浜松オート所属の36期・吉林直都選手にお話をお聞きしました。
(取材日8/7)
―来期のランキング発表(S級29位に昇格)を見てどう思いましたか?
驚きましたね。まだ自分で自力を感じていないので、実力以上に評価されちゃったみたいな。ランクが先行しちゃっているので、頑張って自力をつけないと。プレッシャーじゃないですけど、ひとつのモチベーションになるのかなって感じですね。でも、走りは徐々に...。衰退している感じはないですね。
―現時点で、ご自身で取り組んでいることはありますか?
毎レース毎レース、必ず課題を持って仕事しています。今は、整備面だとパーツ探しをしていて、調子がいいモノは取っておいて、また違うのを探してっていう感じで。いいモノをもっと良くするっていうよりかは、記念とかに出られるようになった時に、活躍できるように整備の面では取り組んでいます。走行の面では、車を外に振ったりするのが苦手なので、そういうところの車間距離も含めてレース慣れですね。レース展開とかで、引かなくてもいいところで引いてしまったりするので、自分の意識と、VTRで見たことを合わせながら、こうできたらいいなっていう、感覚的なところを煮詰めていけるようにしています。しっかり振ってからいかないと、どうしても突っ込み勝負になってしまうので...。しっかり態勢を作ってから抜くのがS級だと思うので、そういう風にやろうと意識していますね。
―整備の面では余裕を持ってパーツを持っておきたいという感じですか?
そうですね。B級の内にできることかなと思って。勝つことも大事ですけど、今やれることをやっておかないと、もし何かあった時に痛い目を見るので。経験値がないままランクが高くなってしまったので、そこを今できるようにしていこうかなと。いいモノを見つければ、後は違うところをやればいいというのを聞いたので、そうしようと。
―そもそもなんですけど、オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
元々バイク関係の仕事をしていて、バイクが好きだったんですけど、前の職場の先輩に「オートレーサーに向いているんじゃない?」って言われて。オートレースのことは元々知っていて、高校の時に父親から観戦に連れていってもらっていたので、先輩の話を聞いた時に「ああ、そういえば、確かに身近にあるな」って思って。
―初めてオートレースを見た時はどう思いましたか?
その時は、モトクロスをやっていて「土」に夢中だったんですよ、アスファルトじゃなくて(笑)。その時はなりたいとは思っていなかったんですけど、社会人になっていろんなバイクに乗るようになってから、アスファルトもいいなって。で、試験を受けました。
―養成所生活はどうでしたか?
きつかったですね。けっこう、同期で怪我をする人が多くて...。速くなりたいんですけど、毎日リスクとの戦いというか。バトルロワイヤルじゃないけど、落ちて骨を折ったら卒業できるか分からないし、っていうのがあって。自分は社会人を辞めてから来たので、フリーターになるのは嫌だったので、辞めるわけにはいかない、でも、攻めたりしてると落ちるし怪我したらまずいし、でも、速くなりたいっていうのが毎日。精神的にすごく疲れましたね。自分はその辺の危機感が人一倍強かった気がします。ちゃんと手に職をつけないと、選手になれなかったらヤバイぞ、って。体力訓練もきついですけど、きついと分かって来ているので、今思えばいい思い出だったなって感じです。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
すごく緊張しました。朝起きてからずっと緊張していました。レースもヒザ当てが入らなくて...。自分のレースの前が竜人(牧野竜人選手・浜松36期)だったんですけど、竜人がスタートですごく浮かせていて、それを見て「やばい」って思って。それまでは自分はイケイケのつもりだったんですけど、それを見て「やばい」って思いました。で、結果2着で、悔しかったけど、今思えばただの通過点で...。でも悔しかったですね。
―デビューして2級車に乗ってきて、今年から1級車に乗り換わりました。違いとかはどうでしたか?
ものすごかったですね。パワーも違いますし、全然違って...。すぐには慣れなかったです。スタートとかに苦手意識を持ってしまったり、安定しなくてっていう感じで、四苦八苦しましたけど、時間が解決するもんだなって思っています。まだ、分からないことだらけです。
―パーツとかではなく、セッティング面の方はどうですか?
セッティングは毎日頑張って合わせようとしていますけど、まあまあ、自分の中で「こうかな」って思ってやっています。でも、それが全てじゃないので、たくさん練習して新しい気づきがあれば、それに合わせられるように、あまり堅い頭を持たずに。試走路でエンジンかけてちょっと違うかなと思ってもレース行ったら良かったとかあるし、本当にまだ自分自身のベースが出来上がっていないです。探りながら、1走1走勉強しながらって感じですね。いろいろと試しながらですね。
―当面の目標は何かありますか?
綺麗なレースができる選手になることです。雅人さん(中村雅人選手・川口28期)の走りはすごく綺麗ですし、すごいなって思います。浜松の金子さん(金子大輔選手・浜松29期)もそうですし、レースがすごく綺麗なので、いいなって思います。
―同期の存在はどうですか?
同期は栗ちゃん(栗原佳祐選手・浜松36期)がすごく速いですし、刺激にはなっています。でも、そこまでライバル視していることはないです。みんなそれぞれステージがあって、その中でやっていると思うので。調子が良ければ「何をしたんだろう」って、そういう面で気になります。そういった話もお互いにする時はあります。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
これからもたくさん練習して、たくさん整備して、自力をつけていきますので、長い目で応援していただけたらと思います。
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山陽オート所属の27期・中野政則選手にお話をお聞きしました。
(取材日8/7)
―オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
親の影響ですかね。親が山口県下関の方でアマチュアオートをしていて、その影響ですかね。なんとなく幼稚園ぐらいから(親が)何かやってるなぁぐらいな感じはあって、だんだん興味を持ち始めて、みたいな感じです。バイクが好きなのもあったのかな。オートレース場にも連れていってもらったりしたし、格好いいなって思っていましたね。身近にそういうのがあって、オートレースのバイクってこんなんなんだって。変わったバイクが家にあったのは間違いないですね。具体的になろうと思ったのは高校生の時くらいですね。学校が終わって帰る時間にオートレース場に行くと、最後の夕練とかでしたね。ちょうど佐々木さん(山陽23期・佐々木啓選手)とか、23期がセアの1級に乗り換わる時の練習が一番印象的でしたね。
―受けたのは27期が最初だったのですか?
いや、高校を卒業する時の25期が最初でした。その時は補欠だったんですけど、空きが出なくて。そのまま山陽の競走会で従事員として働かせてもらいました。それで、3回目の試験になる27期で合格しました。オートレースが好きっていうのもあって、そういう仕事に就いたというか。合格が決まった時は嬉しかったですね。その時は年齢制限があって、年齢的に最後の最後でしたから。受からなかったら競走会でどうにか働き続ける人生だったのかな、とか思ったりしました。コーナー審判塔に上がったこともあるし、救護もしたし、誘導者もしたし、周回番もさせてもらったし、ひと通りのことをさせてもらって選手になった感じですね。
―養成所生活はどうでしたか?
卒業すれば選手になれると思っていたので、長かったし戻りたくはないけど、まあ、良かったかなぁぐらいのイメージです。同期もいたし、選手になれるから我慢、って感じじゃないけど。時間が経つのは長かったけど、終わってみたらあっと言う間だったかな。体力訓練もそこまでキツかったってイメージはないです。クラブ活動の一環みたいで、バイクに乗る方がって感じですかね。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
緊張するだろうから嫌だなって思っていたんですけど、あっという間に終わったかな。(今までは外から見る側だったので)金網の中にいるっていう不思議な感じはありましたね。悪い感じはしなかったです。
―ここまでで印象に残っているレースはありますか?
印象があるのは全部2着のレースかな。なかなか優勝できないな、みたいなレースの方が印象強いですね。8年くらいかかったので長かったけど、優勝した時は漠然な感じでした。残り1周でやられたレースとかの方が覚えていますね。オートレースの残り1周ってすごく大事だなって今でも思います。特に今、弟子を取って余計に残り2周とかが大事なのは思いました。
―弟子を取ってから何か気持ちとか変わりましたか?
弟子には『残り2周が大事』って言うけど、自分も残り2周がキツいなって。自分が歯を食いしばって走らなければいけないなっていう思いです。弟子に言うんだから、自分がしないとっていう意識はあります。まあそこは弟子を取ったからどうこうではなくて、いつも通りなんですけど。
―今、ご自身で挙げる課題はありますか?
平常心。これが一番難しい。先頭を走っている時も8番手を走っている時もどんな時も平常心でいられるように、自分を落ち着かせるって難しいんですよね。レース中に熱くなっちゃう時もあるんですけど、冷静にをモットーに後半のオートレース人生はやっていきたいですね。負けるのも自分のせい、ドドドが来るのも自分のせいと思って。嬉しい時は嬉しいと言いたいけど、そういう時も平常心で保つってことが一番難しいことだと思うので、そこを意識して取り組んでいます。悔しいことがあってもその日で終わりじゃないから、平常心で落ち着かせて、それからだと思います。悔しいと思ってガァって何かやっても、良い方に出ないことは自分でも分かっているので。
―当面の目標はありますか?
1走1走同じ気持ちで走れたら、結果がついてくるかなと思っています。
―デビューしてから結構経ちますけど、体形あまり変わってないですよね?
体形は変わってないです。背が伸びたくらいかな。デビューしてから伸びましたね。体重が増えないように意識はしてないです。美味しいものは食べるし。食べすぎないようにはしてますけどね。増えすぎると考えたりするんだろうけど、増えすぎないようにはしています。ただ、何をするってこともないです。走ったり歩いたりもしないですし。趣味は趣味で遊んで、釣りとかをして、食べるものは食べて、休む日は休んで。休みの日は仕事のことは考えないようにしています。その辺はギスギスせず、ガツガツせずって感じでオートレース人生の後半はやっていこうかな、と。
―最後にオッズパークの会員の皆様へメッセージをお願いします。
自分らしいレースができればいいなと思っています。粘り強く走れればいいですね。
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川口オート所属の28期・高石光将選手にお話をお聞きしました。
(取材日6/3)
―5月15日の川口開催で優勝されましたね。その時の感じはどうでしたか?
良かったですね。タイヤも良かったし、優勝戦はスタートが決まったので、そこが勝因かなと思っています。エンジンはそれまでもずっと良かったんですけど、(4月6日のレースで)浜松の柴田君(浜松28期・柴田紘志選手)とぶつかったのでフレームを換えたら、そこから乗り味が良くなって、それから好調でした。優勝した節は特に良かったですね。その前のナイトレースも良かったんですけど、優勝戦は雨だったのでダメでした。ただ、その辺の一連の流れはずっと安定していました。その後もエンジンはいじっていないので変化はないですけど、ハンデが重いですね。それで苦戦しています。
―レース展開がガラッと変わりますよね。
そうですね。自分は前で先行するタイプだったので、後ろからだと今まで抜いていない選手を抜くことになるので全然違いますね。
―意外にも優勝はまだ2回目だったんですね。
意外でもないですけど(笑)、1回目は2年くらい前の6月でしたね。この季節は自分にとっていいんですかね。
―そもそもですけど、オートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
お客さんとしてオートレースを見ていたんですけど、その延長で試験があったら受けてみようかと思って受けたら受かっちゃったって感じですかね。
―それまでバイク自体は興味あったんですか?
いや、なかったです。乗ったこともないです。初めて乗ったのが養成所の競争車です。
―養成所生活はどうでしたか?
まあ、厳しいですけど、高校野球をやっていたから肉体的なキツさというのはあんまり感じなかったですね。でも、連絡できないとか、そういう方がキツかったです。自分の時は養成期間が10ヶ月だったので。
―デビュー戦のことは覚えていますか?
デビュー戦はビリでしたね。たしか初勝利が7走目くらいでした。どちらかと言ったら出遅れた方ですよ。緊張もしたと思いますし。うまくいかなかったのは覚えています。
―印象に残っているレースはありますか?
印象に残っているのはやっぱり、キューポラ杯で3回優勝戦に乗っているんですけど、その準決勝のレースは印象的ですね。3回とも印象に残っています。キューポラはだいたい7月の半ばなので、その辺の時期がいいんですかね。今思えば。
―ここまでやってきて苦しかったことはありますか?
若い時はあまり良くなくて、どちらかと言うと歳いってから成績が良くなってきたので、いいイメージから悪くなっていないから、そんなにきつくはないです。悪いところから入っていて、だんだん良くなっているので、あんまり悩んだりは逆に少ないですね。悪い時の方が普通だから(笑)。少しスランプになっても、もっと悪い時はあったし、少しうまくいかなくてもどうこうなるとかはない方だと思います。
―現時点での課題を挙げるとしたら?
課題は抜いていくレースですね。混戦が好きじゃないです。自分はもう勝ちパターンが決まっていて、速攻抜け出しからの独走。ハマった時の強さとハマらなかった時の脆さが極端ですね。まあ、お客さんも分かっていると思いますけど(笑)。でも、違う形の勝ち方ができたらいいなって思います。少しはできるようにならないと長くは選手として残れないですし。ハマらなかった時でも少しは良くしたいですね。あと、雨。もうちょっと乗りたいです。たまに1着があっても続かないんですよ。すごく乗れるようにはならなくてもいいから、普通ぐらいにはなりたいです。ビリばっかりは嫌だと思ってやっているんですけど、なかなか上達しないですね。
―当面の目標はありますか?
300勝が迫っているので、とりあえず今年中に300勝を目指しています。今は289かな(2025年6月3日時点)。今年中にあと11本は勝ちたいです。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
良くも悪くも自分の買い時は分かりやすいと思いますが、人気を背負った時は、より頑張るのでよろしくお願いいたします。
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川口オート所属の22期・影山伸選手にお話をお聞きしました。
(取材日6/3)
―今年復帰されて何節か走りましたけど、今のお気持ちはどうですか?
やっと最近かな、気持ちと体と車が一体になってレースできるようになってきたかなあって感じですね。まあ、まだまだなんですけど。復帰節はただただ流れに沿って走っているだけでしたよね。ハンデもありましたし、いろいろと仲間がサポートしてくれたので、あとは乗る方だけで行けるように力を貸してくれたので乗る方に集中できました。ホントに乗る方だけに集中できたので。一日でも早く、体と心と目とかいろんなものとかを車と一体になってレースできればってのを心がけていたんですけど、最近かなあ、ようやく徐々に重なってきたかな。思っていることと重なりつつあるかなあ。
―療養中はどんな気持ちでしたか?
そうですね。一切レースは見ないようにしていました。取り残された感は絶対あるだろうから気持ちが焦っちゃって、体を治すことよりも、焦りの気持ちの方が大きくなっちゃったらマズイと思ったので、一切断ち切って過ごしていましたね。
―ケガをした時のレースはすごい内容でしたね。
どうにもできない状態で、金網に行っちゃうと思ったので、自分からねじ伏せて落ちたんですけど、その時に体が浮いちゃったんですよね。勢いがすごかったんでしょうね。車と体がバラバラには行ってたと思うんですけど、足から金網に突っ込んでしまったので、体が屈伸する形になってしまって、その時に脊髄を骨折したんでしょうね。ドクターには「神経を損傷してなくて良かったね」と言われました。下半身不随になっちゃう恐れもあったので。骨折の影響が神経までいってなかったので、ただ骨が潰れただけだから良かったけど「下半身不随にならないで良かったね」って話はされてました。
―そもそもオートレーサーになろうと思ったきっかけは何ですか?
父親の友人がオートレースが好きで、たまたま自分が今で言うフリーターをしていた時に「今、何をやっているの」って話になって、当時は年齢制限があって、その時が21歳だったかな、最後だから受けてみようかなって感じになって。最初は高校生の時に、20期の試験の時だったかな同じ人に紹介されたんですけど、その時はオートレースを知らなかったので受けなかったんですよ。でも、21歳の時にまた同じ話がきて、その時にたまたまテレビでオートレースを見て、こういうのがあるんだと思って受けてみようかなと思いました。どっちみち年齢制限があって最後だし、22歳になったら受けられなくなるし。受けてみたら受かっちゃったって感じですね。試験を受けた時にすごく人数がいたんですよ。すごい倍率で。まさか自分がなれるとは思っていなかったですよ。(合格通知が来た時は)めちゃめちゃ嬉しかったですよ。マジかよって思って。自分の時は一次試験が3回あったのかな。筆記試験と身体検査と反射神経だとか動体視力だとか。何回か通った覚えがあるんですよね。二次試験というか、養成所に入る前に名目上の試験があって、それはほぼほぼ合格が決まっていたんだと思うんですけど、通り抜けられてすごく嬉しかったです。
―ここまでで印象に残っているレースはありますか?
えらい前なんですけど、ちょうど単気筒の時に、準決勝で落車しちゃったんですよ。先頭を走っていたんですけど、他の選手に抜かれる時に寄りすぎてしまって接触して落ちちゃったんですよ。準決勝だったので、2着に入れば優勝戦で出られたのに、自分に対して「何やってるんだよ」って思って、それがすごく覚えていますね。あれは悔しかったですね。それが一番だったかな。何やってんだみたいな、ですかね。あとは初優勝の時かな。あとは記念を獲った時とか。家に帰ったら家族が喜んでくれて、みんなでお酒を飲んだって思い出がありますね。そんなぐらいかな。
―今、当面の目標はありますか?
今までの走法とは違った走法を目指して日々練習しています。今まで通りじゃ、ケガをする前と同じレベルで終わりだなあと思っているので、せっかくこのブランクがあって、再出発をさせてもらっているので、またちょっと新たに新人じゃないですけど、新しい走法を完成させたいなって思っています。今まで通りじゃつまらないと思うので。どう転ぶか分からないですけど、取り組めば自分の理想の走りができるんじゃないかと思って。仮にできないとしても楽しいんじゃないかなと思って。どうせなら楽しくやった方がいいので。どれぐらい時間がかかるのか分からないですけど、楽しんでやっています。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
今年57歳になります。あとどれくらい選手を続けていけるか分からないんですけど、応援してくださるファンのみなさんに暖かく見守っていただけたらと。一生懸命頑張ります。なるべく貢献できるように頑張ります。
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川口オート所属の34期・本田仁恵選手にお話をお聞きしました。
(取材日6/3)
―まずは優勝のゴール線を越えた時のお気持ちを聞かせてください。
嬉しかったです。
―あのレースは1回、後ろの選手に抜かれてから逆転しましたが、抜き返す時はどんな感じだったんですか?
タイヤもエンジンも西村さん(山陽17期・西村義正選手)よりいい気がしたから、タイミングがあったら1回勝負しようと思っていました。まだ2、3周残っていたので諦めないでいました。体感的には行けると思って行ったんですけど、リプレーを見たら意外とそうでもなかったですね(笑)。インに入ってみてダメだったらしょうがないかなと思って。
―オートレーサーになろうと思ったキッカケは何ですか?
父親に進められてって感じでした。自分は(試験を)受けるってなるまでオートレースを見たことがなくて...。初めて見た時は、音が大きいなと思いました。自分にはできっこないよなと思ったんですが、やってみるのは悪いことじゃないし、やらなきゃ始まらないので。それで、せっかくだから受けるだけはしてみようかなと。(合格通知が来た時は)びっくりしましたよ。受かると思っていなかったので。
―それまでバイクには乗っていたんですか?
はい。普通自動二輪の免許は持っていて、中型のホンダのVTR250に乗っていました。お父さんもバイクが好きだし、高校を卒業してすぐ取りました。
―養成所でオートレースのバイクを乗ってみた時はどうでしたか?
今まで乗っていたのとは全然違うし全部、新鮮でした。でも、クラッチペダルが逆ってだけで、そういうものだと思えば、そういうものかなとあまり深くは考えていませんでした。養成所ではずっと遅いグループでした。悔しさはあったけど、そんなにカリカリはしていなかったですかね。検定は通らないといけないと思っていたので自分では頑張っていたけど、周りの人と話していて「あいつに負けたら悔しい」とかはなかった。速い順に班分けされていて、速いグループから落ちるとみんな、また速いグループで走りたいって思っていたみたいですけど...。デビューしてからは成績に応じて賞金が出るし、周りの先輩がすごく面倒を見てくれるので恩返ししたいなって気持ちが出てきました。結果が一番、目に見えて恩返しになるので、そういう気持ちもあって今は頑張ろうと思っています。養成所の時の気持ちとは全く違いますね。
―ロッカーとか周りの環境はどうですか?
ホントに最高の環境でやらせてもらって幸せだと思います。今があるのもみなさんのおかげです。
―ここまでで一番覚えているレースはありますか?
優勝したレースです。それ以外にないですね。思っていたより良かったです。お父さんも喜んでくれました。
―今後の目標は何かありますか?
もう1回優勝したいです。優勝した時にもう1回したいなあと思いました。前までは辞めるまでにできるのかなあと思っていましたが、優勝した時はもう1回したいと思いました。
―オートレーサーとして普段、取り組んでいることはありますか?
ストレスを溜めないようにしています。あまり制限とかしないから良くないんですけど、自然体でいます。S級の人とかはやってるんだろうけど、運動もしたい時にするくらいで。さすがに身長があるので、体重がすぐ増えちゃうから気にする部分は多少あるけど...。
―今、走りで課題に挙げていることはありますか?
抜く人が増えたから、自分で展開を作れるようにしたいと思っています。
―最後にオッズパーク会員の皆様へメッセージをお願いします。
また優勝できるように一生懸命頑張ります。
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