いよいよ3月11日(日)に、今シーズンが幕を開ける金沢競馬場。開幕に合わせて、金沢リーディング常連の、吉田晃浩騎手にスポットを当てました。
赤見:まず騎手になるきっかけから教えていただけますか?
吉田「僕の場合は、中学を卒業して、北海道の静内にある育成技術者の養成学校に入ったのがきっかけです」
赤見:なんでその学校に入ったんですか?吉田騎手の生まれは神奈川県ですよね?
吉田「そう、神奈川です。実は小学校6年生の時に、北海道の過疎化が進んでる町に山村留学に行ったんですよ。僕の親がそういうのがあるって聞いてきて、面白そうだから行ってみようと思って
一年間、町の寮みたいなところに住んだんですけど、その時に馬に乗せてもらえる機会があったんです」
赤見:小学生で一年も親元を離れるなんて、すごい経験ですね。
吉田「う~ん、あんまり深く考えてなかったというか(笑)。勢いで行く行くって感じでしたけど、実際いろいろ体験出来て楽しかったですね」
赤見:その時の体験で、馬の仕事をしたいと?
吉田「いや(笑)、すぐには思わなかったです。
中学生になって地元に帰ったんですけど、学校があんまり面白くないというか、勉強がしたくなくて...。馬の仕事したいって言ったのは、実は勉強をサボる口実だったんです(笑)」
赤見:正直ですね(笑)。それで中学を卒業して、静内で育成の養成学校へ?
吉田「そうです。そこの装蹄師さんから、背が小さいから騎手になってみないか?って言われて、現在の所属調教師(佐藤茂先生)を紹介してもらったんです。騎手っていう職業自体あんまりよくわかってなかったんですけど、面白そうだなと思って挑戦しました」
赤見:地方競馬教養センターの生活はどうでした?
吉田「キツかったです!!静内の時がゆる~い感じだったんで、センターでの自由のない生活は本当に辛かったです。僕は短期生で半年間だったんですけど、けっこうイヤでしたね(笑)」
赤見:よくわかります!辞めようとは思わなかったですか?
吉田「辞めても後がないっていうか、することがなかったので耐えました。
センターを受験する時から佐藤先生にいろいろお世話になったので、辞めるわけにはいかなかったっていうのも大きかったですね」
赤見:佐藤先生は、もともとは上山所属でしたね。
吉田「そうです。廃止になってしまったけど、上山はすごく楽しかったですね。 僕は初騎乗初勝利をさせてもらったし、いろいろな思い出があります」
赤見:2003年の廃止は、とても残念でしたね。
吉田「本当に残念です。あの頃はまだ若くて、よくわかってなかったというか、あまり実感がなかったんですけど。浦和に移籍出来ることが決まったし、新しい場所でまた頑張ろうと、前向きな気持ちでした。
でも実際、浦和に移籍してみて、甘くないなと痛感したんです。
「あ、乗り馬いねー...」って思いました(苦笑)。
今まで乗れたのは、佐藤先生がいてくれたお陰だったんだって、初めて気付きました。感謝の気持ちというか、有難みというか...失ってみて、初めて気付いたんです。
浦和で2年やったけど全然お金にならないし、ちょうど落馬して怪我をしたんで、もう辞めちゃおうって免許を返上しました」
赤見:その後はどうしていたんですか?
吉田「その頃父親が定年間近で、母親だけ先に北海道に移住していたんですよ。うちは行動力だけはある家系なんです(笑)。
それで僕も北海道に行って、ふらふらしてました」
赤見:ふらふらとは?
吉田「まぁ、フリーターですね。色んなバイトしましたよ。引越し屋さん、コンビニ、居酒屋、パチンコ屋...あと、漁師になる!って言って、和歌山まで体験しに行ったこともありましたね。どれも続かなかったけど」
赤見:フリーター生活から、競馬の世界にもどったきっかけは何だったんですか?
吉田「佐藤先生は金沢に移籍してたんですけど、ある日突然電話をくれたんですよ。「お前、今何やってんの?騎手やる気はないのか?」って。
それで、戻れるならもう一度挑戦してみたいと思ったんです」
赤見:金沢の内規では、再度騎手免許を取得するためには一年間の厩務員経験が必要だったんですよね?
吉田「はい。その一年は、全然苦じゃなかったですよ。改めて、自分は馬が好きだったんだなと感じました。騎手とは違う側面から競馬に携わってみて、面白かったし勉強になりました」
赤見:一見遠回りしたように見えますが、得るものも大きかったんですね。
吉田「本当にそうですね。再デビューした時は、「今度こそ絶対に乗り役で食べて行くぞ!」って思って、前よりもずっと真剣に仕事に取り組むようになりました。
前は甘く考えていたところもあったし、せっかく恵まれた環境があったのに、その有難みもわかってなかった。
今は調教でもレースでも、ひとつひとつ真面目に向き合うようにしています」
赤見:その甲斐あって、現在は4年連続吉原寛人騎手に続くリーディング第2位ですね!
吉田「もう本当に佐藤先生のお陰ですよ。再デビューしてからずっと乗せ続けてくれたので、他の厩舎の方々にも、少しずつ認めてもらえるようになりました。
今の僕があるのは、佐藤先生をはじめ周りのみなさんのお陰です。あの時電話をもらわなかったら、多分今もフリーターをやっていたと思いますから。本当に救われました。」
赤見:では、現在の目標を教えて下さい。やはり、打倒・吉原寛人!ですか?
吉田「もちろん、それもあります。ここのところ、ずっと2位という成績ですから、上は目指しています。
でも一番は、今を一生懸命生きるってことですかね。あんまり数字とか先のこととか考えてないです。今すごく楽しいし、怪我をしないでこのままずっと騎手を続けていたいなって思ってます」
赤見:いよいよ今シーズン開幕です。ファンのみなさんにメッセージをお願いします。
吉田「やっぱり、競馬場に見に来て欲しいですね。僕たちは、精一杯面白いレースを作れるよう努力します。金沢みんなで一丸となって、今年も頑張ります。ぜひ、生でレースを見て下さい!!」
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※インタビュー / 赤見千尋
2001年のデビュー年に、いきなり95勝を挙げて金沢リーディング3位に食い込んだのが吉原寛人騎手。2005年に初めてリーディングを獲得してからは、それが不動の位置。今年も2位以下に大差をつけて独走中だ。吉原騎手の今後には、大きな可能性が詰まっている。
吉原騎手は昨年の白山大賞典で、地元代表のジャングルスマイルを2着に導いた。
スタンドからの応援の声がすごかったですね。レース中でもよく聞こえました。ジャングルスマイルは3歳の秋に金沢に来た馬なんですが、最初は気が悪くて大変だったんですよ。
当初は馬場入りすらできないくらいだったんですが、担当の厩務員さんが一所懸命に調教して、なんとか馬場を回れるまでになったところで試しにレースに出してみたら、意外と走ったんです。そこから連勝が続いて4歳になりましたが、金沢の夏は湿度があって、馬にとっては厳しいんですよ。昨年はそのあたりを考慮しながら白山大賞典を狙っていったんです。でも正直なところ、自分としては半信半疑というところはありました。
夏は暑く、冬は寒い北陸地方。金沢競馬は年明けから春先まで休催期間がある。
ここは北海道と違って、騎手は冬の間、何もすることがないんですよ。そんな状況なんですが、僕は1年目の冬に名古屋に行かせてもらえて、2年目と3年目は笠松で騎乗しました。冬場を利用していろいろなところに行けるのは金沢の利点ですね。
そして4年目の冬からは、3年連続で海外遠征を敢行した。
このきっかけは、トゥインチアズで京都のもみじステークスを勝ったこと。そのおかげでJRAの森秀行調教師に目をかけていただいて、いろいろ話をしているうちにオーストラリアに行ってみるかということになったんです。いやあ本当に、一気に視野が広くなりましたね。行く競馬場は毎日違うし、馬場も相手関係もわからないし、まさに一発勝負の連続。レースもいい意味でアバウトに考えられるようになりました。また、海外での生活で、ハングリーさ、貪欲さが出てきたという気がします。
2006年3月25日には、ドバイゴールデンシャヒーンでアグネスジェダイに騎乗するという経験も得た。
金沢の騎手がドバイで乗ったんですからね。すごい経験ですよ。そんな経験が自信になって、それからはドンと構えて乗れるようになりました。海外に行っていちばん変わったのは、メンタル面が強くなったというところでしょうね。
2010年度から条件が緩和された南関東での期間限定騎乗制度にも手を挙げ、2011年1月から3月まで川崎所属で騎乗した。
行く前は、南関東ではほとんど騎乗できないのではと思っていたんですよ。北海道や岩手からもトップジョッキーがやってきて、激戦に輪をかけるみたいな感じでしたから。それでもいざ行ってみたら毎日が競馬漬けになって、夜ごはんを食べたらバタッと倒れるみたいな、そんな日々が続きました。夜、遊びに行ったのは1回だけかな......。でもその毎日がすごく楽しかったんですよ。どうすればもっとうまく乗れるのか、そればかり考えていましたね。惜しかったレースのあとに映像を何回も見直して「どうにかならなかったのか」と研究したりして。2カ月の限定期間が終わったときには、本当に名残惜しかったです。
しかしそうやって向上心が刺激されると、金沢では物足りなくなるかもしれない。
確かに舞台は大きいほうがいいですよね。ただ、こっちはこっちでいい馬に乗れますし、楽しみももちろんあります。今の金沢競馬場はとても難しくて、日によって馬場の傾向がすごく変わるんです。開催日にも調教に乗りますが、実際のレースになるとまた違うんですよね。カラカラに乾いていても前が止まらないとか。だから逆に、馬券を買う人も難しいんだろうなと思います。
騎手の立場で気がつく傾向といえば、外枠のほうが競馬をしやすいことですね。それと金沢で逃げ切るには、力量差がないと難しいということ。逃げ馬には厳しい競馬場だと思います。だから僕もなるべく好位を取る騎乗をしています。そして全体の流れを読んで、仕掛けどころを判断して。そういったことが体でわかってきたのは、ここ2~3年ですね。それまでは実のところ、何でこんなに勝てるのか、という感覚が心の中にありました。
金沢で5年連続リーディング。8月も大井競馬の重賞に騎乗するなど、開催期間中でも他地区からのラブコールは多い。
いろんな経験をさせてもらっていますが、もっと名前を売っていきたいですね。今年の大きな目標は白山大賞典。ジャングルスマイルは昨年よりさらに実が入りました。7月にはこの馬向きと思えない1400m戦でレコード勝ちしましたが、それも出るべくして出たという感じです。今まで乗った金沢の馬では、乗り味が別格。奥行きがすごくある馬なので、乗っていてときどき「これでいいのかな?」と判断に迷うことがあるくらいなんです。
となれば、2011年の白山大賞典はかなり楽しみ。そして吉原騎手自身も実りの秋にしたいところだ。
そうですよね。白山大賞典とスーパージョッキーズトライアル。ポイント制のレースって、どうもクジ運が悪いというか、なぜかイマイチなんですよね。でも今年はワールドスーパージョッキーズシリーズへの代表権を勝ち取って、そして本番でも勝ちたいと、強く思っているんです。大舞台を踏むことももちろんですが、その先にあるものがとても大きいと思いますから。
未来への希望、大舞台への夢は尽きないが、その一方で「現時点では、今できることに最善を尽くすことがベストと思っているんです。厩舎の皆さんもみんな一所懸命に仕事していますから、その人たちの頑張りにも応えないと」とも語る。その想いと行動は、きっと神様も見てくれているはず。吉原騎手が大きく飛翔するのは、遠い未来のことではないはずだ。
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吉原寛人(よしはらひろと)
1983年10月26日生まれ さそり座 O型
滋賀県出身 宗綱泰彦厩舎
初騎乗/ 2001年4月7日
地方通算成績/ 6,454戦1,294勝
重賞勝ち鞍/百万石賞2回、北日本新聞杯、
スプリングカップ2回、兼六園ジュニアカップ2回、
イヌワシ賞、オータムスプリントカップ、ゴール ド
争覇(名古屋)、オータムカップ(笠松)など 15勝
服色/胴赤・黒縦縞、そで青
※ 2011年8月17日現在
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(オッズパーククラブ Vol.23 (2011年10月~12月)より転載)
今年30歳を迎えた、金沢の藤田弘治騎手。年々リーディング順位を上げて、昨年は5位、そして今年はここまで4位の位置につけています。金沢名物となった「ちびうま団」のイベントにも毎回参加している藤田騎手。デビューから11年をかけて、着実に階段を上がって来た歩みをお聞きしました。
赤見:先日、金沢名物「ちびうま団」の夏休みイベントがあったそうですね。
藤田:はい。小学生を集めてポニーに乗ったり触れ合ったりしました。僕は誘導馬に乗って参加したんですけど、子供たちも楽しそうだったし、競馬の活性化にも繋がるのですごくいいイベントだと思います。
赤見さんが乗ったフラワーカンパニーは各地の遠征で勝っているし、だいぶ「ちびうま団」が根付いて来ましたね。これからもどしどしイベントを行いますので、お近くの方はぜひ参加して欲しいです。
赤見:私もまた乗りたいです!
よく一緒に参加している吉原寛人騎手とは、同期生なんですね。
藤田:そうです。吉原は学校の頃から競走訓練が上手だったし、デビューしてすぐにバンバン勝ってたから、かなり焦る気持ちもありましたよ。
赤見:周りから比べられたり?
藤田:それもありますし、僕の方はデビューして2年間、全然乗り鞍がなくて。初勝利も2か月以上かかったし、とにかくレースに乗ってなかったんです。それがものすごく辛かったですね。
赤見:元々、騎手になるきっかけは何だったんですか?
藤田:家が金沢競馬場から近くて、高校の時にレースを見てかっこいいなと思ったんです。両親は大反対してましたけど、高校を卒業してから教養センターを受験しました。
馬には一切乗ったことがなかったし、最初の頃の訓練はかなりキツかったですね。特に、教官とのマンツーマンが...
赤見:わかります(苦笑)。初めは乗馬経験者との差が大きかったんじゃないですか?
藤田:そうですね。なかなか上手くいかなくて、本当に難しかったです。
赤見:実際に競馬場の中に入った時は、どんな印象を持ちました?
藤田:本当に競馬のことをよく知らなかったので、特に想像もしてなかったんですよ。だから、そのまま受け取りました。競馬場に対する、理想と現実とのギャップとかはなかったですね。
赤見:デビュー当時は乗り鞍がなかったということでしたが。
藤田:そうなんです。そこは僕が甘かったですね。そんな簡単に乗せてもらえる世界じゃなかったです。今年11年目ですけど、デビューから2年が一番辛い時期でした。やっぱり、騎手はレースに乗って経験を積んで上手くなりますから、とにかく乗りたいって気持ちが大きかったです。2年は長かったですね...。
赤見:その後、2度目の転厩で現在所属している黒木豊厩舎に所属になったんですね。
藤田:はい。僕が所属していた調教師が引退して、行くところがなかった時、厩務員さんが紹介してくれたんです。拾ってもらって、本当に感謝しています。黒木先生に拾ってもらったお陰で、今があるわけですから。
赤見:黒木調教師はどんな方ですか?
藤田:とても真面目な方です。馬主さんから僕のことで色々言われることもあると思うんですけど、絶対に僕には言わないんです。いつもかばってくれて。
特に思い出深いのは、転厩してすぐの頃、キクノライデンという馬で『報知新聞杯』に騎乗させてくれたんです。僕自身重賞を勝ったことがなかったし、まだ経験も少なくて何もない騎手なのに...。先生が馬主さんに頼み込んでくれて、厩舎の看板で、1番人気の馬に乗せてくれたんです。かなり緊張したけど、とにかくがむしゃらに乗って、勝った時は本当に嬉しかったですね。
赤見:黒木先生と出会って騎手生活も軌道に乗り、2008年からは金沢のオフシーズンに、美浦トレーニングセンターで調教修業もしていますよね。
藤田:初めは高橋俊之先生からお話があって、「美浦の調教師が手伝ってくれるジョッキーを探している」と言われたので、勉強のために行きました。
約1か月、調教だけですけどすごく勉強になりましたね。施設も全然違うし、馬のレベルもやっぱりすごい。調教も、きっちり併せ馬したり、直線だけ併せたりと細かい指示で行うので、新しい発見がいっぱいありました。3年連続で行ってますけど、少しずつ自分の身になっている気がします。
赤見:毎年勝利数が伸びてますもんね。
藤田:前の年より1つでも多く勝つことを目標にしているので、今のところ順調にこれてますね。
赤見:デビューした頃のご自分と今は違いますか?
藤田:全然違いますよ。何がってわけでもないですけど、やっぱり乗ってきた経験というのは大きいです。乗り役としての引き出しもだんだんと増えてくるし、精神的にも違いますね。
前は、「勝てないのかな...」と考えちゃうような弱気な面があったんです。でも今は「勝ち鞍を伸ばしたい!上を目指したい!」という強い気持ちでやってるんで。やっと少し、吉原に近づいたかなと思ってます。
赤見:やはり吉原騎手の存在は大きいんですね。
藤田:普段はそんなに意識してるわけじゃないですけど、吉原はすごいな、上手いなって思います。身近な存在だけど、尊敬してるし目標でもあります。
赤見:お2人の関係はどんな感じですか?
藤田:よくゲームしたり、一緒にご飯食べに行きますよ。2人共お酒が飲めないので、飲みに行ったりはないですけど。
もっと技術を磨いて、同期2人で金沢のトップを獲りたいですね。今はそれが目標です。そして、いつかは吉原を抜いて、僕が1位になりたいです!!
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※インタビュー / 赤見千尋
若干22歳で金沢リーディングに輝き、以降5年連続ぶっちぎりのトップを走り続けている吉原寛人騎手。
今年ももちろんトップ独走中で、6年連続のリーディングはほぼ確定。 これまでの騎手生活、この先の目標、そしていよいよ迫った『JBC』出場について、お話を伺いました!
赤見:まずは、11月3日船橋で行われる『JBC』について。今年は金沢の代表馬【ジャングルスマイル】と参戦しますね。
吉原:『JBC』には何度か参加させてもらったし、現地に観戦に行ったこともあるので雰囲気は知っていますが、今年は初めて船橋競馬場で開催されるということで、当日はかなり盛り上がるでしょうね。今から楽しみです。
赤見:地方競馬最大の祭典ですからね。
こういうレースに挑めるというのは、ジョッキーとしてとても大きいのでは?
吉原:そうですね。特に今年は強い馬で参加出来るというのが嬉しいです。 前走の『白山大賞典』でも、よく頑張ってくれましたから。
赤見:逃げて早めにスパートするというのは、今までの形になかったように思うんですが?
吉原:今回は内枠でしたから。それがもう痛恨でした。 ただ、枠順も含めて競馬。いろいろな条件の中で、思った通りのいい動きをしてくれました。改めて強さを感じましたね。
赤見:【ジャングルスマイル】は昨年の秋に金沢に移籍しましたが、初めの頃の印象はいかがでした?
吉原:調教では難しい面があると聞いていましたが、僕が初めて跨ったのは返し馬で、少しふわふわするところがあったけど、レースに行ってハミ取り出したらビューッと上がって行って。
5,6連勝した頃には、これはOPまで行くなと思いました。 これまでたくさんの馬に乗せてもらいましたが、金沢の中では今までにない手応えがありましたね。
赤見:いよいよ『JBCクラシック』出場です!どんなレースをしたいですか?
吉原:交流競走を荒らしている、地方所属馬たちには負けたくないですね。【マルヨフェニックス】とか強い馬なんで、意識してます。
長距離輸送もあるし、初めてのコースですし、いきなり相手も強くなりますが...僕の馬も強いので、とにかく気分よく走れれば、いいレースが出来るんじゃないかなと思ってます。
赤見:吉原騎手といえば、今では金沢を代表するジョッキーですが、そもそも騎手を目指すきっかけは何だったんですか?
吉原:昔から身体が小さかったことと、サラリーマンにはなりたくなかったので手に職を付けたいと思っていたんです。
中学の時は身長が伸びると思ってバレー部に入ったんですけど、1年くらいしても全然身長が伸びなくて...よく考えたら、バレー部に入ってた人は最初から身長が高かったんですよ(笑)。それに気づいて、退部してからは騎手学校受験のために身体を鍛えてました。
赤見:どんなことしてたんですか?
吉原:僕は滋賀県出身なんですけど、地元に猪子山というのがあって、毎日走って登ってました。
それで、頂上にある神社に行って、「合格出来ますように」って拝んでましたね。
赤見:乗馬はしなかった?
吉原:そうなんですよ。馬に乗ったことなかったんで、学校に入ってからはけっこう大変でした。
本当に憧れだけで入っちゃったから何にも知らなくて、慣れるまでは苦労しましたね。
赤見:なぜ金沢所属になったんですか?
吉原:僕は学校に入ってから所属を決めたんですけど、なるべく地元に近い方がいいし、騎手の人数とか、いろんなことを考えて金沢に希望を出しました。
入った厩舎も恵まれていたし、最初からいい方向に行きましたね。 特に、デビューした年に中央で勝ったんですけど、それが金沢所属の馬での、中央初勝利だったんです。 あのレースが、かなりのPRになりましたね。
赤見:デビューした年からリーディング3位!すごい新人が出て来たって盛り上がりましたよ。
吉原:いやいや。僕は本当に恵まれていたんです。 自分としてはやることはやっていたけど、全然技術が追いつかなくて...。もっと上手くなりたい!って、かなり悩んだ時期もありました。今でももっと上手くなりたいですけどね。
赤見:今では完全に金沢を背負って立つ存在ですよね。
吉原:そういう自覚はあります。 金沢はまだ鎖国というか、外に名前を売るのがなかなか難しい環境ですが、どんどん挑戦したいと思ってます。
今年はまだ制裁がないので、2度目のベストフェアプレイ賞を狙ってますし、オフシーズンには南関東で乗ることも決まりました。 僕にとって、これからの騎手人生を左右する遠征になると考えてます。
赤見:それでは改めて、全国のファンの皆さんにメッセージをお願いします。
吉原:【ジャングルスマイル】という素晴らしい馬に出会って、金田一昌先生と僕とで、応援したくなるような人馬になりたいと思ってます! 金沢を背負って立つような人馬になれたら、と気合入ってるんですが...【ジャングルスマイル】はそれを知ってか知らずか、かなりのほほんとしてて可愛いです(笑)。 まずは船橋の『JBCクラシック』、応援よろしくお願いします!!
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※インタビュー / 赤見千尋
金沢競馬でキャリア25年目。リーディングトップを5回獲得している2000勝ジョッキーが
中川雅之騎手だ。
今回は本人が「記憶にないなあ」という、1日5勝を達成した日に話を伺った。
まずはホームグラウンドである金沢競馬場の特徴から教えていただいた。
■ここは雨が多い土地なので、砂がとても流れやすいんです。その影響で、時期によって砂の深さが
違うのですが、ここ最近(取材日は5月14日)は内も外も平均的になっている感じです。
だから今は以前とは違って、あまり内をあけて走らせていません。この競馬場の砂は粒が粗いので、
サラッとしないんですよ。だから雨が降ったあと、路盤近くの足跡がそのまま固まって凹凸ができることも
あります(二重蹄跡とよばれる現象)し、表面だけが良馬場になっていることも多いように思います。
でも、金沢はとても乗りやすいコースだと思いますよ。カーブの傾斜も少しありますし、多少早仕掛け
しても残ることが多いように感じます。ですから、3コーナーあたりから勢いをつける乗り方をすると
好成績につながる感じがありますね。
中川騎手の父も騎手(現調教師。中川雅之騎手は厩舎所属騎手)。「ホクリク」の西村さん
曰く、『体で時計を刻める騎手』だったということだ。
■うーん。父とぼくとでは感性というものが違うような気がするんですよね。ぼくの場合、頭では理解
できていても体が自然と動いていかないことがあります。この年(44歳)まで現役をやっていますが、
なんとなく長いこと乗ってきただけという気もしますし、まだまだ超えられないなと。
今も親方(中川調教師のこと)は毎日2頭くらい攻め馬をしているのですが、67歳なのに乗る姿が
ものすごくやわらかいんです。
肩やひじのあのやわらかさ、そういうところは似なかったなあと思いますね。それにぼくは学生のときに
馬術をずっとやっていたんですよ。そのときに体にしみこんだ「型」というものの影響があるようで、
それは競馬の動きと少し違いますから、そのあたりのクセというか、そういうところも含めて、頭と体が
一体にならないというようなところで若い頃はすごく悩みました。早くそれに気づいて、とっとと馬術を
やめておけばよかったと、今でも思っているくらいです。
それでもここまで現役を続けていられるのは、トップジョッキーである証だろう。
■ぼくらの若い頃は、同世代の騎手が十数人ひしめき合っていて、そのなかでの争いがすごかった
んです。そしてそこを抜けてこられたから、今でも残れているのかなという気がしますね。
ぼくは競馬に出るときには、気持ちだけは負けないでおこうと、ずっと思っているんですよ。
もう引退とかそういうことを考えなきゃいけないくらいの年齢ですが、乗る以上は辞めるその日まで
気を張って乗っていたいので。食えないから辞めるとか、体力的にきつくなってやめるというのはイヤ。
そういうこともあって、ここ2、3年は気持ち的に開き直って乗れているように自分でも思います。
若いころも今もそうですが、父の厩舎に所属している騎手ということで、チャンスは数多くもらえる
けれども、結果を出さないと迷惑をかけるという思いも強かったですね。親方が馬主さんに
「乗り役は息子さんで」と言ってもらえるようにならなければ、とずっと思っていましたから。
そんな中川騎手は騎手会長。だからこそ言いたいこともある。
■今の若い騎手は根性やモチベーションがいまひとつという気がします。もまれる強さというか、
精神的な部分が物足りないかなと。ぼくは娘にも「勝負に勝とうと思うならば、根性を出さなければいかんよ」
とよく言っているんです。そうじゃなければ勝ち残れないでしょう。
それに若い騎手は、基礎体力もぼくらの世代に比べたら明らかにないですよね。ぼくはずっとこの
競馬場に住んでいて、小学校のときは片道1時間くらい歩いて通学していました。そういう体力的な
貯金が残っているから、十分に勝負ができているような感じもありますね。
また、若い騎手は自分の体にお金をかけていないようにも思えるんです。ぼくは接骨医なども含め、
体はしっかりチェックしていますよ。馬乗りは全身運動。少しでも痛いところやしっくりこないところが
あると、バランスが崩れますから。自分の身はやっぱり自分で守らないと。
まだまだ前向きな中川騎手。実戦での勝負ポイントはどのあたりになのだろうか。
■今の競馬はスタートがカギ。とにかく『普通に出す』ことが重要ですね。そして、今の馬場では特に
ですが、1コーナーで外を回ったらまず勝てません。馬も昔にくらべると根性がないですし、クセが
悪い馬も多いですから。1300メートル戦では特に外を回ったらダメですね。
でも、内が深い馬場になっているときは内枠だと損になりますし、あえて外を回すという競馬でも間に
合ったりします。それでも基本的には、好位置からの競馬がいちばんの理想ですね。スッと2、3番手
につけられたら最高です。
昔は広い馬場を広く使ってレースをしていたのですが、今は標準的な競馬になっている感じもします。
とにかく「自分の競馬」ができた馬が勝てる競馬場だと思います。
「金沢競馬場は残していけるし、これからもやっていける競馬場」と熱く語る中川騎手。活性化を
訴えて県庁で発言したこともあるそうだ。「もう少し競馬をとりまく環境がよければ、2、3年前に
引退していたかも」というが、「頼まれたら期待にこたえたい」という思いも強いそう。
インタビューの後半は金沢競馬のありかたについての持論をいろいろ聞かせてくれた。騎手紹介
のキャッチコピーは「頑張れマーちゃん」なのだが、「もう少しうまく生きられたらいいと思うんだけど」
というくらいのストレートな熱さに、「兄貴」と呼びたいくらいの気持ちになったのだった。
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中川雅之(なかがわまさゆき)
1963年1月31日生 みずがめ座 A型
石川県出身 中川一男厩舎
初騎乗/1983年4月16日
通算成績/13,641戦2,388勝
重賞勝ち鞍/サラブレッド大賞典2回、北日本
新聞杯、ヤングチャンピオン、JTB賞3回、中
日杯3回、百万石賞、北國王冠2回、日本海ダ
ービー2回、北國アラブチャンピオンなど54勝
服色/胴赤、そで黄
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※成績は2007年5月24日現在
(オッズパーククラブ Vol.6 (2007年7月~9月)より転載)