ボートのトップ選手からガールズケイリンに転向した、110期の林真奈美(はやし まなみ)選手(福岡)。デビューから1年が経ち、5月に初優勝を果たすと7月にも再び優勝!勢いに乗る今、心境をお聞きしました。
赤見:まずは選手を目指したきっかけからお聞きしたいのですが、林選手はずっとボートのトップ選手として活躍していたそうですね。
林:兄が2人ともボートをしていた影響で、高校に入った時にボート部に入りました。兄たちが全国で活躍していたので、その姿に憧れたという感じです。高校3年生の時に国体で優勝することができて、この先もボートでと考えた時に、大学と実業団の選択肢があって。恩師から、「将来オリンピックを真剣に目指すなら、環境的にすごくいい会社があるぞ」と言ってもらったんです。それで、実業団の道に進みました。
赤見:実業団での生活はいかがでしたか?
林:少数精鋭のチームで、練習環境も良かったです。会社の仕事もしてましたけど、とても応援してくれて、サポートしていただきました。真剣に取り組んでいたんですけど、2012年のシーズンで、いったん区切りをつけたいかなという時期があって。年齢的に将来のことを考えるようになって、将来どこで生活したいかって考えたら、家族がいる地元にいたいなと思ったんです。
赤見:仕事もボートも辞めて地元に帰るというのは、大きな決断でしたね。
林:そうですね。いい会社に入れていただいていたし、たとえボートを辞めたとしても働き続けることができる会社だったんです。だから、ボートを辞めるからといって、会社もって簡単に決断できたわけではなかったんですけど。
赤見:ボートを辞める理由というのは何だったんですか?
林:減量がけっこうあって...。一年中苦しんでいたんです。練習よりもレースよりも、とにかく減量がキツくて。体も心もダメージを受け続けていたというか。減量せずに国内だけのレースでがんばるっていう選択肢もあったんですけど、やるからには世界のトップのところで勝負したいという気持ちがあったので。それで、「(辞めるのは)今かな」って思ったんです。12月にボート部を辞めて、次の3月に会社を辞めました。恩師や両親に、会社を辞めることに関しては相談したんですけど、「帰って来ていいよ」って言ってもらったので、その一言で「帰っていいんだ...」って、気持ちが軽くなりました。
赤見:地元に帰ってからはどう過ごしていたんですか?
林:仕事も決まってなかったし、2か月くらいはゆっくりしました。その後はスポーツクラブでアルバイトをしながら、地元の選手として国体に出られたらいいなと思ってボートは続けていたんです。ボートと両立できる仕事を探したんですけど、年齢も27歳でしたし、なかなか見つからなかったですね。いろいろ考えて看護学校に行きたいと思って、ボートは完全に辞めて勉強することにしました。
赤見:紆余曲折があったと思いますが、競輪との出会いは?
林:恩師からの繋がりで会った方からガールズケイリンを勧められたんです。それまで競輪のことはよく知らなかったんですけど、恩師や家族も背中を押してくれて。「これも何かの縁だから、もう一回体を動かしてがんばってみようかな」って思いました。初めて自転車に乗った時は、やっぱりバンクがすごいなって(笑)。あと、腕が疲れましたね。競輪学校に入るまで、1年間アマチュアで師匠(藤田剣次選手)に見てもらっていたんですけど、その時に小林優香選手がいて、1年間近くで見られたことはすごく勉強になりました。相当注目されていましたし、とにかく努力する選手なので。そのすごさを近くで見られたというのは、すごくいい勉強になりました。
赤見:競輪学校の1年間はいかがでしたか?
林:姉弟子たち(小林優香選手、児玉碧衣選手)が結果を出していたので、自分もそうでなきゃいけないっていうプレッシャーに押しつぶされそうになったんですけど、自分が同じレベルじゃないっていうことに早々に気づきました。師匠に電話した時に、「同じじゃなくていい」って言ってもらったので、自分は自分でいいって思えるようになって。あと、生徒会長になっていたので、その義務感もあってずっと気が張っている感じでしたね。
赤見:そして、2016年7月に松戸でデビュー。③②②という成績でした。
林:やっとデビューできたなっていう気持ちで、特別緊張したっていうのはなかったんですけど。レースをしていて、競輪学校の競走訓練とは違うなって、このままじゃダメだなって思いました。その後すぐに初勝利はできたんですけど、初優勝までがけっこう長かったですね。
赤見:約1年後の初優勝までの道のりはいかがでしたか?
林:練習でできないことはレースでもできないので、練習でとにかく悩んでいました。どうやったらよくなるんだろうって、悩んで、試してっていうのを繰り返していました。
赤見:今年の5月に見事初優勝!
林:本当は1年目のうちに初優勝したかったんですけど、その目標が達成できなくて...。新年になって、今年中に優勝するという目標を掲げていたので、それが達成できて嬉しかったですね。
赤見:しかも7月にも再び優勝!努力が実を結びましたね。
林:諦めずにやっていたら、100回やって1回くらいしか成功しないかもしれないけど、その1回ができるんだなって思いました。
赤見:今、絶好調ですね!
林:そうですね。トップの人たちにはまだ歯が立たないんですけど、少しずつレースでの脚は上がってきているのかなと思います。これはわたしの性格というか、特徴なのかもしれないですけど。コツコツやっていれば、時間はかかってもステップアップできるんだなって思いました。
赤見:6月29日には、オッズパーク協賛のソフトバンクホークスのイベントに参加していましたが、印象はいかがでしたか?
林:競輪ファンの方というより野球ファンの方たちだったので、競輪の会場でのイベントとまた違う雰囲気がありました。パンフレットを渡してたんですけど、お母さん世代の方々が、「あなた選手なの?」とか、「ガールズケイリンってどういう感じなの?」って聞いてくれたので、新たに知ってくれる人たちがたくさんいたかなと思うと嬉しかったですね。また機会があれば、ぜひ参加したいです。
赤見:今の目標というのは?
林:今年いっぱいは、開催ごとに優勝できるようにと思っています。そこは今年は変わらないと思いますね。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
林:今までは悩むことも多かったんですけど、少しずつ結果が出て、ただただがむしゃらにというところから一歩抜け出せたかなと思います。今は、「林っているんだ」っていうくらいかもしれないですけど、一つずつ上に上がって行けるようにがんばります。これからも応援していただけたら嬉しいです。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
ガールズ選手と大学生活を両立させていた、102期の増茂るるこ選手(東京)。2015年に無事大学を卒業し、現在はガールズ1本に集中しています。7月15日から伊東温泉競輪で実施される、ガールズケイリンフェスティバルに向けて、お話しを伺いました。
赤見:ガールズケイリンフェスティバル出場が決まりましたけれども、今の調子はいかがですか?
増茂:着々と仕上がっていると思います。去年もギリギリの出場だったんですけど、今年もなんとか出場が決まってホッとしました。ギリギリでの出場ではあるんですけど、爪痕を残せるように、しっかりと存在感を出して行けたらいいなと思っています。
赤見:増茂選手はガールズ1期の102期生ですけれども、選手を目指したきっかけがかなり特殊ですね。
増茂:そうなんですよ(笑)。大学の時に競輪場でアルバイトをしていて勧められて、という形です。わたしは体育大学に行っていたんですけど、小学生くらいから体育教師になりたかったし、大学がとても楽しかったので、最初は競輪選手になるつもりはなかったんですけどね。
赤見:何が決め手になったんですか?
増茂:母が、すごいごり押しで勧めて来たんです(笑)。高校までずっと真剣に部活をやっていて、大学ではサークルみたいな感じで全然運動しなかったんです。そういうのを見ていて、物足りなかったのかもしれないですね。「やってみれば?」って言われて、そこから話がトントン拍子に進んで、師匠を紹介していただいて、それで選手になりました。
赤見:大学を休学するというのは大きかったんじゃないですか?
増茂:大学が楽しかったので、本当に休学したくなかったし、休学するなら辞めたいと思っていたんです。でも、競輪学校の先生や、親とか周りの人たちから、大学はせっかくだから卒業した方がいいって言われて。その後押しがあったから、休学して復学という形にできたと思います。
赤見:競輪学校を受けると決めた頃は、自転車には乗っていたんですか?
増茂:全然です。普通にママチャリに乗ってた程度で(笑)。でも運動は好きだったので、特に抵抗はなかったです。
赤見:師匠も競輪学校側も、初めてのガールズ選手ということでかなり手探りな面があったと思いますが。
増茂:全然そういうのを考えないで競輪学校に入って、本当に手探りだったと思うんですけど、意外にそれを楽しんでいました(笑)。
赤見:実際にデビューした時はいかがでしたか?
増茂:1期生で、競輪学校からずっと同じメンバーでデビューしたので、デビュー戦も知っている顔ばっかりでした。ただ、お客さんはすごくたくさんいて、そこは緊張しましたけど楽しかったです。
赤見:デビューした後に大学に復学して卒業していますけれども、両立は大変だったんじゃないですか?
増茂:けっこう大変だったんですけど、その分時間が限られていたので、逆に集中して勉強も練習もできたかなと思っています。大学を1年行って、1年休学して競輪学校に行って。デビューしてから復学して3年間通いました。学年が1つずれたので、体育大なので実技がけっこうあるんですよ。それを友達がいない中でやらなきゃいけないっていうのがしんどかったですね。でも、これも体育大ならではかもしれないですけど、自分の学びたいことだけ学んで単位を取ればいいので、卒論も競輪のことにしました。
赤見:どんなテーマにしたんですか?
増茂:自分のトレーニングと、小林莉子選手や奥井迪選手に手伝ってもらって、データを取って、トレーニングを1ヵ月した結果を比べて、何が足りないかみたいなことをテーマにしました。自分の好きなこと、興味のあることで進めていけたので、楽しかったですね。大変なこともありましたけど、結果的に今が楽しいので、この道を選んだことは後悔していないです。
赤見:ガールズ選手の人数が増えて、後輩が増えている現状はいかがですか?
増茂:どんどん強い選手が出てきているので、なんとか埋もれないようにはしなきゃなと思っています。レースでもいろいろ動きが増えましたし、1期生だけだった時と比べるとバリエーションが出てきましたよね。展開も複雑になったなと感じます。
赤見:その中で、モチベーションになっていることはありますか?
増茂:あんまり負けず嫌いじゃないというか、人に対する負けず嫌いがあんまりないんですよ。自分に対する負けず嫌いはあるんですけど。だから、自分のやりたいように楽しく進んでいければなって思っています。今も楽しめているんですけど成績が伴っていないので...。やっぱり、強ければ強いほど楽しいじゃないですか。だからもっと脚力が欲しいですね。そのために練習がんばっています。
赤見:どんなトレーニングに力を入れているんですか?
増茂:今まではバンク練習ばっかりやっていたんですけど、今年に入ってから街道練習も行くようになりました。持久力がないし、自分の戦法も自力だし、弱点を補えるようにしたいなと思いまして。それが少しずつ結果に繋がっているかなと思います。
赤見:今の目標を教えて下さい。
増茂:みんなグランプリって言うと思うんですけど...、それだと目標が高すぎて具体的に見えないので、目の前にある1走1走を大事に走りたいです。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
増茂:いつも応援していただき、ありがとうございます。他の人よりいろんなことをやりながら走っているつもりです。飛ぶ時も多いんですけど...(苦笑)、そこを楽しんで見ていただけたら嬉しいです!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
106期の高橋梨香(たかはしりか)選手(埼玉県)は、5月14日に悲願の初優勝を果たしました。これまでの道のり、そして喜びの言葉を伺いました。
赤見:高橋選手は実業団でトライアスロンの選手として活躍していたそうですね。
高橋:3歳から高校までは水泳一筋だったんですけど、水泳の記録がこれ以上伸びないな、という風に悩んでいて。大学に入って、水泳を活かせることないかなと考えていた時、たまたまトライアスロンの入部のチラシをもらって、やってみようかなって軽い気持ちで始めたんです。トライアスロンは水泳ができると有利な部分があって、最初の頃は成績もよかったんですけど、だんだん周りに抜かされていって。それで火が着いて、最後のインカレで優勝したいっていう目標を掲げて練習に励んで、結局優勝はできなかったんですけど、2位を獲ることができました。それがきっかけで実業団に声をかけていただいて、選手として会社に就職したんです。
赤見:競輪との出会いというのは?
高橋:競輪という言葉は知っていましたけど、見に行ったことはなくて、詳しくは知らなかったんです。会社員時代、トライアスロン部を辞めて一般のOLとして働いていたんですけど。なんていうか...、実業団は結果を求められる世界なので、オリンピックは目指していたんですけど、日本選手権でたまたまいい成績を獲ってしまって、もういっかなみたいな、ちょっと燃え尽きたみたいな気持ちがあって辞めちゃったんです。その後にたまたまネットニュースで、女子競輪復活っていうニュースを見て興味を持って。トライアスロンを中途半端に辞めてしまったっていう想いがあったので、もう一度がんばってみたいと思ったんです。
赤見:競輪学校は女子3期生である106期での入学となりました。
高橋:実は1期生の時に試験を受けてるんですけど、2次試験の時にインフルエンザになってしまって行けなくて。2期生も受けようと思ったんですけど、親に相談して、「受験しようと思うんだけど」って言ったら反対されてしまって。それで見送ったんです。でも、3期生の時にやっぱり諦められないからって親を説得して、それで今に至るという感じです。
赤見:相当な紆余曲折があったんですね。
高橋:そうですね。すんなりとはいかなかったです。親に相談した時にはもう30歳を過ぎていたので、いまさら会社を辞めてまでっていう気持ちだったと思うんです。ケガもある世界ですし。でも、最終的には「自分のやりたいことをがんばってみれば」って言ってくれて。
赤見:学校での1年間はいかがでしたか?同期にはかなり若い方も多かったと思いますが。
高橋:最初は時間管理されて大変でしたけど、食事も全部用意してもらえるし、練習場も近いし、仲間がずっといたので、苦しいけど楽しかったですね。年齢的には自分が一番上なんですけど、同期には本当に支えられました。年下の子にもいろいろ助けてもらって、遠回りしたけど106期で入れたことはすごく良かったと思いますね。
赤見:そして2014年5月14日、西武園でのデビューとなりました。
高橋:2着2着と来ていたんですけど、最終日に落車で失格になってしまって...。学校時代の競走訓練とは違うなってすごく感じました。そこから本当にいろいろなことがありましたけど。デビュー当時は優勝するって意気込んでデビューして、でもどんどんレースをこなしていくうちに、優勝できるのかな、できたらいいなっていう気持ちになっていました。ただ、練習しないと絶対に強くなれないので、葛藤の中で気持ちを繋いで練習してきたので、初優勝した時にはすごく嬉しかったです。
赤見:2017年5月14日、デビューから丸3年の日に見事初優勝を果たしましたね。
高橋:いつもは変に動いたり、焦ってしまうこともあったんですけど、いわき平の時はなぜか周りが見えていて、無理に行こうともしなかったし、「ここで脚を溜めていれば大丈夫」って冷静にレースが見れたので、結果に繋がったのかなと思います。ゴールした時は荒牧聖未選手と接戦で、どっちが勝っているかわからなかったんですけど、ゴールした後に山原さくらさんが「おめでとうございます」って言ってくれて、そこで初めて「優勝したんだ」って思いました。
赤見:その時はどんなお気持ちでしたか?
高橋:もう...、信じられない気持ちでした。今までの想いが込み上げてきましたし、周りもすごく喜んでくれて、本当に良かったです。走り続けて来て、諦めずにやって来て良かったです。
赤見:念願の初優勝を果たしましたが、現在の調子はいかがですか?
高橋:今年になって、自転車を替えたりトレーニング方法を変えたりしたので、それがいい方向に向いているみたいです。体のケアも今まで以上にするようになったし、体調がそこまで崩れることもなくなりました。
赤見:現在37歳ですが、若い選手がたくさん出てきた中で、年齢のことは何か感じますか?
高橋:自分としてはそんなに感じていないですね。若い子とは考え方の違いはあると思うんですけど、自分はコツコツすることしかできないので、特に年下が多いとかは意識していないです。
赤見:ちなみに、初優勝で何かご褒美的なものを買いましたか?
高橋:買ってないですね。貯金が趣味なので(笑)、銀行に入れちゃいました。何事もコツコツ型なので(笑)。
赤見:豪華なご飯に行ったとかもないですか?
高橋:ないです(笑)。わたし、高級魚介類が苦手なんですよ。ウニとか、カキとか。イクラだけは食べられるんですけど、マグロも美味しいと思わないし。
赤見:では、好きな食べ物は?
高橋:お寿司でいえば、美味しいと思うのはイカとか納豆巻きです。安いのが好きなんですよ(笑)。
赤見:それでは、今後の目標を教えて下さい。
高橋:今年中にまた優勝したいです!1回だとまぐれ的な感じもするので、もう1回早めに優勝したいですね。そのためには毎日の練習が大事なわけですけど、やった分だけ成果がでるので、会社員時代には得られなかったことをたくさん得られていると思います。当時の同僚や上司も応援してくれているので、その人たちのためにもがんばらないとなっていう気持ちです。
赤見:最後にオッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
高橋:プロでやっている以上、3日間車券に貢献するのが一番だと思うので、3日間車券に貢献するために努力しますし、最後まで諦めずに走っている姿を見て欲しいです!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
ガールズ1期生である、102期の浦部郁里(うらべかおり)選手は、2015年所属を千葉から福井に移し、練習環境を一新。さらなる高みを目指し、日々練習に取り組んでいます。
赤見:102期ということで、ガールズ1期生ですけれども、競輪選手を目指したきっかけというのは?
浦部:そもそもまったく競輪を知らなかったんですよね。2010年に千葉で国体があったんですけど、松戸の競技場で市の強化チームを作ったから、参加する女性を募集していたみたいで。たまたま大学の同級生が自転車部で、誰か女の子を呼んで来てって言われたみたいで、それで声を掛けられたのがきっかけです。
赤見:大学で陸上をしていたんですよね?
浦部:何も部活はしていないです。それ、ウィキペディア情報ですよね?だいぶ違うことが書いてありました(笑)。
赤見:それは大変失礼しました。
浦部:いえいえ。わたしも「違うな~」と思いながら放置していたので(笑)。運動は、小中で陸上、中高で剣道をしていました。その後順天堂大学に進んだんですけど、そこは運動ではなくて、普通に勉強して入ったんです。だから、大学の時は何も運動していなくて。それで、自転車やってみないかって声を掛けてもらって、バンクで乗ってみたら最初から全然怖くなくて、普通に上まで走れちゃったんですよ。周りからも「合ってるんじゃないか」って言われて、今に至るという感じです。
赤見:最初からバンクの上の方まで行けるとは...。すごいですね。
浦部:でもその時にはまだ女子の競輪はなくて、土日に楽しむ程度でしばらくやっていたら「女子が復活するんだってよ」って聞いて。松戸からも選手を出したいということで、「受けてみないか?」と言われて、受験することになりました。
赤見:なるほど。大学卒業と同時に競輪学校入学という流れですか?
浦部:実は大学卒業後に柔道整復の専門学校に行っていたんですよ。大学時代は教員になろうと思っていたんですけど、何か違うなと思って。いろいろ考えて、人をケアする仕事がしたいと思って。結局中退して競輪学校に入りましたけど。
赤見:大学から先の進路というのは、けっこう迷いましたか?
浦部:もともと身長が150センチしかなくて、プロスポーツをするには身長が足りなかったんです。運動は得意だったんですけど、自分が選手として戦うのは難しいなと。それで、指導したり支える側になりたいと思っていたんですけど、結局は自分が戦う側になりました。紆余曲折はありましたけど、それほど悩んだという意識はないですね。
赤見:競輪学校は1期生ということで、選手の皆さんも学校側も手探りの面があったと思いますけれども。
浦部:そうですね。選手側に関して言えば、何も決まっていないところに飛び込んで来る人達ですから、だいぶキャラが濃かったです(笑)。先生たちも大変だったんじゃないですかね。学校での1年は楽しいって言ったら楽しかったのかもしれないですけど、わたしの場合しっかり競輪を覚えてからではなく、何にも知らない状態だったので、覚えるまで苦労はしました。
赤見:デビューは2012年7月平塚でした。
浦部:その段階ではまだ全然、何が何だかわからない状態でした。女子競輪の自転車はカーボンでっていうのも、卒業の直前に決まったんですよ。それまでは男子と同じ自転車で練習していたのをデビュー直前で乗り換えて。レースのことも全然わかっていない状態ですから、最初はなかなか自分のレースというものができなかったです。
赤見:でも、すぐ次の月に初勝利を挙げましたし、翌年地元松戸で初優勝も果たしました。
浦部:地元で勝てたのは嬉しかったです。師匠の前で優勝できたことは大きかったですね。本当はもっと早い段階で勝ちたかったんですけど、落車もあったりして、少し時間が掛かってしまいました。悩んでいた時期だったんですけど、優勝できて本当に嬉しかったですね。
赤見:福井に所属変更された後も、師匠は同じ方ですか?
浦部:はい、ずっと吉川和廣選手です。競輪界は古い社会ですし、一回師匠になったら最後までという絆もありますから。この世界の中で、父親みたいな存在ですし、所属は変わりましたけど、師匠を変えたいとは思わないです。それに、もともと放任主義でがっつり練習をみてくれていたわけではないですし(笑)。いろいろ相談に乗ってもらったり、今でも連絡は取り合っていますよ。
赤見:千葉から福井に移籍した経緯というのは?
浦部:練習環境を変えたかったというのが一番ですね。いろいろ悩んでいる時に、現在は引退されてますけど野原哲也さんという大御所の方がいて、その方が「練習困っているなら見てあげるからおいで」って言ってくれて。すごく有り難かったです。松戸は住宅街ということもあって、車で移動してからじゃないと練習できなかったのが、福井は家の前からできるっていうのもわたしには合っていて。のどかだし、山も近くにあって、すごくいい環境です。
赤見:現在の調子はいかがですか?
浦部:今年の1月2月にちょっと走り過ぎたかなっていうのがあって、今体調を崩しているんです。オフシーズンがない分、ずっと保つのは難しいですね。その時期体調の良くない子が多くて、その分ってわけではないですけど、連戦という形になって。レース中は緊張感もあるので大丈夫だったんですけど、終わったあとにガクッときてしまいました。今は療養しながら体調を整えている状態です。
赤見:では、今の目標を教えて下さい。
浦部:まずは体調を整えて、自分のやりたいレースをできるようにしたいです。あと、若い子が増えて来て、世代交代じゃないですけど、自分が培ってきたものを後輩にも伝えられればいいなと思っています。基本はライバルですけど、悩んでいることに気づいたら、アドバイスができるような先輩でいたいですね。体のケアについても知識は持っているので。そうやって、どんどんガールズが盛り上がってくれたらと思っています。
赤見:オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
浦部:なかなか顔が見えないと思いますけど、みんな一生懸命がんばっているので、選手一人一人の個性を見て欲しいなと思いますね。その中で自分の推しメンを見つけて応援していただけたら嬉しいです!
赤見:ちなみに、浦部選手は甘いものが苦手なんだそうですね。
浦部:そうなんですよ!ケーキとかもう本当に苦手で。お酒は飲まないんですけど、枝豆とかおじさんぽいものが大好きです(笑)。レースとは直接関係ないですけど、こういうところも個性の一つなのかなと思います。これをきっかけに覚えていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA