年半の間でどこか優勝できたら良いかなと思います。
山口:来年は女子オールスター競輪もGIになりますし、一つ増えますもんね。
當銘:そうですね。同じ1つのレースを走っているうちの一人がグランプリ出場権を取る、タイトルを取るというのを傍で見ているのは、自分が思っている以上に悔しかったんです。だからちゃんと自分も取れるようになりたいなと思いました。
山口:今後、どういうことを意識して後半戦を走りますか?
當銘:どんな展開になっても自分の力を出し切るのが一番の目標です。レースに対して柔軟に走れるようにしたいですね。後は基礎の力をもっとつけて上位の選手と互角に戦えるように、大きいレースでもチャンスを自分から引き寄せられるようになりたいので、力を付けていきたいです。
山口:自力も含めてですか?
當銘:そうですね。普段の開催では逃げから差しまでできるオールラウンダーを目指しているんですが、ビッグレースではまだ追い込みが主体です。それをもっと、取れた位置や展開次第では自力が出せるようになっていきたいです。
山口:それでは最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
當銘:いつも応援ありがとうございます。ファンの皆さんのおかげでだんだん力が付いてきて、大きいレースも走れるようになったので本当に感謝しています。この後は多分、競輪祭女子王座戦(GI)が大きいところになると思うんですが、そこでも良い成績を取れるように頑張りますので、今後も応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 山口みのり
三重県松阪市出身。フリーアナウンサー/ナレーター。
各競輪場で中継司会やリポーター、イベント司会などを担当。
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※写真提供:公益財団法人 JKA
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