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追い込みは、勝負を諦めた人にはできない。|小原 太樹選手

宇都宮記念を制し、自身3度目のGIII制覇を果たした小原太樹選手(神奈川・95期)。
記念すべき「第1回レジェンド神山雄一郎カップ」の優勝者となり、偉大な先輩の言葉に力をもらった大会となりました。
決勝ではSS班・清水裕友選手との初連係から優勝を掴み、存在感を改めて示した小原選手。 今の心境や今後の目標など、その胸の内を伺いました。

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―まずは宇都宮記念の優勝おめでとうございます。

ありがとうございます。

―GIIIは3度目の優勝ということになりました。お気持ちはいかがでしょうか。

自分なんかあんまりチャンスがあるわけじゃないんで、3回目の優勝ができて本当に嬉しいです。

―また、今回は第1回レジェンド神山雄一郎カップというところで、そのあたりというのはいかがでしょうか。

本当にこの第1回の名誉ある大会で優勝することができて、本当に光栄です。

20250602_taiki_obara_02.jpg

―表彰式の時には神山さん(神山雄一郎元選手・栃木61期)から「不断の努力の結果」と声を掛けられていました。どんなお気持ちに。

まだまだ全然神山さんには及ばないんですけど、今後もその名に恥じないような走りをしていけたらなと思いましたね。

―小原選手にとって神山さんというのはどういった存在ですか。

自分が選手になる前から競輪というのは見ていたのですが、その時から超一流で走られている選手で、いつかは一緒に走りたいなと思いつつ選手を目指してて。実際、選手になってからも何回か一緒にレースを走ることがあったんですけど、本当に憧れの存在です。そういう大会で優勝できたというのは、自分にとって本当に嬉しいことですね。

―今回の宇都宮の前にはGIの日本選手権がありました。それからこの宇都宮まで2週間ほど空きましたが、状態面としてはいかがでしたか。

やはりGIに向けてピークを持ってきていたので多少疲れはあったんですけど、その時の良い感じの状態で宇都宮には入れてたなと思います。

―レースを少し振り返っていきます。初日に関しては日高裕太選手(静岡121期)マークでした。振り返っていかがでしょうか。

日高くんに好きに走ってもらう形で任せていました。しっかり出切ってくれて、あとは自分がどれだけ日高くんを残せるかというところだったんですけど、やっぱり長走路でなかなか難しくて、ちょっと自分だけになってしまいましたね。

―やはりこういう500バンクになると、残し方っていうのもまた全然違うものなんですね。

400バンクに比べるとそうですね。やっぱりGIIIなので後ろにいる選手もみんな脚がありますし、なかなか難しかったなとは思いました。

―2日目には黒沢征治選手(埼玉113期)をマークしてのレースでした。前はごちゃつく流れでしたが、3コーナーあたりからご自身で捲り上げていきましたね。

そうですね。黒沢君も前々にすごく攻めてくれていたんですけど、最終バックの手前ぐらいでちょっと接触があったんで、その辺りの車体故障の感じもちょっとどういう感じか分からない状態で音だけがしてという感じだったので、音がした段階で外に踏ませてもらいましたね。

―その小原選手自身のタテの伸びがすごかったなと見ていても思いました。ご自身で踏んでいていかがでしたか。

はい、やっぱり脚の状態はすごくいいなというのは感じていましたね。

―準決勝は嵯峨昇喜郎選手(青森113期)マークでした。嵯峨選手の捲りも良いスピードに見えました。

初手も良い位置が取れて、嵯峨君とも、いい位置が取れたら行けるところで行きますという話をしていて、良い仕掛けをしてくれたのですが、やっぱり前も関東の選手でしっかり仕事してたので判断もなかなか難しかったですけど、最後はちょっと切り替えさせてもらってということになりました。

―相手は眞杉匠選手(栃木113期)でしたもんね。ただその中で同県の大塚玲選手(神奈川89期)と一緒に勝ち上がれたというのも大きかったですね。

そうですね。やっぱり3番手でしっかり大塚さんが固めてくれてたので、理想はワン・ツー・スリーで乗れるのがベストなんですけど、一人でも多く仲間を連れていけたということは良かったと思います。

―そして決勝は神奈川2人ということになりました。ここでの選択肢がファンも気になっていました。自力型は清水裕友選手(山口105期)、嘉永泰斗選手(熊本113期)、小森貴大選手(福井111期)と別地区の自力型が3人いる中でどういう選択肢があったのでしょうか。

まず同県は大塚さんと2人で、自分も大塚さんも追い込みタイプですし、記念の決勝っていうのはあんまりチャンスないわけですよね。なのでシビアにそこは2人で別れても、っていう話もしていたんですけど、大塚さんは自分がどこに行くにしても、後ろで固めてるからっていう話だったんです。そしてやっぱりSSの実績を重視して、清水くんの番手に行くのがベストなんじゃないかなっていう感じでした。

―それを清水選手に伝えた時の反応はいかがでしたか。

もし付いていただけるなら頑張りますと、心よく受けてもらいました。もう清水くんの好きに走ってもらって、しっかり付いていきます、という話をしましたね。

―初連係ということでしたが、どんなところに気をつけて走ろうと思っていましたか。

まずはどういうレースにしろ、清水くんに迷惑をかけないことを前提として、なにかやれるサポートできることがあればという気持ちでした。自分も大塚さんもしっかり仕事します、ということで話はしてましたね。

―その決勝戦に関しては、勝負どころ先に阿部拓真選手(宮城107期)が抑えて、地元の坂井洋選手(栃木115期)もなかなか行かないなっていうところを、一気にジャン過ぎ4コーナーあたりから清水選手が仕掛けていきました。このあたりはいかがでしたか。

やっぱり500m走路でみんな優勝を獲りにきてるので、仕掛けはちょっと遅くなるのかなっていう予想はしてたんですけど、やっぱりさすがのSS清水くんだなって。先行する流れになったらもう腹を括りますみたいに言ってくれたんで、頼もしかったですね。

―その仕掛けた時に、前にいた阿部選手も飛びつきを狙っている感じもありましたね。

そうですね、自分も昔自在選手としてやってた頃に阿部くんの立場だったらああいうレースをするかなと思うので、そこはしっかり番手を守ることが大事だなと思っていました。

―結果的に大塚選手のところが絡まれて、その後ろに坂井選手が入りました。あのあたりは小原選手の中では気づいていましたか。

清水くんもすごく踏み出しが良くて、僕のところまでは出切れたんですけど、感覚的に大塚さんのところにちょっと粘られちゃってるかなっていうのは分かって、後ろを見て確認はしてましたね。

―出切ってからは、車間を空けながら直線抜け出しました。ご自身の中でのタイミングはいかがでしたか。

同地区でもないのに500mバンクであれだけ先行してくれて、後ろでしっかり援護をしたかったんですが、やっぱり後ろに阿部君や坂井君も見えてましたし、直線踏んできていたので、踏ませてもらったという感じですね。

―改めて清水選手の走りというのはいかがでしたか。

いやもう本当に、今回初連係だったんですけど、すごいな、さすがSSだな、というのは感じましたね。

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―そして小原選手はこの後はG1・高松宮記念杯競輪が待っています。高松宮記念杯では6年前にも決勝単騎で3着という成績も残しています。お気持ちなどはいかがですか。

自分なんかは追い込み選手なんで、展開が向けばっていうところもあるんですけど、展開が向いた時にはしっかり自分の力で勝ち取れるような、そんなレースをしていきたいなと思いますね。

―今はスピード競輪になっている中で、練習面などでは「タテ」という部分は意識されたりしていますか。

そうですね、やっぱり年々レースの形態が変わってきて、自分らもそこにちゃんと対応していかなきゃいけないんで、同県の選手とかともいろいろ話し合いながら練習メニューだったり相談してやってますね。今後もおそらくスピード競輪ってもっと加速するんだろうなっていう気持ちもあるので、自分のタテの脚ももっともっと付けていきたいなと思っています。

―小原選手は若くして追い込み選手として定着していますが、自力で戦っていた時から、追い込みに変わるっていうのは、どういうキッカケがあったんですか。

明確にここで、っていうのはないんですけど、自分の中では、デビューしてから30歳までは先行・捲りでしっかり頑張って、そこからはイン粘りだったり、自在にシフトしていって、いつか追い込みになりたいっていう思いでレースしてたんです。

―なるほど。30歳まではとりあえず自力でどれだけやれるか、というふうに。

そうですね。一応30歳まではそんな感じだったんですけど、やっぱりGIだったりとか、グレードレースで他の自力選手と戦っていく中で、現状の今の力だとこの先上を目指すのは厳しいなっていうのを自然と感じていて。それだったら思い切って戦法をチェンジしていって、この方が自分にはチャンスあるんじゃないかっていう思いもありましたね。

―神奈川を含め、南関は今、一大勢力になっています。その中で小原選手はどういった存在、どういった役割を担っていきたいですか。

自力・追い込み問わず、今南関地区はすごく盛り上がっているので、自分は追い込み選手として、自力選手のサポートをしっかりしていけたらなと思います。

―そして小原選手は現在、お弟子さんが5人いらっしゃるそうですね。お弟子さんに対する気持ちはいかがですか。

もちろん選手になったからにはGI優勝という目標を掲げてもらいたいですし、一緒に切磋琢磨しながら、グループ全体で少しでも盛り上がっていけたらなという思いはありますね。

―そして話は変わりますが、ダービー最終日に単騎で1着を取ったレースが、偶然平原さん(平原康多元選手・埼玉87期)がいました。そこに対する気持ちをお聞かせください。

そうですね。実はあの状況で平原さんの3番手を回るっていう選択肢もあったんですけど...。

―え、そうなんですね。

はい。そうですね。競輪祭の準決勝で平原さんの後ろでお世話になっていたので、それもちょっと迷ったんです。でもその時の判断では、普段お世話になっている北日本の選手もいるし、自分では決められないということで単騎を選択したんですけど、まさか引退するっていうことは考えてなかったんで、なんか今思えば...っていう感じはありますよね。

―地区は違うとはいえ、やはり一時代を築いた選手の引退というところに対しては、感じる部分はあるのですね。

神山さんもそうなんですけど、やっぱり自分が目標としてきたすごい選手なんで...。こうしてどんどん引退されていくっていうのは、やっぱり寂しい思いはありますよね。

―その中で小原選手は、ご自身の今後の目標っていうのはどういったところになりますか?

やっぱり、そういう「レジェンド」と言われる選手に、自分もいつかはなりたいなっていう思いはありますけど。

―GIを制覇したいっていう気持ちも。

そうですね。自分なんか学生時代とか目立った成績があるわけでもないんですけど、そんな中でも寛仁親王牌の決勝で2着が取れたりとか、GIを優勝できるチャンスは間違いなくあると思っているので、そこはちょっと頑張っていきたいなと思いますね。

―競輪祭の決勝3着もありますし、確定板には載っていてあと一歩、っていうところですもんね。

そうですね。でもそこまで来れたっていうことは、やっぱりチャンスはあると思うんで、チャンスが来た時には掴めるように、しっかり準備していきたいなと思います。

―では最後にオッズパーク読者の皆様へ一言お願いします。

いつも応援ありがとうございます。今後も南関東を引っ張っていけるような追い込み選手として、しっかり先行選手をサポートして、みんなで切磋琢磨して、GIやグレードレースで活躍できるように頑張りたいと思います。

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※インタビュー / ナッツ山本(なっつやまもと)
公営競技の実況に憧れ、一念発起し脱サラ。2022年別府競輪と飯塚オートレースの実況でデビューを果たすことになった期待の新星。
まだデビューから間もないが、競輪中継の司会も経験し徐々に活躍の場を広げつつある。星の観測と手品が趣味。

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※写真提供:公益財団法人 JKA / 株式会社スポーツニッポン新聞社

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2025/06/17

酒井 亜樹選手

―まずはルーキーシリーズは2開催ともに完全優勝、おめでとうございます。デビューしてみていかがですか?

ありがとうございます。そうですね、最初は寝る時にテレビで見てたやつだな、競輪選手になったんだなって感じがありました(笑)発走前は緊張や不安、怖さもあって大丈夫かなって気持ちでした。でもルーキーシリーズはメンバーも養成所で知ってるメンバーだったので、意外と発走機に着いたらいつもの感じで落ち着いて走れました。

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―デビューしてみてまずは6走全て決まり手としては捲りで1着となりましたが、同期と戦う中での作戦や戦法はいかがでしたか?

先行も時々挑戦したりはしてたんですけど、養成時代も基本的には捲りで、やっぱり長い距離を踏むことにまだ課題があります。捲りが得意なのでここぞという時は捲りにしてるんですけど、それ一手だけではこれから無理だと思います。特に今回は同期だからこそ多分みんなそれを分かってたと思うので、最初のデビュー戦の決勝はいつもの自分の1番得意な仕掛け方ではなくて、少しペースで駆けた感じになりました。同期のみんなが思っていた展開ではなかったと思うし、だからこそ勝てたと思っています。これから色々と試していきたいと思いながら、今はやっぱり捲り中心になってると思います。

―養成所では3回連続でゴールデンキャップ、在所成績1位や500mのタイムトライアルでは養成所新記録を樹立という素晴らしい成績でしたが、このあたりはご自身ではどう感じていますか?

在所成績は全然意識していなくて、ゴールデンキャップというよりはずっと早期卒業を目標にしてたんです。そのためにゴールデンキャップを獲りたいって思ってたんですけど、第2回記録会で獲れなかったので、そこでゴールデンキャップを3回獲って卒業したいと目標を切り替えました。養成所の在所順位は結果的には1番で卒業できて良かったとは思ってるんですけど、意識はしてませんでしたね。

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―卒業記念レースは惜しくも2位でしたが、どのような気持ちでレースに臨んでいましたか?

あの時はずっと調子が悪くて、でもその中でやっぱり最後のレースだったので、自分としてはどうしても勝ちが欲しかったんです。調子が悪い中でどうやって勝とうって考えた時に、4コーナー勝負で他の選手の上の上を行くという狙いすぎた部分がありました。調子がもっと良ければもう少し自分で動けてたかもしれないですし、あの時は自信がなかったけど勝ちが欲しかったんです。それで狙いすぎてしまって、後手を踏んでしまって最後届かなかったです。なので内容的に良くなかったと思うんですけど、デビュー戦でリベンジできたのは良かったです。

―養成所時代はどんな練習をしていましたか?

私はHPD教場っていうところに入れてもらって、ナショナルチームと似たようなメニューを組んでもらっていたので、練習的には女子教場の同期のメンバーとは違うことをしていました。12月、1月ぐらいからは、2月の自転車競技のアジア選手権に出るために競技の練習も再開し始めました。その時に両方やるのは難しいなと感じてすごく苦戦しました。その時は調子が悪かったわけじゃないんですけど、それを卒業記念レースまで引っ張ってしまったと思います。今は競輪は競輪、競技は競技って分けられてるんですけど、その時は養成所の中にいながら競技もやるっていうのが難しかったです。

―競技と競輪選手の両立は、今後は上手くできそうですか?

その時は競技ばっかりやっていて、正直なところ競輪の練習が全然できてませんでした。今は養成所を卒業して自由に練習できる時間がすごくたくさんあるので、競輪に繋がる練習もさせてもらえてるし、私はチームスプリントの1走なのでその練習もしていて、両方練習できる環境なので不安要素は減りました。養成所の時は(チームスプリントの)1走ばっかり練習していて、養成所のカリキュラムをこなしながら競技もやってたので難しかったですね。

―選手になったきっかけとしては、ナショナルチームに所属したことが大きいですか?

もともとは別に競輪選手になろうと思ってトラック競技を始めたわけではなかったです。オリンピックに出たかったからトラック競技を始めたんですけど、やっぱりチームの先輩方はみんな競輪選手でそれを近くで見ていたので、自分も競輪選手になるっていうのはすごく自然な流れで、なるものだと思って受験しました。

―お兄さん(酒井拳蔵選手 大阪 109期)が競輪選手ということで、レースを観に行ったり話を聞く機会もありましたか?

そうですね。兄も競輪選手ですし、義姉(土屋珠里選手 大阪 110期)も競輪選手で、テレビではいつも応援していました。競輪選手がどんな職業かっていうのも小さい時から見て理解していたので、すっと受け入れて自分もやってみようかなっていう気持ちにはなれました。

―BMX、トラック競技、競輪と経験してみて、どう感じていますか?

10歳の時にBMXを始めてから、今まで自転車中心で生活してきました。やっていることはBMXもトラック競技も競輪も少し違いますけど、ずっと頑張ってきたことを全部活かして、自転車選手として長く頑張れているっていうのはすごく嬉しいです。自転車が好きなので、それを長く続けられる機会を今もらっているっていうのはすごくありがたいですし、やってきたこと全部が活きてきていて、トラック競技に転向したことも競輪選手に転向したことも間違ってなかったなと思います。

―幼少期から自転車に乗るのは好きだったんですか?

全然覚えてはないんですけど、昔のビデオで3歳ぐらいの時に「将来の夢は何ですか?」って聞かれて、「自転車の選手!」って言ってるのを親に見せてもらったことがあります。自転車に乗ることは昔から好きだったらしいんですけど、競技とかではなくて、家の前をぐるぐる走るのが好きだったみたいです(笑)

―養成所に入る前からナショナルチームに所属して伊豆に住んでいると思いますが、生活はいかがですか?

ちょうど2年前ぐらいにトラック競技を始めて、そのタイミングで伊豆に引っ越さないといけなくなりました。ずっと実家で親がご飯を作って家事もしてくれたんですけど、1人暮らしを始めたら練習だけじゃなくて家事もしないといけないっていうのが軌道に乗るまでは大変だったんですけど、今は慣れてきました。でも養成所はやっぱり自転車に乗るだけの環境なので、お風呂も沸いてるし、ご飯も作って洗い物もしていただいて、自転車に乗るっていう意味ではすごい整った環境でしたね。卒業してからは自炊しています。

―ご飯もご自身で作られてるんですか?最近お肉を克服したと聞きました。

はい、自分で作ってます。
お肉も苦手だったんですけど、栄養士の方に食べられるなら食べた方がいいって聞いて、自転車で強くなるためだったら何でもしたいので克服しました(笑)お肉は20年ぐらい食べずに生きてきたんですけど、お肉を食べたほうが速くなれるのか!って思って食べ始めました(笑)
小さい時は食卓のお肉が動物だと知ってびっくりして、かわいそうだなって思ったら食べられなくなったんです。でも自転車で強くなるためだったら美味しく頂けると思って、強くなろうと思って食べてます。でも、脂身はあまり得意じゃなくて、鶏肉とかパサパサしたものだったら食べられるので、そういう食材で補って食べてます。

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―ナショナルチームで練習する中でご自身の脚質についてはどのように分析されていますか?

競技だったらチームスプリントやスプリント、ケイリンとか種目が多いんですけど、競輪に関してはやっぱり長い距離を踏める人がレースを動かすと思います。そういった面では、自分も仲澤春香選手(福井126期)だったり、佐藤水菜選手(神奈川 114期)はすごく長い距離を踏めるのでかっこいいなって思います。私はどちらかと言うとチームスプリントでも1走をしてて、0から立ち上げたり短いダッシュが得意なので、仲澤さんみたいに長い距離を駆けるのはまだちょっと難しいところがありますが、練習していけば少しは良くなると思います。そこは生まれ持ったものなので、私が仲澤さんとか佐藤水菜選手みたいになれることはないかもしれないけど、そこに近づける練習をすることはできると思うので、少しずつ自分の持つ距離も伸ばしたいなと思ってます。
でも自分はダッシュでドカーンって行けるところが強みで、そこは負けないって自信を持ってやりたいって思っています。理想もありますけど、自分の得意なことやできることを生かして競輪を走りたいなっていうのはありますね。もちろん仲澤さんみたいに先行してペースで駆けたり、逃げ切ったりするのはかっこいいと思います。そういった走りもしてみたいし、できるように練習してはいくんですけど、でも自分の強みも生かした走りを中心に競輪選手としてやっていこうかなと思ってます。

―前回、佐藤水菜選手にインタビューさせていただいた際に、酒井選手や仲澤選手も含めて若手の選手に刺激をもらっているというお話がありました。

はい、毎日一緒に練習させてもらってるんですけど、何をしても手も足も出ないし足元にも及ばないです。
ジムでも重量は全然私とは違いますし、自転車に乗ってもタイムは全然及ばないですけど、そうやって近くで一番強い選手を見られてその選手の後ろにつかせてもらえるような環境はありがたいですし、強くなるためにすごく近道だと思います。強い選手と一緒に練習させてもらうっていうのは、自分が強くなるのにすごく良い環境なので、しっかり水菜さんみたいになれるように背中を追いかけていきたいです。

―最初は太田りゆ選手(埼玉 112期)に競技を教えてもらったんですか?

そうです。りゆさんがチームにいた時に私がチームに入って、遠征の時は2人部屋が多かったんです。スプリントって何?とかチームスプリントはどうやって走ったら良いかとか本当に何も分からなかったので、全部質問して教えてもらってすごく良くしてもらってました。

―酒井選手は雨女と聞いたのですが、大事な日は雨のことが多かったんですか?

はい、大事な日はなぜか分からないけど雨のことが多くて、BMXで全日本選手権を優勝した時もびっくりするぐらい雨でドロドロになってましたし、卒業記念レースもデビュー戦も雨でしたね。小さい頃から競技をやっていたのであまり友達と遊ぶとかはできなかったんですけど、時々オフを頂いて友達と遊ぶ約束をすると、なぜか絶対に雨が降ったりして雨女なんです(笑)最初は嫌やなって思ってたんですけど、最近は雨が降ったら自分の日やって思えるようになってきました。雨だといつもと違うし嫌やったんですけど、最近は全部受け入れてます(笑)

―オフの日はどのように過ごしてますか?

全然趣味はなくて、基本的に外に出ずに家の中でずっとゴロゴロしてることが多いです。ちょっと買い出しに行ってご飯を作ったりはしますね。次の日も練習なのであんまり疲れることはしたくないので、目覚ましをかけずにゆっくり寝てます。

―同期の選手との関わりはありますか?

普段は伊豆にいるので、あまり会うことはないんです。大阪は私含めて同期の女子は3人いるんですけど、私はバンクに入って練習するということができないので、あまり会えてないですね。でも養成所で仲が良かった伊藤柚姫選手(兵庫 128期)とか、伊藤木々音選手(岐阜 128期)は今でもLINEします。
あとは静岡の北400(日本サイクルスポーツセンター)で練習してる同期もいるので、この前初めて一緒に映画を観に行きました!

―次回は地元の岸和田で本デビューですね。意気込みを教えてください。

地元でデビューさせていただくので、良い結果を残したいというのはあるんですけど、あんまり狙いすぎずにしっかり練習を積んで先輩方とも勝負できるようにしたいです。競走の形も変わってくると思いますし、同期だと養成所で何十回って一緒にレースをしているので、この選手はこうやって動くだろうとか大体分かるんですけど、デビューしたら色んな選手がいると思うので勉強してレースに挑みたいです。

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―今年の目標を教えてください。

しっかり毎レース決勝に勝ち進みたいです。競輪選手としてはすごく長期的に見ていて、すぐに結果が出るような簡単なものじゃないとは思っています。しっかり1個ずつ頑張って、最終的には積み上げていったものが今年ではなくてもGⅠ出場に繋がれば良いなとは思います。

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※インタビュー / 太田理恵
東京大学 大学院卒、GIでは自力選手のタイムを計測。 モデル出身で、現在は競輪MCや毎月のコラム執筆を中心に活動する。 ミス・ワールド日本大会2014,2015,2020特別賞受賞。

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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社

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2025/06/13

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