今年名古屋でデビューした新人3人の中で、一番最後に初勝利を挙げた八木直也騎手。しかし、そこから大きな成長を見せて、すでに14勝(10月26日現在)を挙げています。初勝利までの苦しい道のり、そして、これからの目標をうかがいました。
どうして騎手になろうと思ったんですか?
中学3年生の頃にテレビで初めて見て、その時に初めて競馬というものを知ったんです。GIとかではなかったですけど、たまたま見てカッコいいなと思って。ネットで調べてみたら、僕は身長も小っちゃくて体重も軽かったので、やってみようと思いました。中学の卒業間際というか、みんながどこの高校を受けようかなっていう頃ですね。
ご両親は驚いたんじゃないですか?
かなりびっくりしてました(笑)。母はすぐに賛成してくれたんです。やりたいことはやらせてあげたいっていう考えで。でも父は、収入が不安定な世界はダメだって言って、なかなか認めてくれなくて。僕も両親も、普通に高校へ行くと思ってましたから。そこから1か月くらい、毎日家族会議ですよ。僕が寝ている間も、母が「やりたいことやらせてあげて」って説得してくれて、なんとかOKをもらいました。今になると、父の気持ちもわかりますけど。2人とも競馬を知らなかったし、見たこともなかったですから。
そこから、どういう過程で騎手になったんですか?
その時はもうJRAの応募が終わっていて、地方競馬はまだ募集していたんです。母も、「とりあえずどういう世界か1回試して来なさい」っていう感じだったので、一度受けてから改めて考え直せばいいよっていうことになって。そしたら合格出来ました。すんごく嬉しかったですね。
まさか一度も馬に乗ったことがないまま、センターに入所したんですか?!
そのまさかです(笑)。馬に初めて乗ったのは、入所してからですね。最初は高くて怖かったです。それに、周りは乗馬クラブに行っていたり、専門学校でみっちり乗馬を習って来た人たちばかりで...。ついていくのが本当に大変でした。先生からも、「下手くそ」「やめろ」ってしょっちゅう言われてて。全く乗ったことがない自分と、かなり乗れる同期の差があるので、最初の頃は、乗れる人のグループと、乗れない人のグループに分かれて訓練するんです。その時が一番辛かったですね。「いつか絶対乗れるグループに行くぞ!」と思ってましたけど、なかなか行けなくて。だんだんと、乗れないグループから一人ずつ卒業して行くんですよ。残っている時は本当に辛かったです。
名古屋の安部弘一厩舎所属になった経緯は?
地元がこっちなので、まず名古屋を勧められました。それで、安部先生が所属にしてくれたんです。先生にちゃんとお会いしたのは、競馬場実習の時だったんですけど、最初の印象はちょっと怖かったです。でも、実際は優しくて、時に厳しくっていう感じで。いろいろ教えていただいて、本当に感謝しています。
実際に騎手としてデビューする時は、どんな心境でした?
これからやっていけるかなって思ったりして、めちゃくちゃ不安でした。騎手免許を持って競馬場に帰って来る時は、「よし!やってやろう」って感じだったんですけど、実際に競馬場に来たら色んな人に圧倒されて、不安になりました。しかも、デビュー初日に同期の村上(弘樹騎手)が勝ったんですよ! 「ああ、もう勝っちゃったのか...」って、めちゃくちゃプレッシャーでした。自分が初勝利する頃には、村上は4勝くらいしてましたから、どうしようどうしようって、焦りしかなかったです。他地区の同期もどんどん勝って行って。「やべ...、俺こんなに乗せてもらってるのに、一番乗せてもらってるくらいなのに、勝てないな」って、すごく不安でした。
初勝利は72戦目だったとはいえ、期間はデビューから2か月ですもんね。
そうですね。本当にたくさん乗せていただきました。しかも2着はあったし...。その時はすごく悲しかったです。デビューしてみて、先輩たちとの力の差を思い知らされました。デビューした頃は、外に行ったり内に行ったり、みんなの邪魔になることばっかりしてしまって。馬も思うように動いてくれなかったんですけど、周りのジョッキーは経済コースを通ってるし、馬もスイスイ動くし。すごいなって思ってました。
苦しかった2か月を乗り越えて、6月9日に初勝利! この時のお気持ちは?
茫然としてました(笑)。本当に勝ったのかなって。1400メートル戦だったんですけど、「もう1周あるんじゃないか? ゴール板を間違ったんじゃないか?」って後ろ見ちゃいました(笑)。この1勝は本当に大きかったですね。そこからだいぶリラックスして乗れるようになって、けっこう勝たせてもらって。今はデビューした頃に比べると、少しは冷静に乗れるようになったのかなって思います。
憧れのジョッキーはいますか?
兄弟子の安部幸夫騎手です。毎日いろいろなことを教えてもらってます。自分なりのイメージですけど、幸夫さんは逃げてそのままペース作って、直線でもう一度伸びるんです。最初ハナに行こうとして馬の体力を使っているように見えても、その息の入れ方とか、どんな馬に乗ってもピュッと動くので、真似したいです。離して逃げた方がいい馬、引き付けて逃げた方がいい馬、馬体を併せたらもう一度伸びる馬、馬体を併せたら終わっちゃう馬、追い出してピュッと伸びる馬、同じ脚しか使えない馬......逃げにもいろいろあるんだぞって言われてます。逃げるのは好きですね。好きって言うか、逃げたいです!
勝負服も安部厩舎カラーの白と緑ですもんね。デザインは日本初のクローバーですか?
色はもちろん厩舎カラーで考えてたんですけど、周りと違うデザインにしたくて、最初はクローバーで申請したんです。そうしたら、「ハート散らしなら認める」ってことになったので、形はハートになりました。ハートは木之前先輩が日本初ですが、「ハート散らし」は僕が初です(笑)。
同期が3人ということで、ライバル視してますか?
今はライバルという感じでは見てないです。全く気にならないと言ったら嘘になりますけど、同期に勝とう勝とうっていうよりも、上の人たちみたいになりたいっていう気持ちの方が大きいですね。いつか幸夫さんのように、名古屋だけじゃなく、色んなところで乗れるジョッキーになりたいです。いつかはJRAでも乗ってみたいですね。
では、ファンの方へメッセージをお願いします。
これから1つ1つ大切に乗って、1つでも上の着順に来られるように、1つでも多くの勝ち星を挙げられるように頑張ります。いつかみなさんから、「逃げの八木」って言われるように努力していきますので、応援よろしくお願いします。
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※インタビュー / 赤見千尋
1993(平成5)年6月1日生まれの深見勇也騎手(井上哲厩舎所属)は、21歳を目前にした今年4月に初騎乗。そして20歳のうちに初勝利を挙げることができた。名古屋競馬場には同時にデビューした騎手が2人いる。そのライバルを視野に入れながら、自分自身に磨きをかけているところだ。
深見騎手は、ほかの同期より年齢が上ですね(村上弘樹騎手が1995年生まれ、八木直也騎手が1997年生まれ)。
ぼくは家庭の関係で、小学校2年生のときから児童養護施設で生活していまして、そこにいた人が井上哲厩舎に厩務員として採用された、そのつてで16歳のときに騎手見習いでトレセンに入れていただきました。自分自身、中学生のときから騎手になりたいと思っていたんですが、視力が一気に悪くなってしまいました。それで矯正手術をしようと考えたのですが、基本的に未成年は手術してもらえないものなんですよね。それもあって、(地方競馬)教養センターの試験を受けるのが遅くなりました。でも最初の試験は落ちてしまったんですが。
受験できるまでが長かった上に、失敗もあったのですか。
騎手見習いのとき、体重が50キロぐらいありまして......。それで試験のときに46キロに減量していったらフラフラで、まともに動けなかったんです(笑)。 2回目のときは合格できましたが、体験入所中に体重が47.9キロになってしまいました。入所の説明書には「48キロになったら強制退所の可能性がある」と書いてありましたから、本当にギリギリで踏みとどまれてよかったです。今は49キロを維持できていますよ。
デビューは今年(2014年)の4月14日。初めてのレースは4着でした。
他の厩舎のチャンスがある馬に乗せていただいたのですが、コーナーで外にふくれてしまって......。学校にいるときから、隣の馬との間隔には気を付けるようにしていたのですが、やっぱり緊張していたのかなあ。その日に同期の村上が勝ちましたし、最初のころは焦りみたいなものがあったようにも感じます。自分も1つ勝てば、そういう気持ちから解放されると思っていましたが、実際はそうでもなかったですね。
待望の初勝利は、デビューから1カ月弱で挙げることができました(5月2日)。
自厩舎の馬で勝つことができてよかったです。3番手から直線で抜け出しましたが、勝つときってこういう感じなのかなという感覚がありました。それと、馬が教えてくれるっていうのは、こういうことなのかなとも。
ただ現時点(9月25日)では、ほかの2人のほうが、勝ち星が多くなっています。
デビューのころは、同期には負けたくないという気持ちがあったんですが、だんだんと変わってきましたね。今は、何年かあとに彼らより上に行けていればいいかなと。デビュー当初に焦って結果が出なかった人なので......。それに「お前は考えすぎだ」と、よく言われますから。それでも以前よりは周りがよく見えるようになったと思いますし、コーナーリングも多少は上達したかなと感じます。将来は丸野(勝虎)騎手のように、ロスのない競馬ができるようになりたいですね。
勝負服(胴赤・黒菱山形一本輪、袖白・赤一本輪)のデザインは、自分で決めたものですか?
最初は、自厩舎に以前いた騎手がピンクを使っていたので、それを基本にと考えていましたが、(井上)先生に自分で決めていいと言われたので赤にしました。自分は施設育ちなので親と一緒に暮していないんですが、父の好きな色が赤なんですよ。
そういう気持ちがこめられているのですね。
施設にいたときは、施設自体にあまりいい印象を持っていませんでしたが、そこを出てからはそう思わなくなりました。実は、高校に1年だけ行ったんですよ。施設のかたに「高校には行っておけ」と言われたからなんですが、それも今になって考えれば、自分のことを親身に思っていてくれていたからなのかなあと。
その人たちのためにも成功したいですね。
デビュー前はなんとなく順調にいくのかな、なんて勝手に思っていましたが、全然そんなことなかったですね。1勝の重みってすごいなと、今さらながら実感しています。同期や年が近い人は目標や励みになる部分がありますが、自分は自分というところを忘れずにやっていきたいです。
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※インタビュー・写真 / 浅野靖典
今年名古屋でデビューした新人3人のうち、最初に初勝利を挙げた村上弘樹騎手。その後も順調に勝ち星を重ね、名古屋期待の星として日々成長しています。初々しい笑顔が印象的な村上騎手に、現在の心境を語っていただきました。
4月にデビューしてから約4か月。ここまでで10勝(8月12日現在)というのは順調ですね。
本当に周りの方に恵まれています。最近では他厩舎でもいい馬に乗せていただくチャンスもあり、ここに来ていいリズムになって来ました。ただやっぱり、実際のレースは難しいです。当たり前ですけど地方競馬教養センターの時にやっていた模擬レースとは全然違ってて...。模擬レースの時は、ほぼ自分と自分の馬のことだけ考えてれば良かったですけど、レースは自分のことだけじゃなく、周りの動きとか手応えとかを見ながら流れを読むわけじゃないですか。面白いですけど、難しくもありますね。
初勝利はデビューから2戦目(4月14日)という早さ。名古屋の同期3人の中でも1番早かったですね。
自厩舎の馬で、チャンスあるって言われていたので、勝てて本当に良かったです。5枠からの発走でスタートも良かったんですけど、どのタイミングで内に入ればいいかわからず、ずっと外を走っていました(笑)。最後は2頭の叩き合いになったんですけど、最後の最後に「あ!差した!!」と思いましたね。この1勝というのは気持ち的にすごく大きかったです。同期からも「おめでとう」って言ってもらいましたけど、内心は悔しかったんじゃないかと思いますね。かなり意識していますし、いいライバル関係なので。
地元の同期だけではなく、他地区の同期も意識しますか?
しますね。ちょっと前まで、高知の妹尾浩一朗騎手と勝ち星が並んでいたので、負けたくないと思っていました。もともとセンターでも上手だったし、気になる存在です。あと、門別の水野翔騎手も気になります。一番のライバルは......金沢の中島龍也騎手と言いたいですけど、すでに32勝(8月12日現在)もしているので、ちょっと遠い存在になっちゃいました(苦笑)。でも、同期の頑張りはずごく励みになります。負けたくないですし、自分ももっと頑張ろうと思えますね。
そもそも、どうして騎手になろうと思ったんですか?
小学生の時に、父がたまたまマキバオーのビデオを借りて来たんです。一緒に見ているうちに、すごく面白いなと思って。それまで見たことのない世界というか、勝負の世界、真剣な戦いみたいなのが、心にグサッと刺さったんです。そこから競馬を見るようになって、その頃から背が小さかったので、騎手になりたいと思うようになりました。
ご家族の反対はなかったですか?
特に反対はされなかったですけど、心配はしていたと思います。中学3年生の時に、JRAの騎手学校を受けたんですけど、落ちてしまって...。受ける前は、よくわからないんですけど、何故か自信があったんですよ。それが、面接も全然話せなかったし、体力面も全然ダメで。現実を知って、落ち込みました。その頃は何をしたらいいのかわからなくなってしまったんですけど、たまたまテレビを見ていた時に、明石家さんまさんの番組で、騎手学校に入った小沢桃子さんのことを放送していて、国際馬事学校というところがあると知ったんです。すぐ親に話して、中学卒業と同時に入学しました。
全寮制の学校ということですけれども、初めての寮生活はどうでしたか?
寮生活はそんなに苦じゃなかったですね。辛かったのは......、高1の時にもう一度JRAを受けて、また落ちてしまったことです。本当はこの年に地方も受ければ良かったんですけど、当時はどうしてもJRAに行きたい気持ちが強くて。でも2度も落ちてしまったので、もう騎手は諦めようかなと思いました。その時に両親が、「ここまで頑張ったんだから、騎手になって欲しい」って言ってくれて。それで、次の年にもう一度JRAを受けて、落ちて、教養センターを受けて、合格したという経緯がありました。
必ず騎手になれるという保証がない中で、頑張り続けるのは難しい面もありますよね。
そうですね。当時の僕は、親の気持ちとか全然考えてなかったんです。自分のことばっかりで。でも、両親に背中を押してもらって、センターに入って名古屋所属になって。今は本当に良かったと思いますね。実は、金沢の中島龍也騎手は、国際馬事学校の1学年後輩だったんです。センターでは同期で、ずっと一緒に頑張って来たので、負けたくないっていう気持ちが強いですね。
では、今後の目標を教えて下さい。
今はまだ未熟ですけど、もっともっと腕を磨いて、岡部誠騎手や安部幸夫騎手や丸野勝虎騎手のようになりたいです! 名古屋で上位に食い込めるようになって、他場からも騎乗依頼をいただけるような騎手になるのが目標ですね。そしていつか、JRAで乗るのが夢です。そのためにも、1つ1つのレースを大切に積み重ねて行きたいです。一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いします!!
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※インタビュー / 赤見千尋
2006年にデビューした愛知所属の今井貴大騎手は、『日本で初めての平成生まれの騎手』。2012年には東海ダービーを勝利して、最近2年は年間100勝前後と愛知のリーディング争いを狙える位置まで来ています。
マイネルセグメントで東海ダービーを勝ったとき、ものすごくフワフワしている様子でしたが、実際はどうだったんですか?
ゴール地点では外の馬の勢いが上だったので、交わされたと思ったんですが、検量のところに戻ってきたら、厩務員さんが1着のところで待っていたんですよ。ですから「え? 勝ったの?」という感じでした。だからそのあとの出来事に自分の気持ちが全くついていけなくて。インタビューでも何を言ったのか、ぜんぜん記憶にないんです。
あのとき川西毅調教師は「そのうちジワジワとくるんじゃない?」とおっしゃっていました。
その日の夜、布団に入ってからレース内容を振り返って、「勝ったんだな……」という気持ちが改めて出てきました。競馬場でもうるっとしたんですが、そのときもまた。
2012年東海ダービーを制覇(写真:愛知県競馬組合)
ダービーを勝つと、周りの目も違ってくるんじゃないですか?
そうですね。いろいろなかたに声をかけていただいて、逆にそれがプレッシャーみたいな感じになったこともありました。でもそれを前向きな意識に変えられることができたかなとは思います。
そのあとマイネルセグメントとは、大井のジャパンダートダービー、盛岡のダービーグランプリにも参戦しました。
大井はパドックの人の多さに圧倒されましたし、初めてのナイターもいい経験になりました。盛岡は芝で乗ったことはあったんですが、ダートは初めて。大きいコースで坂もありますし、名古屋の競馬とは全然違いましたね。マイネルセグメントは移籍してきて2つくらい勝ったあたりで、この馬で重賞を取りたいなと意識し始めました。
それが自分自身にとっても初めての重賞勝利(2011年ライデンリーダー記念)につながったんですね。でも今井騎手は、デビューから1年以内に通算50勝を達成。日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞しています。
デビュー前は「やってやろう」的な気持ちだったんですが、そう簡単にはいかなかったですね。ただ、名古屋は上手な騎手が多いので、見ているだけでも勉強になりましたし、厩舎のみなさんにもよくしていただいたので恵まれていたんだと思います。それでも騎手のレベルが高い場所で、ある程度の勝ち星を挙げられたということは自信になりました。
馬には小さいころから親しめる環境だったんですか?
いえ、ウチは両親が平日休みの仕事をしていまして、小学校のころから夏休みとかに、父に名古屋、笠松に連れて行ってもらっていたんです。それで中学に入ったあたりから、騎手というのは自分に合った仕事かなあと思い始めました。でも教養センターに入る前、当時は入所試験が年に2回あったんですが、春のときは1次試験に受かったのに、2次試験の直前に左手の甲を骨折して不合格。それで秋にも試験を受けたんですが、そのときも試験の1ヶ月前に左手首を骨折してしまったんです。それでもなんとか合格できたんですが、教養センターでも左手の指を骨折。左ばかりですね(笑)。
ということは、左利きなんですか?
箸や字を書くのは右ですが、包丁は左ですね。ムチも左のほうが持ちやすい感覚があります。でも、騎手になってからは大きなケガをしていないんですよ。馬にアゴを蹴られて骨折したのが唯一です。
ということは、デビュー前にかなりの厄落としができたのかもしれないですね。そして成績も徐々に上昇してきました。
今年の正月に「リーディング3位以内」という目標を立てたんですが、今年はちょっと調子が出てこないんですよね……。もっとがんばらないとダメだなと思います。
自分自身では、どのあたりがセールスポイントだと思っていますか?
えーっと、どこなんでしょうねえ。教養センターでは教官にスタートセンスがいいと言われましたけれど、競馬場に来てみたらそうでもないなあと感じましたし。そうですねえ、レースで乗る馬の癖などを把握することはいつも考えていますね。トップを守っている岡部(誠)騎手の域には、並大抵の努力ではとても追いつけないと思いますが、そこに少しでも近づけるようにしていきたいです。
自分自身の性格はどのように分析されていますか?
そうですねえ、負けずぎらいなのかなあ。カードが出てくるゲームをやると、いいカードが出てくるまで続けてしまうことがあったりして……。そういう意味ではあきらめも悪いですね(笑)。子供の頃はそんな感じではなかったと思うんですが、やっぱりこの世界に入ったからですかねえ?
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※インタビュー / 浅野靖典
自身初の南関東期間限定騎乗を経験し、さらにパワーアップした愛知の岡部誠騎手。今年も名古屋リーディングが決定的な東海の絶対王者に、現在の心境を伺いました。
赤見:先月開催されたオッズパークプレミアムパーティーでは、ファンの方々と一緒にお酒を酌み交わしてましたね。
岡部:僕自身もあんな風にファンの方と一緒に飲むのは初めてだったので、本当に楽しかったですよ。『いつも応援してます』とか、『中央でももっと活躍して下さい』って言っていただきました。なかなか競馬場に来られない方々だということでしたが、ものすごく詳しくてビックリしましたよ。競馬のことを色々お話して、『どの辺から仕掛けて行くのか』とか、『どうやっていいポジションを取るのか』とかね、ファンの方が普段疑問に思っていたことを直接お答えすることが出来て、僕としても嬉しかったし、刺激になりました。やっぱり、自分としては頑張っているつもりでも、ファンの方たちはお金を賭けて競馬を見てますから、自分たちとは違う視点があるじゃないですか。逆にファンの方がどう思ってるのかを聞くことも出来て、すごく勉強になりましたね。
赤見:ヤジ的なことは言われなかったんですか?
岡部:幸いにもなかったです(笑)。いやホントに、すごく応援してもらいましたので、もっともっと頑張ろうって思いましたね。これで僕の成績が上がったり、どこかで大きいレースを勝ったら、『こないだ岡部としゃべったんだよ』って喜んでもらえるんじゃないかなと思って。そういうことが、ファンの皆さんへの恩返しですから。
オッズパークプレミアムパーティーにて。笠松の尾島徹騎手(右)と
赤見:今年は念願の南関東期間限定騎乗に挑戦しましたね。
岡部:もう何年も前からずっと行きたかったんですけど、なかなかね。名古屋はオフシーズンがないから、タイミングが難しくて...。でも、地元の方々が快く送り出してくれたので、今回初めて腰を据えて南関東に挑戦することが出来ました。最初のうちはどうなるかなって不安もあったけど、徐々に自分の騎乗スタイルが出せるようになって、たくさん乗せてもらえるようになったので。南関東のレベルは高いですけど、ある程度やれるなっていう自信もつきました。だから、途中でケガをしてしまった時はショックでしたね。
赤見:南関東騎乗中の9月に骨折して、全治3か月という診断でしたけど、2か月で復帰しましたよね?
岡部:そうなんですよ。医者からは『騎乗は年明けからですよ』って言われてるんですけど(苦笑)。毎日温泉入りに行って、最大限の体のケアをして騎乗してます。もう大丈夫ですよ!!
赤見:驚異的な回復力ですね! 昨年はケガで約4か月間の離脱、そして今年も2か月の離脱がありました。いい流れだっただけに、ケガはショックですよね。
岡部:ショックですねぇ。でもいつまでも落ち込んではいられないので。ケガをしている時にしか見えないものもありますから、前向きに考えるようにしてます。毎日競馬に乗ってると、単調な日々になったりもするじゃないですか。でも、競馬に乗れない時間を経験すると、馬に乗れることが本当にありがたいんです。少し離れたところからレースを見て、違う面が見えたりもするし。
もちろんケガは嫌ですけど、しちゃったらしちゃったで、そこもいい時期だったなって思えるような過ごし方をしようと思ってます。
赤見:南関東への期間限定騎乗を経験して、変わったことってありますか?
岡部:それだけがキッカケってわけじゃないですけど、最近考え方がガラっと変わったんですよ。今まではこだわってないつもりでも、やっぱりリーディングっていうのにこだわってたんだと思うんです。地元の人たちもすごく応援してくれるし、地元を離れて遠征するリスクとかも大きいですから、なかなか長期遠征に踏み出せないでいた。でも実際に期間限定騎乗を経験して、一番強く思ったのは、『もっと上手くなりたい!』ってことだったんです。もっともっと技術を磨いていって、結果リーディングになれるんだったらいいなっていう。どうリーディングを獲るかじゃなく、どう技術を磨いていくかなんですよ。だから今は、もっともっと色んなところで乗ってみたいです。
赤見:早々に予定はあるんですか?
岡部:いやいや、具体的には決まってないです。そういうお話もありますけど、今の地方の現状では、腰を据えて他場に乗りに行くには色々制約もありますから。ただ、もういい年になって来たし、後悔するこよがないようにしたいですね。もちろん、遠征するっていうのは地元があってこそ。地元で努力出来ることもいっぱいありますからね。毎日レースのビデオを見るんですけど、この前のワールドスーパージョッキーズシリーズ、本当にカッコよかったなぁ~。川原さんもJRAの騎手もすごくレベルが高いし、50歳のゲイリー・スティーヴンスがまためちゃくちゃカッコよくて。なんであんな風に乗れるんだろうって、もう何回も何回もビデオ見てます。日本人との骨格の違いとか色々あるのかもしれないけど、手がグッと伸びるんですよね。あんな年なのに、あんなに手が伸びて...。自分ももっともっと上手くなりたいって、すごく思います。
赤見:では、今後の目標を教えて下さい。
岡部:さっきも言ったんですけど、具体的な数字とかは意識してないんです。月並みですけど、1つ1つのレースを精一杯乗って、どんどん腕を磨いていきたい。それで、僕の騎乗が見たくてファンの方が競馬場に足を運ぶっていうくらいの、カッコいい騎乗が出来るようになりたいです。魅せる商売ですから、勝負にもこだわりますけど、カッコよさにもこだわっていきたいです!
ゴールデンジョッキーズシリーズ(園田)にて、川原正一騎手(右)と
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※インタビュー / 赤見千尋