飯塚オート所属の28期・桝崎陽介選手にお話をお聞きしました。
(取材日4/8)
―選手になろうと思ったきっかけは何ですか?
それはもう父(元オートレーサー・桝崎正さん)の影響ですね。小学生ぐらいの時にはなろうと思っていました。
ただ、両親は『大学までは行ってくれ』ってことで、とりあえず大学までは行ったんですけど、その途中で年齢制限が自分の時はあってギリギリのタイミングだったので両親に相談して『1回だけなら受けていいぞ』ってなって、受けさせてもらいました。それで受かったので大学も休学して、養成所に行きました。大学はその後、卒業しました。卒業まであと1年だったし、残していた単位もそんなになかったので、選手になってから行ける時は行ってですね。
―養成所生活はどうでしたか?
ずっと運動をやっていたので、体力的には特に苦しくなかったですね。
同期も気の合う仲間がいたので、それなりに充実した日々を過ごしていたと思います。
それまで原付しか持っていなかったので(オートレースのバイクは)全然、形も違うし、違和感ありありでしたね。
押しがけも最初は大変でした。同期のみんなで励まし合いながら、同期の中で遅れている人がいてもみんなで頑張れ頑張れっていう感じの期でした。
(養成所を)辞めそうだった人がいてもみんなで『もうちょっとだから頑張ろうぜ』って『もったいないよ』って盛り上げてましたね。
―同期の存在ってどうですか?
自分は養成所では遅い方だったので悔しい思いばっかりだったんですけど、でもやっぱり同期が活躍すると力になりますね。自分も頑張りたいって。
―一番印象に残っているレースはありますか?
初優勝の時ですね。山陽だったと思います。2級車で、ハンデが最重ハンの20メートル前からだったんですけど、逃げ切れました。その時の初優勝がイメージ強いですね。地元の同期の中でも遅い方だったので、最後の方にやっと優勝できたんです。
―記念レースも優勝していますよね。
あれは独走だったので、無我夢中で走っていた感じですね。あとはSGの決勝に乗れたことが嬉しかったですね。
―ここまでやってきて苦しかったことはありますか?
いっぱいありますよ(苦笑)。どうしても親父の存在っていうのがあるので、比較されることもあるし、いろんな面で精神的に辛いことはありました。ただ、それは覚悟してこの業界に入ってきているので、まあしょうがないです。それは分かって入ってきているので...。
―父親の存在ってどうですか?
親父は大好きなので、今でもしょっちゅうお酒を飲むし、今回の受け付けの前の日も一緒にご飯を食べてきました。
ただ、最初は自分も反発心で全然、口も利かないような状態だったんですよ。自分が意固地になって『自分でやる自分でやる』って感じで全然聞く耳をもたなかったんですけど、
冷静になって自分がホントどんづまった時に頭を下げてヒントをもらってからは、すごく仲良くなった感じですね。
調整の仕方とか練習の仕方とか教えてもらったりして、自分の中でつかみ始めて成績も上がってきました。
親父は最初、自分と会話できないって言ってたんですよ(笑)。『レベルが低すぎて何言ってるか分からない』『もう辞めて帰ってこい!』って言われて...。
『そんな恥ずかしいレースするなら帰ってこい!』って言われて結構きつかったですけどね。
でも、そこは自分が頭を下げて、これ以上先に進めないと思った時にアドバイスをもらってから少しずつ良くなってきて...。大きいですよ、親父の存在は。感謝しています。
―現時点での課題を挙げるとしたら?
そうですね、最近は成績やエンジンが振るっていないので、もうちょっと底上げしたいですね。練習しながらですけど、弟子に刺激をもらいながらもうちょっと底上げできれば。
―近々の目標はありますか?
最近は優出もできていないので、とりあえず最重ハンで優出ですね。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
まあ、穴党の方は応援してくださいという感じですかね。1走1走頑張ります。
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