アジュディミツオー(船橋)以来19年ぶりの地方馬によるドバイ遠征となったイグナイター(兵庫)。西日本の地方競馬から初の海外遠征は、ドバイゴールデンシャヒーンGI・5着と、世界への道を切り開く結果となりました。自ら輸出検疫中やドバイでの調教にも跨り続けた新子雅司調教師は、海外遠征を振り返り、どう感じているのでしょうか。
イグナイターのドバイ遠征、お疲れ様でした。ドバイゴールデンシャヒーンはJRA馬を含め日本馬が未だ勝ったことのないGI。そうした中、直線で一度は3番手に躍り出て、見せ場ある5着でした。
昨年勝ったJBCスプリントくらいのデキにはあると感じていました。スタートだけですね。1番枠で最初にゲートに入って、中で待つ時間が長くて馬が落ち着きすぎました。一歩目が遅れているわけじゃないですけど、隣のタズが速すぎて、半馬身くらいそこで相手が抜けて前に入ってきた分の差かなと思います。
パドックから本馬場へ向かうイグナイター
レース2日前、チーム・イグナイターの会食の場でも「ゲートが隣のタズはどれだけ速いんだろうか」とみんなで気にしていました。
本当にそこだけでした。結果的にドンフランキーが逃げることができていたので、フェブラリーSの位置取りから考えると、ゲートを五分に出ていればタズのポジションは取れたのではないかなと思います。
序盤で後手に回りながらも、直線は3番手に躍り出る場面もあって、興奮しました。
あのまま直線は内ラチ沿いを走っていればもうちょっと上の着順もあったかも、と思いますけど、笹川(翼騎手)もちょっと焦ったのかな、と。他の馬にも迷惑をかけてしまいました。でも、あのレースで笹川自身のスキルは上がった気がします。
直線、3番手に抜け出したイグナイター(右)
ほろ苦さや悔しさも残る結果とはなりましたが、力は見せてくれました。
全てが上手くいかないと勝てないレースだと思いました。色々あっての5着ですけど、世界の5番目。世界に通用する仕上げはできたかなと思いますし、もっと強い馬を連れてきて、どうしても勝ちたくなりました。その時のために英会話も習おうと思います。
レース後は後肢に外傷が見られました。怪我の具合はどうですか?
レース直後に診てもらい、思ったよりも傷は浅く、血はすぐに止まって塗り薬だけで済みました。いまは輸入検疫が終わり、宇治田原優駿ステーブルにいます。5月はじめに血液検査をして問題なければ、園田に入厩させてさきたま杯を目指す予定です。
レース直前、ラチ沿いから見守るイグナイター関係者(新子調教師は右から2人目)
そこでは昨年のJRA最優秀ダートホース・レモンポップとマイルチャンピオンシップ南部杯以来の再戦となりそうですね。
一緒に走れることはもうないと思っていました。JpnIに格上げされたさきたま杯に来るということで、いまのダート界で一番強い馬だと思いますが、ビビッていても仕方ないですからね。
さて、今回は海外遠征にあたってJRA栗東トレーニングセンターを借りて、JRA馬と一緒に輸出検疫を受けました。新子調教師も毎日調教に跨っていましたが、栗東での日々はどうでしたか?
前回、栗東に来たのは厩舎開業前の研修で2011年12月の約1カ月。それ以来で、施設も分からないので、研修を受けた角居勝彦厩舎(解散)で当時一緒だった前川和也調教助手(現在は友道康夫厩舎でドバイターフに出走したドウデュースを担当)に事前に連絡をして「分からないので、ついて行かせてください」とお願いしました。それで、毎日ドウデュースの後をついて角馬場や坂路に行きました。
栗東トレセンには坂路や、脚元に負担がかかりにくいウッドチップコースやポリトラックコース、また起伏の激しい逍遥馬道など様々な施設があります。イグナイターに変化はありましたか?
逍遥馬道を歩くことは本当にいいトレーニングになると改めて感じました。イグナイターはデビューから2戦目までは栗東所属だったので、ここを歩くのも初めてではないでしょうけど、ドッシリ歩ける馬じゃないと海外遠征もできないだろうなと思いました。久しぶりの栗東で最初の頃はそわそわしていましたけど、時間と共に順応してくれました。慣れない環境で気疲れする人間とは対照的に、馬はケロッとしていました。だけど、運動時間は園田にいる時よりも長いですし、場所もいつもと違うので、ちょっとしんどそうにはしていました。輸出検疫は約1週間でしたけど、もう1週滞在することができれば、馬はもっと良くなるだろうなと感じました。
そういえば、新子調教師は自厩舎のほとんどの馬の調教に跨ります。栗東で騎乗した後、急いで帰れば園田の調教にも乗れるかも、と事前に話していましたが、実際にはどうでしたか?
車で約1時間の距離ですけど、検疫中の馬が馬場を使える時間が決まっていて、そこから園田に戻るともう調教が終わる時間なので、ハシゴはしませんでした。できるとしたら、調教時間が前倒しされる土日ですけど、土曜日は園田が全休日だったので結局戻らず、期間中の厩舎の攻め馬は所属騎手の笹田に託しました。
今回のドバイ遠征で新子調教師が得られたものは?
競馬場に隣接するメイダンホテルに滞在していたんですけど、部屋から調教を見ることができました。エイダン・オブライエン厩舎は集団でしっかり溜めながら乗っていて、理に適っていると感じました。馬の後ろで我慢することも覚えますし、しっかり負荷もかけられます。一方で、スピード重視で調教する厩舎もあって、馬によって変えることも大切だと思います。そういったのを直接見ることができて、もっと調教内容について考えて乗らないといけないなと思うようになりました。
最後に、オッズパーク会員のみなさんにメッセージをお願いします。
今回のドバイ遠征でイグナイター自身も厩舎も得たことがあり、これを糧にもう一段階上げていければと思います。秋はJBCスプリント連覇を目指すことになると思います。応援よろしくお願いします。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
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フジユージーン。2歳時は5戦5勝、3歳となった初戦のスプリングカップも圧勝して6戦6勝。地元ファンのみならず全国からも注目される存在になったこの馬の近況と今後を、管理する瀬戸幸一調教師にうかがった。
フジユージーンと瀬戸幸一調教師(左)まず前走のスプリングカップのお話からいきたいと思います。こちらが勝手にいろいろ期待を膨らませて見ていたんですけど(笑)、まずは良い結果だったと思いました。
そうですね、思った通りの、それ以上の走りをしてくれたので良かったなと思っています。
いったん時間を戻してですね、昨年の南部駒賞からスプリングカップまでの中間の状況や調整などを改めてお聞かせください。
去年の南部駒賞の後、ちょっと爪の方が心配で、少し早く切り上げる形にはなったんですけど、次のレースのためにと思って富士ファームさんの方に戻りました。最初は京浜盃に間に合えば......とも思っていたんですけどもね。1月の中旬から一カ月ほど那須の教養センターにもいたのですが、なかなか思うようにいかなくて。時期も時期でしたし、競馬場に戻して、馬をよく知っている厩務員さんや装蹄師さんで見ていこうと。
遠征馬との初対決になった南部駒賞も難なく通過した(2023年11月12日)
それが2月の中旬ですね。
そこからは順調に調整が進んでくれました。普段はおっとりしているんだけど馬場に入ると気持ちも入る馬ですので、そこからの調整は苦労しなかったですね。スプリングカップまでも順調に進める事ができました。
ここでもうちょっと話を戻すんですが、フジユージーンはオータムセールで補助馬として購買された馬で、瀬戸幸一調教師も馬を選んで決められたんですよね。セリの時はどんなところが決め手になったんでしょうか?
決め手はですね、脚先のさばきが凄く軽かったんですよ。セリの当時から大型馬で、体高なんか今とそんなに変わらなかったんじゃないかな。大きい馬は脚先が重い感じがある。のそのそっとしたね。この馬はそうじゃなかったんです。
こういうとなんですけど、父(ゴールデンバローズ)はその時点では活躍馬がいなかったですし母は岩手で未勝利馬。それでもこの馬が......というのはなぜだったのか?は思ったりします。
確かに血統的にはそうですけど若馬はどこでどう変わるか、どう走るか分からないですし、オーナーが乗馬クラブをやられているから、これだけ馬格がある馬なら丈夫であればどんな道にもいけるから、と。それくらいの気持ちでいたのがたまたま当たったのかな。
母デザイナーも岩手デビュー馬だった(2015年8月16日、盛岡新馬戦のパドック)
しかし、デビューする頃には「この馬走るよ」という話になったじゃないですか。
調教の動きを見ていて、やっぱり違っていましたね。競馬場に来る前にも富士ファームさんで動きを見たんですけど、しっかり動かせば軽い動きが出ていたから、「もしかしたらもしかするのかな」と思っていました。
そうするとデビュー後の走りは、その感触通り?
そうですね。でも私は新馬戦は正直あまり期待していなかったんですよ。
「850m向きではないかも」と言われていたのを覚えています。
距離が距離ですし、ビュッと行く馬にはかなわないのかな......とか思っていたらうちの馬が速かった。そんな感じでした。
水沢ダート850mの新馬戦を大差で圧勝(2023年6月4日)
その後は順調に勝ってきましたが、今にして思えばいろいろ苦労もあってと想像するのですが、3歳になってそんなところも解消されてきたと思っていいのでしょうか。
そうですね、レースであればスタート。他の馬と五分に出る事ができるようになったかなとか、身体がひとまわり大きくなって、付くべき所に筋肉が付いてきたとかですね。この馬の場合まだ余裕があるのでもうちょっと筋肉が付いてくるのかなって感じはします。2歳の時と今とはフットワークも違いますしね。一段と大きくなって。期待通りに仕上がってきているなと見ています。
2歳の時もレースで速いなと思っていましたが、スプリングカップの瞬発力はもう一段変わったなと感じましたものね。
普段の調教から迫力が増しました。2歳の時もフットワークがきれいだ、柔らかみがあって良いなと思っていましたけど、今の方が数段上だなという感じがします。
3歳初戦のスプリングカップは3度目の大差勝ちで順調な発進(2024年4月7日)
さて、ここまで割と"べた褒め"なので、この先に向けて課題というかもっと良くなってほしい点を無理矢理にでも挙げていただければ......。
今思っているのはもうちょっと腰の方に筋肉が付いてくれれば。それが一つ。そして大型馬ですから脚元の負担はね、小さくないと思っています。まだ成長段階ですし、そこは常に気を遣っています。
ダイヤモンドカップ直前というタイミングですのでそこに向けたお話も。
距離やコースは全く心配していないです。そこまで順調に行ってくれれば。
さらに先の話は、まだダメでしょうか?。
そこはまだですね(笑)。まずはダイヤモンドカップ次第。そこを順調に乗り越えてから考えます。
6戦6勝というだけでなく大差勝ちが3回。そんな走りを見せつけられては期待しない方がおかしいというもの。全国の舞台で力を試してほしいと思うのだが、それはあくまでも外野の期待であって、今はフジユージーンの着実な成長を見守りつつ楽しみにしているべきだろう。まずはダイヤモンドカップ。自身初の1800mでどんな走りを見せてくれるか?でこの後の路線も定まってくるはずだ。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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金沢のトップジョッキーとして長年活躍してきた藤田弘治騎手が、12月1日付けで調教師免許を取得し、騎手を引退しました。調教師として新たな生活が始まった今、その胸の内を伺いました。
2001年からの騎手生活、長い間お疲れ様でした。11月28日の最後の騎乗はいかがでしたか?
パドックなどでも声を掛けていただき、ファンの方々には感謝しています。性格的にあまり感情が出ないタイプだと思っていたのですが、最後の最後で感極まって泣いてしまいました。あれは想定外でしたね。
レース後のセレモニーの時ですね。
冷静な感じで終わると思っていましたが、皆さんの顔を見て「ありがとうございました」と言おうとしたら、詰まってしまいました。
引退セレモニー
とても感動的な場面でした。これまでを振り返って、思い出のレースをあげるとしたらどのレースですか?
たくさんありますけど、やっぱり2015年にワールドオールスタージョッキーズに出場した時ですね。あの場で乗れたことも夢みたいでしたし、第1戦で勝利することができてとても嬉しかったです。なかなか体験できないことですし、自分はとても運がよかったなと思います。
2015年ワールドオールスタージョッキーズ(札幌)第1戦を勝利
地方競馬通算1512勝を挙げ、JRAでも勝利を挙げ、騎手としてはやり切ったというお気持ちでしょうか?
やり切ったかと言われると、今でもレースに乗りたいなと思うタイミングはありますけど、2月の開業が待っていますから、今はとにかく調教師としての仕事をきちんとしたいということで頭がいっぱいです。いろいろな方々に助けていただいて、騎手生活を全うすることができたので、周りの方々や応援してくれたファンの皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。これからは調教師として恩返しができるよう頑張ります。
開業準備で大変だと思いますが、具体的には何をしていらっしゃるんですか?
騎手を引退してすぐに美浦の牧場で受け入れていただいて、研修というか、人脈作りというか、いろいろと勉強をさせていただいています。馬づくりはもちろんですが、その前にスタッフ集め、馬集め、あと馬具を揃えたりと、やることが本当にたくさんあって。騎手時代からお世話になった、美浦トレセン近くのうつみ馬具店に毎日通い詰めて、厩舎カラーを考えたり、どんな馬具を使おうかなど相談しています。今は開業に向けての土台づくりをしているところですね。
現在43歳の藤田調教師ですが、いつ頃から転身を考えていたのですか?
完全に決断したのは、昨年の調騎会の総会の時です。前々から金沢は調教師が少ないという危機感はあったのですが、その会議で具体的にそういう話が出て、このままでは先々やばいぞと。自分のタイミングとも合いましたし、そろそろ本気で目指そうと決断しました。まずは経験のためにも今年最初の金沢の試験を受けて、その後に地方競馬教養センターの調教師講習を受けて、2回目で合格しました。
教養センター騎手課程で同期生だった吉原寛人騎手は、調教師合格について何て仰っていましたか?
「おめでとう!」って喜んでくれました。一緒に乗れなくなる淋しさも少しはありますが、先ほども言ったように金沢は調教師が少なくて危機感を持っているので、吉原君も含めてみんな喜んでくれました。
2月開業というと、金沢競馬はオフシーズンになりますね。
そうですね。金沢の場合、1月は完全にお休みなんですけど3月の開幕に向けて2月から調教がスタートするので、そのタイミングで開業ということになります。これから厩舎を割り当てられて、馬房などの手直しも必要になるでしょうし、開業まではバタバタになりそうです。
どんな厩舎づくりを考えていますか?
まずは働く人の環境を整えていきたいです。厩務員さんたちの働く環境を良くして、みんながうちに来たいというような厩舎になれば、必然的に馬の環境も良くなっていくと思いますし、そうすれば馬主さんたちも喜んでくれるのではないかと。競馬ですから成績は大事ですが、厩務員さんの環境をよくすることで、成績は後からついて来るものだと思っています。
11月28日の最終騎乗は8着だった
では、オッズパーク会員の皆様にメッセージをお願いします。
いつも金沢競馬を応援していただき、ありがとうございます。これから調教師として金沢競馬を盛り上げられるよう頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:石川県競馬事業局、浅野靖典、斎藤修)
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今年も笠松リーディングを独走中の笹野博司調教師。第1回ネクストスター笠松をワラシベチョウジャで制覇するなど、絶好調な1年でした。
まずは第1回ネクストスター笠松制覇、おめでとうございます。
ありがとうございます。目指していたレースでしたので、勝つことができて嬉しいです。
レースぶりも強かったですね。
そうですね。仕掛けが早めになってしまったので、最後いっぱいにはなりましたが、早めに仕掛けて勝ち切るわけですから、たいしたものだなと改めて感心しました。
ネクストスター笠松(10月12日)を制したワラシベチョウジャ
今年から始まったネクストスターは1000万円の高額賞金が設定され、インパクトが大きいレースだと思いますが、笹野先生も早い段階で目標にしていたレースでしょうか?
昨年発表された時から注目していましたし、私だけではなく周りの方々も目標にされていたのではないでしょうか。全国的に開催されて注目度も高いですし、そういうレースを勝てて嬉しいです。
ワラシベチョウジャとの出会いはどういう経緯があったのでしょうか。
昨年のサマーセールでオーナーが気に入って選んだ馬です。1歳の冬の頃はずいぶん小さかったのですが、育成公社で育成をしていただいて、ひと冬超えて2歳の春頃になったらだいぶしっかりした印象です。ただ正直、その頃はここまで走るとは思っていなかったというか。丈夫そうな足元をしていて、長く走ってくれそうだなという印象でした。
いつ頃から能力の高さを感じましたか?
入厩してからです。走りに無駄がなく、余計な仕草がないんですよね。まだ体ができていない2歳の頃は、例えば頭が高かったりという無駄な動きがある馬が多いのですが、あの仔にはそれがないんです。飛びは芝でもやれそうな素軽い走りをしますし、1本目の追い切りから時計が良くて、ひょっとしたらモノが違うかもしれないと感じていました。期待通りデビュー戦の800mで勝ってくれましたが、私が一番驚いたのは2戦目のレースです。
7月20日の芙蓉特別ですね。
1400mに距離が延びて、内枠だったのですがゲートの出が悪く、逃げ馬の後ろに控える競馬になりました。ポケットに入る形で4コーナーまで外に出せず砂を被る競馬になって、これは厳しい競馬になったなと。さすがに2歳の女の子でまだ2戦目、距離延長で砂を被ってということで、ちょっと諦めムードだったわけですが、直線で外に出したらピュッと伸びたので驚きました。メンバーも強かったですし、2戦目でこういう競馬ができるというのは、あまり私の経験上なかったものですから、これはモノが違うなと。控えてもいいし、行ってもいいし、競馬に注文がつかない馬だなと思いました。
そこからはずっと順調に過ごして来たのでしょうか。
順調といえば順調ですが、3戦目の秋風ジュニアの時に、どういうふうに仕上げて使うのがいいのかまだ少し手探りの状態だったんです。JRA認定競走で準重賞ということもあり、しっかりと追い切りをかけて仕上げた方がいいのではないかと、最終追い切りを強めに行ったのですが、勝つには勝ったものの余力を残して勝てなかったという経験がありました。渡邊竜也騎手とも話して、そこからは1週前にびしっと行くようにして、本追い切りはなるべく余力を残すようにしようというふうにしたら、それが合うのか勝ち方が変わってきました。まだ2歳ですし、今後も馬の様子を見ながらこの仔に合う調整方法を探っていきたいと思います。
残念ながら12月7日のジュニアキングで連勝はストップしてしまいましたが、来年はどんなイメージをお持ちでしょうか。
ジュニアキングの後は休養するとレース前から考えていて、今は放牧中です。2月頃から始動して、地元のレースを使ってからネクストスター中日本(3月28日・名古屋)を目指すプランです。結果次第では、いつかは芝にも挑戦してみたいですね。
距離適性はどのくらいの範囲だとお考えでしょうか。
1600mは大丈夫だと思います。それ以上はやってみないとわからないですね。今のところ真面目にがむしゃらに走ってしまうので、道中もう少し力を抜いて走ることを覚えていけば、距離の融通は利くのではないかと。レースはすごく真面目ですが、普段は気が強くて厩務員さんは手を焼いています。そういう気の強さも勝負に行っていい方に出ているのではないでしょうか。
ワラシベチョウジャ、というお名前はインパクトがありますね。
最初にオーナーから聞いた時には驚きましたが、とてもいい名前だなと思います。デビュー戦からどんどん勝ち上がって重賞制覇までしましたから、まさに名前のように前に進んでいるなと。前走は負けてしまって悔しいですが、また立て直して来年活躍できるよう頑張ります。
では笹野先生ご自身のことを伺います。今年ここまで167勝(2023年12月11日現在)を挙げて、全国リーディング第3位、笠松リーディング第1位です。毎年好成績を残す秘訣は何でしょうか。
スタッフが毎日一生懸命頑張ってくれますし、今は怪我でお休みしている渡邊竜也騎手や、騎乗してくれるジョッキーの存在も大きいですね。そして、馬主の方々がいい馬を預けて下さることにとても感謝しています。
調教師として、大切にしていることは何ですか。
一番は故障しない馬を作りたい、ということです。故障してしまうと馬自身にとっても辛いことですし、馬主さんにとっても我々にとってもいいことがないですから、そこを大切にしながら、どうすれば強い馬作りができるかということを厩舎一丸となって話し合っています。
以前所属していたオマタセシマシタはとても話題になりました。
斉藤慎二オーナーの馬で、あの仔が走る日はお客様も多く来場されました。2つ勝たせていただいて、笠松競馬場の盛り上がりもすごかったです。我々にとってもいい経験をさせていただきました。今は船橋に移籍しましたので、また新たな舞台で頑張って欲しいです。
笠松では今年の春から調教時間のルールが変わったそうですね。
笠松の場合は他の競馬場と違い、外厩から道路を歩いて競馬場まで競走馬を連れていきますから、放馬防止策の一つとして、朝の調教を7時までに終えるというルールができました。そのため、我々は夜中の12時から調教をスタートしています。最初はちょっと大変でしたが、みんな頑張っていますよ。
では、オッズパーク会員の皆さまにメッセージをお願い致します。
いつも笠松競馬を応援していただき、ありがとうございます。お陰様で売上も好調で、一時期は開催自粛などもあった中で、こうして競馬を開催できることに感謝の気持ちでいっぱいです。これからも強い馬、話題になるような馬作りを心がけていきますので、笠松競馬をよろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 赤見千尋(写真:岐阜県地方競馬組合)
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10月5日名古屋第8レースで地方通算2600勝を達成した藤ケ崎一男調教師(名古屋)。84歳の今も現役バリバリで活躍し、調教師会長も務めます。調教師として東海ダービー(東海優駿)を勝った思い出の地・土古(どんこ)から弥富に競馬場が移転して1年半。いまの思いを伺いました。
地方通算2600勝おめでとうございます。名古屋競馬の調教師では現役2位の勝ち星です。
長くやっとりゃあね(笑)。調教師では私が一番長いもん。あのレースが2600勝だったことは何も知らなくて、ゴール後の実況で聞いて知りました。
元々は騎手でした。競馬との出会いは?
川崎市の小向に家があったんだけど、小学校5年生のときに川崎競馬場のトレーニングセンターが家から100mぐらいの所にできたんです。1年くらい経ってからちょいちょい出入りするようになってね。親が堅かったもんで、中学校を卒業して就職試験を受けて、1日は会社に行ったんだけど、2日目からもう行かないで、弁当を持って出て厩舎に行っていたんです。3日目ぐらいに親父に言ったらどえらい怒ったもんで家を飛び出して、2年間は帰らなかったかな。だけど、ちょいちょい顔は見るんだ。昔は銭湯だもんで、そこで会うんだけど会話はなくて、親父が右におれば俺は左って具合でした。
家を飛び出してまで馬の仕事をしたかったんですね。何がそこまで惹きつけたんですか?
日曜日も川崎競馬は開催しとったもんで、休みの日に競馬場に連れて行ってくれたんです。そうすると騎手がさ、赤い服着たり白い服を着て、音楽に合わせて出てくるでしょう。一種の憧れだな。自分も騎手になりたいなって。体もちょうど小さかったですからね。
調教師になってからは76年東海優駿をケイウンザンで勝つなど活躍しました。
昔は中京競馬場でも地方競馬の開催をしとって、ケイウンザンは中京で勝ったんです。あの時、本命のグリグリの馬がおったんだけど、芝のレースだったもんでうちの馬が芝が合ったんじゃないかな。そんなに印がなかったけど、勝てました。もう1頭、ホウライミサイルで勝った(06年東海ダービー)時は旧名古屋競馬場でした。
その旧名古屋競馬場は土古(どんこ)の愛称で親しまれました。藤ケ崎調教師も色んな思い出があるのでは?
独特の競馬場でちょっと小回りだし、ある程度先行できなきゃ出世しなかったですね。
弥富トレセンのある現在の地に移転してきて、レースも変わりましたね。
やっぱり直線が伸びたからね。土古で「勝負アリ」というとこから、新競馬場ではもうひと勝負があるもんね。
思い出の詰まった土古を離れるのは、寂しさもあったのでは?
私もあそこで馬に乗っとったし、昭和46(1971)年に調教師になってからずっと過ごしていたから、やっぱり寂しいは寂しいね。
一方で、新競馬場は厩舎地区に隣接しているため、馬にとっては輸送がなくなるなど、メリットもありそうです。
うんと違うね。馬は輸送がない分、消耗も少ないし、人間も本当に楽。以前と比べたら雲泥の差だね。調教師は臨場の義務があるので、発走の50分前までには競馬場に行かないといけないけど、今は厩舎から自転車で5分もあれば来れるからね。今日は3レースの出走の後は7レースの装鞍まで約1時間10分、開いていて一旦厩舎に帰ることができます。土古だと厩舎まで行って帰ってくるだけで1時間以上かかっていたからね。主催者はファン向けに無料バスを出していて、結構お客さんがたくさん乗ってくるみたいだね。こっちに競馬場が移転してナイターも始めて、若い人が増えたね。私も年寄りだけど、土古の頃は年寄りばっかだったもんで、将来のことを考えるとやっぱり若い人が増えないと、と思います。
調教師人生を振り返って、いかがですか?
好きなことをずっとやってきて、84歳になってまだやっとられるってことは幸せな人生。何の悔いもないです。もう年だから「辞めたいな......」って思う時もあるんだけど、2年前におっ母ぁ(妻)が死んじゃって、自宅に帰っても近所付き合いが全然なくてひと言も喋る人がいないんです。危険の多い仕事で、ずっと厩舎にいたからね。
厩舎が藤ケ崎調教師の居場所ですね。
全休日の前の日だけ自宅に帰って、次の日の夜からは厩舎でずっと寝泊まりしているからね。若い人が怪我したら救急車に一緒に乗ったり、病院について行ったりしてやらんといかんからね。
じゃあ、まだまだ10年20年と調教師として厩舎にいないと、ですね。
そんなん言われても、死んじゃうわ(苦笑)。騎手時代は汗取りして開催日には12キロくらい体重を落としていたから長くは続けられなくて、引退した時は63キロになったけど、いまはお腹いっぱい食べても51キロ(笑)。騎手の時に作った背広が今でも着られるんだ。
健康には気をつけて、長く活躍していただきたいと思います。最後に、オッズパーク会員のみなさんへメッセージをお願いします。
いまはネット時代で、オッズパークを通じて馬券を買っていただき、ありがとうございます。競馬場は小ぢんまりしましたけど、ナイター開催を始めて、遅い時間帯からお客さんが結構来るようにもなりました。また競馬場にも足を運んで応援してもらえたら、嬉しいです。
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※インタビュー・写真 / 大恵陽子
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