現役通算3373勝を挙げたトップジョッキーで、昨年調教師試験に合格。今年度の開業を待つ大河原和雄調教師(57)に話を聞きました。
2017年11月27日第9レース、最終騎乗を終えて
騎手生活お疲れさまでした。調教師試験の合格は西弘美調教師以来8年ぶりで、久々となります。
ありがとうございます。調教師試験を受けたのは今回が初めて。馬学の本や医学書を読んで勉強しました。
今まで調教師の免許は1月1日交付だったから、試験に受かっても12月まで乗るつもりでいた。今年から12月1日交付に変更になっていてショックだったな。試験に受かってから手続きが忙しかったよ。引退セレモニーでは、家族や親戚が集まって、親孝行ができたと思う。
騎手の引退はいつ頃から考えていたのですか。
キタノタイショウが引退したタイミング(2017年3月)だね。ただ、調教師には2000勝した時点(2006年)からやりたいと言っていた。もともと育てながら乗るタイプだったから。調教師は、スタッフにしても馬にしても、自分で全て責任を持ってやらないといけない。騎手の方が、調教してレースにも乗れるから贅沢だけどね(笑)。
育成に定評がある大河原さんならではですね。それでも、いままで騎手を続けていたのはなぜですか。
一番はキタノタイショウがいたこと。長澤幸太騎手が競馬場に来た。鈴木恵介騎手も(自分と同じ)服部厩舎所属になったから。
長く乗りすぎた(笑)。体力的にも辛くなってくる。ケガ(2014年にアキレス腱断裂)もしたしね。
ばんえい記念(2015年3月22日)を制したキタノタイショウ
騎手生活で、心に残っている馬を教えてください。
やはりばんえい記念(2015年)を勝ったキタノタイショウだね。2歳から引退までずっと関わることができた。それは騎手として最高の幸せだ。
昨年命を落としてしまったが、種牡馬としては人気で60頭くらいに種付けしたと聞いている。最近のばん馬にしてはかなり多い。
道東の浜中町にいたけど、十勝や上川からも種付けする牝馬が来た(注:ばん馬の繁殖牝馬はその地域の種牡馬をつける事が多い)。
牧場でも、水たまりをおっかながったり、納得するまで動かなかったり、競馬場と同じ性格だったって。
最初の子は3月末くらいに弟子屈町で生まれる予定。一度はタイショウの子をやってみたいな。
リキミドリには競馬の仕方を教えてもらった。特にレースでの"待ち方"。自分の引退式の日に、自分が勝った重賞レースのDVDをもらったからリキミドリのレースを懐かしく見ていたよ。俺がしくじって乗っていても、勝っていたんだよね。馬がカバーしていた。馬を育てながら乗ることも、リキミドリから教えてもらった。
1985年に初騎乗初勝利したカツハルのことは覚えていますか。
覚えていますね。「やっと仕事が始まったかな」と思った。自分で調教してレースに乗った馬で、自信満々で乗ったんだ。「このメンバーなら勝てる」と、ワクワクした。印はなかったけどね。トラックマンに「山さえ上がれば勝てるわ」って言ったんだ。
すごい新人ですね。
厩務員4年やっていたからね。
引退セレモニー(2017年11月26日)。服部義幸調教師と
それにしても(笑)。今はどのような生活ですか。
忙しいよ。競馬場では、服部厩舎やほかの厩舎の若い馬の調教を手伝っています。
まだ馬房数が決まっていないので新馬登録はまだだけど、スタンバイしている馬が牧場にいます。看板も出来ている(笑)。
開催日はだいたい競馬場だけど、それ以外は馬主のところに行ったり、スタッフを集めたり、馬主に連れて行ってもらって馬を見に行くなど道内を訪れています。前、キタサンブラック見てきたよ。
門別競馬場で話を聞いたりね。スタリオンでも乗馬にしても、いろんなところにいって話聞けば、かなり刺激もらえるからね。いいと思ってこだわる人はやはり違う。もう一歩先、一歩先を目指している。
スタッフ集め、ですか。
サラブレッドの牧場にいた人が来るよ。珍しがって来るんだ(笑)。サラブレッドというより馬を知っている人。馬のことで、聞きたいことが山ほどある。今の競馬場は頭が固いから。
スタッフには「かわさん」と呼ばせている。「先生」って呼んだら罰金だ(笑)。
4月の開業に向けて豊富を聞かせてください。
調教師になったからには、たくさんのファンに愛される馬を作りたい。そしてばんえい記念に出せる馬を牧場で探し、作り上げたい。1年目は極力無理せず、やれることを確実にやろうと思います。試したいことは山ほどある。馬も、スタッフも。
幸太(長澤騎手)も「どうやって乗ったらいいかな」って聞くけど、「好きなように乗ってこい」と言う。アドバイスは小さいことだけするよ。騎手には乗った後に話を聞くね。俺はそっちの方を大事にしている。ハミはどうだった、とか。感じ方はそれぞれ違うから、言葉一つ一つが楽しい。騎手の能力を知りたいんだ。
自分に余裕ができたら、ファンに対しても自分でできることを協力できればと思う。使命だしね。騎手は騎手、調教師は調教師の指命がある。
今は、ファンへの発信が少ないよね。はじめてばんえいを見る人とキャッチボールができたらいい。スタッフもファンも含めて、投げた球を返してくれるかどうかなんだ。
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※インタビュー / 小久保友香(写真:小久保友香、小久保巌義)
9月7日に地方競馬通算3000勝を達成した愛知の角田輝也調教師。12月24日現在、熾烈な全国リーディング争いで、僅差でトップを守っています。リーディングへの想い、そして4戦無敗のサムライドライブについて語っていただきました。
3000勝達成おめでとうございます。
ありがとうございます。特に伝手もなく厩務員から調教師になって、最初はここまで数字を重ねられるとは思っていなかったです。たくさんのいい馬たちを預けてくれるオーナー、頑張ってくれる馬たち、スタッフのお陰ですね。ここまで1戦1戦前向きに取り組んで、がむしゃらにやって来ました。開業当初から名古屋でリーディングを獲りたいという夢を持っていて、「3年でリーディングを獲りたい」って最初の調教師インタビューで答えたら「生意気だ」って言われていろんな人に叩かれて(笑)。でも、それくらいの想いを持ってやらないといけないなと思いました。結局4年掛かっちゃいましたけど。
4年でリーディングを獲ったというのも十分すごいです。秘訣は何だったんですか?
荒川友司先生(笠松)も川島正行先生(船橋)もご存命で、その先生方にいろいろと教えていただきましたし、その教えを忠実に守るということを大事にして来ました。一番になりたかったら、一番の先生に聞くというのが近道だと思っているので。先生方も快く教えて下さって、本当に感謝しています。
具体的にどんなことを教えていただいたんですか?
いい運動、いい食事、いいケアという3つを教わりました。いい運動をするためにはちゃんとしたケアと食事を取らなければならないし、いい食事をするためには体のどこも痛いところがない状態にしないといけない。この3つのバランスが大事なんだと考えています。
現在は名古屋リーディングだけではなくて、全国リーディング上位の常連ですもんね。
そこはそんなに深く考えていないです。名古屋では獲りたいと思いますけど、全国リーディングは意識していません。
そうなんですか?! 現在熾烈な全国リーディング争いのトップを走っていますけれども。
周りからは言われますけど、全然意識していないです。だって、全国リーディングを獲りたいって思っていたら、前開催(12月4~8日)の笠松に使いに行ってますよ。1頭たまたま使う馬はいましたけど、先日忘年会と3000勝のパーティーをした時に「次の笠松開催は基本的に休みます。全国リーディング狙ってませんので」と公言しました。
狙っていけば獲れるところまで来ているのに何故ですか?
自分の欲でいくと馬に負担が掛かるんですよ。そこはやっぱり全国リーディングを獲らせてもらって、あの時(2015年)は馬主さんからも「どうしても獲ってくれ」と言われて厩舎一丸となって目指したわけですけど、やっぱりその後馬に負担を掛けたなと。まずは馬の体調を優先したいです。
角田調教師、高知の雑賀正光調教師、金沢の金田一昌調教師のリーディング争いを見てドキドキしているんですけれども。
もちろん獲れたら嬉しいですよ。でも本当にすごい方々を見ていると、数字は気にしていないですからね。あくまでも数字は結果論ですから。
続いてはサムライドライブのことを伺いたいんですけれども。オッズパーク地方競馬応援プロジェクトの3世代目で、デビューから4戦無敗でゴールドウィング賞を制しました。
本当にセンスがいいんですよ。だけど、これまで万全の状態で出走したのは3走目のJRA認定競走だけなんです。この時は追い切りもしっかり行くことができて、いい状態で挑めました。
10月24日、ゴールドウィング賞を制覇
体質が弱いと前々から言われていますが、ゴールドウィング賞はそこまでの仕上げではなかったんですね。
もちろん重賞ですし人気になる馬ですから、ある程度は仕上げていますけれども、まだ体質的にびっちりと攻め馬をしてレースに挑めるほどの体ではないんです。そこはこちら側が配慮をしてあげないと。
前走はゲート入りにかなりてこずったそうですね。
そうなんですよ。1600mのスタート地点が初めてだったせいか、新しい場所だとかなりイヤがってしまって。基本的に怖がりなんですよ。昨日と風景がちょっとでも違うと、納得するまで動かなくなってしまったり。馬場の中の木を少しでもカットしたら、それに気づいてびっくりしてしまうんです。認定も勝ってますし、本来ならば遠征も経験させたいんですけど、ムリをしてしまうとマイナスの方向に行ってしまうのではないかなと。体もですけど、もう少し精神的に余裕が出て来てからと考えています。
2か月間お休みしましたけれども、現在の様子はいかがですか?
馬体もだいぶしっかりして、440キロ台から今は450キロ台まで増えました。ただ、この仔の成長期はまだ先なのかなと。本当はもう少し増えて欲しいですね。今は元日のレース(湾岸ニュースターカップ)を目指して調整しています。追い切りも本数を重ねていますし、順調ですよ。休み明けというのはありますが、ここまで無敗できていますから勝ちは意識しています。
ゴールドウィング賞の記念撮影
精神的にも肉体的にも成長期がまだ先だとなると、育てて行く上でなかなか難しいですね。
そうなんです。3歳の秋頃にはもっと成長してくれると思うんですけど、今はとにかくムリしない範囲で調教を積みながら筋肉をつけていきたいです。そこのバランスは大事にしていかないと。ゆくゆくは東海ダービーを獲りたいですし、精神面が成長してゲートが安定すれば、他地区への遠征にも行きたいです。
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも応援していただき、ありがとうございます。うちの厩舎は調教師一人ではなくて、スタッフ全員でレースに挑んでいます。レースに出る限りは人気に関係なく精いっぱいのレースをしたいと考えていますので、応援よろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:愛知県競馬組合)
3年連続佐賀リーディングを目指す九日俊光調教師。今年はスーパーマックスで九州ダービー栄城賞を勝ち、古馬に混じっても大活躍を続けています。
今年ここまで119勝(2017年11月27日現在)を挙げて佐賀リーディングを走っています。2015年から3年連続でのリーディングトレーナー目前ですね。
馬ががんばってくれてますからね。馬主さんがたくさんのいい馬たちを預けてくれて、スタッフたちが一生懸命やってくれて、それで馬たちが走ってくれているので。自分としては何とも。周りのお陰です。
リーディングはあまり意識していないんですね。
全然していないです。ひとつひとつのレースに真剣に向き合っていった結果として、年間を通してリーディングということになるわけですから。目の前のレースは勝ちたいですけど、リーディングというのはまったく意識してないですね。
今年は3歳馬スーパーマックスが大活躍ですね。
本当にがんばってくれてますね。この馬はデビューからうちにいたわけではないので、生みの親ではなくて育ての親になるわけですけど、九州ダービーを目指して春にうちにやってきて、そこから順調に育ってくれています。
九州ダービー栄城賞を制したスーパーマックス
佐賀でデビューして無敗の5連勝後に南関東へ移籍していたわけですが、その後転厩して来た時はどんな印象でしたか?
うちは去年あまり2歳馬がいなかったもので、実はこの馬のこともよくわかっていなかったんですよ。だから、まっさらな状態からこの馬を見たんですけど、とてもいい馬ですし、一生懸命走ってくれる仔だなと思いました。普段はやんちゃなんですけど、調教は鮫島(克也騎手)くんに任せているので安心です。
九州ダービー栄城賞は1番人気での勝利でしたが、勝負所でオヒナサマが早めのマクリを決め、一瞬届かないんじゃないかと思ってしまいました。
わたしもそう思って、4コーナーを回る時には帰り支度をしようかと思いました(笑)。佐賀の短い直線で、よく差し切ってくれましたよね。ダービーを獲りたいということでうちに来たので、結果を出せて本当に良かったです。
続く高知優駿では、故障馬の影響で落馬となってしまったのが残念でした。
そうですね。幸いにも大きなケガがなくて良かったです。あの高知のフリビオンは強いですね。西日本ダービーも勝ちましたから。うちの馬は途中で落馬となってしまいましたけど、高知の深い馬場も合わないなと感じました。もっと軽い馬場とか、芝が合っているんですよ。だからJRAにも挑戦しているんですけど、さすがにオープンでは相手が強いですね。
12月2日には阪神競馬場でチャレンジカップに参戦予定だと伺っています。
重賞なのでさらに相手は強いですけど、状態もいいですし、芝は合うと思うので。せっかくの認定馬ですから、相手が強くても胸を借りるつもりで挑戦してきます。
芝が合うということは、来年は盛岡の芝というのはいかがですか?
いつか行ってみたいとは思っています。実は先日の水沢のダービーグランプリも行ってみようかなという気持ちはあったんですよ。でも佐賀からだと遠いですからね。まだ3歳ですし、今回は諦めました。テレビで見ていたんですけど、すごい吹雪の中のレースで。いつか岩手に遠征に行く時には、いろいろな対策をしていかないといけないなと思いました。
それでは、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願いします。
いつも佐賀競馬を応援していただき、ありがとうございます。わたしはあまり目立ちたい方ではないので......これからも地道にコツコツがんばります。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:佐賀県競馬組合)
8月29日、金沢競馬第4レースのバトルオサンナの勝利で、地方通算1000勝を達成した松野勝己調教師。その想いとこれまでについて聞きました。
地方通算1000勝達成おめでとうございます。お気持ちをお聞きかせください。
ここまで長かったですね。1000勝は目標でした。達成したら引退しようと思っていたくらいです。以前の面接試験の時に試験官が「1000勝までがんばれ!」って言ってくれたんです。応援してくれる人がいるんだなと思ってがんばってきました。これまで、生え抜きの馬で重賞は全部獲ってきましたし、ほかの調教師には負けていないと思っています。
調教師として25年。どんなことを大切にこの仕事をされてきましたか?
一番大切なのは馬です。ケガをさせないように、勝てるような調教をしてレースに勝つ。これが仕事ですからね。昔は喧嘩っ早かったし厩務員とも良く口論しましたが、今は良いのか悪いのか穏やかになりました(笑)。
これまで特に印象に残る馬は?
それはもう、トゥインチアズが一番ですね。出会った時は、他の馬と比べても小さかったし、こんなに強い馬だと全く思いませんでした。ただお尻だけが大きかったんです。それでデビューからぶっちぎりで3連勝。これは走ると分かって中央に挑戦しました。初参戦のダリア賞は出遅れて、しかも前が詰まって3着で残念でしたね。
2002年2月6日、園田クイーンセレクションを制したトゥインチアズ。鞍上は吉原寛人騎手。左が松野勝己調教師(写真:兵庫県競馬組合)
そして、京都競馬場で行われた『もみじステークス』を見事に勝利。当時のことを教えてください。
その時、ちょうど吉原寛人騎手が新人で所属していたんですが、ダリア賞の後、「次はお前で行くから!」と言って連れていきました。レースのことは今でもはっきりと覚えています。先手を取って進めましたが、4コーナーを周る時に後続と5馬身くらい差があったんです。そこからは人目をはばからず飛び回って応援しました。周りには中央の調教師がいましたが、関係なくそこら中走り回って「いけー!いけー!」って(笑)これまで地元でも重賞をたくさん勝たせてもらっていますが、こんなに興奮して応援したのはこの時一回だけですね。勝った後は、「桜花賞はどうしますか?」などとマスコミの取材もすごかったです。
トゥインチアズが秀でていた部分はどんなところですか?
気性が荒い馬でした。その代わり調教に耐えてくれました。普通だったら1周か2周しかしないところを、この馬は5周半くらい乗っていましたから。中央は坂路があったりプールがあったりと色々なことができるから馬が強くなります。でも、金沢ではそれがありませんから、地元の馬と同じ調教をしていてもかないません。ですから2倍くらいの調教をして負担をかけていました。それに耐える体力と精神力を持っていた馬でしたね。この馬を管理できたことは本当に誇りです。
松野厩舎の代表馬には、金沢三冠馬のノーブルシーズもいます。この馬についてはいかがですか?
デビュー前、もともとは違う厩舎にいたんですが、ゲートがどうにもならないからと馬主さんから連絡をもらって預かることになったんです。デビュー戦の時、その馬主さんがちょうど入院をされていて、電話で勝利を伝えたらすごく喜んでくれました。実は、その後に亡くなったんです。息子さんが引き継いでくれましたが、三冠を獲った時も本当に喜んでくれましたね。この馬に関しては騎乗した中川雅之騎手の力が大きいです。レースの時に遊ぶところがある馬だったんですが、中川君が上手く乗ってくれて能力を引き出してくれました。
2008年10月12日、サラブレッド大賞典(金沢)を制したノーブルシーズ(写真:石川県競馬事業局)
今や地方競馬のトップジョッキーとして全国区の活躍をしている吉原寛人騎手は、松野厩舎からデビューしていたんですよね。
見習いの時は、家から毎日走らせて鍛えました。仕事が終わった後も、毎日追い方の練習をしましたね。やはり初めからセンスがありました。だから今みたいになったんだと思います。当時は、自分の子供だと思って一生懸命に怒りましたが、彼もまだ若かったし反発もありましたよ。今の活躍を見ると本当に頑張っているなと思います。
ほかに、注目している騎手はいますか?
中島龍也騎手は上手いですよ。まだ若手ですが、おそらく金沢競馬の看板を背負って立つ人間になるでしょう。乗り方は頑固で荒い部分もありますが、馬を動かしますから。何より、一生懸命に乗っていることが伝わってきます。他の騎手には負けないぞっていう気持ちが。やはり競馬は勝ち負けの世界です、気持ちで負けてはダメですからね。
これからの目標はいかがですか?
今は目の前のレースを勝ちたいです。勝って、また次の馬を入れてもらえるように。とにかく結果を出したいです。
最後にオッズパークの会員のみなさんにメッセージをお願いします。
お話したように、特に中島騎手の騎乗には注目する価値があると思いますのでぜひ応援してください。そして、自分も結果を出せるようにがんばっていきたいと思います。
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※インタビュー / 秋田奈津子
笠松のトップトレーナーである笹野博司調教師は、一風変わった経歴の持ち主。競馬界に入ったきっかけ、そして短期間にトップに上り詰めた要因を伺いました。
笹野先生は今や笠松のトップトレーナーですけれども、経歴が珍しくて、なんとピザ屋の店長から脱サラして競馬の世界に入ったそうですね。
そうなんですよ。就職してピザ屋の店長を何年間かやってまして、27歳の時に「自分が本当にやりたいことは何かな」と考えた時、僕にとってはそれが競馬の世界だったんです。小さい時から親父に連れられて笠松競馬場や名古屋競馬場に行っていて、ずっと憧れがあったので。
社会人として仕事をしている中で、一大決心だったと思うんですけど、何が一番背中を押したんですか?
ピザ屋さんの仕事も楽しかったんですけど、「ずっと今のままでいいのだろうか」って考える時がありまして。母親に相談したら「やってみなさい」と言ってくれて、いろいろ考えた結果、思い切ることにしました。それで、仕事を辞めて、千葉にある乗馬の学校に入って。まったくの素人だったので、基本乗馬や馬学的なことを習いました。
思い切りましたね。
そうですね。かなり(笑)。なかなか僕みたいな経歴の人は少ないと思うんですけど。ただ、その頃は調教師を目指そうとは思っていなかったんです。とりあえず競馬の世界にって考えた時に、JRAの厩務員過程は年齢的に無理だし、地方競馬の厩務員になれればと思っていて。それにはまず馬に乗れないとダメだなと思って、乗馬の学校へ行きました。そこで1年ほど勉強したんですけど、馬に乗るって難しいですね。思っていたよりも全然難しかったです。
挫けそうにはならなかったですか?
それはないです。思うようにいかなかったですけど、競馬の世界で働きたいという意思は強かったので。そこで1年やって、笠松の井上孝彦厩舎に厩務員としてお世話になることになりました。それが28歳の時です。競馬の世界の中では遅いスタートですよね。
実際に競馬場で働いてみて、いかがでしたか?
初めてのことばかりで難しいこともありましたけど、自分で世話した馬がレースで勝つと本当に嬉しくて。サラリーマン時代には味わえない気持ちでした。すごく楽しかったですね。
そこから調教師を目指すことになるわけですね?
厩務員を始めてだいぶ時間が経ってからなんですけど、結局厩務員をやっている以上は調教師さんに馬を任されるわけで、限りがあるわけじゃないですか。3頭、4頭という決められた枠の中でしかできないので。時間が経つにつれて、「もっといろいろな馬を触りたい」「もっと広い視野で馬と関わりたい」という気持ちが大きくなったんです。それには調教師になって、自分で馬を見つけて、馬主さんを見つけてやるしかないなという思いに至りました。
調教師というと、また大きな決断だったと思いますが。
そうですね。僕はまったく馬主さんの知り合いもいなかったですし、本当にゼロからのスタートでした。競馬の世界に入る時もそうですけど、割と決めたらパッと行っちゃうタイプなんですよ。あまり難しくは考えなかったです(笑)。
2012年に開業した時はどんな状況だったんですか?
5月20日に免許が下りて、「すぐ6月から開業していいよ」って言われたんですけど、最初はまったくコネもなくて、厩務員の時に担当していた馬を1頭預けていただけることになったんです。だから1頭からのスタートでした。
そこからどうやって増やしたんですか?
一番大きかったのはトウホクビジンですね。開業して1か月くらいの頃にうちに転厩してきて、3か月目の時に姫路チャレンジカップを勝ったんですよ。それが大きかったです。トウホクビジンにいろいろな競馬場に連れて行ってもらって、いろいろ行くうちにその土地の調教師さんなり知り合いができて、徐々に名前を知ってもらったという感じです。
トウホクビジンはものすごく丈夫でしたよね。
そうですね。なかなかいないですよね。牝馬でしたけど、どれだけ遠征しても食欲が落ちないんですよ。牝馬はレースを使ったり遠征すると食欲が落ちる馬が多いですけど、あの子はまったくなかったです。普段はあんまり余分なこともしないし、馬房の中で寝ることも多くて、自分で疲れをしっかり取っているという感じで賢い馬でしたね。最後は引退式までさせていただきましたし、ファンの方にたくさん応援していただきました。あの馬には本当に感謝しています。
引退レース(2015年1月9日、笠松・白銀争覇)を終えたあとのトウホクビジン
そして開業5年目の去年勝ち星が一気に倍近く増えて、笠松リーディングに輝きました。
要因はと聞かれると、正直よくわからないんですけど、頭数が増えて来て、その中で戦えているのかなと。自分としては、「壊さない」ということを大切にしています。JRAと違って休養のために放牧へということもなかなかできないですから、いかに馬の体調をコントロールして調子を維持するかということを大事にしています。
そこが難しいと思うんですけど。
難しいですね。だいたい隔週で競馬をやっているので、維持するのはなかなか大変ですけど。でも地方の調教師さんはそれぞれ自分なりのコツがあると思うんですよ。そこはそれぞれですけど、自分なりの形を考えて維持しています。もちろん、重賞や大きいレースがある場合は別ですけど、普段のレースはそこを大切にしていますね。
調教師になって、5年でリーディングになれるって思ってましたか?
全然思ってないです。その年その年で目標を立てるんですけど、去年はベスト3に入りたいというのが目標でした。そしたら自分の思う以上に馬ががんばってくれて。厩務員さんも人数が増えて、みんなよくがんばってくれてます。そこが大きいです。
一般社会から競馬の世界に入って来て、年数も短い中で、ここまで結果を出すというのは本当にすごいことだと思います。
いやいやいや。僕の場合は、サラリーマンを経験したことが良かったんじゃないかなって思っています。もちろん、長年競馬界にいる方や、ジョッキーから転身された方にはそれぞれの良さがありますけど、自分の場合は社会経験ができたことは大きかったなと。馬主さんたちは社会的に成功した方々ですし、僕はサービス業だったんですけど、いかにお客様を大事にするかなんですよ。今も調教師というのはある意味サービス業だと思っているので、馬主さんに満足していただけるかを大切に考えています。
今後の目標というのは?
何回かJRAに挑戦させてもらっているんですけど、全然結果が出せていないので、JRAで勝つことを目標にまた挑戦していきたいです。
今特に期待している馬はいますか?
2歳のビップレイジングです。8月に転厩初戦でJRA認定競走の秋風ジュニアを勝つことができました。もともと僕が見つけて来て買っていただいた馬で、門別の齊藤正弘先生のところで鍛えていただいて。いい感じで笠松に来てくれました。デビュー1、2戦は結果が出なかったんですけど、距離が延びて頭角を現して来ましたね。
秋風ジュニア(8月31日・笠松)を制したビップレイジング
写真:(C)fanfan/H.Taniguchi
では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
地方競馬の売り上げが好調なのは、ネットで買っていただいているファンの方の存在が大きいと思います。いつも応援していただき、ありがとうございます。笠松競馬、一生懸命がんばっていますので、ぜひこれからもよろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋