伊勢崎所属の32期。モトクロスからモタードというバイク競技を経てオートレースの世界へ。しかし、バイク経験者ならではの苦悩がありました。デビューから丸7年。オートレースとの向き合い方、これからの夢、さらには、プライベートな事までお話しして頂きました。
インタビュー / AKI
AKI:以前、泉田選手(川口33期)にインタビューをした際、松本選手がキッカケでオートレースの世界に入ったと聞きました。
松本:子供の時から自分がいたモトクロスのチームに修佑(泉田選手)が来てくれて、そこから一緒にレースする様になったんです。修佑が小学生の時から知っています。
AKI:泉田選手は自分の事をあまり速くはなかったと言っていたんですが。
松本:速くないわけでは無かったですよ。中々、練習に来れない環境でしたが、センスはあると思っていました。
AKI:松本選手のデビュー戦を見てかっこいいと言っていましたよ。
松本:へー(笑)
AKI:ただ、第一印象、肩当てがかっこ悪いと思ったらしいですが。(笑)
松本:(笑)
AKI:オートレースの試験を受ける事は聞いていたんですか?
松本:修佑とは近い存在だったので「受ければ良いじゃん。」みたいな感じで。カッコいいと言ってくれてるのも嬉しいけど、修佑がオートレースの試験を受けるのは自然の流れ、当たり前だと思っていました。
AKI:松本選手のオートレース選手へのきっかけは?
松本:実は、前のバイク競技(モタード)をやっていた時に周りの沢山の人を巻き込んでいたので、他のバイク競技に移るというのは正直罪悪感もあったし、自分の中では簡単に「オートレース選手になる!」とはならなかった。決断できませんでした。
だけど、そうは言っても生活していかないといけない。一応プロでやっていたんですが、凄くマイナーなレースで賞金も少なく、スクールやイベントでの収入もあったんですが微々たるもので。前の競技に携わる仕事という選択肢もあったけど、まだ選手として走れると思ったし、まだまだ成績を求めていきたかった。けりをつけないといけない、とは考えていたんです。
その頃に、バイク競技をしていた友達に、「オートレース受けないの?」と言われて。平塚さん(浜松31期・平塚雅樹選手)がモトクロス時代同じチームで走ったりしていて、青木治親さん(川口29期)の事も知っていたのでオートレース自体知ってはいたんです。ただ、自分の中で他のカテゴリーに移るっていう選択肢が生まれてこなかったというか。周りの人を裏切ってという気持ちもあったし。けど、人にそう言ってもらった時に、「まだ選手でいたい」と思って決断しました。
AKI:色々考えての決断だったんですね。
松本:そうですね。決断するのに凄く勇気がいりました。
AKI:大きな決断をして選手になって丸7年。新人とは言えなくなってきましたよね?
松本:そうですね。2期下が入ってきて新人という感じではなくなってきましたね。周りの扱いも新人からは抜け出してきましたね。若手ですかね。歳はだいぶいってるんですけどね(笑)
AKI:年齢は感じますか?
松本:正直、感じています。辛いですよ(笑)体力的にがむしゃらには出来ない。調整をしながらしないと息が上がって続かないし怪我にも繋がってしまう。若い時は出来たけど。大人になった分、冷静にやっていかないといけないなとは思っています。
AKI:デビューしてから今までを振り返ると?
松本:結構、単純でがむしゃらなんです。良い意味でも悪い意味でも。だから、オートレースという競技に慣れるのに物凄く時間を使っちゃったなーと思いますね。その期間は凄く辛かったですけど、最近ようやくコツを掴んできた、自分の中では成長してきたなという感じはあります。
AKI:それは、どの辺りで感じているんですか?
松本:テクニックも整備もですね。デビューしてからの4、5年間くらいは間違った事を繰り返しやって時間を潰してしまった。
元々、オートバイは乗っていたので、未経験者と比べると乗ることに関しては出来るんですが、以前のバイク競技の乗り方から脱出することが出来なくて。なので、自分の中ではデビューしてから4、5年間は全く成長してないんですよ。成長してきたのはここ2、3年。
自分では滑らせない様に走っていたつもりだったんですが、いろんな人に「滑らせるな」と言われ続けていて。ある日、貢さん(伊勢崎22期・高橋貢選手)が練習で後ろにつけてくれて、練習後に挨拶に行くと「滑らせてたねー!!」なんて言われて。「え!?」となりました(笑)自分では一ミリも滑らせて走ってるつもりはなかったんですが、それが大きなキッカケだったかもしれませんね。
それから、根本的に何かが間違ってるんだろうなと思って、考え方というか違うんだろうなと。普通のオートバイって加重、Gですね。遠心力を抜かずに走る、エンジンの回転が下がってきたらアクセルを開けるというのが普通で子供の時からの習慣でした。なので、加重をコントロールして走るというのを身体が許してくれないんですよ。受け付けてくれない。それに気付いて、矯正しなきゃダメだなと、1からだなと思った。
そして、浦田さん(飯塚23期・浦田信輔選手)に言われたことなんですが「やすしは直線を直線として走らなきゃダメだよ。」と言われて。もちろん直線も多少は遠心力がかかるものなんですが、自分は遠心力がずっとかかったまんま走っていたんです。その感性が分からないとオートレースは出来ないと思って、今はそういう考えで乗っています。
AKI:子供の時からバイクに乗っているとメリットはもちろん、デメリットもあるんですね。
松本:経験者のデメリットはかなり大きいと思います。特に、前の競技が上手い人こそ。よりオートバイで仕事をしていた人こそ、加重のコントロールが身体に染み付いているので、それが物凄く邪魔をしますね。けど、「オートレース」をしないと強くはなれないんだと思います。染み付いた物を抜くっていうのは本当に難しいんだなと思いました。ただ、モトクロスは違うのでまだ素直に習得できると思います。修佑もそうだし、今は上手く乗れてるなと思います。
AKI:泉田選手の追い上げ、負けないようにしないとですね。
松本:それはもちろん。望むところです(笑)
AKI:ランクがS級からA級に下がってしまいましたが。
松本:エンジンの作り方が安定してきたのがここ数ヶ月。自分は重量級なんでエンジンのパワーを求めていかないといけないんですが、それが噛み合わないと事故が多くなってしまって。今回はマイナスのポイントが多すぎて。ダントツのブッチギリでした。成績自体は悪くはなかったんですが、それでランクが下がったんだと思います。
AKI:なにか、変化のキッカケはあったんですか?
松本:人を落としてしまって、その時にエンジンの合わせ方も変わってきたというか。パワーだけではダメと気付いてきた。軽い人見てると羨ましいなと思いますね。宏和(浜松32期・鈴木宏和選手)とか雑なエンジン作ってても何とでもなっちゃうってところがあるから(笑)車が進む。少し足りなくても何とかなる。けど、重量級は少し足りないと動かない。ただ、パワーを出しに行くと他が悪くなっちゃう。荒くなったりと。パワーが少し足りないので良ければまあまあいいエンジンは作れると思います。けど、それは軽い人しか動かないエンジンだから。金子さん(浜松29期・金子大輔選手)も重量級ですが、凄く整備して動いていますし、早く自分もあんな風になりたいですね。整備はまだまだ課題ですね。苦労しますね。
AKI:スタートは経験者だからこそのメリットってありますか?
松本:スタートに関しては経験者だから速いというのはあると思います。恐怖感がないので思い切って切れます。空回りをしたり、浮いたとしても対処が出来る。これは、経験者として有利な部分ですね。
AKI:この前、SG予選道中で初めての1着がありましたよね。
松本:はい。オートレースでの乗り方が出来てエンジンが活きてくる。今までは、周りの人が良いエンジンと言っても、自分の乗り方がオートレースに合ってなかったので良くなかったんですが、ようやく合ってきました。SGでの1着は嬉しいですね。
AKI:今後の目標はなんですか?
松本:選手をやってるからには1億円プレイヤーは目指したいですね。そういう気持ちはあります。自分は子供の頃からレースしかしてなくて普通の事が出来ないし向いてない。レースは苦しいし戦うということは緊張もするけど、1億円プレイヤーになってやろう、とか、圭一郎(浜松32期・鈴木圭一郎選手)に勝とう、とか思いながらレースをする事は楽しいしワクワクします。やっぱ志を持って選手をやっていきたいです。
AKI:同期は刺激になってますか?
松本:もちろん。やっぱり圭一郎がいるから今の自分もいるし、恭佑(伊勢崎32期・吉原恭佑選手)が頑張ってるのを見ると嬉しいし悔しいし。悔しいっていうのは負けて悔しいではなくて、俺もあそこで戦いたい!ていう感じの悔しさです。なので、同期と一緒の優勝戦とかは楽しいです。同期と一緒にグレードレースの優勝戦には乗りたいですね。ワクワクしますね。同期には良い刺激をもらってますね。
あと、歳をとって簡単なことで気持ちが動かなくなる。なので、自分でワクワクすることを見つけていかないといけないとも思っています。そして、父親になって(1歳7ヶ月のお子さんと、1週間前(取材日11月7日)に2人目が生まれたそうです。)子供に対しての自分がありたい父親をやっていたい。なんかある時に背中を見せれない。そういう気持ちは強いと思います。
AKI:お子さんが生まれて変わった部分もあるんですね。
松本:歳取って弱りかけていた部分を、子供が生まれたことで復活できたなという感じはある。子供に背中を見せるためにも気は抜けないし手は抜けない。そして、自分の為にも頑張りたい。人間らしくもいたいし、ちゃんとしていたいです。それに、こんなにもワクワクする職業はないし良い仕事だと思います。選手であり続けたいです。
AKI:それでは最後に、オッズパークの会員の皆さんへメッセージをお願いします。
松本:車券の対象としての選手として見てもらうことは当たり前なんですが、ひとりの人間として選手みんな頑張っています。中々、ミスも多く人間臭い部分がありますけど、常に全力でやっているので応援してもらえると嬉しいです。これからも、よろしくお願いします。
福岡県宗像市出身のタレント。福岡でテレビ番組やイベントMCなどで活躍中。飯塚オート3代目「勝利の女神」。飯塚オートでは、AKIのAKIらめない予想やバスツアーなどを開催。川口オート、伊勢崎オート、浜松オート、山陽オートでもイベント出演中。
小学校4年生からのバイク人生を振り返って頂きました。今年は目標だった通算100勝は達成したもののまだ優勝がない片野利沙選手(川口32期)です。
初優勝への決意を聞いてきました。
インタビュー / 内野久照
内野:ご出身は?
片野:千葉県市原市です。
内野:どんなところですか?
片野:レジャーにもってこいの街です。海はあるし山もあるしディズニーランドは近いしアクアラインで横浜もすぐそこだし東京も近いですから住みやすくて便利な所です。
内野:台風被害はどうでしたか?
片野:私が住んでいる所は台風19号の影響はありませんでしたが15号では風が強くて怖い思いをしました。停電になり電気のない生活を体験しました。電気が使えない事がこんなに大変なんだなと感じました。被害に遭われた方々にお見舞い申し上げますとともに早期の復旧を願っております。
内野:バイクはいつ頃から乗っていたのですか?
片野:両親がバイクに乗っていました。お母さんがモトクロスでお父さんはミニバイク経験者です。
小学校4年生の時、親がポケットバイクを買ってくれ、そこから私のバイク人生が始まりました。初めて体験した時は乗れなくて悔しかったです。下校の時間にお母さんが学校まで迎えに来てそれから片道1時間かけてサーキット場に向かいました。宿題よりもサーキットでしたね。ポケバイを夜まで乗っていました。
人と走るのが好きになりました。
レースもすぐに好きになり負けた時は凄く悔しかったです。泣いた事もありました。
週に4回程通っていましたがバイクに乗る事は楽しかったです。
中学校からはミニバイクに乗り高校からロードレースです。ロードレースアカデミーに入り国内ライセンスを取得しました。その時の同期に圭一郎(浜松32期・鈴木圭一郎選手)がいました。レディースロードレースや男女混合レースに何度も出場しました。
高校卒業してからは国別対抗アジア選手権を走りました。タイ・台湾・インド・日本で走りました。海外レーサー達との交流は凄く良い経験になりました。
その後は日本で地方選手権を走っていました。練習でサーキットを使うのにお金がかかりタイヤ代等もかかるので働きながらバイクを続けていました。
内野:どのようなお仕事をされていたのですか?
卒業後はバイクショップに勤めました。主にネット販売をしている会社で仕入れたバイクのエンジンをバラして洗ってインターネットにアップしていました。冬場は寒くて冷たくて辛かった事を覚えています。
社長さんが女性の方でレースの時は融通を利かせてくれて応援してくれました。
内野:オートレーサーになったきっかけを教えて下さい。
片野:オートレースの存在は中学校の頃から知っていました。
オートレースの受験がある事をロードレースのチームの監督さんが教えてくれました。一般で受けて1回で合格しました。受かると思っていなかったので凄く嬉しかったです。
初めてオートレースを見たときはこんなコースで走るのだとオーバル走路にびっくりしました。金網も近いしクラッシュパッドが無い事にも驚きました。
内野:養成所ではどうでしたか?
片野:全然乗れなかったし整備も上手く出来ず岡谷さん(浜松32期・岡谷美由紀選手)に助けてもらっていました。ゆうくん(飯塚32期・佐藤裕児選手)やひろかず(浜松32期・鈴木宏和選手)友ちん(浜松32期・中村友和選手)にも助けてもらったな...同期は本当に仲が良いんですよ。
最初は同期の中で下の方だったけど年が明けてからは整備よりも乗る方が多くなって最終的には一番上のクラスで練習していました。
内野:デビュー戦は?
片野:圭一郎とヒカル(川口32期・中山光選手)が1着だったのに自分は2着で悔しかったです。
初勝利は9走目の川口でした。少し濡れていたコンディションでしたがデビュー初勝利は嬉しかったです。
内野:あこがれの選手はいましたか?
片野:船橋の所属でしたので永井大介選手(現川口25期)・中村雅人選手(現川口28期)・青山周平選手(現伊勢崎31期)はあこがれでした。お会いした時にすごく緊張した事を覚えています。その時に船橋に入れて良かったと思いました。船橋オートは私にとって特別な場所ですし、無くなって寂しいです。忘れた事はありません。
内野:選手になってバイク経験者のご両親はなんと?
片野:お母さんは『なんで雨だと乗れないの』『どうしたのあのレースは』みたいに結構言ってくるんですが、何かと心配してくれています。(笑)
内野:それでは32期恒例の同期を家族に例えて頂きます。
父 やっしー(伊勢崎32期・松本やすし選手)
母 りえさん(伊勢崎32期・藤本梨恵選手)
この二人は養成所からそんな感じでしたよ。(笑)
兄ですか...皆がお兄さんでした。
姉は岡谷さんです。頼ってばっかりでしたから。
弟は怒られるかもしれないけど長田(山陽32期:長田恭徳選手)です。弟っぽいですからね(笑)
妹はもえ(元浜松32期・岸萌水さん)ですね。いつも一緒にいましたから(笑)
ペットは友ちん(浜松32期・中村友和選手)です。ワンちゃんみたいだし忠実だしいつも元気ですしね。
内野:引退された益春菜さんの存在は?
片野:マスさんの存在は大きかったです。心強かったです。川口に移動してからロッカーが前になり宿舎は一緒だったので色々と話を聞いてもらったし夜遅くまで沢山話をしました。
内野:佐藤摩弥選手(川口31期)の存在は?お互い何と呼び合っているのですか?
片野:『マックス』と呼ばれています。私は『まやさん』と呼んでいます。
「佐藤さんでなくて良いよ」とまやさんに言って頂きました。
「同級生なのでまやちゃんで良いよ」とも言って頂きましたが、そこは先輩後輩の関係なので『まやさん』と呼んでいます。
プライベートでも仲良くしてもらっていて、開催前や開催後と美味しい物を求めてお店を探したり、癒しを求めて一緒に遊びに行きます。
まやさんは憧れの先輩ですし居てくれるだけで力になります。自分のレースを毎回見てくれてアドバイスしてくれる優しい先輩です。まやさんからは一緒に記念回りたいねと言われているので、現ランクA151よりランクを上げられるように頑張りたいです。
内野:マックス以外のニックネームあだ名は?
片野:『リサマックス』『リサマー』です。佐々木敏夫選手(川口14期)には『リサッチ』と呼ばれています。同期からは『リーちゃん』それと普通に『リサ』ですね。
男性の方は『リサ』と呼び辛いのでしょうね『リサマックス』『マックス』が定着しています。(笑)
内野:皆さんに愛されているのが伝わってきます。車名の『リサマックス』は?
片野:車名の『リサマックス』は『コヤマックス』から頂きました。『コヤマックス』とはロードレーサー小山知良(こやまともよし)さんの愛称です。
誕生日と血液型が私と同じで海外のGPで活躍していたレーサーです。体は小さいのに大きなバイクを乗りこなし操るので尊敬しています。もちろん『リサマックス』は本人了承済みです。
内野:他にも色々聞かせて下さい。1日の中で必ずする事は?
片野:朝一番に朝パックします。女子ですから...。寝る前には本を読んで寝ます。
内野:レース場に必ず持って行く物はありますか?
片野:腰を痛めてからはぐっすり眠れるように宿舎にマットレスをいつも持って行きます。
内野:ペット・ウサギちゃんの事も教えて下さい。
片野:名前は『むぎ』です。『むぎ』はペットショップでロップイヤーに踏み潰されていましたがこの子強いなと思い即決しました。一目惚れして飼うことにしました。運命ですね(笑)
口元が可愛くまつげが黒くて長くて美人さんです。全部が可愛いです。こねくり回しています。人参は嫌いです。バナナが好きな6歳の女の子です。
休みの日はいつも『むぎ』と遊んでいます。
内野:好きな野菜や果物・嫌いな物も教えて下さい。
片野:好きな野菜はシシトウです。焼いて食べます。完全にのんべーでしょう。
嫌いなものはトマトです。体が受け付けないです。
果物はイチゴが好きです。砂糖で食べたり練乳も好きです。美味しいですよね。
またイチゴ狩りに行きたいです。
嫌いな物はスイカです。苦手です。
内野:好きな男性のタイプは?
片野:男性は雰囲気です。顔じゃないですけど顔も見ますね(笑)話してみて仲良くなってそれからですね(笑)
芸能人でタイプは堂本光一さんですが聞く音楽はKポップです。(笑)
内野:SNSに楽しくお酒を飲んでいる写真がUPされていますが?
片野:好きなお酒はレモンサワーです。何杯でも飲めますよ。家ではいいちこ焼酎ばかり飲みます。ポッカレモンと炭酸水を混ぜてレモンサワーを作ります。
内野:料理はされるのですか?
片野:料理はクックパッドを見ながらですがやります。簡単な物が多いです。お酒のあてを作ります。はんぺんを焼いてバター醤油はおすすめです。美味しいですよ。野菜炒めも作ります。全て酒のつまみです。
最近は釣りをするので自分が釣った魚を自分で捌いて食べるのですが美味しいですね。
内野:食べるのが好きなんですね。おすすめのお店を教えて下さい。
片野:東京の『みやらびさん』です。沖縄料理のお店です。沖縄料理にはまっています。
内野:レースの話に戻りますが思い出に残っているレースは?
片野:新人王決定戦ははっきり覚えています。自分が滑らせて圭一郎にやられて準優勝でした。優勝を逃したので凄く悔しかったです。
内野:今年はここまで振り返っていかがですか?
片野:今年は100勝出来ましたがこれまで優勝がないので、もう残り少ないのですが優勝目指して頑張りたいです。
お世話になった方はもちろんですが応援して下さっている方が多いので早く優勝したいです。
内野:今の課題は何ですか?
片野:コーナーの向きを変えるのが上手ではないので練習です。捌きもまだまだですので頑張りたいです。
内野:好きなレース場・嫌いなレース場は?
片野:好きなレース場は伊勢崎です。ナイターが好きです。昼間だと浜松が好きです。夏場の川口の昼間は苦手です。熱走路が好きじゃないです。冷えると良いですが...。
内野:ライバルは?
片野:ライバルは特に誰とは意識していませんが、今日対戦する番組のメンバー全員がライバルです。
負けたくない選手はと言われたら同じ整備グループの川口26期の黒岩明選手・川原剛選手です。(笑)自分の癖を知っているしお世話になっている2人なので勝ちたいですね。
内野:片野選手といえばオレンジ。イメージカラーですね。
片野:身に着ける物に関して全てオレンジを意識しています。ツナギもそうですしヘルメットも練習着も全部オレンジです。小学4年生の時からオレンジですね。ポケバイもミニバイクもロードもずっとオレンジでした。ガソリンタンクとフェンダーは同郷の千葉県出身浜松29期金子大輔選手に頂いたものを4年以上使っています。こちらはオレンジではありませんが何回も転んだけど強いので今でも使っています。
内野:片野選手の調子はどこを見たら良いですか?
片野:もちろん試走タイムです。ただ出るタイプではないです。
試走出ていたらエンジンは出ていると思って良いです。
前に言われた事があるのがリサの試走3.36は試走が出る人の3.33に匹敵する。
だから3.33なんて出たら相当良いですよね。
後は位置ですね。スタート位置が重要です。抜け出して逃げる事が出来そうな位置であれば良いですね。逃げるのは好きです。
内野:片野選手にとってオートレースとは?
片野:小さい時からバイクに乗せてもらって、その大好きなバイクでレースをさせてもらってお金を頂ける事が恵まれています。オートレースを職業に出来た事は本当に良かったです。
内野:オッズパークを御覧の皆様へメッセージをお願いします。
片野:いつもご迷惑お掛けしていますが車券に絡むように頑張りますのでこれからも応援宜しくお願いします。
MCうっちぃ!こと内野久照 オートレース歴16年。好きな選手は浦田信輔選手。現在飯塚オートでMC、山陽オートで実況を行っています。年間約180日間選手ロッカーに潜入し取材もこなすMCです。オートレースを盛り上げたくFBでは飯塚オート盛り上げ隊、Twitterではオートレース盛り上げ隊にてロッカーフォトや選手情報配信しております。 最近では場外車券売り場にてオートレースの解説予想を披露し自腹車券勝負に挑んでいます。オートレース大好き九州男児が展開する魂の大胆予想にご期待下さい。
川口所属の33期。モトクロスからの転向選手。しかし、モトクロス時代は速くなくファンもいなかったとのこと。しかし、オートレースの世界ではデビュー2年目で既に最重ハンデで戦う、今後が楽しみな選手の一人です!今回は、モトクロスからオートレースへの転向のキッカケ、今後のことなどお聞きしてきました。
インタビュー / AKI
AKI:オートレーサーになろうと思ったきっかけはなんです?
泉田:松本やすしさん(伊勢崎32期)のデビュー戦を観てからです。モトクロスをやっていたんですが、やすしさんはチームの先輩でモトクロスを教えてもらっていました。それまで、オートレースの事は全く知らず、やすしさんが養成所に入ると聞いた時もオートレース自体には興味がないと言うか...特に気になりませんでした。チラッと見た時に肩当てがカッコ悪いなとも思いましたね(笑)その後、やすしさんのデビュー戦を見に行って、そこで初めて生のオートレースを観ました。その時に、「めっちゃかっこいい!」と思ったんです。まずは、スタート。モトクロスは30台横一列でスタートするんですが、オートレースはハンデがあり、バイクの音が凄かった。あと、後ろからどんどん追い上げてくる感じ。「同じバイクじゃないの??」と思ってビックリしました。で、そこでオートレーサーになろうと思いました。モトクロスは将来を考えると厳しい面もありました。自分は元々速い方ではなかったし、全日本などタイトルを取ったりとかもありませんでした。特に将来を考えてる訳ではなかったけど、若いうちにオートレースに出会えて良かったと思います。
AKI:モトクロス時代はそこまで成績は良くなかったという事ですが、オートレースの成績は御自身でどう感じていますか?
泉田:既にオートレースの方が全然良いです。転向して良かったです(笑)ランクもA-126からA-34と一気に上がりました。記念に回れるようになってポイントも入るし、SGで1着取れたりしています。ただ、SGで1着取れたのはビックリしました。「え?」「おぉ。」という感じです(笑)
AKI:今年に入って初優勝を飾り、2度目の優勝もありますが、振り返っていかがですか?
泉田:S級がいない開催を狙って(笑)優勝することが出来ました。初優勝の時は泣きそうになりました。優勝する前に同期がぽんぽんと優勝していて自分は置いてかれてる感半端なくて。だいぶ焦ってましたね。それまで、優出は出来ていたんですが、優勝戦は2着とか3着で。ぎりぎり勝てない。それで、ハンデだけ下がってただ勝てなくなっていくだけで。もうこのままだと、一瞬ですが優勝は出来ないかも、と思っちゃいました。同期の花田(花田一輝選手・浜松33期)も同じ感じでなかなか優勝出来ず、「優勝賞金いらないから優勝したいよね。」と二人で話していました。二人とも優勝できて良かったです。そして、初優勝した節は自分の師匠山田さん(山田徹選手・川口24期)の師匠である松尾さん(松尾俊夫元選手・川口12期)が引退する節で。その節に優勝出来たのもタイミングが良かったです。
2回目は必死過ぎて。1回目の優勝とは違いましたね。その節は毎日12Rの8号車で、プレッシャーで具合が悪かったです(笑)プレッシャーにめちゃくちゃ弱いです。予選道中は特にダメですね。といっても、漏れ戦でも1着取りたいなと思うので緊張します(笑)力が入ります。
AKI:現在はSGまわりも始りましたが、SG開催はどうですか。
泉田:他の開催とは全然違いますね。朝起きてから夜ロッカーを上がるまで、雰囲気が全然違います。黙々と整備をする人が増えるし、ロッカーも静かです。最初、練習参加した時はビビりました。自分たちは練参なんでいつもと変わらずなんですが、周りの空気感に圧倒されました。ただ、自分がSGに出れるとなった時は嬉しかったです。初めて出たのがオールスターでファンの方に投票してもらって出れたので。自分でも出れるんだと。自分のタオルを作ってくれる方もいて、応援してもらえてることが嬉しく芸能人になった気がします(笑)モトクロス時代は強くなかったので、大きな大会に出ても全然遅く、ファンとか以前の問題でした。速い選手は沢山応援してもらって「いいなぁ」と思っていました。羨ましいなーとそればっかり。けど、今は自分を応援してくださる方が出てきて、「応援してもらうってこんな感じなんだぁ」とまだ不思議な感覚です。
AKI:SGではスタート決めて1着というレースもありましたが、ご自身でスタートはどう感じていますか?
泉田:スタート速いとは言われます。ただ、オートレースのクラッチは難しいですね。モトクロスはクラッチが中に入ってる湿式というタイプなんですが、オートレースは外に出てる乾式というタイプのクラッチで乾式の方が難しく感じます。切りずらいですね。切れているとは思うんですが。あとは、時計が見えてないです。この人より先に行かないとと思うと特に焦ってしまいます。川口のSG準決勝戦も、朝練で先輩にスタート行かれて、「レースは先に行かないと!」と思っていたらフライング切ってしましました。毎回そうなんですよ。SGの準決2回中2回フライングを切りました。2回とも自分じゃないと思っていた。そしたら、自分が赤灯で。「どんだけみんな速いの?」と思いました。タイミングは先に行ってるのに負けてる。準決の壁厚いですね。
AKI:課題はなんですか?
泉田:まずは、整備です。最近、整備をちょこちょこやるようにはなりました。ただ、まだまだ分からないことばかりで勉強中です。同期の花田に聞くことがあるんですが、花田は整備がうまいです。音を聞いてもらってアドバイスをもらってます。後は、乗るのが課題。追い上げる事。インからから捌く事です。1番の課題はそこですね。
AKI:目標は何ですか?
泉田:目標は、同期の黒川(黒川京介選手・川口33期)とか落合(落合巧選手・浜松33期)みたいに大きなコースを走る事。そこから上手く切り返して、綺麗なレースをしたいです。自分は、中ばっかり走ってねじり混んで捌く感じになっている。大きく走って三角切って捌いていきたい。綺麗に抜きたいです。後は、とりあえず活躍したい。このタイトルが欲しいとかよりも、まずは活躍していきたいです。あの人すごいなって、子供とかに思ってもらえるように。これは、デビュー当時から変わらずです。あ、けど、プロフィールとかの名前の横に、記念を取った印は欲しいですね!
AKI:同期の話が何度も出ましたが、同期と凄く仲が良いですよね!
泉田:仲良いですね。落合と角(角翔太郎選手・山陽33期)が同い年で特に仲はいいんですが、最近斡旋が被らないんです。一緒になったとしても整備の話はそこまでせず、訳わかんない話ばっかりですが(笑)同期とはレース前に少しオートレースの話をしたりはしますが、整備は先輩とかと話すことが多いです。師匠である山田さんの人柄がよく、派閥関係なくいろんな先輩にお世話になってます。これは、師匠のおかげです。可愛がってもらってます。
AKI:デビューして丸2年が経ちましたが、改めて振り返っていかがですか?
泉田:成績もランクも上がってきて、優勝も出来て、SG戦もとりあえず準決まで行けて、流れは悪くないと思います。そして、人間的にも成長したと思います。モトクロス時代はレース後に一言も喋らないとか、不機嫌になる事もあったんですが、怒っても変わらないと思えるようになりました。不機嫌を表に出さず頑張れるようになりましたね。すこし大人になったのかな(笑)
AKI:それでは最後に、オッズパーク会員の皆様にメッセージをお願いします。
泉田:赤灯が光っても全力で走ります!!!!これからも応援お願いします。
最後の質問は、「これすごく大事ですよね!ここファンの方しっかり見ますよね。なにか面白いこと...」と色々考えたり、同期と話し合っていました(笑)同期にSGのフライングをいじられて結果この答えに(笑)結局無難になっちゃいました(笑)と仰っていました(笑)
福岡県宗像市出身のタレント。福岡でテレビ番組やイベントMCなどで活躍中。飯塚オート3代目「勝利の女神」。飯塚オートでは、AKIのAKIらめない予想やバスツアーなどを開催。川口オート、伊勢崎オート、浜松オート、山陽オートでもイベント出演中。
ボクシングで培った精神力で女子レーサーナンバー1を目指す伊勢崎32期・藤本梨恵選手。
ハングリー精神でストイックに自分と向き合い戦い続ける彼女にお話を聞きました。
インタビュー / 内野久照
内野:飯塚オートへ入る前に勝ち運を求めてドライブに行った記事を見ました。
藤本:はい!今回は福岡県篠栗町の南蔵院と福岡県浮羽町の浮羽稲荷神社に行ってきました。御朱印ガール(飯塚オートリポーターAKIちゃん)を誘って祈願してきました。勝負事なので勝ち運を求めてパワースポットにはよく行きますよ。
内野:これまで勝負にこだわってこられたと思います。ボクシング時代の事から聞かせて下さい。
藤本:はい。ボクシングの前からお話しすると中学・高校と6年間はバスケットボールに青春を捧げました。
高校は日本女子体育大学付属二階堂高等学校バスケ部のキャプテンでした。土屋太鳳ちゃんの出身高です。太鳳ちゃんは後輩ですよ(笑)
キャプテンをやって人を動かすというか人をやる気にさせるというのは難しかったです。
その時思った事はチーム競技より個人競技の方が自分には向いていると思いました。
内野:バスケからボクシングですか?
藤本:バスケットを引退して次は何をしようかなと考えました。また何かに打ち込みたいなと思っていました。
18歳から始めてもトップを目指せる物は何か?そしてプロ選手になれる競技という事でボクシングを選びました。
自らプロになりたいですとボクシングジムを尋ねました。
年に3回程の試合を行っていました。
リングネームは『藤本りえ』で、愛称は『りえ坊』。入場曲はジャネットジャクソン『ALL FOR YOU』でした。
1ラウンド2分の4ラウンド制や東洋の試合は10ラウンド制で戦っていました。生きるか死ぬかという気持ちで試合に挑むので気持ちは常に入っていました。
18歳からはボクシングに人生を捧げていましたね。世界チャンピオンになる目標を掲げそれに向かって毎日トレーニングに励みました。
試合が決まると対戦相手のビデオを見て研究します。恨みがある訳じゃないけど恨むみたいな感じになってぶっ倒すという気持ちになりますね。
リングに上がる前・試合の入場前は吐き気も出て凄く緊張したのを覚えています。
その時代はまだ女子ボクシングはマイナー競技でしたが最年少女子プロボクサーとしてデビューする事となりましたのでデビュー戦は話題にして頂きました。
内野:ボクシングで大変だった事は?
藤本:ボクシングではもちろん減量が厳しかった。
58kgから50.8 kgまで落とします。約1ヶ月の間です。
走るのと食事制限をします。試合の直前に水抜きをします。方法はサウナです。やり過ぎると脱水状態になります。
直前にやらず早めに水抜きをすると、体自体が小さくなってしまいます。体を小さくせず大きいままで体重を落とす事は難しく厳しかったです。
計量をパスすると沢山食べるのですが胃も小さくなっているので急激に体重を戻す・増やす事は出来なかったです。他の人の中には5kg増える人もいました。
内野:プロボクサーの現状はどうだったのですか?
藤本:年に3回の試合だけでは食べて行けないです。
ファイトマネーも金額的に多い訳ではなかったです。18時からボクシングジムでのトレーニングがあるので16時17時ころまで毎日アルバイトをしていました。
アルバイトでリフレッシュ出来るようにあえて幾つも掛け持ちしました。
ボクシングの試合をする為にチケットも売らないといけないので売る為に人脈作りもしました。おかげで沢山の方に応援して頂きました。
皆さんの応援のおかげもあって日本チャンピオンに2回なりました。フライ級とバンタム級です。女子東洋太平洋スーパーフライ級王者にもなれました。
内野:どんなタイプのボクサーでしたか?
藤本:ガードをしない訳ではないけど打たれたら打ち返すといった感じでいつも壮絶な打ち合いになっていました。
殴られた時は『このやろー!やってやるー!』という気持ちになるし毎回『くっそー』って思いますよ(笑)
殴り合いなので怪我が絶えなかった。鼻は折れるし眼底骨折した事もありました。
試合が終われば顔は凸凹になりましたよ。
内野:ボクシングを引退されてからは?
藤本:ボクシングを引退してからは生きる希望を失ってしまった。6ヶ月間は抜け殻になりました。まさしく『あしたのジョー』状態です。病んでいたのかもしれません。
周囲から次は何するのと聞かれることが多く逃げるようになりました。あの時は人を避けて生きていました。
そんな中次に打ち込める事を探しました。女子ラグビーや競輪も考えましたが29歳から始めて長くやれる事、選手寿命を考えてマシンスポーツだなと思いオートレースを受検しました。
個人競技は自分次第。やればそれだけ返って来る。やらなければ結果に繋がらない。
自分が頑張れば頑張った分結果に繋がるから個人競技が面白いと思いました。
自分は年齢的にも上だったしバイク経験者でも無かったので受かった時は本当に嬉しかった。生きる希望が見えました。
32期同期は女子が5人いたけど益(益春菜元選手・川口32期)と岡谷(岡谷美由紀選手・浜松32期)、私藤本は年齢が近かったので3人でよく居ましたね。仲良かったです。
利沙(片野利沙選手・川口32期)と岸(岸萌水元選手・浜松32期)はいつも2人で居ましたので2グループになってたかな...
養成所は地獄でした。
常に不安でした。遅かったし出来なかったので卒業出来ないのではないかと不安だらけでした。
教官に『お前たちがダメだったら次の女子採用に影響が出るからな』というような事も言われました。
私はここで終わらせる訳にはいかないと思い気持ちを入れ卒業に向かいました。
内野:伊勢崎所属となりましたね。
藤本:当時あこがれの選手がいないというかオートレースの選手を知らなかったので貢さん(高橋貢選手・伊勢崎22期)チャンピオン・絶対王者がいる伊勢崎を希望しました。
家からは川口が近かったんですが、ボクシングジムもチャンピオンがいるジムは空気が違うし皆の周りの意識が高いです。
だからそういう環境でやりたいたいなと思いました。
内野:デビュー戦は?
藤本:デビュー戦はぶっちぎりの8着でした。試走が出なさ過ぎてレースに参加する事も出来ず一人で走っていた感じでした。ダメ過ぎて悔しい所まで感情が到達していなかったです。情けない気持ちで一杯でした。
女子選手デビューという事もあり何人もの記者さんから取材を受けましたが何を話して良いか分からなかった。その後成績は伸びず周りが大丈夫だろうか?クビにならないかと心配もしてくれました。
内野:ここまで幾つもの苦労があったのですね?
藤本:今、こうして頑張れるのは周りの先輩たちのおかげです。
色々とアドバイスを練習時はもちろんレース後にも的確に教えてくれました。
私は器用ではないので折れない心を持ち続けました。気持ちだけは折れないようにしてきました。簡単に結果は出せないのでこれからもコツコツやって行く事だと思っています。
練習の回数は人より行きました。同期が次行かないのであればもう1本自分は行くように心がけています。
今は新人の子もどんどん入ってきて自分も良い刺激になっています。
内野:体力面はどうですか?
藤本:オートレースで気を付けている事は体幹を鍛える事と太らない事ですね。
食事制限とランニングです。バランスを整える器具も使っています。
内野:ボクシングとオートレースの違いは?
藤本:ボクシングよりオートレースの方が感情のアップダウンが無いですね。
オートレースでは緊張しないと言うと何か悪く取られるかもしれないですが2分間のレースで一喜一憂している暇はないという事です。
すぐ次の事を考えないといけない。良くてもダメでも明日のレースの事を考えて行く。
落ち込んでいる暇などなくすぐ切り替えないといけません。
内野:ロッカーではゆっくり休めないですね?
藤本:息抜く暇はありません。まだまだひよっ子ですから...。
内野:初優勝のお話を聞かせて下さい。
藤本:初優勝は伊勢崎の雨でした。20m前での優勝でした。
展開も作れて天気も味方してくれて優勝する事が出来ました。
内野:印象に残っているレースは?
藤本:凄く印象に残っているレースは年末のスーパースターフェスタです。晴れでの8周戦でした。準決勝戦からハンデが下がりましたが結果を残す事が出来て優勝戦に出場する事が出来ました。エンジンが良ければ自分も大舞台で戦えるんだと手応えを感じたシリーズでもありました。自信に繋がりました。
ただ年明けからハンデが重化し苦しいレースが続きました。
これまで逃げていただけで人を捌いていなかったので10m前のハンデ位置で苦労しました。成績を残せたのは逃げて結果を出しただけで捌いていないという事でした。
ハンデが重化すれば捌きを磨かないとレースに参加できないです。
10m前の選手はスタートも早いし捌きもあるので20m前の位置とはレースがまったく変わってしまいました。捌く難しさを痛感した位置でした。
内野:今年2019年はこれまでいかがですか?
藤本:以前までは波が大きくて良かったり悪かったりと差が激しかったけど、前よりもエンジンを崩す事無く整備も少しずつ分かってきました。これも私を見離さなかった周りの先輩のおかげです。コツコツとやって来た事がここ一年くらいようやく結果が出てきたかなと思っています。
内野:もう一度優勝を?
藤本:もう一度優勝したい気持ちはもちろんありますが...。
今、優勝してハンデが重化・下がった状態でまた同じように苦労するのではなく20m前だけどこの位置で確実に前を捌くという事を課題にしています。
逃げて勝つのは勿論ですが前に人がいる状況であっても3人4人が居ても捌いて先頭に立つ事です。前に出たい。捌ける様になりたいです。
『人を抜く人を捌く』が今の課題です。
内野:恒例になっています。同期32期を家族に例えて頂きます。
藤本:家族ですか...
父親はやっしーでしょう。(松本やすし選手・伊勢崎32期)解っているでしょう(笑)
母親は私ですね(笑)
養成所で父さん母さんと呼ばれていましたから。もちろんふざけてですよ。
姉は岡谷美由紀ちゃん。仕事も出来るし頼れる存在です。
兄は吉原です。(吉原恭佑選手・伊勢崎32期)地元の同期なので凄く頼りにしています。
弟は長田です。(長田恭徳選手・山陽32期)弟っぽいし子供っぽいというと怒られるかな...。
妹は岸萌水元選手。生粋の甘え上手です。
ペットは利沙でしょう。完全に利沙。32期のマスコットです。
内野:自分の性格を一言でいうと?
藤本:お調子者かな...違うかな...何か自分が今良く分からないですが...
う~ん!人を気にしすぎる所があるかな。人の目を気にしてしまいますね。良く言えば気が利くのかな?自分をもう少し持ちたいかなと思います。
人を楽しませるというのはやっしーの教えです。私は私で良いでしょう!と思えるようになりたい。
内野:ルーティーンはありますか?
藤本:一杯あり過ぎて困っています。
内野:必ずレース場に持って行く物は?
藤本:クッションタイプのマッサージ機です。もうおばちゃんなので背中が痛くなるのです。体が持ちませんのでマッサージ機は必需品です。
内野:好きなレース場は?
もちろん伊勢崎ナイターです。走りやすいしエンジンを合わせやすい。
大好きな場所です。地元が大好きファンも大好きです。
内野:苦手なレース場は?
山陽オートが苦手です。走る機会が少ないので合わせにくいです。
内野:レースではどこでスイッチが入りますか?
藤本:ピットの中で係の人が『フライング・周回誤認のない様に。宜しくお願いします。発走です。』と声がかかり選手8名が立って『宜しくお願いします。』言って階段を上がって行く時にスイッチが入りますね。
『よしっ!』と気持ちが入ります。
内野:大事にしている言葉?
藤本:『負けない』です。相手にもそうだけど自分に負けたくない。自分に負けない事が一番大事な事だと思うから!
内野:休みの日の過ごし方は?趣味は?
藤本:今は行けていないけど何かと言えば釣りと神社巡りと温泉です。
内野:賞金は何に使っていますか?何か買いましたか?
藤本:賞金は貯金しています。
内野:料理はしますか?
藤本:実家ですけど普通にご飯は作ります。
和食中心ですが基本何でも作りますよ。
あっ!得意料理ではないですが私が釣った活き造りは美味しいですよ(笑)
釣りが好きなので自分で釣って自分でさばきます。
自分で釣った魚が一番美味しいです。これまで肉派だったのですが釣りをするようになって魚が好きになりましたね。
内野:果物は何が好きですか?
藤本:ぶどうが好きです。皮ごと食べられる物が好きです。コストコの『グリーンシードレスグレープ』が大好きです。
内野:野菜だと何が好きですか?
藤本:ヤングコーンです。食感が好きですね。
最近は血糖値が上がるのが嫌なので血糖値GI値を意識してかぼちゃと人参は食べなくなりました。
内野:藤本選手にとってファンとは?
藤本:まぁ暖かいですよね。数少ない私のファンの方が名前入りのタオルを掲げて応援してくださっています。いつも目に入ってきます。
内野:これから女子選手がもっと増えると思いますが?
藤本:女子選手が増える事は良い事です。レースで女子戦があるけどメンバーがほぼ同じなので、これから女子レーサーが増えれば女子戦がもっと出来るので良いですよね。色んなメンバーでやれたら盛り上がりますね。
その為にも私自身も頑張りたいと思っています。
内野:年末の女子戦『スーパースターガールズ王座決定戦』について
藤本:もちろん女子王座・女子ナンバー1に輝きたいけどそれだけに集中して失敗して残りの4日間を無駄にはしたくない。女子同士だと気持ちが入りすぎるので事故なく気持ちを抑えて参加したいです。
内野:藤本選手にとってオートレースとは?
藤本:オートレースは今の私の生きる希望というと大袈裟かもしれませんが今のやりたい事ですかね!オートレーサーになれて本当に良かったです。
内野:オッズパークを御覧の皆様へメッセージをお願いします。
藤本:試走が出るタイプではなく、試走が出ている時はエンジンが出ている状態なので期待して下さい。
MCうっちぃ!こと内野久照 オートレース歴16年。好きな選手は浦田信輔選手。現在飯塚オートでMC、山陽オートで実況を行っています。年間約180日間選手ロッカーに潜入し取材もこなすMCです。オートレースを盛り上げたくFBでは飯塚オート盛り上げ隊、Twitterではオートレース盛り上げ隊にてロッカーフォトや選手情報配信しております。 最近では場外車券売り場にてオートレースの解説予想を披露し自腹車券勝負に挑んでいます。オートレース大好き九州男児が展開する魂の大胆予想にご期待下さい。
飯塚所属の26期。山陽の篠原 忠次 元選手を父に持つ2世選手。スタートを持ち味とし、エンジンの状態が良くない時でもスタートで見せ場を作る。しかし、新型クラッチ導入で武器のスタートが切れない時期も。現在の状況をお聞きしてきました。そして、2017年には33期 吉松 優輝 選手(父:山陽21期 吉松 憲治 選手)を弟子に取り、師弟共に2世レーサーに。その辺りのお話もしていただきました。
インタビュー / AKI
AKI:今節(取材日:10月6日 飯塚一般開催)、車の状態はいかがですか?
篠原:うーん。今節はなんか良くないね。エンジンかな?タイヤのハネはなかったんやけど、なんか車が行ってくれない。試走タイムももう少し欲しい感じ。レースも一杯一杯やもんね。エンジンどうしようかな。キャブか電気位置か。ヘッドも開けてみようかな。
AKI:篠原選手は基本的に大きな整備をしない印象ですが。
篠原:そうだね。基本大きな整備はやらない。というか、出来んだけ。整備が得意ではない。若い時はいじったりして練習行ったりしていたけど、正直よく分からない。
AKI:それでも、成績安定!これはテクニック!!
篠原:テクニックは普通でしょ(笑)エンジンが良いだけ。
AKI:昨年は、SGオールスター優勝戦で2着もありましたよね。
篠原:そうだね。特に去年はSGの優勝戦で2着も取れたし、その時はエンジンを何も扱わなくても良かったね。
AKI:ミッドナイトで消音マフラーでの優勝がありましたが、消音も問題なく乗れている感じですか?
篠原:いや、消音はダメ。ハネが出てしまう。ミッドナイト優勝もたまたま。エンジンが合ってくれて優勝できた感じ。それに、今は去年よりエンジン落ちるかな。それとも、人間が落ちるのか。成績だけを見れば少し下降してる感じはあるね。
AKI:成績下降の原因はどこにあると思いますか?
篠原:やっぱ一番大きいのは新型クラッチ。SGオールスター2着の時はまだ旧型クラッチだった。今年の3月まで旧型が使えたんだけど、ギリギリまで使っていた。旧型の時はスタート行けてたからね。新型にも慣れてはきたけど、普通に切れているだけ。以前のように、スタートかまして展開を作る!という事ができていない。全然おもんない(笑)
AKI:篠原選手の持ち味が!!
篠原:そうやね。武器を取られた感じやね。スタート行けたらレースがかなり楽になるから新型のスタートもものにしたいけど。今の課題はそこ。一番でかいね。
AKI:エンジン自体も下降してるという事ですが。
篠原:セッティング探ってるけど...さっきも言ったように整備は得意ではないから。たまにエンジン良い時はあるけど、その良い時が短いというか、安定しない。エンジンも良くしないとね。
AKI:2017年にお弟子さん(吉松 優輝 選手)を取りましたよね!
篠原:弟子取った選手は成績が上がった人もいるけど、俺は、なかったんよね(笑)弟子取った時が調子が良かった時期でも有るし、今も悪いわけではないかな。新型のせい!(笑)
AKI:ガツガツ指導している感じはありませんよね。
篠原:そうやね。そういう指導をするタイプじゃない。自分もそうだけど、弟子のペースで。
AKI:優輝選手も2世レーサーですが、父の吉松憲治選手から息子を弟子に取って欲しいとお願いされたんですか?
篠原:お願いされたというか、元々憲治さんとは付き合いがあって、"もし良かったら。"という感じで。
AKI:2世レーサーあるあるってありますか?
篠原:親父からものをパクる(笑)良いタイヤとか。
AKI:なるほど(笑)親子だから出来る事ですね!苦労などはありましたか?
篠原:自分の時代は今より厳しかったのか、やりにくかったかな。親父と喋りたかったけど周りの目もあって喋りにくかった。親父のことを"篠原さん"と言わないといけなくて、それが嫌でレース場では喋らなかったね。今は昔ほど厳しくはないけど、弟子の優輝も親父のことを"吉松さん"と言いながら喋りにくそうにしている。2世同士やりずらさとか分かり合えるかな。
AKI:以前、トークショーで親父が目標という事も仰ってましたよね。どの辺りを目標に?
篠原:人間性やあの歳まで選手を続けていたこととか。けど、目標にするのはおこがましい。親父は整備が好きでエンジンをいつも扱っていて、自分とは全然タイプが違った。同じ歳まで現役で走りたい。けど、70歳よ。後30年...ありえんな(笑)本当に凄い。
AKI:父親はかっこいいですね?
篠原:うん、そうだね...なんか、改めて親父の話をするの恥ずかしいね(笑)
AKI:お弟子さんどんな存在ですか?
篠原:もう息子みたいな感じ。最近は、記念周り一緒に行きたいと思っています。ただ、自分も記念に出れなくなる事がない様に頑張らなね。年齢も上がってきて今後は衰えていくもんやから。
AKI:いやいや、まだ!!これからですよ!!
篠原:そう?(笑)ならこれからもウォーキング頑張るよ!
AKI:ウォーキングのお話が出ましたが、篠原選手かなり引き締まってますよね?食事は気にされているんですか?
篠原:食事はほとんど気を付けてない。お酒も飲むし。
AKI:ということは、太りにくいタイプ?
篠原:いや、昔は太りやすかったね。若い時はもっと暴飲暴食してたし。当時は体重60kgを超える事もあった。今は55kgくらい。お肉、脂身が好きだしお酒も楽しみたい。その分動くようにしています。加圧トレーニングもやってますよ。
AKI:取りたいタイトルやグレードに関しては?
篠原:やっぱりGIタイトルを取りたい。けど、とりあえず今は一般戦でもいいから優勝したい、というか優出したい。まず、今の目標はそこ。最近、子供がレースについて分かるようになってきて「全然一等ならん。」て言われる。分かる歳になってしまった(笑)最後の優勝はミッドかな。昼間で優勝してウィニングインタビューもしたい...したいけど遠いなぁ。
AKI:雨でのレースに関してはいかがですか?
篠原:最近悪くないね。湿走路の連対率も。悪い時期に比べれば乗れるようになった。けど、上には上がいる。やっぱりここでもスタート問題がついてくるね。頑張らないと。けど、頑張りすぎると空回りする。タイヤが空回る。上手くいかないなぁ。今は流れが悪い時期でもあるのかも。とりあえず辛抱の時期。今はなんとかこなして。けど、どんな状況でも食らいついきます。そして、まずは優出。土俵に上がらないと。
AKI:それでは、最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
篠原:新型クラッチになってスタートは以前のように切れてはいないけど、最後まで諦めず走ります。そして、スタートもそのうち元に戻します!これからも車券を買って応援してください。
福岡県宗像市出身のタレント。福岡でテレビ番組やイベントMCなどで活躍中。飯塚オート3代目「勝利の女神」。飯塚オートでは、AKIのAKIらめない予想やバスツアーなどを開催。川口オート、伊勢崎オート、浜松オート、山陽オートでもイベント出演中。