吉井友彦騎手は、9月11日の笠松で第1レースから第6レースまで6連勝を達成。その勢いのまま、自身初の年間100勝を達成して、初めての笠松リーディングを狙っています。
9月11日の6連勝は圧巻でしたね。
あれがもう少し前だったら、(スーパージョッキーズトライアルの)ワイルドカードじゃなくて、本選からスタートできたんですけどね。でも今まで経験のないことでしたし、段階を踏んでいきなさいということなんだと思います。
そのワイルドカード(9月20日・佐賀)の翌日は、JRA阪神競馬場で騎乗しました。
佐賀はクジ運が悪かったですね。レース後はそのまま阪神競馬場に移動して、ローズステークスでリックタラキチに騎乗しましたが、スタートから出たなりでついていけました。結果は最下位でしたが、走りは芝のほうがいいと感じるくらいでした。
リックタラキチにとって初めての1800メートルはどうでしたか?
やっぱり多少長かった感じがしますね。1600メートルまでというタイプかなあ。ローズステークスのあと反動がありましたけれど、チャンスがあれば芝の1400メートルくらいにチャレンジしてみたいですね。
吉井騎手自身、重賞の舞台はどうでしたか?
JRA重賞は初めてだったんですが、思ったほどは緊張しなかったですね。昔ならもっと緊張していたはずなので、成長したのかなと思います(笑)。
今年は初めての年間100勝を達成して、笠松リーディングが狙える状況です。
以前に勝ち星が一気に増えたとき(2010年。前年の25勝から53勝に増加)は、阪上(忠匡)騎手が引退して、森山(英雄)厩舎の馬にたくさん乗せてもらえるようになったのが要因のひとつですね。本当に森山先生のおかげです。この恩は返しきれないくらいです。そしてそのころ、加藤(幸保)先生に初めて頼まれた馬が4連勝してくれて、それから勝てるチャンスがある馬への騎乗依頼をいただけるようになっていきました。軌道に乗るってよく言いますけれど、こういうことなんだなあという感じですね。
自分自身の技術的にも上がってきた手ごたえはありますか?
いや、うまくなったとは思っていないんですけれど......。実際、笠松でリーディングを取ったことがある人たちに比べると、技術的には負けていますよ。下半身をもっと鍛えないといけないと思っていますし。ただ、勝ち方というか、どこでどうすればいいのかが、数をたくさん経験できているおかげで分かってきたという感覚はありますね。
先日は"JBC応援大使"のふじポンさんに、「リーディング!」と褒められていましたが、吉井騎手のデビューの地、岩手時代からの知り合いなんですね。
19歳で騎手をやめて、しばらく盛岡で居酒屋の店員をしていました。知り合ったのは、ふじポンさんが競馬の仕事を始めた頃ですかね。競馬関係者に連れられて店に来たときに紹介されました。そのあと笠松で再デビューさせていただいたわけなんですが、本当は騎手をやめたとき、馬のよさを再認識していたんですよ。だから、馬を見たらまた騎手をやりたくなると思って、競馬とかを見ないようにしていたくらいです。でもやっぱり気になって......。
吉井騎手は京都出身ですが、どうして岩手でデビューしたんですか?
芝で乗りたいなというのが理由です。ホント、ミーハー(笑)。でも岩手では乗り鞍が少なくて......。逆に笠松ではたくさん乗れますからね。負けても乗れるのは幸せですよ。出走できればどんな馬でも勝てる可能性はあるわけですし。だから今は毎日が楽しいです。キツイなあと感じるのは汗取りぐらいかな。いや、51㎏でも問題なく乗れるんですが、薄い腹帯とか軽い鞍とか、使いたくないんですよ。
でも、吉井騎手はラーメンをよく食べに行きますよね(笑)
開催が終わると解放感があって......。スープは飲まないというのが実践できればいいんですけどね(笑)。そんなときに急に名古屋で騎乗依頼があって、焦ることがたまにあります。
本当に充実しているというように見えますね。
そうですね。今年の年明けに立てた目標が、年間100勝、重賞勝利、あとJRA交流競走をJRA所属馬に乗って勝つ、だったんですが、最初の2つは達成できました。最後のひとつもなんとか達成したいですね。
今後の目標にはどのようなものがありますか?
ワールドスーパージョッキーズシリーズには、いつか出場してみたいですね。そのためにはひとつひとつの積み重ねが大切です。トップを取って、そしてキープしていきたいので、ケガをしないように気をつけたいです。ただ、ほかの騎手もリーディングを狙ってくるはずです。争う人がいるから楽しいという部分はありますが、でも負けないように気を引き締めて頑張っていきます。
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※インタビュー / 浅野靖典
今年笠松でデビューした、藤田玄己(げんき)騎手。デビューから約4か月が経過した現在も、日々試行錯誤を続けています。ここまでの道のりと、これからの目標をお聞きしました。
まずは、騎手になったキッカケから教えて下さい。
僕は幼い頃から動物が大好きだったんです。それで、いつか動物に関わる仕事をしたいなと思っていて。小学生の時に、テレビでたまたまレースを見たら、馬の走っている姿やジョッキーのカッコよさに憧れました。レースを見て行くうちに、自分も騎手になりたいと思って、中学を卒業してから3年間、千葉にある馬の専門学校に行ったんです。
馬の専門学校とは、どんなところなんですか?
騎手になりたい人や、厩務員になりたい人や、乗馬のインストラクターになりたい人など、入学理由は色々ですし、年齢もバラバラです。全寮制で、1日中馬のことについて勉強するわけですけど、実は僕は3年間いるつもりはなくて......。地方競馬教養センターの試験を受けて、合格したら中退しようと思っていたんです。でも、2回受けて落ちてしまって、3回目でようやく合格出来たので、結局3年間を過ごしました。
不合格だった理由は、なんだったと思いますか?
体力的なものだと思います。専門学校に入った頃は、まだあまり体力がなかったので。でも3年間みっちり鍛えたお蔭で、3回目の挑戦で合格出来て、本当に良かったです。
専門学校で3年、地方競馬教養センターで2年と、中学を卒業してからずっと全寮制の学校に行っていたんですね。
そうなんです。最初に親元を離れて、一人で専門学校に行った時はホームシックになりました。でもすぐに友達も出来て、3年間すごく楽しかったです。ただ、なかなかセンターに合格出来なくて、一度このままでいいのか考えようと思ったことがありました。諦めようとは思わなかったけど、このまま頑張っても、合格出来る保証はないわけじゃないですか。だから、専門学校の時は不安な気持ちも大きかったです。両親や兄弟がすごく応援してくれていたので、不安な気持ちを相談する勇気はなかったんですけど、センターに合格した時は本当に喜んでくれました。念願だったセンターに入ってからは......専門学校に比べると、教わる内容は似ているんですけど、内容の濃さが違いましたね。相当厳しかったです。
実際にデビューしてみてはいかがですか?
デビュー戦はほとんど覚えてないです(笑)。デビューした嬉しさはあったんですけど、何が何だかわからなかったですね。いきなり先輩たちの中にポンと入って、ずっと後ろから回って来たという感じで......。どこを回ったのか、進路もよく覚えてないんです(苦笑)。ゲート裏で輪乗りをしている時からガチガチだったらしくて、先輩たちから、「肩の力抜けよ」とか、「そんなんじゃゲート出れないぞ」って声掛けてもらったんですけど。それでも力抜けなかったです。62戦目で初勝利を挙げることが出来ましたけど、僕の実力ではなくて、周りのみなさんと馬のお蔭なんです。勝てて嬉しかったですけど、自分の力ではないのがわかるので、素直に喜べない部分もありました。
レースだけではなく、ジョッキーというお仕事についてはいかがですか?
馬に乗る技術ももちろんですけど、今初めて営業しているので、それが大変ですね。乗せてもらえても調教だけだったり、簡単にはいかないです。営業して、乗せてもらえたら本当にチャンスなんでね、一つでも多くのレースに乗れるように、諦めずに何度もしがみついてます。
所属の藤田正治先生とは、同じ苗字なんですね。
そうなんですよ!そのよしみで所属にしてもらった感じです(笑)。僕は出身が愛知なので、最初は名古屋を希望していたんです。でも同期に3人も名古屋希望がいて、難しいだろうということになって。でもどうしても東海に行きたかったので、教官が僕の気持ちを汲んでくれて、笠松で探してくれたんです。藤田先生はとてもいい方ですし、先輩たちもいい人ばかりで、笠松に来て本当に良かったと思ってます。
目標のジョッキーはいますか?
東川公則騎手です!! どの馬にも一生懸命乗っているし、ダメだった時にしっかりと頭を下げて、次に結果を出すんですよ。人当りもすごく良くて、騎手としてだけじゃなく、人としても尊敬しています。いつか僕も、東川騎手のようになりたいです。
では、今後の目標を教えて下さい。
目標は、自分の力で馬を勝たせることです。今はまだペースがよくわからなくて、ハナに行っても馬の好きなペースで走ってしまって、最後バタバタになることがよくあって。色んな人のレースを見て、聞いて、いろいろ取り入れながら頑張っていきたいです。まだまだ未熟者で下手くそですが、精いっぱい頑張りますので、応援よろしくお願いします!
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※インタビュー/ 赤見千尋
今年、騎手生活28年目を迎えた東川公則騎手。2011年には地方競馬通算2000勝を達成。近年でも毎年100勝以上を挙げ、トップジョッキーとして活躍し続けている東川騎手に、これまでのこと、また今後の目標などをうかがいました。
昨年は117勝を挙げて笠松では2位。1位は125勝で向山牧騎手でした。ベテランが頑張っていますね。
そうですね。自分ではまだベテランのつもりはないんですけど(笑)。気がついたらもうこの年(44歳)になっていたという。
2010年から昨年まで4年連続で100勝以上を挙げて、2011年は笠松リーディングでした。今年で28年目ですが、それだけ頑張れるという秘訣はありますか。
一番は、この仕事が好き、ということです。あとは、この仕事しかないという感じでずっとやってきてますからね。2009年は怪我があったので100勝に届きませんでしたが、また笠松でトップをとらないと、まだまだ若手には負けたくないという気持ちでやっています。
昨年、重賞では、1月には金沢のトウショウクエストで白銀争覇を、11月には北海道のカクシアジでプリンセス特別を勝ちました。いずれも他地区からの遠征馬でした。
なかなか他地区の馬に乗せてもらって勝つということはないですから、そういう機会を与えていただいて、結果を出せたということで、いい経験をさせてもらいました。いい馬に乗せていただいたということもありますし、馬をよく仕上げてくださったということもあったと思います。だから、ほんとに勝ててよかったと思います。
プリンセス特別では、北海道のカクシアジを勝利に導いた
一昨年(2012年)には浦和に所属して、南関東で2カ月間、期間限定騎乗がありました。
手探り的なところもあって、あまりいい結果は残せなかったんですけど、ただ、騎手である以上まだまだチャレンジはしたいと思っています。この年になって、いつまで騎手を続けられるかということもありますし、いろいろな競馬場で乗ってみたいという願望もあります。
その南関東の期間限定騎乗では、5勝、2着14回という成績でした。
けっこう数は乗せていただけたので、それはいい経験になったと思うんですけど、勝つまでには、自分の中にまだ足りないものもあったと思います。あまり慣れていない左回りも、騎手をやっていく以上、もっともっと経験して、慣れていかないといけないと思っています。
思い出の馬となると、やはりミツアキタービンですか。ダイオライト記念と、オグリキャップ記念(2004年、当時は交流のGII)を連勝しました。
そうですね、あの馬はほんとに強いと思ったし、乗りやすい馬でした。なかなかグレードレースを勝てるような馬に乗せてもらうこともないですから、いい経験をさせていただきました。
ミツアキタービンで制した2004年のオグリキャップ記念GII(写真:いちかんぽ)
ミツアキタービンでは、中央のフェブラリーステークスで4着というのもありました。
あのときは、自分でも直線半ばまで、いいのか?って思いながら、ここまで来たらと思ったんですよね。(勝ったアドマイヤドンから)コンマ2秒差ですか、あんな経験はなかなかできないですよ。
それ以前では……。
最初にすごい馬に乗せてもらったのは、メーカーロッキーです。デビューして7年目ですか。それまで重賞で人気になるような馬には乗ったことなかったんですが、メーカーロッキーはずっと連勝していて(17連勝中)、重賞の東海大賞典で斤量が50キロということで僕に回ってきました。微妙に内に刺さる馬で、僕は左利きで、どちらかというと右のムチがまだ苦手だったんです。右から上手に叩ければよかったんですが、ギクシャクしたままゴールして、ロングニュートリノという馬にハナ差で負けたんです。あの負けは僕のせいだなあとか考えたら、悔しかったですね。でもそのときに自分の技術の未熟さをあらためて認識して、もっと練習しないといけないとも思いました。あの経験は大きかったですね。
あとはトミケンライデンですね。サラブレッドの重賞を初めて勝たせてもらった(1997年・岐阜金賞)のがこの馬だと思うんです。それまでは(安藤)勝己さんとか(安藤)光彰さんが乗っていて、ほかに乗り馬が決まっていたのか、当時は前日投票だったんですけど、投票を見たら僕になっていて、「オレじゃん、いいの?オレで」みたいな。1番人気が(吉田)稔のセイエイツートップで、僕は2番人気。レースの前日に勝己さんから「この馬は300メートルくらいしか脚が使えないから、我慢できるところまで我慢しろ」って言われていたんですが、手ごたえがよかったので行こうとしたら、勝己さんのほうがよく見ていて、「お前、まだ早いわ」って。3~4コーナーでセイエイツートップが上がっていったところで、「よし行け」って、勝己さんがゴーサインを出してくれて(笑)、勝つことができた感じでした。そのころから荒川先生(故・荒川友司調教師)の馬に乗せてもらうようになって、勝つ自信がついたというか、いい経験をさせてもらいました。
最後に、これからの目標というか、どういうふうに競馬とかかわっていこうとお考えですか。
今のところ調教師とかは考えたことがなくて、10年でも20年でも騎手でいられるなら、騎手という仕事をやっていきたいと思っています。(地方競馬の最高齢重賞勝利記録を更新した)的場(文男)さんみたいな人がいる以上、自分もまだまだと思いますね。よほどの怪我とかでもない限り騎手を続けたいです。地元のリーディングもまた獲りたいと思うし、あとは、いろんな競馬場で乗って、そこで結果を出したいというのが目標かな。今年7月から8月まで、今度は大井の所属で、また南関東で期間限定騎乗が決まっています。さすがに吉原(寛人)君みたいな活躍はできないと思いますけど、大井は(笠松と)同じ右回りで、その時期は開催日数が多いですから、今後の自分に生かせるような結果が出せればと思っています。
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※インタビュー・写真 / 斎藤修
昨年、地方通算1000勝を達成した尾島徹騎手。20代前半から笠松の若手筆頭として存在感を示してきました。2009年に初めて笠松リーディングに立つと、5年連続で年間100勝以上という安定感。その騎手人生は順調のように見えるのですが、様々な経験を積んだ今だからこそ味わっている苦悩もあるようです。
秋田:2013年は年間118勝、笠松リーディング2位という成績でした。どんな1年でしたか?
尾島:最後に獲りたい重賞(東海ゴールドカップ)を勝てたので良いこともありましたが、全体的には納得がいかないかったですね。2012年と比べてかなり勝ち鞍も減ってしまったし、笠松リーディングも2位だったし、JRAの遠征も少なかったし...。もう少しやれたんじゃないかと思います。
秋田:そんな中でも11月22日には地方通算1000勝を達成しましたね。
尾島:あまり区切りは気にしないほうなんですが、さすがに1000勝は意識しましたね。ちょうど999勝の時に笠松グランプリだったので、勝って1000勝だってみんなから言われていたんですが、1番人気を飛ばしてしまいました(笑)。
秋田:デビューから13年で1000勝は、早いと思いますか、遅いと思いますか?
尾島:乗せてもらっている馬を考えたら、もう少し早く達成していても良かったと思います。
秋田:1000勝の中で、一番印象に残っている1勝はどのレースですか?
尾島:マルヨフェニックスで勝った大井の黒潮盃(2007年)です。笠松の馬で南関東の馬を負かして1着を獲ったというのがやっぱり嬉しかったです。笠松の馬でもやれるんだということが見せられましたから。
マルヨフェニックスではオッズパークグランプリ2009(園田)も勝利(写真:兵庫県競馬組合)
秋田:2009年からは毎年100勝以上をあげていて堅実な成績を残していますが、ご自身ではどう感じでいますか?
尾島:一時良い時期があって、そこから伸び切れていないような、波が上がっていかないような...。横ばいという感じですかね。マルヨフェニックスの全盛期くらいが一番良かったです。
秋田:やはり尾島騎手にとってマルヨフェニックスの存在は大きいんですね。
尾島:あの馬がいなかったら自分はここまで伸びていなかったかもれません。自分の知名度もあげてもらったし、勝ち方や、他の競馬場の特徴も教えてもらいました。今年のSJT(スーパージョッキーズトライアル)で、園田で1勝できたのも、マルヨフェニックスでの経験があったからだと思います。
秋田:去年8月の段階では笠松リーディングで、3度目のSJTにも参戦しました。総合6位でしたがいかがでしたか?
尾島:3戦目で勝って、次で勝ったら優勝できるかもしれないって聞いていたのでチャンスかなと。でも甘くなかったですね。最終戦の方が人気の馬に乗っていたから、もしかしたらと思ったのですが...。
秋田:ワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS)には出場したいですか?
尾島:そりゃあ、めっちゃ出たいですよ!! 今、騎手人生の中で一番行ってみたい舞台ですから! そのためにリーディングを獲りたいと思っているくらいです。あれだけ一流の騎手と一緒に乗れるのは一生に一度あるかないかですからね。だから、まずはリーディングになってSJTに行かないと。
秋田:話は変わって、尾島騎手はもうすぐ(3月23日)30歳ですね(笑)。20代はどんな時間でしたか?
尾島:もう30歳ですか...(笑)。あっという間でした。競馬に対しては一生懸命やってきたつもりでしたけど、周りが見たらまだまだ足りないと思われても仕方ないですね。また良い時の成績に戻れるようにならないと。
秋田:若い時と比べて何が変わったと思いますか?
尾島:慌てなくはなりましたね。でもマイナス面を言うと、最近はレースを楽しんでいないんじゃないかと。昔は自分が勝ちたい勝ちたいばっかりで、勝ったらヤッターという感じでしたが、今は良かったってホッとすることの方が多いんです。人気馬を勝たせなくちゃいけない、負けちゃだめだって。だから楽しく乗れていない気がします。
秋田:そんな現状をふまえて、これからどんな30代にしたいですか?
尾島:目の前のことが忙しすぎて漠然としてしまっているんですが...。実は今年JRAの試験に挑戦しようと思っています。そう簡単じゃないことは分かっていますが、勉強していることは自分のためになることですし。そして1000勝達成もしましたから、もっと人に信用されるような騎手になりたいですね。目の前のチャンスをものにして、信頼を勝ち取りだいです。
秋田:では最後に2014年の目標を教えてください。
尾島:リーディング奪還して、SJTで優勝して、WSJSに出ることです!
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※インタビュー / 秋田奈津子
新潟リーディング9度の実績を引っ下げて、2002年に笠松競馬場へ移籍した向山牧騎手。移籍後にも順調に勝ち星を重ね、現在は地方通算2,896勝(12月9日現在)と3,000勝に迫る活躍を見せています。さらに今年は、自身初となる笠松リーディングを快走。48歳になっても進化を続ける大ベテランに、じっくりとお話をお聞きしました。
赤見:先日は、オッズパークプレミアムパーティーで笠松代表としてファンの皆さんと触れ合ったわけですけど、いかがでしたか?
向山:楽しかったですね。『頑張ってください』って声かけてもらって、すごく刺激になりました。思ってた以上に、詳しい人が多かったです。だって、1994年の平安ステークス(オーディンに騎乗して2着)の話とか、新潟の頃の話とか、かなり前のことまでよく知ってますからね。さすが、オッズパークのコアユーザーだと思いました。また機会があったら行きたいです。
赤見:パーティーでは仮面ライダーの変身ポーズも披露してましたけど、寡黙な牧さんがあんなことするなんて意外でした。
向山:いや、無理やりふったんでしょう! まぁ、仮面ライダーは好きですけどね。昭和の頃は本当に子供が見る話だったけど、平成のライダーはカッコいいし、大人も楽しめるストーリーなんですよ。特にハマったのはカブトと電王。今はあんまり見てないんですけど。今のマイブームは一人で家飲みですから(笑)
赤見:(11月27日)現在111勝を挙げ、笠松リーディング1位ですね!
向山:珍しいこともあるもんですね(笑)。今年はいい馬に乗せてもらっているし、自厩舎だけじゃなくて色んな厩舎に乗せてもらって、その馬たちが頑張ってくれてるお蔭ですよ。
赤見:笠松に移籍して11年、ここまで色んなことがあったんじゃないですか?
向山:そうですねぇ、色々ありました。新潟が廃止になった時、騎手を続けたいなと思ってて。でも僕だけ年齢制限で南関東に行けなかったんです。それで、安藤勝己さんが僕の親戚と仲いいんですけど、その縁で声を掛けてくれて。『笠松に来ないか』って。誘ってもらって嬉しかったし、選択肢はないですから、迷わず決めました。
赤見:実際に移籍してみていかがでした?
向山:正直、2005年に高崎から川嶋弘吉調教師が移籍して来なかったら辞めてると思います。なんていうか、僕は営業が苦手で。愛想も悪いし、僕のことを嫌いな人はいっぱいいると思う。本当はそういう部分も含めて騎手ってう仕事だから、営業上手にならなきゃいけないんだけど、なかなか出来なくて。川嶋先生はわかってくれるので、感謝してます。そういう人に出会って、少しずついい馬も乗せてもらえるようになったんでね。他の人たちも見ててくれて、それで今年の成績に繋がってるんじゃないかな。
9/10門別で行われたSJTワールドカード第1戦を勝利(写真提供:NAR)
赤見:今年はSJTへの出場を賭けたワイルドカードに出場しましたが、1ポイント差で惜しくも3位でしたね。
向山:そう! 1戦目勝った時には、『これはもしかして行けるんじゃないか』って思って。2戦目で8着になってしまって、1ポイント差に泣いたんですけどね。2位までしかSJTに出場出来ないのに、なんでか3位の俺まで表彰式に呼ばれちゃって。『帰っていい?』って言ったんだけど、離してくれなかったんですよ(苦笑)。アイツらだけプレート持ってて、俺だけ持ってないのよ? もうあの表彰式は本当に辛かったですね。来年はリーディング1位でSJTから出場出来るように頑張ります。
SJTワイルドカードの表彰式。向山騎手(右)は3位(写真提供:北海道軽種馬振興公社)
赤見:デビューから30年ですけど、騎乗に対してのポリシーというのはありますか?
向山:若い頃はとにかく勝ちたい勝ちたいでしたね。その気持ちが馬の邪魔をしていたこともあったと思うんです。今ももちろん勝ちたいですけど、もっと冷静になったというのかな。馬にも気を使ってますよ(笑)。それに、この年になると誰も何も言わないんですよ。ああしろ、こうしろ、とか。だから自分自身で考えていかないと、どんどん置いていかれるっていうのは感じてます。今でも必死ですよ。もっと上手くなりたいし、もっともっと乗りたいです。
赤見:では、ファンの皆さんにメッセージお願いします。
向山:笠松はここのところ辛いことが続いたし、次に何かあったら終わりだっていう気持ちで、みんなの意識もすごく高まっています。僕自身は3,000勝を目標にやってるんですけど、そこを越えたら次は4,000勝を目指したいですね。馬に乗るの好きだし、最終目標は60歳を超えても現役で乗る、年金ジョッキーです!
同じ笠松の東川公則騎手(右)と
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※インタビュー / 赤見千尋