同期の金山周平選手(伊勢崎27期)から紹介を受けました。27期のムードメーカー中野政則選手に選手になるきっかけ、選手としての20年、ファンの存在など沢山お話をして頂きました。(取材日:2020年8月24日)
インタビュー / 内野久照
内野:身長と体重から教えて下さい。
中野:身長は177.8cmで体重は62.0kgです。
内野:足のサイズは?
中野:26.5cmです。
内野:ご出身はどちらですか?
中野:下関市小月です。
内野:子供の時にやっていたスポーツは?
中野:小学校はミニバスケット、中学校では陸上を、高校ではバドミントンをしていました。
バドミントンは強豪校でしたね。これまでに経験がないところから3年生の時に団体の5人のメンバーに選ばれ、インターハイに出場しました。インターハイは野球でいえば甲子園のようなものだと思っていたので凄く嬉しかったです。島根県での開催だったので出雲大社に行きました。両親も旅行気分で応援に来ていたので少し親孝行が出来たかなと当時は思いました。
内野:選手になる前は何をされていましたか?
中野:下関中央工業高校インテリア科を卒業してフリーターでした。
木工が好きでした。ノミやカンナで削り、金槌を使うのが好きでした。
アルバイトは山陽オートの小型自動車競走会の従事員です。救護や検査にいました。審判の資格を取り、審判員として外線や内線の審判塔に上がる事もありました。また周回掲示板のボタンを押す事もありました。
レースがない時は、下関市菊川町のゴルフ場で働きました。実家の中野電機工事も手伝っていました。
内野:競走会はどなたの紹介だったのですか?
中野:父ちゃんの紹介です。凄くいい父ちゃんですよ(笑)
内野:オートレースとの出会いは?
中野:父親がオートレース好きでした。趣味でアマチュアオートをするくらい好きでしたね。レース場に幼稚園の時から見に行っていました。
高校3年生の時はオートレースに夢中になっていましたね。
その時は佐々木啓選手(山陽23期)がギラギラしていました。五所淳選手(山陽23期)が格好良かったのを覚えています。当時新人だった佐々木選手の競走車名(2級車)が爆音小僧(バクオンコゾウ)でインパクトがありました。
内野:選手の試験は何度受けられたのでしょうか?
中野:25期、26期、27期と受けました。25期の合格発表で森且行選手(川口25期)が注目され、TVで合格したと放送された時、僕は補欠でした。
繰り上がりの連絡はなかったです。合格まではあと一歩届きませんでした。
26期は松尾選手(松尾啓史:山陽26期)と受けました。僕は不合格で松尾選手は合格しました。松尾選手が走るレースを、僕はコーナー審判として見ていました。凄く悔しかったのを覚えています。
また高校のバトミントン部だった同級生の杉ちゃん(元ボートレーサー杉本洋一さん)がボートレーサーになった事は一番の衝撃でした。僕より2年先にプロ選手に杉ちゃんがなった事で「俺もオートレーサーになってやる」とこれまで以上に気持ちが入り、次に受ける27期は何が何でも合格しないといけないと思いました。当時年齢制限があったオートレース試験の最後の年に、27期に望みを託して挑みました。
内野:松尾選手とは幼馴染と聞きましたが?
中野:地元の中学校の後輩です。僕が先輩です(笑)。
父親同士が同級生で地元の校区の子供会で一緒でした。
小さい時から中野三兄弟と松尾兄弟(弟は松尾隆広選手:飯塚28期)の5人で良く遊んでいましたよ。
オートレースでは自分が後輩になりましたけど...。
内野:選手になって良かったと思う事は?
中野:これまで選手になっていなかったら出会うことがなかった人達と出会えた事ですね。
内野:選手になっていなかったら何をしていたと思いますか?
中野:競走会に勤めていたと思います。
内野:デビュー戦はどうでしたか?
中野:緊張していたと思いますよ。結果は6着でした。
内野:初勝利はどうでしたか?
中野:雨でしたね。嬉しかったです。もちろんはっきり覚えています。
内野:来年4月でデビュー20年になりますが。
中野:最初の3年から5年は長かったです。それからはあっという間でした。
内野:車名「アディクト」の由来を教えてください。
中野:直訳すると中毒という意味なので周りからは、なぜ「アディクト」と聞かれた事がありますが、アディクトは口紅の名前です。当時、妻がクリスチャン・ディオールの口紅を使っていました。それがアディクトだったのです。キャッチコピーの中に「魅了する」とあったので魅了した走りになればと思いアディクトになりました。
内野:初優勝の事は覚えていますか?
中野:2009年1月6日の山陽オート寝太郎山猿杯でした。金網越しに色んな人が、応援に来てくれていたのに舞い上がってしまって、その人達を確認できなかった事が後悔でした。
内野:昨年に久々の優勝がありました。
中野:はい。2回目の優勝は昨年9月の泉屋杯でした。
交流がある泉屋さんの冠レースで西村龍太郎選手(山陽25期)より先に優勝出来て嬉しかったです。
交流があるボートレーサーの白井英二選手、寺田祥選手がゲストに来ていて2人の前で優勝出来た事は格別でした。
内野:忘れられない優勝戦となりましたね。その他に思い出のレースはありますか?
中野:SGオートレースグランプリ(2009年)の0mオープンです。
4号車でトップスタートを切りました。松尾啓史選手に残り2周で抜かれてすぐ後ろに片平さん(片平巧 元選手:船橋19期)がいたけど2着に入ったレースです。
SGのレースというのもあるし得意ではないスタートが決まった事。松尾選手には抜かれたけど片平さんに勝ったというところです。
内野:これまで無観客でのレースが続きました。
中野:特に地元を走る時は、ファンがいないので寂しい気持ちでした。
内野:有観客になった時はいかがでしたか?
中野:いつもの山陽オートに戻って良かったと思いました。またファンの前で走れる喜びがありました。
内野:ファンの存在とは?
中野:ファンあってのオートレースです。地元のファンイベントを通じて応援してくれる人が増えました。
その中で仲良しの兄弟3人が応援してくれます。毎回FAXを送ってくれます。
今まで応援FAXをあまりもらった事がなかったのでうれしかったですね。
頂いたFAXは全て大切に保管しています。
内野:選手会山陽支部の広報として今後は?
中野:コロナが落ち着いたら今まで出来なかったファンとの交流をしたい。
いつになるか分かりませんが実現出来るようにしたいですね。
内野:これからオートレースとどのように向き合いますか?
中野:目の前の一走に、特にスタートに集中して1着目指して頑張れるように自分なりに日々精進して行きます。20年経ちますがやる事は変わりません。スタートを頑張ります。
1着を同期の荒尾聡選手(飯塚27期)くらい取りたい。500勝以上差がありますけど(笑)
内野:レース以外での楽しい事を教えて下さい。
仲野:釣りです。大好きですね。
内野:趣味は何ですか?
中野:釣りです。日本海に選手の釣り仲間と行きます。夜のイカは自分なりに沢山釣れましたよ。
内野:休みの日の楽しみは?
中野:釣船の予約です。地元選手の釣り仲間の斡旋状況を調べて、いつ釣りに行けるかなと考えていたら楽しいですね。
内野:これまでの釣り上げた最高サイズは?
中野:10.2kgのヒラマサを釣りました。
内野:場所は山口県ですか?
中野:2016年10月14日に日本海の角島沖で、ナカマサがヒラマサを釣りました(笑)
認定員は藤岡一樹選手(山陽29期)でした。羨ましそうに見ていましたよ。
案外、簡単に釣れました。たまたま魚が弱っていたのかもしれませんね(笑)
内野:今回場所を提供してくれた「ほたる」さんの紹介をお願いします。
中野:とにかく魚が美味しいです。ソーシャルディスタンスがしっかりと守られていますので安心して食事が楽しめます。
釣った魚を捌いてもらったり、テイクアウトで無理を聞いてもらいながら、オートレースへの応援もしっかりとして頂いております。
内野:「ほたる」大将の石田旬さんにお話を聞きます。中野さんはどんな人ですか?
石田:中野さんの弟さんと同級生です。
うち目線で生意気ですが、美味しい物を出さないと殴られる(笑)
魚にうるさく(笑)スタッフに厳しい方です。唐戸市場で魚を選別しているところをたまたま見られたのですが変な物は出せない人だなと、ビクビクしながら料理をご提供させて頂いています(笑)来月でオープン8年になりますが山陽オートにお越しの際は是非「ほたる」にお立ち寄り下さい。
小月駅徒歩3分です。よろしくお願いします。
内野:石田さん本日はありがとうございました。中野選手、最後にオッズパークをご利用の皆様へメッセージをお願いします。
中野:スタートは得意じゃないですが、頑張る気持ちはあるので是非オッズパークで買ってみて下さい。
MCうっちぃ!こと内野久照 オートレース歴16年。好きな選手は浦田信輔選手。現在飯塚オートでMC、山陽オートで実況を行っています。年間約180日間選手ロッカーに潜入し取材もこなすMCです。オートレースを盛り上げたくFBでは飯塚オート盛り上げ隊、Twitterではオートレース盛り上げ隊にてロッカーフォトや選手情報配信しております。 最近では場外車券売り場にてオートレースの解説予想を披露し自腹車券勝負に挑んでいます。オートレース大好き九州男児が展開する魂の大胆予想にご期待下さい。