平成10年10月高崎競馬場にて騎手デビュー。以来、高崎競馬が廃止される平成17年1月まで騎乗を続け2033戦91勝。元騎手の目線からレースを分析から、現役時代の思い出など、様々な話題を楽しく書き綴ってまいります!
平成10年10月高崎競馬場にて騎手デビュー。以来、高崎競馬が廃止される平成17年1月まで騎乗を続け2033戦91勝。元騎手の目線からレースを分析から、現役時代の思い出など、様々な話題を楽しく書き綴ってまいります!1998年10月10日、【メイセイオペラ】が勝利した南部杯当日。実は私の記念すべき、騎手デビューの日でもあるのです。
16歳で初めて競馬を見てから約4年間、ただただこの日を夢見て頑張ってきたわけですが、いざレースがスタートすると、何がなんだかわからないうちに終わってしまい、私自身は何もすることが出来ませんでした。
この日は2頭の騎乗でしたが、どちらのレースも自分が思い描いていたようなことは全くできず、ただただ先輩騎手たちの間で縮こまって乗っているだけ。自分自身の不甲斐なさに、涙が出るほど悔しかったし、このままでは一生勝つことなんてできない・・・と本気で思いました。
緊張から開放されたことと、精神的な落ち込みによって、控え室に戻って来た時にはもうぐったり。みんなの前では抑えていた涙が、次から次へと流れていきました。
そこで南部杯のファンファーレ。場間場外発売により、高崎の場内テレビでも南部杯が放送されたのです。1番人気は【アブクマポーロ】。その年は1月の『川崎記念』から6連勝中。特に6月の『帝王賞』では並み居る中央馬を退けて、強い勝ち方を見せてくれました。
『帝王賞』当時、私はまだ地方競馬教養センターの生徒で、同期たちと一緒にテレビを食い入るように見たものです。「地方競馬にも、こんなに強い馬がいる!」と本当に勇気をもらいました。
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〔地方競馬教養センター終了式にて、同期の繁田健一騎手と〕
そんな【アブクマポーロ】が出場するということで、泣いてはいられないわ!と真剣にレースを見たんですけど・・・なんとなんと、3馬身もの差をつけられて、【メイセイオペラ】に負けてしまったではないですか!しかも【タイキシャーロック】にもハナ差負けて3着。
この時は【メイセイオペラ】が勝ったことよりも、【アブクマポーロ】が負けたことの方が衝撃でした。
「あんなに強い馬でも、負けることがあるなんて・・・」勇気と感動をもらった馬だけに、本当にショックだったんですけど、衝撃が去って落ち着いてくると、考え方が変わりました。
「あんなに強い馬でも、負けることがあるなんて・・・競馬ってやっぱり面白い!!」
その時は、本当におこがましいんですけど、【アブクマポーロ】が先輩騎手たち、【メイセイオペラ】を自分に置き換えて、「いつか私も、上の騎手たちを負かすんだ!」とさっきまで泣いていたことも忘れて、「早くレースに乗りたい!うまくなりたい!」という気持ちになりました。
騎手として最初の障害にブチ当たっていた私を【メイセイオペラ】が救ってくれたのです。デビュー戦の苦い思いと重なって、この年の南部杯は一生忘れられない思い出です。
今年もいよいよ南部杯が迫って来ました!今年は【ブルーコンコルド】の3連覇がかかっていますよ〜。どんなレースになるんでしょうか♪
懐かしいお菓子を発見したのでつい買ってしまいました!
『チョココ』
食べたことありますか?メッチャメチャ美味しいんですよ♪

『チョココ』との出会いは10年前、地方競馬教養センターにて、ある時教官の車の中に入ってたんです!
毎日ひもじい思いをしていた私は即反応し、
「あれはなんだろう?チョココ??
どんな味がするんだろ?食べてみたいなぁ〜」
と思い、誰もいないうちに・・・と車を開けようとしたんですが、そこは教官も心得ているので完璧にカギが閉まっている。それでもメゲずに、必死にドアをカチャカチャやっていると・・・まんまと教官に見つかり鉄拳制裁を受けた・・・
という思い出のお菓子なのです。
もちろんその時は食べさせてもらえなかったし、私たちの頃はやんちゃな生徒が多かったため、外出も一切禁止だったので、実際チョココを食べたのは半年後の競馬場実習の時。
夢にまで見たチョココ。美味しかったなぁ〜・・
今は食べたいと思えば何でも食べられる。これってかなり幸せなことなんですよね。
てか、飢えてる生徒がいるのわかってて車にお菓子積んでるなんて、教官の方が悪いですよね?!あの頃の食べ物に対する執着は、尋常じゃなかったなぁ〜
あんまり自虐ネタを書くと、両親が心配するので。。。
通知表ネタなんか書くと、両親に怒られるので。。。
たまには自慢話。
高崎の廃止が決定した時、関係者みんなで署名活動をした事があった。
毎朝調教があって、午後の仕事もあって、、、みんな忙しくて、ピリピリした感じ。
そんな時、藤水(私の実家のそば屋)が休みの日に、父が差し入れを持って来てくれた。
美味しいと評判の焼きそば30個と、飲み物30個。
「熱いうちが美味しいんだ!」と言って、急いで持って来てくれたんだけど・・・お店の人が割り箸を入れ忘れたらしく、その場では食べる事が出来なかった。
みんなとっても喜んでくれて、各自お土産に持って帰ったんだけど。
「美味しい時に、食べてほしかった!!」と、父はとっても悔しがり、
「せっかく急いで買いに行ったのに・・・」と、母も怒っていた。
この時、うちの両親はなんてイイ人なんだろう・・・と、本気で思った。
赤見千尋に生まれて良かった・・・と、本気で感謝した。
なんて。。。ちょっと恥ずかしいけど。。。
競走馬たちの身体は、暑さに対応するようには出来ていない。だから夏場は特に、人間が気をつけてあげなければいけない時期。
厩務員さん達はこの時期、何度も厩舎を訪れては馬たちの変化に注意し、水を継ぎ足す。自分が眠る前にももう1度、トイレに起きたついでにもう1度・・そんな風に愛馬たちを暑さから守っている。
それでも体調を崩してしまった時には、基本的には休ませるけれど、そうもいかない事情もある。
「休ませるなら、引退させる。」と言われてしまったら、どうする事も出来ない。
私の現役時代、そんな風景はたくさんあったけれど、なかでも忘れられない出来事がある。
群馬県が日本一気温が上がった日。私自身も暑さと戦いながらの騎乗でフラフラ、何頭かの馬たちはうっすらと白い粉を吹いている状態。これは馬にとっての危険信号でもある。
ゴールに入った瞬間、隣を走っていた馬がバッタリ倒れて動かなくなった。レース直後だというのに、汗ひとつかいていない。これは最悪の症状で、汗をかけなくなってしまったために体温調節が出来ず、死んでしまったのだった。
厩務員さんが走って来て、死んでしまった馬の顔や身体に、何度も何度もバケツで水をかけていた。
「もう死んでるから。」と周りに止められても、「ごめんね、ごめんね・・」と泣きながら、必至に水を飲ませようとしていた。
次のレース、その馬が倒れていた所だけ、馬場が濡れていた。
高知の【ヒカルサザンクロス】が、最多出走回数記録にあと「3」と迫っている。
彼は15日のレースで、248戦目を戦い終えた。最高記録は益田の【ウズシオタロー】で250戦。ちなみに彼は、サラブレッドよりも丈夫なアラ系である。
ガラスの脚を持つサラブレッドにとって、数多く走るというのは簡単な事じゃない。勝利する事だけじゃなく、数多く走る事も偉大な記録だと私は思う。
【ヒカルサザンクロス】という名前を聞いて、「あれ?どこかで聞いた事があるな・・」と思っていたら、なんと一緒に走った事があった!!しかも、私のデビュー2開催目。ド新人の頃の事。
あの頃の私は、まだ競馬界がイマイチ理解出来ていないくて、からかわれても本気で信じたりして、純情可憐な頃。でも実際に騎手デビューして、理想と現実が違う事がわかりかけてきた、微妙なお年頃でもあった。
学校の実習中、色んな人に「デビューしたら乗せてやる。」と言われたけれど、そのほとんどが冗談で、実際にそう言いながら乗せてくれたのは、馬主さん1人、調教師さん1人だけ。
その、調教師・菊池先生。
今は笠松・法理厩舎で厩務員さんとして頑張っている。
自厩舎を除けば、デビューから引退するまでずぅ〜っと乗せ続けてくれた、唯一の調教師さんである。
「このご恩は、一生忘れません」級の恩人。
あの頃から現在までずっと、【ヒカルサザンクロス】は走り続けているのか・・と思うと、本当にスゴイと思う。1995年デビューという事は、現役生活12年!生まれた子供が小学校を卒業する年齢だ!!!
よくよく考えたら、私が17歳の頃にデビューしたんだな。
競走馬というのは、ガラスの脚もさることながら、ストレスから胃潰瘍になる馬も多い。【ヒカルサザンクロス】は、肉体だけでなく、精神力も強いんだろうな。自称・繊細な心を持つ私としては、とっても見習いたい。