腰椎骨折という大ケガを克服し、6月に福井競輪場で行われた大阪・関西万博協賛競輪(GIII)にて優勝された柴崎淳選手(三重91期・34歳)にお話を伺いました。
大津:優勝おめでとうございます。
柴崎:ありがとうございます。
大津:優勝したお気持ちはいかがですか?
柴崎:復帰して約6か月でグレードレースを優勝できるとは思ってなかったので正直驚いています。
選手になってから一番辛い怪我だったので。
選手の骨折は鎖骨とかが多いんですけど、背骨の椎体の一つが折れるということはなかなかなくて、本当にあの時期は地獄でしたね。
大津:選手生命まで考えるほどの怪我だとお伺いしました。
柴崎:骨盤骨折・大腿骨骨折・腰椎骨折と、この三つだけは絶対にやりたくないって思っていました。
競輪の上位クラスで戦っている選手でも、骨盤骨折などされた方がいるんですが、そこを折ってしまうと、どうしても今までどおりのパフォーマンスに戻すのは難しいんです。
だから、そこだけは折っちゃいけないと考えてました。
大津:診断された直後はどのようなお気持ちだったのですか。
柴崎:選手生命が終わったと思いました。
「もう選手やめようかな。」って。
大津:そこから自分を奮い立たせて今一度レースと向き合うきっかけは何だったのですか?
柴崎:嫁さんにはもう限界だからやめようって言ったんですが、もう一回頑張ってやってみたらって背中を押してもらいました。
後は同期の存在ですかね。同期からけっこう連絡がきたんですよ。その中で唯一ボクが弱音を吐いたのが菅田壱道(宮城91期)でしたね。
大津:菅田さんとはどういうお話をされたのですか
柴崎:もう心が折れた、やめようかなって言いました。そしたら勇気づけられるような言葉をたくさんかけてもらったんです。
菅田とは高校時代からずっと一緒に自転車競技をやってきて、ましてや同期で競輪界でも一線級でやってきました。
その菅田からもう一度頑張ろうってかけてもらった言葉で、自分の気持ちが切り替わりましたね。
大津:12月28日の平塚競輪場で約3か月振りの復帰戦となりました。
柴崎:まだ完治してない中で無理にレースに復帰したんですよね。お医者さんからは反対もされました。折ったところがところですから。
レースを走るということは再度落車することもあるじゃないですか。もしもう一度落車してしまうと歩けなくなる可能性だって出てくると言われて怖かったんですが、自分の中で休みがあまり長いとダメだなというのもあったし、自分の身体は自分が一番よく知っているので、感覚的にいけそうだなと判断して走りました。
大津:レースにのぞむ怖さはなかったのですか?
柴崎:怖さはありました。ただ、発走台について号砲が鳴ってからはそんなことは考えてられないんで、走ってしまえば忘れましたけど、一走目はやっぱり怖かったですね。
大津:復帰して4場所目の小倉では完全優勝がありました。
柴崎:こんなにも早く優勝できるのかって僕自身が一番びっくりしました。寒い時期だったのですが、ドームだったので暖かくて初日に走った段階で身体が動くなって感覚はありました。そして完全優勝したことでこのステージでもまだ戦えるんだっていう自信になりました。もっと出来ないと思ってたんです。
自転車って独特な姿勢なんで、ああいうところを骨折してしまうと身体への負担が大きくて思うように動かないっていうのも思ってましたし、その中で結果が残せたのは大きかったです。
大津:大阪・関西万博協賛競輪(GIII)にお話を移しますが、今回はシリーズリーダーとして迎える一戦でしたが、どのようなお気持ちで福井に入られたのですか。
柴崎:得点トップというのは知ってましたし、人気になるだろうとも分かっていたのでお客さんの期待に応えられるように走ろうと思っていました。
大津:中部のメンバーを見ると山田諒選手(岐阜県113期)や吉田茂生選手(岐阜県98期)がいましたが、シリーズ通して番手を回る機会が多い想定はしていましたか。
柴崎:それまでのレースも番手周りの競走が続いていたのである程度イメージはしていました。
大津:初日は山田選手との連携でしたが振り返ってはいかがですか。
柴崎:初日は前を任した山田君が内で被ってしまうレースだったのですが、あのような展開でも自分で活路を見出していかなければならないんですが、何もできずに終わったのでお客さんに申し訳ないなって感じました。
大津:2日目は吉田選手マークの競走で、相手は新人の青野将大選手(神奈川117期)でしたね。
柴崎:あのレースは吉田君が完璧な運びを見せてくれました。吉田君もロングな距離で行く気満々だったのですが、相手が相手だったのでそこは冷静に気持ちを落ち着かせて良いタイミングで仕掛けてくれました。結果ワンツースリーだったので良かったです。
大津:準決勝戦は初日に続いて山田選手との連携でした。好調な末木浩二選手(山梨県109期)や佐伯亮輔選手(岡山県113期)との対戦はどのようにイメージしていましたか。
柴崎:本当は作戦とは違ったんです。後ろから抑えに行った時に中団で止まったのは想定外だったんですが、彼の中で初日の分があったので、ああいう仕掛けになったんだと思います。そこから無理やり仕掛けてくれたのですが、山田君の先行がかかり切ってなくて、その中で後ろから佐伯君が捲りに来たので、これはマズいと思って縦に踏ませてもらいました。
準決勝戦ですし、僕から売れてたというのもあったので人気に応えないといけないという思いで番手から出ましたね。
大津:決勝戦は吉田選手を先頭に番手が柴崎選手、三番手が地元の鷲田佳史選手(福井88期)。
相手の野田源一選手(福岡81期)は前場所の岸和田の決勝戦に続いての対戦となりました。(岸和田では吉田-柴崎の連携を野田が捲り優勝)
野田選手に対する意識はありましたか。
柴崎:それはめちゃめちゃありました。
大津:その中で決勝はどのような作戦でのぞまれたのでしょうか。
柴崎:前受けから攻めるイメージだったんですが、スタートで野田さんが凄く早くて、後ろ攻めになった段階で吉田君の判断に任せてました。
大津:勝負所を振り返っていただけますか。
柴崎:吉田君がジャンでカマシて先頭に変わったんですが、最終ホームで後ろを見た時に野田さんが凄く近くにいるのを確認したので、絶対に野田さんが飛んでくると思い、そこだけに意識を集中していました。捲り合戦になった時に野田さんが自分の後ろに入ったのは分かってなかったんですが、最後の2センター辺りで後ろを見た時に、鷲田さんの自転車の色とは違う自転車が見えたのでそこで気づきました。
大津:真後ろに野田選手がいると分かった時はどんなお気持ちだったのですか。
柴崎:前場所の岸和田で完全に踏み負けたっていう意識が残っていて、絶対に野田さんは伸びてくると思っていたので、そこは油断せずにゴールまで目一杯踏み込みました。
大津:ゴールした瞬間のお気持ちは覚えてらっしゃいますか?
柴崎:率直な感想は「やった、野田さんに勝った」です(笑)
前場所で負けてたので、同じ相手に同じようなメンバー構成で負けてしまうというのはプロとして恥ずかしいことですがトラウマにもなってしまいますから。
大津:これまでのGIII優勝は全て自力の走りでしたが今回は後輩に前を任せての優勝でした。この辺りの気持ちの違いはありますか。
柴崎:自分が今まで積み重ねてきたじゃないですけど、若い時でもラインの為に果敢に逃げていたりもしていたので、そういうのを感じ取ってくれたのが今回の吉田君であったり山田君でした。そこに関しては本当に嬉しかったです。
大津:今後の目標を教えていただけますか。
柴崎:GIを優勝することです!怪我をする前からそれは常に思っていたので。
怪我をして一度心が折れかけてしまったんですが、もう一回GIを目指してやろうという気持ちで今は練習やレースに臨んでいます。
高松宮記念杯競輪で同期の宿口陽一選手(埼玉県91期)が優勝して刺激もかなりもらいました。
大津:やはり同期の存在とは大きいんですね。
柴崎:めちゃくちゃ刺激になりますよね。昨日も本人と電話で喋ったんです。めっちゃテンション高かったですよ!「やっちゃったよ。」みたいなこと言ってましたもん(笑)
なんか陽一さんがゴールした瞬間に本当に思ったことは「オレじゃダメだ」ってことだったみたいです。91期の中で壱道か僕が先にGIタイトルを獲ってくれないとって思ったらしいです。
陽一さんは僕ら二人を追いかけてじゃないですけど、目標にここまで頑張ってきたってのを言ってくれたので、その中でまさか陽一さん本人が先にタイトルを獲るなんて自分が一番びっくりしてるって言ってました。
そういうことを思ってくれるのは本当にありがたいですよね。
大津:それでは最後にオッズパークの読者の皆様にメッセージをお願い致します。
柴崎:今後も自分らしい走りをして一つでも多く車券に絡めるように頑張ります。応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 大津尚之(おおつなおゆき)
ソフトな見た目と裏腹にパワフルで安定感のある重低音ボイスが魅力。
実況、ナレーション、インタビュー、俳優など活躍の場は多岐にわたる。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社
1着から3着までが微差という歴史的大接戦となった第75回日本選手権競輪(GI)の決勝戦。
「ダービーを獲る」ということを今年の目標に掲げ、見事有言実行をしてダービー王に輝いた広島の松浦悠士選手(98期)にお話を伺いました。
大津:日本選手権競輪優勝おめでとうございます。
松浦:ありがとうございます。
大津:今のお気持ちはいかがですか?
松浦:優勝した直後や、その日の夜は非常に達成感もありましたが、
どんどん気持ちが次に向かっていっているので「ダービー獲った、よっしゃー!」みたいなのは今は残ってないです。
大津:日本選手権が終わってから周りの反応というのはいかがでしたか?
松浦:今まで競輪祭とオールスターを優勝したのですが、その時とはまた違う感じでしたね。
オールスターを獲った後もすぐに他のレースにも行きましたが、ダービーって「ダービー王」ってつくじゃないですか。
新聞記事を見ても必ずダービー王って書かれますし、周りの見る目も今までとは違うなっていうのは感じます。
大津:優勝後にツイッターを更新してらっしゃいましたが、反響も凄かったですね。
松浦:ファンの方からたくさんのコメントをいただきました。 返信は出来ませんでしたが、全てのコメントに目を通させていただきました。
大津:ファンの方からご褒美スイーツの情報も続々と寄せられてましたね。
松浦:次の日の朝に東京駅で4種類くらい購入して帰りました。
大津:携帯電話にも数多くのメールなど届いてたんじゃないですか?
松浦:LINEは多く入ってました。
GIだけじゃなく記念競輪など優勝した際にも送ってくれるのですが、ダービーだったので非常に多かったですね。
大津:ご家族の反応はいかがでしたか?
松浦:いつも優勝した時は凄く喜んでくれるので、いつもの倍くらいは喜んでくれてました。
大津:今年はダービーを獲ると早くから公言されていましたね。
松浦:昨年出来なかったので今年こそは優勝したいというか、優勝するためにやっていきたいという気持ちでレースや練習にのぞんでいました。
大津:ダービーの重みというのはどのように感じていらっしゃいましたか?
松浦:普段はあまり緊張することはないのですが、特にダービーの準決勝はいつもとは違った緊張がありました。
他のGIとは違うダービー特有の空気感もあり、周りの選手もピリピリしている感じもあったので、そういうのを感じ取って自分もピリピリしていた感じもありました。
大津:連日ファンの支持を集めてのレースになっていましたが、その辺りはいかがでしたか?
松浦:正直今回に関しては、そこまで気にする余裕はありませんでした。
人気になっているけど期待に応えられるのかなっていう思いのほうが強かったです。
大津:それは意外でした。
松浦:前検日と初日は凄く感覚が良くて、今回はいけるなって思っていたのですが、一走目を走った時に、調子は悪くないんだけどなんか違うなって感じが自分の中であって。
二走目三走目と走るにつれて、後ろから抜かれてるってのは最後の脚が足りていないということなので絶好調ではないなと感じていました。
ただ、そういうのをしっかりと把握できたからこそ優勝できたような気もします。
大津:決勝戦は清水裕友選手(山口・105期)との連携でレースは前受けからの組み立てになりました。
松浦:最悪な形は避けられたのは良かったです。関東勢が前受けで僕たちが後ろ攻めっていうのが考えうる最悪の展開だったので、平原さん(平原康多選手・埼玉87期)がいれてくれたので少しホッとしました。
大津:勝負所で先ず郡司浩平選手(神奈川・99期)が関東勢にフタをする形になりました。
松浦:なかなか前に来ないと思ってビジョンを確認したら併走をしていたので、どうなるのかなっていう感じて見ていて2コーナーまでに来なかったので、これは裕友が駆けるなって思いました。
大津:最終ホーム辺りでは郡司選手が松浦選手の後ろまで追い上げてきましたね。
松浦:音が聞こえてけっこうなスピードで郡司君が内側に来ているのが分かったので、内側からすくわれないないように内を締めて確認をしたら、郡司君が整っている感覚だったのでヤバいなって感じました。
大津:そこから郡司選手の動きをどのように見ていましたか?
松浦:郡司君のフォームを見ていると、仕掛けられるよという態勢が出来ていたので
2コーナーくらいで来てくれたら止められるんだけどなって思っていたのですが来てくれなくて、こで来なければ2センターから4コーナー勝負だなという感覚でしたね。
大津:そこから最後は歴史的大接戦の勝負になりましたね。
松浦:3コーナーくらいからは後ろを見ずに郡司君の音が聞こえたら自分も踏み込もう思っていました。
この辺りは上手く感覚でいけたのですが、今開催の自分の調子と郡司君の調子を比較したら真っ直ぐ走っていては厳しいと感じていたので少し牽制を入れました。
すると今度は内から慎太郎さん(佐藤慎太郎選手・福島78期)が物凄いスピードで入ってきたのが見えたので、このままでは慎太郎さんに行かれてしまうと上手く肘を引っかけました。
ただ、内を気にし過ぎた分、郡司君に行かれてしまったのではないかと思いました。
大津:今回のダービーは間違いなく語り継がれていくレースになりましたよね。
松浦:そうですね。微差、微差での決着でしたので。
大津:ファンからすると微差というのは、どれくらいの差なんだと思われている方もいると思いますが、何センチっていう差だったんですか。
松浦:タイヤの幅が二センチくらいなので、恐らく一センチもないと思います。
大津:優勝と二着では全く異なりますもんね。
松浦:そうですよね、タイトルもそうですし、賞金面もそうですし全然違ってきますよね。
大津:松浦選手が初めて出場したGIが2016年3月に名古屋で行われた日本選手権競輪でした。あれから5年で自身がダービー王に輝くというのは想像出来ていましたか?
松浦:初めて出た時は全く想像が出来ていませんでした。
どれくらい戦えるんだろうと思って行って全然ダメだったというのははっきりと覚えていて、そこから徐々に目標を上方修正していってという感じでした。
タイトルを意識するようになったのは裕友が出てきてからって感じですよね。
大津:清水選手がダービーを優勝した松浦選手を見て、初めて人が勝利して嬉しいというコメントを出されてましたね。
松浦:今まで嬉しくなかったのかって思いましたけどね(笑)
でも、確かに初めて獲った競輪祭の時とか裕友は凄く悔しそうにしてて、それはとても印象に残ってます。
大津:清水選手の存在というのは改めていかがですか?
松浦:一緒に練習することもあるんですが、そういう時はけっこうお互いにやり合ってるので、本当に刺激し合える良い存在です。
大津:ダービー終わった直ぐ後に広島競輪場で練習されてましたよね。
松浦:はい、練習には行きました。
大津:全くお休みはしないんですか?
松浦:まぁ少しは休みましたけど、いつもみたいに激しい練習はしませんでした。
少しでも自転車に乗るっていうのは必要なことですし、ダービーを獲って終わりではなくて次は函館記念も控えてましたから。
大津:函館記念を欠場するという選択肢はご自身の中ではなかったのですか?
松浦:施行者の方は僕に走ってほしいと思って呼んでいただいているので、そういう気持ちっていうのは凄く大事にしていたいですし、応援してくださるファンの方も走っている姿を見たいと思うんですよね。
そういう意味では走っていないと見てもらう機会がないじゃないですか。
ファンの方に走っている姿を見せたいという気持ちと、呼んでいただいた以上は関係者の方々の気持ちもあるので、それに応えて結果を出したいという思いが凄く強くあるんです。
大津:今年もここまで数多くの好成績を収められていますが、松浦選手から見て今の松浦悠士は完成形なのか、それともまだまだ発展途上なのか、どのように感じていらっしゃいますか?
松浦:ある程度結果が出ているというのは理想の形ではあるんですが、自分の走りであったり力という面ではまだまだ納得はしていないですね。
これで良いやと思うと、そこで止まってしまうので常に課題をもって日々の練習やレースにのぞんでいます。
大津:5月29日からは地元広島競輪場で全プロ競輪(FII・全日本プロ選手権記念競輪※1)が行われます。
松浦:ダービーや函館記念の時よりも非常に良い感覚がありますし、地元戦なのでとても楽しみです。
負けられないって思いも強いですね。
(※1 5月30日のスーパープロピストレーサー賞を制し、松浦選手が見事優勝されました!)
大津:では、最後にオッズパークの読者の方々へメッセージをお願いします。
松浦:いつも応援ありがとうございます。
自分的には今年良い結果が残せているんですが、これに満足せずにもっともっと良い走りをお見せ出来るように精一杯頑張っていきます。
これからも応援よろしくお願いいたします。
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※インタビュー / 大津尚之(おおつなおゆき)
ソフトな見た目と裏腹にパワフルで安定感のある重低音ボイスが魅力。
実況、ナレーション、インタビュー、俳優など活躍の場は多岐にわたる。
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※写真提供:株式会社スポーツニッポン新聞社