108期の三宅玲奈(みやけれいな)選手(岡山)は、小さい頃から自転車競技を始め、高校生で日本記録を出したこともある実力の持ち主。姉である三宅愛梨選手と共に、ガールズでも頂点を目指します。
赤見:まずは競輪選手を目指したきっかけから教えて下さい。
三宅:実は、小学校の作文?みたいなのに、将来の夢は競輪選手って書いていたんですよね。 今は競輪女子はないけど、でもがんばる!みたいな感じで(笑)。地元の岡山で、小学校5,6年生の時に自転車の耐久レースがあったんですけど、そこに兄弟で出始めて、勝ったり負けたりする中で、競輪選手に憧れたんだと思います。あんまり覚えていないんですけどね(笑)。
赤見:同じくガールズの選手であるお姉さん(三宅愛梨選手)と一緒に、自転車競技を始めたんですか?
三宅:いや、姉はその時はしていなかったです。兄弟っていってもわたし9人兄弟がいるんで、お兄ちゃん2人と、1つ下の弟と、あと同級生の友達とかもやっていました。今選手になっている畝木努(うえきつとむ)選手とかも、地元が一緒なので中学校の時もたまに一緒に練習していました。
赤見:なるほど。その、耐久レースに参加するきっかけというのは覚えていますか?
三宅:具体的には全然覚えてないんですけど、耐久レースってCMでもけっこうやっていて、出てみるかって感じだったと思うんです。最初は小さい子が乗る普通の自転車で出ていました。そこからロードレーサーを買ってもらって、中学高校と自転車競技をやっていました。
赤見:ずっと自転車一筋ですか?
三宅:小学校の時に空手をしていて、空手を辞める前に自転車を始めたので、そこからは中学高校ともう自転車しかしていなかったです。
赤見:今お話しにあった空手も、小学校2年生で全国2位ってすごいですね。
三宅:そうですよね。1年生で初めてすぐそういう結果が出てしまったんです。
赤見:話を戻しまして、競輪学校に入るまでの過程というのは?
三宅:高校で自転車競技をしている時に1期生がデビューしたんですけど、その前に1期生になる中村由香里さんが、たまたま大阪の自転車のレースに出る時に来ていて、わたしに「競輪学校入るんだ、良かったら入ったらいいんじゃない」って言ってくれていて。そういうのもあるんだって、意識し始めました。それが中学3年生の時だったんですけど、その後姉が競輪選手になるって学校に入って、そこからは自分も流れみたいな感じで進みました。
赤見:お姉さんが競輪学校に入るという時はどう感じましたか?
三宅:その頃には姉も自転車競技をしていたので、高校から大学に行くような、エスカレーター的な感覚でいました。途中で違う道も考えたんですけど、ガールズに挑戦できるのは今しかないなと思って決めました。
赤見:小さな頃から自転車を続けて来て、辞めたいと思ったことはなかったですか?
三宅:何度もありますね(笑)。高2で日本記録を出して、なんていうか...完全燃焼じゃないですけど、もういいかな~という時期があって。それがけっこう長かったんです。上手く自転車に打ち込めなくて。でも高3まで続けていて、同級生だった滝本泰行(たきもとやすゆき)選手も同じ学校で同じ自転車部だったんですけど、滝本選手は「競輪選手になる!」って言っていて、そういう仲間がいたので自分もがんばれました。わたしの場合は本当に周りに恵まれて...。一人ではこの世界に入れてないです。みんながいてくれたお陰ですね。
赤見:競輪学校はどうでしたか?
三宅:1年間苦しかったですね。子供の頃からずっと自転車競技をしていましたけど、入ってから腰壊すわ膝壊すわ...。それで休学したりして、とにかくストレスがすごかったです。集団生活は兄弟が多いから慣れているかなと思っていましたけど、学校の生活は全然違いました。時間に追われ続けますし。肉体的にも精神的にもキツい時間でした。
赤見:その1年を耐え抜いて、無事に2015年デビューしました。
三宅:デビュー戦を迎えて、成績が伴わないっていうのもあって、やっぱりこの世界に合っていないのかもしてないなって、けっこう考えました。空手にしても自転車を始めた時にしても、スッといい方向に向いて結果が出たので、楽しいままで進むことができたんですけど、自転車競技から競輪に変わったらまた世界が違うじゃないですか。どうなんだろう、向いていないのかなって。
赤見:競技とは全然違うとよく言われますが、そこを実感されたわけですね。
三宅:そうですね。技術的なこともそうですし、人間関係というか、わたし人と接するのが苦手なんです。知らない人がいっぱいいる中でってなると、そっちにばっかり気がいっちゃって、全然自分に集中できてなかったんです。
赤見:今年3シーズン目になりますが、現在はいかがですか?
三宅:去年はサマーナイトまで成績をどんどん上げていって、いい状態だったんですけど、12月の地元戦でこけてからちょっと落ちていました。気持ちのブランクというか、1年間オフシーズンがない中で気持ちを保ち続けることが難しいなと。でも上の選手は追われる立場からずっと離れられないから、すごいなと思いながら毎日がんばっています。
赤見:技術的にはもちろんですけど、気持ちも大切な競技ですもんね。
三宅:そうなんですよ。もう、メンタルが弱すぎるって周りの人によく言われるんです。知り合いとかにも、「お前は肉体とかじゃなくてメンタルだ」って。そこを強くしたいと思っているんですけど、こればっかりは急には強くなれないんですよ。なかなか難しいですけど、少しずつ前進できるようにがんばります。
赤見:プライベートなことですが、9人兄弟というのは珍しいですよね。
三宅:そうですよね。年子が多くてみんな仲いいです。ただ今考えると、兄弟が多い分、周りと接することが少なかったというか、兄弟とずっといたので、知らない人と接するということが難しくなってしまったのかなと思いますね。
赤見:お姉さんも競輪選手というのはいかがですか?
三宅:すごく心強いです。こけた時とか、メンタル弱くなっている時でも面白可笑しく接してくれるので。お互いに大変な時もわかりますし、他の選手に言えないことも言えるので、同じ世界にいて本当に良かったです。
赤見:現在の目標を教えて下さい。
三宅:今年中に優勝することです。去年も決勝に出てもずっと2着続きだったので、今年こそ優勝したいです。応援してくれている人たちにも勝って恩返しがしたいですね。
赤見:では、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
三宅:いつも画面を通して応援していただき、ありがとうございます。もっと強い選手にならないと応援しがいがないでしょうし、車券に貢献できるようがんばります!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
104期の石井貴子選手(東京)は、同じく104期の石井寛子選手の妹であり、姉妹で活躍しています。大きな怪我を乗り越えて、 好調が続く現在の様子をお聞きしました。
赤見:経験選手を目指したきっかけは、どんなことだったんですか?
石井:きっかけは姉(石井寛子選手)に誘われてですね。姉はもともと自転車競技をしていたんですけど、わたしは中学高校で陸上とソフトテニスをしていて、大学と社会人の時は特に運動はしていなかったんです。それで、大学卒業後にアパレル業界で販売の仕事をしていました。本当は洋服のお店に行きたくて就活していたんですけど、希望の会社に受からなくて、靴下とか下着とかパジャマとかを販売しているお店に就職しました。
赤見:そこから競輪選手というのは、かなり大きな決断ですね。
石井:ちょうど仕事で悩んでいる時で、辞めようかなって思っていたんです。次に何をしようかなって考えている時に、寛子が競輪学校受けるからって言うので、じゃあ一緒にっていう感じでした。
赤見:自転車には興味があったんですか?
石井:全然なかったです(笑)。寛子ががんばっているなっていうくらいで。ただ、なんか楽しそうな感じはしましたね。もともと運動は好きだったので、そういう職業に就けるというのはいいなと。
赤見:競輪学校を受けるまでの過程というのは?
石井:寛子の師匠が朝倉佳弘さんと決まっていたので、わたしもお願いしまーすみたいな、ちょっと軽いノリで(笑)。1日2時間くらいで、競輪学校に受かるためだけの練習をしました。最初は自転車に乗るのは怖かったですけど、だんだん楽しくなりましたね。
赤見:お姉さんと同期というのも珍しいですけれども、競輪学校の一年間はいかがでしたか?
石井:もう、2度と行きたくないです(苦笑)。就職して一度社会に出ていたせいか、学校の厳しさは問題なかったんですけど、 膝を壊してしまったことがあって、そこから練習したいのにできないっていうジレンマで精神的にキツかったですね。それに、休んでいるとまたそれはそれで、何で休んでいるの?っていう目が気になって。
赤見:競輪学校の中では、みなさん追い込まれていますもんね。
石井:そうなんですよ。あそこは特殊な世界ですよね。精神的に苦しい時期もありましたけど、寛子といると安心しました。同期でもライバルという感じではなく、2人で支え合ってという感じです。
赤見:2013年、松戸でのデビューは覚えていますか?
石井:めっちゃ緊張しました(笑)。前検日から吐きそうで、本当に大変でしたね。わたし、緊張しいなんですよ。せっかくお客さんの前で走ったのに、周りからの声援も聞こえないくらいガチガチでした。
赤見:でも、2日目に初勝利でしたよね?
石井:本当にたまたまなんですよ。ただ、デビュー開催で勝てて良かったです。その時は選手になってよかったなと実感しましたね。
赤見:初優勝はどうでしたか?
石井:この勝利は格別でした!逃げて1着になることができたので、それがまた嬉しかったです。展開もあったけど、逃げ切りを目指していたので、自力で優勝できて嬉しかったです。
赤見:順調な選手生活を送っていましたが、2015年に高知で落車して膝に大きなケガを負ったそうですね。
石井:そうなんですよ。結局、4か月くらい歩くことすらできなかったんです。右膝だったんですけど、落ちた時に膝だけでブレーキ掛けてて、一点集中みたいな。他は無傷だった分、膝に穴が開いてて、白いのが見えてました(苦笑)。
赤見:えーっ!それは...相当痛そうです。
石井:最初の1か月は高知で入院して、同期の山原さくらちゃんがいろいろ面倒みてくれたんです。山原さんのお父さんもお母さんも面倒をみてくれて、そこでは楽しくやっていたんですよ。その後、地元の埼玉に転院したんですけど、時間が経てば治るかなと軽く思っていたのになかなか治らなくて。結局、手術とかしないといけないということになりました。それで、手術してリハビリをしたんですけど、それでもあんまり治りがよくなくて、その時期はすごく悩みました。リハビリはものすごく痛いし、精神的にも肉体的にも辛かったです。
赤見:辞めたいとは思わなかったですか?
石井:復帰はしようと思っていたので、辞めるという選択はなかったです。埼玉の病院にいる時は実家も近いので親もよく来てくれて、すごく心配しているんだなっていうのは感じていましたし、ずっと迷惑を掛けているなと思ってはいたんですけど、とにかく落ち込んでました。
赤見:その時間は長く感じますよね。
石井:そうですね。長かったです。いつ治るっていうのが見えなくて、とにかくずっと膝が曲がらなかったんですよ。まず、まず曲げるところから始めて、リハビリしてもらうんですけどめちゃくちゃ痛くて。
赤見:どう乗り越えたんですか?
石井:やっぱり家族に支えてもらいました。両親と、寛子と。 家族でよくご飯に行ったりしましたし、近くで励ましてくれたことが支えになりましたね。
赤見:復帰は2016年2月でした。
石井:久しぶりのレースでしたし、デビュー戦みたいな感じでわくわくドキドキしました。また選手として戻ることができて、感慨深かったです。
赤見:現在の調子はいかがですか?
石井:復帰してちょっと良かったんですけど、また落車したりしていたんですよ。それでまた調子を落とした時があって、結果も悪かったんですけど。そこからいつの間にか体の調子が良くなったのか、今すごく調子が上がってます。いつの間にか決勝とかに乗れるようになってて、偶然かなって思ってたらずっと乗ってて。あれ?みたいな感じです(笑)。何かを変えた?ってよく聞かれるんですけど、特にないんです。日々の練習や体のケアを重ねたことが、結果につながるようになったのかもしれません。怪我した時や、なかなか成績が出せなかった時は辛かったですけど、今は自転車に乗るのがすごく楽しいです。
赤見:大きな怪我をして、恐怖心はないですか?
石井:復帰したては人の横が怖すぎて、どいたり引いたりしていたんですけど、少しずつ怖さが薄れて来たので、それもいい方に出ているのではないかと思います。
赤見:では、今後の目標を教えてください。
石井:目標は、いっぱい練習してコレクションとかに乗れる選手になることです!
赤見:お姉さんとも戦う世界ですが、どんな存在ですか?
石井:寛子とはしょっちゅう一緒にご飯に行ったり、練習も地元にいる時は一緒居するので仲はいいですね。ライバルっていうより、一緒にがんばっているという感じです。すごくいい刺激を受けていますね。
赤見:では最後に、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。
石井:いつも応援していただき、ありがとうございます。これからもっと車券に貢献できるように、1着取って顔を覚えてもらえるようにがんばります!
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA
デビューから驚異的な強さでガールズの頂点に君臨した、106期の小林優香選手(福岡)。2016年シーズンは長らくケガに悩まされましたが、今年は再びの頂点を目指します。
赤見:去年は大きなケガから手術に踏み切り、長く休養されました。現在の体調はいかがですか?
小林:今は体調も上がって来て、いい状態ですね。やっとここまで来ることができました。去年の3月に落車して肩をケガして、いろいろな病院で調べましたが、結局手術するしかないということになって、7月に手術しました。復帰してからも、去年の12月までは思うように体が動かなかったりして、いろいろ悩んだ時期があったんですけど。今は練習もしっかりできているので、まぁここまでの道のりも無駄じゃなかったのかなって思います。
赤見:2015年にオッズパーク杯ガールズグランプリを勝ち、女王として挑んだ2016年でしたし、相当葛藤があったのでは?
小林:そうですね。手術を決意したのも、4年後の東京オリンピックだったり、自分の競輪人生を考えて、今後のためにと割り切ったつもりだったんですけど、いざ自転車に乗れない日々が続くと苦しかったです。
赤見:その時は、どんなことが支えになりましたか?
小林:周りにいてくれる師匠だったり、家族、友人、ファンの方々に支えていただきました。家族からも師匠からも言われたのは、「今は我慢の時、長い人生の中で一瞬のことだから」って言ってもらって。長い目で見ると一瞬だったと思える日が来るのかなと思いながら、なんとかふんばりました。
赤見:休んでいる期間は長く感じますよね。
小林:ガールズケイリンフェスティバルもガールズケイリンコレクション松戸ステージも出られなかったですし、結局年末のグランプリにも出られなかったので、本当に長かったです。今後への想いと平行して、目の前の現実があるわけじゃないですか。どうして大きい舞台に自分が立っていないんだろうっていう気持ちで悔しかったです。入院中やリハビリ期間にたくさん時間があって、もう一度自分自身を見つめ直したんですけど。自分のことについてじっくり考えた時に、やっぱり東京オリンピックを目指したいっていうのが一番にありました。そこに向けて万全を期すためには必要なことなんだって言い聞かせて、自分を納得させていましたね。
赤見:東京オリンピックというのは大きいですよね
小林:本当に大きいですね。そのモチベーションはかなり強いです。だって生きている間に自国開催はないかもしれないですし、絶対出たいです。オリンピックは競輪選手になった時からの目標でしたし、ガールズで頂点を目指すとともに、オリンピック出場も叶えたいです。
赤見:小林選手の原点のお話をお聞きしたいのですが、もともとはバレーボールをしていたそうですね。
小林:小学2年生から大学1年生までやってました。すごく真剣にやっていたんですけど、思うように身長が伸びなかったというのもありますし、この身長では上で戦えないなと実感した時、たまたまロンドンオリンピックの自転車競技を見て、これならわたしの身長でも行けるのでは?と思ったんです。それで、次の日には106期の願書を取りに行ってました。
赤見:ものすごい行動力ですね。
小林:これだ!と思ったんですよね。ちゃんと自転車に乗ったことがなかったので適性試験で受けて、学校に入ってから本格的に乗り出しました。ただ、ずっとバレーで鍛えて来たことが良かったのか、すんなりと対応することができました。
赤見:在校1位ですもんね。競輪学校在校中から競技と両立していたんですよね?
小林:そうです。周りの先生方からナショナルチームに入った方がいいって進められて、在校中に強化育成選手という形で入らせていただいて、そこから強化指定選手という流れです。2015年シーズンはガールズに集中したくてナショナルチームを辞退していたので、本当の両立はやってないんですけど、今チームとガールズと両立してみて、やっぱり難しいなって思うことはあります。ルールも違っていろいろ難しいですけど、自分で決めた道なのでしっかり全うしたいと思っています。
赤見:小林選手はデビューから連戦連勝で、一気に女王と呼ばれるところまで上り詰めましたけれども、周りの期待やプレッシャーはキツくなかったですか?
小林:デビューした時から勝つことが当たり前だったので、慣れといいますか。そういう空気を作ってくれていたので、ある意味鈍感になれたのかもしれません。
赤見:強さの秘訣というのは?
小林:わたしの場合はあまり練習を休まないことだと思います。悔しい、勝ちたいって思うから練習もがんばろうって思いますし、もっともっと強くなるためにはっていうのをずっと考えています。1回負けて(連勝が)リセットってなった時でも、次は負けないぞという強い気持ちで挑めたことが結果に繋がっているのかなと思います。
赤見:ここまで強いと、逆にそういう気持ちが弱まっていかないのかなって思うんですけど。
小林:けっこういろんな方にそういう風に言われるんですけど、もうとにかく負けることが嫌いなので(笑)、練習はしちゃいますね。モチベーションはずっと高いです。
赤見:では、今後の目標を教えて下さい。
小林:去年無駄にしてしまった時間を取り戻したいっていう気持ちももちろんありますし、いろんな方に昔の強さに戻って来たねって言っていただくんですけど、昔に戻りたいわけではなくて、昔よりも強い自分をお見せしたいです。その強さをもっともっと見せて、今後も1戦1戦大事に勝って行きたいです。今は東京オリンピックに向けて、修善寺を拠点として練習をしているので、そこに賭ける思いも強いです。ガールズと上手く両立できるようがんばります!
赤見:オッズパーク会員の方に向けてメッセージをお願いします。
小林:去年はご迷惑、ご心配をおかけしました。2017年からはもっともっとご期待に応えられるようがんばります。応援よろしくお願い致します。
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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA