今年でデビュー27 年目を迎える宇都英樹騎手は、愛知県騎手会の会長。勝利を目指す仕事のほかに、競馬の活性化や情報発信などにも心を砕いている。これまでを振り返りつつ、名古屋競馬と自身のこれからについても話を伺った。
宇都英樹騎手が騎手デビューした当時の名古屋競馬は、騎手同士の戦いも激しかった。
入ったときは騎手が55 人くらいいて、いちばん多かったときが58 人かな。調整ルームに入りきれないくらいでしたよ。だから乗り鞍の確保が大変。同じ年代に安部幸夫騎手、吉田稔騎手などがいるんですが、みんな5 日間の開催で2 ケタ乗れない程度の騎乗数でした。調教でも乗る馬があまり回ってこないという時期が5年くらい続きましたね。でも、それが当たり前だと思っていた部分があったかもしれません。
それでもなんとか上を目指したい。その想いは巡りあわせの幸運もあって、少しずつ花開いていく。
僕は鹿児島県出身なんですが、名古屋競馬にはなぜか同郷の人が多くてね。僕の父がウチの厩舎の厩務員さんと知り合いで、竹口勝利調教師が騎手を探しているから、と聞いてきたことがこの世界に入るきっかけです。でも入ったら兄弟子がいて(笑)。最初はいろいろと厳しかったですが、そのあと宮下兄妹(康一、瞳の両騎手)が来てくれたことで、他の厩舎に顔を出せる余裕ができました。
その頃ですね、マルブツセカイオーに乗れることになったのは。主戦の戸部尚実騎手が体を悪くして、代役が回ってきたんです。あの馬で東海桜花賞を勝たせてもらいましたが、運もよかったですよ。その年から東海桜花賞が名古屋開催に変わったんです(前年は中京競馬場の芝2000m)。左回りと芝が苦手だったマルブツセカイオーにとっては、本当に大歓迎。自分も『どうせ1 回きりだろうし』と思って開き直って騎乗しました。ヘタを打ったらどうしようかと考えたってキリがないですから。
その結果、東海所属馬による大レースを勝利。しかしながらその頃は、笠松競馬所属馬が名古屋の重賞戦線で大攻勢をかけている時期でもあった。
あまりに笠松の馬に勝たれるので、荒川友司調教師(故人)にグチっぽく文句を言ったら『ウチらが来られなくなるような馬を作ってみろ』と返されまして。そんなこともあって、少しずつ意識が変わってきたように思いますね。坂路もできましたし。
そういった対抗意識が、2000 年以降に全国区の活躍馬を送り出した要因になったのかもしれない。
でも今はそういう馬が少なくなりましたね。昔はどのクラスでも力関係の判断が難しいレースが多かったですよ。でも今はだいたい堅いでしょ。もっと面白みのある番組を作ってくれと、主催者にはよく掛け合っていますよ。その上で、話題性のある馬が出てきてくれれば。最近で僕が乗った馬でいうと、マリンレオとかね。
アラブながら、サラブレッドの重賞を制したマリンレオ。その馬で宇都騎手は福山のアラブ大賞典と金沢のアラブグランプリを勝利した。そのときは『本当は吉田稔騎手が乗る予定だったんですが、都合が悪かったらしくて、僕に依頼が回ってきた』という経緯だったそう。やはりこの世界で成功するためには、実力以上に縁が重要なのだと感じずにはいられない。それらを武器に実績を重ねてきた宇都騎手は、3年前から騎手会長を務めている。
任期は2年なんですが、昨年また再選されまして。そのなかで、昨年から騎手ズボンに広告を付けるということを始めました。いろんな企業やお店に営業に行きましたよ。なかなかうまく進んではいませんが、でもこうやって動いていくことで、「競馬場の人はがんばっているんだな」と、わかってもらえればと思いますからね。大震災のときは騎手会で募金活動もやりましたし、競馬場のお祭りにも協力しました。騎手はレースで一所懸命に乗るのが本分ですが、それ以外にもいろいろやっていかないと。お客さんが競馬をやめてしまったら、もうおしまいですからね。
騎手会長として、そして名古屋競馬を愛する者として、宇都騎手はさまざまなことを考えている。しかし本人もひとりの騎手。向上心は忘れていない。
デビュー当初はリーディング20位以内には入りたいなと思っていて、それが実現したら次はリーディングジョッキーカップに乗りたいなとなって。そうしたら今度はそれを勝ちたいってなるじゃないですか。いい馬に乗せてもらって教えられたことも多いですが、そういった気持ちがあることが、教養センターであんなに下手だった自分がここまでこられた理由かなと思います。
宇都騎手の通算勝利数は1700あまり。2000勝という数字も見えてきた。
去年、レース中に他馬の落馬に巻き込まれる形で、右の鎖骨を骨折してしまったんですよ。それで今は騎乗数を少しセーブしているんですが、2000 勝......、できるかなあ。最近のペースなら4年後くらいですかね。なんとか頑張ります(笑)。
名古屋競馬の騎手界は、若手の台頭もあって激戦区なのは今も同じ。そのなかで2010 年と2011 年はシルバーウインドとのコンビでグランダム・ジャパン古馬シーズンに参戦した。
あの馬は先頭に立つと気を抜くし、ゲートでも落ち着かないし、乗り難しいタイプ。あと、夏に弱いのがね......。去年の金沢(読売レディス杯)のときなんて、暑いのに全然汗をかかなくて、ゲート裏でダメだと思いましたもの。そんな状態でも3着に来るのだからすごいですよね。今年は3歳のマザーフェアリーが楽しみな存在。グランダムも狙えたらと思っているんです。
宇都騎手は「名古屋競馬場を夢のある場所にしたい」と口にしていた。それにつながっていくように、騎手会長は自分から動く。このインタビューのあとも、広告ズボンの広告主のところにあいさつと営業に行く予定になっているとのことだった。
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宇都英樹(名古屋)
1968年8月14日生まれ しし座 A型
鹿児島県出身 竹口勝利厩舎
初騎乗/1986年10月16日
地方通算成績/11,761戦1,736勝
重賞勝ち鞍/東海桜花賞2回、アラブ大賞典(福山)、
アラブグランプリ(金沢)、ゴールド争覇2回、
ゴールドウイング賞2回、名港盃2回、くろゆり賞(笠松)、
スプリングカップ、尾 張名古屋杯2回など27勝
服色/胴青・黄一本輪、そで青黄縦じま
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※成績は2012年2月29日現在
(オッズパーククラブ Vol.25 (2012年4月~6月)より転載)
昨年は【アムロ】で悲願の『東海ダービー制覇』、そして2000勝達成と、大きな節目の年となった、名古屋の戸部尚実騎手。
今年29年目を迎えるベテランジョッキーに、これまでを振り返っていただきました。
赤見:まずは、12月6日の2000勝達成、おめでとうございます!
戸部「ありがとうございます。僕は本当に怪我が多くて、それがなかったらもっと早く達成出来たと思うんですけどね。いつかは来る数字だとは思ったけど、やっと出来ました。勝った時は嬉しかったです」
赤見:1番人気での達成でしたが、レース前に意識してましたか?
戸部「してましたよ。本命馬で、普通にレースすれば勝てる力のある馬だったんです。ここで負けちゃうと、周りから『2000勝のプレッシャーで負けた』って絶対に言われるから(苦笑)。だからなるべく平常心と思って騎乗しました。
リーチかかってからポンと勝てたんで、気持ち的にも楽でしたね。
なかなか達成できる数字じゃないんで、周りの人たちに本当に感謝しています。2000勝できて、肩の荷が下りた気持ちもあるかな」
赤見:そして昨年は、『東海ダービー』制覇もありましたね!こちらもおめでとうございます。
戸部「ありがとうございます。ダービーは誰もが勝ちたいと思うけど、なかなか勝てるレースじゃないからとても嬉しいです」
赤見:山本茜騎手騎乗の【ミサキティンバー】との叩き合いをハナ差制しての勝利。勝った瞬間はわかりましたか?
戸部「正直、わからなかったです。写真判定になったんで、引き上げて来て後検量しながらも、『勝っててくれ~』って願ってました。写真判定が出た瞬間は、『やったーーー!』という気持ちでしたね。
騎手生活何十年、ずっと目指してたことが叶ったわけですから」
赤見:ハナ差粘ってダービー馬となった【アムロ】ですけれども、どんな印象だったんですか?
戸部「最初は目立たない普通の馬だったんですよ。道営から移籍して来て、最初は柿原騎手が乗ってて。僕が乗り出した時も、平凡というか、ダービーを目指そう!っていう感じではなかったんです。
それが、使うごとにパワーアップしていって、体重もどんどん増えていってね。最初に乗った時と今とでは、まるで別の馬ですよ。
ダービーを勝ったのはフロックかな、なんて思ったりもしたけど、その後もちゃんと力を見せてくれているし、すごい馬だよね」
赤見:ちなみに、ダービーの時には勝てる自信を持っていたんでしょうか?
戸部「絶対勝てるとまでは思ってないけど、勝ち負けしてもおかしくないなと思ってました。その前の『駿蹄賞』で惨敗してしまったんだけど、その時はスタートで出遅れて、全く気分が乗らないままのレースだったから。
だから、スタートだけ気を付けて乗りました。ダービーの時は、スタートも決まって、位置取りも良くて、ペースも良くて、仕掛けもすべて思い通りにいったんです。もうね、嘘みたいに上手くいったんですよ(笑)。
長く騎手をしているけど、大きなレースでここまですべてが上手く運ぶことはなかなかないからね、1つでも欠けていたらチョイ負けしていたかもしれませんね。ダービーを勝つって、能力が高いことはもちろんだけど、すべてが上手く運ぶってことも大切なんだと思いました」
赤見:ダービージョッキーになった気分はいかがですか?
戸部「やっぱりね、自分にとっても自信になるけど、周りもそういう目で見るから。色んな面で、ダービーの1勝がプラスになっていますね。プラスαが増えましたよ」
赤見:戸部騎手にとって2010年は大きな節目の年となりましたが、東北大震災というとても残念な出来事もありました。戸部騎手は青森出身ですけれども、実家の方は影響はあったんでしょうか?
戸部「本当に残念な出来事でした。被災された方には、心からお見舞い申し上げます。うちの実家は幸いにも山側なので、津波などの大きな被害はなかったんですが、かなり揺れたようです。
名古屋競馬でも、自分たちに出来ることをしようと、喪章を着けてレースに乗ったり、募金活動などをしました。いつもとは違う形でファンの方々と触れ合ったんですが、本当にみなさん温かくて、優しい反応を示して下さったことがありがたかったですね」
赤見:10月には、盛岡競馬場で行われた『東北ジョッキーズカップ』に出場されましたね。
戸部「いいレースだったと思います。僕は普段、東北の粘りを持ち味にして名古屋で戦ってるんですけど、『東北ジョッキーズカップ』出場騎手はみんな東北魂を持っていますからね!
レースではいい結果が出せなくて残念でした。怪我からの病み上がりで、体が思うように動かなかったところもあったんですが、人気馬に乗せてもらったのに結果が出せなくて申し訳なかったです。
ジョッキーたちの雰囲気は和気藹々で、とてもいい雰囲気でした。自分たちに出来ることは競馬なので、競馬で盛り上げていけたらなと思ってます」
赤見:本当にその通りですね。少しでも盛り上げていきたいです。 先ほどのお話にもありましたが、戸部騎手はこれまで怪我に泣かされることが多かったようですね。
戸部「そうなんですよ。かなり多いです。直近の7年間でも、6年は入院してますからね。ほぼ毎年骨折してます(苦笑)。 鎖骨は左右、首、腰...骨折してないところを探した方が早いですね」
赤見:大きな怪我をしながらも、長く現役生活を続けている秘訣は何でしょうか?
戸部「う~ん、なんですかね。続けようとする気持ちじゃないですかね。凹むこともあるけど、騎手生活も怪我も慣れてるから(苦笑)、気持ちをコントロール出来るようになりました。馬に乗れないことが一番辛いけど、気持ちを下げないようにしています」
赤見:今年でジョッキー生活29年目を迎えますが、ジョッキーを目指したきっかけは何だったんですか?
戸部「中学2年生の時に新聞配達していたんだけど、近くに牧場があって、そこの関係者の人が『背が小さいし、騎手に向いてるんじゃないか』って声をかけてくれたんです。でも、競馬のことは全く知らないし、馬に触ったこともないので、その時は保留にさせてもらって高校に進学しました。その後、高校2年生の時にもう一度話をいただいて、それで決めたんです。当時は中央と地方の区別があることすら知らなかったけど(笑)。
名古屋競馬に住み込みで、高校も転校しました。 青森から愛知に行って一番驚いたのは、平らな土地が限りなく続いていること(笑)。うちの田舎にはそういうのがなかったから、本当にびっくりしましたね。
厩舎の方はすぐに慣れました。1年間高校に行きながら働いて、地方競馬教養センターの短期騎手課程(半年間)を受けて騎手になったんです」
赤見:実際にデビューした時はどんな感じでしたか?
戸部「本当に僕は恵まれていたんですよ。調教師の方針で、厩舎の馬たちをすべて僕に乗せてくれたんです。だから最初からいい環境で騎手生活をスタートすることが出来ました。周りの人たちには、とても感謝しています」
赤見:想い出のレースを上げるとしたら、どのレースですか?
戸部「いっぱいありますね。その中でも、【マルブツセカイオー】で勝たせてもらった『オグリキャップ記念』かな。あの年は中央との交流元年だったから。中央勢相手に勝てたというのは大きかったですね」
赤見:1995年ですね。中央勢が圧倒的な強さを見せる中、【マルブツセカイオー】の勝利は爽快でした!
戸部「あの馬は東海地区以外の遠征で結果が出せなくてね。他場に行くとカイバ食いが細くなってしまうんですよ。昔は3日~1週間くらい前に輸送するというのがセオリーだったから、今みたいに前日とか当日輸送だったらもっと力が出せたんじゃないかなと思うんですよね。それだけの力のある馬だから、今だったらどうなのかなって。
この馬の存在は本当に大きくて、他場に遠征に行く経験なんてなかなかなかったですから。こういう名馬に出会わないことには、出来ない経験をさせてもらいましたよ」
赤見:新しい年を迎えて、今後の目標を教えて下さい。
戸部「年齢的に、もうそんなに長くは出来ないと思ってます。だからこそ、1つ1つのレースを大切にしたいです。重賞や大きなレースも勝ちたいですね。
他場のレースを見てて思うんですけど、名古屋のジョッキーたちはすごくレベルが高いんです。贔屓目もあるかもしれないけど、自分じゃなくて周りのみんながね。
そういうレベルの高いジョッキーが集まっている競馬場なんで、白熱したレースをお見せできると思います。ぜひ、競馬場に足を運んで応援して下さい!」
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※インタビュー / 赤見千尋
今年デビュー24年目を迎えた、名古屋の安部幸夫騎手。毎年コンスタントに勝ち星を重ね、昨年は地方通算2500勝を達成。今年もキングスゾーンとのコンビで重賞3勝挙げるなど、長きに渡って活躍を続けています。その素顔は、一体どんなジョッキーなのでしょうか。
赤見:デビューからずっと、お父様の厩舎(安部弘一厩舎)に所属されていますけど、ジョッキーを目指したキッカケもお父様の影響ですか?
安部「そうですね。小さい頃から弥富トレセンに住んでいたし、父が調教師をしている姿を見て憧れたっていうのはありますね。体も小さかったし、小学校高学年の頃には自然に騎手になるって思ってました」
赤見:初めて馬に乗ったのはいつ頃でした?
安部「近くに馬はいましたけど、乗馬を始めたのは中学1年の頃です。中学を卒業してから1年くらい、名古屋で下乗り(騎手見習い)をしていたんで、地方競馬教養センターに行った時には、馬乗りに関しては辛くなかったですね」
赤見:それ以外は辛かった?
安部「辛かったですねぇ...。やっぱり、自由が全くないし、拘束されていることが嫌でした。あの辛い時期を一緒に過ごした同期とは、今でもたまに会うんですけど、何年経っても絆がありますね」
赤見:現役を続けている同期は、佐賀の山口勲騎手・真島正徳騎手、福山の片桐正雪騎手と、活躍している方ばかりですね。
安部「お互い乗りに行ったり来たりして会うと嬉しいですね。みんな頑張っているんで、いい刺激にもなりますから」
赤見:騎手デビューした頃のこと、覚えてますか?
安部「よく覚えてますよ。あの頃は、とにかくガムシャラで、頑張ってやろう!って気持ちが強かったです。
初勝利は中京競馬場で、自厩舎の馬だったんですけど、父が走る馬に乗せてくれたんです。勝った時は本当に嬉しかったですね。父はあんまりしゃべるタイプじゃないんですけど、それでも喜んでたと思いますよ」
赤見:これまでを振り返って、想い出の馬というのは?
安部:たくさんいい馬に乗せてもらって来ましたが、その中でも想い入れが強いのは、ハヤブサモンですね。
デビュー4年目の21歳の時、初めて重賞(名古屋大賞典)を勝たせてもらった馬なんです。もうね、調教では掛かって掛かって大変だし、ゲートの中では立ち上がるし、しかも足元が弱いし...。とにかく苦労したんですよ。もちろん僕一人じゃなくて、スタッフの皆と色々考えながら調教しました。ゲート練習の時には、何人ものスタッフに手伝ってもらったんです。そういう苦労があったからこそ、名古屋大賞典を勝った時は本当に嬉しかったですね。しかも、2連覇してくれたんです。あの馬は、僕に色んなことを教えてくれました。今の僕があるのも、あの馬のお陰だと思ってます」
赤見:安部騎手といえば、JRAでもマーメイドステークスを勝ってますね。
安部「あのレースもすごく想い出に残ってますよ。ソリッドプラチナムに乗せてもらったんですけど、斤量が49キロだったんです。普段の体重は49~50キロなんで、減量をしたことがなかったんですけど、初めて体重を落としました。
2週間くらい前から、食事と運動で落として、レース当日は46キロ。普段減量をしたことがなかった分、体力を保てるか心配でした。ソリッドプラチナムだけじゃなく、他の馬たちも頼まれていたし、どうしても100%の状態で騎乗したかったので、朝ごはんをしっかり食べてちょうどいい体重まで落としたんです」
赤見:慎重な減量のかいもあって、後方から豪快に差し切って1着でした!
安部「乗ってるこっちがびっくりしました(笑)。直線は物凄い脚で伸びてくれて、ゴールした時は『もしかしたら勝ってるかも...』というくらいでした。検量に戻る途中は、『勝ってて下さい!』って祈ってましたよ(笑)。 京都の内回りであれだけの脚を使うんだから、本当に凄い馬です」
赤見:近年はやはり、キングスゾーンとのコンビが目立っていますね。
安部「あの馬には本当に頭が下がりますよ。9歳になった今でも元気いっぱいだし、ほぼ1年中休みなく頑張ってくれますから。
ただ、砂を被ると嫌がったり、先頭に立つと遊んだりして、乗り難しいところはあるんですけどね...、そこはご愛嬌です。ずっとこれだけの馬に乗せ続けてくれている、馬主や調教師、スタッフにも感謝しています」
赤見:現在(10/26)、地方通算2636勝。数々の重賞も勝ってますし、次なる目標はなんでしょうか?
安部「そうですねぇ。今43歳なんですけど、健康で怪我なく、長く乗り続けたいですね。常にレースに乗っていたいです。
10年以上前から、健康のために青汁を飲み始めたんですよ。あと香酢もね。どうしても野菜はたくさん食べられないから、サポートと思って。健康でいるためには、けっこう気を使ってます。
ここ4年くらいは毎年人間ドッグに行ってますし、たまの休みは温泉行ったりマッサージに行ったり。
僕ね、趣味という趣味がないんですよ。今は、長く乗るために体のケアをすることが趣味みたいなものですね」
赤見:名古屋・笠松と、ほとんど休みなく騎乗してますもんね。
安部「毎日楽しいですよ。JRAにも遠征に行きたいので、そのためには2歳馬で認定競走に勝たないと。地方は門別だけ乗ったことがないので、いつか乗りに行きたいですね。色々な競馬場で乗っていたいです」
赤見:では、ファンの皆さんにメッセージをお願いします。
安部「名古屋は売上が良くないので、馬券をたくさん買って下さい!そのために僕らは、少しでも面白くて熱いレースをしていきたいです。
荒尾が廃止になるけど、本当に他人事じゃないですから。名古屋競馬の未来についての話し合いをしているんですけど、出来ることは何でもやっていきたいですね。何もやらないよりやった方がいいし、競馬が盛り上がるように、皆で色々やっていきます!」
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※インタビュー / 赤見千尋
騎手会長として、常に名古屋のジョッキーたちを牽引している、宇都英樹騎手。今年から、騎手ズボンを活用した企業広告も取り入れ、名古屋競馬を盛り上げるため、日々力を注いでいます。
赤見:騎手ズボンの企業広告は、どういった経緯で始めたんですか?
宇都:一年に一回、全国の騎手会長が集まって会議をするんですけど、その時に園田の三野孝徳騎手に話を聞いたんです。園田から始まったことですから、詳しくシステムを教えてもらいました。そこから名古屋の競馬組合と協議して、実現に至ったわけです。
赤見:具体的には、どんな内容ですか?
宇都:基本的には90騎乗で、ズボン代と印刷代込みで3万円です。あと新しく、半年7万円、1年14万円というのもあります。1年はさすがにズボンが持たないと思うので、新しいズボン代も入ってます。実際に履いている騎手の反応もいいんですよ。自分でズボンを買わなくていいし、広告ズボンを履くとよく勝つから縁起がいいっていう人もいるくらい。企業名を背負って騎乗するわけですから、責任もあります。なかなかスポンサーを集めるのは大変だけど、オッズパークさんも早速協賛してくれたし、馬主さん関係の会社もいくつか協賛してくれてます。
赤見:今後はどういう展開を考えていますか?
宇都:大きな震災もあって大変な時だから、出来ることはやりたいですね。これまでも募金活動などをして来ましたが、8月15日にはジョッキーサイン会やチャリティーオークションをする予定です。こういうことは、やり続けるとこが大事だと思います。それに、ファンの方と直接触れ合えるのもいいことですよね。ファンあっての競馬ですから、騎手の立場からも何とか盛り上げて行きたいです。
赤見:宇都騎手はデビュー25年目ですけど、長く続ける秘訣は何ですか?
宇都:なんですかねぇ...。あんまり考えたことないけど。でもまさか、自分が1000勝も出来るなんて思ってなかったんですよ。
赤見:そうなんですか?!今では1600勝以上勝ってるのに。
宇都:もうそんなに勝たせてもらったんですね。周りの方たちのお陰です。私は最初本当にへたっぴだったんですよ(苦笑)。だから初勝利もデビューから5ヶ月以上かかったんです。厩舎にはいい馬がたくさんいたので、なかなか乗せてもらうチャンスもなかったですし。吉田稔騎手や安部幸夫騎手と同期なんですけど、彼らは学校時代からすごく上手かったんです。彼らに追いつきたくて、ただがむしゃらにここまでやって来ました。この世界しか知らなかったというのも、今になってみれば良かったのかもしれませんね。
赤見:騎手になったきっかけは何だったんですか?
宇都:生まれは鹿児島なんですけど、親戚が名古屋の竹口勝利厩舎で厩務員をしていて、「騎手が欲しい」ということで、中学を卒業してすぐに競馬場に入りました。中学生の頃から新聞配達をしていたので、朝が早いことは苦にならなかったんですけど、馬なんて見たこともなかったから、最初は大変でした。夢見てた世界と全然違ったしね。でも、九州から出て来ちゃってるから、帰るわけにもいかないし(苦笑)。頑張るしかなかったです。
赤見:長いジョッキー人生を振り返ってみて、強く想い出に残っているレースはありますか?
宇都:たくさんありますけど、その中でも【マルブツセカイオー】の東海桜花賞(1995年)ですね。その時は戸部尚実騎手が怪我をしてしまって、代打で騎乗が回って来たんです。1番人気だし、責任重大でした。当時、東海桜花賞は中京競馬場の芝コースで行われてたんですけど、その年から名古屋のダートに変更になったんです。【マルブツセカイオー】は芝よりダートの方が得意だし、右回りの方が合うから、コース替わりはラッキーでした。幸運も重なって、そのレースで結果を出したことで、周りに信頼してもらえるようになったんです。それまでより、騎乗数も増えましたね。今思うと、大事な一戦でした。
最近では、【シルバーウインド】もいろいろな想いをさせてくれますよ(苦笑)。ゲートがちょっと悪くて、道中はかかり気味、早めに先頭に立つと遊ぶんです...。こないだの金沢(7/19読売レディス杯3着)も、最後遊んでるんですよ。勝った馬【エーシンクールディ】はさすがに強いけど、2着の馬【キーポケット】とは差がなかったですから。やれば出来る子なのに、なんで...って、歯がゆくなります。でも、長い間ずっと最前線で頑張ってくれて、この馬には本当に頭が下がる思いです。関係者も私を乗せ続けてくれるし、ありがたいですね。これからも【シルバーウインド】と共に、地元はもちろん全国でも頑張りたいです。それだけの能力のある馬だし、チャンスもあるはずですから。
赤見:今後、さらなる目標は何ですか?
宇都:まぁ、年齢も年齢だし...(8月14日で43歳)。とにかく怪我しないようにというのが1番です。そして、乗せてくれる関係者も、ファンのみなさんも納得出来るような結果が出せればなと思ってます。名古屋は個性溢れる騎手がたくさんいるんですよ。ベテランは全国でも通用する技術を持ってる人間が揃ってるし、若い子たちもすごく頑張ってて上手くなってます。ぜひたくさんの方に競馬場に足を運んでいただいて、応援して欲しいですね。
赤見:でらうまグルメもありますもんね。
宇都:そうです。地元の名物料理がたくさんありますから。それに、近くに水族館や遊園地もあるので、昼間は名古屋競馬で、夜はそちらで楽しむというコースもありますよ。家族連れやデートで、ぜひ遊びに来て下さい!
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※インタビュー / 赤見千尋
金沢ラウンド・名古屋ラウンドが終了し、残すは最終戦の荒尾ラウンドのみとなった、今年のレディースジョッキーズシリーズ(LJS)。各レース共に熱戦が繰り広げられている中で、唯一2度の総合優勝を誇る、名古屋の山本茜騎手にインタビューしました。
赤見:まずは、騎手を目指したキッカケを教えて下さい。
山本:もともと動物が好きだったこともあったんですけど、子供の頃にお父さんと、横浜の根岸森林公園に行ったんです。その時、自分と同じような子供たちが馬に乗っているのを見て、やってみたいなと思って。
運良く、愛馬少年団に入ることが出来たので、小学校5年の時からずっと乗馬をしていました。
赤見:山本騎手は高校を卒業してから騎手学校に入ったんですよね?
山本:そうです。中学を卒業して、高校に入学した頃から将来の進路を考えるようになって。遊ぶために大学に行くのは嫌だったので、自分の進みたい道をみつけたいと思ってました。
ちょうどその頃、茜は背も低いし、騎手やってみればって言われて、そういう仕事があるんだって初めて認識したんです。
川崎競馬場が近かったので、自転車で行って、返し馬やレースを間近で見たら...ものすごい迫力でした。自分が今まで乗ってた馬とは全然違ってて、なんてゆうか、野性的な感じで。これに乗れたらかっこいいなーって思ったんです。
赤見:どうして名古屋所属になったんですか?
山本:高校を卒業して、1年間美浦の牧場で働いていたんですけど、そこの社長の伝手で南関東に入れないか聞いてもらいました。
話を聞いてもらう所まではいったんですけど、「南でデビューしても乗せてもらえない。まして女の子ならなおさら」ということで、上手くいかなかったんです。
赤見:なるほど。では実際に競馬サークルに入っての印象はどうでしたか?
山本:楽しかったですね。私は全く競馬に関係ない家庭に育ったので、トレセンの中のシステムとか全然わからなくて。それを知っていくのが楽しかったです。
赤見:デビューからすぐに大活躍して来ましたが、一昨年にはニュージーランドへ武者修行に行きましたよね。
山本:前からずっと行きたいと思っていたんです。日本で騎手になれなかったら、オーストラリアの学校に行くつもりで資料も集めていたし。海外に行って勉強したいと、今でも思っています。
赤見:次はどこへ行きたいですか?
山本:とりあえずは、アジア圏に行きたいです。色々な所に行って、いっぱい勉強したいですね。
赤見:ニュージーランドでは、かなり貴重な経験をしたのでは?
山本:本当にそうです。ライセンスを取るまで1年くらいかかってしまって、とにかくレースに乗りたいという気持ちが強かったですね。
それに、馬に対する姿勢も日本とは違ってかなり自然というか、そのままなんですよ。牛がいっぱいいる所をガーッと走らせたり、道もでこぼこしているし。
赤見:実際、レースに騎乗出来た時はどうでした?
山本:本当に久しぶりだったので、なんかデビューの時より緊張してましたね(笑)。馬場も芝でよくわからないし、メンバー的に強いのか弱いのかもわからないし、言葉も微妙だし、周りのジョッキーもよくわからない人ばっかりだし...。
日本とはゲートインのシステムも違って、ゲート裏で輪乗りとかしないんですよ。パラパラ集まって来てすぐ入れちゃうんで、え?もう?って感じでした。ゲートが開いて少しの間、目の前しか見えてなかったですよ。かなり視野が狭かったです。
でも、やっぱりレースはいいですね。楽しいです。かなり馬群もタイトだし、追い込みも迫力があって、本当に勉強になりました。
赤見:これまでで、思い出深いレースはありますか?
山本:いっぱいありますね。たくさんいい馬に乗せてもらって来ましたから。その中でも、初めて重賞を勝てたのは嬉しかったです。
赤見:今年の11月5日『ゴールドウイング賞』。【ミサキティンバー】とのコンビで、最内をこじ開けての勝利でしたね!
山本:この馬にはデビュー前からずっと調教に乗せてもらってました。デビューから何戦かは馬が重なってしまって乗れなかったんですが、厩舎スタッフと一緒に一丸となって育てて来て、それで重賞を勝てたことが本当に嬉しかったです。
【ミサキティンバー】
それに...ここまで1つも勝ってなかったというのが悔しいです。これからまた海外に行きたいのに、名古屋で1つも勝ってないのは...茜にも意地がありますから。
赤見:海外遠征も経験して、重賞も勝って...常に前に進んでいる山本騎手。LJSでは、フル参戦した2回共に優勝という凄い成績を残してますね。
山本:LJSはみんなに会えるので、とても楽しみにしています。ただ今年は、ここまで自分らしさを出せていない気がするんです。逃げて無理に競られたら嫌だから、とか無難な乗り方をしてるんですよ。考え過ぎてるというか...。優勝させてもらった2回は、デビューして1年だったり、ニュージーランドから帰って来たばかりで、メンタル面が違うんですよね。
今は総合5位でポイント差も少ないですから、最終戦の荒尾ラウンドでは、茜らしく積極的に乗りたいです!!
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※インタビュー / 赤見千尋