川口オート所属の24期・牧野貴博選手にお話をお聞きしました。
(取材日3/19)
―選手になろうと思ったきっかけは何ですか?
幼稚園ぐらいからレース場の近くに住んでいて、音も聞こえるし、身近にあったっていうのが大きいんじゃないですか。父親に連れられてレース場にも来ていました。高校を出る時には(選手になろうと)決めてたんじゃないかな。
―バイクは興味あったんですか?
免許もなかったし、バイクは乗ってなかったです。ただ、オートレースは見ていて面白かったですよ。
―その時、好きな選手とかいましたか?
その時は中村政信さん(飯塚19期・元オートレーサー)とか。でも、あの頃は遠征はたまにしか来なかったから。交流がそんなになかったので大きいレースとかですよね。見れるのは。
―実際にオートレーサーの試験を受けたのはいつですか?
大学行ってる時に受かったので大学をやめて、オートレースの世界に入りました。ハタチくらいじゃないかな。21でデビューした気がします。ちょっと記憶があいまいで。23期も1回受けたんですよ。で、ダメで、24期で受かって、養成所に入ってって感じです。
―どうでした、養成所は?
初めの2週間くらいは筋トレとかやるんだけど、やっていけるかなあとか思いましたよ。きついな~って。教練って言うんですけど軍隊みたいなことをやってました。
―それまで運動は何かされていたんですか?
野球を中学までやって、あと高校はバドミントンとかやったりスポーツはやってましたね。でも教練はきつかったですね。2週間くらいはみっちりやってましたよ。養成所での生活リズムは1ヶ月くらいで慣れました。バイクの訓練は最初、押しがけってのがあるんですけど、あれができなくて。あれ、ダメだなあって思って。たぶん1日目はエンジンがかからなかったんじゃないかな。でも、何回かやってるうちに慣れて、かかるようになりましたけど。押しがけしながらガブっちゃったこともありましたよ。最初はパイロンを置いて、流しながら走って、だんだんスピードを速くしていって。整備は、自分達はセアの初めての2級だったんですけど、それまでのメグロとかはすぐ壊れちゃったらしいので。整備面はエンジンが壊れなかったので、その点はすごく良かったと思いますよ。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
デビュー戦は覚えてます。1着でしたよ。夏でめちゃくちゃ暑かったし、ハンデもあったから後ろの人は追いづらかったと思います。
―1着でゴールした瞬間はどうでしたか?
いやあ~もう最高でしたよ。今でも1着取るとやっぱり嬉しいですよ。
―一番印象に残っているレースは?
やっぱり、あの、GI取った時です。10メートルオープンの一番インコースだったと思う。エンジンはすごく出てましたよ。お客さんもあの時は多かったですし。あの時はまだ3連単とかなかったんじゃないかな。すごく(配当が)ついた。万車券ついたような気がします。その開催中に産まれたのが竜人(浜松36期・牧野竜人選手)です。
―お子さんがレーサーを目指したきっかけは?
どうですかね。ずっと見てたんじゃないですか。勧めたとかそういうのはないですよ。止めるとかもないです。自分も(選手を)やってるし、危険とは隣り合わせですけど、やりたいってんじゃしょうがないですよね。相談とかはなかったですけど、やりたいならやればみたいな。
―お子さんのことを見ていてどうですか?
ハンデがだんだん後ろにきて、今は厳しい時だと思うんですけどね。自分で走りたい好きなコースを通れないですからね。うちらが新人の時もだんだんハンデが上がってくると勝てなかったですもんね。内とか使えないから、外をぶん回すしかないので...。
―今までレーサーをやってきて苦しかったことは何ですか?
怪我で走れないことですね。大怪我して1年半くらい休んでたんですけど、復帰できるかなとか。大腿骨をやっちゃって、骨がなかなか付かなくて。療養中は初めの段階で精神的に不安定でしたね。骨がなかなか付かないってずっと言われていて。手首も傷めていて松葉杖をつけなかったんですよ。握力も8くらいしかなくなって。で(オートレースは)グリップがあって、クラッチもあるじゃないですか、全身使うんですよね。初めはやっぱり不安で。でも(復帰できて)良かったですよ。みなさんの助けも借りながら。
―体調面で何か気づかっていることはありますか?
体調面はそんなには...。まあ、体を動かしたりはしてますけどね。みっちりしたトレーニングとかはやってないですけど、柔軟とか、ウォーキングとか。
―今、自分の中で課題はありますか?
周りのスピードが速くなってて、すごいタイムが出てるじゃないですか。全然そこまで自分は出なくて、腰回りとか前と変わっちゃったんで、ブーツとかは頑丈なものにしたり、手袋もがっちりとしっかりしたものにしたので。腰回りはだいぶ良くなってきたんですけど、いかんせんスピードが出なくなっちゃったんで...。周りが速い。
―若手で速いと思う選手はいますか?
2級車でもみんな速いじゃないですか。経験者もいるんだろうけど、経験している人は速いですよね。あと、ロードの世界で300キロとかで走ってた人とか、こっちに来たらちょっと遅く感じるんじゃないですか。バイクのことも詳しいでしょうし、スタートとかもめちゃ巧いですもんね。スタートで浮いたって、あの人たちは平気でしょ。うちらじゃ、あ!ってなっちゃうけど(笑)。
―当面の目標はありますか?
まあ、怪我をしないのが一番で、あとは人に迷惑をかけないように速く走るっていうのがベストなんですけどね。だから、そこに関して自分でスピードを上げないとレースができない。一人で走るスピードというか、試走をもうちょっと上げないとダメですね。セッティングでもいろいろやって感じいい時もあるけど、たまにですもんね。スピードが欲しいですね。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
ナイターとかミッドナイトとか、昔はこんなに夜に走るとは思ってなかった。今はネットで投票できる時代ですし、どんどんやってもらって、みんなで盛り上がっていけたらいいですね。
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川口オート所属の21期・木村悦教選手にお話をお聞きしました。
(取材日3/19)
―オートレーサーを目指したきっかけは何ですか?
実家の家計が苦しかった頃、ある方からオートレーサーになることを勧められたのがきっかけ。オートレースについてはその時点では何もしらなかったけど、ぶっつけ勝負で試験を受けに行ったら1発で合格した。ほんとにね、おかげさまでね、選手になって家計も助けられて、親孝行はできたんじゃないかなって。
―で、養成所に入るわけですよね。どうでした、養成所生活は?
自分は全然乗れないのに、周りはそうじゃなかったから、焦っていたかもしれない。でも、家のこともあるので、ちゃんと選手にならないと、と思ってがんばった。
ただ、うまく乗れないから、おっかなくてね。でも、同期の馬場(浜松21期・馬場雄二選手)にステップとヒザ当てをいじってもらったら急激に乗れるようになって、最初は班の中で一番遅いから6番手だったけど、最後はトップ引きになって。ステップとヒザ当てだけで凄く乗りやすくなって。ホント馬場には感謝です。
―それで、デビューを迎えるわけですね。デビュー戦は覚えてますか?
覚えてますよ。3.623で上がって8着。メグロの2級車だったから、タイムはみんなそんなもん。今みたいに高性能エンジンじゃないんで。エンブレも全然利かないような。でもまあ、ホントにこの仕事に感謝だよね。どうなってたかって考えるとゾッとするから。ホントに良かった。【そこから初勝利を挙げるまでは?】たしか10走目くらいに初めて1着を取れて。ただ、2級車時代は全然ダメだったよ。
―1着取れた時はどんな感じだったんですか?
いや、そんな別に嬉しくなかったかも。たぶん、こんなのは通る道だから。誰もが通る道だから。まあ、嬉しかったんだろうけど、そこまでやった!って感じは覚えてない。最初の10年くらいは稼ぐことに必死だったかもしれない。
―今までやってきて印象に残っているレースはありますか?
印象に残ってるレースってあんまりないかもしれない。初優勝は嬉しかったけど。冬場にピストン1個のエンジンで、ハンデは30前くらいで、フジ相手に逃げ切って優勝したので、あれはちょっと嬉しかったかな。やっぱり初優勝は嬉しかった。
―オートレーサーとして日々、取り組んでいることはありますか?
ここ3年くらいはウォーキング。ちょっと早歩きで、開催中も表でも。でも、そんなには歩かない。あまりやりすぎると嫌になっちゃうから。ちょうどほどいいところにして。でも、そんなに軽いタッチではなくて。
―昔から体形が変わらないですよね。
まあね、多少、肉はついているけど、やっぱりまあ、これ以上はって気持ちがあるんで。そこは少しでもって気持ちはある。食べ物はどうしても食べちゃう。気をつけてるんだけど、甘えが出やすいかもしれない。食べ過ぎないようにはしてるけど。もう少し(選手を)やっていきたいから。 逆に、楽しさで言ったら今の方が楽しいかも。若い時とは違って、今は後輩が増えて、自分のペースでできるので今の方が楽しいこともある...。ただやっぱり調子が悪い時は辛い。でもやりがいは今の方が感じるかもしれない。
―今、ご自身の中で課題とかってありますか?
課題はね...、目標みたいになっちゃうけど、タイムは一つでも出したいかな。それに向けてやることをやる。課題っていうか目標だね。タイムが出たら嬉しいよ。久しぶりにヨッシャーみたいな。まだやっていける気がするって思える瞬間だと思う。
―若手の中で巧いなって思う選手はいますか?
金子(浜松29期・金子大輔選手)はレース巧いよね。体は決して小さくもないのに、なんて言うのかな、あのセンス。危なくないし、綺麗な走りで。たしかに貢(伊勢崎22期・高橋貢選手)なんかもそうだけど、金子大輔も見てて、すっごい腕なんだなって感じる。あと、巧いなってなると若い子じゃないけど、ワカ(川口25期・若井友和選手)だよね。巧いなってやっぱ感心しちゃうのは。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
ぜひ当てていただきたいです。まずはそれです。当たれば楽しいし、その気持ちは分かるので。こっちは一生懸命走りますので。
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今年の1月にデビューしたばかりの浜松37期森下輝選手。37期新人選手優秀賞を獲得。そして早くも2度の優勝を飾っています。(2024年4月20日現在)初優勝、2度目の優勝、今後のことなどお話ししていただきました。
(取材日:2024年4月12日)
AKI:1月のデビューからすでに2度の優勝!おめでとうございます!まず、初優勝を振り返るといかがですか?
森下:素直に嬉しかったというのが1番強かったですね。あとは、めちゃくちゃ緊張してました。本当は勝ち上がり権利が発生した3節目の伊勢崎から頑張りたかったんですが、初日2着で勝ち上がれなくて。同期の浅倉(伊勢崎37期:浅倉樹良選手)と「一緒に優勝戦に乗ろう!」と話してて。一緒のレースで戦いたいねという感じでした。なので、残りの2日は1着を取って帰ろうと思って。1着とれて良かったです。
AKI:その後、地元浜松で初優勝を飾るわけですが、振り返ると車の状態はどうでしたか?
森下:車はタイムも出てたし良かったですね。良い感じで乗れてたと思います。「これなら優勝できるぞ!」という感覚はありました。まだ0mからのレースでしたし、いつも通りスタート切って自分の走行ができればとチャンスだと思っていました。準決では上がりタイムも3.382と好タイムが出て自分でもびっくり。そんなに出てると思っていませんでした。「えっ!!?」という感じ。けど、上がりタイム3.3台は目標にしてたので出せて良かったです。
AKI:ただ、優勝戦は走路が濡れました。レースでは初の湿走路だったんですよね!?
森下:そうなんです。浜松の湿走路は滑りやすくて特殊。他のレース場は食いついたりするので全然違います。しかも、浜松の湿走路で練習したこともあんまりなく。なので、雨予報と聞いた時は不安でした。優勝戦で初めてレースで湿走路を乗りました。
AKI:初めての湿走路でのレースでしたが、まずは試走で1番時計タイのタイムが出ました。
森下:思ったより試走タイムが出ていたのでびっくりしました。初めての優勝戦はとにかく落ち着かなくて。ロッカーでもピットでもソワソワしてて。「タイム出ちゃってる」ってなってまたソワソワして。金田さん(浜松33期:金田悠伽選手)が優勝戦2号車でピットでも隣だったんですが「大丈夫??」と心配されるくらいソワソワしてました(笑)けど、レースは大丈夫でした。スタートラインに立つまでがかなり緊張したんですが、スタート切ってからはいつも通り集中して自分の走行をしようと切り替えることができました。
AKI:ゴールした瞬間はいかがでしたか?
森下:めっちゃ嬉しかったです。6周回めちゃくちゃ長かったですね。「まだ終わらない、まだ3周ある!」という感じ。すごく疲れましたがゴールした瞬間嬉しさが勝りましたね。雨は止んでいたのでウイニングランも出来て、沢山のお客さんが残っていて嬉しいなぁと感じていました。喜びが溢れました。試走も出ていて「大丈夫かな?」とプレッシャーもあったんですが、集中出来て勝てて良かったです。
AKI:同期の浅倉選手が優勝して、森下選手と同じ優秀新人賞の福岡選手(飯塚37期:福岡鷹選手)も優勝していく中どのように見ていましたか?
森下:同じ同期として嬉しいですね。養成所の時も3人同じグループで練習していました。その2人が活躍する姿を見るのは自分の力にもなりますね。"自分も頑張らないと"と思えます。
AKI:その後、連を大きく外すことは少なく走れていますが最近の走りはどうですか?
森下:やっぱりハンデが付いたりすると難しいですね。全然違います。痛感してます。後ろからだと自分の走りたいコースを走れない。課題ですね。
AKI:ただ、その後2度目の優勝となりました!
森下:その節は雨が多くて内心「うわ~」って思っていたんですが、たくさん練習して前より雨の心配は減ったかなと思います。少しずつ浜松の雨も慣れてきました。
AKI:初優勝がかかる時はかなり緊張してソワソワしたと仰っていましたが、2回目の優勝の時はどうでしたか?
森下:緊張はしたんですが、1回目に比べたら全然大丈夫でした!落ち着いて優勝戦に臨めました。節間通してスタートタイミングも良かったし、時計が見えてる感覚もありました。なので、自信をもってこの辺りだろうと思ってスタート切っていけました。
AKI:またしても雨の優勝戦となりました!試走タイムは3番時計でした。振り返っていかがですか?
森下:試走は少し滑ったんです。雨も微妙な感じで、直前まで晴れタイヤか雨タイヤか迷っていました。結果的にギリギリで晴れの高めのタイヤで行って。ウォーマーでの温めが足りなかったのか試走で滑っちゃって。「やばいかも!」と思ったんですが、滑った割にはタイムも悪くなかったし「なるようになるだろう!」と思ってレースに行きました。落ち着いて臨めましたね。初優勝の時とは全然違いました。今考えても1回目は相当やばかったと思います(笑)
AKI:1回目も2回目も完全Vとなりましたね!
森下:やっぱ嬉しいですね。1番は嬉しさです!2023年度の締めくくりの開催で勝てたのも良かったですね。人気を背負うことはドキドキするんですが人気にも応えられたというのは自信にも繋がっています。
AKI:養成所で一緒に走っていた浅倉選手、福岡選手も優勝回数2回と並びました。ライバルという意識はありますか?
森下:ライバル意識はありますね。同じグループだったし同じ優勝回数2回だし。負けてられないなというのは意識はしてます。もちろん2人の活躍は嬉しいんですが負けられないなという感じです。
AKI:森下選手は元々モトクロスをされていたということですが、オートレースへの転向はどういうきっかけだったんですか?
森下:オートレースはなんとなく知っていて。1期上に吉林直都さん(浜松36期:吉林直都選手)がいるんですが、小さい時からモトクロスで一緒に大会に出たりしていて。お兄ちゃん的存在ですね。その吉林さんが選手の試験に受かったって聞いて「自分もやってみよう!」という一押しになりました。前までは「受けてみようかな、どうしようかな?」という感じだったんですが、吉林さんがきっかけで選手を目指しました。今回、同じ浜松所属になって、今では同じ2級車で8号車から走ったりしていて尊敬してます。
AKI:オートレーサーになってまだ数ヶ月ですがここまでいかがですか?
森下:まず選手になって良かったなっていうのが大きいですね。元々テストライダーというのをやっていて、開発中のバイクに乗って技能確認とか不具合とかを確認していく感じ。完成するとそのバイクが販売されるという流れです。SUZUKIのテストライダーでした。そして、今乗ってるバイクもSUZUKIのセア。小さい頃からSUZUKIに乗っているので運があるんじゃないかなと思っています(笑)けど、同じバイクでもセアは全然違いますね。今までは整備も細かいところはやっていなかったので分からないことだらけです。なので、師匠の鈴木健吾さん(浜松28期:鈴木健吾選手)や派閥の先輩方に教わっている最中です。師匠の教えは「謙虚で居ろ。」と言われます。そして、優しく教えていただいています。これからハンデが下がっていくとエンジンの整備もしっかり覚えていかないとキツイので頑張んないとなと思っています。
AKI:デビュー時のプロフィールでは佐藤摩弥選手(川口31期:佐藤摩弥選手)が憧れの選手と書かれていましたがどのようなところに憧れを感じますか?
森下:同じモトクロス出身というのがあります。モトクロス時代は一緒に走ったことはないと思うんですが、やっぱりあの位置で走っていて活躍しているというのは凄いです。
AKI:今後の目標は考えてますか?
森下:SGに出て優勝すること。トップレーサーになることが目標ですね。なので、SGでもスーパースターで優勝したいです。去年は家で見ていたんですが、やっぱり凄いです。今はレベルが違いすぎます。なので、しっかり練習して"優勝する!!!"という強い気持ちを持って走っていきたいです。
AKI:今の課題はなんですか?
森下:ハンデ戦になってきてどうやって捌いていこうかというところですね。今は捲りたいっていうか、吉林さんの走りをしたいんで。派閥の方々にも「外一本にしろ。」と言われるんです。小細工使わずまずはスピードで勝負しろと。その方が周りから見てても気持ちいいぞ!っと。なので、今は捌きを課題として。あとはスタートしてからの伸びをもう少し求めていきたいですね。整備、切り方、つなぎ方とか色々ですね。少しずつ良くしていきたいです。
AKI:車名ですが"LEセラ"由来はなんですか?
森下:「LE SSERAFIM(ルセラフィム)」というK-POPアイドルが好きでそこから取りました。
AKI:それでは最後にオッズパーク会員の皆様にメッセージをお願いします。
森下:これからどんどん厳しくはなってくると思うんですが、周りに負けず興奮してもらえるレースができるように。そして、もっとオートレースを好きになってもらえるようなレースをしていけるように頑張ります!!
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伊勢崎オート所属の22期・木村義明選手にお話をお聞きしました。
(取材日3/19)
―レーサーになったきっかけは?
雑誌とか新聞とかでオートレースを知って、あと、(昔の職場の関係で)平和島競艇場にいて、競艇の選手がすごく稼いでいるのを知ってたので、それで、オートバイが好きだったので、オートレースを受けてみようと思いました。競艇場にいたから、その発想ができたのかもしれないですけど、公営競技つながりでオートバイの競技もあるのを知って、身長とか体重がギリセーフだったので。当時は170cmの60kg未満で、ギリギリ大丈夫だったので受けて、受かった時はびっくりしました。すごく人がいっぱいだったので、まさかと思いました。嬉しかったですね。
―それで養成所に入ってみてどうでした?
厳しかったですけど、まあ、自衛隊式だっていうのは聞いていたので、まあまあ。最初、訓練で肋骨にヒビが入ってるんだろうなと思うくらい、咳をしても痛い時があったんですけど、帰されちゃったら嫌だと思って、腕立てとかをしてても痛くてできないんですけど気合でやってました。退所だけはならないように頑張ってましたね。バイクに乗る訓練は、元々バイクに乗ってたから比較的、最初から普通に乗れました。押しがけとかも他の人よりはすんなりとできました。養成所では高橋貢(伊勢崎22期)が最優秀賞でした。で、自分と他に何人かが優秀賞だったので、当時は「貢にも負けないよ」という気持ちでした(笑)貢は優等生でしたね。危ない走りもしなければ、教官にも逆らわないし。
―デビュー戦は覚えていますか?
覚えてます。デビュー戦は船橋で、1着でした。あの時は人がいっぱいいたので緊張しました。最終レースの後は帰れないくらい人がいたので。転んだらどうしようみたいな。で、ピットからオッズが見えるんですよ。ちゃんと走り切らないとやばいぞ、と。でも、ハンデがあったので。ゴールした瞬間はホッとしましたよね。嬉しかったですね。その時はメグロの2級でボロいエンジンだったので、みんながみんな今みたいに良いエンジンじゃないから、デビュー戦で意外と勝てなかったんですよね。メグロの2級車の最高タイムは自分なんですよ。片平巧さん(船橋19期・元オートレーサー)のタイムを数年ぶりに抜いて、意気揚々としてました(笑)。
―ここまでレースをいっぱい重ねてきて、印象に残っているレースはありますか?
初優勝した時はやっぱり嬉しかったですね。(同期の中で)自分だけじゃないかな、メグロのエンジンで優勝したのは。だから、自分、JKAの最優秀新人賞もらったっすもん。今だったら栗原選手(浜松36期・栗原佳祐選手)がもらったような。メグロのエンジンではなかなか優勝できなかったんですよ。壊れちゃうようなエンジンだったので。1級車では単気筒だったんですよ。乗り始めた頃は良かったんですけど、大怪我をしちゃって...。1年くらい寝たきりになったんですよ。それからも頑張ってましたけど、なんとなくちょっと...。でも、その後もまあまあ何とか1級で30年ちょっとやってきてるんで、老いぼれてきたけど何とか着を拾えてるので、このまま現状維持できるようにしたいですね。やっぱり目とか体力、衰えてきてるけど...。
―休みの日はどう過ごしてますか?
休みの日は、春になったら桜を見に行こうかなとか、夏は趣味のキャンプやったり、秋は紅葉を見に行ったり温泉行ったりしてます。でも、最近は休みが少ないんですよね。開催が増えたので意外と忙しいんですよ。でも、ありがたいですけどね。
―休みの日と仕事の日でメリハリつけてるんですね。
でも、仕事も無理しすぎないようにしてるんですよ。若い時はもう、ガツガツと、朝から整備して20分も30分もエンジンかけたりしてたけど、もう歳も取ったので、今までの貯金(知識の蓄積)じゃないですけど、ピンポイントで整備してやってます。
―現時点で課題を挙げるとしたら何かありますか?
課題は体調管理ですね。体重がすごく増えたので。歳を取って太りやすくなったなと。あと何回もヒザとか足首とかケガしちゃってて、激しい運動もできなくなったので、運動もしなくなっちゃったのもあると思います。なるべく動くようにはしてるんですけど、前みたいには動けなくて。
―これからどうなっていきたいとかありますか?
基本的には一日でも長くオートレースに携わって、クビにならないように頑張りたいのが一番ですね。もう56歳なので。56でバイク乗っているおじさん、なかなかいないですよね。でも、まあ、何とか頑張れるようにしたいです。だんだんと目が見えなくなってきたりとか、なにかにつまづいてみたりだとか、腰が痛くなったりだとか毎年くるので何とかいなしながら、ガーンと落ちるのではなく緩やかになるように気をつけてますね。
―できれば何歳までやりたいですか?
できれば65で年金をもらえる歳までやりたいですね。もっとやりたいけど、最低でもそこまではやりたいですね。若者にね、あのお爺ちゃんまだ止めないのかって言われながら65までやって(笑)元気なおじさんだったなと言われて引退したいなと、そんな感じですね。もう、ケガなく。この歳になってケガすると、ほんと致命傷ですからね。なるべくレース勘だけは、なんとかベテランの味でうまく交わしながらいきたいですね。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
試走が出たり調子がいい時は、なるべく堅い走りでいい着を取れるように頑張ってるんで、まあ車券に貢献できたらと思って、買っていただけたら嬉しいです。もう、この歳になってファンもいなくなってると思うので(笑)でもまあまあ、木村で買っていただけたら頑張りますってことで。
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