8月に初優勝を果たした110期の亀川史華(かめかわ ふみか)選手(兵庫県)。父親は名選手だった亀川修一さんということで、デビュー前から注目を集めていました。初優勝の喜び、そしてお父さんとの絆を語っていただきました。
赤見:まずは8月4日、岸和田での初優勝おめでとうございます!
亀川:ありがとうございます。やっとスタートラインに立てたなという気持ちです。まずは優勝を目指して、そこから始まるのかなって思っていたので。目標でしたけど、ここがゴールじゃなくてスタートだと思っています。練習量も前以上に増えましたし、もっと強くなりたいという気持ちがどんどん湧き上がって来ています。
赤見:レースは理想的に運べましたか?
亀川:一応先行主体で組み立てているんですけど、岸和田の時は車番も良くて、車番の並びも良かったんです。今まで決勝戦は7番車だったり外目の枠が多くて、位置取りが難しかったんですけど、この時はいい位置を取れば、チャンスがあるんじゃないかって思っていました。もし誰も行かなければ主導権を取りに行こうと思っていたんですけど、けっこう速くレースが動いたので、これはと思って優勝を狙いに行くレースをしました。
赤見:道中はどんなことを考えていましたか?
亀川:梶田(舞)さんと山原(さくら)さんの先行争いになって、いつも自分が先行してたので本当はその主導権争いに参加したかったなという気持ちもあったんですけど、道中はけっこう冷静に、どっちが(主導権争いに)勝つかなって思って、しっかり見極めて、冷静に動けたかなと思います。ゴールした時は、もう絶対に優勝できる!と思っていたんですけど、本当に優勝したのはびっくりしました。周りの方々も喜んでくれたんですけど、みんなびっくりしてました(笑)。
赤見:去年のデビューから約1年、ご自身で変化や成長を感じるところはありますか?
亀川:いいことばかりではなかったんですけど、いろんなことが自分を成長させてくれたと思います。この1年はあっという間でしたね。もう1年経ったんだっていう感じです。
赤見:もともとは美容師やモデルをされていたそうですが、競輪選手を目指した経緯というのは?お父さんの亀川修一元選手の存在が大きいですか?
亀川:そうですね。その影響しかないです。正直、昔は競輪に対するイメージがあんまりよくなかったんですよ。競輪選手のお父さんというのもイヤで。なんか自分の父親が賭けの対象になっているというのが、子供の頃すごくショックだったんです。でも大人になって、自分が落ち込んでいる時に、父親なりに励まそうとしてくれた時があって。「一緒に自転車に乗らないか」ってサイクリングに誘ってくれたんです。23歳くらいの時なんですけど、その時に初めて間近で父親が自転車に乗っている姿を見て、その背中が忘れられなくて。今もその背中を追いかけているという感じですね。
赤見:まさかお父さんは、亀川選手が「競輪選手になりたい」って言うとは思わなかったんじゃないですか?
亀川:1ミリも思ってなかったと思います(笑)。もちろん猛反対でしたし、「誰でもなれるような職業じゃないし、パッと思いついてやってみたいというような程度でやれるものじゃない。プロの世界を舐めるな」って感じで怒ってました。かなり説得して、やっと自転車に乗せてもらえたのは半年後くらいでした。その時も賛成してくれたわけじゃなくて、自転車に乗らせて、しんどさを味あわせて、やめさせようっていう魂胆だったみたいです(笑)。
赤見:無事にデビューして、しかも優勝もして。お父さんも喜んでいるんじゃないですか?
亀川:すごく喜んでくれてます。でも「100点満点ではない」と言われました。昔は仲がすごく悪かったんですけど、今は競輪のお陰で絆が深まりましたね。最近は競輪のことで楽しく会話したり、練習をみてもらったり。いい関係になることができました。
赤見:お父さんが活躍された選手だったということで、プレッシャーはありませんか?
亀川:すごいプレッシャーでした。父親が強い選手だったので、今でもそうなんですけど、いい結果を残せば『さすが亀川さんの娘だ』って言われて、ダメだったら『2世はたいしたことない』って言われて。がんばっているのはわたしなのに、ちょっと悲しい時もありますね。特にデビューした辺りは葛藤がありましたし、そのプレッシャーに負けてしまいました。
赤見:どう乗り越えたんですか?
亀川:デビュー戦は失格してしまったんですけど、もう頭が真っ白で、ボロボロで帰って来て。父に怒られると思ったんですけど、「まぁこれが競輪だ」みたいな感じで励ましてくれて。3ヵ月くらいは引きずってしまって、誰かを落車させてしまうんじゃないかとか、誰かを傷つけてまで勝ちたいみたいなのはわたしには無理だって思って、レースも消極的になってしまったんです。でもその時に父が、「どうせ7着なんだったら、もう思い切り行って思いっきり負けてこい」って言ってくれて。それを初めて実践した時に、自分の中で壁が砕けたような感じになって。そこから積極的に動くようになりました。
赤見:いろいろな意味でお父さんの存在は大きいですね。
亀川:大きいですね。でも子供の頃の気持ちを考えたら、まさか自分が競輪選手になるなんて...、絶対に思わなかったです(笑)。でも今は競輪選手になって良かったです。父のことも、「こんな気持ちだったのかな」って想像するようになりました。レースにいく前とか、発走する時とか、お父さんはどんな気持ちだったんだろうって思ってます。今はいっぱい親孝行したいですね。
赤見:今の目標は何ですか?
亀川:目標って言われるとけっこう難しいんですけど、自分が結果を出したり、レースをしている姿を見て、誰かが感動してくれたらいいなという気持ちです。車券を当てて喜んでいる姿とか、そういう人が一人でも増えたら嬉しいです。それが、優勝なのか、コレクションとかグランプリを獲るということなのかはわからないんですけど。最終的には上のステージで戦いたいです。
赤見:現在の調子はいかがですか?
亀川:今はいい状態だと思います。練習量がまず増えました。もともと練習はしていたんですけど、さらに増えた感じです。体が強くなってきたのかなと。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
亀川:まだ力不足なところもあって、ご迷惑をお掛けすることも多いと思うんですけど、いつも一生懸命走って、全力で戦ってますので、これからの成長を見ていただけたら嬉しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
この夏2度の優勝を果たした102期の篠崎新純(しのざき ますみ)選手(千葉県)。苦しい時期を乗り越えて、2年ぶりの優勝を手にしたお気持ちを伺いました。
赤見:この夏は絶好調で、2度の優勝本当におめでとうございます。特に8月の佐世保は完全優勝でしたね。
篠崎:ありがとうございます。優勝したのは2年ぶりくらいだったんですけど、いろいろと試行錯誤して自分に合ったトレーニング方法をみつけることができました。もちろん優勝できたことはすごく嬉しかったんですけど、佐世保はコレクションの裏開催だったんですよ。トップの選手が出ていない中での優勝なので、ここでゴールではなくて、まだまだ自分にはできることがあると思っています。調子は上がってきているけど、まだ途中だと思いますね。
赤見:2年間優勝から離れていた期間というのは、葛藤もあったんじゃないですか?
篠崎:そうですね。わたしは102期で1期生として入ったんですけど、ガールズは毎年新しい選手が入って来て、どんどんレベルアップしているんです。競技としてはレベルアップするのはとてもいいことなんですけど、その分勝つのが難しくなっていって。代謝制度が始まって、レースもどんどん厳しくなってます。前のように成績が上がらなくなって、もう優勝できないんじゃないかって弱気になった時もありました。それでも必死に練習をするわけですけど、トレーニングをしても、自分に合っていないものだと成績が下がってしまう。その頃は、「今は新しいことをしているので、成績に繋がらなくても仕方ない」と思いながら踏ん張りました。
赤見:苦しい時期を乗り越えて来たんですね。
篠崎:悩んでいる時、いろいろな方からアドバイスをいただいたんですよ。S級の強い選手からも教えていただいたんですけど、みんな言うことが違っていて。サドル上げた方がいい、下げた方がいいとか、ハンドルについても真逆のことを言われるし。もちろん、みなさんご自分の経験からよかれと思って言ってくれているんですけど、混乱してどうしていいのかわからなくなってしまって。でも今のトレーニング方法にたどり着いて、体的にもですけど、気持ち的にもいろいろなことが腑に落ちたんです。みんな体格が違うんだから、それぞれ合うことは違うんだって。悩んだからこそ今があるので、苦しい時期もいい経験になったんだと思います。
赤見:篠崎選手は高校生の頃から自転車競技で活躍されていましたが、自転車を始めたきっかけというのは?
篠崎:父がロードが好きだったんです。中学生の時、わたしは陸上部に入りたかったんですけど、学校に陸上部がなくて部活に入っていなくて。父は何かさせたかったみたいで、自転車を勧められました。最初は全然興味なかったんですけど、自転車は競技人口が少ないので、上を目指せるのではないかという思惑に乗せられた感じです(笑)。
赤見:お父さんの思惑通り、日本を代表する選手になったんですね。
篠崎:高校大学と打ち込んで、国内では成績を挙げることができました。本気でオリンピックを目指していたんですけど、でも出場枠を取ることさえできなかったです。世界との壁は大きいと感じました。当時はまだガールズがなかったですし、大学を卒業した時にいったんは自転車から離れたんです。でも3ヵ月くらいで結局戻ることになって。自転車屋さんで働きながら、実業団に入って上を目指すことにしました。
赤見:ガールズ復活と聞いた時はいかがでしたか?
篠崎:復活が決まる前に、エキシビジョンレースをしたんですけど、その時にも呼んでいただいて。本当の創成期の頃から携わらせていただきました。ただ、復活が決まった時にも「すぐガールズへ」という気持ちにはならなかったです。その時働いていた会社にすごくお世話になっていて、土日も大会を優先させていただいていたし、理解してもらって競技を続けて来たので。でも、やっぱりオリンピックを目指すには、働きながらよりも自転車1本でやった方が集中できるのではないかということで、競輪の世界に入る決心をしました。
赤見:ガールズ1期生である102期はかなり手探りだったそうですね。
篠崎:使用する自転車がカーボンに決まったのは卒業直前だし、試験合格のタイムも決まってなかったんですよ。目指すところがわからなかったのはキツかったですね。教官たちも本当に手探りで、大変だったと思います。いざデビューした時には、ものすごく緊張しました。 競技として自分自身の緊張感があるのはこれまでも経験していましたけど、お客さんの大切なお金が賭かっているという責任を感じました。
赤見:その後何度も優勝して活躍するわけですが、冒頭のお話しのようにここ2年は優勝から遠ざかっていたんですね。
篠崎:気持ちがへこむこともありましたけど、結局自分にはこれしかないという原点に戻りました。父に勧められて始めたことですけど、自転車が好きですし、この世界に入って本当に良かったと思っています。
赤見:今の目標を教えて下さい。
篠崎:自分はまだ上を目指せると思っているので、もっともっと練習して強い選手になりたいです。今は調子が上がっているので、ここからさらに上を目指します。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
篠崎:まだまだ成長途上ですが、一生懸命がんばるので応援していただけたら嬉しいです。それに、わたしだけじゃなくて、他の選手もみんながんばっています。今は層が厚くなって下の選手はなかなか成績が上げられないのですが、それでもみんな一生懸命上を目指してがんばっているので、応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
110期の荒川ひかり選手(茨城県)は、デビューから1年が経ち、決勝に乗る回数が増えて来ました。初優勝目指して奮闘する中、今の想いを語っていただきました。
赤見:まず競輪選手を目指したきっかけから教えて下さい。ずっと陸上をされていたそうですね。
荒川:そうです。高校の時の顧問の先生に、「競輪選手っぽい体だね」って言われたんですよ。お尻が大きくて、太ももがしっかりしていたので。それでちょっと気になって調べてみて、興味を持ったという感じです。
赤見:その時まで、進路はどうお考えだったんですか?
荒川:高校の時は興味を持ったというだけで、まだ具体的には考えていなかったんです。大学受験で1回失敗しまして、もう1年浪人して受験をしていたんですけど、その時に第一志望に合格できなくて...。妥協して第一志望じゃない大学に行くか、ずっと気になってた競輪に行くかということを考えて、競輪は今しかできないだろうなと思って決めました。
赤見:競輪を始めてみて、いかがでしたか?
荒川:実は4月1日に自転車を始めた初日に、落車して骨折しちゃったんです。本当に練習を始めた初日で、師匠とかに「初めまして」ってご挨拶をした30分後くらいにやってしまって。周回をしていたんですけど、「もっと前の選手の近くまで行った方が楽だ」って言われて、「もっと前に行かなくちゃって」思って。それまでに体力を使ってたというかいっぱいいっぱいだったんですけど、それで前の人に当たってしまって落車しました。
赤見:初日に骨折とは...よく挫けませんでしたね。
荒川:その時は、続けようとか辞めようとかはあんまり考えていなかったんですけど、よくよく考えるとそうですよね(笑)。その時は「治して早く乗らなきゃ」ということだけ考えてました。それに大学に行くルートも全部絶ってしまっていたので、もうこれしかないという感じでした。
母とも話したんですけど、「危ないからやめなさい」って言われるかと思ったら、「本当に骨折り損になるから、骨折ったからには続けないともったいない」って言われて(笑)。手術はしなかったんですけど、1か月半くらい休んでそこからまた練習しました。
赤見:競輪学校に入ってからはどうでしたか?
荒川:わたし、ずっとすごく髪の毛を長くしていたので、髪の毛を切るのが最初はちょっと抵抗がありました。お尻のところくらいまで伸ばしていたんです。学校に入る時は、ショートって言ってもかなり短いショートなので、初めて切る時は勇気がいりましたね。
赤見:学校時代はかなり短く切ることがルールですもんね。
荒川:トイレに入ると、おばさんに「こっちじゃないわよ」って言われるくらい(笑)。
美容師さんも「本当に切っていいの?」って言ってました。まぁ、髪を切ることは初めからわかっていたことではあるし、気持ちは切り替わった気がしました。
いざ短くしたら、自分では似合わないと思ってたんですけど、周りからは似合うって言われて。入学前のサマーキャンプで一緒だった人が同期にいっぱいいるんですけど、その時はまだ髪が長かったので、「短い方が似合うよ」ってみんなに言われて嬉しかったです。今も、「絶対ショートの方が似合うよ」って言われてます。新しい発見でした。
学校に入ってからは、時間が分単位で決められていたことが大変でしたね。最初は卒業できる気がしなかったんですけど、今思い返すと楽しいことばっかり思い出します。
赤見:デビュー戦は2016年7月の京王閣でしたが、2着3着2着という上々の滑り出しでしたね!
荒川:自分にしてはできすぎた感じでした。運もよかったです。学校の時からあんまり自力脚があるタイプではなかったので、この人につこうとかざっくりしたことは考えていたんですけど、どうやってその人の後ろについたのか覚えてないんです。とにかくすごく緊張してましたね。
赤見:そこから1年経ちましたが、現在の調子はいかがですか?
荒川:続けて決勝も乗れているし、今はいい状態だと思います。年始に落車してからあんまり良くなかったんですけど、最近やっと上がって来て。ただ、前に比べたら慣れては来たんですけど、レース前は今もすごく緊張してしまいます。場所によってはすごく上がってしまったり、お腹壊しちゃったりするんです...。1年後ならもっと慣れて、こんなに緊張しなくなるかなって思ってたんですけどね。でもこれもいい方に考えていて、緊張感がある方がいいのかなとも思っています。
赤見:大学受験の時は辛かったと思いますが、結果的にこの道に進んだこと、今はどうお考えですか?
荒川:大学も体育系の大学に行きたかったので、体を動かす仕事に就きたかったんです。その時の目標は叶えられなかったけれど、競輪に出会えてすごく良かったですね。今はこっちの道に来て本当に良かったと思ってます。
赤見:ちなみに、賞金で何か大きなもの買いました?
荒川:トレーニング器具なんですけど、ワットバイクを買って自宅に置いてます。35万円しました。ちょっと背伸びし過ぎちゃったかなとは思うんですけど、自分の体のためなので奮発しました。
赤見:では、目標を教えて下さい。
荒川:地元の開催で優勝することが目標です。まだ優勝もないんですけど、それがデビューからの目標なので。同期もけっこう優勝しているので、わたしも負けないようにがんばります。
赤見:オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
荒川:いつも応援ありがとうございます。これからも車券に貢献できるようなレースができるようがんばりますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
マウンテンバイクのトップ選手として活躍していた102期の飯塚朋子(いいづか ともこ)選手(大阪府)。競輪に転向後は一転して劣等生になったといいますが、そこから努力を重ねて活躍を続けています。ここまでのことを振り返っていただきました。
赤見:選手を目指したきっかけからお聞きしたいのですが、マウンテンバイク競技をされていたそうですね。
飯塚:友達がやっていて、体を動かすことが好きだったので「やってみる?」って言われて。24歳の時ですね。
赤見:大人になってからだったんですね。
飯塚:そうです、そうです。中高は水泳をしていました。マウンテンバイクと出会った頃は、鍼灸師の免許を持っていたので仕事をしていたんです。鍼灸師の大学を出て、研究室に残って、バイトしながら神経系の研究をしていました。普通の治療院で働くというより、何かを極めたいなと思っていて。でも結局、勉強じゃなかったみたいです(笑)。
赤見:そこからマウンテンバイクにハマっていくわけですね?
飯塚:研究室がけっこう厳しくて、遊びに行く暇があったら論文の1本でも読みなさいという感じだったんです。でもわたしは仕事のための仕事はしたくないなと思ってて。しんどくなってしまいました。仕事をがんばるからこそ、夏はマウンテンバイクをしたり冬はスキーに行ったりしていたんですけど、それがダメって言われると何のための仕事かなって思って、結局研究室は辞めました。
赤見:マウンテンバイクの競技というのは、どんな感じなんですか?
飯塚:ダウンヒルっていう名前のまんまで下る競技なんですけど、冬場スキー場のところが夏場にマウンテンバイクのコースになるところがあって、ゴンドラに自転車を乗せて上まで行って。ゲレンデをスラロームみたいにして下りて来るコースもあれば、ゲレンデの横にある林の中にコースがある場合もあります。
赤見:競輪とは全然違いますね。
飯塚:そうですね。最初は怖かったんですけど、ちょうど同じような時期に女友達も始めて、負けたくなくて。やっているうちに「レース出てみる?」ってことになって、レースに出ると楽しいし負けたくないし。心のどこかでは、スポーツで極めたいっていう気持ちもあったと思うんですけど、年齢も考えるとメジャーなスポーツはムリじゃないですか。マウンテンバイクは下るだけなので、なんとかなるんじゃないかって思いました。トップまで上るなら、これしかないなって。
赤見:そこから、ガールズ1期の102期を受ける経緯というのは?
飯塚:最初ガールズ復活って聞いてもあんまり興味がなかったんですけど、トレーニングでピストレをしようかなって思っていたんです。競輪用の自転車で、バンクで走るトレーニングです。ロードでは乗っていたので。その頃にガールズサマーキャンプに申し込んでみたら選考で落ちて参加できなくて、その辺りから意識し始めました。
赤見:マウンテンバイク競技では日本を代表する選手として活躍していたわけですが、それを辞めるというのは大きな決断でしたね。
飯塚:マウンテンバイクは夏がシーズンで冬がシーズンオフなんですけど、オフの時にスポンサーを見つけないといけなくて。その頃、日本では上位になれても世界だとなかなか上手くいかなくて、これ以上スキルアップするなら海外を拠点にしないと伸びしろがないなと思っていたんです。それも含めてスポンサーを探したんですけど見つからなくて、年齢が30歳だったこともあって、一区切りつけようかなって。それで、1期生を受けてみたんです。
赤見:競輪学校に入ってみていかがでしたか?
飯塚:マウンテンバイクとは全然違うし、今まで自転車をやってきたというプライドは全部捨てたつもりだったんです。でも、入学した時はみんな同じようなところにいるんですけど、どんどん強くなっていくんですよ。わたしが弱すぎたんですけど。わたし、卒業できないくらいタイムがよくなかったんです。悩んだというよりも、みんなと同じようにやってて全くタイムが伸びないので、これはもうダメなんだと。教官に、「もう辞めます」って言ったんです。
赤見:なんで踏ん張れたんですか?
飯塚:後悔したくなかったんで。本気でやってムリだったら後悔しないと思うんですけど、辞めてしばらくたってから、「あそこで踏ん張ってたら...」て思いそうだなって。だから、やり切ったというところまでやろうと思ったんです。卒業までは、そういうことの繰り返しでしたね。
赤見:よくそこから、デビューして盛り返しましたね。
飯塚:今の状況は、同期が一番びっくりしてるんじゃないですかね。周りに支えられましたし、本当にコツコツという感じで。いろんなトレーニングをしたり、和歌山の西岡正一選手が街道に連れて行ってくれるようになって、その辺りからですね。本当にいろいろな方々にお世話になりました。そこで何か掴んだ気がして。
赤見:それは初勝利くらいのタイミングですか?
飯塚:もう少し前くらいですかね。デビューして2年後くらいです。今まではペダルを踏んでても全然力が入らなかったんですけど、力の入れ方がわかったというか。そこから伸びていった感じですね。
赤見:何度も言って申し訳ないですけど、初勝利まで2年近くかかってますし、本当によくここまで盛り返しましたね!
飯塚:そうですよね(笑)。とりあえず、今辞めたら後悔するっていうのをずっと思ってて、もうちょっとがんばろう、もうちょっとがんばろうと思い続けて今に至ります。
赤見:今の調子はいかがですか?
飯塚:最近はいまいちですね。周りが強くなった分、点数も落ちていると思うんです。しっかり考えないといけないなと。
赤見:今後の目標は何ですか?
飯塚:優勝したいという気持ちは大きいですけど、まずは調子良かった頃に戻りたいですね。優勝はそこからだと思います。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
飯塚:わたしの卒業できないかもっていうくらいやばかった時代を知っている人って、2期生までなんですよ。だからあんまりわからないかもしれないんですけど、この年(38歳)で、身長も低くて、体重も増えない、スポーツするには何にも恵まれない条件ではあるんですけど、それでも這い上がっていくのを見て、少しでも何か感じていただけたら嬉しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA